真の「クールの誕生」はプエルト・リコにあり
ジャズしか聴かない音楽リスナーは、<クール・サウンド>と言われたらまず真っ先にマイルズ・デイヴィスの『クールの誕生』だよね。そのしばらくあとにアメリカ合衆国西海岸で流行する白人ジャズもかな。ひょっとしてそれだけだろうか?マイルズのそれの初録音は1949年だが、実は同じものがその10年以上前にあったのだ。録音もいちおうアメリカ合衆国内で行われていて、さらに曲とアンサンブルを書いたのはプエルト・リコ人だ。
プエルト・リコという島国には特にこれといった産業もなく、しかもスペインの支配下から19世紀後半にアメリカ合衆国が領有権を奪い取って以後、現在までも合衆国の事実上の一部。未編入ながら合衆国の自治連邦区(Commonwealth of Puerto Rico)であって、だからプエルト・リコ生まれの人はみんな合衆国の市民権を持っていて、実際大陸に渡って仕事をする人が多い。
音楽家もそうで、プエルト・リコで生まれても、ある時期までのラテン音楽の拠点だったニュー・ヨークに渡ったり、そもそも最初からそこで生まれ育って音楽をやるようになったプエルト・リコ系が多い、というかほとんどそうじゃないの?僕は一部を除きプエルト・リコ音楽についてはあまり知らないという状態で、ニュー・ヨーカーであるプエルト・リカンのティト・プエンテだけはそこそこ聴いているつもりだが、ティトの場合アメリカ国内での人気があまりにも高く、ラテン・ロッカーなど、特にサンタナが何曲もカヴァーしているので、もちろん僕も、そして多くの音楽好きも知っている。
あとは以前書いた、やはりニュー・ヨーク生まれのプエルト・リコ系歌手ビルヒニア・ロペスとその他何名か、さらに1970年代以後のサルサ・ミュージックもいちおうプエルト・リコ系が中心なので少しは聴いているが、まあこの程度だなあ、僕の知るプエルト・リコ(系)音楽は。ブーガルーなんかもニュー・ヨーク+プエルト・リコみたいなダンス音楽だけど、流行時期が極めて短く一過性のものでしかなかった。
ところがオフィス・サンビーニャが2002年にリリースした CD アンソロジー『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』で、僕はビックリしちゃったのだ。アルバム題通りラファエル・エルナンデスとペドロ・フローレスという二人のソングライターだけに焦点を当てたもので、コンパイラーは中村とうようさん。この二名の曲をちゃんと聴いた最初がこのアルバムだった。
『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』収録曲のなかには、2002年以前から知っていたものがほんのちょっとあって、なかでもラファエル・エルナンデスの書いた「ボリンケン哀歌」は、1990年代後半にブラジルのカエターノ・ヴェローゾが歌ったので馴染があったし、そうでなくたってエルナンデスは、ラテン音楽愛好家だけではなく広い人気を持つ人なので、他にも知っている曲があった。
だがしっかりちゃんと聴いたのは、やはり2002年の『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』が最初だった。ラファエル・エルナンデスもペドロ・フローレスもプエルト・リコ生まれだが、最初に書いたようにアメリカ合衆国に渡りニュー・ヨークで仕事をしている。その後プエルト・リコに帰島しているようだが、二名ともやはりニュー・ヨーク時代が最も輝いていたんだろう。
さて、問題は『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』の三曲目「くちなしの香り」(Perfume De Gardenias)だ。曲も歌詞も書いたのはラファエル・エルナンデスで、演奏はカルテート・ビクトリア。歌はダビリータとラファエル・ロドリゲス。「くちなしの香り」はまままあの有名ナンバーなので、僕だって知っていたし、YouTube で探すと実にいろんなヴァージョンが上がっている。だが、『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』収録の1935年9月20日録音が最高にクールなんだよね。
お聴きになって分るように甘美なボレーロ。男性歌手二名のデュエットは、ハイ・ピッチの張りのある声がダビリータ、太くて渋い声がラファエル・ロドリゲス。さあ、聴きどころはそのヴォーカルの背後、あるいはそれが出る前から演奏しているホーン・アンサンブルだ。(たぶん二本の)トランペットはカップ・ミュートを付けて吹いており、フルート(も二本?)&クラリネットの複数木管がソフトかつ軽快にスタッカート気味でリフを入れている。
繰返し強調するが、これは1935年の録音だよ。それでここまでソフィスティケイトされたクールな管楽器アンサンブルを書いた人がいたとは、僕の場合、2002年に『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』収録の「くちなしの香り」を聴くまで、ま〜ったく知らなかったね。1930年代のプエルト・リコ人作曲家がどれほど高度に洗練されたアレンジ作法を身につけていたかの証拠だ。
1935年というと、これを書いたラファエル・エルナンデスが当時活躍していたアメリカ合衆国のジャズの世界でも、こんなにオシャレで洗練されたクールなホーン・アンサンブルは聴けないもんなあ。エルナンデスはこれ一曲だけじゃない。『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』で聴くと、同じようなのが30年代半ば〜40年代初頭にいくつもある。このアルバム四曲目の「キッスはたくさん」(Mucho Besos)も、五曲目の「春」(Primavera)も、六曲目の「恋狂い」(Locura De Amor)も、だいたい全て(たぶん二本の?)トランペットはミュートを付けて吹き、と同時にフルート&クラリネットの木管が柔らかくスムースでスタッカート気味のリフを演奏し、曲全体のイメージが最高にクール!
