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2017年5月

2017/05/31

フェスの最後のお祭り騒ぎ

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プロフェッサー・ロングヘアの(LP でも CD でも)二枚組のライヴ・アルバム『ザ・ラスト・マルディ・グラ』。1978年2月3&4日の録音で、フェスは二年後の80年1月に亡くなってしまう。その後、同78年3月10日のライヴ録音が、2004年になって『ボール・ザ・ウォール・ライヴ・アット・ティピティーナズ 1978』となってリリースされていて、 どうやらこれがフェスの生涯ラスト録音のようなので、82年にアトランティックからリリースされた『ザ・ラスト・マルディ・グラ』はその一個前だなあ。

 

 

あ、いや、ライノがリリースした CD二枚組アンソロジー『’フェス:ザ・プロフェッサー・ロングヘア・アンソロジー』二枚目ラストにある「ブギ・ウギ」。これが1980年6月16日のシー・サン・スタジオ録音となっている。聴くとスタジオというよりもホーム・レコーディングみたいな雰囲気で、演奏前、演奏中、演奏後でよくフェスのしゃべり声が聴こえ、仲間がいるんだろう、和気あいあいとしたものだ。曲題通りブギ・ウギのインストルメンタル・ピアノ演奏。だがやはりラテン風味がある。

 

 

この<ブギ・ウギ+ラテン>というのが、フェスの音楽性の根幹だと思うのだ。僕だけじゃなくみなさん言っている常識。1980年6月16日スタジオ録音のインストルメンタル「ブギ・ウギ」は、ライヴ盤『ザ・ラスト・マルディ・グラ』でもやっているんだよね。そっちの方がブギ・ウギとラテンの合体具合が分りやすいものだが、しかしバンド含め演奏自体はどうってことないように思う。

 

 

『ザ・ラスト・マルディ・グラ』もニュー・オーリンズにフェス自身が構えた拠点クラブ、ティピティーナズでのライヴ録音で、しかも2月の3&4日録音ということは、当地でのマルディ・グラ(フェスティヴァル)の真っ最中だったはず。だからこのアルバム・タイトルがあるんだろうね。そしてなにを隠そう、僕がフェスの音楽ってなんて楽しんだろう!って心の底から実感した最初の(1982年に買った)レコードだったのだ。

 

 

以前も書いたが、僕が生まれて初めて買ったフェスのレコードは、これまたアトランティック盤の『ニュー・オーリンズ・ピアノ』だった。大学生の頃はどこがいいんだかサッパリ分らず。あんまり楽しくないような気がしていたという、まあなんともヘボ耳だったんだよね(えっ?いまでもそうじゃないかって?そりゃそうなんですが)。ちょっと地味な感じだったしなあ。全然好きになれず、フェスのレコードもその後買わなかった。

 

 

大学三年生の時に、当時の新作レコードとして店頭に並んだ『ザ・ラスト・マルディ・グラ』を買った最大の理由は、今思うに三つだっただろう。一つ、ジャケット・デザインがチャーミング。一つ、二枚組 LP(こればっかりじゃないか)、一つ、ライヴ盤だったこと。なんて分りやすい人間なんだ、僕って。言い換えればアホ。

 

 

そんなアホの僕でも買って帰ったフェスの『ザ・ラスト・マルディ・グラ』には一発で楽しい〜っ!って感じて、まず一枚目 A 面一曲目の「ビッグ・チーフ」での弾き出しのピアノの音が粒立ちが良くてキラキラしていて、『ニュー・オーリンズ・ピアノ』の鈍重な音とは大違い。以前書いたようにブルー・ノートやアトランティックのピアノ録音がイマイチ気に入らない僕だけど、でも『ザ・ラスト・マルディ・グラ』も同じアトランティック盤で、さらに(1978年だとはいえ)ライヴ録音なのに、ヘンなの。あ、レコーディング自体はアトランティックが手がけたんじゃないのかな?

 

 

『ザ・ラスト・マルディ・グラ』には興味深い曲がいくつもある。フェスの自作曲だと特に驚きもないし、1978年までに繰返し録音しているものばかりで、バンド編成がちょっと変わっているなと思う程度で(特にフェスはあまり使わないエレキ・ギタリストがいるのと、そのギターとサックスが長めのソロを取るのが大きなアクセント)、取り立てて強調しなくちゃいけないと思う部分は小さい。

 

 

『ザ・ラスト・マルディ・グラ』では、フェスの自作曲よりもカヴァー・ソングがかなり面白いのだ。一枚目二曲目の「ジャンバラヤ」、三曲目の「メス・アラウンド」、五曲目の「ラム&コカ・コーラ」、六曲目の「ガット・マイ・モージョー・ワーキング」。二枚目だと一曲目の「シェイク・ラトル&ロール」、四曲目の「スタッグ・オ・リー」など。

 

 

なにが面白いって、いま書いたそれらの曲は、「ラム&コカ・コーラ」を除き、元のオリジナルにラテン風味は、少なくとも僕は薄くしか聴きとれない。「スタッグ・オ・リー」は伝承民謡なのでオリジナルなんかないが、いろんな音楽家がやる既存ヴァージョンにラテン風味を聴きとるのはやや難しいだろう。…って、それらの曲全部、僕が知らないだけで、いろんなラテン・アレンジのものがあるんだよねえ?「ジャンバラヤ」はあるに違いないぞ。だって北米合衆国音楽にはラテン風味は抜きがたく…、って毎度毎度の繰返しなので省略。

 

 

分りやすいものから話をすると「ラム&コカ・コーラ」。これは元からカリプソ・ソングで、北米合衆国では1945年にアンドルー・シスターズがやったレコードが大ヒットになり、北米合衆国内のポピュラー・ミュージック、それも白人がやるメインストリームであれだけ鮮明にカリビアン〜ラテン風味を前面に打ち出したやや早めの一例となった。

 

 

 

面白いでしょ、これ。かなり売れたので、アンドルー・シスターズはその後もなんどかレコードにしているみたいだ。この曲をフェスは『ザ・ラスト・マルディ・グラ』で、無伴奏のピアノ独奏曲としてやっている。左手が鮮明にカリブ風に大きく跳ね、同じニュー・オーリンズの大先輩ピアニスト、ジェリー・ロール・モートンの例の Spanish tinge を思い起こさせる出来。でもこれは元からカリビアン・ソングなので、分りやすく面白みは薄いかも。

 

 

 

フェスの『ザ・ラスト・マルディ・グラ』で興味深いのは、まず一枚目二曲目の「ジャンバラヤ」。ご存知ハンク・ウィリアムズの自作自演のカントリー・ソング。ハンクのオリジナル・シングル・ヴァージョンを改めて聴きなおしたが、やはりそれにラテン・テイストは弱い。(ペダル・スティールを含む)ギターとフィドルをフィーチャーしたごく普通のカントリー・ソングだ。あ、いや、ペダル・スティールのサウンドがちょっと南洋風(ハワイアン)?

 

 

そのニュー・オーリンズのケイジャン料理を題材にした「ジャンバラヤ」 を『ザ・ラスト・マルディ・グラ』でのフェスは、まず左手でクラーベのパターンを弾きはじめて歌い、テナー・サックス二管が入れるリフもラテン風なアンサンブル。エレキ・ギターのソロ、テナー・サックスのソロが続き、どっちもカリブ風にジャンプするようなソロの取り方でかなり面白い。フェスのヴォーカルはむかし通りのちょっと滑稽な声の出し方でジャイヴィだから、跳ねるラテン・ジャイヴという意味ではルイ・ジョーダンみたいだ。

 

 

 

アーメット・アーティガンが書いたレイ・チャールズのブギ・ウギ・ピアノ楽曲「メス・アラウンド」。フェスの『ザ・ラスト・マルディ・グラ』では一枚目三曲目。全面的にピアノにフォーカスするのではなく、テナー・サックス二管のアンサンブルをメインにした組み立てで、その隙間隙間にフェスの弾くラテン風ブギ・ウギ・ピアノが挟まるという具合。リズム・セクションの演奏は、どう聴いてもラテンだ。

 

 

 

一枚目六曲目のマディ・ウォーターズ・ナンバー「ガット・マイ・モージョー・ワーキング」については、以前触れたので、以下のリンク先の末尾をご一読いただきたい。音源もご紹介してある。この一曲も、フェスの音楽はすなわちラテン・ブルーズだというのを証拠づけるものだ。完全にジャズ・サックス・ソロにしか聴こえないテナーは、二名クレジットされているうちのどっちなんだろう?

 

 

 

フェスの『ザ・ラスト・マルディ・グラ』。二枚目に入り一曲目の「シー・ウォークス・ライト・イン」。という曲名になっているが、間違いなくロックンロール・スタンダードの「シェイク・ラトル&ロール」で、フェスもはっきりそう歌っているし、CDジャケット裏でも曲名欄で併記されていて、チャールズ・カルフーンの名前をちゃんとクレジットしている(がこれはジェス・ストーンの変名)。フェス・ヴァージョンでのラテン風味は、他の曲に比べたら強くないかもしれないが、それでもビッグ・ジョー・ターナー、ビル・ヘイリー、エルヴィス・プレスリーらのやったものと比較すれば、かなり鮮明な違いが聴きとれるはず。

 

 

 

『ザ・ラスト・マルディ・グラ』二枚目四曲目の「スタッグ・オ・リー」も、このみんなやっている伝承民謡を、例えば同じニュー・オーリンズの後輩ドクター・ジョンの『ガンボ』ヴァージョンと聴き比べれば違いがある。ドクター・ジョンのものはピアノでブロック・コードの三連をダダダ・ダダダと叩くファッツ・ドミノ・スタイル。だからラテン・テイストはあるのだが、フェスのヴァージョンは、ピアノをシングル・トーンで跳ねるように弾き、それに合わせてリズム・セクションと二管ホーンが、かなり強いカリブ〜ラテンを演奏する。さながらラテン・アメリカン・フォーク・ソング。

 

 

 

『ザ・ラスト・マルディ・グラ』。オリジナル曲では二枚目五曲目の「ティピティーナ」が、まさにこの曲名からとった現地ニュー・オーリンズのクラブでのライヴだということもあってか、フェスの自作曲では、一枚目一曲目の「ビッグ・チーフ」、八曲目の「ドゥーイン・イット」と並ぶ出来の良さ。特にやはりテナー二管のリフの入り方が楽しい。でもライヴ版の「ティピティーナ」なら、『ロック・ン・ロール・ガンボ』収録ヴァージョンの方がもっといいかも。

 

 

『ザ・ラスト・マルディ・グラ』二枚目ラストは「カーニヴァル・イン・ニュー・オーリンズ」。上で書いたように現地でのマルディ・グラが開催されている真っ最中だったので演奏したんだろうね。ウキウキ楽しくて文句なし。こういうタイトルのアルバムを締めくくるのに、これ以上なくピッタリ来る。

 

2017/05/30

ブラジリアン冷感フュージョン

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昨年書こう書こうと思いながら機を逸していたルイス・ド・モンチの『フラクタル』。今年もまた少し暑い季節になってきたので、再び引っ張り出していて聴いている。というよりも昨年七月に買って繰返し聴いて以後、いままでもずっと断続的には聴き続けていたのだ。つまりはお気に入りの一枚。

 

 

昨年リリースの『フラクタル』はルイス・ド・モンチのデビュー作で、だからまだまだ知名度は高くないはず。僕も全く知らなかった。隠さず言うけれど、昨2016年7月に荻原和也さんがブログ記事にしてくださらなかったら、僕なんかが知ることはありえなかったと思う。萩原さんの記事では「スムースなフュージョン・サウンドが飛び出し」て、「このサウンドのテクスチャーは、ジャズじゃなくて、フュージョンのセンス」で、しかもピシンギーニャやジャコー・ド・バンドリンの名曲もやっているとなっているんだから、僕が食いつかないわけないじゃ〜ん。

 

 

 

『フラクタル』のルイス・ド・モンチは、あのエラルド・ド・モンチの息子さんだそうで、エラルドってエルメート・パスコアールと一緒にやっていたギタリストだからなあ。エルメートが苦手な、というか(一部の作品を除き)エルメート不感症である僕にはここだけが心配だったのだが、そんな心配は無用だと萩原さんがお書きだったので買ったら、まさにストレートに僕好みのブラジリアン・フュージョンで、いいんだなあ、これ。硬派なジャズ・ファンや、最近人気の一定傾向のブラジル音楽好きのみなさんからは、悪口しか言われなさそうな、いわゆる<軟弱フュージョン>。

 

 

しかし『フラクタル』には、ちょぴり僕好みじゃない時間もある。父との関係だろう、御大エルメートの曲をエルメート自身が参加してやっている三曲目「カンダンゴ」の冒頭部だけはイマイチだ。この曲ではヴォーカルが入って、それもやはりエルメートの奥さんであるアリーニ・モレーナ。この曲の冒頭部はフワーッと漂う感じの、ミナス派っぽいサウンドで、ここだけがなあ。でもすぐにドラマーがビートを効かせはじめ、心配した感じはあっという間に終るので、この程度なら軽い味付け程度で好感を持って受け入れられるよ。アルバム全編があれだったら NG だが。

 

 

 

それにしても「カンダンゴ」でのエルメートはなにをやっているんだろう?ブックレット記載では Escaleta となっているのだが、これはメロディカのことだよねえ。でもそれっぽいサウンドは僕の耳では聴きとれない…、あ、いや、中間部でちょっとだけメロディカのソロが出てきた。これがエルメートか。まあしかしエルメートってそんな感じが少しあるんじゃないの?いろんなセッションに参加している(となっているもの)でも、やっているんだかやっていないんだか分らないようなものが。

 

 

この三曲目「カンダンゴ」以外はストレートなブラジリアン・フュージョンで、少しジャズ・ショーロ。四曲目「ラメント」と八曲目「リオの夜」が超有名ショーロ・スタンダード。ルイス・ド・モンチはこの二曲を、アルバム中の他の曲みたいに少人数コンボ編成ではやっていない。どっちも自身のギターだけをひたすら聴かせるような編成とアレンジでやっている。

 

 

「ラメント」(Lamentos) では、ルイス・ド・モンチのアクースティック/エレクトリック両ギター多重録音に、ブラシを使うドラマーだけという編成で、ドラマーは完全なる脇役でいてもいなくても同じような演奏。だからほぼルイス自身のギター(多重録音での)独奏というに近い仕上がり。ピシンギーニャの書いた美しいメロディはやや解体され気味だけど、聴きごたえのある面白い「ラメント」だ。ギター独奏でのフュージョン的なジャズ・ショーロ。

 

 

 

八曲目ジャコー・ド・バンドリンの「リオの夜」(Noites Cariocas)もまた変わっている。ここでのルイス・ド・モンチは、自分を含めギタリストだけ三人という編成でこのショーロ名曲をやっている。ナイロン弦が一本、残り二本がエレキ・ギター(のうち一本がルイス)の模様。ジャコーのオリジナルが持っている軽快な楽しさを残しつつ、ギター・アンサンブルの妙味を聴かせる演奏で、これも好感度の高いジャズ・ショーロ(でありかつフュージョン)。

 

 

 

ここまで書いてきたもの以外は、ゼカ・フレイタスの「アルマ・ブラジレイラ」が一曲目にあるだけで、他はルイス・ド・モンチ自作か、父エラルドの曲。「アルマ・ブラジレイラ」なんかは、普通のショーロ・ナンバーとしてやると、例えばこんな感じの演奏になるものだけど。

 

 

 

 

これを『フラクタル』一曲目のルイス・ド・モンチは、特にリズムの感じにショーロの香りを残しつつ、かなり爽やかなサウンドに仕立て上げている。こういうのはストレート・ショーロとしてやってくれた方が好きだったりする僕なのだが、いまからの季節にはピッタリな冷感があって、いいよねえ。このドラマー、好きだなあと思ってブックレットを見るとプリニオ・ロメロ(Plinio Romero)って、誰だろう?

 

 

 

父エラルド・ド・モンチの曲では、七曲目の「パブロ」が硬派なジャズ・ファンにもちょっと受けるかもと思える演奏で、リズムの感じもちょっと入り組んで難しそうだし(ドラマーのネネがややこしい叩き方をしている)、しかも哀愁を帯びたメロディで、日本人リスナーにも好まれそう。

 

 

 

でもエラルドの書いたものでは、二曲目の「フランシスコ」。こっちの方が僕好みの、いかにもな超軟弱フュージョン(笑)。これなんか、一部からは絶対に悪口しか言われないだろうようなものだよなあ。ある時期の渡辺貞夫さんとかがこういうなめらかな音楽をよくやっていて、人気はあったけれど、やはり褒められなかった。僕はこういうの、大好きだよ。好きなもの(人)は好きと、はっきり言うことにした。やわらかいなめらかさ、これですよ。

 

 

 

貞夫さんの名前を出したのは、単に僕が貞夫さんのフュージョン・ミュージックが大好きだからというだけではない。アルバム『フラクタル』五曲目のタイトルが「サダオ・サン」なのだ。これはやっぱり貞夫さんのことなんじゃないのかなあ。う〜んと、いや、根拠や確証などはゼロだから、ぜんぜん違うサダオさんかもしれないが、曲「サダオ・サン」にはソプラノ・サックス(は貞夫さんは吹かない、いつもソプラニーノ)奏者が参加していて、やはりジャズ・フュージョンだもんなあ。貞夫さんはいろんなブラジル人音楽家と密な関係があるんだし。冒頭のギター弾き出しも東洋風だし。

 

 

 

六曲目「パテルナル」はこれまたなんでもないブラジリアン・フュージョンだけど、同じくルイス・ド・モンチの自作である九曲目「プロクラ」はかなり面白い。冒頭の環境音みたいなのに続いてまずトランペットが鳴るけれど、それもルイスによる演奏。続いてチコ・セサールのヴォーカルが出る。チコの歌以外、楽器は全部がルイス一人の多重録音で、トランペット、(もちろん)ギター、フレット・レス・ベース、パーカッションなどなど。しかしこれ、三分もなくあっという間に終わってしまうので、さながら爽やかな風がサ〜ッと吹き抜けたかのよう。

 

 

 

アルバム『フラクタル』のクライマックスは、間違いなく11曲目の「カブラ・サファード」だろう。演奏時間も最も長い六分越えだし、参加ミューシャンが最も多い九人。そのうち、ギター(ルイス)とベースとドラムスの三人がリズム・セクションで、残り六人は管楽器やヴァイオリンやヴォーカルなどなど。あるいはなんの楽器だか記載を見ても音を聴いても分らないものが混じっている。スケールの大きな一曲で、ルイス・ド・モンチのコンポーザー、サウンド・プロデューサーとしての才能も感じる佳曲だ。

 

2017/05/29

僕の好きなビョークはこういうの

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自分が好きな音楽の話しかしたくない。本当にそういう気分なので、ビョークについて書こうと思い、持っている CD を全部聴きなおし調べたりもしていろいろと準備をしていたけれど、それは全部放棄して、ビョークについて僕が本当に好きであるものの話だけを、それも普段の僕からしたらやや短めの文章で記しておこう。あんまりいいビョーク聽きではないんだなあ、僕は。

 

 

ビョークについて好きなものだけというと、僕の場合本格ソロ・デビュー後の最初の二枚『デビュー』(1993)とその次作『ポスト』(95)だけということになってしまう。この意見、じゃなくて好みを他人に押し付けることなど到底考えていない。普通ビョークが音楽家として自立し、世界で最も売れ、最も大きな影響を持ち、傑作との評価が確立しているのは、上記二枚以後の『ホモジェニック』(97)と『ヴェスパタイン』(2001)だよなあ。

 

 

『ホモジェニック』『ヴェスパタイン』が僕にとってどうしてイマイチなのかは、ハッキリしているような気がする。明快なダンス・ビートじゃないからだ。それでも『ホモジェニック』の方はまだ動的な音楽がかなりあるけれど、それだって『デビュー』『ポスト』で聴けるような分りやすいクラブ系のものじゃない。『ヴェスパタイン』になると、一枚まるごと静的な音楽だもんなあ。

 

 

こうなっている理由もハッキリしているように思う。最初の二枚『デビュー』『ポスト』のメイン・プロデューサーはネリー・フーパーなのだ。マッシヴ・アタック〜ソウル II ソウルで大活躍したネリー・フーパーが手がけているからこそ、裏返せば当時のビョークにはまだ自分一人で音楽を完成させられる能力に自信がなかったからこそ、この二枚は(僕にとっては)分りやすく踊りやすくノリやすい。聴いていて楽しいんだよね。

 

 

一枚目『デビュー』一曲目の「ヒューマン・ビヘイヴィア」。リリース時に聴いてこりゃいいなあと僕は思って、その後現在までビョークの全楽曲のなかで僕が一番好きなものだ。いいよね、このティンパニー(?)の出す大きくゆったりと跳ねるビートと、対比的に細かく入るスネア(?)の刻み。どっちもデジタル音なのか?エレキ・ギターのサウンドがまだ少しだけ聴こえる。転調する部分も大好きだ。バック・コーラスはビョーク一人の多重録音に違いない。

 

 

 

ビョーク自身、その後のライヴ・ステージでは欠かさず必ず歌う曲だから、でもそれは最初のビッグ・ヒット・チューンだったからだろうけれど、音楽的な意味合いも込められているのかもしれないよ。MTV アンプラグド・ヴァージョンの「ヒューマン・ビヘイヴィア」とか、どの DVD だったか忘れたけれど、カナダのイヌイット合唱&マトモス(アメリカの電子音楽デュオ)の創り出すデジタル・ビートだけに乗って歌う「ヒューマン・ビヘイヴィア」とか、面白いのがいっぱいあった。そのうち僕の持つビョークの全ライヴ CD と DVD をもう一回確認してちゃんと書いてみよう。

 

 

『デビュー』には、これはいかにもネリー・フーパーの仕事、それもソウル II ソウルのグラウンド・ビートによく似ているというものがある。九曲目の「カム・トゥ・ミー」がそれ。このビートの創り方はまさにネリー・フーパー。大きくうねるように乗る感じのグルーヴが僕は大好きだ。それを表現するボトムスの低音はシンセサイザーかコンピューターのものだろう。やはり対位的に細かくシンバル音が入っている。ストリングスも美しい。しかも終盤部ではタブラが入っているじゃないか。いやあ、いいなあ、これホント。

 

 

 

また『デビュー』のアルバム・ラスト12曲目に「プレイ・デッド」(はリイシュー盤だけの付加トラックらしい)があって、これまたソウル II ソウルとか、あるいはビートの感じだけなら、例のヒップホップ・ジャズ・ユニット Us3にそっくりだなあと思う。これも僕は大好き。しかしクレジットをよく見ると、この「プレイ・デッド」だけはネリー・フーパーのプロデュースじゃないんだよね。デイヴィッド・アーノルド、ダニー・キャノン、ティム・シムノンという名前が書いてある。それでもここまでグラウンド・ビートに似たものが仕上がるっていうのは、まあ流行っていたってことだろう。

 

 

 

『デビュー』二曲目の「クライング」は、これは間違いなくネリー・フーパーの仕事だと分る。特にデジタル・ビートに乗せてアクースティック・ピアノを効果的に使うあたりは、いかにも1990年代の UK クラブ・サウンドだ。僕の音楽感覚は90年代で止まったままかもしれないが、いまでも好きなんだから、好きなものは好きだとハッキリ言いたい。

 

 

 

しかしここまでご紹介してきたような大きくゆったりとうねる、というか跳ねるようなビートの創り方は、『デビュー』の次作1995年の『ポスト』ではやや弱くなっている。やはり多くの曲をネリー・フーパーがプロデュースしているのだが。『ポスト』の制作にあたっては、ビョークがネリー・フーパーに依頼しようとコンタクトした当初、彼は断ろうとしたらしい。自分はもう必要ない、あなた一人でできるはずだと激励したんだそうだ。結果的にネリーは引き受けたが、そんな経緯もあって、ネリーよりもビョークの方に音創りの主導権が移っているのかもしれない。それでサウンド傾向がやや変化しているんじゃないかなあ。

 

 

一般の音楽リスナー、ビョーク・ファン、専門家のみなさんにとっては、自立しつつある(そして実際この次の『ホモジェニック』からは助けを借りないようになる)ビョークのありようこそを好ましく思い、高く評価しているはずだ。僕もそのように受け止めないといけないんだよなとは分りつつ、しかしできあがった作品を聴くだけで判断すると、僕は『ポスト』以後、徐々にビョークから距離を置いていくことになった。

 

 

それでも『ポスト』にはまだまだ興味深く楽しいものがいくつもある。一曲目の「アーミー・オヴ・マイン」はクラブ風にダンサブルだけどアグレッシヴすぎるので僕の趣味じゃない。これは外して二曲目の「ハイパーバラッド」。ややダブ風なサウンド処理(特にドラムス・サウンド)が面白い。デジタルな細かいサウンドがビートを創り、途中までは全体的には静謐な雰囲気だけど、内的躍動感がある。中盤からボトムスが入りはじめビートも効いて、ダンス・チューンに変貌する。

 

 

 

『ポスト』五曲目の「エンジョイ」。一曲目の「アーミー・オヴ・マイン」同様攻撃的だから、そこはあまり好きじゃないのだが、「エンジョイ」の方のダンス・ビートにはまだ余裕が感じられるので好きだ。これでもタブラのような打楽器音が聴こえるよなあ。というかタブラそのものかのか?と思ってクレジットを見たけれど、これは明記がない。でもタブラだろう。はっきりタブラと明記してある上記「カム・トゥー・ミー」(『デビュー』)と、パーカッショニストの名前が同じ(タルヴィン・シン)だ。

 

 

 

七曲目の「イゾベル」。クラシカルなオーケストラ・サウンドではじまるけれど、すぐにどこの国のなんの楽器だか分らないような打楽器音(ちょっと竹のガムランっぽいような?)がビートを創りダンサブルになってビョークが歌いはじめる。彼女にしては軽くソフトに歌っている部類に入るだろう。ビートもそんなに強力な感じじゃなく、またクラブ風とも言いにくいもので、ちょっとアンビエント風のサウンド。デジタル音中心だけど、それがアクースティックなオーケストラ・サウンドと上手く融合している。静的なのか動的なのか分らないこれも、まあまあ好きだ。そして前作『デビュー』では聴けなかったような一曲だよね。

 

 

 

アルバム『ポスト』で僕がこれこそ最高と思っているのが九曲目の「アイ・ミス・ユー」。デジタル・ビートのその感じとパーカッション・サウンドが大のお気に入りなのだ。基本的にエレクトロニックなドラムス・サウンド中心だけど、生の打楽器、例えばボンゴなども聴こえ、それらが一体となって産み出すグルーヴは本当に素晴らしい。ジャジーな管楽器も参加。うん、本当にいいよ、これは。スクリームするようなトランペット・ソロで終る。

 

2017/05/28

町に新しいヴァイブ・マンがやってきた

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ジャズ・ヴァイブラフォン奏者ゲイリー・バートンのリーダー・デビュー作『ニュー・ヴァイブ・マン・イン・タウン』。1961年7月6&7日録音で同年リリースの RCA 盤。なかなかの快作じゃないかなあ。ヴァイブ+ベース+ドラムスというシンプルなトリオ編成で、この初リーダー作時点で、既にヴァイブ奏者としてのスタイルを確立していると実感できる充実した内容。

 

 

ただし、僕はアナログ・レコードでは一度もこの『ニュー・ヴァイブ・マン・イン・タウン』を聴いたことがなかった。だいたいこれ、レコードは日本盤しかなかったんじゃないの?そのあたりよく分らないというか、1961年作品で日本盤しかないなんてありえないとは思うんだけど、調べてみるとそうかも?と思えるフシがある。それに CD リイシューもなかなか叶わなかった。僕の記憶では21世紀に入ってからアマゾンで見つけて買った。履歴で2012年6月にご購入と出てくるので、たぶんそのあたりのリリースなんだろう(どこにも発売年の記載がない)。

 

 

僕の持つゲイリー・バートンの『ニュー・ヴァイブ・マン・イン・タウン』は、別のアルバム『ジャズ・ウィンズ・フロム・ア・ニュー・ダイレクション』との抱き合わせ 2in1。後者の方はゲイリー・バートンが参加しているとはいえ、彼のリーダー作ではなく、ギタリスト、ハンク・ガーランドのものだから、それとの合体はちょっとイマイチ。でもこれしかなかったもんなあ、その頃は。いまアマゾンで見ると、その後日本盤で『ニュー・ヴァイブ・マン・イン・タウン』単独のリイシュー CD もあるみたいだ。それはしかし2015年のリリースだから、そんなに待てませんって。

 

 

ゲイリー・バートンの『ニュー・ヴァイブ・マン・イン・タウン』。アナログ時代を全く知らないので、CD で1〜8曲目という書き方をするけれど、いきなり一曲目の「ジョイ・スプリング」のドライヴ感がものすごい。クリフォード・ブラウンの曲なんだけど、こりゃブラウニーのオリジナル・ヴァージョンよりいいんじゃないの〜?

 

 

「ジョイ・スプリング」

 

 

ゲイリー・バートン→ https://www.youtube.com/watch?v=f6wW4nappNY

 

 

テンポをグッと上げているから、バートンの方がこんな痛快なスウィンガーに仕上がっているのは当然かもしれないが、僕が最高にカッコイイなと思うのは、テーマ演奏後のヴァイヴ・ソロ部分での叩き方だ。バッピッシュだし、しかしそうでありながら引っかかるようなところはなく流麗で、フレーズが次々とよどみなく溢れ出てきて止まらないといった様子。デイヴ・ブルベック・カルテットのジョー・モレーノもブラシで躍動感のある伴奏。

 

 

この一曲目「ジョイ・スプリング」を一回聴いただけで、僕は(2in1であるとはいえ)『ニュー・ヴァイブ・マン・イン・タウン』を買ってよかった、大成功だったと大喜びした。だいたいこのヴァイブ奏者にそんなに大した思い入れのない僕で、ずっとあとにやったチック・コリアとのデュオで ECM に残したアルバムはかなりいいなと思うものの、その程度しかちゃんと聴いていなかったのを大いに反省。

 

 

『ニュー・ヴァイブ・マン・イン・タウン』二曲目はスタンダード・バラードの「オーヴァー・ザ・レインボウ」。アルバムの全八曲中、スタンダード・ナンバーだと言えるのは、これと三曲目の「ライク・サムワン・イン・ラヴ」とラストの「ユー・ステップト・アウト・オヴ・ア・ドリーム」の三つだよね。それら三曲とも、もちろん元々は歌手が歌うヴォーカル・ナンバー。スタンダードって全部そうなんですよ、まだ一部に、かなりしつこく、残っていることが最近も判明した「ジャズのインストルメンタルとヴォーカルは別の世界」とお考えのジャズ・リスナーのみなさん。

 

 

それら三つのスタンダード・ナンバーでは、「オーヴァー・ザ・レインボウ」はゲイリー・バートンもごく普通のバラードとして演奏している。このヴァイブ奏者が静かなバラード調のものをやるときに、リリカルで美しい演奏をするというのは、例えばチック・コリアとやった「クリスタル・サイレンス」などで分ってはいた。まあ「オーヴァー・ザ・レインボウ」は、特にどうってことない普通の演奏だけどね。

 

 

 

三曲目の「ライク・サムワン・イン・ラヴ」は、多くのジャズ・メンとはちょっと違ったアレンジと解釈。まず冒頭部でジョー・モレーノがリム・ショットを効果的に使いながらちょっぴりラテン風なリズムを叩いているかなと思いきや、それは気まぐれみたいにすぐ終り、普通の4ビートになる。がそれでもバラード調にはならず、ミディアム〜アップ・テンポのスウィンギーな「ライク・サムワン・イン・ラヴ」なのだ。中間部や後半部では、ジョー・モレーノが再びリム・ショットでちょぴりラテンを加味。

 

 

 

スタンダードをラテン風にやるのは、アルバム・ラスト八曲目の「ユー・ステップト・アウト・オヴ・ア・ドリーム」でも、テーマ演奏部ではちょっとそんな感じがある。でもすぐに4/4拍子で快速テンポの爽快なスウィンガーになるけれど、そうなってからのゲイリー・バートンの叩きっぷりも痛快で見事。

 

 

 

「ユー・ステップト・アウト・オヴ・ア・ドリーム」って、初演はトニー・マーティンのこれなんだどね。普通のラヴ・バラードだよなあ。

 

 

 

でもこの曲を有名にしたのは、これまたナット・キング・コールのこれだ。

 

 

 

ジャズ歌手やジャズ楽器奏者がたくさんやっている「ユー・ステップト・アウト・オヴ・ア・ドリーム」だけど、ちょっぴりラテン・テイストを加味したような感じでやっているのが多いのは、ナット・キング・コールのヴァージョンがこんな風だったせいなのか?関係ないのか?でもだいたいみんなアド・リブ・ソロ部分ではなんでもない4ビートになっちゃっている。

 

 

これら以外の四曲については、僕はあまりよく知らない曲が並んでいるのだが、それらのなかでは四曲目の「マイナー・ブルーズ」が曲題通り短調の12小節ブルーズ。しかしアメリカ黒人ブルーズ愛好家の僕の耳にはどうってことない演奏のように聴こえる。まあそんなに悪くもないから、まあまあ普通の気分で楽しめるものではあるなあ。ところでこの曲はアリフ・マーディンにクレジットされているが、アリフ・マーディンって、あの例のリズム&ブルーズ、というよりディスコ〜ブラック・コンテンポラリー・シーンでの有名人だよなあ。年齢とキャリアのことを考えたら、1961年以前にこんなブルーズを書いたのは不思議じゃないが。

 

 

 

五曲目デイヴィッド・ローズ「アワ・ワルツ」(ウォーツ)はどこも面白くない。六曲目マリアン・マクパートランド「ソー・メニー・シングズ」は幻想的で耽美な雰囲気もあるバラード演奏で、ゲイリー・バートンのヴァイブラフォンも聴きどころがあるような。七曲目ブルー・ミッチェル「サー・ジョン」では、やはりジョー・モレーノがブラシを使うスウィング・ナンバー。これはかなりいいね。後者二曲だけご紹介しておく。

 

 

2017/05/27

新作 DVD で再実感する岩佐美咲のたおやかさとものすごさ

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今年5月17日にリリースされた岩佐美咲の新作『岩佐美咲コンサート〜熱唱!時代を結ぶ 演歌への道〜』。僕は Blu-ray ディスクを再生できる機器を持っていないので、普通の DVD の方を買ったのだが、なんだこりゃ?!!22歳の岩佐美咲がものすんごくまばゆく輝いていて、もうここまで輝いていると、歌声の方は、まあもんのすごい歌手をいっぱい聴いているつもりの僕だけど、ステージ上の岩佐の姿の方は僕はもう直視できないかもしれない。そう思ってしまうほどのまぶしい光を放っているじゃないか。

 

 

そんなことを含めあとでたっぷりベタ褒めしまくりたいので、これはイマイチだったかもしれないと僕が感じた部分の方を最初に書いておく。お読みになるみなさんは、どうか勘違いなさらないでほしい。僕は岩佐美咲のアクースティク・ギター弾き語りが本当に心の底から大好きなのだ。岩佐の歌ではそういうやり方が一番いいんじゃないかとすら思っている人間なのだ。だからこそ、これからはっきり指摘する。

 

 

『岩佐美咲コンサート〜熱唱!時代を結ぶ 演歌への道〜』収録のアクースティック・ギター弾き語り三曲は、僕にはイマイチ面白くなかった。と言うと正確にはちょっと違う。かなり面白くはあったのだが、出来がイマイチだったように思う。特にギターとヴォーカルとの兼ね合いが完璧には上手く行っていないように感じる。

 

 

岩佐美咲自身が『情熱大陸』かと思うなどとしゃべるギター訓練のドキュメンタリー・ヴィデオに続き、まず最初にやるのが山口百恵の「秋桜」。この曲での岩佐はピックを使わずフィンガー・ピッキングでのアルペジオで弾いているのだが、それ以前までピックを使っての全部ジャカジャカとコード弾きばかりだったのが、シングル・トーンでのアルペジオ、しかも右手の複数の指を使ってピッキングしているせいなのか、それに気を取られて(だと思うけれど)ヴォーカルの方がやや不安定。音程が決まらずふらついて揺れている。山口百恵(僕は百恵ちゃんのリアルタイム世代ど真ん中)の名唱があるだけに、余計気になってしまう。

 

 

ギター弾き語り二曲目の「チェリー」はギターもヴォーカルもよかったが、三曲目の尾崎豊「I LOVE YOU」ではヴォーカルは文句なしの素晴らしさだが、今度はギターの方がイマイチよくない。曲冒頭の弾き出しで、特に高音弦にしっかりピックが当たっていないように聴こえる(そこは映像では分りにくいのだが、音でそう判断している僕)。そのせいで和音の響きがややかすれていて、キレイな音で鳴っていない。これは岩佐美咲自身なんらかの意図があって故意にやったのだろうか?僕にはそこまでは判断できない。

 

 

そんな三曲のアクースティック・ギター弾き語りコーナーは、今回は(僕にとっては)イマイチだったのだが、しかしこれは岩佐美咲のギター&ヴォーカルを否定したいとか、やめてほしいなんていう意味では全然ない。その正反対だ。もっとどんどんやってほしい、チャレンジしてほしいのだ。そんな大きな期待を岩佐にかけているという意味での発言なのだ。だからこそなのだ。多くのわさみんファンのみなさんは、コイツなに言っているんだ?!あのギター弾き語り、充分チャーミングで素晴らしいじゃないかと思われるだろうけれども。

 

 

さあ(前向きなつもりの)提言は言いたいだけ言わせてもらったので、ここからは『岩佐美咲コンサート〜熱唱!時代を結ぶ 演歌への道〜』で聴ける岩佐美咲の歌の素晴らしさを指摘して褒めまくることだけしたい。上記三曲のアクースティック・ギター弾き語りを含め、この DVD には全部で26曲が収録されている。オリジナル楽曲や、カヴァー曲でも既存のものは後回しにして、今回初めて聴けたものの話をまず先にしたい。

 

 

七曲目の八代亜紀「雨の慕情」。以前からなんども繰返し、また一度はこのブログでも熱烈な公開ラヴ・レターを八代さんに向けて書いてしまったという40年来の八代亜紀ファンの僕だから、この選曲は嬉しかった。そして岩佐美咲の歌い方は、これまた八代とは大きく違う。「雨の慕情」最大の聴かせどころは、サビの「雨、雨、降れ降れ、もっと降れ、私のいい人連れてこい」部分だと思うのだが、この部分での八代はやはり熱情をたっぷり込めて歌っている。

 

 

ところが岩佐美咲はこのサビ部分で、やはりいつも通りの自然体でソッと優しく置くように声を出して歌っているのだ。聴きようによっては明るく笑っているのかもしれないとすら受け取れるほどのにこやかさで「雨、雨、降れ降れ、もっと降れ」とサラッと軽く歌っている。雨とは涙の比喩だから、八代亜紀の場合、ボロ泣きしているようなフィーリングなのに対し、岩佐のはカラリと乾いた情感を感じるんだよね。

 

 

八代亜紀か岩佐美咲か、どっちがいいのかなんてことは僕には言えない。どっちも素晴らしい解釈での歌いかたで、どっちも胸に迫ってくる。歌手の持味が違っているだけのことだ。だけどこの『岩佐美咲コンサート〜熱唱!時代を結ぶ 演歌への道〜』での「雨の慕情」はかなり新鮮だった。以前からもう間違いないと思うようになっているが、岩佐美咲は、こういったジットリ湿った情緒をアッサリと軽く伝えることのできる歌手なんだよね。類い稀な存在だ。古今東西、思い切りエモーションをぶつけるような歌手の方が圧倒的に多い。数も人気もね。岩佐の表現スタイルはその逆で、たおやかさがあるじゃないか。それがいい。

 

 

そんな岩佐美咲のサラリ・アッサリ・自然体の歌い方・持味がもっとよりよく分るのが「雨の慕情」の次、八曲目のテレサ・テン「別れの予感」。こ〜れ〜は!本当に岩佐のヴォーカル表現が絶品だ。ひょっとしたらもう岩佐はテレサを超えたかもしれない。いや、これはあまりにも言いすぎだ。でも相当いいところまで来ているのは間違いないと僕は思うなあ。テレサ・テン、というか鄧麗君は、全世界の全ての歌手のなかで最も素晴らしいなかの一人なんだけど、え〜、じゃあ岩佐はどこまで行っちゃうの〜?

