ブルーズ史上最重要人物の一人ビッグ・ビル・ブルーンジーもちょっとだけ
アメリカ北部の都会(特にシカゴ)において、ジャズ・バンドやピアノの伴奏でやる1920年代の女性ブルーズ歌手たち、おそらくそのルーツであったろう南部のカントリー・ブルーズ、20年代末〜30年代に成立するシティ・ブルーズ、そして、その後電化バンド形式でやるモダン・ブルーズ 〜 これらの端境期、移行期において、というかそれら四つの真ん中あたりで非常に大きな役割を果たした重要人物が、リロイ・カーとタンパ・レッドとビッグ・ビル・ブルーンジーの三人。しかもこれら三者は関係があるようだ。
リロイ・カーとタンパ・レッドについては以前から書いているし、単独でもそれぞれ一度ずつ少しだけ詳し目に書いたので、今日はビッグ・ビル・ブルーンジーだ。がしかし僕の場合、タンパ・レッドの時に書いたことと完全に同じことがビッグ・ビルについても当てはまる。すなわち重要性に気づくのがあまりにも遅く、したがってオーストリアのドキュメント・レーベルがリリースしている(ホントここばっかりだな!)クロノロジカル全集を持っておらず、申し訳程度の CD 二枚組アンソロジーを一つ持っているだけだ。
こりゃおかしいね。ブルーズは基本的にギター・ミュージックであるにもかかわらず(アメリカ深南部においてそういうかたちで成立したわけだから)、ピアニストのリロイ・カーだけは早くから重要存在だと知っていて、ドキュメントの完全集もリリースと同時に買ったのに、ギタリストのタンパ・レッドとビッグ・ビル・ブルーンジーはしっかりとは持っていないんだなんて。
普通みなさん逆だよねえ。一般的にはリロイ・カーなんかよりビッグ・ビル・ブルーンジーの方がはるかに知名度も人気もあって、まあそれは第二次世界大戦後のフォーク・ブルーズ・ブームで脚光を浴びて、ヨーロッパ公演なんかもやってやはり喝采を浴びて、UK (ブルーズ・)ロッカーたちもみんなビッグ・ビルが好きで、そのレパートリー(ことに「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」)をみんなカヴァーしていたせいだけどさ。
僕もレッド・ツェッペリンが洋楽入門だったんだから、ビッグ・ビル・ブルーンジーに早くから注目していてもよさそうなものだったのに、名前だけ知っていて音源も少しだけ聴いていたものの本格的にはディグせず、なぜだかリロイ・カーに行ってしまった。ツェッペリンに「イン・ジ・イヴニング」という曲がある(『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』)せいなのか?関係ないだろうなあ。
そんな具合でビッグ・ビル・ブルーンジー名義の単独アルバムで僕が持つのは『ジ・エッセンシャル』という二枚組ベスト盤だけで、全35曲。それにくわえ、戦前ブルーズ・アンソロジー各種、というかはっきり言うと例の『RCAブルースの古典』と Pヴァインの『戦前ブルースのすべて 大全4CD』からビッグ・ビルの録音を拾って、一つのプレイリストにしてある。
ここからがタンパ・レッドの時と少し違うんだけど、ビッグ・ビル・ブルーンジーの場合、単独名義盤も二枚組で、上記二つのアンソロジーにも少しあるばかりか、他の二つのアルバムに録音が収録されているので、それもビッグ・ビル名義のプレイリストにまとめると、そこそこの数にはなる。その「二つのアルバム」とは、重要度の高い方は後廻しにすると、まず今年頭だったか昨年暮れだったかにリリースされた CD四枚組の『ミシシッピ・ジューク・ジョイント・ブルーズ:クラークスデイル、ミシシッピ、セプテンバー、9th、1941』。これにビッグ・ビルが四曲ある。
この『ミシシッピ・ジューク・ジョイント・ブルーズ:クラークスデイル、ミシシッピ、セプテンバー、9th、1941』というアルバムがいったいなんなのか言いたくて仕方がないが、別の機会にしないと途方もない長さの文章になってしまう。ちょっとだけ書くと、これは必ずしもブルースばかりではない、というかむしろ圧倒的にジャズだ。1941年9月9日のクラークスデイルの、とあるジューク・ジョイントで流れた音楽をそのまま収録したもの。すなわちいわばプレイリストなのだ。
もっとはるかに重要なのが、例の『フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング』コンサート・イヴェントの録音ボックスだ。なんたって僕の場合ビッグ・ビル・ブルーンジーは、ジョン・ハモンドが企画したこのコンサート・イヴェント収録盤で初めて名前を知ったのだ。あの1938年のカーネギー・ホール・コンサートでのジョン・ハモンド最大の眼目は<伝説の>ブルーズ・マン、ロバート・ジョンスンを出演させることにあったのだが、亡くなっていることが判明し、「代役」として出演したのがビッグ・ビルだった。翌39年の同コンサート・イヴェントにも出演し、それで一躍彼の名が知られることとなった。
