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2017/04/09

パーカーが死んでハード・バップができあがる

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トランペット+サックス+ピアノ・トリオみたいな編成の、ごくごく普通のモダン・ジャズ・アルバムって、いまの僕はもうあまり持っていないんだという事実にごく最近気が付いて、やや愕然としている。「いまの僕は」というのは CD で買い直していないという意味で、かつてアナログ・レコードでは実にたくさん持っていた(はずだ)。

 

 

相対的にはという意味であって、絶対数そのものなら、ありきたりのハード・バップ・アルバムの CD だってたくさん持っているが、他のものがもっとどんどん増えているので、それと比較すればかなり少ないということになってしまう。また聴くか聴かないかという点で言えば、普通のハード・バップのコンボものはもはやあまり聴かない。(一部を除き)ピアノ・トリオやなんか、楽しむためになら、ひょっとしたらもう一生聴かないかもしれない。

 

 

以前も一度言ったが、モダン・ジャズのピアノ・トリオ編成ってつまらないものしかできあがらないフォーマットなんじゃないかといまでは思う。ピアノ+ベース+ドラムスの三人でやるスタイルを確立したのはバド・パウエルだが、バドはそれでも面白いといまでも感じる。だがその後のいろんなモダン・ジャズ・ピアニストは…。

 

 

ジャズのピアノ・トリオは、バド・パウエル以前なら、ピアノ+ベース+ギターの三人というのが一般的だった。ピアノ・トリオという言い方もそれがルーツ。ナット・キング・コールにもアート・テイタムにもそんな録音がたくさんある。このフォーマットなら、いまの僕でもかなり楽しいと感じるのに、どうしてギターがドラムスになっただけで面白くないんだろう?自分でも分らない。

 

 

モダン・ジャズのピアノ・トリオは、僕のなかではもうほぼどうでもいいものになってしまったので、話をする気はない。それプラス、トランペット+サックスみたいなクインテット編成のモダン・ジャズ・コンボ。あまり持っておらず聴きもしないとは言ったが、それでもたまにはありきたりのなんでもないハード・バップ・コンボを無性に聴きたくなることがあるんだよね。そういう気分の時にどの CD を聴けばいいのか、ちょっと困ってしまうのだ。

 

 

クインテット編成のマイルズ・デイヴィスのアルバムなら全部 CD で持っている。がしかしマイルズのトランペットもバンド全体のサウンドも「普通」じゃないように聴こえるもんなあ。アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズあたり(で三管じゃないもの)が典型かつ無難か?実は CD ではほとんど買い直していないのだ。クインテット編成のハード・バップ・アルバムで、いまの僕が一番好きなのは、ハービー・ハンコックの1962年作『テイキン・オフ』でこれはよく聴くが、ほとんどのジャズ・ファンはこれより、65年の『処女航海』の方がお好きなようだ。

 

 

ハービー・ハンコックのメインストリーム・ジャズの話は、また別の機会に改めたい。どうしてみんな『処女航海』が好きなのに、僕は『テイキン・オフ』なのか?ハービーはどうしてピアノ・トリオ作品をやらないのか?(1970年代に一枚だけあるが、それは日本側の企画というか要請だった)〜 そのあたりからなにか面白いことが見えてきそうな気がするからだ。

 

 

さて、典型的なハード・バップ・コンボを聴きたい気分の時になにを聴けばいいのか、いまの僕は困ってしまうと書いたが、今日がそういう気分だったんだよね。それで部屋の CD 棚を漁って二枚取り出したのが、ホレス・シルヴァーの1956年『6・ピーシズ・オヴ・シルヴァー』とソニー・クラークの58年『クール・ストラティン』。この二枚を聴いていて感じるのは、これ、どこが<ハード>なんだろう?という疑問。

 

 

ハード・バップというくらいなんだから、元々はもちろんビ・バップの延長線上にあるものとしてこういう名称になっている。しかしビ・バップとハード・バップを比較して、どっちが激しい・難しい・熱情的・苛烈か?すなわちハードか?というと、絶対にビ・バップの方だよね。ハード・バップはビ・バップの持つそういう部分を、むしろ薄めてマイルドにして聴きやすくしたようなものじゃないか。

 

 

じゃあどうしてああいった1950年代半ば過ぎからのモダン・ジャズをハード・バップと呼ぶんだろう?この hard bop という用語はいつ頃から使われはじめたのか?といろいろと振り返って考えてみると、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ1957年リリースのコロンビア盤が『ハード・バップ』というアルバム・タイトルで、どうもこのあたりからだったんじゃないかなあ?