 

 

続く九曲目「池上線」も素晴らしいのだが、僕にとっってはその前の「別れの予感」!これこそが至高の一品。「別れの予感」はいかにも三木たかしがテレサに書いたというそのまんまな雰囲気の曲だけど、テレサが歌ったあのサラリとしたナチュラルなフィーリングを、『岩佐美咲コンサート〜熱唱!時代を結ぶ 演歌への道〜』での岩佐は完璧に再現できているじゃないか。いや、再現というだけじゃなく、あるいはひょっとしたらそれ以上…(もうこのへんでやめとこう)。

 

 

自宅に届いた『岩佐美咲コンサート〜熱唱!時代を結ぶ 演歌への道〜』のパッケージ裏に書いてある曲目一覧を見たとき、僕がかなり大きな期待を抱いたのが14曲目の「年下の男の子」と17曲目の「わたしの彼は左きき」。前者はキャンディーズ、後者は麻丘めぐみがオリジナルで、これまた僕はリアルタイムで体験したど真ん中世代。思い入れのある二曲なのだ。だから、岩佐美咲がどう歌っているんだろう?って大きな期待があった。

 

 

『岩佐美咲コンサート〜熱唱!時代を結ぶ 演歌への道〜』におけるそれら「年下の男の子」と「わたしの彼は左きき」は、例によって観客席を廻りながらの写真撮影タイムでのものだった。岩佐はチャーミングで可愛い洋装(本当に可愛い、どうしてこんなに可愛いの?)で写メに映りながら、しかしバンドの演奏に乗ってしっかり歌っている。しかも「年下の男の子」も「わたしの彼は左きき」もかなりいい歌い方だ。

 

 

二曲とも元からキュートな内容の歌で、内容が似通っている曲だ。別れ、片思い、怨念、追いかける、などばかりの演歌の世界もいいけれど、「年下の男の子」や「わたしの彼は左きき」みたいなシンプルでポップなラヴ・ソングを、そのまま可愛らしい姿と歌声でストレートに披露する岩佐美咲も最高にチャーミング。特に「わたしの彼は左きき」の方では、フレーズの末尾末尾で音程をちょっとだけクイっと持ち上げるように歌うのが、オジサンたまらないのですよ。今年一月のシングル曲「鯖街道」で既にそうなっていたけれど、「わたしの彼は左きき」みたいな内容の歌でそんなフレーズ末尾持上げをやられると、もうイチコロです。

 

 

冷静になって改めて強調しておきたいのだが、これは以前も同様のことを書いたが、ここまで書いた曲は全て同じ一人の女性歌手が歌っているのですよ。「秋桜」も「I LOVE YOU」も「雨の慕情」も「別れの予感」も「年下の男の子」も「わたしの彼は左きき」も、ぜ〜んぶ岩佐美咲という22歳の女性歌手が一人で全部。しかもですね、それら全部を同じ歌い方でこなしている。いろんな歌手がいろんな曲を一人で歌うけれど、全てを上手くこなしている例はほとんどない。岩佐はそれができる稀にしか出現しない才能。『岩佐美咲コンサート〜熱唱!時代を結ぶ 演歌への道〜』の時点で、もう既に日本大衆歌謡史に名を残す大きな存在になっているよなと強く実感した。

 

 

そんな岩佐美咲の魅力が『岩佐美咲コンサート〜熱唱!時代を結ぶ 演歌への道〜』で最も素晴らしく発揮されているのがコンサート終盤22曲目の「20歳のめぐり逢い」。これがいままで岩佐がやったカヴァー・ソングのなかで最もヤバいものだとは僕も前回指摘したが、岩佐がこれを歌う姿を DVD で観たら…、あ、イカン、こりゃまたダメだ、僕の涙腺が…。

 

 

だぁ〜ってね、『岩佐美咲コンサート〜熱唱!時代を結ぶ 演歌への道〜』での岩佐美咲は、「20歳のめぐり逢い」を歌いはじめるときに、あのギター・イントロに乗って、ステージ上にある階段みたいなところまで歩いていって、そこに腰掛けて歌いはじめるんだよね。座って、そっと優しくプライヴェイトで僕に話かけてくれているかのようにね。その歌い姿と声が最高に魅力的!立ち上がって前に出てからはヴォーカルにより一層磨きがかかっている。スッと伸びる声に聴き惚れる。

 

 

『岩佐美咲コンサート〜熱唱!時代を結ぶ 演歌への道〜』での、多くのみなさんにとってのクライマックスは、やはりアンコールの三曲「鞆の浦慕情」「石狩挽歌」「鯖街道」だろうなあ。そして実際素晴らしい。一曲目「鞆の浦慕情」は、オリジナル・シングル盤の歌や、『岩佐美咲ファーストコンサート〜無人駅から新たなる出発の刻』収録の昨年1月30日のライヴ・ヴァージョンと比較すれば、段違いに歌唱力が向上している、なんてもんじゃなく、なんなんだ?この歌の迫力は?!

 

 

背筋が凍るほどの歌の迫力という点では、アンコール二曲目の「石狩挽歌」も凄い。これは岩佐美咲による初リリースである今年一月リリースの「鯖街道」(通常盤)収録ヴァージョンから既に荘厳さを感じる出来だったのだが、これのリリース後にやったコンサートである『岩佐美咲コンサート〜熱唱!時代を結ぶ 演歌への道〜』ヴァージョンの「石狩挽歌」では、声の張りも伸びももっとずっと素晴らしい。聴き手であるこっちの背筋が凍りすぎて、冷凍ニシンになっちゃうよ。

 

 

『岩佐美咲コンサート〜熱唱!時代を結ぶ 演歌への道〜』では、このあと今年七月の二日連続のコンサートを予告して(あぁ〜〜、僕も行きたい、だがチケットは取れないのだ)、次いでアンコール最後、すなわちコンサート大トリの「鯖街道」を歌って終幕。

 

 

みんな〜、音楽マニアのみんな〜、こんな歌手は滅多にいないんだぜ。そりゃあさ、僕だってアラブやギリシアやトルコやヴェトナムなどの熟女(でない人もいるが)歌手たちは大好きでたまらないけれどさ。僕もそういう歌手たちに夢中なんだけれどさ。でもね、日本にだって、まだ22歳だけど、こんなものすごい女性歌手がいるんだってことを、ちょっと頭の片隅に置いてくれないか?ホンモノだ。間違いない。お願い、岩佐美咲を聴いて!

2017/05/26

妙なブルーズの吹き方をするマイルズ

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1981年復帰後のマイルズ・デイヴィスは、82年夏頃からのライヴ・ステージで毎回必ず12小節定型のスロー・ブルーズ・ナンバーを演奏していた。91年に亡くなるまでこれはほぼ例外がない。公式なスタジオ録音では83年リリースの『スター・ピープル』と次作84年の『ディコイ』に一つずつあるだけだが、ライヴでは常にやっていたので、録音数がメチャメチャ多い。

 

 

 

 

といっても大半がブートレグ音源で、ブートの話は必要と判断できる場合以外では避けているというのが僕の姿勢なので、今日も公式に入手可能なものだけに限定したい。すると、1981年復帰後のマイルズがライヴでやるストレート・ブルーズ音源は、全部でたったの10個しかない。収録アルバムは二つだけ。一枚物『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』と20枚組『ザ・コンプリート・マイルス・デイヴィス・アット・モントルー  1973-1991』。

 

 

後者の20枚組モントルー・ボックスでは、1984年から91年まで毎年のステージでのブルーズ演奏が収録されている。87年は出演じたいがない。これで計九個。もう一個の『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』収録のものは1988年8月14日のロス・アンジェルス公演。これは同88年のモントルー出演(は全て七月)の約一ヶ月後にあたる。

 

 

それら十個を並べて聴くと、まず曲題が1985年までは「スター・ピープル」だったのが、86年以後は全部「ニュー・ブルーズ」になっている(これは公式盤だけで、ブート盤だといつまでも「スター・ピープル」のまま)。これはしかし単にリリースにあたってのプロデューサーやワーナー側の気まぐれみたいなもので曲題だけ変えたというのではない。演奏内容に明らかな違いがあるのだ。

 

 

それは一点のみ。「スター・ピープル」になっている1985年までのストレート・ブルーズでは、バック・バンドもマイルズも、全体の12小節の1小節目からごく当たり前に演奏をはじめ、そのまま普通にブルーズを演奏して、終了時にはこれまた普通に I 度に解決してめでたく演奏が止まる。つまりなんでもない普通の定型ブルーズ演奏だ。

 

 

ところが曲題が「ニュー・ブルーズ」になる1986年分からは、全体的にはやはり同じ12小節の定型ブルーズであるにもかかわらず、演奏は1小節目からはじまっていない。86年だと、まずマイルズが1小節目にあたるトニックの音を吹くのだが、ベーシスト(フェントン・クルーズ)がいきなり5小節目へ飛ぶ。マイルズもそこから演奏をはじめているのだ。フィーリングがスローでレイジーなブルーズだし、誰だって三小節も聴けばブルーズだよなと分るものだが、うっかりすると、いま12小節全体のどこをやっているのか、分りにくくなってしまうのだ。

 

 

そして1986年のモントルーではギターがロベン・フォードで、「ニュー・ブルーズ」ではマイルズの次に二番手で上手いソロを弾くのだが、マイルズからロベンへの受け渡しのタイミングがこりゃまたちょっと妙。マイルズは4小節目まで吹いてロベンにバトン・タッチし、ロベンは5小節目からギター・ソロを弾きはじめる。

 

 

ってことは、マイルズのなかでは1〜12小節でワン・コーラスではなく、5〜12〜4小節という巡りでワン・コーラスという感じで「ニュー・ブルーズ」をやっていて、自分以外にソロをとるサイド・メンにも同様にやらせていたってことだろうなあ。ヘンなの。1986年のモントルー「ニュー・ブルーズ」では、二番手のロベンのソロ終了が、この曲全体の終了になっているが、それは12小節目の I 度ではない。やはり4小節目で終わっているんだよね。やっぱりヘンだ。

 

 

この後、1987年の「ニュー・ブルーズ」は公式収録がないので話はせず、七月のモントルーのと八月のロス・アンジェルスのと二種類ある88年。どっちもベースのベニー・リートヴェルド(は確かいまサンタナ・バンドでやっているのかな)が無伴奏でブルージーな、しかしごく当たり前のラインを弾きはじめ、それは1小節目から普通にやっている。ちなみにベニーはいつもピックでエレベを弾くというのが、CD になった音だけ聴いてもクッキリ分る(し、僕は生現場でも確認した)。

 

 

しかし1小節目から普通に弾きはじめるベニー・リートヴェルドのエレベを聴きながらマイルズは、今度は5小節目からではなく、七月のモントルーでは4小節目の終りあたりで、八月のロス・アンジェルスでは3小節目の途中あたりから入ってきてトランペット・ソロになっている。だから12小節全体の流れが乱されてひっくり返っているようなフィーリングで、しかし強烈にブルージーではあって、しかしこれ、ブルーズを聴きなれない人だと「どうなってんの?」と思うかもなあ。

 

 

しかし1988年の場合、4小節目の終りとか3小節目の途中から吹きはじめてはいるが、二つとも自分のトランペット・ソロは普通に12小節目で終えて、どっちも二番手でソロをとるリード・ベーシスト(ギタリスト)のフォーリーに渡している。フォーリーは普通に1小節目から弾きはじめ、そのまま曲全体も12小節目の I 度に解決して大団円。無事に綺麗にブルーズとして終るのだ。しかも88年はそのラストがいかにもブルーズの演奏終了時のクリシェ的フレーズで締めくくっている。

 

 

 

こんな感じのマイルズ「ニュー・ブルーズ」が、1989〜91年までの三年間の三種類でも続いていて、マイルズは絶対に1小節目から吹きはじめない。3/4/5小節目のどこかから入ってくることばかりで、公式収録だと三つしかないが、その他相当な数があるブート盤でたくさん聴いても同じやり方なのだ。だからかなりのブルーズ愛好家を自認する僕でも、ボーッとしている気分のときは「あれっ?いまどこ?」となってしまうのだ。

 

 

もちろんマイルズは故意にこんなことを1986年以後やるようになった。定型ブルーズの12小節全体の妙な箇所から入ってきて、もろろんプロ演奏家であるバンド・メンは普通に問題なく続けているが、素人うっかりリスナーの聴き方を乱すような「ニュー・ブルーズ」をやりはじめたのだ。

 

 

どこで読んだのか忘れてしまって、現物の証拠がいま手許にないので記憶だけで書くが、こんな妙な入り方のブルーズ演奏をどうしてやっているのかとインタヴューで聞かれたマイルズは、確か「バードがよくやっていたんだ」と発言していたように思う。バード、すなわちチャーリー・パーカーが、マイルズの言うにはライヴ・ステージで、12小節の途中から吹きはじめて、終る時も真ん中で終わってしまい、二番手のマイルズに渡すなんてことがよくあったらしいのだ。

 

 

当時(1940年代後半)のマイルズはそれにちょっと面食らって、一瞬だけええ〜っといまどこだっけ?と、ピアニストかベーシストを聴いて確認してからトランペット・ソロを吹きはじめるなどということがあったんだそうだ。それを思い出して、自分のバンドの1986年のライヴから真似しはじめたってことかなあ。でも86年以後だと、二番手以後のソロイストは、誰一人戸惑っている風にも聴こえず、なんでもなく普通にやっている。

 

 

だからなんなの?というような、まあどうでもいい話だけどね、今日のこの文章は。僕が単なるブルーズ愛好家としてこだわってしまっているだけのことだ。マイルズのやるライヴでの「スター・ピーピル」や「ニュー・ブルーズ」にかんしては、他にもいろいろと面白い部分が聴きとれるように思うので、またそのうち書いてみようと思っている。

2017/05/25

T・ボーンのもっと内容を拡充した日本盤アンソロジーを!

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僕がコンプリート状態で持っているのはキャピトル(含ブラック&ワイト)・レーベル時代とインペリアル・レーベル時代だけなんだけど、その後も含め、 T・ボーン・ウォーカーの録音集を聴いていると、この人はブルーズ・マンなんだかジャズ・マンなんだか分らなくなってくる。アメリカン・ミュージックのなかではそういう種類のものこそ僕の最も愛するものなんだよね。

 

 

だから「本当に」大好物である T・ボーン・ウォーカー。なにかモダン・ブルーズを聴きたいけれど、さて、なににしよう?と迷ったときは、僕は必ず T・ボーンのプレイリストを鳴らす。僕の iTunes に入っているものだけでも全部あわせると七時間以上になるので、ただひたすらダラダラとそれを部屋のなかで流しっぱなしにする。そうすると「本当に」いい気分だ。

 

 

T・ボーン・ウォーカーは1929年にいちおうの初録音はやっていて、二曲やったのがレコードの A面B面になっているが、やはり西海岸に移った40年代以後だよね、大活躍するようになるのは。会社も西海岸に拠点があるキャピトルやブラック&ワイトなどに録音するようになる。ブラック&ワイト録音が多いのかな。でもこれはかなりの弱小インディペンデントで、短期間で潰れてしまい、音源の権利を全部キャピトルが買い取った。それで1995年に米キャピトルが CD 三枚組の完全集『ザ・コンプリート・キャピトル/ブラック&ワイト・レコーディングズ』をリリースしてくれたので僕は即買い。それ以後の最愛聴盤なのだ。だから以下でも僕は(面倒くさいということもあって) T・ボーンの1942〜49年は「キャピトル」録音と表記する。

 

 

といってもその『ザ・コンプリート・キャピトル/ブラック&ワイト・レコーディングズ』は全部で三時間半以上もあるし、そのなかにはほぼ内容が違わない別テイクも多いし、かなり絞らないと話ができにくい。それで当然のように CD にもなっている名演集にして名盤『モダン・ブルース・ギターの父』(東芝 EMI)が、この時代のキャピトル録音から選りすぐったものだから、基本的にこれに即しながら、三枚組完全集にも触れつつ話をしよう。

 

 

それにしても T・ボーン・ウォーカーの日本盤って、いまでもその東芝 EMI の『モダン・ブルース・ギターの父』しかないみたい。偉大だ偉大だとみんな言うわりには、なんなんだこの扱いは?この東芝 EMI 盤はもちろん LP 時代から知られている名盤中の名盤で、ギター・キッズはこれを擦り切れるまで繰返し聴きまくってコピーしようと試みた(できたなどとは僕は到底言えない)ものだったんだけど、全部でたったの14曲しかなく計41分。あまりにも短すぎる。キャピトル時代の代表作はかなり揃っているとはいえ、他にも面白く楽しいものがいくつもある。東芝 EMI さん、拡充したアンソロジーをはリリースなさる気はないんですか?

 

 

1940年代キャピトル録音での T・ボーン・ウォーカーは、まず1942年の「ミーン・オールド・ワールド」で名が知られるようになった。というか T・ボーンの生涯初のヒット曲がこれで、T・ボーン・ウォーカーというブルーズ・マンがいるんだなとアメリカ人が認識するようになったという一曲。ブルーズ界における42年録音とは思えないモダンなギターの弾き方だ。

 

 

 

1942年にしてこれだったということは、影響源をブルーズ・ギタリスト界に限定して探せば、たぶんロニー・ジョンスンと、リロイ・カーとのコンビで人気だったスクラッパー・ブラックウェル、この二名に間違いない。がしかし僕の(いつものテキトーな)耳判断では、ジャズ・ギタリストから受けた影響の方がもっとずっと大きいように聴こえる。具体名をあげるとエディ・ダーラム、そしてチャーリー・クリスチャンだ。

 

 

さらにギタリストだけでなく、ジャズの管楽器奏者、例えばサックス・プレイヤーなどのフレーズの創り方からもかなり吸収している。というか今日最初にも書いたけれど、だいたい T・ボーン・ウォーカーの音楽はジャズなんだかブルーズなんだか分らないようなものだ。どっちもたくさん聴いているみなさんであれば同じような感想になるはずだ。だぁ〜って、聴いたら間違いないもん。ブギ・ウギ・シャッフル(は8ビート)じゃないものは、どれもこれも4/4拍子だし、コード・ワークだってジャジーだし。

 

 

例えばキャピトル録音で辿ると、1942年の「ミーン・オールド・ワールド」の次にヒットした46年の「ボビー・ソックス・ベイビー」とか、やはりこれもヒットした49年の「ウェスト・サイド・ベイビー」とか、それからこれは知らぬ人のいない超ウルトラ・スーパー・スタンダードになった47年の「ストーミー・マンデイ」(コール・イット・ストーミー・マンデイ・バット・チューズデイ・イズ・ジャスト・アズ・バッド」)とか、全部ほぼジャズ・ブルーズじゃないの。

 

 

 

 

 

これら三つとも大変よく似ているよなあ。1942年の「ミーン・オールド・ワールド」と同じで、ワン・パターンの使い廻しだ。つまり「ミーン・オールド・ワールド」で一発当てたので、やはりどこの国の芸能界にもよくある二匹目・三匹目のドジョウを狙うっていうやつだったかも。がしかし重要なことはそう狙ったからといって、こんなオシャレでモダンなコード・ワーク、シングル・トーン弾きができるブルーズ・ギタリストは、当時ほかにはいなかったという事実だ。T・ボーン・ウォーカー以後は雨後の筍のごとく出てくるようになったので、やはり T・ボーンこそ「父」なんだなあ。僕の大好きなマット・マーフィもウェイン・ベネットも、その他みんな T・ボーンの子供。

 

 

1940年代キャピトル録音のなかには、こりゃもうどこからどう聴いてもジャズだろう!としか思えないものだってある。三枚組完全集一枚目13曲目の「ドント・ギヴ・ミー・ザ・ターナラウンド」なんかもそう。楽曲形式が12小節3コード(三つだけっていうことは T・ボーン・ウォーカーの場合少ないが)の定型ブルーズじゃないっていうのは重要ではない。フィーリングがジャズなのだ。ヴォーカルもギターもジャズだし、そして中間部のテナー・サックス・ソロは完全にジャズ・サックス。

 

 

 

8ビートのブギ・ウギ・シャッフルの話もしておこう。1940年代キャピトル録音にもたくさんあるうち、最も有名なのは間違いなく47年の「T・ ボーン・シャッフル」だね。これもヒットした。要するにジャンプ・ブルーズの類だよね。ブギ・ウギ・ベースのジャンプといっても、そこは T・ボーンらしく、全く泥くさくない都会的に洗練されたスタイルのジャンプ・ブルーズに仕上がっているのが彼流儀で僕は大好き。

 

 

 

同じ1947年には「T・ボーン・ジャンプズ・アゲイン」というのもあったりして、同じブギ・ウギ・シャッフルなジャンプで T・ボーンがやるものでは、僕はこっちの方が好きだ。ヴォーカルなしのインストルメンタル・ナンバーだし、これもやっぱりかなりジャジーだなあ。T・ボーンのギターが目立たないので、ファンのみなさんはたぶんお好きじゃないだろう。

 

 

 

上で T・ボーン・ウォーカーのこんなオシャレで洗練されたギターの弾き方は、ブルーズ界でならロニー・ジョンスンとスクラッパー・ブラックウェルが影響源だろうと書いたけれど、後者の方にかんしては、やはりリロイ・カーの有名曲をカヴァーしている。キャピトル録音じゃないんだが少し書いておこう。僕の知る限りでは、1953年のインペリアル録音で「ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン」(イン・ジ・イヴニング)、57年のアトランティック録音で「ハウ・ロング・ブルーズ」をやっている。

 

 

 

 

もとから都会的であるリロイ・カーのブルーズ楽曲を、さらに一段グッと現代的でより都会的に洗練しまくったようなフィーリングでやっているよね。T・ボーン・ウォーカーのギター(複数のギタリストがいる「ハウ・ロング・ブルーズ」の方は、一番手で出るソロが T・ボーン)もヴォーカルもかなりジャジーだし、オシャレでいいよなあ。でもさらに重要なことがある。それはリズム・スタイルだ。これら二曲のリロイ・カー・ナンバーでは6/8拍子、つまりハチロクのリズムを使ってある。

 

 

8ビートのブギ・ウギ・シャフル以外は、キャピトル時代ならどれもこれも全部4ビートだった T・ボーン・ウォーカーも、1950年代の録音という時代の流れを意識したんだろうね。リズム&ブルーズの大流行や、また直後にはソウル・ミュージックが勃興するアメリカで、やはり T・ボーンも三連のノリを意識して使ったに違いない。がしかしこの頃既に T・ボーンは人気がなくなっていた。

 

 

1940年代キャピトル録音での T・ボーン・ウォーカーには一曲だけラテン・ブルーズもある。スペイン語も飛び出す49年録音の「プレイン・オールド・ダウン・ホーム・ブルーズ」。中間部のギター・ソロではなんでもない普通のリズムになってしまうが、歌に戻るとリズムもやはりラテンに戻る。ミュート・トランペットのオブリガートもまるでキューバのソンみたいだ。カンカンと3・2クラーベを叩くのも聴こえて、こりゃ楽しい一曲だ。

 

 

 

このラテン・ブルーズ「プレイン・オールド・ダウン・ホーム・ブルーズ」は、東芝 EMI 盤『モダン・ブルース・ギターの父』のアルバム・ラストにも収録されているのだが、その日本語解説文の鈴木啓志さんは「こういう曲を、取りたてて強調する必要はないと思うが、この時代の一種の趣向として、面白くは感じられることだろう」と書いている。う〜ん…、鈴木さんにしてからがこうなのか…。北米合衆国の大衆音楽におけるラテン要素は「強調する必要はない」「一種の趣向」どころか、大いに強調しないといけない必要不可欠な重要要素なんですけどね、鈴木さん。あ〜、これだからブルーノ・ブルムがあんなに執拗にやっているわけか…。

2017/05/24

遂にフェイルーズを継いだ30のヒバ・タワジの30

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入手した新作をかけて、冒頭の歌い出し一声だけで聴き手を納得させることのできる歌手は、むかしもいまもそんなに多くはないはず。2017年ならヒバ・タワジはそんな稀代の天才女性歌手の一人だろう。昨日月曜日(5/22)の夜六時過ぎに届いたヒバの新作『ヒバ・タワジ 30』を聴いて(いまは5/23火曜夕方)、このことを非常に強く実感した。そして同じ国の大先輩フェイルーズも喜んでいるはず。自分の命あるうちに、自分を継いだと判断できる(フェイルーズはそう思っているだろう)歌手が同じ国から立派に成長したのだから。

 

 

『ヒバ・タワジ 30』というこの新作アルバム。どうやら制作側はネット・オンリーで売りたいというのが本音じゃないかと思う。僕はヒバのTwitter アカウントをフォローしているので、この新作のこともリリース(確か今年三月頃)と同時に知ったのだが、ヒバ(本人かアカウントの中の人)がプロモートするのは Spotify や AppleMusic や iTunes などなどストリーミングやダウンロード・サーヴィスばかりで、CD についてはいまに至るまで一言もない。

 

 

『ヒバ・タワジ  30』のリリースを知るや否や僕はエル・スールの原田さんにお願いしますとメールしたら、半日ほどして来た返信に「どうやらうちとは取引関係のないところのようです、難しいかもしれません、確約できませんが努力してみます」とあったので、僕もどうなるのか分らなかったのだ。ダウンロードやストリーミングであっけないほど簡単に入手できる『ヒバ・タワジ 30』だから、どうもやはり CD などフィジカル時代はもはや終焉しているんだろうな。

 

 

原田さんが頑張ってくれて、結果的にエル・スールに極少数の CD が入荷したらしい『ヒバ・タワジ 30』だけど、そんな具合だから、ご興味のある方は CD にこだわらず、電子データのストリーミングやダウンロード・サーヴィスで是非『ヒバ・タワジ 30』を入手して聴いていただきたい。いまでもやはり熱心なフィジカル愛を持つ僕ですらこう言うのは、そうじゃないと入手が容易じゃないということと、それ以上にこのアルバムを聴かずに済ませるなんて、そんなもったいないことはないと強く思うからだ。本当に大傑作なんだ。フェイルーズを継いだと思える内容なんだよね。だから物体じゃないと…、などとおっしゃらず、是非聴いて!

 

 

さて新作『ヒバ・タワジ 30』というこのアルバム・タイトルには、直接的には二つの意味が込められているのだろう。一つは主役が今年暮れでちょうど30歳になるということ。もう一つは二枚組の一枚ずつ各15曲で計30曲が収録されているということ。なんだか他にもいろいろとあるみたいだけど、難しそうだからそれを考えるのは今日はやめ。ただ容貌も美しいヒバの、容貌よりもはるかに美しい歌声に耳を傾けるだけにしたい。

 

 

『ヒバ・タワジ  30』で主役歌手が大先輩フェイルーズに、しかも存命中に追いついたと僕が判断している部分は随所にある。例えば一枚目一曲目の「Aarrafta am la」。前作『ヤ・ハビビ』同様、この新作でもほぼ全面的にウサマ・ラフバーニが曲のメロディと管弦楽のアレンジを書いているが、一曲目「Aarrafta am la」では、偉大なフェイルーズ/ラフバーニ兄弟の伝統へのダイレクトなリスペクトを感じる曲創りとアレンジなんだよね。

 

 

 

いま貼ったこの「Aarrafta am la」だけでなく、『ヒバ・タワジ 30』収録の30曲は、全て YouTube で無料で聴けるので、お金を出す気のない方も是非ちょっと聴いてみてほしいのだ。どうです?このメロディとアレンジと、そしてヒバの歌い方は?プロデュースもしているウサマ・ラフバーニが、フェイルーズと共同作業をやったアシ・ラフバーニ(は夫)とマンスール・ラフバーニのラフバーニ兄弟の仕事を意識したのは間違いない。

 

 

さらに主役ヒバの歌い方もフェイルーズの伝統を強く意識しているように僕には聴こえる。そしてその大先輩歌手の偉大な境地を継いだ…、が言いすぎであれば、かなりいいところまで接近しているとは言えるんじゃないかなあ。こういうフェイルーズ/ラフバーニ兄弟の伝統を継いでいる、少なくともその意思は明確に示したような曲は、アルバム『ヒバ・タワジ 30』にいくつもあるので、これ以上は書かないが、みなさんも探してみてほしい。

 

 

アルバム『ヒバ・タワジ 30』で聴ける管弦楽のサウンドは、前作『ヤ・ハビビ』同様、ポピュラー・ミュージック界で探せば往年の黄金アメリカン・ポップスのそれで、しかし西洋クラシック音楽のシンフォニック・サウンドの方がもっと近いんじゃないかとも思う。そして言うまでもなくそれら二つは深い関係があるもんね。だから『ヒバ・タワジ 30』でも格別目新しいサウンドじゃないのだが、普遍的な美しさだからなにも文句をつける部分などない。

 

 

「直接的に」西洋クラシック音楽を引用してあるものが一曲あって、それは二枚目二曲目の「Al Nizam Al Jadid」。これはフランスのモーリス・ラヴェルが書いたかの有名な「ボレロ」のパターンをそのまま使っている。本当に知名度の高いものだから、みなさんすぐにお分りになるはず。リズム・パターンも、終盤の劇的なオーケストラ・サウンドも、そのまま下敷きにしている。

 

 

 

『ヒバ・タワジ  30』では、かなりラテン・テイストの強い曲も複数あるのがやはり僕好み。しかもこれまた大先輩フェイルーズがずっとむかしに実証しているアラブ〜ラテンの相性の良さを、ヒバとウサマ・ラフバーニが再現したものだ。例えば一枚目13曲目の「La chou ta ehtam」もそう。しかし使ってある打楽器はラテン系のものだけじゃなく、アラブ系のダルブッカなどもあるだろうなあ、このサウンドは。

 

 

 

ブラジル音楽だから厳密にはラテンから外れてしまうかもだけど、ボサ・ノーヴァ・ナンバーも『ヒバ・タワジ 30』には一曲だけある。二枚目四曲目の「Bkhatrak」がそれ。ボサ・ノーヴァ・スタイルなのは間違いないが、伴奏のオーケストラ・サウンドもまるで1960年代風レトロ。陽光がさすような明るい一曲で、いいねこれ。

 

 

 

こんな感じの快活なリズム・ナンバーは、特にラテン云々を言わなければ、アルバム『ヒバ・タワジ 30』にはたくさんあって、バラード調のものとちょうど半々くらいで収録されている。僕が特にお気に入りなのが、一枚目八曲目の「Yalla norkos」とか、二枚目七曲目の「Balad El Tanaod」とかだ。どっちも激しいダンス・ミュージックであるダブケ由来のスタイルなんだろうなあ。

 

 

 

 

新作『ヒバ・タワジ 30』でのヒバのヴォーカル表現は、前作『ヤ・ハビビ』で聴けたようなテクニカルな面は目立たなくなっていて、むしろ一歩引いて落ち着いた表情を見せているのが、かえってより一層の深みと奥行きを感じさせるようになっているのが素晴らしい。それでもやはり歌唱技巧をフルに発揮したような曲もあって、例えば4オクターブを楽々と歌う一枚目五曲目の「Enta habibi」とか、終盤部の約30秒間、ずっと同じ一つの音程を完璧に揺るぎなく維持したままスクリームする一枚目九曲目の「Aylan」とか、聴いているこっちの目が、いや、耳がクラクラする。

 

 

 

 

二分もない非常に短いものだが、アルバム『ヒバ・タワジ 30』で僕がかなり気に入っているのが、二枚目10曲目の「La Omri」。どうしてかというと、もともとローカルなアラブ色は表面的には強く打ち出さないヒバが、濃厚なアラブ歌謡のコブシ廻しを聴かせてくれるからだ(二枚目にはこの他数曲ある)。これ、もっと長く、五分とか七分とかやってくれたらよかったのになあ。このヴィデオで分るように、この曲は2016年制作のドラマかなにかのワン・シーン用のものだったんだろう。

 

 

 

アルバム『ヒバ・タワジ 30』には、そんなもともとはウサマ・ラフバーニとの共同作業でやったドラマやミュージカル(?)かなにかのために用意され、既にレコーディングも終っていたものがたくさんある様子。そういえばヒバは女優としても活躍しているんだったよね。たぶん役を演じながら劇中で歌っていたりするんだろう。そのあたりのちゃんとしたことは、レバノンや中東アラブ圏に住んでいないと分らないんだろうね。

 

 

アルバム・ラストの「Haza Zamani」はディズニー・ソング。3Dアニメ番組『アバローのプリンセス エレナ』からの一曲で、オリジナル英語題は「マイ・タイム」。

 

 

 

これをヒバがやるとこうなる。たぶん『アバローのプリンセス エレナ』のアラビア語圏放映にともなってレコーディングされたものなんだろう。ヒバがヘッドフォンをつけてスタジオで歌う風景が映っているが、美しいなあ。顔も声も表情も仕草もなにもかもが美しい。

 

 

 

ディズニー・ソングのアラビア語ヴァージョンをアルバム『ヒバ・タワジ 30』のラストに収録したのは、まあコマーシャルな目的と、あとは単なるちょっとしたオマケなんだろうが、しかしそれでも、こんなディズニーみたいなアメリカン・ポップスが、ヒバの音楽的養分のかなり大きな一つになっていることを考えると、笑って聴き逃すことはできないね。だいたい僕はディズニーの世界がむかしもいまも大好きだ。上質のエンタータイメントだからね。

2017/05/23

トーキョーのできごと 〜 サンタナと渡辺貞夫

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まずはとにかくこれを聴いていただきたい。

 

 

 

以前、サンタナ・バンドに渡辺貞夫さんが飛び入りゲストとして参加・共演した時のライヴ録音の話を書いた。

 

 

 

一昨年11月かぁ。まあ最近だ。このリンク先をご一読いただければ分るのだが、このサンタナ・バンドに貞夫さんが参加・共演したものを FM 東京の番組『渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ』が放送してくれて、当時松山で大学生だった僕は FM 愛媛で流れるそれをエアチェック(だいたい毎週録音していたような気がする)。その後長らく大の愛聴盤(「盤」ではないな、「巻」?)になっていたのだが、カセットテープ再録機器が故障して使えなくなって以来、機器を買い換えもせずそのままになっていたのだった。

 

 

ただ本当に繰返し繰返し聴いたので、鮮明な音の記憶が残っていて脳内再生はできていたのだが、それだからより一層悔しい思いをしていた僕。どうしてもっと早くデジタル音源化していなかったのか、それだけが自分でも理解できないが、以前も書いたように僕はまあまあ古いマシンである PowerBook2400をかなり長い間、21世紀に入って数年経過するまで引っ張っていて、それは音楽を聴いたりなにかしたりは全くできないものだったのだ。

 

 

しかしカセットテープでしか持っていない音源は、ある時期に全部 MD(死語だろうか?ミュージック・ディスクのこと)にダビングしてあったので、MD で楽しんではいた。新しい Mac を買って音源操作も可能になったので、それらの MD からデジタライズしたのが、どうしてもっと早くやらなかったのか分らないが、ほんの三年ほど前なのだ。そして、これをやろうと思い立った約三年前、部屋中のどこをどう探してもサンタナ&貞夫さんの MD がないじゃないか!