現行の『フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング』CD ボックスでは全部で三曲聴けるビッグ・ビル・ブルーンジーだが、全てアルバート・アモンズのピアノとのデュオ。1938年分で一曲、39年分で二曲。(ブギ・ウギ・)ピアニストとのデュオでビッグ・ビルがギターを弾きながら歌うというこのやり方は、ビッグ・ビルの最も得意とするところで、まさしく本領発揮のスタイルだから、そしてそれで彼の名を有名にしたという意味でも、『フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング』ボックスにあるビッグ・ビルは重要なんだよね。
1938年と39年のライヴ・パフォーマンスだけど、この頃にはビッグ・ビル・ブルーンジーは完全に自分の(シティ・)ブルーズ・スタイルを確立している。ミシシッピ生まれのビッグ・ビルがシカゴに出てきたのは20年代のことだったらしいが、彼の場合も最初は一人でのギター弾き語りだったかもしれないブルーズに、やはりすぐに共演者が付くようになったんじゃないかなあ。都会だもんなあ。
シカゴという大都会で、初録音が1927年だけど自己のブルーズ・スタイルを確立したのが30年代前半あたりで、さらにそれはピアニストとのデュオ形式であった 〜 これらの事実から、ビッグ・ビル・ブルーンジーがリロイ・カー&スクラッパー・ブラックウェルのコンビを真似たのだということは容易に想像が付く。といってもほぼ同時期というに近いので、あるいはリロイ・カーを真似てはじめたのではなく、ビッグ・ビル自身の独創スタイルだった可能性もほんのちょっぴりあるかも。
リロイ・カーが先かビッグ・ビル・ブルーンジーが先か、本当のところは僕には分らないのだが、完全に同じ二人編成で、ほぼ同時期のシカゴで、ほぼ同じようなスタイルのブルーズをやっていたという、いわば戦前シティ・ブルーズの先駆者二名であることは、誰も異論を挟めないだろう。重要な違いは、ビッグ・ビルの方には南部的なダウン・ホーム感覚があることだ。
ミシシッピ生まれであることと関係あるのかないのか分らないが、録音物を聴いて判断すると、大都会でピアニストとのデュオでやって、ギターの弾き方もヴォーカルのスタイルも洗練されているにもかかわらず、ビッグ・ビル・ブルーンジーのやるブルーズにはある種の泥臭さがあるんだなあ。ここは重要。戦後のシカゴでモダン・ブルーズが盛んになった頃、まずは南部的なダウン・ホーム感のあるブルーズを電化バンド形式でやることで人気が出たからだ。
ビッグ・ビル・ブルーンジーは、したがってみなさんおっしゃっているようにモダン・シカゴ・ブルーズの父とも言うべき存在なんだよね。戦後フォーク・リヴァイヴァル運動のさなかで再び人気が出て、自分一人でのアクースティック・ギター弾き語りばかりが持て囃されたのは、はっきり言って空疎というか不幸だったよなあ。
そのあたりのことが分る実例としてちょっと音源を貼っておこう。『RCAブルースの古典』に収録されている「フレンドレス・ブルーズ」。1934年3月23日のシカゴ録音で、当然ブルーバード・レーベル。伴奏ピアニストは不明となっているが、おそらくブラック・ボブだろう。この二名はリロイ・カー&スクラッパー・ブラックウェル二名のチームにも比すべき実力のブルーズ・タッグだ。洗練されたシティ・ブルーズでありながら、南部感覚があるのを聴き取っていただけるはず。
ビッグ・ビル・ブルーンジーの場合、独りだけでのギター弾き語り録音でもカントリー・スタイルではない。どっちかというとラグタイム・ギターみたいでジャジーでもあり、かなり洗練されている。だからおそらくブラインド・ブレイクあたりからの影響も強い。そんな一例をご紹介する。『ジ・エッセンシャル』にも『戦前ブルースのすべて 大全4CD』にも収録の「ロング・トール・ママ」。1932年3月30日、ニュー・ヨーク録音。
ビッグ・ビル・ブルーンジーには、ジャズ・ブルーズ・ナンバーだろうとしか聴こえない録音だってある。例えば、録音年月日やパーソネルの記載が一切ないので詳細が不明な『ジ・エッセンシャル』収録の「ドント・ティア・マイ・クロース No. 2」。クラリネットのサウンドがいいなあ。ちょっとジミー・ヌーンのようにも聴こえるが、誰だろう?
