普通に楽しいベイシー・スウィング
第二次世界大戦前から戦後も大活躍したジャズ・ビッグ・バンドの二大巨頭は、やっぱりデューク・エリントン楽団とカウント・ベイシー楽団だよね。いままでエリントンの方については頻繁すぎるだろうというほど書いてきている僕なのに、ベイシーの方はプリ・ジャンプ・バンドだとか、ファンク・ミュージックのおじいちゃんだとか、キューバのソンのモントゥーノと同じだとか、そんな話ばっかりだった。だから今日はベイシー楽団の1930年代デッカ録音について、あんまりジャンプ、ジャンプ言いすぎるな、普通のジャズとして楽しいぞということを書きたいのだが、できるだろうか?
ジョン・ハモンドは『ダウンビート』誌1955年11月号に掲載された記事で、初めてラジオでカウント・ベイシー楽団の演奏を聴いたのは1935年12月のことだったと書いている。35年の12月というとハモンドはちょうどベニー・グッドマン楽団をヒットさせた時期。そしてカウント・ベイシー楽団もコロンビア系レーベル(当時ならブランズウィックかヴォキャリオン)と契約させようと思っていたらしいが、デッカに先を越されてしまったのだ。
1935年あたりからジャズの新スタイル、スウィングが人気を獲得する一因には、例の1929年に起きた大恐慌の影響で音楽産業も大打撃を受けたのから、ようやくその頃立ち直ってきたというのがある。1932年の全米のレコード総売上枚数は、27年のなんと(たったの!)6%しかなかったという統計データがあるから、いかにあの大恐慌の影響が深刻だったのかが分る。
それが1935年頃にようやく持ち直すのだ。中村とうようさんは『ポピュラー音楽の世紀』(岩波新書)のなかで、アメリカのこの景気回復のことを指摘し、白人中流層を相手にしたただ甘ったるいだけのダンス音楽に堕したジャズ=スウィングにみんな嫌気がさしはじめ、黒人コミュニティ基盤に根ざしたブルーズ・ベースのジャズ、すなわちジャンプ・バンドが出現しはじめるのがこの時期だったと指摘しているが、これは間違いだ。とうようさん、分っててわざとウソ書いたでしょ?
だってさ、とうようさんが1935年頃から飽きられはじめる社交ダンスのための音楽=スウィングと書くときの念頭にあったのは、たぶん白人バンド、ベニー・グッドマン楽団あたりに違いないのだが、グッドマン楽団が売れるようになり、全米で初めて大ブレイクしたのが実は35年だったんだもんね。ピークはカーネギー・ホールで大コンサートをやった38年。これ、とうようさんがご存知なかったなんてことはありえないから、故意にウソを書いたのだ。
白人スウィング・ジャズと黒人ジャンプ・ミュージックを故意に分別しすぎるとうようさんのこの姿勢には、正直言うといまの僕は悪意すら感じることがある。『ポピュラー音楽の世紀』該当箇所では、身体感覚に根ざすブルーズ・ベースの黒人ジャンプ・バンドの走りとして、まずカンザス・シティのカウント・ベイシー楽団の名を出しているが、ベイシー楽団からのピック・アップ・メンバーは1938年ベニー・グッドマン楽団のカーネギー・ホール・コンサートでも大々的にフィーチャーされているよなあ。
このあたり、とうようさんが分っていながらも理由があって戦略的に敢えてわざと峻別した白人スウィングと黒人ジャンプのあいだには実はほぼ違いがなかったという事実を、とうようさんの愛読者でありかつ、そのあたりのジャズをあまり熱心にお聴きではなく、そうか、あれら二つは別種の音楽(だととうようさんは明言しているが)なんだなと勘違いしているみなさんに、僕は声を大にして言いたい。
がまあしかし、その後の1940年代後半からのリズム&ブルーズの流行と、それが主たる母胎となって50年代半ばに誕生し全世界を席巻するロックンロールという大きな流れを踏まえると(これがとうようさんの最大の眼目だったとも思う)、確かにアメリカ中西部、特にカンザス・シティでブルーズの伝統がジャズ・バンドのなかにも脈々と流れていて、黒人の身体感覚に根ざした(ジャズ系)音楽がブレイク前からたくさんあったのは、とうようさんの言う通り事実だ。しかしそれはなにも30年代半ばに突然表面化したものではなかったのだが…。
一つの記事のなかで、1940年代半ば以後のアメリカ大衆音楽へ繋がる流れと、20年代からのブルーズ・ベースのカンザス・シティ・ジャズの伝統を汲むカウント・ベイシー楽団の特徴を同時に説明するのは、僕には不可能なことだ。今日は前者を割愛し、後者、ベイシー楽団の戦前デッカ録音を聴くと、スウィング・ジャズとしてシンプルに楽しいという話だけをしたい。と言ってもジャズとブルーズは切り離さない。そんなことは不可能だからだ。特にカンザス(出身)のバンドでは。