 

 

東京時代はあんなに楽しんでいたのに。愛媛に引っ越してくる際になにかの不手際があったんだろう。モ〜〜涙が出るほど悔しくて、しかしそれでも脳内再生だけはできるサンタナ+貞夫さんの共演ライヴ。その脳内再生を頼りにして上でリンクを貼った2015年11月付のブログ記事の元になった文章を書いた。別になにも期待せず。すると、その記事のコメント欄を見ればお分りのように、約五ヶ月後にある方が「音源持ってますよ。」とおっしゃってくださった。もちろんなんの躊躇もなくホイホイ飛びついた僕。

 

 

詳しいことはおおやけには書けないが、とにかくそんなわけでいま僕の手許にはそれがある。送ってくださった CD-R を iTunes にインポートもした。ギターがカルロス・サンタナでアルト・サックスが貞夫さんであることと演奏曲名以外の情報が全く記憶にないのでネット検索しまくったら出てきたのが以下のページ。いやあ、丁寧で優しい人がいるんもんだよなあ。

 

 

 

これをご覧いただければ分るものだが、サンタナと貞夫さんの共演は、サンタナが来日公演を行った1983年7月16日の日本武道館。共演曲は順に「ネシャブールのできごと」「アクア・マリン」「トライ・ジャー・ラヴ」「スターダスト」。パーソネルは以下。

 

 

渡辺貞夫 - alto sax (special guest)

 

Carlos Santana - guitar

 

Greg Walker - vocals

 

Tom Coster - keyboards

 

Chester Thompson - keyboards

 

Keith Jones - bass

 

Graham Lear - drums

 

Orestes Vilat- percussions

 

Raul Rekow - percussions

 

Armando Peraza - percussions

 

 

共演四曲のなかで、今日一番上でご紹介した一曲目の「ネシャブールのできごと」こそがハイライトに間違いない。四曲のなかでは他の三曲と比べ演奏時間が圧倒的に長く17分以上もある。サンタナの1973年来日公演盤である『ロータス』ヴァージョンでもそんなに長くないもんね。しかもこのバンドのこの曲の演奏でサックス奏者がソロを吹くものって、他にあるのかなあ?

 

 

1983年7月16日、日本武道館での「ネシャブールのできごと」は、FM 放送(とそれを録音したもの)では、僕のいまだ鮮明な記憶によれば、この曲の前にお馴染「オイェ・コモ・バ」を賑やかにやっていて、それに番組司会者の小林克也のナレイションがかぶさり、そのしゃべりは「オイェ・コモ・バ」が終わった瞬間になくなって、カルロス・サンタナがステージで語りはじめる。

 

 

こういった部分は、ある方が送ってくださった CD-R には入っていなかったので確認できないが、記憶では「ここでスペシャル・ゲストを迎えます」「僕の親しい友人です」「その方が活躍しているのは日本ばかりでなく、世界中で…」と(英語で)、その「all over the world」を言い終えるか終えないかの瞬時に客席から「そうだ!」との声が(英語で) あがるので、カルロス・サンタナは慌てて、即「大きな拍手を!サダオ・ワタナベ!」と叫ぶ。う〜ん、この部分もやはりもう一回聴きたかったが…。

 

 

それで曲紹介をカルロス・サンタナがやって、しかしそれが一番上で貼った音源でもお分りのように「Incident At Neshabur」ではなく「Incident In Neshabur」になっているよね。この程度の前置詞の違いなら同じようなものではあるけれど。演奏本体をお聴きになれば分るように、この日の「ネシャブールのできごと」は三部構成。もう一回貼っておこうっと。

 

 

 

サンタナ1970年の『アブラクサス』収録のオリジナル・ヴァージョンは、二部構成なのか三部構成なのか判断が難しい。ラテン・リズムの賑やかなパートではじまって、そこでは打楽器全開。グレッグ・ローリーがオルガン・ソロを弾いたあと、カルロス・サンタナのギター・ソロになる。2:37 からのブリッジ部分を経て、2:53 からバラード調の静かな演奏になる。そしてそのくつろいだような感じのスタティック・パート中盤でリズムが快活なのかなと思える部分もちょっとだけあって(3:43〜4:17)、そこではグレッグ・ローリのピアノがソロを弾くが、またすぐに静かに戻って完全終了。だからやっぱり三部構成か。

 

 

 

でもその三つ目のパートは短くて、まるで静的な2パート目にサンドイッチされているちょっとしたアクセントの変化みたいな感じで本格展開はしていないので、僕としては、『アブラクサス』の「ネシャブールのできごと」は二部構成なのだと言いたい。ところがその後のライヴ・ヴァージョンでは、オリジナルの約五分間という演奏時間がどんどん長くなって、例えば僕の持つ唯一のサンタナのライヴ盤『ロータス』では、アルバム・ラストの約16分間。

 

 

 

その他 YouTube を探せばいっぱいいろんなヴァージョンが出てきそうなサンタナ・ライヴでの「ネシャブールのできごと」。ご紹介した『ロータス』ヴァージョンでお分りのように、三部構成がクッキリしている。『アブラクサス』ヴァージョンで聴けた3パート目が拡大されて、サンバ風の賑やか演奏が長く続き、終幕で再び静かになってフィニッシュというような具合。

 

 

この三部展開が1983年7月16日のサンタナ&貞夫さん共演ヴァージョンの「ネシャブールのできごと」でも踏襲されている。最初に少し弾くオルガン・ソロがトム・コスターなのかチェスター・トンプスンなのか僕には判断できないが、カルロス・サンタナのフックをきっかけに貞夫さんのアルト・サックス・ソロになる。その次がカルロス・サンタナのギター・ソロ(やはり「マイ・フェイヴァリット・シングズ」を引用)。

 

 

5:55 で従来通り静かな2パート目に入り、カルロス・サンタナがちょっと弾いたあと、やはり貞夫さんのアルト・ソロ。この2パート目のリズムや曲想は、1970年代から貞夫さんの得意とするものだから、1パート目のソロよりも充実して活き活きとした内容に僕には聴こえるなあ。貞夫さんだけじゃなくサンタナ・バンド全体の演奏がジャジー。同じパートで続いてピアノ・ソロになるが、これもどっちが弾いているんだろう?ピアノ・ソロ部分ではテンポがぼぼ止まりかけている。

 

 

なと思って聴いていると、ほんの数秒でこのピアニストが快活なフレーズを弾きはじめ、11:14 からバンド全体もかなり賑やかなサンバ風の演奏にチェンジして3パート目に入る。やはり貞夫さんのアルト・ソロ。この3パート目でのソロも伸び伸びとした素晴らしい内容。だって貞夫さん得意中の得意であるブラジル音楽風だもんね。三人いるパーカッショニストも活躍し、マジで楽しいったらないよね。

 

 

その後再びピアノ・ソロになっているが、この3パート目のピアノ・ソロがかなりいい内容だ。どっちななんだろう?トム・コスターかなあ?っていう気がするけれど、自信ゼロだ。陽気なサンバ風ピアノ・ソロが終ると、やはりオリジナルとその後のライヴでの従来路線通り静かな雰囲気に戻ってカルロス・サンタナが弾き、この「トーキョーのできごと」の締めくくり。こんなにもドラマティックなヴァージョンは、僕は他に聴いたことがないよ。

2017/05/22

楽しい〜っ!サンタナのラテン・ロック

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「インシデント・アット・ネシャブール」(ネシャブールのできごと)については、明日たっぷり書くつもり。今日はその曲以外で、楽しくてたまらないラテン・ロックにかんしてだけ。

 

 

1971年リリースの三作目までで、いまの僕にとっては充分なサンタナ(バンド)。この次、72年の『キャラヴァンサライ』以後はもはや全く聴きかえさなくなった。こう言うと意外に思われるかもしれないよね。僕は大のジャズ〜フュージョン愛好家なのにって。でもこれがいまの正直な気持だ。唯一の例外は74年の三枚組ライヴ盤『ロータス』だけ。最大の理由は僕はサンタナではラテン・ロック路線こそが一番好きだから。

 

 

それで一作目1969年の『サンタナ』、二作目70年の『アブラクサス』、三作目71年の通称『サンタナ III』(正式にはこれもただの『サンタナ』)の三枚だけを繰返し聴いているのだが、まあホント楽しいったらないね。それでも一作目の『サンタナ』はまだどうもなにかが足りないような気がする。聴いていると、ちょっぴり不満があるのだ。僕だけかなあ?まだバンドとして成熟していないような。そしてなによりラテン風味全開のロックとまではまだなっていないような。

 

 

次の『アブラクシス』でいきなり大きな世界が開けたように、続けて聴いているとするので、僕だけかもしれないが、二作目の邦題『天の守護神』と三作目の『サンタナ III』こそが、僕にとっては最高なのだ。まず『アブラクサス』のあのジャケット・デザイン。あれはマイルズ・デイヴィスの『ビッチズ・ブルー』や『ライヴ・イーヴル』を手がけたマティ・クラーワインによるもの。同じコロンビアだし同時期だし、なにかあったのかなあ。

 

 

なにかあったというか、1971年頃にマイルズはカルロス・サンタナに、自分のバンドの正式ギタリストになってくれないかとオファーして断られるということはあった。サンタナが断ったのは、まだ自信がなかったからというのが本人の発言だけど、もったいなかったなあ。マイルズがちょうどジョン・マクラフリンを(正規メンバーではないが)使っていた時期で、あれがカルロス・サンタナだったらなあ…、と思ってしまう。カルロス・サンタナとマクラフリンは共演作を創ってしまうんだったよね。僕はあれあんまり好きじゃない。

 

 

1969〜71年頃のサンタナ(バンド)には、ジャズ〜フュージョンっぽい部分もかなりあるというか、はっきり言ってインストルメンタル・ナンバーの方が多く、ヴォーカル・ナンバーでも楽器のソロの時間が長い。その他リズムやサウンドなどマイルズとの共通性はかなりあった。だからホントもったいなかったと、いまとなっては夢想することしかできないが。

 

 

そんなことはともかくマイルズの『ビッチズ・ブルー』のジャケットと同系統のデザインであるサンタナの『アブラクサス』。これこそがサンタナのラテン・ロック全面展開第一号だ。そしてブルーズ〜ロック〜ジャズ〜ラテン(サルサ)などが渾然一体となっていて、聴いていてマジでこの上なく楽しい。こんなのや、もっと激しくなっている『サンタナ III』に比べたら、『魂の兄弟たち』なんて…。

 

 

『アブラクサス』で僕が特に好きなのは二曲目の「ブラック・マジック・ウーマン/ジプシー・クイーン」、三曲目の「オイェ・コモ・バ」、四曲目の「ネシャブールのできごと」、五曲目の「セ・ア・カボ」、そして非常に短いものだがアルバム・ラスト九曲目の「エル・ニコヤ」。なかでも「ブラック・マジック・ウーマン/ジプシー・クイーン」が、こりゃもう最高だ。

 

 

ご存知のように、前半の「ブラック・マジック・ウーマン」はピーター・グリーンが書いたフリートウッド・マックの、後半の「ジプシー・ウーマン」はガボール・ザボの曲。前者もオリジナルからして既にラテン・ブルーズで、オーティス・ラッシュの「オール・ユア・ラヴ」そっくり。というかピーター・グリーンはそのままやっただろ。

 

 

「オール・ユア・ラヴ」https://www.youtube.com/watch?v=O3hrVFvxTfk

 

「ブラック・マジック・ウーマン」https://www.youtube.com/watch?v=7eANGHVQS9Q

 

 

後半部でキーとリズムがパッとチェンジして、短調から長調になり、リズムもラテンからシャッフル8ビートになるあたり、間違いなくピーター・グリーンはオーティス・ラッシュの「オール・ユア・ラヴ」をそっくりそのまま真似している。しかしこれをカヴァーした『アブラクサス』のサンタナ・ヴァージョンは、そこから大きく飛翔しているじゃないか。

 

 

 

グレッグ・ローリーの弾くオルガン・リフ(&コンガはマイケル・カラベージョ?)に乗ってカルロス・サンタナがムーディーに弾きはじめた瞬間に僕はもう最高の気分(これはレス・ポールのサウンドじゃないかなあ?)。しばらく弾いて、一瞬ストップ・タイムを使ったあと、本格的にギュイ〜ンって鳴らしはじめたら、も〜〜タマラン!マイルズについて書く際の中山康樹用語を使うと、ク〜〜ッ、最高!!カルロス・サンタナのギター・ソロが終わった瞬間にブレイクが入って、そこでティンバレスが切れ味よくカンカラカンと鳴り(ホセ・アレアス?)、その刹那も超キモチイイ〜(って、サルサ・ファンのみなさんなら分っていただけるはず)。

 

 

そのティンバレス鳴らしカンカラカンをきっかけにグレッグ・ローリーが歌いはじめるが、この人のヴォーカルはまあはっきり言ってあんまり聴きどころがないよなあ。一作目の『サンタナ』から二作目『アブラクサス』、三作目の『サンタナ III』まではこの鍵盤奏者が歌うことが多いんだけど、う〜ん、でもないよりあった方がいいんだろうな。

 

 

ってのはサンタナの場合、インストルメンタルとヴォーカルのバランスが実にいい塩梅なのだ、僕にとっては。楽器演奏だけとかヴォーカル・フィーチャーだけというんじゃなく、それら両者がいい感じで配合・配置されている。ここでまたいつもの調子でおかしなことを言うけれど、サンタナのそういったインスト/ヴォーカルの配置具合は、ちょうど戦前録音の古典ジャズ録音集を聴いているときと、僕の気分がかなり似通っているのだ。

 

 

これ、妙なことを言っているよなとは分りつつ、しかしサンタナ・ファンであると同時に戦前の古典ジャズ録音集もよく聴く方であれば、ある程度は納得していただきやすいことなんじゃないかと思う。ジャズの世界では、ビ・バップ以後のモダン・ジャズで楽器演奏と歌が分離して、あたかも別の世界のできごとのようになっているのだが、1930年代末までの古典ジャズ録音を集めた LP でも CD でも聴いていると、両者が実にバランス良く出てくる。だからいいんだ。

 

 

ジャズの世界でこういったインストルメンタル/ヴォーカルのバランスのいい配置を復活させたのは、1970年代中頃からのフュージョンだったのだが、このあたりの部分についてもいまだにちゃんとした再評価がされていない。そもそもフュージョンを戦前古典ジャズと同列で並べて語る人物は、専門家のなかにも少ないもんなあ。

 

 

ジャズのことはいいとして、サンタナ。「ブラック・マジック・ウーマン/ジプシー・クイーン」でもそんな楽器演奏メインでありながら、そこに(あまり上手くはないが)歌が出てきて、また楽器ソロになって、後半部の「ジプシー・クイーン」は完全なるインストルメンタル・ナンバーだとか、いい時期のサンタナはだいたいいつもこんな感じなのだ。

 

 

『アブラクサス』では、これに続く三曲目がティト・プエンテの「オイェ・コモ・バ」。こりゃまた最高だ。も〜うこの世のラテン・ロック楽曲最高峰だと言ってしまいたい。それくらい好きだ。僕もやはりこのサンタナ・ヴァージョンで知った曲だったが、その後ティトのオリジナルを聴くようになると、インスト・ソロ部分以外のアレンジはほぼそのまま。楽器を別のものに置き換えているだけなんだよね。

 

 

 

 

 

フルートがエレキ・ギターになっているだけで、そのサンタナの弾くフレーズもオリジナルのティト・ヴァージョンでのフルートと同じものをなぞっている。が、このファズの効いたエレキ・ギターを派手目に使って、ドラム・セットもフルに入れて、ロック・ヴァージョンに仕立て上げたのがサンタナの素晴らしさだ。ティト・ヴァージョンそのままなのはオマージュなんだろう。しかしホント、カルロス・サンタナのラテン・ロック・ギターって素晴らしいなあ。この曲でのヴォーカルは(これまたティト通りに)合唱なので、下手さが目立たないのもいい。

 

 

サンタナがやるティト・ナンバーというと、次作『サンタナ III』のアルバム・ラスト九曲目にも「パラ・ロス・ルンベロス」がある。これも文句なしなんだ。リズム、というかパーカッション群乱れ打ちの賑やかさでは、「オイェ・コモ・バ」の数倍上。たったの三分もないなんてね。こんなに楽しいパーティーならもっと長く続いてほしかった。

 

 

 

お聴きの通り、この「パラ・ロス・ルンベロス」ではカルロス・サンタナが目立ったギター・ソロらしきものを弾かない。全編打楽器群と管楽器アンサンブルとヴォーカル・コーラスだけ。しかしこれもティトのオリジナルがそうなっているのをそのままやったんだよね。ティトのも(サンタナ・ヴァージョン同様)スピーディーな疾走感あふれる賑やかさ。

 

 

 

ラテン・ロックの全面展開という意味では『アブラクサス』よりも『サンタナ III』の方が上だ。一曲目「バトゥーカ」冒頭部のパーカッション・アンサンブルに乗って、カルロス・サンタナとニール・ショーンのツイン・ギターが左右で炸裂するところからして、もう既にたまらない快感。これも、そしてやはり大好きな四曲目「トゥーサン・ロベルトゥール」も、インストルメンタル・ラテン・ロック。いや、後者ではバック・コーラスが出る。

 

 

 

 

どっちも!ク〜〜ッ!たまら〜ん!『サンタナ III』にある文字通りの完全なるインストルメンタル・ナンバーは、一曲目の「バトゥーカ」のほかには、七曲目の「ジャングル・ストラット」だけ。これはジャズ・サックス奏者ジーン・アモンズがオリジナルの曲で、それはこんな感じのレア・グルーヴなノリ。

 

 

 

このサックスをサンタナはエレキ・ギターに置き換えて、リズムをより一層ラテン風味の濃い・強いものにして、多数のパーカッション群を賑やかに鳴らしている。

 

 

 

『サンタナ III』にあるヴォーカル入りのラテン・ロックといえば、ラストのティト・ナンバー「パラ・ロス・ルンベロス」以上に僕が好きなのが、六曲目の「グアヒーラ」。この曲だけリード・ヴォーカルがリコ・レイエス。この人には、グレッグ・ローリーと違ってかなりいい味がある。だから僕はこの曲も好きなのだ。サルサ風味が強い一曲で、さながらサルサ・ロックとでもいった趣。

 

 

 

こういったラテン(サルサ)・ロックが、サンタナ・バンドの一作目1969年の『サンタナ』ではまだ聴けないというか未成熟だと思うんだよね。最初の方で書いたのはこういう意味なのだ。いやぁ〜、本当にマジでサンタナのラテン・ロックって、楽しいぃ〜〜っ!!

2017/05/21

ジャズ・ファンにオススメしたいビョーク

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アイスランド出身の女性歌手ビョークにジャズ作品がいくつかあるのはみなさんご存知の通り。有名なのは1993年のソロ・デビュー一作目『デビュー』五曲目の「ライク・サムワン・イン・ラヴ」だね。この曲はジミー・ヴァン・ヒューゼンとジョニー・バークが書いたスタンダード・ナンバーで、ジャズ歌手がよく歌う。ビョークはハープ一台だけの伴奏で歌っている。

 

 

 

この曲以外にもアルバム『デビュー』では、11曲目「ジ・アンカー・ソング」はジャズ作品だと呼んでもいいんじゃないかな。終始サックス・アンサンブルだけに乗ってビョークが歌っている。ジャズ・ヴォーカルとも言いにくいような歌い方かもしれないが、伴奏のサウンドは相当にジャジーだ。

 

 

 

ジャズではないかもしれないが、この「ジ・アンカー・ソング」にちょっとだけ似ているのが、やはり同じアルバム『デビュー』八曲目の「エアロプレイン」。これでも冒頭部やその後随所でサックス・アンサンブルが出てきて効果的に使われている。ビョークはサックスが好きなのだろうか?あるいはアレンジャーかプロデューサーの意向だったのか?「エアロプレイン」ではリズムの感じがまた少し面白く、1990年代のアシッドなラテン・ジャズ風のフィーリングだよなあ。

 

 

 

『デビュー』の次作、1995年の『ポスト』にも、四曲目に「イッツ・オー・ソー・クワイエット」がある。この PV はいま初めて観たけれど、ちょっと面白いかもしれない。監督がスパイク・ジョーンズなんだよね(リーじゃないのか)。3/4拍子で、ジャズ・ビッグ・バンドがやるスウィング・スタイルの演奏だ。ビョークのヴォーカルもややシアトリカルで面白い。しかしやっぱりリード楽器メインだなあ。

 

 

 

しかしビョークは、これら一連の作品の前、まだソロ・デビュー前の1990年に『Gling-Gló』(歌っている本人の発音を聴くと『グリング・グロ』に聴こえるが、アイスランド語は全く分らない僕)というアルバムがあって、これが一枚丸ごとジャズ作品なのだ。伴奏は(一曲を除き)モダン・ジャズのピアノ・トリオ。この90年あたり、ビョークはシュガーキューブズの一員として活動していた時期だろうと思うんだけど、このグループのことを名前しか知らない僕には実感がない。

 

 

がしかしとにかく Björk Gudmundsdóttir (どう読むの?本名らしいが?)名義で発売された『Gling-Gló』は、ごく普通の女性ジャズ・ヴォーカル・ファンにとっても面白い、というかそういう方々にこそ聴いてほしいオススメの一枚なんだよね。僕としてはソロ・デビュー作である『デビュー』以後のエレクトロ・ポップ路線の方が好きだけど、多くのジャズ・ファンはそんなの聴かないでしょ?だからビョークのことも関心がないと思うんだよね。ってことはジャズ・アルバムがあるっていう事実に気がついていないかもしれない。ちょっともったいないんだ。

 

 

『Gling-Gló』は全16曲。伴奏は書いたように(一曲を除き)ピアノ+ウッド・ベース+ドラムスのトリオ編成で、このトリオは Trió Gudmundar Ingólfssonar という名前になっているのだが、これもどう読むんだろう?三人の名前も記載があるのだが、僕にはやはり読めない。全員アイスランド人ジャズ・メン(いや、ウィミンかもだが)なのかなあ?演奏を聴くと、腕前はごく標準的なものだろうと思う。本場アメリカにならたくさんいそう。だけどたっぷりジャジーだし、そして中庸な雰囲気のムーディさがあってラウンジ風にくつろげて、悪くない。

 

 

『Gling-Gló』の収録曲にはオリジナル・ナンバーも複数あるみたいだが、確証はない。が聴いたことのないメロディが多いので、たぶんそうだと思う。メロディの動きは聴けば誰でも理解できる。歌詞の方は二曲のアメリカン・ソングを英語で歌うもの以外はさっぱり分らない。やっぱりアイスランド語?ネット情報ではそうだとなっているが、自分自身でそうだという確証は持てない。

 

 

じゃあその二曲の英語カヴァー・ソングの話からしようかな。みなさんにとってもとっつきやすいと思うからね。ただしそのうち一個はいわゆるジャズ・ナンバーではない。リズム&ブルーズ楽曲の「ルビー・ベイビー」だ。ご存知(だと思うんだけど、普通のジャズ・ファンでも)ジェリー・リーバー&マイク・ストーラーのソングライター・コンビが書いたもの。アメリカでの初演はドリフターズというヴォーカル・グループ。スタンダード化しているので、カヴァーしている人が多く、そのなかにはジャズ・ファンにも人気があるドナルド・フェイゲンがいる。

 

 

ジャズではないけれど、ちょっと聴いてほしいのでご紹介しておく。

 

 

「ルビー・ベイビー」

 

 

ドナルド・フェイゲン→ https://www.youtube.com/watch?v=G187v1HEjqs

 

 

これらに対し、『Gling-Gló』15曲目のビョーク・ヴァージョン「ルビー・ベイビー」はこれ。

 

 

 

お分りのように4/4拍子にアレンジされていて、ドラマー(Guðmundur Steingrímsson)はブラシを使う。これ、ストレート・アヘッドなジャズのスタイルじゃないかな。ビョークの歌い方は英語の発音にちょっとだけ引っかかりがあるような気がするけれど、そんでもってジャジーなフィーリングもそんなに強烈じゃないかもしれないが、かなり面白いと僕は思う。ジャズ・ヴォーカルに分類して差し支えない。伴奏のピアノ・トリオが完全なるジャズだというのは、ジャズ・ファンのみなさんも疑わないはず。中間部のピアノ・ソロ(Guðmundur Ingólfsson)はかなりいい感じだ。こんな「ルビー・ベイビー」を、少なくとも僕は聴いたことがない。

 

 

アルバム『Gling-Gló』では、この「ルビー・ベイビー」」に続くラスト16曲目が「アイ・キャント・ヘルプ・ラヴィング・ザット・マン」。 オスカー・ハマーシュタイン III とジェローム・カーンの書いた有名曲で、これはジャズ歌手がたくさんやっているので、ジャズ・ファンのみなさんもご存知。例えばビリー・ホリデイとかエラ・フィッツジェラルドとか(どっちも「 Can't Help Lovin' Dat Man 」表記)。前者は1937年のブランズウィック録音。後者は63年のヴァーヴ盤『ザ・ジェローム・カーン・ソングブック』。両方とも僕はかなり好き。インストルメンタル演奏ならば、クリフォード・ブラウンの『ウィズ・ストリングス』(1955)ヴァージョンもあるじゃないか。

 

 

アルバム『Gling-Gló』収録のビョーク・ヴァージョンはこれ。これにかんしては、書いたようにビリー・ホリデイやエラ・フィッツジェラルドらの名唱があるので、それらとビョークの歌を比較することはできない。がまあしかしビョークだって悪くないと僕は思うよ。やっぱりこの人のヴォーカルはちょっとシアトリカルな感じになるんだな。歌いながらところどころしゃべるようになったり、叫んだり、声を変えたりなど。伴奏のピアノ・トリオのことは言わなくても大丈夫だろう。

 

 

 

ストレートに分るのはこれら二曲だけ。だがアルバム『Gling-Gló』には、アメリカン・ソングを歌詞だけ(たぶん)アイスランド語に置き換えて歌っているものがかなりある。まず九曲目の「Það Sést Ekki Sætari Mey」。これはアーヴィング・バーリンの「ユー・キャント・ゲット・ア・マン・ウィズ・ア・ガン」 のアイスランド語?ヴァージョンだ。オリジナルはブロードウェイ・ミュージカルの『アニーよ銃をとれ』。録音作品ではこの1950年の映画化ヴァージョンが最も早い。

 

 

 

アルバム『Gling-Gló』収録のビョーク・ヴァージョンはこれ。歌っているメロディが完璧に同じなので「ユー・キャント・ゲット・ア・マン・ウィズ・ア・ガン」であるのは間違いないよなあ。これにはベーシスト(Þórður Högnason)とドラマーが参加せず、ピアノ一台だけでの伴奏で歌っている。やはりときおり強く声を張るビョーク。こういうヴォーカル・スタイルはメジャー・デビュー後のエレクトロ・ポップでも変わっていない。

 

 

 

またアルバム13曲目の「Í Dansi Með Þér」。これは英語園では「スウェイ」という曲題で知られているラテン・ナンバーで、元は1953年のメキシカン・ソング「キエン・セラ?」。最初インストルメンタル・ナンバーだったとの情報も読むが、僕は歌入りヴァージョンしか聴いたことがない。例えばこういうの。

 

 

 

この歌を有名にしたのは北米合衆国のディーン・マーティン。歌詞も(当然のように)英語になって、その際に曲題も「スウェイ」になった。北米合衆国のポピュラー・ミュージックに中南米要素が濃いのはいまさら繰返さなくてもいいはず。普段から僕はそれを「アメリカ音楽」と呼べと言っているわけだけど。

 

 

 

アルバム『Gling-Gló』収録のビョーク・ヴァージョンの「キエン・セラ?」(スウェイ)が「Í Dansi Með Þér」になったものはこれ。元がラテン・ナンバーだけあるというアレンジで、ドラマーも印象的なリム・ショットを交えながらラテン風なリズムを叩き、ピアニストも同じく。ピアノ・ソロ部分だけ4/4拍子になってしまうのが、これまたメインストリーム・ジャズに実に多いパターンそのまんま。

 

 

 

10曲目の「Bílavísur」。これも「ザ・ブラックスミス・ブルーズ」というアメリカン・ソングで、1952年にエラ・メイ・モーズが歌ったもの。その後いろんな(ジャズ系)歌手やジャズ演奏家がやっている。以下が初演ヴァージョン。

 

 

 

アルバム『Gling-Gló』収録の「Bílavísur」は、やはりアイスランド語?に歌詞を置き換えていて、こんな感じの完全なるメインストリーム・ジャズ・ソングに仕上がっている。やはり4/4拍子で、インストルメンタル・ソロ部分なんかもごくごく普通のモダン・ジャズだ。特筆すべき出来ではないだろうけれどね。

 

 

 

12曲目の「Ég Veit Ei Hvad Skal Segja」。これもジャジーなアメリカン・ポップ・ソングで、テレサ・ブルーワーが歌った「リコレット・ロマンス」。以下にご紹介する1953年のコーラル録音が初演。僕はあまり趣味じゃないドイツのプログレッシヴ・ロック・バンド、タンジェリン・ドリームに『リコレット』というアルバム(1975年)があったけれど、関係ないんだろう?

 

 

 

これを焼き直したアルバム『Gling-Gló』収録のビョークが歌う「Ég Veit Ei Hvad Skal Segja」はこれ。4/4拍子のストレートなメインストリーム・ジャズだ。ピアノ・イントロも印象的で、ドラマーはブラシ。このアルバムではブラシを使っているものの方が多いのが僕好みなのだ。

 

 

 

さて、ビョークのアルバム『Gling-Gló』にある既存のジャズ・ソングは、ここまで書いた10曲で全部のはずだ。えっ?「ルビー・ベイビー」はジャズ・ソングじゃないって?まあそんな固いこと言わないでよ。同じアメリカン・ポップ・ソングじゃないか。どうしてそんなに排外的なんだよ?少なくとも『Gling-Gló』収録のビョークがやる「ルビー・ベイビー」はジャズ・ヴァージョンに仕上がっているよ。

 

 

それら10曲以外、ってことはアルバム『Gling-Gló』では六曲か、それらはオリジナル・ナンバーのはず。僕は全く聴いたことがないメロディだ。しかしそれら六つもほぼ全てジャズ・ナンバーなんだよね。一曲目のアルバム・タイトル・ナンバー「Gling-Gló」では、まずピアノがベルが鳴るような弾き方をするので、この「Gling-Gló」というアイスランド語?は、ひょっとしたらそれの擬音かもしれない。すぐに4ビートのメインストリーム・ジャズ風になる。

 

 

 

三曲目の「Kata Rokkar」もラテン・ジャズっぽいオリジナル・ソング。上でも書いたが、この手のものはジャズでもなんでも北米合衆国のポピュラー・ソングにはかなり多いので、ラテン風だとかいまさら指摘する必要もない…、と僕たちは思っているのだが、一般的にはやはりブルーノ・ブルムみたいに強調しないといけないのかもなあ。

 

 

 

六曲目の「Ástartöfrar」なんか、どこからどう聴いてもアメリカのティン・パン・アリーのヒット・ソングを、モダン・ジャズのピアノ・トリオ伴奏で女性ジャズ歌手が歌っているものだとしか思えない。がしかしこれもアイスランド人が書いてやるアイスランディック・ジャズなんだよね。歌詞の言葉が違う以外の音楽的差異はゼロじゃないかな。

 

 

 

唯一14曲目の「Börnin Vid Tjörnina」でだけ、ビョークがハーモニカを吹きつつ歌い(多重録音には聴こえない)、ピアノは入らず、三人のバンド・メンは、ベーシスト以外、タンバリンとマラカス(?)に持ち替えている。これはジャズとは呼びにくいフィーリングのもので、アルバム『Gling-Gló』では唯一の例外。

 

 

 

なお最後に。ここまで「オリジナル」曲と書いてきたものは、ひょっとしたらあるいはアイスランドにもっと前から存在する民謡みたいなものに基づいている可能性があるかもしれない。がしかし僕はその世界にかんし知識ゼロなので分らない。だからオリジナルと書いただけ。

2017/05/20

失われたシャアビを求めて

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マルセル・プルーストにあやかってなのかどうなのか、なんだかここ一年ほどの日本では「失われた〜〜を求めて」というタイトルのリリース物が急増中。僕の気のせいかなあ?そんなあるのかないのか分らない流れに乗るわけじゃないのだが、今日の記事タイトルは要するにちょっと格好つけてみただけなのだ。

 

 

としか言わないと、最大のパクリ元を隠すことになってしまうので、参照したページを正直に書いておかないといけない。まあ僕のブログなんて、ボブ・ディランの歌詞並みにパクリだらけだけどさ(ジョニ・ミッチェルはそれを「偽物」と呼ぶけれど、それは違うだろう)。リンクも貼っておく。フランス在住のカストール爺さんのブログにある2012年2月5日付の記事のタイトルが「失われたシャービを求めて」なのだ。この記事は2011年のアイルランド映画『エル・グスト』(El Gusto)にかんする内容で、フランス公開が翌2012年1月10日だったそう。それで同年二月の記事になっているんだろう。

 

 

 

『エス・グスト』という映画は日本では公開されていない。フランス盤 DVD を日本で買うことができたようだが、いまや入手困難だし、フランスの DVD は PAL 形式なので、日本の普通の再生機では観られない。かつて東京時代の僕の自室には、全てのリージョンを観られる、そして NTSC だろうが PAL だろうが関係なく観ることのできる再生機を持っていて、いろいろと楽しんでいたのだが、愛媛に戻ってくる際に処分してしまった。

 

 

だから映画『エル・グスト』の内容も自分では確認できず、いくつかのネット記事を読んで想像するだけ(確か『ラティーナ』誌になにか載ったような載らなかったような)。そのなかで最も詳しく、最も分りやすく書いてあるのが、上掲リンク先のカストール爺さんのブログ記事なのだ。ありがとうございます。感謝します。Twitter でもフォローしています。

 

 

『エル・グスト』。先のカストール爺さんのブログ記事で一瞬で分ってしまうだろうが、シャアビ映画で、しかし映画本編はいまだに観られないなりに、サウンドトラック盤だけは渋谷エル・スールでわりと簡単に買えたので、同店のページでそれを発見し、シャアビなんだなと分った僕は速攻でそれを買った。カストール爺さんの存在も、このエル・スールの商品説明で初めて知ったのだった(「カストル」になってますけど)。

 

 

 

このサウンドトラック盤で中身の音楽だけは聴けて、僕も現在まで楽しんでいる『エル・グスト』。映画がどんな内容で、中身の音楽がどういう意味を帯びたもので、それを演奏する音楽家たちがどういう人たちでどうやって集められたのかなどは、もうこれら全て上掲リンク先のカストール爺さんのブログ記事で分るので、是非ともご一読いただきたい。そうすれば、今日の僕はこれ以上なにも説明することはない。

 

 

そうではあるのだが、まあいちおうちょっとだけ書いておくことにしよう。この(サントラ盤)『エル・グスト』で最も重要なのは、アラブ人とユダヤ人が一緒に協力して演唱しているからこそ、このシャアビというアルジェリアの音楽が真の価値を持つという部分。これは以前、マグレブ地域のアラブ・アンダルース音楽におけるユダヤ人について書いた際に、僕も浅学ながら強調しておいた。

 

 

 

 

『エル・グスト』CD 附属のブックレット末尾に参加演奏者名が一覧になっているのだが、改行なしでズルズル書いてあるし人数がかなり多いので、全部で何名で誰と誰と誰なのかなんてことを確認する気になれない。しかも担当楽器などは一切記載がない。ただ唯一、そのなかに El Hadi EL ANKA という文字が見える。これはあのシャアビの創設者、モハメド・エル・アンカと同名。だが本人であるはずがないので、たぶん息子さんで、現在カスバで活動するシャアビ・ピアニスト、エル・ハジ・ハロのことなんだろう。このエル・ハジ・ハロが、かなりの大人数であるエル・グスト楽団(L’Orchestre El Gusto)のリーダ格らしい。

 

 

そして彼のもと集まって演奏しているシャアビ音楽家のなかには、本当にいろんな人がいるみたいだ(が僕は CD ブックレット記載の人名一覧を見てもよく分らない)。カスバやその他アルジェリア在住の人たちとフランス在住の人たちが混じり、しかもおそらくユダヤ系の演奏家・歌手もいるんじゃないのかな。だって映画『エル・グスト』の監督サフィネーズ・ブースビア(アルジェリアとアイルランドの混血女性)が映画『エル・グスト』で目指したのは、アルジェリア独立戦争(1954-1962)で引き裂かれてしまったシャアビのアラブ人とユダヤ人を再結合させようするものだったからだ。離れ離れになってしまった往年の楽士たちがもう一度集まったら、50年の時を経てもう一度彼らが一緒に演奏できたら…、というのが監督サフィネーズ・ブースビアの目論見だったのだ。

 

 

『エル・グスト』CD ブックレット記載の人名一覧を見ただけでは、そこにユダヤ系がいるのかどうか僕には全然判断できないが、シャアビという音楽のそもそもの成り立ちや、どういう音楽として栄えたのかという歴史・足跡を辿り、いろんな人の証言を得て、ほうぼうに散ってしまった当時の音楽家たちを追跡し、最終的には再結集したエル・グスト楽団がパリの劇場でシャアビ・スタンダード「ヤ・ラーヤ」を演奏し聴衆も踊りまくるというシーンになる映画らしいから、そこに監督サフィネーズ・ブースビアが込めた思いを察するに、やはりユダヤ人が混じっていないとサマにならないだろう。

 

 

ここまでお読みになって、まるであの『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』そのままじゃないかとみなさん思われるはず。実際、映画『エル・グスト』は「アルジェリア版ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」というレッテルが付いたんだそうだ。キューバ音楽映画の方は観ているけれど、アルジェリア音楽映画の方を観ていない僕なのでなにも言うことはできないが、前者はライ・クーダーとヴィム・ヴェンダースが手がけたので世界的に大ヒットして、日本でも上映され、楽団プロジェクトもかなりの知名度になっているけれど、後者の方は日本で公開される気配すらない。エル・グスト楽団なんて日本人は誰も知らない。う〜ん、もったいないことだよなあ。ひょっとしたら『エル・グスト』の方が面白いかもしれないのに。

 

 

CD『エル・グスト』で聴ける音楽は、全13曲が全てトラディショナルなシャアビなので、僕が今日ことさらなにか書かなくてもいいはず。ラスト13曲目はオマケのエピローグで、ピアノ(は間違いなくデジタル・ピアノの音)一台の伴奏で歌われる静かなシャアビ。クライマックスはその前12曲目の「ヤ・ラーヤ」(「Yaraya」表記だが)だ。これが大編成のエル・グスト楽団による演奏で、ダフマーン・エル・ハラシのこの名曲シャアビを基本的に大合唱で歌う。合間合間に入れ替わり立ち替わりの独唱もはさまっているが、楽団全員での合体協力こそがクライマックス「ヤ・ラーヤ」の聴きどころだ。

 

 

 

さて、どこかの配給会社さん、日本で映画『エル・グスト』を公開していただけませんかね?一度公開されれば、愛媛県で上映されなくても(まあ絶対に来るわけない)日本盤 DVD になるんじゃないの?フランス盤 DVD は PAL 形式だから観られないが、観られたとしても、いまやフランス語聴解能力がゼロに近づいている僕には厳しい。日本語か、せめて英語字幕がほしいのだ。どなたか、お願い!アラブ/ユダヤという異文化の混在がつくっていたユートピアを50年後に再創造するという途方もない企てなんだから!