そんなエルナンデスの作曲法を、同島の後輩ソングライター、ペドロ・フローレスも受け継いでいて、『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』にもそういうクール・アンサンブルが何曲もある。アルバム収録順に言うと、9曲目の「君はぼくのもの」(Tú Serás Mía)、10曲目の「最後の別れ」(El Ultimo Adiós)、11曲目の「オルガ」(Olga)などは、フローレスの書いた素晴らしいクール・サウンドだ。
それら1941年録音のフローレスのボレーロ・ソングでも、フルートとクラリネットのユニゾン・リフ、あるいはクロス・ハーモニーに、カップ・ミュート付きトランペットを配するというアンサンブル手法で、35年のラファエル・エルナンデス「くちなしの香り」あたりからはじまるプエルト・リコ独自のオシャレでクールなサウンドが、41年のフローレスで最高潮に達しているような印象。
プエルト・リコの音楽は、『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』で聴いても、 おそらくはキューバ音楽から影響を強く受けているのは間違いないように思うのだが、ラファエル・エルナンデスが開発したようなクール・アンサンブルは、1930年代のキューバに存在しないはず。複数のヴォーカリストが対位法的にハモったり、今日書いたようにミュート・トランペット+複数木管のソフトで軽いアンサンブルなんて、どこから思いついたんだろうなあ。
ラファエル・エルナンデスやペドロ・フローレスがこういったアンサンブルを書いて活躍したアメリカ合衆国では、ジャズの分野において、ようやく1940年代半ばになってから、クロード・ソーンヒル楽団のアレンジャーだったギル・エヴァンスがクールでソフトなホーン・アンサンブルを書きはじめ、それを三本程度の管楽器というコンボ編成でやるというのを、1948年にマイルズ・デイヴィス(たち)がやった。
だが、プエルト・リコ人であるとはいえ、同じアメリカ合衆国内でその10年以上前から同種のアンサンブルがしっかり存在していたんだってことになるんだなあ。それも白人インテリ層向け(である場合が多い、マイルズ・ミュージックは)の実験的室内楽などではなく、一般の貧乏庶民向けの娯楽品である甘いボレーロで実現していたんだよね。
『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』で聴けるラファエル・エルナンデスやペドロ・フローレスという二名のソングライター(彼らは曲も歌詞も一人で書いたこもあり、作曲家というよりソングライターだ)の持味や特徴は、甘美なボレーロのなかでクールなホーン・アンサンブルを書いたということだけじゃない。それどころかそれはほんの一部の表面的なことで、面白いことが他にもいっぱいあるが、今日はクール・サウンドのことだけを言いたかった。
というのは、『クールの誕生』で聴けるマイルズや、ギル・エヴァンス(やその他のアレンジャーたち)の目論見は、<クール>というレッテルが貼られ、しかもそれの<誕生>とされたので、アメリカでも日本でもいろんな人がいろんな(否定的な)ことを言うのだが、彼らは緊密なアレンジで柔らかくて軽いタッチのソフト・サウンドをちょっとやってみたかった 〜要するにこれだけだと僕は前から思っていて、あのアルバムはかなり好きだ。しかしじゃあそれは同じ国のなかで10年以上前にプエルト・リコ人ソングライターが同じことをやっていたということになるじゃないか。
さあ、マイルズ・ファン、ジャズ・リスナーのみなさん、どうします?
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