カウント・ベイシー楽団の戦前デッカ録音は、(カンザスではなく)ニュー・ヨーク進出後の1937年1月21日から39年2月4日まで、全部で63トラックあり、全てが CD 三枚組『ジ・オリジナル・アメリカン・デッカ・レコーディングズ』に録音順に収録されている。これはコンプリート集だ。どうです?エリントン関連でも書いているように、コロンビアとは違ってデッカ(やヴィクター)はちゃんと仕事しているじゃないですか。売れないカタログに誰一人として全面的に見向きもしないなんてわけじゃありません。
その63トラックのなかには、オール・アメリカン・リズム・セクションと称えられた三人、フレディ・グリーン(ギター)+ウォルター・ペイジ(ベース)+ジョー・ジョーンズ(ドラムス)だけを従えたカルテット編成でベイシーがピアノを弾くものが12トラックある。ブルーズ・ピアニストとしてのベイシーの上手さがよく分るものだが、管楽器奏者は一切参加していないので、これも今日は省略。このあたりの話はピアノ・ブルーズの話題としてリロイ・カーなども交えながら別記事でまとめるつもり。
今日はあくまでビッグ・バンド+ヴォーカリストでの1930年代デッカ録音だけに絞りたいが、それでもたくさんあるので、やはりそこからもう一回絞らないといけない。単純に聴いて楽しい、スウィンギーで踊れそう(というか実際当時はみんな踊った=単なるダンスの伴奏音楽)というのは全部そうなので選べないのだが、全部聴きかえして断腸の思いでなんとか六曲にしてみた。
「ブギ・ウギ(アイ・メイ・ビー・ロング」(1937/3/26録音)「ワン・オクロック・ジャンプ」(37/7/7)「トプシー」(37/8/9)「テキサス・シャッフル」「ジャンピン・アット・ザ・ウッドサイド」(38/8/22)「ブレイム・イット・オン・マイ・ラスト・アフェア」(39/2/3)の六曲。これくらいなら、全部音源貼っても全部聴いてもらえるだろうか?
「ブギ・ウギ(アイ・メイ・ビー・ロング)」https://www.youtube.com/watch?v=9iANkroHZzQ
「ワン・オクロック・ジャンプ」https://www.youtube.com/watch?v=0HHE39sXiiQ
「テキサス・シャッフル」https://www.youtube.com/watch?v=9IMrGR0iwR4
「ジャンピン・アット・ザ・ウッドサイド」https://www.youtube.com/watch?v=uEOraFGXJZo
「ブレイム・イット・オン・マイ・ラスト・アフェア」https://www.youtube.com/watch?v=uKjiKjnB5nc
猛烈なスウィング感という意味で最も凄いと僕が思うのが「ジャンピン・アット・ザ・ウッドサイド」だ。出だしからいきなり出てくるフル・バンドのド迫力には圧倒される。リズム・セクション三人の躍動感にはもはや言葉がない。聴こえるクラリネット・ソロはハーシャル・エヴァンス。
『ジ・オリジナル・アメリカン・デッカ・レコーディングズ』附属英文ブックレットには、全収録曲のソロ・オーダー(誰がなんの楽器を担当しているか)が明記されている。ちゃんとしたジャズ・ビッグ・バンド音源のリイシューものだと LP でも CD でも明記してあるものもあるが、しかしこの1930年代のベイシー楽団の場合は、これがことさら重要。
というのは、この時期のベイシー楽団には譜面化されたアレンジがほぼ(全面的に?)存在せず、合奏部分はかなりシンプルで短いリフの反復ばかりで、同時期のエリントン楽団みたいな手の込んだ、込みすぎたような複雑なアンサンブルは全くない。代わりにメインの聴き物はメンバー各人のソロ内容なんだよね。だから誰がなんの楽器でどの順番でソロを吹くかが分らないと面白味半減なのだ。
そんな当時のベイシー楽団の持味・特徴が最も鮮明に表現されているのが、上で音源を貼った「ワン・オクロック・ジャンプ」だろう。これはあまりにも有名な曲で、ベイシー楽団にとってもトレード・マークになったので、ジャズ・ファンならご存知ない方はいらっしゃらないはず。