2017/05/19

マイルズとモンク

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あと一歩で MJQ +マイルズ・デイヴィスになることができた1954年12月24日のプレスティジ・セッション。ピアノだけがセロニアス・モンクなので、この夢の組み合わせは叶わなかった。『ソニー・ロリンズ・ウィズ・モダン・ジャズ・カルテット』みたいな名盤もあるんだし、惜しいところだったよなあ。マイルズも音楽性は案外(でもないが)白いところがあるから、MJQ との相性は良かったはずだ。『マイルズ・デイヴィス・ウィズ・モダン・ジャズ・カルテット』みたいな作品を聴いてみたかったような気が、ちょっとだけする。

 

 

1954年12月24日のプレスティジ・レコーディング・セッションでマイルズ+ MJQ が実現しなかったのは、ピアノのジョン・ルイスが、レーベルのオーナー兼プロデューサーのボブ・ワインストックのお気に入りではなかったかららしい(がそれが本当かどうか僕は知らないし、確かめる気もない)。とにかくピアノはジョン・ルイスではなくセロニアス・モンクになって、ヴァイブラフォンとベースとドラムスは MJQ そのままのミルト・ジャクスン、パーシー・ヒース、ケニー・クラーク(が初代 MJQ ドラマー)。

 

 

この日はクリスマス・イヴだったので、俗にマイルズとモンクによるクリスマスの喧嘩セッションなどと言われたりもしたが、ぜ〜んぜん(フィジカルな意味ではもちろん)喧嘩なんかしていない、口論すらしていないというのは、いまでは全員知っているという、こっちも既に定説だ。モンクの発言は読んだことがないのだが、マイルズ本人と、その場にいたミルト・ジャクスンもはっきりと否定している。

 

 

もちろん音楽家本人の証言なんてアテになんかなりはしない。喧嘩していても「やってないよ」と言う可能性はあるが、マイルズとモンクの場合は、肝心の「音」そのものを聴いて、さらにマイルズの音楽キャリアの前後を見渡せば、「絶対に」モンクと喧嘩したとか、好きじゃないとか気に入らないとか、そんなことはありえないというのが分るはず。だいたい、アクースティック・ジャズ時代のマイルズ最大の得意レパートリーの一つがモンクの書いた「ラウンド・ミッドナイト」で、チック・コリアがフェンダー・ローズを弾く電化後の1969年のライヴでもなんども演奏しているもんね。

 

 

その他マイルズのレパートリーにはモンクのオリジナル・コンポジションが複数ある。結構なお気に入りだったようだ。ただ、マイルズが好きだったモンクはあくまで面白い曲を書く作曲家としてであって、いちピアノ演奏家としてはあまり買っていなかったかもしれない。それが1954年のクリスマス・セッションに出てしまっただけのことだ。

 

 

マイルズ本人の言葉を正確に引用すると、モンクの曲である「ベムシャ・スウィング」以外の演奏では「lay out」してくれと言った。もっとしっかりマイルズ自叙伝から引用すると「I had him lay out while I was playing on 'Bags' Groove.’ 」となっている。また「My asking him to lay out had something to do with music, not friendship. He used to tell cats to lay out himself.」とも言っている(「言っている」というのは、あの自叙伝はマイルズが書いたのではなく、本人がしゃべった内容をクインシー・トゥループが文字起こしした)。

 

 

この1954年12月24日のセッションで最初に演奏されたのはミルト・ジャクスンの書いた「バグズ・グルーヴ」だったので、まず「バグズ・グルーヴ」の演奏に際し「lay out」してくれと言い、その後の「スウィング・スプリング」「ザ・マン・アイ・ラヴ」でも同じことを要求したのだろう。「ベムシャ・スウィング」だけはモンクの曲だから、ボスであるとはいえマイルズも遠慮したと。

 

 

この場合の lay out とは外へ置くという意味で、自分が吹いているあいだはモンクには外に置いてあってほしい、したがってモンクにピアノを「弾かないでくれ」という意味になる。意地悪な訳し方をすると「出ていってくれ」とでもなるような lay out だが、あくまでマイルズの場合は、上でも引用したように音楽的な意味でしか言っていない。

 

 

問題はそんないまや誰でも知っている常識なんかのことではない。マイルズはどうして自分のソロのあいだはモンクにピアノを弾かないでくれと指示したのかということだよね。これについてはいままで二説ある。一つは、モンクのピアノはタイム感がちょっぴり後ろにズレて引きずられるような感じで、そんな伴奏だとトランペットを吹く自分まで引っ張られそうになって困るというもの。もう一つは、モンクの弾く和音のヴォイシングがしっくり来なかったと感じたからだというもの。

 

 

この最大の問題点にかんしては、マイルズ本人の証言が上記二種類残っていて、さらにほかの誰の証言もないので、推測するしかないのだが、僕の聴くところ(って、またまたいつも通りの僕自身の極めていい加減なテキトー耳判断になってしまうが)、後者、すなわちマイルズがモンクのコード・ヴォイシングを嫌ったというのは、ちょっと信じがたいような気がする。そもそもマイルズはピアノ(その他鍵盤楽器)みたいな、僕がいつも繰返すように和音的束縛感の強い楽器が大好きで、ガチガチに固めた和音を弾かせて、その上でトランペットを吹くというのがいつものやり方なんだよね。

 

 

モンクの場合、「普通の」コード・ヴォイシングではなく、音をしばしば抜いて省略したり、あまりくわえない音程のものを一つ二つ足したりなどして、ちょっと妙な構成の和音を弾く場合も多い。しかしそれをマイルズが嫌ったのだとは、僕にはちょっと思えない。モンクのあんな和音の使い方なら、かえって空間的自由が生まれるから、吹きやすくなるはずだ。それにあるアメリカ人ジャズ専門ライターさんは、マイルズの水平的メロディ展開とモンクの垂直的和音構成との相性が悪かったなどと書いているが、これには笑ってしまう。

 

 

和音なんて垂直的以外のものがあるのか?五線譜に書けばまさに縦に音符が並ぶのが和音じゃないか。横に並べたらそれは和音じゃないぞ。それにモンクのコード・ヴォイシングは、それでもやはり水平的だと聴こえるような部分があるもんね。西洋クラシック音楽的なカッチリした和音ではなく、横に広げやすいようなトーナリティを暗示している。ってことはだ、マイルズが元から好きな水平的メロディ展開、すなわちその後のモーダルな演奏法に通じるような要素だってあるように僕には聴こえる。それにモンクは、実を言うと和音はあまりたくさん弾かない。誰かのソロの背後でも、シングル・トーン中心で伴奏することが多い。

 

 

だから1954年12月24日のレコーディング・セッションでマイルズがモンクに「lay out」してくれと指示したのは、上でご紹介したもう一つの説、すなわりリズム感の問題だったんじゃないかと僕は考えている。そしてこちらは音源そのものを聴いたらそこそこ納得できるもんね。モンクの弾き方はやはりちょっとタイム感が後ろに微妙に、本当にかすかに微妙なものだが、ズレている。ズルズルと後退していくのではなく(そんな奴はプロにはなれない)、一音一音ごとにほんの一瞬だけ、そのたびに遅れるんだよね。一秒もない程度の本当に極小な差異だが。

 

 

それはこの日にまず演奏された「バグズ・グルーヴ」の二つのテイクを聴いても実感できる。一番手のマイルズのソロのあいだは確かに指示通りモンクは全く弾かないが、二番手である作曲者のヴァイブラフォン・ソロのあいだのモンクのバッキングを聴いてほしい。モンクの弾く伴奏はピシャッと適切なタイミングで入らず、何分音符なんだか分らないようなタイミングで弾かれている。1954年だとミルト・ジャクスンは完璧な演奏家だし自作曲だし(といってのただの12小節の定型ブルーズ)から問題なくやっているが、マイルズはまだそれほどでもない演奏家だったもんね。

 

 

「バグズ・グルーヴ」

 

 

 

 

書いたようにこれは12小節の定型ブルーズだから、マイルズはきっとグルーヴィにやりかったに違いない。そのためには、まあ確かにモンクの弾く和音その他伴奏がブルージーじゃないというのもあったかもしれないが、無にしてしまった方がさらにもっと抽象度が増して、ブルージーさからもっと遠ざかる。なんらかのピアノ和音を配置した方がよかったはずだ。それなのに除外したのは、微妙に後ろにずれるモンクのピアノ伴奏でタイム感が悪くなって、自分のトランペット・ソロまでリズミカルでなくなってグルーヴィさを欠くことになるのを懸念したんじゃないかなあ。

 

 

一言で言えばモンクのピアノ伴奏法は(ごく通常の意味で)スウィンギーじゃないのだ。翌年あたりにファースト・レギュラー・クインテットをマイルズが結成する際に起用したピアニストはレッド・ガーランドみたいな人物だもんね。

 

 

しかしこう書くと、全くブルーズじゃない他の曲の演奏でも、この1954年12月24日では、やはりマイルズはソロの伴奏をモンクにやらせていないのが不思議じゃないかということになるよねえ。でも「バグズ・グルーヴ」の二つのテイクと違って、例えば「ザ・マン・アイ・ラヴ」の二つのテイクでは、テーマ吹奏のあいだもモンクにしっかり伴奏させている。

 

 

「ザ・マン・アイ・ラヴ」

 

 

 

 

さらにこのビリー・ホリデイの1939年ヴォキャリオン( コロンビア)録音そっくりにマイルズが吹くラヴ・バラードでは、マイルズはほぼ全くアド・リブ・ソロを吹いていない。ソロを弾くのはミルト・ジャクスンとモンクだけで、ボスは最初と最後にテーマ・メロディをちょっとフェイクしながら(つまりビリー・ホリデイみたいに)吹くだけなんだよね。二つのテイクともモンクのソロのあと、あのアップ・ビート部分でほんのちょっとだけソロであるかのようなものを吹くが、しかし30秒もなく、しかもその30秒未満のトランペット・ソロ?のあいだ、モンクはちゃんとピアノ伴奏をしているもんね。

 

 

それだけだったら…、とおっしゃるなかれ。マイルズがチャーミングでキュートなラヴ・バラードを演奏する際には、その美しいテーマ・メロディをいかに吹くかという部分にこそに最重点が置かれていたのだから。その背後でモンクにしっかりピアノを弾かせているんだよね。

 

 

なおマイルズとモンクの共演は、スタジオではこのクリスマス・セッションだけだが、ライヴでは例の1955年7月17日、ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルで共演していて、「ハッケンサック」「ラウンド・ミッドナイト」「ナウズ・ザ・タイム」の三曲を一緒にやっている。三つともマイルズがソロを吹くバックで、モンクがしっかりピアノ伴奏しているよ。

2017/05/18

打ちひしがれて 〜 ベシーの寂しさと悲しみ

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(ロスト・ラヴ・モードの文章は今日で終りです。今日までお目障りだったでしょうが、明日からまた読んでください。)

 

 

失恋歌ばっかり(でもないが、本当は、でも多いのは確か)なベシー・スミスの歌うブルーズを聴いている。失恋モードでいままで書いたものは、全部男性の歌手・音楽家だから、なにもせずともそのまま僕自身の立場に沿って気持に寄り添ってくれて、ベシーは女性歌手だから、いったん性別変更を頭のなかでやらないとダメか?というと、僕の場合そんなこともない。

 

 

女性歌手ベシーの歌う失恋歌・傷心歌が、男性である僕の心にそのままスッと入ってくるよ。僕だけじゃないはずだ。女性リスナーだって、男性歌手の歌う(失恋でもなんでも)恋愛ソングを聴き、それがそのまま沁みてくるということがあるんじゃないかなあ。僕は女性じゃないので確信は持てないというか気持は分らないけれど、たぶんそうだと思う。

 

 

それが音楽に限らず芸能表現の普遍性というものだからだ。だからあんまり歌詞のなかの恋愛対象の性別変更をやりすぎないで、というのは前々から僕は繰返しているので、このことについては今日はもうこれ以上書かないでおく。とにかくいまの時間はベシー・スミスの歌う失恋歌を聴き、それで僕は自分のことを歌ってくれているなと感じて、シンミリしちゃっているのだ。

 

 

いまの時間は iTunes で音源だけ聴いていて、だから歌っているのがベシーであることしか分らず、伴奏者や録音年月日などは考えていない。いまはそれで充分なのだ。ただ単に僕はベシーの失恋歌を聴きたいだけだからね。それで落込んでいる気持を少しでも自分で慰めたいだけであって、音楽的になにか客観的なことを書こうという腹づもりなんかサラサラない。

 

 

あ、僕の iTunes は AirPlay でアンプに無線でつながっていて、したがって MacBook Pro の内蔵スピーカーではなくオーディオ装置のスピーカーから音が出る。本当は有線ケーブルでつなぐ方が手続きも簡単だし、その他いろいろといいんだけど、ノートブック信者の僕は部屋中持ち歩くので、なにかケーブル類がひっついているのがダメなのだ。見た目の生理的美意識としてもダメ。できうれば充電すらも無線でできる技術を早く開発してもらいたい。それが実現すれば、本当に100%コード・レス Mac ライフが送れる。

 

 

そんなわけで、いまは CD 附属のブックレットを見る気すらないので、本当に音源だけ聴いているのみ。僕の持つベシーのコンプリート集は iTunes では一個のプレイリストにしてあるので、全部で154曲と見れば分る。が、CD を手に取っていないので、この曲が何枚目の何曲目かは確認できない、というかする気がない、いまはね」。全集プレイリストの全体の何曲目かを書いても意味が薄いので、今日は曲題だけ書くことにする。

 

 

まずベシーの生涯初録音である「ダウン・ハーティッド・ブルーズ」。これがアルバータ・ハンターのレパートリーで、ベシーが録音する前年にアルバータの歌うレコードが出ていて、ベシーはそれを聴いて感動し自分でも歌ったのだという事実は以前書いた(のを僕は憶えている)。ピアノ一台の伴奏だけど、クラレンス・ウィリアムズだっけなあ?

 

 

ただベシーの歌う「ダウン・ハーティッド・ブルーズ」だけでなく、他のトーチ・ソングもそうなんだけど、ひどく深刻にガックリと落込むような深刻さはヴォーカルにない。泣いていたり悲しんでいたりするようなフィーリングは「直接的には」聴きとれない。ゼロだと言ってしまいたい。このあたりが、例えば先週書いたフランク・シナトラの歌うトーチ・ソング・スタイルとの大きな違いだ。

 

 

これはアメリカン・ヴォーカルの歴史を考えると(あれっ?オカシイな、そんなことは今日は考えないってさっき言ったはずなのに、なぜこうなる?)結構重要で大きなことなんじゃないかと僕は思うのだ。単にベシーとシナトラという「個人の」スタイルの問題ではなく、歴史的変遷みたいな部分にかかわってきそう。

 

 

これは以前ベシーについて書いた際、油井正一さんの『生きているジャズ史』での記述を引用した際にも言及したことだ。確か油井さんは(いまはその本を読み直すのも嫌だ、だいたい部屋のなかが真っ暗だし)ベシーの場合、それは「古典的歌唱法」というもので、これをもっと分りやすく、というか親しみやすく、まるですぐそばでおしゃべりでもしているかのような歌唱法が主流になるまでに変えた、その歴史的第一号がルイ・アームストロングだったのだと書いていたように記憶している(が、マジで確認しないので、正確には間違っているかも)。

 

 

確か油井さんはその際に、サッチモはヴォーカル表現のなかに器楽的なものを持込んで変えたのだとか、そんなことも書いていたよなあ。それによって感情表現が聴き手にそのままストレートに伝わりやすい歌唱法を確立して、表現力の幅が広く豊かなやり方だったので、その後のアメリカン・ヴォーカリスト(油井さんは「ジャズ」・ヴォーカリトとしか書いていないはずだが、「アメリカン」と言って差し支えない)は、ほぼ全員がそのスタイルの歌唱法になったのだと。

 

 

これを踏まえると、先週書いたフランク・シナトラのあんな感じのトーチ・ソングの歌い方 〜 完全にフラれちゃって僕はこんなに泣いています、落込んでいるのです、どなたか僕に救いの手を差し伸べてください、どなたか女性の方、僕にちょっと優しくしてください 〜 こんながモロそのまんま出ているような歌い方も、やはりサッチモ以来の伝統に連なっているんだよなあ。サッチモとシナトラって時代もかなり重なっているが、共演録音ってあったっけ?

 

 

いまの僕にはそんなシナトラみたいな、というかサッチモが確立したような歌い方の方がピッタリ来るというのは疑えない。間違いない。ベシー・スミスが歌うトーチ・ソングを聴いても、そんな感情にストレートには届かない、少なくとも届きにくいのだ。大のベシー愛好家である僕ですらこうなんだから、強い思い入れのないみなさんがベシーを、そして同時代の女性ブルーズ歌手を、苦手だと言って遠ざけるのは当然なのか?(あ、なんか、みなさんのお気持がちょっぴり分ったようなそうでもないような…)。

 

 

ただし、ここからが僕という熱烈なベシー愛好家である人間の世界になってしまうのだが、ベシーのそんなストレートな感情表現をやらない古典的歌唱法が、ときには身に沁みて聴こえてきて、(サッチモ以後の)シナトラみたいな歌手のやるトーチ・ソングよりも、一層胸を打つという場合があるのだ。これは単に僕がベシー大好きなだけだからか?油井さんが心配しているような、英語の歌詞内容理解に、僕の場合、大きな問題がないせいなのか?

 

 

どうもそういうことだけじゃないような気が、いまさっきから深夜の暗い部屋のなかでベシーのコンプリート集を聴いていると、するんだなあ。じゃあなんなの?と突っ込まれると上手く説明できないはずだから困ってしまうのだが、なんというか、ベシーみたいなああいう発声と歌い方の人間のやる失恋歌には、声に(男性だったらマチスモ的で片付けられるが、女性の場合どう言うんだ?)自信と確信が満ち溢れているがゆえに、かえって一層、悲しみ・苦しみが強くなっているように聴こえる。僕だけ?ブルーズ = 憂鬱・苦悶の表現の、ある意味、最高の極致に聴こえるのだ。僕だけだろうか?

 

 

悲しい・苦しい・泣きたい 〜 そんなフィーリングをそっくりそのままのかたちで表現して聴き手に共感してもらうのは(例えば、美空ひばりの「悲しい酒」のように)わりとたやすいんじゃないかな?たやすいなどと言うと怒られるので言い換えないといけないが、感情表現の様式としてはシンプルでストレートで伝わりやすい。だからだいたいみんなこれでやる。その方がウケるもんね。レコードが売れる。

 

 

ベシー(たち)はその正反対だ。ボロ泣きしたいような悲しい内容の失恋・傷心の歌を、悲しげ・苦しげには「絶対に」歌わない。言うまでもなく、ひばりみたいにステージ上で実際に目から涙をこぼしながらなんて、絶対にありえないやり方なのがベシーだ。その代わり堂々とした声と歌い方で、表面的にはあたかも感情がこもっていないかのような歌なんだけど、そこにとてつもなく深く刻まれた心の闇が表現されているように響く。

 

 

今日もやっぱり文章に客観性がなく、ベシーの歌う具体的な曲や歌い方の話なんか全くせず、もっぱら抽象的な考え方・書き方しかしていないね。

 

 

でも、僕にとってのベシー・スミスとは、そんなヴォーカリストなんだ。だから僕は僕のなかでだけ、ベシーを No, 1 アメリカン・フィーメイル・シンガーに位置付けている。

2017/05/17

いっそ目が見えなくなればいい 〜 スペンサー・ウィギンズ

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今年のつい先月だったか先々月だったか、来日公演まで実現してしまったスペンサー・ウィギンズ。まさかそんな日が来るなんてね。それで、この曲を歌ったのかどうか知らないけれど、僕の一番好きな「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」。この曲のフェイム録音(1970)こそ、スペンサー・ウィギンズの歌ったもののなかでは一番好きで、いまの僕の気分に100%ピッタリ寄り添ってくれている、なんてもんじゃなく、歌詞内容なんかそのまんま完璧におんなじゃないか…。

 

 

やはりまずご紹介しておこう。初演は女性歌手エタ・ジェイムズである曲「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」の、スペンサー・ウィギンズによる1970年フェイム録音の方だけを。

 

 

 

しかしそれにしてもこの歌は、自分の恋人が他の男とイチャイチャしているのを目撃してしまい激しいショックを受け、「もうなにかが終ったのだと分ってしまった」「君があの男と仲良く話をしているのを、一緒に歩いているのを見て、分ってしまった」「そんな光景を見ちゃくちゃいけないのなら、君が僕のもとから去っていくのを目にするくらいであれば、僕はいっそ目が見えなくなりたい、そんなの見たくないんだから」「君のあの暖かいキスや暖かい抱擁を思い出して、涙が出るだけだ」「うん、そう、もう僕はいっそのこと盲目になればいいと思うんだよね」〜 こんな内容なのに(なんといまの僕にピッタリすぎることか!僕の心を覗いているのか?!)、スペンサー・ウィギンズの歌い方には、切々たる女々しさみたいなものが感じられない。

 

 

強く声を張ってシャウトしているじゃないか、スペンサー・ウィギンズは。あの歌い出し「Something told me it was over / When I saw you and him talking」部分でのあの張りと伸びのある声!悲しみや苦しみや身悶えするようなものが感じられず、むしろ自信に満ち溢れているかのようなものじゃないか。そこいくと、初演のエタ・ジェイムズの歌い方は、やはり男が去っていく女の悲しみを切々としみじみと歌っていて、どっちかというとエタ・ヴァージョンの方が歌詞内容はそのまま表現できている。

 

 

がしかし、これはある意味、逆だ。スペンサー・ウィギンズのあの張りのある強い声でのシャウトで、いっそ目が見えなればいいんだなんていう女々しい感情を歌うからこそ、かえってそれが僕のなかにより一層強く響いてくる。いまの僕には…、という意味では必ずしもない部分もある。なぜなら僕は1990年代末頃にこのスペンサー・ウィギンズの「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」を初めて聴いた、その一瞬で降参してしまったもんね。強く激しく感動した。

 

 

まだ未 CD 化だったのに、7インチ・シングルしか存在しない時代だったのに、どうして当時の僕が聴けたのかについては、以下のリンク先に詳しく書いてあるので、ご一読いただきたい。その後、Fame という言葉を見ただけでビンビン感じるようになってしまい、CD リイシューされれば、全部、即買いするようになってしまったのは、なにもかもすべてこのスペンサー・ウィギンズの一曲のせいだ。

 

 

 

そんなに激しく感動したのには、一つはやはりスペンサー・ウィギンズのあの声と歌い方がものすごいというのが最大の理由だけど、もう一つ、これまた僕の私生活、人生が関係しているというのもあるなあ。僕は実に「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」みたいなことばっかり続いている人生を送っていて、好きになったりいい関係になったり結婚したりする女性は、「100%必ず全員」、最終的には僕のもとを去っていく。恋愛関係についてはそんなことばかりの人生なのだ。理由はもちろん僕の側にある。音楽にしか興味がないからだ。時間もお金も100%音楽にしか使わない人間だからだ。女性への思いやりなんかない男なのだ。

 

 

そんなヤツ、女を好きになっちゃいかんだろう。でもそれでも、音楽のことしか頭にない人間であっても、それでもやはり現実の女性を好きになってしまうことがあるのは、本当にどうしてなんだろう?自分でも全く理解できない。単なるスケべ心なのか?好きになったらなったでなにかするのかというとやはりなにもせず、自分は自分の部屋で音楽を聴きまくるだけなのに。だから女性の側から僕のことを好きになった場合も、全員呆れて去っていく。バカだよなあ、僕って。

 

 

そんなことばかりの人生で、こと音楽ライフにかんしては、たぶんそこらへんの普通の音楽リスナーよりはちょっとだけ充実した人生を送ってきているつもりの僕だけど、異性関係については全くダメなのだ。曲「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」みたいなことを、ついこないだも実体験したけれど、そのずっと前からほぼ同じことの繰返し人生なので、それで1990年代末にスペンサー・ウィギンズの「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」に強く共感・感動し、こりゃまさに僕のことを歌っているじゃないかと思ったという、そんな部分もあるなあ。

 

 

エタ・ジェイムズのヴァージョンはそれまで聴いていなかったのか?と思われそうだから正直に書いておくが、全く聴いたことがなく、そもそも「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」という曲がこの世に存在することすら知らなかった。エタ・ジェイムズの存在もたぶん知らなかったな。スペンサー・ウィギンズの「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」で大感動して、それで CD ショップの棚を漁っていると『テル・ママ』があって、あっ、「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」があるぞ!となって、それで買って聴いて初めてエタも知ったんだったと思う。

 

 

だから僕にとっての「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」にエタ・ジェイムズのイメージはない。100%スペンサー・ウィギンズの歌だ。この曲を録音した1970年のフェイム・スタジオというと、いわゆる俗称フェイム・ギャングがハウス・バンドだった新時代。しかしこのことも以前書いたので、以下をご参照あれ。いや、参照なんかしなくても、ソウル・ファンには常識だ。

 

 

 

こういうわけで同じマスル・ショールズの同じフェイム・スタジオ録音だといっても、1960年代までのものとはちょっと事情と中身が違うんだよね。パーシー・スレッジとかウィルスン・ピケットとかアリーサ・フランクリンなどと、キャンディ・ステイトンやスペンサー・ウィギンズはちょっと違うんだ。それでもいまの僕にとって、そんなことは重要じゃない。

 

 

重要なのは「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」という曲そのものと、それを、こんな女々しい歌詞内容の歌を、マチスモ的発声と歌唱法でシャウトするように歌うスペンサー・ウィギンズのヴォーカルが、いまの僕の気分にはもってこいのものだっていう、それで泣きに泣いてカタルシスを得ようとしているっていう、ここだけ。そこだけが重要なのだ。楽器伴奏のメンツがどうで、あの印象的なエレキ・ギターやオルガンは誰なのか?って、確かに興味があるけれど、いまはそれを知っても気分は満たされないし、実際分らないみたいだ。

 

 

だってスペンサー・ウィギンズの1970年フェイム録音の「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」が初めて正式収録された CD である英 KENT の『フィード・ザ・フレイム:ザ・フェイム・アンド・XL ・レコーディングズ』では、附属ブックレットのどこにも演奏ミュージシャンの記載がないもん。ネットで調べりゃ分るのか?いまはやめとこう。

 

 

とりあえずいまの時間は、KENT 盤スペンサー・ウィギンズの『フィード・ザ・フレイム:ザ・フェイム・アンド・XL ・レコーディングズ』を iTunes にインポートしてあるプレイリストで、「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」一曲だけを自動リピート設定にして(こんなことが実に簡単なんですよ、パソコンの音楽再生アプリって)、ひたすらこの一曲だけを、もう一時間以上は本当にこればっかり聴いているかなあ?そうやって聴いていると「いっそのこと目が見えなくなりたい」なんていう気持が少しずつ癒されて、だんだんと徐々に薄れていくようないかないような…。

 

 

(スペンサー・ウィギンズの KENT 盤『フィード・ザ・フレイム:ザ・フェイム・アンド・XL ・レコーディングズ』全体にかんしては、しばらく経って気持が落ち着いたらまた聴きなおして、改めてちゃんとした文章にします。)

2017/05/16

浮かれ気分はもう終わり 〜 スライ『暴動』

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(あんなに暗くて重いファンク・ミュージックはしんどいんだから書かないみたいな意味のことを以前言いましたが…。)

 

 

当初は『Africa Talks To You』(は A面にある収録曲名でもある)というアルバム・タイトルを予定していたらしいのだが、結果的に『There's A Riot Goin' On』という名前でリリースされたのは、ある意味、マーヴィン・ゲイの『What's Going On』への返歌のようにも見えるスライ&ザ・ファミリー・ストーンの邦題『暴動』。同じ1971年だけど、マーヴィンのは5月21日に発売されていて、スライのは11月20日だ。スライ(とエピック)がいつごろ発売計画を練ったのか分らないが、意識はしたんじゃないかなあ。

 

 

スライ『暴動』のタイトル・トラック(A面ラストの6トラック目)は無音の0秒だしなあ。CD だと 0.04 と表示されるんだけど、こりゃ0秒でしょ。完全無音だしね。だからこういうタイトルの曲かなにかを用意していたとか、アルバム・タイトルがあったわけじゃなく、収録曲名をそのまま持ってきて『アフリカ・トークス・トゥ・ユー』にしようと思っていたところ、五月にマーヴィンの『ワッツ・ゴーイング・オン』が出てしまったので(こっちにはご存知同名の収録曲がある)、それを見聴きしたスライが急遽タイトルを差し替えて、それで A 面ラストに同名の無音トラックも入れただけなんじゃないかな。

 

 

マーヴィン『なにが起きてるんだろう?』⇄ スライ『暴動が起きてます』とかさ。こんなやりとりだったんじゃないのかな。考えすぎ、うがちすぎだろうが、ちょっとは可能性があるかも?こんな無根拠な憶測を書くのはここまでにしておいて、スライの『暴動』。やっぱり当初の計画通り「アフリカ」という言葉が入った収録曲二つこそが目玉であるように僕には聴こえる。A面(実質的)ラストの「アフリカ・トークス・トゥ・ユー」と B 面ラストの「サンキュー・フォー・トーキン・トゥ・ミー・アフリカ」。もうお分りのように、しかもこの二曲のタイトルは呼応している。

 

 

A 面ラストの「アフリカ・トークス・トゥ・ユー ‘ジ・アスファルト・ジャングル’」。これは乾いた質感のポリリズミック・ファンクだ。演奏は全てスライ・ストーンの一人多重録音らしいが、ヴォーカルでだけリトル・シスターが参加している模様。打楽器はやはりスライが使うリズム・ボックス(ドラム・マシン)だけで、アルバム『暴動』ではたくさんリズム・ボックスを鳴らしている。いまではなんの珍しさもないものだけど、1971年当時だとかなり早い例だったんじゃないかなあ。

 

 

 

僕の場合リズム・ボックスは、マイルズ・デイヴィスの1975年来日公演盤『アガルタ』『パンゲア』でエムトゥーメが使っているからそれでまず最初に聴いたものだった。そのエムトゥーメもこういったスライの使用法を聴いてはじめたか、あるいはアルバムを聴いたボス、マイルズが指示したものだったに違いない。でも『暴動』で聴けるようなリズム・ボックスの肉感的なサウンドは、マイルズのアルバムでは聴けない。ずっとあとのプリンスが実現したけれど、それにしてからがスライ直系だもんね。

 

 

曲「アフリカ・トークス・トゥ・ユー ‘ジ・アスファルト・ジャングル’」では、そんなリズム・ボックス・サウンドに乗ってクラヴィネット、ベース、エレキ・ギターなど、全てスライの演奏するものが、書いたようにポリリズミックで複雑に絡み合っている。ヴォーカルはなにを歌っているのか、僕にはあまりよく分らない。というかほぼ意味なんかどうでもいいようなことしか、あ、いや、絶望と悲観しか歌っていない。

 

 

歌詞内容よりも曲題の「アフリカが君に語りかける」という言葉の方が、リズムやサウンドとあいまって非常に重要なんじゃないかなあ。というのは曲「アフリカ・トークス・トゥ・ユー ‘ジ・アスファルト・ジャングル’」のグルーヴ感はアフリカ音楽的だからだ。アメリカ大衆音楽がアフリカ要素を濃く打ち出すようになったのは、あくまで一般的には1960年代のフリー・ジャズ以後だけど、ヘヴィでポリリズミックなアフリカ要素は70年代に入って以後のファンク・ミュージックから出てくるようになっている。曲「アフリカ・トークス・トゥ・ユー ‘ジ・アスファルト・ジャングル’」の歌詞のなかには「アフリカ」という言葉が出ないのに曲題にしたというのは、スライ自身、音楽的意識があったかもしれない。関係ないのかもしれない。単に自分の人種的ルーツを見つめる、それも1970年頃からのアメリカの社会状況下で見つめるというだけの意味だったのかもしれないが、僕としては音楽的な意味をそこに読み取りたい。

 

 

同じアフリカという言葉が使われている B 面ラストの「サンキュー・フォー・トーキン・トゥ・ミー・アフリカ」。これは曲題だけでも推測できるし、音を聴いたら誰でも間違いないと分るけれど、1969年のシングル盤「サンキュー(ファレティンミ・ビー・マイス・エルフ・アギン)」 のリメイク・ヴァージョン。だが音楽的内容は激しく異なっている。

 

 

まず69年シングル盤の方。

 

 

 

次いで『暴動』収録の「サンキュー・フォー・トーキン・トゥ・ミー・アフリカ」を。

 

 

 

同じリフ・モチーフを使っているのは間違いないし、歌詞も少しだけ変えてはいるがほぼ同じであるにもかかわらず、「サンキュー・フォー・トーキン・トゥ・ミー・アフリカ」の方ではテンポがグッと落ちて、かなり重くダウナーなグルーヴ感になり、「サンキュー(ファレティンミ・ビー・マイス・エルフ・アギン)」 で聴けたような多幸感・ウキウキ気分がゼロだ。長年こういうファンクが心の底からは好きだと思えなかったんだけど、僕のいまの気分にはこっちのヘヴィでダークで落ちこんでいる「ありがとう」の方がピッタリなんだよね。心にかなり強く響き沁みてくる。

 

 

この「サンキュー・フォー・トーキン・トゥ・ミー・アフリカ」では、演奏にバンドのファミリー・ストーンが参加しているらしい。じゃああの重たいエレベ・リフはやっぱりラリー・グレアムが弾いているんだろうなあ(スライだという説もあるらしい)。ドラムスの音は確かに生のドラム・セットだ。そして1969年のシングル盤「サンキュー」で聴けたような分厚いホーン・セクションがなく、そしてホーンのあるなしにかかわらずスカスカの骨格だけサウンドだ。

 

 

「サンキュー・フォー・トーキン・トゥ・ミー・アフリカ」でも、歌詞にアフリカという言葉は全く出てこない。それなのに「僕に語りかけてくれて、アフリカ、ありがとう」という曲題になっているのには、僕はやはり音楽的な意味を読み取りたいのだ。あくまで直接的には、上でも書いたように、これを録音した1971年当時のアメリカ黒人がおかれた立場を踏まえて、人種的ルーツを見つめ直したということだろうけれどもさ。

 

 

「サンキュー・フォー・トーキン・トゥ・ミー・アフリカ」にある音楽的アフリカ要素だと僕が感じるのは、一つ、スカスカに組み立てた曲全体のサウンドと、一つ、誰が弾いているのか確信が持てないエレキ・ギターの引っ掻くようなサウンドと、あともう一つ、不気味に不穏に後方に下がって残響的に聴こえる、(歌うのではなく)つぶやくようなヴォーカル・スタイルだ。

 

 

「サンキュー・フォー・トーキン・トゥ・ミー・アフリカ」でのエレキ・ギターのスクラッチング・サウンドは、一本ではないように聴こえるので、複数人が弾いているか多重録音だろう。1969年まではあんなにファットで賑やかに鳴らしていたギター・コード、それは全く弾かず、もっぱらシングル・トーンのみで複数本のエレキ・ギターが、やはり不穏に、やはり複合的に絡み合うのがダークでヘヴィでダウナーでいいなあ、いまの僕には。スライであるだろう、まるで出ない声を振り絞り悲鳴をあげているように聴こえる部分もいい。ファミリー・ストーンのバック・コーラスも決して歌い上げずつぶやくかのよう。

 

 

こういう『暴動』を聴いていると、マイルズ・デイヴィスが翌1972年に録音し発売した『オン・ザ・コーナー』なんかは、まだ全然時代の空気を捉まえていなかったよねとしか思えない。スライとは腹のすわり方が違う。マイルズが時代を捉まえるようになるのは1974年発売盤『ゲット・アップ・ウィズ・イット』の収録曲を録音したあたりからだ。これは以前書いた。

 

 

 

ただマイルズは1981年のカム・バックにあたり、スライの『暴動』をよく聴きなおし咀嚼しなおしたのではないかと思えるフシがある。たぶん隠遁中の時期に自宅でよく聴いていたのでは?と僕は思うのだ。自宅から一歩も出なかったというあの隠遁中のマイルズの心境(を僕が推し量ることなど絶対不可能だが)を考えるに、スライの『暴動』みたいな音楽が一番ピッタリ来ていたんじゃないかなあ。

 

 

純音楽的な意味でも、1981年のマイルズ・カム・バック・バンドにはスライ x『暴動』の痕跡がある。それはあの当時から数年間ライヴでの定番レパートリーにしていた「ジャン・ピエール」のこと。これはスパニッシュ・スケールを使った(曲ではなく)モチーフなので、スライとの直接関係はない。だが、ちょっと聴いてほしい、「ジャン・ピエール」のテーマ・モチーフを。例えば、カム・バック・バンドのこれ。

