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2017/04/14

案外ビ・バッパーな面もあった(かもしれない?)マイルズ

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昔からマイルズ・デイヴィス名義でしか発売されていないが、本当のリーダーはタッド・ダメロンである1949年のパリ・ライヴ盤『パリ・フェスティヴァル・インターナショナル』(正式には『イン・パリ・フェスティヴァル・インターナショナル・ドゥ・ジャズ、メイ、1949』という)。マイルズ初の公式ライヴ録音だけど、発売されたのは1977年のこと。

1977年なら、一時隠遁中だったとはいえマイルズは大スターだったので、だからマイルズ名義でレコード発売したんだろうね。最初にリリースしたのは CBS フランスのジャズ部門で、その後この時のバンド・メンバー五人の母国アメリカをはじめ世界中で流通した。だがこのマイルズ初渡仏の際のクインテットのボスは、あくまでタッド・ダメロンなのだ。

タッド・ダメロンはかなりいい曲を書くジャズ・コンポーザーだから、昔から僕は好き。ただし好きなのは彼の書くチャーミングなメロディ・ラインと、あとはバンド・リーダーとしての才能であって、いちピアニストとして見れば、はっきり言ってどうでもいい存在なんだよね、僕には。大したことないだろう。そんなジャズ・ピアニスト兼コンポーザーって、他にも何名かいるじゃないか。

そんなタッド・ダメロンが1949年、フランスのパリ・ジャズ・フェスティヴァル(le festival du jazz de Paris)に招待されて組んだクインテットのトランペッターに起用したのが、当時チャーリー・パーカーのバンドを辞めたばかりのマイルズ・デイヴィスだったのだ。他のチョイスはジェイムズ・ムーディー(テナー・サックス)、バーニー・シュピーラー(ベース)、ケニー・クラーク(ドラムス)。

ニュー・ヨークはブルックリン生まれのベーシスト、バーニー・シュピーラーも、熱心なジャズ・ファンなら知っているが、一般的な知名度はかなり低いはず。でも彼以外はダメロンとマイルズは言うまでもなく、サックス奏者もドラマーもかなりの有名人だよね。パリでのライヴだということを考えると、自然とケニー・クラークに注目したくなるが、ケニーがフランスに永住するのは1956年のこと。49年ならまだニュー・ヨークのトップ・ドラマーだった。

実際、マイルズ名義の『パリ・フェスティヴァル・インターナショナル』で一番目立つのがケニー・クラークのビ・バップ・ドラミングの上手さだ。ボスのタッド・ダメロンは演奏のあいだはあくまで脇役に徹していて、曲はタッドのオリジナル・ナンバーも多いが、ピアノ・ソロの時間は短く、マイルズとジェイムズ・ムーディー、特にマイルズのソロ時間が長い。

だから聴感上やっぱりマイルズのトランペットに耳が行くのは自然な成り行きだ。あとはドラムス・ソロを叩く曲も一つだけあるが、他はあくまで伴奏であるはずのあいだのケニー・クラークの音も妙に目立ち、しかもかなり上手い。完璧に完成されたビ・バップ・ドラミングなので、それも聴いてしまうね。ただし全体的に録音状態は必ずしも良くない。

録音状態といえば、この『パリ・フェスティヴァル・インターナショナル』は音が悪い音が悪いとみんな言うけれど、そこまでひどく悪くもないじゃん。1949年の、それもライヴだということを踏まえれば、むしろ音質は良い方だ。もっとひどいのがいっぱいあるし、これで音が悪いなんて言ってたら、録音年がもっと古いライヴ盤なんかどうすんのさ?スタジオ録音だって…。

あ、いま思い出した。僕が大学生の頃、松山にモッキンバードというジャズ喫茶があった。僕が頻繁に通っていたジャズ喫茶は、いつも名前を出すケリー(戦前ジャズしかかけない)とジャズメッセンジャー(JBL パラゴンを設置)の二軒だけど、当時の松山には他にも二軒あって、ブルーノート(タンノイのスピーカー)、そしてモッキンバードだ。

ケリーとジャズメッセンジャー以外の店にもまあまあ行った僕。まあ暇だけはたっぷりあって、入り浸ってジャズのレコードを聴きタバコ吸いながら(コーヒーは一杯しか注文しないから)本を読んでいたのだ。ある時モッキンバードで座っていると、マイルズ名義の『パリ・フェスティヴァル・インターナショナル』がかかったのだ。しかし!その店のママは「あまりに音が悪い」とボソッと言って、途中で針を上げてしまったのだ。

その時モッキンバード店内の客は僕だけだったので、特になにもなかったのだが、その僕はといえば内心「なんちゅうことをするんや?!音質が悪いとかただそれだけの理由で!それにそんなにひどい音じゃないぞ!」と頭に来たんだよね。この店の当時のママはどうやら二代目だったらしく、店にあるレコードの大部分は初代がそのまま残してくれたものだったようだ。