そのあたりデータを書いておいてくれたらよかったんだけどなあ。『ジ・エッセンシャル』というシリーズは同じアルバム名で何人も戦前の古いブルーズ・ミュージシャンの録音アンソロジーをリリースしているもので、僕は結構持っているのだが、実はこの『ジ・エッセンシャル』という一連のものはドキュメント・レコーズが出している廉価版二枚組シリーズなんだよね。本家で(というのもオカシイが) 全て年代順全集にして出しているものから二枚にピックアップして、データなし、解説文もほぼなしの安価で出しているシリーズなのだ。
上掲「ドント・ティア・マイ・クロース No. 2」みたいなジャズ録音は、ビッグ・ビル・ブルーンジーの『ジ・エッセンシャル』には他にも少しあるので、それは省略し、やはりこの二枚組アンソロジーにあるホウカム・スタイルのブルーズ録音について、最後にちょっとだけ書いておこう。
上で書いたように録音年月日やパーソネルが分らないのがもどかしいのだが、例えば「カム・オン・ママ」。『ジ・エッセンシャル』の曲目記載ではホウカム・ボーイズ名義で、ジョージア・トムが参加していて、女性ヴォーカルがハナ・メイだとなっている。YouTube にそれはないが、探したら同じスタイルのものが見つかった。
『ジ・エッセンシャル』には、同じホウカム・ボーイズ名義で他に二曲あって、「ナンシー・ジェイン」(https://www.youtube.com/watch?v=JBhzgK-IrPM) と「ブラック・キャット・ラグ」(https://www.youtube.com/watch?v=G4lxAbSdweY)。ホウカム・バンド・スタイルでやる前者に対し、後者はビッグ・ビル・ブルーンジー一人での弾き語りのようだ。
こういうホウカム・ブルーズはタンパ・レッドが最も得意とするところで、実際タンパ・レッドの、特に「イッツ・タイト・ライク・ザット」こそが、そういった種類の音楽の最有名曲で最重要曲だろう。ビッグ・ビル・ブルーンジーにタンパ・レッドとの共演録音があるのかどうか、全集を持っていない僕には分らないが、録音がないとしても共演歴くらいはあったんじゃないかなあ。上で書いたようにジョージア・トムとは共演録音があるんだから。
また『ジ・エッセンシャル』には、ピアニストと一緒に、例の1920年代の都会派女性ブルーズ歌手リル・ジョンスンの伴奏をやっているものだってある(ネットで調べると、ビッグ・ビル・ブルーンジーとの共演録音時期は30年代半ばのよう)。リル・ジョンスンって、あの「キープ・オン・ノッキン」を録音した歌手なんだよね。それはずっとあとになってリトル・リチャードが「キープ・ア・ノッキン」として録音し、ロックンロール・ヒットになったものだ。リチャードは直接的にはルイ・ジョーダンのヴァージョンを参考にしているけれどさ。
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