 

 

これ以前にハード・バップという言葉が使われていなかったのかというと、もちろん使われていただろう。それにああいったジャズのスタイルそのものは、言うまでもなく1957年以前にハッキリと確立されていた。音楽スタイルとしてのハード・バップがどのあたりからできてきたかも、しかしその時期を見極めるのはやはり難しいだろうなあ。50年代前半〜中頃に徐々に固まっていったんだろうね。

 

 

以前中村とうようさんがなにかの文章のなかで、黒人モダン・ジャズの隆盛期は1956年だ、すなわちソニー・ロリンズの『サクソフォン・コロッサス』、マイルズ・デイヴィス『クッキン』、セロニアス・モンク『ブリリント・コーナーズ』、チャールズ・ミンガス『直立猿人』が全てこの年の録音だと書いていたなあ。どこで書いていたんだっけ?

 

 

1956年というこのとうよう説が当たっているとしても、例証としてあげられている上記四枚は、やはりハード・バップを典型的に代表するものだとは言いにくいんじゃないかと僕は思う。このあたり、なにかの現象の本質は、典型ではなく例外の方に出現するという、音楽だけでなくいろんな分野で真実であることが当てはまるだろう。しかしジャズ・ファンではない音楽リスナーでとうようさんファンの方があれを読んで、そうか、じゃあそれらでモダン・ジャズとはどういうものか知ろうと思って CD を買ったら、アテが外れるんじゃないかなあ?

 

 

とうようさんの真意もそんなところにはなかったはず。確かその文章では(僕の記憶が間違っていたらゴメンナサイだけど)、上記のように書く直前で、チャーリー・パーカーが死んだのが1955年で、さらに当該文章のあとで、上記アルバム群が録音された56年には、エルヴィス・プレスリーの RCA 移籍第一弾シングル「ハートブレイク・ホテル」とハリー・ベラフォンテのアルバム『カリプソ』があったと書いていた。

 

 

パーカーの死とエルヴィスとベラフォンテ、これらを一つの線で結びつけるなかで黒人モダン・ジャズの盛り上がりの時期がそこ1956年だととうようさんは指摘したのであって、つまりジャズの枠のなかだけではおさまらない汎アメリカン・ミュージック的な視点からハード・バップを考えた文章だった(が、確かその部分では、エルヴィスとベラフォンテについては後述するとあって、一言しか触れていなかった)。

 

 

だからあのとうようさんの文章(ホントどの本だっけ?本じゃなかった?)は、ジャズ(とその関連周辺)しか聴いていないような狭量なライターさんには絶対に書けないもので、ジャズだけ聴いていたのではジャズの流れも理解できないということではあるんだなあ。いまでも示唆深く、この視点で1950年代のアメリカ音楽を聴いて考えるのは、僕なんかにはいまだにかなり難しい。そのうちなにか書いてみようという気はあるが、ずっとずっと先の話だ。

 

 

まあそれでも、書いたようにモダン・ジャズ、特にハード・バップの典型とは呼びにくいアルバムの名前があがっているのも確かだ。あれら、特にセロニアス・モンクの『ブリリアント・コーナーズ』とチャールズ・ミンガスの『直立猿人』はかなり異質だよね。緊縛感が強すぎるんじゃないかな、演奏した側にとってもリスナー側にとっても。

 

 

ハード・バップの最大の特質の一つは、僕に言わせればビ・バップの<寄らば斬るぞ>というような雰囲気をプンプン醸し出している、あの極度の緊張感を和らげて、もっと聴きやすくとっつきやすいものにして、少なくともリスナー側は聴いてリラックスできる、くつろいで楽しめる音楽に仕立て上げたというところにある。

 

 