そのレコードの再生途中で針を上げたママはかなり若くて、たぶん僕より10歳も上ではなかったと思う。だから当時20代後半あたりかなあ。しかもセクシー美女だった。その容貌のみに目が眩んで下心満々の僕は、上京後も葉書のやりとりを続けていて、その女性は結局松山でのジャズ喫茶はたたんで上京し、弱小劇団の女優になった。僕はその舞台を観に行ったこともある。やっぱり綺麗だったなあ。レコードの再生を途中でぶった切ったことだけが、いまとなっては最も忘れられない思い出だ。

またどうでもいい話だった。『パリ・フェスティヴァル・インターナショナル』で聴く、レコード発売上の名義的リーダーであるマイルズのトランペットは、案外悪くない。みなさん言っているように結構熱いビ・バッパー的な吹き方で、ハイ・ノートをヒットすることもあるし、いったいどうなってんの?普段はいつも中音域でおとなしく静かに吹くくせに、とちょっと不思議なんだよね。

『パリ・フェスティヴァル・インターナショナル』になった1949年5月8/9日というと、マイルズは既に例の九重奏団でのロイヤル・ルースト出演を前年48年9月に終えていて、その同じ九重奏団でのキャピトル・レーベルへの録音も、49年分は既に終了していた。それは1月21日と4月22日。その後50年3月9日にも録音して、それらが当時は SP 盤で発売され、12インチ LP にまとめられる際に『クールの誕生』のアルバム名が付いた。

キャピトルがマイルズ本人の意向とは無関係に付けたあの「クール」のレッテルは、ややミスリーディングな部分もあるんじゃないかなあ。もちろん僕も前々から繰返し、今日も上で一度書いたが、マイルズは決してホットな、というか苛烈な吹き方をするジャズ・トランぺッターなんかじゃない。中音域をメインに静的でおとなしいスタイルが売りの人だ。しかもサウンドにヴィブラートを全くかけないので、その点でもストレート、というかまあクールだと言われるのは納得できる部分もある。

だけど1955年にジョン・コルトレーンたちと一緒に結成したファースト・クインテットによる一番出来のいい録音である56年5月と10月のプレスティジ・レーベルでのマラソン・セッション全26曲のなかには、「フォー」「ソルト・ピーナツ」「ウェル・ユー・ニードゥント」「ハーフ・ネルスン」「エアジン」など、かなりハードな演奏もあるもんなあ。ドラマーのフィリー・ジョー・ジョーンズの猛プッシュで、フロントのマイルズも結構熱く吹いているじゃないか。キャピトルが『クールの誕生』と名前をつけたのは、あくまで西海岸の白人ジャズ・メン、特にジャック・シェルドンあたりが手本にしたからなんだよね。

『パリ・フェスティヴァル・インターナショナル』でも、1949年当時は最高のジャズ・ドラマーだったケニー・クラークの極上のプッシュにやはり後押しされて、マイルズも熱く吹いているもんなあ。結果的に『クールの誕生』になった録音集でも、タイトルとは裏腹にホットに聴こえる時間もあるじゃないか。マックス・ローチが叩く「ムーヴ」とかさ。

だから『パリ・フェスティヴァル・インターナショナル』については、みなさん、マイルズがホットでびっくりしますよと言っているのだが、案外普段通りという面だってあるんだよね。ライヴ録音後、ラジオ放送用に仕上げる際にかぶせたフランス語のアナウンス(演奏途中でもどんどんかぶさるのでオーヴァー・ダビングなのは間違いない)でも、「最も新しいジャズのかたち、ビ・バップ・スタイル!」(la forme la plus moderne du jazz, le style bebop)と、まるでスポーツ実況並みの熱狂ぶりで喋っているもんね。

そんな熱を帯びたアナウンサー(誰だろう?)の叫びを裏切らない、というか演奏後に聴きながらかぶせたアナウンスだから間違いなくそう思ってアナウンサーは喋っている、新しいジャズの潮流ビ・バップの「典型」とは言いにくいかもしれないが、本場の姿にまだあまり接していなかったかもしれないフランス人がそう判断しても当然だと言える、ある種の<熱>を、『パリ・フェスティヴァル・インターナショナル』でのマイルズとケニー・クラークには感じる。

またこのアルバムにある三曲のバラードのうち、「ドント・ブレイム・ミー」「エンブレイサブル・ユー」では、1955年あたりからマイルズの得意分野になるリリカルな吹奏の姿が、未完成ながら萌芽としてしっかり聴けるのだ。僕は特に「ドント・ブレイム・ミー」にそれを感じる(「次は”ドント・ブレイム・ミー”」と喋っているのはマイルズ本人)。
また「エンブレイサブル・ユー」の方では、原曲のメロディをほとんど吹かず、それをタッド・ダメロンがピアノで暗示しながら弾く上で、もっぱらアド・リブ・ラインを吹くマイルズは、間違いなくかつてのボス、チャーリー・パーカーの1947年10月28日ダイアル録音の同曲における吹奏スタイルを真似ている。それにはマイルズも参加しているもんね。1949年パリ・ライヴでの「エンブレイサブル・ユー」はこれ。

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