 

 

 

このモチーフ・リフを、上でご紹介したスライ『暴動』の「アフリカ・トークス・トゥ・ユー」でも「サンキュー・フォー・トーキン・トゥ・ミー・アフリカ」でもどっちでもいいから、ギターの弾くフレーズと聴き比べてほしいのだ。よく似ているよなあ。バンド全体のサウンドも骸骨みたいにスカスカだという部分だって似ている。マイルズはそもそもこういったサウンドは好まない。鍵盤楽器の方を重用するんだから、分厚い和音を鳴らしたい人なのだ。

 

 

それが1981年のカム・バック・バンドではあんなスカスカな音で、しかも当時の重要レパートリーだった「ジャン・ピエール」のモチーフの音列もよく似ているとなると、こりゃどうなるの?1973〜74年あたりのスタジオ録音だけじゃなく、一時隠遁のあいだはもちろん、81年のカム・バックに際してもスライ『暴動』のことが頭にあったんじゃないのかなあ。それはたぶん、いまの僕(を当時のマイルズと一緒くたにすんな)と同じような心境だったから頻繁に聴いていたんじゃないのかなあ。

 

 

スライはそれを1971年にやっちゃったわけだから、その後現在まであんな感じの、ただ生物学的な意味でだけ生きているというような状態になってしまったのも無理はないと、僕は思うのだ。

今日書いたことは、全て僕の個人的妄想で無根拠なものです。

 

 

2017/05/15

恋は叶わぬもの 〜 スワンプ・ロック篇

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(もう立ち直っていますけれど、失恋直後で激しく落ち込んでいたときに、なにもせず寝ず食べず、ひたすらそんな感じの音楽だけ聴きまくった結果、いくつか書けてしまったので。単に心情を吐露しただけの私小説みたいなものが。もったいないので木曜日までそれを出すことにします。一流音楽家みたいにたくさん録音したのに一部しかリリースしないなんていう真似は僕にはできないので。僕にとって「音楽を聴いて書く=生きる」なので。)

 

 

いままでいったい何種類がリリースされているのか把握すらできないデレク&ザ・ドミノズのアルバム『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』。通常の CD 一枚物(LP では二枚組だった)だけじゃなく、二枚組とか三枚組とか、四枚組もあったっけ?そんな拡大盤については、僕はほぼ無視状態(でも二つ持っている)。

 

 

通常の一枚物 CD の『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』だって、僕は三種類も持っているもんね。普段聴くのは SACD だが、日本盤の紙ジャケのと通常のプラスティック・ジャケットのもなぜだか売ることができずに持っているまま。やっぱり好きなんだよなあ。

 

 

しかしこのアルバム『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』のことについて突っ込んで書こうとすると、いまの僕には逆効果なんじゃないかという気がしないでもない。なぜならば、エリック・クラプトンは実を結ばない叶わぬ恋に身を焦がし、激しく身悶えるように歌い演奏しているが、その後しばらくして、結局その相手であるパティ・ボイドを手に入れた。実った・叶ったのだ(現在は別れているみたい)。

 

 

だからアルバム『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』リリース後の<事実関係>のことは考慮に入れず、このアルバムで聴ける叶わぬ恋の歌と演奏の内容にだけひたすら耳を傾けて、ちょっとなにか書いてみようと思う。それでこの全14曲の一枚物 CD から、僕は8曲をセレクトした。「アイ・ルックト・アウェイ」「ベル・ボトム・ブルーズ」「ノーバディ・ノーズ・ユー・ウェン・ユア・ダウン・アンド・アウト」「テル・ザ・トゥルース」「ワイ・ダズ・ラヴ・ガット・トゥ・ビー・ソー・サッド?」「ハヴ・ユー・エヴァー・ラヴド・ア・ウーマン」「イッツ・トゥー・レイト」「ソーン・トゥリー・イン・ザ・ガーデン」。これらにくわえ、中間部のピアノ・インタールード以後のインストルメンタル演奏部分だけであれば「レイラ」も入れたいのだが。

 

 

これら八曲のうち僕にとって最も馴染深いのは、アルバム全体の四曲目(LP では一枚目 A 面ラストだったが、この種のことは以下では省略)にあたる「ノーバディ・ノーズ・ユー」だ。こりゃもうみなさんお分りのはず。だってこの曲は1923年にジミー・コックスが書いた古いブルーズ・ソングで、ベシー・スミスが歌って有名になったものだからだ。

 

 

ベシーだけじゃなく、あの1920〜30年代の都会派女性ブルーズ歌手たちのお得意レパートリーになったのが「ノーバディ・ノーズ・ユー」。アルバータ・ハンターも1980年の復帰盤『アムトラック・ブルーズ』で歌った。しかしあんな内容の歌であるにもかかわらず、曲は1923年に書かれたものなんだよね。まだ大恐慌前のバカ騒ぎ時代だ。大金持ちだった頃は湯水の如く金を使って、密造酒を飲みまくり遊びまくったが、一文無しになったとたんにみんな僕から離れていって誰もいなくなってしまった、金の切れ目が縁の切れ目、みんな、世の中なんてこんなもんなんだぜ 〜 という歌。

 

 

エリック・クラプトンが『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』でやっている「ノーバディ・ノーズ・ユー」はサム・クック・ヴァージョンを参考にしていると一般には言われているのだが、こりゃ本当なのか?サムのと両方聴いても、歌詞内容以外の共通性はかなり薄い。クラプトンのはもっとこうブルージーでシリアスなフィーリングだ。サム・クック説は当たっていないんじゃないかなあ。

 

 

アルバム『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』には「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」があるだろ。これ、ビッグ・ビル・ブルーンジーの曲、というかレパートリーだ。あの世代の UK ブルーズ・ロッカーにビッグ・ビルはかなり大きな影響を与えた。ビッグ・ビルの英国公演の際にクラプトンも、ひょっとしたらビッグ・ビルが「ノーバディ・ノーズ・ユー」を歌うのを聴いたかもしれないよ。ビッグ・ビルがやったかどうか確証ゼロだが、可能性はあるはず。

 

 

(と昨日深夜ツイートしていたら、それをご覧になった椿正雄さんから、1969年にロンドンで公演をやってセンセイションを巻き起こした [と椿さんのおっしゃる]  ホセ・フェリシアーノの、そのロンドン・ライヴ・ヴァージョンの「ノーバディ・ノーズ・ユー」を紹介していただいた。う〜ん、ホセが69年にロンドンでこの曲をやったなんて、全く知らなかった無知な僕…。)

 

 

そう考えれば『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』ヴァージョンの「ノーバディ・ノーズ・ユー」のあんなブルージーなフィーリングも納得しやすいのだ。これにもデュエイン・オールマンが参加してギターを弾いているのだが、この曲にかんしてはいなくてもよかったかも?と僕は思う。

 

 

 

デュエインなしといえば、アルバム一曲目の「アイ・ルックト・アウェイ」。大好きなんだよね、僕は。歌詞内容のことは、う〜んとまあ〜もういいや。そんなことよりも冒頭でクラプトンが弾きだして、すぐにジム・ゴードンのドラムスが入り、タンバリン(はジムの多重録音だろう)がシャカシャカ鳴りはじめた瞬間にすごく良い気分になる。この雰囲気が僕は好きだ。なんとなくのアメリカ南部臭さがあってさ。

 

 

 

この「そこはかとなきアメリカ南部臭さ」ってのが僕にとっては非常に重要なことで、アルバム『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』で一番愛する音楽要素なのだ。言い換えれば LA スワンプ・ロック風味。デレク&ザ・ドミノズのリズム・セクション三人がどういう人たちで、クラプトンはどこでどうして知り合ったのかなんてことは全人類にとって全く説明不要だから。

 

 

LA スワンプ風なアメリカ南部臭さをアルバム『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』に僕が最も強く感じるのが、上であげた計八曲のセレクションだってことなんだよね。じゃあアンタ、「アイ・アム・ユアーズ」とか「エニイデイ」とかをどうして選ばなかったんだ?と言われるに違いないが、そこが完全なる僕だけの個人的趣味嗜好なのだ。趣味の偏った狭量な僕を許して。

 

 

アルバム『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』にある、そんな僕だけの偏向趣味で選んだスワンプ・ロック・ナンバーのうち、クラプトンとデュエインのギターが最も冴えわたっていると思うのが、CD では9曲目の「ワイ・ダズ・ラヴ・ガット・トゥ・ビー・ソー・サッド?」と10曲目の「ハヴ・ユー・エヴァー・ラヴド・ア・ウーマン」。前者はオリジナル曲だが、後者はブルーズ・スタンダードで、クラプトン自身もっと前からやっている。

 

 

 

 

この二曲は歌詞内容も、曲「レイラ」と並んで、アルバム中、最も激しく身悶えするような内容で、叶わぬ恋、届かぬ想いが激情となってほとばしっている。その歌詞のことをあまり詳しく書いて考え込むのはもう嫌なので、それよりもむしろクラプトン、デュエイン二名のソロの弾き方、オブリガートの入れ方などギター・ワークにこそ、そんな激情をいまの僕は聴きとりたい。そして実際二人ともすごくエモーショナルに弾きまくっているのがイイネ。

 

 

CD アルバムでは全体の12曲目「イッツ・トゥー・レイト」も自作ではなく、チャック・ウィリス・ナンバーのカヴァー。チャック・ウィリスのオリジナルは三連のリズム&ブルーズ楽曲で、米ルイジアナ風イナタい感じのポップ・ソングだ。それをクラプトンはやはり LA スワンプのゴスペル風味をプラスし、オリジナルにあったイナタいポップさは消して、三連はそのままだが、アーシーなフィーリングのロック・ソングに仕立て上げているのが見事。アルバム『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』中、ひょっとしてこの「イッツ・トゥー・レイト」が一番出来がいいんじゃないかなあ。この曲もこりゃまた歌詞内容が…(以下略)。

 

 

 

アルバムではこれの次があまりにも有名すぎるスーパー・スタンダードになった曲「レイラ」だが、まあ確かにいい曲だよなあ。私小説(は大嫌いな僕だけど、田山花袋とかさ、どこかいいの?幻想力が発揮されたものが好きだ、僕は)ならぬ<私音楽>だ。曲を書いて演唱する人間の個人的想いが、音楽的普遍性・客観性を帯びるまでに高度に昇華されている傑作。だけどさ、最初にも書いたがこんなことを歌った本人は、結局のところその対象の女性を獲得できちゃったわけだから、その後までもライヴで歌うってのはどうなの?うんまあ、それが芸能者の表現性ってものだろうけれどもね。書いたように中間部のピアノ・インタールードが入って、キーもテンポも曲想もなにもかも(晴れやかに)ガラリと全部チェンジして以後のインストルメンタル部分は、いまでもかなり好きだ。その部分では、クラプトンの方はアクースティック・ギターも弾いているのがいいアクセントだ。

 

 

 

アルバム『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』では、この「レイラ」がクライマックスだということに異議を唱える人間などいない。それが終ると、一種のエピローグ(厳密な意味ではちょっと違うかも)みたいに短く「ソーン・トゥリー・イン・ザ・ガーデン」が鳴る。これが実にいい。曲「レイラ」よりいい。フル・アクースティック・サウンドも実にシンミリと沁みてくる。そして歌詞内容もね。

 

2017/05/14

ライオネル・ハンプトンのヴィクター・セッション名演選

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前々から繰返すように、1930年代後半というスウィング・ジャズ全盛期のスモール・コンボ録音では、テディ・ウィルスンのブランズウィック・セッションとライオネル・ハンプトンのヴィクター・セッションが二大名演集。これにくわえ以前書いたように、同じ頃に渡仏したアメリカ黒人ジャズ・メンがフランスのジャンゴ・ラインハルトと一緒に繰拡げた録音集も素晴らしい。これら三種類こそ、いろんなジャズのなかで僕の最も愛するもの。そしてジャンゴのものについては、僕なりに以前そこそこ詳しく書いたつもりだ。

 

 

 

テディ・ウィルスンのブランズウィック録音集についても以前一度書いたのだが、それはいま読むとちょっとどうしようもない文章でしかないというか、僕の個人的思い出話だけが書いてあって、音楽的にどこがどう面白いかなどは全く説明していないので、これは改めてちゃんとしたものを書く腹づもりでいる。

 

 

 

今日はライオネル・ハンプトンのヴィクター・セッションについて話をしたい。ハンプのヴィクターへのスモール・コンボ録音は1937年2月8日から41年4月8日まで。別テイクなども含めると全部で107トラック、再生時間にして計5時間21分。これをリイシュー専門レーベルのモザイクが CD 五枚組のボックス・セットにしてコンプリート・リイシューしたのが2007年のこと。僕はもちろん問答無用で即買い。

 

 

アナログ・レコードでは一枚物のセレクションが日本盤で出ていて、大学生の頃からそれをずっと聴いていたが、タイトルは忘れてしまった(が、音源を聴くと、あっ、これは憶えているぞ”!というものがたくさんある)し、ネットで検索しても出てこないので、どんな曲が収録されていたのか、もはや分らない。確か「RCA なんちゃらかんちゃら」とかそんなシリーズ名でたくさんあった。デューク・エリントン楽団のヴィクター録音アンソロジーなどもあった。エリントンの方は擦り切れるほど聴いたので、いまでも収録曲だって憶えている。そのほか本当にたくさんあったなあ、RCA のなんちゃらかんちゃら。

 

 

だがいま書いたように音の記憶があるので、モザイクがリイシューした五枚組『ザ・コンプリート・ライオネル・ハンプトン・ヴィクター・セッションズ 1937-1941』五時間超を通して聴きながら思い出しつつ、そこに、これは憶えていないが面白いというものもくわえて、全部で27曲のセレクション・プレイリストを自分で作った。1時間25分。この程度なら楽に聴けるはず。CD にすれば二枚組で収まるので、どこかリイシューしてくれませんかね?このプレイリスト?といっても、これも同時期のコンボ録音だけど、名義がハンプではなく、当時所属していたベニー・グッドマン・セクステットのものを一曲だけ入れた。それはヴィクターではなくコロンビア原盤だから、まあちょっとあれかもなあ。


 

 

以下、そのプレイリスト一覧。(基本的に)録音順。


 

 

1. Buzzin' Around with the Bee

 

2. Hampton Stomp

 

3. On the Sunny Side of the Street

 

4. I Know That You Know

 

5. I’m Confessin' (That I Love You)

 

6. I Surrender, Dear

 

7. After You've Gone

 

8. You're My Ideal

 

9. Ring Dem Bells

 

10. Don't Be That Way

 

11. Shoe Shiner's Drag

 

12. Muskrat Ramble

 

13. High Society

 

14. It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)

 

15. Sweethearts On Parade

 

16. Memories Of You

 

17. The Jumpin' Jive

 

18. Twelfth Street Rag

 

19. I’ve Found A New Baby

 

20. Dinah

 

21. Singin' The Blues

 

22. Shades Of Jade

 

23. Flyin' Home

 

24. Tempo And Swing

 

25. The Sheik Of Araby

 

26. Dough-Ra-Me

 

27. Jivin' With Jarvis


 

 

僕の作ったこのセレクション・プレイリスト、録音順なら本当はまず「ストンプ」(aka「ハンプトン・ストンプ」)が来ないといけない。それは1937年2月8日のヴィクター初回セッションでの最終録音で、このセッションでのドラマーはジーン・クルーパなんだけど、「ストンプ」でだけハンプがドラム・セットを叩く。猛烈なスウィング感で凄いんだよね。

 

 

 

だがしかし僕のセレクション・プレイリスト一曲目はこれではなく、同1937年4月14日録音の「バジン・ラウンド・ウィズ・ザ・ビー」にしてある。ここだけ順序を入れ替えて「ストンプ」が二曲目。どうしてかというと、「バジン・ラウンド・ウィズ・ザ・ビー」は鮮明な音の記憶があるからだ。大学生時代にレコードで聴いていたはず。RCA なんちゃらかんちゃらの一枚で。オープニングにふさわしい雰囲気だし、大好きだからこうした。トランペット、トロンボーン、アルト・サックスの三管はデューク・エリントン楽団からのクーティ・ウィリアムズ、ローレンス・ブラウン、ジョニー・ホッジズ。躍動的なドラミングは名手コージー・コール。

 

 

 

自分で作ったものなのに27曲全部の話をする余裕はないのでかいつまんで。マイ・セレクション三曲目以下は全て間違いなく録音順だが、その三曲目がお馴染「オン・ザ・サニー・サイド・オヴ・ザ・ストリート」。やはりアルト・サックスのジョニー・ホッジズをフィーチャーし、ハンプ自身が歌う。彼のヴォーカルにはジャイヴィなフィーリングがあっていいよね。これは間違いなくキャブ・キャロウェイではなく、ある意味、師匠格でもあったルイ・アームストロング直系なんだぞ。

 

 

 

マイ・セレクション五曲目・六曲目も、これまたサッチモの得意レパートリー「アイム・コンフェシン(ザット・アイ・ラヴ・ユー)」「アイ・サレンダー・ディア」(1937年8月16日録音)が並ぶ。前者ではハンプのヴォーカルがやはりいい味だなよあ。本当にただシンプルなだけの愛の告白ソングで、それ以外のなにものでもないけれど、僕は大好き。トランペットはジョナ・ジョーンズ。後者はインストルメンタル演奏だけど、前者ではハンプが歌う 〜「愛しているって言っているんだよ、君はどう?」

 

 

 

 

二曲飛ばしてマイ・セレクション九曲目「リング・デム・ベルズ」(1938年1月18日録音)こそ、ハンプのヴィクター・セッション全音源で僕が「本当に」一番好きなもの。これなんかは絶対に間違いないという音の記憶がある。100%疑いなく大学生の頃から RCA 一枚物日本盤レコードで聴いていた。大好きでたまらず、いまでもこれを聴くと小躍りするほどウキウキして楽しい気分。だって猛烈にスウィング、というよりドライヴするもんね。

 

 

 

アルト・サックスがこれまたジョニー・ホッジズ。ハンプの愉快なヴォーカルのあと、ブレイク部分でドライヴィングなフィル・インを入れるドラマーが、同じエリントン楽団のソニー・グリーア。それに続いて出てくるグロウリングなワー・ワー・ミュート・トランペットがやはり同楽団のクーティ・ウィリアムズ。しかしバリトン・サックスはハリー・カーニーではなくエドガー・サンプスン。アレンジもエドガーがやっている。

 

 

問題はマイ・セレクション11曲目の「シュー・シャイナーズ・ドラァグ」(1938年7月21日録音)。いやまあ別に問題ってことはなく、これも音の記憶があるので、普通のスウィング・ジャズとして普通のジャズ・ファンもみんな聴いていたものだが、いま聴きかえすと、ちょっぴりリズム&ブルーズっぽいようなフィーリングがあるよなあ。特にビート感に。う〜ん、1938年録音なんだけどなあ…、と思ってデータ記載を見たら、ドラマーはジョー・ジョーンズ(カウント・ベイシー楽団)じゃないか。

 

 

 

マイ・セレクション14曲目「スウィングしなけりゃ意味ないね」(1939年4月3日録音)も面白いがキリがないので飛ばして、15曲目の「スウィートハーツ・オン・パレード」(39年4月5日録音)。これまた名演としての音の記憶がある。ギタリストをくわえた四人のリズム・セクションとハンプ以外には、テナー・サックスのチュー・ベリーしかいないというシンプルな少人数編成だけど、その、当時キャブ・キャロウェイ楽団在籍中だったチューのテナーが素晴らしいのだ。

 

 

 

キャブのオーケストラって、みんないろいろと面白いことを言うけれど、こういった一流のジャズ名手が揃っていたんだよね。だからそんないろんなことを言わなくたって「普通の」スウィング・ジャズとして問題なく聴けるのだ。実際、僕も周囲もむかしから聴いていた。それもジャズ喫茶のなかですら。まあいいや。

 

 

マイ・セレクション22曲目に入れてある「シェイド・オヴ・ジェイド」(1940年2月26日録音) は、間違いなくむかしから誰も選んでいないもの。だが僕はこういう湿り気のある哀感を帯びた独特の情緒が大好きだからセレクトしてあるだけだ。ただそれだけ。誰が書いたメロディなんだろうなあ?(記載がない)。アレンジャーが誰かも記載がないが、このトランペットはジギー・エルマンだ。

 

 

 

23曲目に入れてある「フライング・ホーム」も同じ1940年2月26日のセッションでの録音なので、オリジナルであるベニー・グッドマン・セクステットの39年10月2日録音でも、ハンプの自楽団結成後42年の名演でもない。だが、ここでもまたやはりやっているということは、やはりハンプ自身、「フライング・ホーム」というこの曲に思い入れがあったんだろうなと思い選んでおいた。

 

 

 

25曲目の「ザ・シーク・オヴ・アラビー」だけがハンプ名義のヴィクター録音ではなく、ベニー・グッドマン・セクステットのコロンビア・セッションで、1940年4月3日録音。だがこれはハンプのヴァイブラフォン名演の一つとして、彼のファンなら以前から好きだった人が多いし、ハンプ名義の名演集に入ることがあるのだ。ギターは当然チャーリー・クリスチャン。ボスのクラリネットだって、まださほど悪くない。

 

 

 

ライオネル・ハンプトンのヴィクター録音からのマイ・セレクションのラスト二曲「ド・レ・ミ」「ジャイヴィン・ウィズ・ジャーヴィス」は1940年7月17日録音で、ソロ・デビュー間もないナット・キング・コールがピアノとヴォーカルで参加している。ギターもオスカー・ムーアでベースもウェズリー・プリンスという、すなわちナット・キング・コール・トリオがそのまま参加。 ハンプの完璧なジャイヴ・ナンバーとして、真面目なジャズ・ファンのみなさんにも是非聴いてもらいたい。

 

 

2017/05/13

これぞ永遠不滅の音楽美 〜 マクピーク・ファミリー

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(北)アイルランドはベルファストの音楽家、マクピーク・ファミリーのアルバム『ワイルド・マウンテン・タイム』。1962年録音だから、彼らの絶頂期にあたるアルバムだ。英国ロンドンのトピック・レコーズからリリースされたのが翌63年。この頃は、特にアメリカにおけるフォーク・リヴァイヴァル運動の真っ最中だったので、やはり注目を浴びたはず。

 

 

マクピーク・ファミリーの『ワイルド・マウンテン・タイム』も、僕はアナログ・レコードでは聴いたことがなく、というかそもそもアイルランドの伝統音楽は CD でしか聴いていない。『ワイルド・マウンテン・タイム』の場合、2009年にトピックが CD リイシューしたのを日本のオフィス・サンビーニャが翌2010年に発売してくれたので、その頃にはマクピーク・ファミリーという名前だけ知っていて音楽を聴いたことのなかった僕は即買い。

 

 

しっかしこれ、ホ〜ント地味だよなあ。アイルランドの伝統音楽やブリティッシュ・トラッドやフォークなんてどれも全部そうだけど、だからポップさも全然ないからといって遠ざけて聴かないでいると、英米の派手なポピュラー・ミュージックのことだって分らない(かもしれない)。

 

 

例えばアメリカ合衆国にはアイルランドからやってきた移民がものすごく多い。特に19世紀半ばから20世紀初頭にかけて文字通り大量に流入した。原因はいくつかあって、アイルランドで発生したジャガイモ飢饉もよく知られている。その他いろんな理由によって、アメリカにアイルランド移民がものすごく多いということになった、この「ものすごい」は誇張なんかじゃない。 一つの統計データによれば、19世紀半ばあたりのアメリカにおける移民のうちではアイルランド系が最も多く、アメリカの当時の移民総人口のなんと約三分の一から半分程度がアイリッシュだったそうだ。

 

 

このアイルランド移民大量流入の影響が及んだのは別に音楽に限った話ではないが、19世紀後半というとアメリカ国内のポピュラー・ミュージックが姿かたちを整えた時代だったので、やはりアイリッシュ・ミュージックの色が非常に濃いわけなのだ。商業録音が開始されて以後は、たぶん1920年代あたりがまず最初のピークで、当時マイクル・コールマンみたいなアイリッシュ・フィドラーが活躍した。第二次ピークが最初に書いた1960年代。マクピーク・ファミリーはまさにその時期におけるアイルランド伝統音楽家最大の存在だったんだろう。

 

 

マクピーク・ファミリーが注目されるようになったのは、1958年にウェールズのアイスティッドファド・フェスティヴァルで初優勝してから。その後60年、62年にも優勝しているから、やはりこのあたりで大きな光が当たるようになっていたはず。といってもマクピーク・ファミリーの場合、アイルランド本国ではなかなか人気が出ず、まず国際的に名が知られるようになったその評価と人気が本国に逆輸入されたそうだ。

 

 

アメリカでもライヴ・ツアーを1965年にやっていて、それは二ヶ月間にもわたるもので、当時のアメリカ人音楽家たち、例えばピート・シーガーも感動して非常に大きな影響を受けることになった。ってことはシーガーの後輩格にあたるボブ・ディランやバーズ、あるいはイギリスのジョン・レノンやヴァン・モリスン、ロッド・スチュワートなどへも大きな影響が及んでいる。実際彼らのなかにはマクピーク・ファミリーのレパートリーをカヴァーした人だっているもんね。アイルランドのチーフタンズなんかは言うにおよばず。

 

 

しかしいま名前を出した米英ロック・ミュージシャンたちの熱心なファンのみなさんが、マクピーク・ファミリーの話なんかしているのにはほぼ全く遭遇しない。2010年にオフィス・サンビーニャが『ワイルド・マウンテン・タイム』を CD リリースした時だってなんの盛り上がりもなかった。みんな〜、音楽的ルーツに対するリスペクトの念なんて、そんなもんなの?自分の大好きな音楽家の重要な養分になっているだけでなく、「直接」カヴァーまでしているって〜のに、どうして関心を示さない?

 

 

マクピーク・ファミリーの1962年『ワイルド・マウンテン・タイム』。こういうアルバム・タイトルだからと思っても「ワイルド・マウンテン・タイム」という曲題のものは収録されていない。しかしこれは曲題が異なっているだけで、アルバム一曲目の「ウィル・イェ・ゴー・ラッシー、ゴー」が同じものなのだ。この曲はまさにフランシス I ・マクピーク本人が採取したフォーク・ソング。このアルバム収録ヴァージョンは YouTube にないけれど、いつやっても似たような感じになるので、以下をご紹介しておく。

 

 

 

なお、同じ曲でこんなのもありましたぜ、ロッド・スチュワート・ファンのみんな!ロック・リスナーのみんな!ちょっと聴いてみて。その他「Wild Mountain Thyme」か「Will Ye Go Lassie, Go」で検索すれば本当にいっぱい出てくるのだ。みんな〜、マジで探してちょっと聴いてみてよ!

 

 

 

どうでもいいような話(でもないような気がするが)、日本語のカナ書きだと同じ「タイム」になってしまうが、 time ではなく thyme なので香草のこと。このタイムというハーブの存在を知ったのは、サイモン&ガーファンクル・ヴァージョンの「スカボロー・フェア」ではなく、僕は料理好きなのでいろんなハーブやスパイスをむかしからよく使う。「スカボロー・フェア」に出てくる「parsley, sage, rosemary, and thyme」も全部、そこいらへんのさほど大きくないスーパーにだって売っているからね。

 

 

僕が料理好きであることは本当にどうでもいいことだが、ハーブの名前であることは音楽的にはどうでもいいようなことではないかもしれないので少し書いた。アイルランドやイギリスの伝統音楽には野に生えるハーブがよく出てきて、重要な題材の一つになっている。フランシス I ・マクピークが採取した「ウィル・イェ・ゴー・ラッシー、ゴー」(ワイルド・マウンテン・タイム」)もその一つなんだよね。

 

 

マクピーク・ファミリーの場合、楽器伴奏は常にイーリアン・パイプ(一本か二本。三本のこともある)とハープ(も二台のことがある)だけ。あとはヴォーカルだけだ。本当にそれだけ。ヴォーカルは独唱だったり合唱だったりするが、合唱の場合でもユニゾンが多く、また楽器伴奏と合わせる時も、イーリアン・パイプとはユニゾンで歌を重ねていることが多い。合唱はたまにクロス・ハーモニーも使うけれど、それもごくシンプルなもの。

 

 

アルバム『ワイルド・マウンテン・タイム』には、全く楽器伴奏なしのヴォーカルだけの曲(九曲目「カレイグ・ダン」)とか、反対にヴォーカルなしのインストルメンタル演奏もある。後者である三曲目の「マクローズ・リール」 は曲題通りトラディショナルなリールなので4/4拍子。アイリッシュ・ミュージックのリールのリズム・スタイルは、ズンズン進むフラットなジャズの4ビートにあまりもソックリだと、僕は以前から指摘している。上で述べたようにアメリカの(ジャズ誕生直前だった)19世紀後半にはアイルランド移民がものすごく多く…。

 

 

ってことはアイルランドの伝統音楽は、ロックと結びつき、ジャズのリズムのルーツでもあることになってしまうが…。ロック・ファンやジャズ・ファンのみなさんはどうして…?ロックの方にかんしては中村とうようさんが仕事をしてくれた(MCA ジェムズ・シリーズの一枚『ロックへの道』)が、ジャズの方にかんしてはまだ僕しか言っていないみたいだが…。

 

 

しかしこんな書き方ばかりしていると、じゃあマクピーク・ファミリーのアルバム『ワイルド・マウンテン・タイム』も、派手な米英ポピュラー・ミュージックのルーツとして聴いてくれみたいな話なのか?そんなものにはあまり興味ないよと言われてしまいそう。そうじゃない。それだけだったら、大勢のみなさんにはただのお勉強だろうから(僕はそのお勉強じたいが楽しくて快感で仕方がないからやめられないんだけど、まあ例外だろう)長続きしないばかりか、そもそも関心を寄せてもらえない可能性が高い。

 

 

そういうルーツ探求のお勉強としてではなく、アルバム『ワイルド・マウンテン・タイム』で聴けるマクピーク・ファミリーの音楽、というか歌がとても美しい、素晴らしすぎる(と中村とうようさんがこのアルバムを繰返しあんまり言うのだとは、とうようさん来店時のエル・スール原田さんの言)ので、だからこそみなさんに聴いてほしいのだ。

 

 

音楽でも真の伝統は古くならない。どこにでもあるような民謡を拾ってきて、(いろんな楽器で)派手に飾らずとも、ただそのままストレートに歌っただけみたいな素朴さ、シンプルさこそが時代を超える「美」を表現するのかもしれない。音楽のこの真実に、僕は長年気がついていなかった。複雑難解な音楽こそが大好きだったのだが、当ブログでも「歌手は歌の容れ物」シリーズで書いているような心境になりつつあるいま、マクピーク・ファミリーのアルバム『ワイルド・マウンテン・タイム』で聴けるような歌こそ、真の意味で美しく輝いている、永久不滅だと、僕は心の底から信じている。

2017/05/12

恋に破れたひとりぼっちの僕のために(2)〜 マイルズ篇

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ジャズ・トランペッター、マイルズ・デイヴィスが吹くラヴ・ソングの場合、普通のバラード、すなわち求愛歌や楽しい恋をとりあげた内容のものが多いけれど、やはりトーチ・ソング(失恋歌)もある。僕に分っている範囲で時期的に二番目に早いもの(一番目は理由があってあとで書く)は1954年6月29日録音の「バット・ナット・フォー・ミー」だ。ジョージ・ガーシュウィンの書いた曲。

 

 

「バット・ナット・フォー・ミー」(僕のためじゃない)は、この曲題だけでトーチ・ソングであることが分ってしまうだろうが、いちおう説明しておくと「みんな恋の歌を書き、天上には星が輝き、でもそれらは僕のためじゃない」「君と恋におちてあんなこと考えるなんて、僕ってバカみたい」「彼女も(なにもかも)僕のためのものなんかじゃない」という歌で、歌詞はアイラ・ガーシュウィンの書いたもの。

 

 

関係ない話になるが横道に入る。ガーシュウィンの書いた曲をまとめて聴きたいなと思った場合、歌詞のあるヴァージョンで歌手が歌うものの話は、これまた理由があってあとでしたいのでインストルメンタル演奏になるけれど、僕がよく聴くのはウディ・アレン映画『マンハッタン』のサウンドトラック盤だ。

 

 

あの『マンハッタン』という1979年の映画。僕はまさにリアルタイムどんぴしゃ世代。全編モノクロだったけれど、タイトル通りニュー・ヨークの中心部を舞台に繰広げられる恋模様の BGM としてガーシュウィンのスコアが効果的に使われていた。そのサウンドトラック盤は、映画で使われたそのままではなく、ズビン・メータが指揮するニュー・ヨーク管弦楽団の演奏が収録されている。

 

 

サントラ盤『マンハッタン』の A 面は有名すぎる「ラプソディ・イン・ブルー」だけど、B 面がガーシュウィン小品集なのだ。いわばティン・パン・アリーのソングライターとしてガーシュウィンが書いたチャーミングな曲ばかり17トラック(のなかにはメドレー形式の複数曲もあるので)が収録されている。ズビン・メータが振るニュー・ヨーク・フィルの演奏なのでジャズではない。クラシックでもなく、イージー・リスニングみたいなものだけど、どれも短く、長いものでも「サムワン・トゥ・ワッチ・オーヴァー・ミー」の3分27秒。ほかは一分もないものばかりがどんどん流れる。「バット・ナット・フォー・ミー」もある。

 

 

サントラ盤『マンハッタン』B 面のガーシュウィン・ソングブックのなかでは、「マイン」と「ラヴ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」の二曲だけがニュー・ヨーク・フィルではなく、少人数編成のジャズ・コンボ演奏だけど、ジャズにすれた僕の耳には、はっきり言って面白くもなんともない。だがムーディではあるので、なかなか悪くない。

 

 

A 面収録のガーシュウィンの代表作「ラプソディ・イン・ブルー」だって、大好きな曲だから僕はいろんなヴァージョンを持っている(当然全てクラシック・コーナーで買った)のだが、サントラ盤『マンハッタン』収録のニュー・ヨーク・フィルの演奏が一番いいと僕は思う。最大の理由はスウィンギーだからだ。サントラ盤『マンハッタン』は CD にもなっている。

 

 

話が逸れた。マイルズ・デイヴィスという音楽家は、僕も以前から執拗すぎるほど繰返しているが今日も書くと、歌詞のあるラヴ・ソング(求愛だろうと進行中だろうとロスト・ラヴだろうと)を誰かチャーミングな歌手がいい感じに歌っているのを聴いて、自分も吹いてみようと思ったという、実にそんなことばかりのトランペッター。今日の最後に書こうと思っているけれど、晩年の最愛演奏レパートリーだったシンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」も、この曲の場合、はっきりとインタヴューで「ラジオでシンディが歌うのを聴いて、歌詞内容に激しく共感したからだ」としゃべっていた。

 

 

さて、マイルズのやるガーシュウィンの「バット・ナット・フォー・ミー」は二つのテイクが12インチ LP 『バグズ・グルーヴ』の B 面に収録されている。それにしてもプレスティジは二つも収録する意味があったのか?時間の埋め合わせじゃないのか?A 面なんかミルト・ジャクスンのオリジナル・ブルーズ「バグズ・グルーヴ」の二つのテイクだけしか収録されていないもんなあ。

 

 

それはいいや。『バグズ・グルーヴ』収録のマイルズ・ヴァージョン「バット・ナット・フォー・ミー」は、しかしさほど落ち込むような深刻なトーチ・ソング・スタイルではない。なんだかのんきにパラパラやっているよなあ。テンポもミドルのまあまあスウィンガーだ。

 

 

 

マイルズのやるトーチ・ソングはそうなっている場合があって、例えば 同じプレスティジ盤『リラクシン』B 面の「イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー」(君にだってこんなことが起きるかも)にしてもそう。これは1956年5月11日録音。すなわち例のマラソン・セッションの一回目。「イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー」は、マイルズのやる『リラクシン』ヴァージョンでしか聴いていなければ、トーチ・ソングだとは気づかないだろう。

 

 

 

だがしかしこのジミー・ヴァン・ヒューゼンとジョニー・バークの書いた「イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー」は、心を閉ざしてしまったり、夜の夢に鍵をしてしまったり、そんなことが君にも起こるかも。星の数を数えてみたらなにかにつまずいてしまったり、誰かがため息をつくたびに転んでしまったり、そんなことが君にも起こるかも。実は僕にはそんなことが起こったんだよ、君に抱かれるのはどんななんだろうって少し思っただけなのに 〜 こんな歌なんだよね。

 

 

それを上でご紹介したような全く深刻ではない感じのスウィンガーに解釈してやっているマイルズ・ヴァージョンも、これはこれで立派にチャーミングだ。なぜだか2/4拍子だけど、なぜだかってこともないんだろう、マイルズはときどきやる。オン・ビートで吹くことがある人なんだ。本人の発言によればルイ・アームストロングと同じやり方をしたかったんだそうだ。でも「バット・ナット・フォー・ミー」も「イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー」も、マイルズのこういうフィーリングの解釈だと、いまの僕の心に寄り添ってはくれないから、今日のところはこれ以上書かない。

 

 

いまの僕に寄り添ってくれて、マイルズが僕のために一緒に泣いてくれていると思えるトーチ・ソングは、「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」(こうなるなんて考えたこともなかった)が録音順で一番早い。これこそが最初に書いたマイルズのやるトーチ・ソング生涯初録音で、初演はブルー・ノート・レーベルへの1954年3月6日録音。その後結成したファースト・クインテットでも1956年5月11日にプレスティジに録音している。

 

 

いちおう書いておくと「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」は、そのうちひとりでソリティアでもするしかなくなって、ただ居心地悪くイージー・チェアに座るだけになると、そんなこと言われても僕は気にしてなかった、朝日とともに起き出してきたとしても、オレンジ・ジュース一人分だけになるよと、そう言われても僕は気にしてなかった、そんなことになるなんて考えたこともなかったんだ 〜 という歌。