しかしいままでご存知なかった方も上で貼った音源をお聴きになれば分るように、「ワン・オクロック・ジャンプ」はまずテーマ合奏からはじまったりなんかしない。そもそもテーマが存在しない。これは12小節3コードのシンプルなブルーズなので、演奏前にはキーとテンポとソロ・オーダーだけ決めておいてやりはじめたものに違いない。最終部のアンサンブルがかなり熟れたものに聴こえるのは、録音の1937年よりもずっと前のカンザス時代からライヴでは定番レパートリーだったからだ。
そして「ワン・オクロック・ジャンプ」で最も重要なのは跳ねる(ジャンプが曲名にある)ブギ・ウギ・ブルーズであるという点と、やはりベイシーのピアノからはじまる各人のソロ名人芸だ。ベイシーに次いでハーシャル・エヴァンス(テナー)、ジョージ・ハント(トロンボーン)、レスター・ヤング(テナー)、バック・クレイトン(トランペット)。
なかでもやはりレスター・ヤングのソロが絶品だ。いきなり出だしの音程とフレイジングがオカシイ。突拍子もない出現の仕方で、こういうの、レスターはよくやるんだよね。音色がハーシャル・エヴァンスの剛に対しレスターは柔というのは、この当時の録音ではどうも分りにくいんじゃないかなあ。それよりもフレイジングが斬新でかなりモダンだという点にご注目いただきたい。
「ワン・オクロック・ジャンプ」各ホーン奏者のバックでも、管楽器による短いスタッカート気味の伴奏リフが入っているが、これもその場の思い付きだったようなシンプルなものだよね。最終盤になってようやくフル・バンド・アンサンブルになるが、書いたようにその部分も譜面なしで演奏できる簡単で短いフレーズの反復だ。
つまりキー(とテンポとソロ・オーダー)だけ決めておいて演奏をはじめ、シンプルなリフ・パターンのみ反復演奏し、その上で各人がソロを吹き、最終的にもフル・バンドで二つか三つしかないリフ・パターンをリピートする 〜 これは同国内であれば約30年後のファンク・ミュージックとか、他国だけど同時代ならキューバのモントゥーノとか…、おっと、この種の話は今日はしないんだった。
同じようなブルーズ・ナンバーで、もっとブルージーで猥雑なフィーリングでやっていると思うのが「トプシー」。トロンボーン兼エレキ・ギター奏者のエディ・ダーラムが書いた曲で、ワー・ワー・ミュートを付けてグロウルするバック・クレイトンのトランペットが、まるでホット・リップス・ペイジ(も一時期ベイシー楽団に在籍)みたいで卑猥だ。フル・バンド・アンサンブルも、いつもはクリーンなサウンドのベイシー楽団が、なんだか濁ったようなサウンドを出しているのがブルージー。
1930年代のベイシー楽団には男女二名のブルーズ歌手が在籍し活躍した。それがジミー・ラッシングとヘレン・ヒュームズ。上で音源を貼った「ブギ・ウギ(アイ・メイ・ビー・ロング)」のヴォーカルがラッシング、「ブレイム・イット・オン・マイ・ラスト・アフェア」の方がヘレン・ヒュームズ。どっちも素晴らしいよなあ。
ヴォーカリストが歌うこの二曲のブルーズ・ナンバーでは、ジミー・ラッシングの「ブギ・ウギ(アイ・メイ・ビー・ロング)」の方が、曲題通りブギ・ウギ・パターンをはっきり使っているもので昔から人気が高く、この男性ブルーズ・シャウターのファンだけじゃなく、ベイシー楽団愛好家のなかにもファンが多い一曲だ。
だがヘレン・ヒュームズが歌う1939年の「ブレイム・イット・オン・マイ・ラスト・アフェア」はもっと面白いんじゃないかと僕は思うのだ。上で貼った音源を聴き直してもらいたいのだが、このリズムのノリは相当にディープじゃないか。黒人国歌とまで言われたアースキン・ホーキンンズ楽団の「アフター・アワーズ」のあのノリと同じだよ。ヘレンのヴォーカルはまだちょっと軽いような気がして、そこだけがイマイチなんだけど、彼女だってもっと時代が進むとディープでコクが出てくる。それがこの39年録音で聴けたら最高だった。
今日は話題にしないと言いながらやっぱり辛抱できず最後に書くけれど、この「ブレイム・イット・オン・マイ・ラスト・アフェア」のディープなフィーリングのノリは、流行の約10年前にリズム&ブルーズを表現している。間違いなくそうだと僕の耳には聴こえる。それが言いすぎならジャンプ・ミュージックであるのは誰も疑わないはず。あのライオネル・ハンプトン楽団だって、こういう R&B 風なノリを出せるようになるのは1940年代半ば以後だもんなあ。
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