このことは、上で今日僕がこれはハード・バップ・コンボの典型だろうと思って取り出して聴いたホレス・シルヴァー『6・ピーシズ・オヴ・シルヴァー』とソニー・クラーク『クール・ストラティン』にも当てはまることだ。どっちも聴いていていい雰囲気で、親しみやすい。ラテン曲集やストリングスものがあるヴァーヴ時代ならそんなことはないが、サヴォイやダイアルのチャーリー・パーカーらの真剣勝負を、僕まで真剣に聴くとしんどいと思うことが時々あるから、そういう気分の時は、こんなリラクシングなハード・バップ・クインテットがいいんだよね。

 

 

ビ・バップの方がハード(苛烈)で、ハード・バップの方はむしろマイルド、というのが最も典型的に表れているのがリズムだなあ。全盛期1940年代半ば〜後半のビ・バップ録音では、リズムのかたちがいびつで、よく跳ねて、スムースには流れない。頻繁に突っかかったりヨレたりしているじゃないか。

 

 

ところがハード・バップにはそれがない。リズムが極めて分りやすくスムースに流れていく。それを途中で堰き止めたり別の方向へ流れを変えたり逆流させたりなど、そんなハード・バップ録音はほとんどない。ステディなビートをキープしながら常に二拍目と四拍目にアクセントがあって、そこで聴いている僕も足を踏んだり指を動かしたりすれば、なんの問題もなく軽々とノレる。それがハード・バップのリズムだ。

 

 

リズム面以外でのビ・バップとハード・バップのもう一つの大きな違いは、アレンジされているかどうかだ。ビ・バップでは、テーマ合奏部以外、ソロ廻しの順番とコーラス数しか決めていない場合が多い。すなわち事前にはほとんどアレンジされていない。アド・リブの一発勝負を聴かせたい音楽なんだから、アレンジ部分なんて少なければ少ないほどいいはずだ。

 

 

これがハード・バップになると演奏前にアレンジされていることが増えている。譜面化されているかどうかは問題ではない。譜面化されていなくても、アレンジャーやアレンジ担当のバンド・マンが口頭で伝え、事前に綿密なリハーサルを繰返し完成度を高めた上で、いざ本番の演奏開始となっている(場合が多いように僕には聴こえる)。

 

 

繰返し書いている今日僕が聴いたホレス・シルヴァーもソニー・クラークも、そんなジャズ・メンなんだよね。いちジャズ・ピアニストとしてだけ考えたら、どうってことないかのように聴こえる彼ら二名だが、作・編曲能力とバンド統率能力はピカイチ。それこそが彼らの最大の特長なのだ。それを活かしてあんな傑作・良作群を創ったんだよね。

 

 

ビ・バップの場合は、突出した個人の天才に拠っている部分が大きい。というかほぼそれだけでできている音楽だから、裏返せば応用は効かない。天才ジャズ・メンの個人能力で成立する音楽だから、そういう人物が消えて出てこなくなれば、ジャンル自体も消滅する以外ない。それがチャーリー・パーカーが1955年に死んだことの意味だと思うのだ。突出した個人的才能でなくてもそこそこ悪くない内容のものができあがる 〜  それがハード・バップの良さ。実際、ホレス・シルヴァーもソニー・クラークも、そういった一流半〜二流どころをいいアレンジで上手く使って、優れたアルバムを創ったじゃないか。

 

 

上で中村とうようさんがパーカーが死んだ1955年の翌56年に黒人モダン・ジャズの傑作がたくさん出現したと書いたのをご紹介したのも、そんな意味だったんだよね。パーカーというジャズ史上空前絶後の超天才が死んで、その翌年に、個人的才能だけに頼るものではない、フレーム・ワークがしっかりしたハード・バップが隆盛となった 〜 とうようさんもこれを言いたかったんじゃないかなあ。そういう言い方はしていなかったと記憶しているけれどね。

 

 

そんな具合に、パーカーの死がハード・バップの隆盛をもたらしたという、ここまでの関係は分る僕だけど、それをエルヴィス登場やハリー・ベラフォンテの活躍と一つの線で結んで考えてみるのは、いまの僕にはまだまだ無理なので、というかそもそもそれができるようになるのかどうかすら分らない。

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