 

 

ここまでの三曲「バット・ナット・フォー・ミー」「イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー」「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」は、全部フランク・シナトラが歌っている。シナトラとマイルズの関係は、前々から僕はかなり頻繁に繰返しているので、今日は書かない。それにシナトラは、昨日書いた失恋歌集『オンリー・ザ・ロンリー』を、昨日だけでたぶん10回以上は聴いたので、もう充分。

 

 

だから今日僕は、上で書いたような歌詞内容はエラ・フィツジェラルドの歌うヴァージョンで聴いて再確認した。エラのファンのみなさんや僕のブログのファンのみなさん(なんているのか?)は、エラがヴァーヴに残した例のソングブック・シリーズ CD16枚組のことだと、説明しなくても分っていただけるはず。エラのあのソングブック・ボックスは、まさにアメリカン・ジェムだよ。

 

 

マイルズがスタジオ録音した二つの「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」はこんな感じ。

 

 

ブルー・ノート(54/3/6) https://www.youtube.com/watch?v=1VRC48dEh_c

 

プレスティジ(56/5/11)https://www.youtube.com/watch?v=-Np8PJDGq_A

 

 

評価が高く人気もあって有名なのはアルバム『ワーキン』一曲目になっているプレスティジ・ヴァージョンだけど、僕は一昨日の夜からの気分というだけでなくむかしの大学生の頃から、アルバム『ヴォリューム・ワン』に収録のブルー・ノート録音の方が好きだ。前者はマイルズのトレード・マークであるハーマン・ミュートで、後者はカップ・ミュートだけど、そのカップ・ミュート・サウンドが実に切なく哀しげで、かなりいい感じに響く。

 

 

マイルズの吹くトーチ・ソングでは、やはりプレスティジに同じ1956年5月11日に「サムシング・アイ・ドリームド・ラスト・ナイト」(昨晩見た夢)を録音し、アルバム『スティーミン』に収録されている。これは本当にとてもひどく残酷な失恋歌なので、どんな歌なのか内容を書くと、それだけでいまの僕のメンタルが崩壊するんじゃないかと心配だが、書いておく。エラ・フィッツジェラルドはやっていないので、カーメン・マクレエのアルバム『ブック・オヴ・バラーズ』収録ヴァージョンで聴いて歌詞内容を確認した。

 

 

「サムシング・アイ・ドリームド・ラスト・ナイト」(昨晩見た夢)〜 君がもう僕と一緒にいないなんて信じられない、笑顔や涙をもう分かち合ってくれないなんて、そんなのウソだ、間違いだ、そうだこれはきっと昨晩見た夢に違いない。君のあの顔をもう見られないなんて、君のあの抱擁がもうないなんて、そんなのウソだ、昨晩見た夢に違いない。ダメだこんなの、誰か別の男が君にキスしているのを知ってしまうなんて、そんなのウソだ、きっと昨晩見た夢に違いない………いや、僕は昨晩夢なんか見ていなかったんだ 〜 こんな歌。ひどいね、これ。書いているだけで、いま、僕はたまらない気分だ。

 

 

この曲を1956年にプレスティジに録音したマイルズは、やはりお得意のハーマン・ミュートをつけて、これは実に切々と泣いているかのような女々しいフィーリングで演奏している。この時期の例によってテナー・サックスのジョン・コルトレーンはオミットさせられている。マイルズもピアノのレッド・ガーランドも実にいい雰囲気だ。まさにいまの僕の気持に寄り添ってくれて、一緒に泣いてくれている。

 

 

 

マイルズの場合、1957年のコロンビア移籍後から、こういうストレートな恋愛歌がなくなっているので(唯一の例外が1961年盤『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』)、こういったトーチ・ソングやその他ラヴ・ソングを聴こうと思ったら1981年の復帰後まで飛ばないといけない。そして1984年から演奏するようになり、その後は91年に亡くなるまで絶対に欠かしたことのない最愛演奏曲「タイム・アフター・タイム」(なんどでもいつだって)がある。

 

 

説明不要だが、マイルズの「タイム・アフター・タイム」はシンディ・ローパーの曲。彼女にとっても最大のヒット曲でいまでも一番の得意レパートリー。シンディはライヴではいまでも欠かさず歌う。この曲だけは、歌手の歌うオリジナル・ヴァージョンもご紹介しておこう。歌詞を和訳するな!と普段あれだけ力説している僕だけど、今日だけは以下の日本語訳詞が表示されるものを貼っておく。訳が妙だなと思う部分もあるが大意は掴めるはず。

 

 

 

(たぶん夜に)ひとりぼっちでベッドに横たわって時計の秒針のチクタク音を聞きながら、いなくなった彼のことを思い出している、愛し合っていた頃の暖かい夜の思い出が蘇ってきて、でもいくら考えても混乱するだけ、失った恋のメモリーをスーツケースに詰め込んでいるの。

 

 

でもこのシンディの「タイム・アフター・タイム」はただひたすら落ち込んでいるだけの歌ではない。曲題にもなっているように、なんどでもいつでも、あなたが迷ってどうしたいいか分らなくなったら、私はいつでもそこにいるから、なんどでもいつでも(Time After Time)。あなたが倒れそうに、くじけそうにになったら、なんどでもいつでも私が受け止めてあげる、待っているから 〜 そんな前向きの肯定感こそが、この「タイム・アフター・タイム」という歌の最も重要な部分だ。

 

 

これをマイルズは、スタジオ録音では1984年1月26日にコロンビアに録音。アルバム『ユア・アンダー・アレスト』に収録・発売された。その後(実は少し前から)ライヴ・ステージでは「絶対に一度も」欠かしたことのない曲だったので、僕は CD でも生演奏現場でもなんどもなんども聴いた。スタジオ録音ヴァージョンはこれ。

 

 

 

しかしマイルズのやる「タイム・アフター・タイム」は、その後のライヴ・ヴァージョンの方がはるかに感動的だ。それについては、以前一度かなり詳しく書いたので、興味のある方は是非以下のリンク先をご一読(できないほど長いが)いただきたい。

 

 

 

この記事でも書いてあるのだが、ライヴでマイルズがやる「タイム・アフター・タイム」で、僕の知っている限り最も感動的なのが、東京での1987年7月25日ヴァージョン。これも僕はまず現場、読売ランドで聴き、あの時は七月だったからか、突然の雷雨で開演が大幅に遅れ、マイルズ・バンドの出番が深夜になってしまい、真っ暗闇の虚空に響きわたる「タイム・アフター・タイム」が激しく胸に迫ってきた。いま聴きかえしても同じ思いだ。説明文にある「’Time After Time’ - 49:05~」の “49:05” をクリックすればそこへ飛びます。

 

 

 

いやあ、このヴァージョンのマイルズ「タイム・アフター・タイム」は、いまの僕にとってはたまらんね。ハーマン・ミュートで吹くボスのフレーズも美しいが、ロバート・アーヴィング III が弾くフェンダー・ローズとシンセサイザー(を MIDI で同期させて同時に鳴らすもの)のフレーズ創りもチャーミングだ。アダム・ホルツマンがときおりエフェクト的に入れるサウンドはなくてもいい。

 

 

そして中盤部でマイルズがミュート器を外し、一音オープン・ホーンで高らかにパ〜ッと鳴らした瞬間に、やっぱりいまの僕の胸は張り裂けて、涙腺大崩壊。

 

 

それにしても失恋直後のその夜はどんな音楽を聴いてもダメで、しかし僕には音楽しかないんだからと思い定めて、これならいいか、ダメか、じゃあこれは、あ、これもダメだねと、とっかえひっかえしていろんな音楽を聴いても全く入ってこなかった。激しく動揺していたからね。音楽しかない人間なのに、どうするんだこれ?と。

 

 

ところが事実を知って二日経った今日になってみると、今度はかえって以前よりもいろんな音楽がより一層しっかり入ってくるようになっている。歌手や演奏家がその声や楽器に込めた気持・情感がビンビン伝わってきて、じゃあいままでのアンタが毎日偉そうにいろいろと書いていたのはなんだったんだ?と言われそうだが、これがいまの僕の正直な気持です。

2017/05/11

恋に破れたひとりぼっちの僕のために(1)〜 ジャズ・ヴォーカル篇

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「不幸せで結構」(Glad to Be Unhappy)とか「君なしでもうまくやっていけるさ」(I Get Along Without You Very Well) なんて曲もいろいろとある1955年のアルバム『イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ』もいいけれど、同じフランク・シナトラが歌うキャピトル盤だったら、やっぱり58年の『シングズ・フォー・オンリー・ザ・ロンリー』(ひとりぼっちの者のためだけに歌う)こそが、いまの僕にはピッタリ来るなあ。

 

 

シナトラの略称『オンリー・ザ・ロンリー』は、収録の12曲全てが失恋歌(トーチ・ソング)。それもかなりひどく深刻な内容のものが多い。一番残酷なのが CD ではニ曲目の「エンジェル・アイズ」だ。シンガー・ソングライターと言うべき(でも誰も言わない)マット・デニスの書いた「エンジェル・アイズ」は、眼前で自分の恋人を他の男に奪われてしまうという内容。

 

 

 

お聴きになれば分るように、シナトラはいきなりサビから歌いはじめているのがこの歌手のケレン味というものなんだけど(だってリプリーズ時代には「スターダスト」のヴァース部分だけしか歌わなかった)、このことは今日はどうでもいい。重要なのはこの「エンジェル・アイズ」がとてもひどく残酷な失恋歌だということだ。「好きな人がすぐそばにいるにもかかわらず、もう僕のものではない」「いま分った、誰こそがナンバー・ワンなのか」「僕はもう消え入りたいので、みなさんごめんなさい」。

 

 

作者であるマット・デニス自身のピアノ弾き語りヴァージョンでは、曲調や演唱法にさほどひどい深刻さは聴きとれない「エンジェル・アイズ」だが、上でご紹介したフランク・シナトラ『オンリー・ザ・ロンリー』ヴァージョンは、とんでもなく暗い。かなり激しく落ちんでいるような様子での歌い方と、そしてネルスン・リドルの書いた管弦楽のアレンジもかなりシリアスな調子だ。こういうのがいまの僕にはちょうどいいのだ。こういうのを聴いてカタルシスを得ないと、心が押し潰されてしまいそう。

 

 

シナトラの『オンリー・ザ・ロンリー』は他の収録曲もだいたい同じような調子で、失恋歌ばかりを、まるで泣いているかのようで深刻に落ち込むように歌い、アレンジ担当のネルスン・リドルもその気持に寄り添うような伴奏を書いている。僕の持つリイシュー CD では全12曲のあとにボーナス・トラックが入っていて、しかしそれらはトーチ・ソングじゃないので、僕は iTunes には最初からインポートしていない。もしかりにインポートしてあって、オリジナル・アルバムのラスト「ワン・フォー・マイ・ベイビー(ワン・モア・フォー・ザ・ロード)」に続けてそんなのが聴こえはじめたりしたら、もろくなっているいまの僕のメンタルは崩れ去りそう。

 

 

アルバム『オンリー・ザ・ロンリー』は、同じタイトルの曲「オンリー・ザ・ロンリー」からはじまるが、これは(恋に破れた)寂しい者たちだけ(Only the Lonely) が足を運ぶキャフェ(がシナトラの発音)でのお話。そんなキャフェで寂しい者たちだけが、失った恋を思い出してそんな歌のメロディに耳を傾けて、実を結ばない哀れな夢を見る 〜 そんな歌だ。

 

 

 

アルバム五曲目の「柳よ泣いておくれ」(Willow Weep For Me)は、柳よ、僕のこの失ってしまった恋の歌を聴いてくれ、それで一緒に泣いてくれ、僕を哀れんで一緒に泣いてくれ、その枝を(落ち込むように)垂れてくれ 〜 という歌。この曲はジャズ器楽演奏者もよくとりあげるスタンダード曲で、僕もいろいろ好きなヴァージョンがあるが(トミー・フラナガンのとかレイ・ブライアントのとか、あっ、二人ともブルーズが上手いピアニストだ)、それらには快活さも聴きとれるので、いまの僕にはシナトラのこの歌が一番いい。

 

 

 

アルバム六曲目の「グッドバイ」はこういう曲題だけど、いきなり「僕は絶対に君のことを忘れない」と三回もリピートするのからはじまる。がその「忘れない」というのはそのあとに続く歌詞と強く結びついているのだけど、いまの僕の気分には、これだけで充分。しばらく聴くと「君は輝かしい道を進むんだろう、僕は寂しい道を歩むのさ」と出てくるのが、まさにいまの僕にピッタリ。

 

 

 

アルバム10曲目の「スプリング・イズ・ヒア」は「春が来た」なんていう曲題だからウキウキするものかと勘違い(している人は、例えばビル・エヴァンス・ヴァージョンとかでしか聴いていないジャズ・ファンのなかには実際たくさんいるようだ)されるかもしれないが、聴くと「春が来た、それなのにどうして僕の心は踊らないのだ?」「夢も希望もない、どうしてかって、僕のことを誰ひとり愛していないからさ」とある。春だからこそかえって一層落ち込み具合が激しくなっている失恋歌。

 

 

 

シナトラのアルバム『オンリー・ザ・ロンリー』のなかでは、唯一、三曲目の「ワッツ・ニュー?」だけが完璧な失恋歌だとも言いにくい微妙な内容。これはむかしの恋人(妻?)に久しぶりに再開し「やあ、どうしてる?やっぱり君は綺麗だ、なにも変わっていないね、会えて嬉しいよ」と歌いだし、「僕と会っていたって君は退屈してるよね」、そして「君は知るよしもないだろうけれど、僕の方はちっとも変わっていないんだよ、いまでも君のことをとても愛している」と歌う。

 

 

 

アルバム・ラストの「ワン・フォー・マイ・ベイビー(ワン・モア・フォー・ザ・ロード)」は、この『オンリー・ザ・ロンリー』という失恋歌集を締めくくるのにこれ以上なくピッタリくる内容。まずピアノ一台だけの伴奏でシナトラが歌いはじめる。たぶんバーかどこかでお酒を飲んでいて、そこには自分とバーテンダーの二人だけ。主役がバーテンダー相手に「この僕の哀れな話を聞いてくれ」と歌いだす。閉店間際(「午前三時前」とある)なのでバーテンダーはもう帰りたいのだが、客がボソボソとしゃべっている。女との別れ話を。

 

 

 

といってもこの曲「ワン・フォー・マイ・ベイビー」は上手いことに、なにがあったのか、話の中身については一切語っていない。「Well that's how it goes(まあそういうわけなんだ)」と、描写は話がはじまる前から突然終わったところに移ってしまっている。しかしかなり重い話だったことは「This torch that I've found must be drowned or it soon might explode(僕が見つけたこの松明は、消しておかないとそのうち爆発しかねない)」と言ってることから感じられる。この「松明」(torch)というのが、トーチ・ソング=失恋歌という言葉のオリジンなのだ。

 

 

つまりこの「ワン・フォー・マイ・ベイビー(ワン・モア・フォー・ザ・ロード)」とは、「(別れた)彼女の(幸せな将来を願って)ために一杯、そして自分の孤独な長い旅のためにもう一杯」ということなんだろうな。

2017/05/10

ゴスペル・ブルーズ

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前々から繰返すように聖なるゴスペルと俗なるブルーズのあいだに境界線を引くことなど不可能だ、かりに引いてみたところで、そうするとアメリカ黒人音楽の実態から遠ざかっていくだけだというこの事実を今日もまた、くどいようだが書いておきたい。というのも少し前にまた Twitter で、ある熱狂的なリズム&ブルーズ〜ソウル・リスナーでありかつゴスペル敵視派の方に出会い激しく絡まれてしまったので、やはりまだまだいるんだなと実感したばかりなのだ。

 

 

その方となにがあったのかを詳しく書くのはよしておこう。僕は大の議論好き、というか喧嘩っぱやい人間で、言論的殴り合いもその場限りで楽しんだらすぐに忘れてしまうのだが、あちらの方はなんだかいまでも根に持っているようで、いまでも Twitter の僕のメンションに思い出したようときどき出現し注文をつけてくる。いわく「こんなすごく楽しい面白い音楽を教会内で歌うことなどできるのか?」などと、様々な YouTube 音源を貼りながら。

 

 

具体的なことはホント書く気はないので、そうじゃなく今日は、昨2016年末だったか今2017年頭だったかにリリースされたばかりの『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ゴスペル・ブルーズ』について話をしたいのだ。ま〜たこのシリーズの話かよ、またかよ…、って思われるに違いないよね。でもこれでまだ三回目だぜ。このラフ・ガイド・シリーズが全部で何枚あるのかを考えたら(っ多すぎて把握することなど不可能だが)、氷山の一角なんてもんじゃないほど小さい。

 

 

1926〜40年の録音集である『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ゴスペル・ブルーズ』。収録されているのは、世間一般にはゴスペル界とブルーズ界に分けて認識されている歌手たちの両方。こういった第二次大戦前の古いアメリカ黒人音楽が大好きな僕だから、単に好きだからちょっと買っておこうと思っただけ。それが購入動機だが、届いた CD パッケージを見ると、ゴスペル・メン、ブルーズ・メン(ウィミン二名)がゴッタ煮状態で並んでいるのがいい。

 

 

こんな編纂方針の CD はないもんね。一人のゴスペル歌手がどっちも歌っていたり一人のブルーズ歌手がどっちも歌っていたりする作品集というのばかりで、それら両者いろんな人をゴチャゴチャに混ぜて並べてあるアンソロジーって、いままであったっけ?僕が知らないだけなんだろうが。このラフ・ガイド・シリーズなんて、音楽マニアはおそらく誰一人相手にしていない初心者用入門シリーズだけど、案外侮れない。いままで二回とりあげた際にもこれは書いた。

 

 

『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ゴスペル・ブルーズ』は全25曲。有名・無名取り揃え、しかしブルーズ・サイドに分類されている歌手たちの方が多い。一番有名のはたぶんベシー・スミス、ブラインド・レモン・ジェファースン、チャーリー・パットン、ブッカ・ホワイトあたりかなあ。ゴスペル・サイドで認識されている歌手のなかではブラインド・ウィリー・ジョンスンが一番の有名人に違いない。でもピュアなゴスペル・サイドの人間では、ほかにゲイリー・デイヴィス師とエドワード・W ・クレイボーン師しか収録されておらず、やはりあくまで(世間一般の認識では)ブルーズ歌手たちばかり。

 

 

ゴスペル・サイドで認識されている上記三名だって、例えばブラインド・ウィリー・ジョンスンなんかはブルーズ愛好家もみんな好きでファンが多くよく聴かれている。この人の場合、ホント福音音楽ばっかりでありながら、(歌詞内容を抜けば)音楽の質としては1920年代末のブルーズ・ミュージックとなんら違いがないということもみんな知っている。だから『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ゴスペル・ブルーズ』二曲目収録の「アイ・ノウ・ヒズ・ブラッド・キャン・メイク・ミー・ホール」だって、なんの驚きもないはず。いまさらこのギター・エヴァンジェリストについて、クロス・オーヴァー・ジャンルの人だなんていう意識を持つ人すらいないだろう。あくまで福音音楽ですけれどね。

 

 

 

これを聴くと、『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ゴスペル・ブルーズ』ではいきなり23曲目のチャーリー・パットン「ジーザス・イズ・ア・ダイイング・ベッド・メイカー」にジャンプしたくなる…、とこう書けば、もうみなさん、僕の言いたいことは分ってしまうはずだ。でもそう言わず、いちおうパットンのそのブルーズ(?ゴスペル?)を聴いてみて。

 

 

 

みなさんに説明する必要もないけれど、やはりいちおう書いておこう。このパットンの曲は、ブラインド・ウィリー・ジョンスンもやった有名伝承ゴスペル・ソングに基づいているもの。ロック・リスナーのみなさんにとってはボブ・ディラン(一作目『ボブ・ディラン』)とレッド・ツェッペリン(『フィジカル・グラフィティ』)のヴァージョンでお馴染のものだ。ブラインド・ウィリーのだけご紹介しておく。

 

 

 

これをお聴きになれば、上でご紹介したチャーリー・パットンの1929年録音は、その二年前に録音されレコード発売されているブラインド・ウィリー・ジョンスンのヴァージョンに非常に強い影響を受けていることがかなり鮮明に理解できる。ギターで刻むビート感やスライド・プレイのパターンがよく似ているだけでなく、ヴォーカルのフィーリング、声の出し方まで真似ているように聴こえるもんなあ。

 

 

この「ヴォーカルの」という部分をみなさんもっと強調しないといけない(といつも僕は言っているし、B・B・キング『ライヴ・アット・ザ・リーガル』についての際も書いた)。ブルーズは基本的にはギター・ミュージックで、ギターは身近な楽器だし真似やすいし、さらにギター・メインでやる米英ブルーズ・ロッカーたちの影響力が大きいせいもあってか、みんなギターの話ばっかりするけれど、歌のある音楽はヴォーカルの方が大事なんだぞ。

 

 

ゴスペル・ミュージックのことを考えて、それと切り離せない世俗のブルーズのことを考える際には、やはり歌手の声の出し方、声質、声の張り方、歌い廻しのフレイジング、コブシ廻し、ヴィブラート(のない場合も含め)などなど、歌唱法がどう相互影響しているかについても、みんなもっとたくさん書かないといけない。あまり書かれないのは、たぶんライターさん自身がギタリストである場合があって、ヴォーカリスト兼ライターという人は、ジャズ界には何名かいらっしゃるが(そういう方々はやはり歌唱法のことを書く)、ブルーズやロックの世界には少ないせいなんじゃないかなあ。

 

 

『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ゴスペル・ブルーズ』に収録されている、ブラインド・ウィリー・ジョンスン以外の二名のゴスペル音楽家についても、やはり同様のことが言える。二名とも Rev.(は Reverend の略でキリスト教聖職者のこと、普通は牧師)と敬称が付いているので分るように、収録されている音源も、いちおうギターを鳴らしているが、本質的には説教師、すなわちギター・エヴァンジェリストだ。声=ヴォーカルで周囲を説き伏せるのこそが本領で、ギターはあくまで補助具にすぎない。

 

 

ブラインド・ウィリー・ジョンスンにしたってそうだ。みんなギターのことばっかり言ってさぁ。そりゃまあこの人が一般に広い人気を獲得できているのは、ロック・ギタリストのライ・クーダーがカヴァーしたからで、しかもそれはインストルメンタル・ナンバーだから、それでみんなギターの方にばかり目が(耳が?)行くのは当然かもしれないが、あのド迫力のドロドロに濁っただみごえヴォーカルこそ、僕にとってはブラインド・ウィリー最大の魅力なんだけどなあ。あんな声で「地獄へ落ちるぞ」などと言われるからこそ、背筋が凍る。

 

 

当時、辻説法でああいったギター・エヴァンジェリストたちがその場に集まった人たちを説得していたのだって、ああいった迫力ヴォイスでもってそうしていたのであって、『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ゴスペル・ブルーズ』なら、ゲイリー・デイヴィス師もエドワード・W ・クレイボーン師も同じ部分にこそ魅力がある。世俗のブルーズ・ミュージシャンたちにだって、あんな迫力のある歌い方が一番大きな影響源だったはずだ。

 

 

『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ゴスペル・ブルーズ』には収録されていないが、ミシシッピ・デルタ・ブルーズ代表格の一人、サン・ハウスだって、あの声、あのものすごくよく響く朗々とした声、あれはゴスペル由来ですよ。『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ゴスペル・ブルーズ』に収録されていないのにはレッキとした理由が見て取れて、それはどこにも明記がないが、このコンピレイションに収録されているブルーズ・メン(ウィミン)がやっているのは、全て完璧な宗教的レパートリーだけだからだ。

 

 

つまりブルーズ側の人間が、古くからの伝承黒人スピリチュアルズ(黒人霊歌)や、伝承的あるいは現代的ゴスペル・ソングや、あるいはその他なんらかの意味でのキリスト教色のある他作・自作の曲をとりあげて、それをブルーズ・ミュージック的な解釈でやっているものばかりが『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ゴスペル・ブルーズ』には収録されているわけなのだ。アルバム名の Gospel Blues とはこの意味。

 

 

これは、一面ではブルーズといわずジャズといわずソウルといわず、アメリカ黒人音楽ならなんでもほぼ全て、キリスト教を抜きにして語ることなど不可能である、それほど宗教的レパートリーや、宗教色が濃いものばかりだという事実を示すものでもある。裏返せばゴスペル音楽の世界のなかにだって世俗音楽色はかなり濃い、なんてもんじゃなく楽器編成やサウンドやリズムなんかは完全にそのまんまじゃないか。

 

 

最初に言及したゴスペル敵視派の方は、サム・クックの例をあげて「転向は許されたでしょう、がしかし同時に両方の世界で歌い共存することなど可能なのでしょうか?」と僕に問うてきたけれども、もちろん可能だ。可能なんてもんじゃなく、そもそも区別すること自体がオカシイのだ。『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ゴスペル・ブルーズ』を聴いていただければ、ブルーズ・メン(ウィミン)が、ゴスペル界にだって存在しうる音楽をやっていて、またゴスペル歌手(というか説教師だが)も、教会内と同時に世俗世界にも存在しえたという、この間違いない厳然たる事実を納得していただけるはずだ。

2017/05/09

元祖ピアノ・ガール 〜 クリオ・ブラウン

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ピアノを弾きながらトリオ〜カルテット程度の編成で楽しく歌う黒人女性 〜 たくさんいるし、聴いてみるとやはりなにか一種共通するものがあるように思うので、ひとくくりにして1ジャンルとして認識してもらいたいよなあ。僕もいままでネリー・ラッチャー、ローズ・マーフィの二名については書いたので、今日はそんなジャンルの確立者、元祖ピアノ・ガールとも言うべきクリオ・ブラウンの話。

 

 

それにしてもこういう人たちがたくさんいるっていうのは、21世紀に入って以後なら例えばノラ・ジョーンズとかさあ、日本でも大人気だよねえ。ちょっとジャジーなテイストで、しかし完全なジャズ歌手だと断定もできかねるようなポップさもあって、しかしノラのファンのみなさんは、どうしてクリオ・ブラウンとか聴かないんでしょうかねえ?不思議ですねえ。ローズ・マーフィやネリー・ラッチャーも聴けばいいのにねえ、ノラを聴くみなさんは。

 

 

クリオ・ブラウンの音源は、仏クラシックス・レーベルがリリースしている一枚物 CD『クリオ・ブラウン 1935 - 1951』で全部のようだ。これでクリオの生涯全録音になるはず。たったの27曲しかない。黒人ピアノ・ガールで僕がコンプリートに持っているのはクリオだけなんだけど、それはたぶん CD 一枚買いさえすれば全部揃ってしまうのと、古いジャズっぽい音楽が大好きだからという二つの理由からだろう。実際、僕はローズ・マーフィやネリー・ラッチャーその他よりも、断然クリオが好きだ。

 

 

古いジャズっぽい、と書いたけれど、クラシックス盤 CD で見るとクリオの初録音は1935年3月12日(えっ、僕の誕生日じゃん)の五曲だから、実はそんなに古くないなあ。少なくとも僕の感覚ではさほど古くない。ブルーズ界になら、もっとずっと前からピアノ弾き語りの女性がいたはずだし、男性だけどジャズ界にだってファッツ・ウォーラーが前から活躍している。そしてクリオは女性版ファッツ・ウォーラーの異名をとったんだそうだ。

 

 

録音があるうちではポップな黒人ピアノ・ガールとしてアメリカ史上初の存在に違いないクリオ・ブラウン(録音の有無を言わなければもっと前からいたはずで、生演奏で聴かせていたはず)。1935年から36年にかけて全部デッカに19曲を録音しレコードになった。ここでちょっと疑問があるのだが、中村とうようさん編纂の『ハッピー・ピアノ・ガールズ』附属ブックレットの解説文で、クリオについてとうようさんは「35年から翌年にかけて18曲を録音した」と書いている。おっかしいなあ、一曲足りませんよ、とうようさん。あるいは全19曲のうち一つ「ウェイ・バック・ホーム - パート2」には他の歌手も複数参加し、また複数の管楽器も入るものなので、それは除外して18曲という計算だったんだろうか?

 

 

その「ウェイ・バック・ホーム - パート2」(1935年5月20日録音)は、仏クラシックス盤附属のデータでも、クリオ以外に誰と誰が参加しているのか不明で、単にデッカ・オール・スター・レヴューという名前になっているだけ。僕のいつものテキトー耳判断では、管楽器はコルネット(かトランペット)+テナー・サックス+クラリネット。でもクラリネットは一本で歌のオブリガートを吹くので間違いないが、それ以外はアンサンブルなので自信がない。男性歌手の声も聴こえるし、ジャイヴっぽいコーラス・グループもあってちょっと面白いのに、とうようさんは『ハッピー・ピアノ・ガールズ』に収録していない。でもこれは当然だ。あくまでピアノ・ガールという側面にだけフォーカスした編集盤だったからだ。

 

 

 

ピアノの腕前というだけなら、その「ウェイ・バック・ホーム - パート2」と同じ日に、一切伴奏者なしのソロ・ピアノでやった「ペリカン・ストンプ」が非常に分りやすい。これはヴォーカルもなしで、正真正銘のソロ・ピアノ。女性版ファッツ・ウォーラーと言われたクリオだけど、ピアノのスタイルはアール・ハインズ直系だ。軽快で痛快で、しかもかなり上手い。

 

 

 

これら二曲はクリオのデッカ録音セカンド・デイトなんだが、その前のファースト・デイトである1935年3月12日には、さらに「ブギ・ウギ」という曲を録音している。これも伴奏者なしの彼女一人だけでのピアノとヴォーカル。ものすごく上手いから、まずは聴いていただきたい。

 

 

 

お聴きになったブギ・ウギ・ピアノ愛好家のみなさんは、一瞬であっ、あれじゃん!とお分りのはず。そう、1928年のクラレンス・パイントップ・スミスによる「パイントップス・ブギ・ウギ」なんだよね。ご参考までにそっちもご紹介しておくので、35年のクリオ・ヴァージョンとちょっと聴き比べてみてほしい。

 

 

 

どうです?まあ録音が七年新しいからというのもあるけれど、荒削りなパイントップ・スミスのオリジナルに対し、クリオのヴァージョンは段違いに洗練されている。ピアノの腕前そのものが違うもんねえ。どう聴いてもクリオの方が上だ。もちろんパイントップのものは、その一種の乱暴さがあってこその独特のグルーヴを生み出しているわけだから、それが下手だとか劣るなんてことは全く思わないけれどね。

 

 

ブギ・ウギの典型表現である左手のパターンは似たようなもんだけど、それでもクリオの方がスピード感があって(まあそりゃテンポも速いから)シャープだ。そして右手で弾く部分は、こりゃもう誰がどう聴いたってクリオの方が断然上手いし、僕にはパイントップの右手よりも楽しい。ダンスを指示するヴォーカルはほぼ同じだけど、違いもある。とうようさんは「踊り手へのコールなどもオリジナルと同じに入っている」と書いているが、そうじゃない。パイントップのものは「ブギ・ウギしろ!」と断定的命令調だったのに対し、クリオのものは、例えば「ブギ・ウギしてほしいの〜」(I want you to boogie woogie)とそっと優しくオネダリするかのごとく。ほしのあきさん、お元気でしょうか?「Now, boogie woogie!」部分でも発声はソフトだ。

 

 

さてクリオの初録音である1935年3月12日の五曲では、最初に録音した「ヒア・カムズ・クッキー」がまあまあ知られたスタンダード曲。それ以外の曲も含め、伴奏がベニー・グッドマン楽団の二名、アーティ・バーンシュタイン(ベース)+ジーン・クルーパ(ドラムス)に、ギターのペリー・ボトキンを加えたカルテット編成。クリオの録音は全部こんな感じのカルテット編成で、例外は上記バンド編成の「ウェイ・バック・ホーム - パート2」、やはり上記弾き語りの「ブギ・ウギ」とソロの「ペリカン・ストンプ」と、あとは戦後1950/51年に彼女一人でやった四曲のみ。

 

 

しかしここでもとうようさんの文章がおかしいなと思える部分がある。『ハッピー・ピアノ・ガールズ』附属解説文では、戦前にデッカに録音したあとの戦後、クリオは「49年にはキャピトルに4曲、ブルーというマイナー・レーベルに2曲を残したあと、芸能の世界から姿を消し」とある。がしかし仏クラシックス盤で見ると、戦後はそれら以外に1950年のディスカヴァリー・レーベルへの録音が二曲あるんだよね。

 

 

まあいいや。クリオのチャーミングさは戦後録音では消えているからどっちでもいいようなことかもしれない。音質もなぜか戦後録音の方が悪い。上で書いた初録音の一曲「ヒア・カムズ・クッキー」なんかオシャレで小粋で、しかもジャジー。可愛らしいだけでなく、ピアノもヴォーカルも上手いしスウィング感抜群だ。ジーン・クルーパはやっぱり躍動的だなあ。ギタリストの刻み方もいい。

 

 

 

クリオの戦前録音全19曲で一番魅力的だと僕が思うのが、1935年11月20日録音の四曲(とうようさんは「このセッションの3曲は…」と書いているが、四曲です)。まず最初にやった「ウェン・ハリウッド・ゴーズ・ブラック・アンド・タン」がとても楽しい。ルイ・アームストロングの名前が歌詞のなかに出てくるが、曲題にハリウッドとあるように、サッチモが映画出演で活躍したのに題材をとったもの。キャブ・キャロウェイっぽいスキャットもあったりする。

 

 

 

二つ目にやった「ウェン」はミディアム・テンポのスウィンガーで、クリオは実に繊細な歌い方を聴かせる魅力的な一曲。三つ目の「ユア・マイ・フィーヴァー」もリズミカルに乗る一曲で、ヴォーカルとピアノの組み合わせ・配分具合が絶妙に上手い。四つ目の「ブレイキン・イン・ア・ニュー・ペア・オヴ・シューズ」 もやはり同じミディアム・スウィンガーで、この曲でだけは歌っているあいだ、あまりピアノが目立たない。

 

 

 

 

 

クリオの録音で個人的に(僕だけ?)かなり面白いと思うのが、戦前ラストの1936年4月14日に録音された全四曲のラスト「マイ・ギャル・メザニン」だ。なにがそんなに面白いのかって、この一曲は、普段から僕がよく言う<男歌>なんだよね。女性歌手が男の立場に立って男言葉で男の気持を歌うっていうやつ。お聴きになれば男歌であることはみなさん分っていただけるはず。

 

 

 

男歌・女歌ということを僕が普段からよく言うのは、それは日本の大衆歌謡界にしか存在しないような姿かたちだと思うからで、もしご興味のある方は以下のリンクの僕が書いた過去記事をご一読いただきたい。ここでも書いてあるが、英語で歌うアメリカ人歌手なんかは、みんな歌詞のなかの恋愛対象を異性にしてしまうわけなんだよね。それがちょっと気持悪いんだ、僕は。

 

 

 

ところが上で音源もご紹介したクリオ・ブラウンの「マイ・ギャル・メザニン」はそんな性別の当てはめをやっていない。クリオは女性歌手だけど「僕のカワイ子ちゃんメザニンが…」云々と、男の立場で男の気持をそのまま歌っているんだよね。アメリカ大衆音楽界では稀な例外じゃないだろうか?この曲も収録している『ハッピー・ピアノ・ガールズ』の曲目解説文で、このことにとうようさんが一言も触れていないのはやや不思議だ。

2017/05/08

1956年のエルヴィス

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これだけエルヴィス・プレスリーが好きだ好きだと言いながら、いままでただの一度もまとまった単独記事にしていないという事実に、僕自身いま初めて気がついた^^;。普段からどんどん言及しまくっているので、なにか書いているはずと錯覚していたんだなあ。今後は少しずつ書いていくことにしようっと。第一回が今日。

 

 

といってもいまの僕が単独記事にしたいと思うエルヴィスは、サン・レーベル時代、RCA 移籍直後の1956年、68年のカム・バックにともなう一連、翌69年のメンフィス・セッション、70年のライヴ・アルバム『エルヴィス・オン・ステージ』〜 この五つだけだ。いろんな方々が指摘しているように、一番良かったエルヴィスはやはりサン時代だと僕も確信しているが、それ以外の上記四つもかなりいいんじゃないかなあ。年代順にではなく、なぜだか今日は1956年の話をしたい。

 

 

映画『ラヴ・ミー・テンダー』用の録音を除けば全部で21曲ある1956年のエルヴィス。それらをまとめて全部聴く際に一番いいと僕が思うのがこれ。エルヴィスのメイジャー・デビュー40周年を記念して96年にリリースされた『エルヴィス 56』。これはかなりよくできた一枚だ。はっきり言うが、エルヴィスでなにか一枚だけ推薦盤を教えてくれと言われたら、僕は迷わずこれをオススメする。つまりこれは<ベスト・エルヴィス>とも言うべき一枚なんだよね。

 

 

前述の通り、ベスト・エルヴィスはメイジャーの RCA に移籍する前のサン・レーベル時代じゃないかと言われそうだ。僕もそれに異論は全くない。だがサン時代のエルヴィスは、レーベルの本拠があったテネシー州メンフィスなど、アメリカ南部を中心に人気があったローカル・スター、いや、まだスターだったとも言いにくいような存在で、歌ったものは激しく魅力的だが、<ロックの時代>を考える際には、やはり RCA 時代初期を聴いておかないとダメだ。

 

 

1955年11月20日に RCA ヴィクターがサム・フィリップスに35000ドルを支払ってエルヴィスのレコーディング権利を購入。直後にサン・レーベル時代の録音をシングル盤でリイシューするが、やはり翌56年1月に RCA に録音を開始して以後こそがエルヴィスのメイジャー時代だと言えるはず。初録音は「ハートブレイク・ホテル」だと思われているかもしれないがそうではなく、レイ・チャールズのカヴァー「アイ・ガット・ア・ウーマン」。と言っても同じ1月10日録音なのだが、歌ったのは後者の方が先だった。同日三つめにドリフターズの「マニー・ハニー」も録音。

 

 

しかし「ハートブレイク・ホテル」が RCA 録音第一弾シングルとしてリリースされたので、やはりこれこそがエルヴィスのメイジャー・スタートだったと見るべきだろう。そのあたり、『エルヴィス 56』CD附属ブックレットに詳細な1956年のエルヴィス・クロノロジーとディスコグラフィカルなデータが記載されているので非常に助かる。さらにこのアルバムの収録順はリリース順だが、五十嵐正さんの書いた日本語解説文は録音順になっているので、比較すればまた一層分りやすい。

 

 

エルヴィスは1958年にアメリカ陸軍に入隊。その後は急速に輝きを失っていくので、いや、そうは言ってもあれだけの歌手なので充分聴けるのだが、54〜56年あたりのエルヴィスが放っていた、かなり危険な香りもプンプンするようなまばゆい光は薄くなっている。だからサン時代と RCA 移籍直後の56年だけで「ある意味」エルヴィスは必要十分なんだよね。その二つのうち、書いたように<ロックの時代>を考えるには、やはり56年こそが最も重要。まあそんなわけでこの年の(映画『ラヴ・ミー・テンダー』のためのものを除く)全曲が一堂に会している『エルヴィス 56』という一枚の CD こそが最高の推薦盤なのだ。

 

 

しかし<ロックの時代>などと言ってはみたものの、1956年の RCA 録音集で聴くエルヴィスで、いまの僕が最もチャーミングだと感じるのは、「ハウンド・ドッグ」や「ブルー・スウェード・シューズ」のようないかにもなロック・ナンバーじゃなくて、ミディアム〜スローなテンポで歌うポップ・バラードみたいなものだ。例えば「ラヴ・ミー」「ドント・ビー・クルール」など。ポップじゃないかもだけど第一弾シングルの「ハートブレイク・ホテル」もかなり好き。

 

 

あとでしっかり褒めたいので、悪口の方を先に書いておく。1956年録音のハードでアップ・ビートなロックンロール・ナンバーの数々。56年のエルヴィスの歌い方は相当に魅力的で、どこにも欠点が見当たらないほど素晴らしいが、バック・バンドとバック・コーラスがダメだ。もう、完全にダメだと断言したいほど聴けたもんじゃない(などと書くと、一定年齢以上のロックンロール信奉者のみなさんから総攻撃されそうだが)。

 

 

あまりご存じない方(っているのだろうか?)のために、三つだけ音源を貼ってご紹介しておく。発売順に。括弧内は録音日付。

 

 

「ブルー・スウェード・シューズ」(56/1/30)https://www.youtube.com/watch?v=a8O8qdHeKl0

 

「トゥティ・フルティ」(56/1/31)https://www.youtube.com/watch?v=AtFxryGZ3NE

 

「ハウンド・ドッグ」(56/7/2)https://www.youtube.com/watch?v=-eHJ12Vhpyc

 

 

三曲ともエルヴィスのヴォーカルには文句のつけようがない。三つともまずいきなりア・カペラでエルヴィスが歌いはじめるが迫力満点だしセクシーだし、言うことない素晴らしさ。リトル・リチャード・ナンバーのカヴァー「トゥティ・フルティ」の例のあのミョ〜な歌い出しも見事だ。しか〜し!バック・バンドのノリがダメすぎる。特にエレキ・ギター(スコッティ・ムーア)とドラムス(D・ J・フォンタナ)とコーラス隊(ジョーダネアーズ)がひどい。

 

 

彼らに(ウッド・)ベースのビル・ブラックをくわえた編成が当時のエルヴィスのレギュラー・バンドだったのだが、サン時代のノリと比較すると、バタバタ・ドタドタしていてせわしなく余裕がない。サン時代のロカビリー・サウンドにあったゆったりとしたあの余裕のあるノリが消えている。しかもスコッティと DJ はリズム感も悪い。走りすぎだ。

 

 

その一番悪い典型例が「ハウンド・ドッグ」だ。と言うとこの曲こそが1956年のエルヴィスが成し遂げたロックンロール革命の旗印だったように考えられているのでちょっと書きにくいが、大友康平さんゴメンナサイ。この「ハウンド・ドグ」も、エルヴィスの歌には文句のつけようがないが、バンドがダメすぎる。さらにジョーダネアーズの♪あ〜あ〜♫っていうあのバック・コーラス。なんだあれ?ダサいことこの上ない。到底耳を傾けてなどいられない。

 

 

スコッティのエレキ・ギター・ソロもよく走るし、DJ のドラミング、特にスネアの叩き方も走りすぎ。DJ はさらにスネアの音の大きさと色も悪い。二名ともモタるよりはまだマシなんだろうと、ちょっぴり好意的に解釈しておきたいが、いまでは聴いたらこりゃちょっとねえ…、ダメじゃないか。聴けないぞ。

 

 

サン時代の録音と比較して冷静に判断すると、スコッティ、DJ の二名にとっては、あれらのロック・ナンバーはテンポが速すぎるので、演奏技量がついていっていないということなんじゃないかと僕は思う。この二名にアップ・ビートのハードなロック・ナンバーを満足に演奏する技量はなかったと僕は断じる。フロントで歌うエルヴィスがあんなにチャーミングなだけに、ギャップが激しい。しかしあれくらいのアップ・ビート・ナンバーにテンポ・アレンジしないと、1956年のロックンロールとしては値打ちがなかったのも確かなことだろうから、う〜ん、どうなんだ…。困ったなあ…。

 

 

ただあのスコッティと DJ のリズム感の悪い走り方に典型的に表れているようなドタバタしたフィーリングは、いかにも1956年という<あの時代>の気分を反映している、時代がドタバタしていたのだ、それを音で表現しているのだとは言える。ジョン・F ・ケネディがアメリカ合衆国大統領に就任するのは1961年だが、その前の上院議員時代の56年民主党全国大会で JFK の名が一躍知られるようになったという、そんな時代。キューバ危機は JFK 大統領在任時の62年だが、その前から東西冷戦のテンションが高まっていた、そんな時代1956年の気分をね。<ロックの時代>と上で書いたのはこういう意味合いも含む。

 

 

そう見れば、あのスコッティのギターと DJ のドラムスに典型的に出ている、走りすぎの感じの悪いリズムのドタバタしたフィーリングも、<純音楽的に>面白いものだと聴くべきものかもしれないよね。だ〜けどさ〜、実際、CD(今日の場合『エルヴィス 56』)で音だけを2017年に聴いたら面白くないという、僕のこの素直な気持はやはり言っておきたい。ことに「ラヴ・ミー」「ドント・ビー・クルール」「ハートブレイク・ホテル」などのセクシーさと比較すれば、なおさら一層そう感じちゃう。

 

 

ってことでここからは称揚の言葉ばかり並べよう。それら三曲、発売順に「ハートブレイク・ホテル」(1956/1/10録音)「ラヴ・ミー」(56/9/1)「ドント・ビー・クルール」(56/7/2)。この三つは、いま聴いてもため息しか出ないほどセクシーでチャーミングで、いくらほど賞賛の言葉を重ねても重ねたりないと思うほど素晴らしい。まずそれら三曲の音源を貼ってご紹介しておく。

 

 

「ハートブレイク・ホテル」https://www.youtube.com/watch?v=e9BLw4W5KU8

 

 

「ドント・ビー・クルール」https://www.youtube.com/watch?v=ViMF510wqWA

 

 

音楽作品としての出来は、三つ目の「冷たくしないで」が一番いいんじゃないかと思う。出だしのエレベ音みたいのは、ビル・ブラックはウッド・ベーシストだし、実際その音が入っているのでビルではなく、スコッティがギターの低音弦を弾いてベース・ラインみたいにしているんだろうね。そのベース・ラインが聴こえただけで、僕なんかはもう降参だ。エルヴィスが歌いはじめると夢心地。

 

 

僕が個人的に一番好きだと思っているのは、ブルーズ愛好家だから「ハートブレイク・ホテル」なんだろう?と思われるかもしれないがさにあらず。「ラヴ・ミー」なのだ。あの出だしの「とぅり〜〜み、らいく、あ、ふ〜る」と低音ヴォイスのア・カペラで歌いはじめるエルヴィスのあの声が最高にステキ!歌詞内容も、まるで僕のために書かれたものなのかと思うほど激しく共感するし、ラヴ・バラードとしてのテンポと曲調も言うことなしだ。

 

 

僕はこの「ラヴ・ミー」が好きで好きで、好きすぎて、実にいろんな場所で頻繁に鼻歌で口ずさんでいた。大学教員時代のある時、研究室で僕なりの低音ヴォイスで、やはり「とぅり〜〜み、らいく、あ、ふ〜る」とやっていたら、当時の同僚だったアメリカ人男性教師に「ちっ!ちっ!そうじゃない、こうだ」と、僕以上にエルヴィスそっくりな歌い方で、あの低音部での歌い出しを披露してくれた。

 

 

そのフロリダ出身のアメリ人男性同僚教師、結構なエルヴィス・ファンだったらしく、また別の時に僕がやはりエルヴィスの、こっちはサン録音ヴァージョンの「ザッツ・オール・ライト」を鼻歌で口ずさんでいたら(ってつまり、研究室でもどこでも、いつもいつもそんな具合に歌いまくっていたわけです、みんながいる場所で)、そのアメリカ人同僚は「オォ〜!エルヴィス!テュペロ・ボーイ!」と反応してくれたので、僕はすごく嬉しかった。21世紀のはじめ頃のことだったっけなあ。

 

 

みなさんにとってはどうでもいい僕の思い出話だった。さて1956年 RCA 録音・発売のエルヴィス・ナンバーでは、上で書いたように1月10日のナッシュヴィルでの第一回レコーディング・セッション(エルヴィスはのちのちまでナッシュヴィルで録音することが多かった)で録音されたレイ・チャールズの「アイ・ガット・ア・ウーマン」もかなり面白く、魅力的だ。

 

 

 

この録音はサン・レーベル時代のロカビリー・サウンドをかなり残している。ビルだってウッド・ベースのスラップを弾くし、テンポそのものがまさにサン時代にたくさんある録音とほぼ同じ中庸速度でちょうどいい。しかし非常に大きな違いもある。それはサン時代のロカビリー風でありながら、当時にサン時代のどの録音よりも黒く、黒人リズム&ブルーズに近いフィーリングがあるという部分。

 

 

黒いなどと言っても現代的視点からすれば真っ白けだが、サン時代のエルヴィスと比較してほしいのだ。テンポからなにから全てサン時代のロカビリー風でありながら、できあがりが全くサン時代にはないリズム&ブルーズ風。サン時代といわずメイジャーの RCA 移籍後だって、こんな「アイ・ガット・ア・ウーマン」みたいな黒いのはあまりない。

2017/05/07

ミンガスのブルーズ・アルバム二種

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スモール・コンボ編成でやったチャールズ・ミンガスのアトランティック盤では、評価も人気も高い1956年の『直立猿人』や57年の『道化師』よりも、僕だったら59年の『ブルーズ&ルーツ』と61年の『オー・ヤー』を選ぶ。断然後者二枚の方が僕好み。これは普段から僕の文章を読んでくださっている方々であれば、そりゃそうなるでしょとご納得のはず。

 

 

ミンガスのアトランティック盤は、1970年代に数枚あるのを除けば、以上四枚と、60年のライヴ・アルバム『ミンガス・アット・アンティーブ』で全部になる。アンティーブ・ライヴも素晴らしく僕好み。しかしこれは1976年に初めてリリースされたものだから、リアルタイムで発売されていたコンボ編成のアトランティック盤ミンガスに限定すると、僕の場合、『ブルーズ&ルーツ』『オー・ヤー』の二枚こそベストなのだ。

 

 

理由を一言にすれば真っ黒け。ドロドロにエグいブルージーさが全開で、実際、定型ブルーズが多いし、12小節三部構成でなくたって、実質的には二枚とも全部ブルーズ・ナンバーばかりだと言って差し支えないはず。しかもある時期のハード・バップに顕著だったゴスペル・ベースのアーシーさ、言い換えればファンキー・ジャズが爆発しているもんなあ。

 

 

『ブルーズ&ルーツ』の方はこういうアルバム名になっていることもあって、ミンガス自身、ルーツであるブルーズを強く意識した一枚であるのは間違いない。ライノがリリースしたボーナス・トラック入りのリイシュー CD を僕は持ってなくて、手許にある『ブルーズ&ルーツ』はオリジナル LP 通り全六曲。何年のリリースだかどこにも記載がないが、アメリカ盤で、ごくごく普通のアトランティック再発物だ。それで充分じゃないかな。

 

 

『ブルーズ&ルーツ』一曲目の「ウェンズデイ・ナイト・プレイヤー・ミーティング」でいきなりのノック・アウト・パンチ。ボスの野太いウッド・ベースぶんぶんに続き、アーシーなホレス・パーランがいつも通りのブロック・コード弾き。テナー・サックスのブッカー・アーヴィンがリードする六本のホーン・アンサンブルになって、ダニー・リッチモンドが6/8拍子を叩きはじめたら、僕はもう昇天。

 

 

 

そう、これはハチロクのリズムだから、ブルーズというより黒人教会音楽、すなわちゴスペルを土台にした一曲なのだ。曲題も曲のメロディもゴスペル・ソング風。ミンガス最大の得意分野の一つだね。そのリズムが最高だし、六管によるテーマ合奏が終わると、一体誰がどの順番でソロをとっているのか判然としないほど複数が入り乱れる状態になるが(まるで教会現場を垣間見るよう)、ホレス・パーランのアーシーなピアノ・ソロは鮮明だ。

 

 

その後右チャンネルでブッカー・アーヴィンのテナー・サックス・ソロが出るが、その途中でほぼ無伴奏になり、テナーの背後でハンド・クラップしか入っていない状態になる。その部分は短くほんの10秒も続かないが、そのテナー&ハンド・クラップのみのパートが、こりゃまたカッコイイよなあ。

 

 

ダニー・リッチモンドの短いドラムス・ソロが出たあとは再び六管のテーマ吹奏になって「ウェンズデイ・ナイト・プレイヤー・ミーティング」はあっという間に終わってしまう。約5分43秒。たったのこれだけかよ。10分は続けてほしかった(という向きには是非ライヴ盤『ミンガス・アット・アンティーブ』をオススメします、11分以上もやっています)。しっかしシビレルよなあ、こういうファンキーさ、アーシーさ。黒/白の区別なんか無意味だって、そりゃまあそうだろうけれどもさ、こういう音楽を、黒人がやっているという事実を無視して聴くことなどもまた無意味だ。

 

 

あっ、そういえばどの本のどの部分だったか、油井正一さんが同じことを書いたいたのを思い出した。その部分は確かレナード・フェザーの姿勢に疑問を投げかけていたもの。フェザーはイギリス生まれでその当時からジャズ関係の文章を書いて仕事をしていたのだが、アメリカに移住して以後は、このジャズ・マンは黒人だ白人だを言わなくなったと。そりゃなにかちょろっと言うとすぐにジム・クロウ(黒人差別)だとか、逆のことでも言えばすぐにクロウ・ジム(白人差別)だみたいに糾弾される国のなかで仕事をするならば、ワタクシは色盲でござんす、黒も白も一色にしか見えませんと言うしかないだろうと、フェザーだってイギリス時代はジャズ・マン紹介文の末尾に必ず黒人か白人かを付記していたじゃないか、ミンガスとデイヴ・ブルベックのジャズを、黒/白意識せずに聴けますかって〜の!と油井さんは書いていたなあ。どの本だっけ?

 

 

そんなようなめんどくさい国なんだよねアメリカは(悪口ではない)。まあいい。ミンガスの『ブルーズ&ルーツ』二曲目はスロー・ブルーズの「クライン・ブルーズ」。ある時期のブルーズ・ロックの一傾向に用いられる言葉でいえば、レイド・バックした(死語?)フィーリングで、これもブルージーだ。やはりホレス・パーランのピアノ・ソロがいいね。ホレスにしては珍しくシングル・トーンで弾いている。

 

 

 

レイド・バックと書いたので、ここで途中だがいきなり1961年盤『オー・ヤー』の話に移る。どうしてかって、このアルバムは、やはりまたブルーズ・アルバムでありながら、ミンガスの諸作中最もレイド・バックしているからだ。一曲目の「ホグ・コーリン・ブルーズ」はドライヴィングだが、最高にレイジーな二曲目の「デヴル・ウーマン」を聴いてほしい。

 

 

 

このヴォーカルはミンガス自身。そうでなくたって普通のアルバム中でも頻繁にしゃべるというか叫んだりなど、よく声を出すミンガスだが、『オー・ヤー』での彼はヴォーカリストだと言いたいほど歌っている。さらにベースは全く弾かない。全面的にダグ・ワトキンスに任せていて、楽器ではピアノに専念しているのだが、これがまた上手いブルーズ・ピアノを弾くんだよね。

 

 

この「デヴル・ウーマン」が、アルバム『オー・ヤー』では一番長い九分以上もあるのでやはりハイライトだろうが、その後も一曲はさんで「イクルージアスティックス」(Ecclusiastics ってどういう意味?)がこれまたレイジー。レイド・バックとはこの曲を形容するためにある言葉だ。ローランド・カーク、ブッカー・アーヴィン、ジミー・ネッパーの三菅アンサンブルも強烈にブルージーだが、同時にデューク・エリントンの作風にかなり影響されているのが分る。やはりボスが歌う。ピアノも弾く。

 

 

 

これに続く「オー・ロード、ドント・レット・ゼム・ドロップ・ザット・アトミック・ボム・オン・ミー」は、こんな曲題だから社会派なのかと思いきやさにあらず。これまたスローなレイジー・ブルーズなのだ。そう、社会派でシリアスな(側面がしばしば強くある)ミンガスではなく、ただのスロー・ブルーズなんだよね。いちおうボスがなにやらしゃべってはいるが、同時に「うふ〜ん」「あは〜ん」「おー、ジーザス」などと歌う部分では、社会派というより黒人教会風だ。

 

 

 

さて『ブルーズ&ルーツ』の話に戻って、二曲目「クライン・ブルーズ」まで書いたのでそれ以後。三曲目は「モーニン」という曲題なので、ボビー・ティモンズの書いたあれか?と思うとそうじゃなく、ミンガスのオリジナル・ナンバー。がしかしやはりこの「Moanin’」という言葉自体、教会とか宗教への言及なので、それっぽいゴスペル・ベースのファンキーさがやはりある。ここではペッパー・アダムズのバリトン・サックス・ソロもいい。

 

 

 

次の「テンションズ」は飛ばして、CD では五曲目の「ミスター・ジェリー・ロール・ソウル」。これがかなり面白い。オールド・ジャズ風なアンサンブルで、1959年録音にして、まるで時代を30〜40年くらい遡ったみたいな雰囲気の曲想、主旋律、アレンジなんだよね。一番手でソロを吹くトロンボーン・ソロ(ジミー・ネッパー?ウィリー・デニス?)も、二番手のホレス・パーランのピアノ・ソロも、三番手のジャッキー・マクリーンのアルト・サックス・ソロも、みんなそんなレトロ調を意識したかのようなスタイルでやっている。

 

 

 

だから「ミスター・ジェリー・ロール・ソウル」ってのは、曲題通りやはりジャズ初期の巨人、ニュー・オーリンズのクリオール、ジェリー・ロール・モートンへの敬愛を表現した一曲なんだろうね。これは1959年録音だから間違いなくレトロ・ミュージックだけど、僕はこういうの好きなんだよね。ミンガスには、やはり59年のコロンビア盤アルバム『ミンガス・アー・アム』にも、ラストに「ジェリー・ロール」というちょぴり違うタイトルの曲があるが、同じ曲なんだよね。

 

 

 

アトランティック盤『ブルーズ&ルーツ』には、このあともう一曲「Eズ・フラット・Ahズ・フラット・トゥー」というグルーヴィ・ブルーズがあって、しかしこれだけピアノがホレス・パーランではなくマル・ウォルドロンだ。短いがマルもいいソロを弾く。でも僕の好みだと断然ホレス・パーランの方が…。その後出てくるアルト・サックス・ソロは、最初に出る方がジョン・ハンディ、二番手がジャッキー・マクリーンのスタイルだろう(といつもの僕のテキトー耳判断)ね。最終盤は、まるで初期ニュー・オーリンズ・ジャズみたいな集団即興のホーン・アンサンブルになって、その後再びテーマを合奏し終る。

 

2017/05/06

愛するシボネイ、貴女への想いで僕は死ぬだろう

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曲「シボネイ」を聴いていると、この時間が永遠に続けばいいのに…と思ってしまう。それくらい好きだ。といっても「シボネイ」でありさえすれば、誰のものでもいいわけじゃない。僕が普段最もよく聴く最愛好「シボネイ」はラウル・マロが歌ったもの。もちろんロス・スーパー・セヴンの2001年盤『カント』一曲目。

 

 

正直に告白するが、2001年にその『カント』を買うまで、キューバのエルネスト・レクオーナが書いたこの名曲をちっとも知らなかった僕。『カント』を買ったのだって、ロス・スーパー・セヴンはあのロス・ロボスの別働隊の一つだったからというだけで、『カント』の前に一枚 、1998年の『ロス・スーパー・セヴン』があって、それもよかったし、だいたいロス・ロボスが大好きで、これまた別働隊の一つであるラテン・プレイボーイズも好きだった。

 

 

だから『カント』もリリースを知って、そのまま直後に買っておこうと思っただけだった。ジャケット・デザインもいいしね。ところが買って帰って CD プレイヤーのトレイにディスクを入れて再生ボタンを押したら、しばらくして流れてきたオペラティック・ヴォイスにシビレちゃったのだ。と言うと一面正しく反面間違い。

 

 

あの「シボネイ」では歌がはじまる前に、まずドラマーがブラシでアバネーラ(と表記することにしたが、それでも Havana をアバーナと表記する気にはなかなかなれない)のリズムを叩いている。その部分のあのゆったりと跳ねている二拍子のリズム・パターンがいいなあって、まずそれで惚れちゃった。セバスティアン・イラディエールの書いた「ラ・パローマ」のパターンだもんね。

 

 

 

そのブラシ・プレイのドラムスだけに乗ってラウル・マロが歌いはじめた瞬間に、僕はもう完全に骨抜き状態。ラウルのあの朗々とした声もセクシーで絶品だけど、彼が歌っている、僕はその時生まれて初めて聴いた「シボネイ」という曲の旋律も、これまたなんてセクシーなんだろうって。それで僕の「シボネイ」蒐集がはじまったのだ。その熱がいままで続いているので、全てはエルネスト・レクオーナとラウル・マロのせい。

 

 

上で貼った音源をお聴きになれば分るように、この「シボネイ」のメロディは基本マイナー調だけど、サビの部分でメイジャー・キーに転調する。その転調の瞬間に、歌詞で歌っているシボネイという名前の愛する町(キューバに実在する)に対する望郷の気持が一瞬パッと晴れたかのような、そんな雰囲気になっているけれど、しかしスペイン語詞では必ずしもそうはなっておらず、望郷の思いにより一層身悶えするような内容 〜「シボネイ、君が来ないなら、僕はこの愛で死にたい」(Siboney, si no viennes, me morriré de amor)。

 

 

しかしこれは町の名を使ってはいるものの、やはり男女間の恋情を表現したものだろうと僕は解釈している。エルネスト・レクオーナ自身もキューバを離れていた時代に、町シボネイを思って書いた歌詞みたいだけど、そんなかたちを借りながら、やはりシボネイという名前の女性に対する激しい愛、あなたのことが死ぬほど好きです、シボネイさん、この想いが叶わないならば、僕はいっそのこと…、という内容を書いたように聴こえるなあ。

 

 

少なくともラウル・マロの歌うヴァージョンでそんな官能美を、書かれた曲の旋律そのものやヴォーカリストの声に聴きとってしまう僕にとっては、その官能美とはすなわち愛する女性に対する気持が表れたものだとしか思えない。つまり世界中のポピュラー・ソングに実にたくさんある、ありすぎると思うほど多い、愛する女性の名前を繰返し呪文のように唱える、叫ぶ、そんな系統の曲だ、僕にとっての「シボネイ」は。

 

 

ロス・スーパー・セヴンの『カント』では、一曲ごとに誰が歌っていて参加ミュージシャンは誰でなんの楽器を担当しているか、全て附属の紙に明記されている。一曲ごとにかなり入れ替わっているのだが、一曲目の「シボネイ」ではドラムスのクガール・エストラーダの他にも、デイヴィッド・イダルゴ、デイヴィッド・イダルゴ・Jr がパーカションを担当していることになっている。他はピアノのアルベルト・サラス、ウッド・ベースのウィル・ドグ・アベルス。

 

 

しかし「シボネイ」を聴いてもヴォーカルとドラムスとベースとピアノの四人しか聴こえず、パーカッションらしき音は存在しないように思うのだが、あるいは聴こえるあのシャカシャカという音はクガール・エストラーダのブラシ・プレイだけじゃなく、イダルゴ父子がなにか叩いているのだろうか?う〜ん、謎だ。まあでもそんな重要なことじゃないね。

 

 

重要なのは、ロス・スーパー・セヴン『カント』ヴァージョンの「シボネイ」での、(主に)ドラマーが表現するリズム・パターンが、完全に19世紀半ば以後のキューバに存在したアバネーラのそれであるということ。二拍子で跳ねながら、その非常にゆったりとした、ある種のセクシーさも感じるリズムにアレンジされているので、エルネスト・レクオーナの書いたメロディの魅力が一層際立っているということだ。

 

 

そしてもう一つ、それを歌うラウル・マロの堂々したオペラティックなヴォーカルが、やはりセクシーだっていうことも非常に重要。『カント』CD附属の紙に、一曲ごとに違っている歌手による(英語の)メモのようなものが書いてあるのだが、「シボネイ」部分でのラウル・マロは、祖父がやはりこんなオペラティック・ヴォイスの持主で、自分の幼少時に「シボネイ」もよく歌って聴かせてくれていたんだそうだ。だからラウル・マロにとっての「シボネイ」は、子供時分の祖父の思い出をも愛でるような情も含まれているんだろうね。

 

 

いやあ、もちろんエルネスト・レクオーナの書いた「シボネイ」というこの名前は、もちろんキューバに実在する町の名だ。あくまで直接的にはね。でもこの曲をレクオーナが書いた時はまずメロディだけ先にあって、しばらくは歌詞のないインストルメンタル曲だったそうだ。スペイン語詞はあとからキューバ不在時に書き足したものなんだそうだ。だからあの「シボネイ」の旋律が官能的に美しいというのは自律したものなんだよね。歌詞とは無関係にセクシーだ。

 

 

そんでもって音楽の歌詞の意味をどう解釈するかなんてのは、こりゃまた多様なものであって、しかもこっちは歌詞だけ自律して意味を持つようなものなんかじゃない。文学作品じゃないんだからね。旋律やリズムと歌詞はあくまで不可分一体で、メロディとリズムの流れのなかで言葉がどう聴きとれるかってのが重要だろう。だから他のほぼ全てのポピュラー・ソング同様、「シボネイ」だって、あの官能美に満ちた旋律(と『カント』ヴァージョンの場合はアバネーラ・リズムも)と一緒くたになってこそ初めて、歌詞の言うあの amor がなんなのかを受け止めることができるのだ。

 

 

そうすると、ロス・スーパー・セヴン『カント』ヴァージョンの「シボネイ」は、(あくまで僕の個人的な聴き方だが)自分が想いを寄せる女性に対する激しい愛の渇望、あぁ、シボネイ、貴女のことが貴女のことが、これほどまでも僕は好きでたまらない、シボネイ、貴女に対する僕のこの想いが届かないのなら、僕はいっそ死にたい、どうか、どうか… 〜 まあこんな歌をラウル・マロは歌っているように、歌詞の言葉の意味内容だけがというんじゃなく、あのメロディとアバネーラ・リズムが表現しているようにしか聴こえない。

 

 

と同時にこの「シボネイ」は音楽愛を表現したものでもあるだろう。最終盤部で「シボネイ、僕のこのクリスタルな歌の響きを聴いてくれ」(Siboney, oye el eco de mi canto de cristal)とか「このサウンドを聴き逃さないでくれ」(No se pierda por entre el ruido)などとある。つまりメタ・フィクションならぬメタ・ミュージックなんだよね。

 

 

言うまでもなく直接的には、愛するシボネイに僕のこの歌が届きますようにと歌っているだけだ。だけれども、女性愛と音楽愛がピッタリ張り付いて、というか女性に対する愛とはすなわち音楽に対する愛と完璧に同じものなんじゃないかなあ。音楽の美しさ、楽しさ、激しさが、恋愛のそれと同じ、はっきり言えばセックスの快感 、美、熱情と同じものだとおう、僕は前々から書いていることを、今日もまたラウル・マロの歌う「シボネイ」を聴きながら再確認した。

 

 

なお、そんな「シボネイ」が入ったロス・スーパー・セブンの『カント』というアルバム。その一曲目以外のことは本当に一言も触れていないが、いろいろと面白い一枚だし、だいたいペルーの女性歌手スサーナ・バカはこのアルバムで初めて知ったんだったし、また機会を見て「シボネイ」以外のことも書いてみようと思っている。

2017/05/05

これもマイルズとザヴィヌルの共同作業?

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1974年4月19日に発売されたマイルズ・デイヴィズの二枚組アルバム『ビッグ・ファン』。当時完璧に無視されていた作品で、たぶんいまでも同じような評価しか受けていない。それでも2000年にレガシーが大幅にボーナス・トラックを追加してリイシューして以後は、ほんのちょっとだけ見直されるようにはなっているようだ。しかし僕に言わせたら、その全部で四曲の追加曲こそ不要。

 

 

『ビッグ・ファン』は二枚組レコードの片面四つがそれぞれ全てワン・トラック(一曲とは言わない)で、四面で四つという構成だったからこそいいのであって、いくら CD の収録時間が大幅に伸びたからといって、それが分りにくくなると『ビッグ・ファン』の面白味半減なのだ。えっ?元から面白味なんかないアルバムだって?う〜ん、まあそうかもしれないけれど、それなりに聴きどころはあると僕は思うなあ。

 

 

『ビッグ・ファン』全四面で四つとは、一枚目 A 面の「グレイト・エクスペクテイションズ」、B 面の「イフェ」、二枚目 A 面の「ゴー・アヘッド・ジョン」、B面の「ロンリー・ファイア」。これらのうち「イフェ」は別記事にしたい。ちょっと興味深い内容があるので今日は書かない。「ゴー・アヘッド・ジョン」は全く面白さも聴きどころもないように思うので、やはり省略。

 

 

それで一枚目 A 面の「グレイト・エクスペクテイションズ」と二枚目 B 面の「ロンリー・ファイア」にだけ絞って書きたいのだが、この二つはそれぞれ1969年と70年の録音。前者の後半部は、前々から書くようにジョー・ザヴィヌルの書いた「オレンジ・レディ」で、ウェザー・リポート・ヴァージョンでお馴染のもの。これがつなががって1トラックになっている。「ロンリー・ファイア」の方は正真正銘一曲だ。

 

 

例によって1970年代マイルズのスタジオ録音については、CD 附属のデータ記載や紙に印刷されたディスコグラフィ本が信用できないので、インターネット上に存在する情報と僕自身の耳を頼りにして考えるしかない。マイルズ関係の紙の本を書いている方も、ある時期以後の研究成果はネット上に発表するようになっていて、紙メディアはもう捨てている(と最も信用されている紙のマイルズ・ディスコグラフィ本を書いたヤン・ローマンさんご自身も、昨年だったかメールでおっしゃっていた、あの本は間違いだらけだが、もはや紙で更新する気はないと)んだよね。紙に印刷されたものの方がまだやっぱり信用できるという方もたくさんいらっしゃるし、それにネットをそんな風に使わない人の方が多い(メールと LINE と各種 SNS だけ?) かもしれないから、本当は紙の本でも誰か出してくれたらありがたいんだけど、出したら出したで、電子データと違って改訂するのが面倒だよなあ。情報は日々刻々と更新されるのに。

 

 

『ビッグ・ファン』一枚目 A 面「グレイト・エクスペクテイションズ」(というチャールズ・ディケンズの小説があるが、関係ないんだろうなあ、僕は二つともほぼ同時期に知ったので、どうなんだろう?と思っていた)になっている二曲「グレイト・エクスペクテイションズ」「オレンジ・レディ」は、どっちも1969年11月19日録音。これは『ビッチズ・ブルー』になった曲群を録音した同年八月以後、初のスタジオ・セッション。しかしバンド編成がかなり激しく変化している。

 

 

最大の違いは、シタール、タンブーラ、タブラという三つのインド系楽器奏者が参加していること。1972年頃までのマイルズ・ミュージックの特徴の一つだったこういった楽器を使った最初の機会がこの日で、この日に四曲録音したうち、「グレイト・エクスペクテイションズ」が一番先に演奏されている。次いで「オレンジ・レディ」。

 

 

そしてドラムスがビリー・コバムで、しかしジャック・ディジョネットに代わってレギュラー・メンバーになったわけではなく、1970年春頃までのスタジオ・セッションではときどき起用することがあっただけ。実際この69年11月19日以後も、日付によってディジョネットだったりコバムだったり、またある時はその両者のツイン・ドラムス体制だったりなどしている。

 

 

また、「グレイト・エクスペクテイションズ」「オレンジ・レディ」他二曲を録音した1969年11月19日でのベーシストが、直前の『ビッチズ・ブルー』セッション同様、二名いるのだが、エレベの方はやはりハーヴィー・ブルックスなのに、ウッド・ベースはなぜだかデイヴ・ホランドではなくロン・カーター。なぜだか、ってこともないんだろう。こういうことは70年頃までのスタジオ・セッションではときたまあった。

 

 

バンド編成上の大きな違いはこれだけなんだけど、できあがったものが『ビッチズ・ブルー』とは似ても似つかないものになっている。ご存知ない方もいらっしゃるだろうから、音源を貼ってご紹介しておこう。フル・ヴァージョンでアップロードされているのがこれだけなんだけど、どうしてこんな画像を使っているんだ?

 

 

 

ドラムスとパーカッションの音からまず入り、すぐにタンブーラとシタールの音が出てくるので、それまでのマイルズ・ミュージックとはかなり異なる音楽に聴こえるよね。リアルタイムでは1972年に『オン・ザ・コーナー』が先にリリースされているので、当時のファンなら驚きはなかったかもしれない。がしかし、特にシタールの使い方は『オン・ザ・コーナー』でのそれよりも鮮やかだ。少なくとも「グレイト・エクスペクテイションズ」でのシタールの使い方は効果が大きい。

 

 

最も重要なことはこの「グレイト・エクスペクテイションズ」、アド・リブ・ソロがマジで一切存在しない。いちおうマイルズ作となっているメロディ、というかモチーフをただひたすらマイルズ本人が(とときどきバス・クラリネットのベニー・モウピンも一緒に)反復するだけなのだ。同じパッセージをただそのままリピートするだけ。ただそれだけ。背後のリズムの感じやギター、エレピなどでのサウンド・テクスチャーは少しずつ変化しているが。

 

 

ってことはあの有名な「ネフェルティティ」と完璧に同じ手法だよね。1968年のアルバム『ネフェルティティ』一曲目のあれは大変に評価が高いものだけど、同じことをやっている「グレイト・エクスペクテイションズ」の方は、どうして誰もなにも言わないんだろう?そもそも「ネフェルティティ」と同じ演奏手法だということすら、誰一人として指摘していないしなあ。

 

 

これを録音した1969年11月というと、マイルズはジョー・ザヴィヌルとかなり親密で、だから実際ザヴィヌルが書いて提供した「オレンジ・レディ」を録音しているわけだけど(しかしリリースされなかったので、ウェザー・リポートの一作目でザヴィヌルは再演)、ザヴィヌルがマイルズに強い興味を持ったきっかけだったいう「ネフェルティティ」からの流れが、ザヴィヌルと親密で共演も繰返していた時期の69年11月まで続いていたってことだ。

 

 

これは「グレイト・エクスペクテイションズ」後半部になっている「オレンジ・レディ」についても同じ。ザヴィヌルの書いたピースフルなメロディを反復するだけで、しかしながらメロディもリズムも執拗かつヒプノティックに同一パターンを反復するだけの「グレイト・エクスペクテイションズ」部と違って、「オレンジ・レディ」部後半では、突如リズムが快活で躍動的になるのは大きな相違点。

 

 

それはそうと「オレンジ・レディ」部に入ると、アイアート・モレイラがビリンバウを演奏している。「グレイト・エクスペクテイションズ」部ではクイーカだった。この二つのブラジリアン・パーカッションを、僕が生まれて初めて耳にしたのが、このマイルズのアルバム『ビッグ・ファン』一枚目 A 面だったんだよね。しかし LP では<パーカッションズ>としか記載がなかったので、どんな楽器であんな音を出しているのか、やはり当時は全く分らず。

 

 

余談だった。同一パターンを反復するだけというのをマイルズがザヴィヌルと一緒にやったの最初のものが1969年2月録音の曲「イン・ア・サイレント・ウェイ」だけど、それがアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』の B 面になる際には、テオ・マセロが編集して<静>の「イン・ア・サイレント・ウェイ」と<動>の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」がひとつながりになっていた。後者が、いちおう名義上はマイルズ作。

 

 

その九ヶ月後である1969年11月のセッションで録音した二曲を74年にレコード発売する際、やはりテオ・マセロが編集してその二曲をつなげ、しかし今度は<動>の「グレイト・エクスペクテイションズ」を先、<静>の「オレンジ・レディ」を後に持ってきたことになるんだなあ。といっても書いたように「オレンジ・レディ」でも後半部は動的になるけれども。

 

 

そしてアド・リブ・ソロが全く存在しないという意味では、『ビッグ・ファン』一枚目 A 面は、『イン・ア・サイレント・ウェイ』B 面よりも徹底している。後者の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」では、ジョン・マクラフリン、ウェイン・ショーター、マイルズの三人がしっかりソロをとるもんね。それが「グレイト・エクスペクテイションズ(と「オレンジ・レディ」)では一瞬たりとも出てこない。

 

 

このアド・リブ・ソロ完全無視の手法は、アルバム『ビッグ・ファン』二枚目 B 面の「ロンリー・ファイア」でも全く同じだ。だから今日僕は最初にこの2トラックの話をすると書いたんだよね。「ロンリー・ファイア」の方は1970年1月27日録音で、ウッド・ベースがデイヴ・ホランドに戻り、ドラムスがジャック・ディジョネットとビリー・コバムのツイン体制であること以外は、バンド編成上、前述の「グレイト・エクスペクテイションズ」と大差ない。

 

 

「ロンリー・ファイア」はスパニッシュ・スケールを用いた曲、というかモチーフなので、これはマイルズ本人の用意した(「書いた」とは言わない)ものに違いない。テンポ・ルパート状態でボスがミュート・トランペットを使ってそのモチーフをひたすら反復演奏するだけ。ウェイン・ショーターのソプラノ・サックスもほぼ同じ。そして後半部からリズムが活発で躍動的になるあたりは「オレンジ・レディ」と同じパターンだ。スパニッシュ・ナンバーだけあって、後半部でフェンダー・ローズのチック・コリアが、後年のリターン・トゥ・フォーエヴァーでの自作「ラ・フィエスタ」そっくりのフレーズを弾いたりする。

 

 

 

がしかし非常に大きな違いが一つある。「グレイト・エクスペクテイションズ」その他を録音した1969年11月19日には参加していなかったジョー・ザヴィヌルが、70年1月27日にはフェンダー・ローズで演奏に参加していることだ。これはちょっと不思議だね。だって69/11/19にはザヴィヌルのオリジナル曲「オレンジ・レディ」をやっているのに作者本人は参加せず、曲を提供していない70/1/27には演奏だけで参加しているなんて。

 

 

というのはザヴィヌルがマイルズのレコーディングに参加する際は、1968年11月の初参加から最後になった70年2月まで、「常に」オリジナル曲を提供するというのが呼ばれる一つの大きな理由で、というかそれがあってこそ演奏にも参加しているからだ。プレイヤーとしてよりもコンポーザーとして重宝されていたようなフシがあるもんね。それが69/11/19と70/1/27では違っているのが不思議だ。

 

 

しかしよくよく調べなおしてみると、1970年1月27日にはザヴィヌルが参加して「ロンリー・ファイア」「グウィニヴィア」(そう、あれだ、クロスビー、スティルス&ナッシュのあれをマイルズは録音した)の二曲だけを録音したのだと僕は思っていたが、実はもう一曲「ヒズ・ラスト・ジャーニー」のリハーサル・テイクがあるじゃないか。これ、ザヴィヌルの曲だよ。例のアトランティック盤『ザヴィヌル』に収録されているあれだ。

 

 

がしかし!そのマイルズがやった「ヒズ・ラスト・ジャーニー」のリハーサル・テイクは、なんともったいないことに ”rejected” と各種ネット上のディスコグラフィには記載されている。そうなのかと思って CD 四枚組の『ザ・コンプリート・ビッチズ・ブルー・セッションズ』で見ても、附属ディスコグラフィでやはり “rejected” の文字。なんということを!リハーサル・テイクだから聴いてもつまらないものだった可能性が高いのかもしれないけれどもさぁ。

 

 

ってことはザヴィヌルが演奏でマイルズの録音に参加する時は、やはり常に自作曲を持ってきているじゃないか。しかし、するとかえって1969年11月19日のセッションで、自作の「オレンジ・レディ」を提供しているにもかかわらず、この日は演奏で全く参加していないというのが、やはりちょっと奇妙だなあ。でも曲を持ってきたんだから、スタジオ現場には顔を出していた可能性がかなり高いだろう。上でも触れたように、やはりマイルズにとってのザヴィヌルは、あくまでコンポーザーだったのかも。

 

 

だからやはりスタジオ内におけるマイルズとザヴィヌルのコラボ・アイデアで(「イン・ア・サイレント・ウェイ」からの流れで)、1974年発売のアルバム『ビッグ・ファン』に収録された69年の「グレイト・エクスペクテイションズ」「オレンジ・レディ」や70年の「ロンリー・ファイア」みたいな、アド・リブ・ソロなしで同一モチーフを反復するだけという演奏手法を練って実行したんじゃないかと僕は考えている。

2017/05/04

ロックウッドのブルーズ・ギターこそ美しい

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あの世代の日本のブルーズ・ファンのみなさんにとっては絶対に忘れられないものであるはずのロバート・Jr ・ロックウッドの『ブルース・ライヴ!』。そりゃなんたって日本での第一次?ブルーズ・ブームだった1974年の来日公演盤だもん。僕は完全なる後追い世代だけど、やはりレコードを買って持っていた。でも最初の頃は渋すぎて(?)全く面白く感じず。だから他のブルーズもたくさん聴いて、ロックウッドのこれもリイシュー CD で聴いてからだなあ、あのロックウッドの美しさが分るようになったのは。

 

 

ロバート・Jr ・ロックウッドの『ブルース・ライヴ!』。 CD でも最初二枚バラ売りだったはずだけど、いま僕が持っているのはヴィヴィドが2008年にリリースした三枚組完全版。解説文を中村とうようさんが書いているが、とうようさんはそもそもそのロックウッドが1974年11月に来日した第一回ブルース・フェスティバルの主催・プロデュース・司会だった。だから解説文では、当事者しか知りえない裏話やエピソードみたいなことだけ書いてある。

 

 

ロバート・Jr ・ロックウッドとエイシズのことや、収録曲のことなどにかんしては、2008年時点だと日本のブルーズ・リスナーのあいだでも周知のことだったのであえて書かなかったってことなんだろうね。実際、三枚組の三枚目ラストに収録されている、同時来日のスリーピー・ジョン・エスティスがやる二曲も含めアルバムの全32曲は、ほぼ全てよく知られているものばかりだ。それを(ロックウッドの場合)戦後シカゴのモダン電化バンド・スタイルでやっているわけだから、それについていまさら解説する必要なんて確かになかった。

 

 

ただ、ロバート・Jr ・ロックウッドの『ブルース・ライヴ!』にかんしても僕は完全なる後追い人間だし、しかもむかしから名盤との評価が高いから僕も早くに買って、このアルバムで聴いて初めて知ったような曲もたくさんあったりして、それにたぶんああいったブルーズ・スタンダードの数々をモダン・シカゴ・スタイルでやるライヴ演奏を聴いた最初だったんじゃないかなあ、僕の場合は(B・B・キングの『ライヴ・アット・ザ・リーガル』を除く)。

 

 

だからある時期までの僕にとっては、ロバート・Jr ・ロックウッドの『ブルース・ライヴ!』は<周知>のものではなく<発見>がたくさんあった。それと最初に買いたようにしばらくのあいだは、派手さもなく渋すぎて面白くないと感じていたライヴ盤だったので、CD で聴いて、それも2008年のヴィヴィド完全盤三枚組で聴いて、初めて分ってきたような部分もあるんだよね。そんなことを今日少し書いておこう。

 

 

でも一曲目の「スウィート・ホーム・シカゴ」なんかについては、やはりなにも言うことがない。あまりにも有名すぎる曲だし、モダン・シカゴ・スタイルでこの曲をやるなんてのは、え〜、またこれかよ…というようなウンザリ気分だというのがちょっぴり正直なところだったりする。それでも、いわば定番をやる古典落語の名人芸みたいなもんで、この種の音楽は永遠不滅であることを証明してはいるよなあ。また、1974年11月に生体験した方々にとってはウンザリの正反対な気分だったはずだしね。

 

 

この三枚組を聴き進んで一番素晴らしいと思うのが、上でも一瞬触れたがロバート・Jr・ロックウッドのギターだ。美しい。こういうブルーズ・ギターの弾き方にこそ、僕は「美しい」という言葉をたむけたい。決して派手ではない。すごく地味だ。しかし最高に上手く、イントロや自身が歌いながら弾く合間合間のオブリガートや間奏ソロなどで聴けるシングル・トーン弾き(たまにスライド)の絶妙さには脱帽するしかない。その背後でコードを弾いているのがルイス・マイヤーズかな。デイヴ・マイヤーズのエレベが小さくしか聴こえないのが残念だけど、フレッド・ビロウのドラミングがこりゃまた名人芸だ。

 

 

フレッド・ビロウが叩き出すリズムの面白さという点では、二枚目一曲目の「エヴリデイ・アイ・ハヴ・ザ・ブルーズ」も聴きもの。どこがかというと、それでビロウが叩いているのは6/8拍子、すなわちハチロクのリズムだ。アルバム『ブルース・ライヴ!』全部を聴いても、そんなリズムはこれ一曲だけだし、モダン・シカゴ・ブルーズ全体にとってもやや珍しいもののはず。ビロウは特にシンバルで細かいハチロクを刻んでいて、しかもスネアの入り方は4/4系でありつつ8ビート・シャッフルのフィーリングだから、ポリリズミックだなあ。

 

 

それ以外の演奏曲は普通の8ビートが多い。ロバート・Jr ・ロックウッドのギターのモダンさが一番よく分るのは、やはり最高に洗練されたモダン・ブルーズ・ナンバーである「ストーミー・マンデイ」(一枚目六曲目)だろうなあ。バックのルイス・マイヤーズの刻むコードもややジャジーで(いわゆる<ストマン進行>を弾いている)、その和音に乗ってロックウッドもオシャレな単音フレーズを弾く。僕はこういった T ・ボーン・ウォーカーがやったような都会のソフィスティケイッティッド・ブルーズが一番好きなんですよ。

 

 

アルバム一枚目九曲目の「ミーン・オールド・スパイダー」だけがロバート・Jr ・ロックウッド一人だけでの弾き語りで、他は全部エイシズを従えたバンド形式でやっている。ジャンプ・ブルーズの「ユー・アップセット・ミー・ベイビー」(いまにもテナー・サックス・ソロが出てきそう)や、続くやはりスタンダードの「スウィート・リトル・エンジェル」などなど、お馴染ばかりだ。一枚目ラスト14曲目は「ジューク」。もちろんあのリトル・ウォルターの有名曲だから、当然ここでもハーモニカをフィーチャーしたインストルメンタル演奏で、吹くのはルイス・マイヤーズ。

 

 

ルイス・マイヤーズはヴォーカルをとっている曲もあり、例えば二枚目二曲目の「アーリー・イン・ザ・モーニング」や八曲目の「リコンシダー・ベイビー」など。しかしそれらの曲でも脇役に廻っているロバート・Jr・ロックウッドの弾き方が美しい。やはりルイスが歌う二枚目六曲目の「マニー・マーブルズ・アンド・チョーク」で聴かせるスライド・プレイなんか、ロバート・ナイトホークみたいな斬れ味だもんなあ。

 

 

一曲だけドラマーのフレッド・ビロウが歌うものがあって、二枚目四曲目のポップ・スタンダード「ルート 66」。僕なんかにはナット・キング・コールなどジャズ系の歌手がやったもので親しみがある超有名曲だけど、ローリング・ストーンズその他ロッカーもやっているし、ブルーズ〜 R&B の人たちだってもちろんやっている人がたくさん。ビロウのヴォーカルは決して上手いものじゃないけれど、でも本場シカゴのナイト・クラブなど現場ではこんな場面がしばしばあっただろうと想像できるので、その意味ではちょっとだけリアルな仮想体験。

 

 

ロバート・Jr ・ロックウッドの『ブルース・ライヴ!』。三枚目に収録の(スリーピー・ジョン・エスティスの二曲を除く)三曲は、レパートリー自体も演奏内容も面白いものだが、長い間未発表だったのは、たぶん録音状態が悪いせいなんだろう。特に一曲目の「ワーク・ソング」の音がよくない。ナット・アダリーの書いたジャズ・ナンバーだし興味深いんだけどなあ。二曲目だってルイ・ジョーダンの「カルドニア」だし、三曲目なんてレイ・チャールズの「ワッド・アイ・セイ」だしなあ。さらに演奏そのものだって興味深いし、録音さえマトモだったらなあ。

 

 

だからロバート・Jr ・ロックウッドの『ブルース・ライヴ!』は、あくまで二枚目までが<本編>だというような感じなんだろう。二枚目終盤ではマディ・ウォーターズの有名曲「フーチー・クーチー・マン」、ジミー・ヒューズの「スティール・アウェイ」、そしてまたマディの「ガット・マイ・モージョー・ワーキング」をやって終り。マディがずっとそうだったように、「ガット・マイ・モージョー・ワーキング」で盛り上がって(現場では違ったかもしれないが)締めくくりのラスト・ナンバーにしているんだろう。

 

 

しかしその前の「スティール・アウェイ」がもっといいと僕は思うよ。ジミー・ヒューズはソウルっぽいリズム&ブルーズ歌手で、最大のヒット曲「スティール・アウェイ」(ゴスペル・ソングを土台にしている)も三連のソウル・バラードなんだけど、それをロバート・Jr ・ロックウッドは全く泥くさくない都会的感性で、ジャジーな、まるで AOR バラードみたいな仕上がりにしているんだよね。こういうの、大好きだ、僕。

2017/05/03

リズム&ブルーズのひそやかな性的言及

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僕は25曲入りのベスト盤『グッド・ロッキン・トゥナイト:ザ・ヴェリー・ベスト・オヴ・ワイノニー・ハリス』一枚しか持っていない歌手なのだが、これまたフランスのクラシックス・レーベルが年代順に集大成しているらしい。しかしクラシックスがリリースするということは、ジャズ・シンガーだという認識なのか?特に間違っていないだろうが、でもちょっとどうかなあ?どういう認識でどこがやろうと、ちゃんとしたコンプリート集にして出してくれているだけでありがたいことではある。

 

 

ベスト盤一枚しか持っていない僕が言うことじゃないが、しかしワイノニー・ハリスはそれで充分なんじゃないかという気がちょっとする。ラッキー・ミリンダー楽団の歌手として1944年にレコード・デビュー。その後そのボスのススメでキング・レーベルと契約し独立。その前にちょっと他の会社とやっているが、成功したのはあくまでキング時代の1948年「グッド・ロッキン・トゥナイト」からで、50年代半ばのロックンロール活況とともに姿を消したという歌手だからね。

 

 

あれだけロックンロール誕生に寄与したにもかかわらず、それにとってかわられてしまった 〜 そういう黒人歌手は、ワイノニー・ハリスだけじゃなくいっぱいいるんだよね。だからやっぱりああいう人たちを僕はリズム&ブルーズのくくりに入れたい。ジャズ側に譲るならば、ジャンプ・ブルーズ歌手だ。まあ本質は同じようなものであって、ジャズ〜ジャンプ〜リズム&ブルーズ〜ロック誕生は一つながりのものだけれども。

 

 

ワイノニー・ハリスの「グッド・ロッキン・トゥナイト」も、エルヴィス・プレスリーが歌ったので有名化し、その後現在までいろんな人が歌うロック・スタンダードになっているが、 ワイノニーが最初に歌った曲ではない。同じ頃の同じような種類の黒人歌手ロイ・ブラウンのものが初演だ。それは1947年。しかしちょっと入り組んだ事情があるようだ。

 

 

ロイ・ブラウンは「グッド・ロッキン・トゥナイト」を元々ワイノニー・ハリスに歌ってもらうためのものとして書いて提供したらしい。しかしワイノニーがこれを却下してしまった。それでロイは次いでセシル・ギャントにアプローチ。しかしセシル・ギャントはロイ自身ががこの曲を歌うのを聴き、自分でレコーディングするのではなくデラックス・レコーズの社長に電話。社長のジュールズ・ブラウンは、電話口でロイが「グッド・ロッキン・トゥナイト」を歌うのを耳にして、そのままレコーディングを申し出た。

 

 

それでロイ・ブラウンが書き自ら歌う1947年の「グッド・ロッキン・トゥナイト」がリリースされたんだよね。しかしロイ自身のそのレコードが注目されるようになったのは、あくまで(当初の予定通り)翌48年にワイノニー・ハリスが歌い、そのレコードがヒットしてからだ。ワイノニーのものはビルボードの R&B チャート首位になっているが、ロイのものは13位。しかしワイノニーがヒットさせたあとの49年に、ロイのオリジナル・レコードも再チャート・インして11位まで上昇している。

 

 

その二つの「グッド・ロッキン・トゥナイト」をご紹介しよう、ちょっと比較してみて。

 

 

1947年ロイ・ブラウン→ https://www.youtube.com/watch?v=cgdzS4OSQ1M

 

1948年ワイノニー・ハリス→ https://www.youtube.com/watch?v=_7IFrGZMzYU

 

 

ロイ・ブラウンのヴァージョンはジャジーだ。伴奏バンドの演奏も柔らかいし、中間部のテナー・サックス・ソロがパワフルな感じかなと思う程度。歌手の声質や歌い方だって軽くスムースでソフト。クルーナーだとまで言いたいほど。ジャンプ・ブルーズの部類には入るけれど、はっきり言ってしまうと1947年としてはコンサヴァティヴなのだ。だからこれがイマイチ売れなかったのは理解できる(が僕はこっちの方が好き)。

 

 

それと比較してワイノニー・ハリスのものはゴツゴツしていてかなりパワフルでエナジェティックじゃないか。猥雑さも増しているし、こっちの方がアピールできるのは誰だって分る。伴奏バンドだって、まず冒頭でフル・バンドで迫力満点に入ってくるが、直後にワー・ワー・ミュートをつけたトランペットも合間合間で出るのがイイネ。ビートもロイ・ブラウン・ヴァージョンよりも一層強力に効いていて、ワイノニーが歌いはじめてからはハンド・クラップがバック・ビートで入るのも効果的。

 

 

だからエルヴィス・プレスリーも、たぶん両方聴いていただろうけれど、どっちかというとワイノニー・ハリスのレコードを参考にしてカヴァーしたんだろうね。それにしてはエルヴィスの1954年サン・レーベルへの初演はおとなしい感じだけど、これでも当時の白人歌手としてはパワフルで猥雑な感じだったんだよ。

 

 

 

エルヴィス・ヴァージョンの最大の特徴は二つ。rockin’ という言葉が完全にクリーンになっていること。歌詞をかなり書き換えてしまっていること。しかしこの二つは非常によく理解できる。まず前者、ロック(&ロール)という言葉をセックスへの直接的な言及ではなくしたことの意味は大きい。セックスというより(パーティーなどで)大騒ぎする、そしてそんな際の音楽の一つのスタイルを指す言葉として使われている。

 

 

まあしかしこれは元々ロイ・ブラウンが書き、ロイやワイノニー・ハリスが歌ったものから既にそうなっている。ってことは1940年代後半で、既にロック(&ロール)という言葉が直接的にはセックスから離れ、合わせて踊れる音楽の1スタイルを指すものになっていたってことだろうなあ。黒人音楽家がまずこの切り離しをやって、1950年代半ばの白人ロッカーがさらに一層クリーンにしたことで、アメリカ一般大衆のお茶の間でも気軽に楽しめる娯楽品になったんだね。

 

 

もう一つ、エルヴィスがロイ・ブラウンの書いた歌詞をかなり書き換えているという点。上で貼ったロイやワイノニー・ハリスのヴァージョンを聴きなおしていただきたいのだが、人名が実にたくさん出てくるよね。そしてそれらは全て先行する黒人音楽曲への言及なのだ。スウィート・ロレイン、スー・シティ・スー、スウィート・ジョージア・ブラウン、カルドニア、この四つは誰でも分るものだが、ほかにもエルダー・ブラウン、ディーコン・ジョーンズがある。

 

 

エルダー・ブラウンとディーコン・ジョーンズを除く四つは、誰が歌ったものなのか全く説明不要の有名曲。そのまま曲名にもなっているから、YouTube で検索すれば出てくるはず。だからご存知ない方は是非ちょっと探して聴いてみてほしい。こういう先行黒人音楽曲への言及が歌詞中にたくさんあるので、それもあって「グッド・ロッキン・トゥナイト」は僕の大のお気に入り。ややジャジーなロイ・ブラウン・ヴァージョンも、ロックを先取りしたような強靭なビート感とサウンドと歌い方のワイノニー・ハリス・ヴァージョンもね。

 

 

ところがエルヴィスはこういう一連の言及を完全に抹消してしまっている。まあしかしこっちも理解できるものではある。こういった先行する黒人音楽と切り離すことで、「新しい」音楽としてのロックンロールの意味を見出したかったということだろう。それにくわえ、(主に)白人音楽購買層にとっては、それらの人名がなんかなんのことやら分らない可能性もあると、エルヴィスかサム・フィリップスが判断したのかもしれない。

 

 

個人的には残念でありながら、しかしそうするしかなかっただろう、そうしないとヒットしなかっただろうと納得もできるエルヴィス・ヴァージョンの「グッド・ロッキン・トゥナイト」。だがしかし1910〜40年代前半までのジャズやその他黒人音楽が大好きな僕には、この曲はやはりロイ・ブラウンやワイノニー・ハリスのヴァージョンに止めを刺す = それに限る。

 

 

僕の持つコレクタブルズ・レーベルのベスト盤『グッド・ロッキン・トゥナイト:ザ・ヴェリー・ベスト・オヴ・ワイノニー・ハリス』では、アルバム・タイトル通りのものが一曲目で、その後ずらずら並んでいるが、だいたい似たような曲が多い。強いビートが効いていて、アップ・テンポで、ハードにシャウトするようなものばかり。ワイノニーの歌い方もかなり愉快。そして下品だ。

 

 

えっ?下品?さっき「グッド・ロッキン・トゥナイト」は、ロックという言葉がセックスと切り離された曲だと書いたじゃないかと言われそうだが、あくまで直接的にはという意味であって、完全に消えるわけもなく、またこの曲以外でもワイノニー・ハリスの歌にはかなりダーティーなフィーリングがある。歌詞内容も歌い口もね。そう、これこそ黒人娯楽音楽の最大の魅力ですよ。

 

 

例えば僕の持つコレクタブルズのベスト盤では、一曲目「グッド・ロッキン・トゥナイト」に続く二曲目が「ラリパップ・ママ」(1948)。八曲目が「シティン・オン・イット・オール・ザ・タイム」(50)。 九曲目が「アイ・ライク・ベイビーズ・プディン」(50)だもんね。

 

 

 

 

 

人気が消えはじめる直前の時期にだって、僕の持つベスト盤15曲目に「キープ・オン・チャーニン」(1952)があるし、またそれには収録されていないが「ワズント・ザット・グッド」(53)などもあったりして、まあホントそのまんまじゃないか。

 

 

 

 

ただこういったワイノニー・ハリスの一連のダーティー R&B は主に歌詞内容と曲題がそうなのであって、歌い方はパワフルだけどそんな露骨すぎるエロさはなく、また曲全体の調子や伴奏バンドの演奏スタイルにもハゲシイなフィーリングは聴きとれない。歌詞内容をマジに受け止めたら難しいかもしれないが、それを無視すれば(ってアメリカ人には無理だが)お茶の間でも気軽に聴けそうじゃないか。上品芸術品扱いしかされないデューク・エリントン楽団なんかの方がよっぽどひどい=エロいぞ。

 

 

1940年代後半から50年代初頭にかけての黒人歌手たちが、よく聴くと実は下品でダーティーなブルーズでありながら、露骨すぎないように表面上はエロさを決して、聴きやすく大勢の聴衆にも受け入れやすいかたちの娯楽音楽にして売ったリズム&ブルーズが、直後にロックンロールが誕生する素地になったんだよね。隠されたセクシャルなニュアンスも、ひそやかにロックのなかにも受け継がれていて、折々ひょっこりと顔を出している。

2017/05/02

1950年代インドネシアのフィーリン風ジャズ

Iramajazz









部屋のなかでただダラダラ流しているだけで心地良い一枚『イラマ・ジャズ』。くつろいでリラックスできて、僕は下戸だから美味しいコーヒーを自分で淹れたものを飲みながら、集中して耳を傾けるでもなくなんとなく聴きながら夜のひとときを過ごす 〜 そんなときにこれ以上ピッタリくる一枚も少ない。これはいわばラウンジ・ジャズだ。

 

 

ラウンジ・ジャズとか言うと、ハードでシビアなゴリゴリのジャズがお好きなジャズ・ファンの方々は100%間違いなく心の底からバカにして軽蔑している。僕は苛烈で身を削るような演奏だって大好きだけど、みなさんいつもいつもそんな音楽ばかりお聴きなんだろうか?疲れてしまってしんどいに違いないから、立場上、好きだとは恥ずかしくて公言しないだけで、結構スムースでリラクシングな音楽も聴いているはずだ。

 

 

最近の僕はそんな嗜好を隠さなくなっているけれど、現在55歳で、もはやそんな格好をつけたり恥ずかしがったり他人の目線を気にしたりなどする余裕がほぼなくなってきているせいなのかもしれない。まぁ恥ずかしいなんて感情が湧くようであれば、毎日毎日こうやって欠かさず文章を書いてはブログにアップするなんてできないはずだよね。おかしなことばかり書いているわけだからさ。

 

 

そんなわけでエル・スールで買って以来、くつろぎたい気分の時にはよく聴く『イラマ・ジャズ』。1950年代のインドネシアはジャカルタにあったイラマ・レコードに残された SP 音源の復刻盤コンピレイションのようだ。リリースしているのは Polka Dot Disc。日本人がやっている(?)日本のレーベル(?)みたい。この Polka Dot Disc が何枚出しているのか知らないが、僕がエル・スールで買って持っているのは全部で三枚。

 

 

一つが今日書いている『イラマ・ジャズ』。一つがやはり編集盤の『ラグ・ラグ・メラユ・ノスタルジア、マレイシアン・ヴィンテージ・ミュージック・イン・ジ・アーリー・60s』 。一つが西ジャワの女性歌手ウピット・サリマナの『ポップ・スンダ』。三枚ともペラ紙一枚を折りたたんだだけのもので裸のディスクを挟んであるのみ。中身の音楽は三枚ともいい。今日は『イラマ・ジャズの話だけになるけれど、そのうち他の二枚の話もしようっと。

 

 

さて、インドネシアのジャズというとむかしからレヴェルが高く、東南アジア地域では日本と並んで腕利きジャズ演奏家がたくさんいるのはジャズ・ファンのみなさんならご存知の通り。インドネシア国外で活躍した人だっているし、またジャズだけでなく、インドネシアのポピュラー・ミュージックは、たぶん日本のものより面白くチャーミングで、そしておそろしく高度に洗練されている。

 

 

それなのに、インドネシアの音楽を、米英日以外の世界の地域のポピュラー・ミュージック、例えばラテン音楽やアフリカ音楽やマグレブ音楽(もある意味アフリカ音楽でしょ)や西アジアのムスリム系音楽ほどは熱心に聴いてこなかった僕。やっぱりどうかしているよなあ。音楽だけでなく東南アジア地域に対するひどい偏見があるんでしょ?と指摘されても、返す言葉がない。

 

 

だから無知な僕にも可能な範囲で少しずつ書いているんだけど、今日話題にしている『イラマ・ジャズ』を聴くと、1950年代の録音というにしては、ジャズの本場アメリカの同時代と比較すれば断然レトロだと言える。今日この場合のレトロ(・ジャズ)とは褒め言葉だ。僕の場合、アメリカでビ・バップが勃興する前までの古典ジャズ、すなわち現代的視点からはレトロなジャズの方が好きなわけだから。

 

 

ただこう書くと「レトロ」という言葉の使い方がオカシイね。レトロ(スペクティヴ)とは、あくまで現在地点から振り返ってむかしの、という意味だから、1950年代あたり以後からの時代に(アメリカを含む)各国で演奏されたディキシーランド・ジャズやスウィング・ジャズについては当てはまるけれど、1910〜30年代のアメリカ本国のそういったジャズそのものは時代の最先端だ。それ自体は決してレトロ・ミュージックではない。

 

 

だけれども、まあだいたいどんなような音楽が『イラマ・ジャズ』という CD-R アルバムで聴けるのか、雑な説明としてレトロ・ジャズと書いたのだ。つまりあくまで(『イラマ・ジャズ』収録曲が録音された時期の)1950年代のアメリカ本国の視点からのレトロという意味。収録曲の演奏スタイルは、アメリカの1930年代後期風スウィング・コンボ・スタイルだ。僕が最も愛好する音楽スタイルの一つなんだよね。

 

 

つまり『イラマ・ジャズ』収録の全23曲に、(アメリカなら)ビ・バップ以後のスタイルに聴こえるようなものは一つもなく、インストルメンタル・ナンバーもない。23曲全てヴォーカリストがいて、軽くてソフトな、そして若干のインドネシア風味も(それは演奏にもある)漂わせながらスムースに歌っている。まるで高級ホテルのラウンジで気分を楽にゆったりして、僕も下戸じゃなければワインとかブランデーなどのグラスを傾けたい 〜 そんな一枚の CD-R。

 

 

『イラマ・ジャズ』というアルバムについてなにか情報がないかとネット検索しても、僕が買ったエル・スールのページ(http://elsurrecords.com/2014/12/30/v-a-irama-jazz/)と、あとはアオラのページ(http://www.ahora-tyo.com/detail/item.php?iid=14695)しか出ない。実はもう一個出てくるが、それはちょっとこんな具合なので。

 

 

 

このページがなんなのか、Polka Dot Disc と関係ありそうななさそうな?全く分らないが、一番カチンと来るのが「辺境音楽発掘布教」と書いてある部分だ。これはちょっとなあ。米英欧日以外のものを辺境音楽と呼ぶのが一番頭に来る人間が、僕を含めたくさんいるのは説明不要だから繰返さないが、う〜ん、どうなんだ?これ?

 

 

ただこのカチンと来るページの記載にも納得できるフレーズはあって、それは『イラマ・ジャズ』を「キューバのフィーリンものにも類似するトロケる感覚満点」だと形容してある部分。この部分には僕も100%納得し同意する。まさに『イラマ・ジャズ』は1950年代のインドネシアで録音されたフィーリン・ジャズなのだ。

 

 

『イラマ・ジャズ』収録曲がフィーリン・ジャズだというのは、やはり主にヴォーカリストの歌い方に僕は感じる。コブシ(メリスマ)もヴィブラートも一切なし、難しく細かいフレイジングもほぼなし。曲のわりと軽くて甘美な旋律を極めてスムースに柔らかくストレートに歌っている。これはそういう歌手たちだったということか、あるいはそんな曲が書かれたということか、はたまた大半の曲で録音でリーダーシップをとっているニック・ママヒットの志向なのかは分らない。

 

 

ニック・ママヒットはピアニスト(上掲ジャケット画像一番右)で、当時のジャカルタではジャズ・シーンの中心人物だったらしい。ピアニストのニックがトリオ編成でやったイラマ・トリオ、イラマ・スペシャル・トリオ、ギター or サックスをくわえたイラマ・カルテット 〜 この三つが『イラマ・ジャズ』収録曲の伴奏では最も数が多い。なかでもトリオ編成が歌手の伴奏をしているのが多い。

 

 

ヴォーカリストのなかでは、女性のラトナ(上掲ジャケット画像一番左)が最もたくさん歌っているし、実際一番チャーミングな歌手のように聴こえる。優しく柔らかい歌い口のジャズ・ヴォーカリストで、普段は厳しく濃ゆ〜い感じのアメリカ黒人歌手ばかり聴いている僕でも、ときどきこういうラトナみたいな歌手がいいなあ。ご紹介したくて YouTube で探してもちっとも見当たらないので、二曲だけ自分でアップロードしちゃった。二つともキューバのフィーリン風な要素を聴きとっていただけるはず。

 

 

 

 

 

『イラマ・ジャズ』収録曲で、ラトナがイラマ・カルテットをバックに歌うもので、一つだけ既にアップロードされていたものがあって、16曲目の「Ajo Mama」。これはまるで1940年代のナット・キング・コールが(トリオではなく)カルテット編成でやって、その上にジャイヴ・ヴォーカル・グループが乗っかったみたいな一曲だ。いいなあ、これ。リラクシングだ。

 

 

 

ラトナにこだわると(いや、他の歌手もチャーミングだが、総花的になるのを避けたいだけ)『イラマ・ジャズ』八曲目の「Rindu」もかなり面白い。伴奏はイラマ・トリオ。これもアップロードされていないので僕が自分で上げたが、セバスティアン・イラディエールが書いた「ラ・パローマ」のパターンじゃないか。しかもギターはちょっぴりハワイアン・テイスト。

 

2017/05/01

ロッドのアクースティック・パーティ

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むかしからのロッド・スチュワート・ファンならきっとお好きにちがいない1993年のライヴ・アルバム『アンプラグド...アンド・シーティッド』。もちろん例の MTV アンプラグド企画でのものだけど、きっとみんな好き。だってお馴染みの古い曲が多く、というかほぼそんなのばかりやっていて、しかも全編アクースティック・サウンド(+管弦楽)。この企画に気合が入った主役だって立派に歌えているし、オールド・ファンなら好きにならないわけがない。

 

 

僕はしかしそんなむかしからはロッドのことを知らない。完全なる後追い人間だからオールド・ファンではないが、やはりこのアルバム『アンプラグド…アンド・シーティッド』は大好きだ。僕がロッドを知ったきっかけだった「ピープル・ゲット・レディ」もあるからだ。ロッドがむかし初演した曲の数々に特に思い入れはない、というかそもそもロッド本人に対し特別な気持がない僕だけど、いいアルバムだよなあ。

 

 

『アンプラグド...アンド・シーティッド』のなかでは、一番新しい曲でも一曲目の「ホット・レッグズ」の1977年。またロッドがとりあげて歌ったのはかなり最近の1992年だけど、曲自体は76年のトム・ウェイツ・ナンバー「トム・トラバーツ・ブルーズ」。これらが最も<新しい>曲で、他はほぼ全部ロッド自身は70年代前半頃に歌ったものばかり。

 

 

 

 

オープニングの「ホット・レッグズ」では、ドラマーのスティックを鳴らす音に続き、ギター型のアクースティック・ベースの音がブンブン聴こえはじめ、その部分は1977年のオリジナル中間部でフィル・チェンが弾いたパターンにそっくり。それをそのままイントロに持ってきているんだなあ。その部分だけで僕はニンマリ。

 

 

 

この YouTube 音源はアルバム一枚丸ごと全部アップロードしたものだから、未聴の方は是非どうぞ。しかしこのロッドのライヴも DVD があるはずだ。探してはいないが間違いない。MTV のアンプラグド・ライヴは全部 DVD があるのは、そもそもそういう番組なんだから。僕は音源だけあれば充分だという人間だけど、普通はみなさん映像があった方がいいんでしょ?それなら DVD の方をどうぞ。

 

 

『アンプラグド...アンド・シーティッド』はオープニング「ホット・レッグズ」一曲を聴いただけで、こりゃ傑作ライヴ・アルバムに違いないと確信できる出来で、実際その後も充実した内容が続く。それらが書いたようにほぼ全てロッドのオールド・ファンなら思わず頰が緩みそうな選曲で、1969年の『アン・オールド・レインコート・ウォント・エヴァー・レット・ユー・ダウン』 、70年の『ガソリン・アリー』、71年の『エヴリ・ピクチャ・テルズ・ア・ストーリー』などからや、フェイシズ時代の代表曲71年の「ステイ・ウィズ・ミー」などなど。

 

 

こんなのばかり続くわけだから、しかもそれらをアクースティック・サウンドで、場合によってはマンドリンやバンジョーやアコーディオンやヴァイオリンまで入るという編成とアレンジでやっている。マンドリンやヴァイオリン(とクレジットされているが、フィドルと言いたい弾き方)が聴こえるものでは、いかにも UK ロックのトラッド趣味を感じさせる。

 

 

ロック(風)のバンドにくわえ、管弦楽のフル・オーケストラが参加しているけれど、例えば CD アルバム三曲目の「ハンドバッグズ・アンド・グラッドラグズ」からそれが効果的に使われている。1969年のオリジナルでもオーボエの音から入って、中盤以後オーケストラ・サウンドがあったので、それをそのまま『アンプラグド…アンド・シーティッド』でも再現しているわけだけどさ。でも『アンプラグド...アンド・シーティッド』ヴァージョンの方がストリングスが鮮明に聴こえる。これは単に時代が下って録音技術が発展しただけかも。

 

 

 

DVD からとったに違いないこの映像を見ると、ロッドも含め全員椅子に腰掛けてやっているよなあ。 それでアルバム・タイトルの「シーティッド」の言葉があるんだろう。その三曲目「ハンドバッグズ・アンド・グラッドラグズ」を歌い終えると、ロッドが「ここでロン・ウッド!」と叫び、その通り盟友ギタリストが登場し、『ガソリン・アリー』からの「カット・アクロス・ショーティー」がはじまる。スウィングするヴァイオリン、いやフィドルもいい。

 

 

 

ここからが僕もロッドの『アンプラグド...アンド・シーティッド』で一番好きな部分だ。みなさんもそうだろう。しかし収録が行われた1993年2月5日の現場では曲順がかなり違っていたようだ。実際(DVD からとったであろう)上掲「カット・アクロス・ショーティー」冒頭部での喋りもCD ヴァージョンとは違う。映像付きの方では「ロニー」・ウッドと紹介しているが、CD では「ロン」・ウッドになっている。声の大きさもかなり違うので、CD の方はライヴ収録後にかぶせたんだろうなあ。

 

 

曲順にかんして言えば、当日の現場では「カット・アクロス・ショーティー」が三曲目で、確かにここからロン・ウッド参加だが、そのまま六曲やって、「ハンドバッグズ・アンド・グラッドラグズ」はその次だったようだ。つまり CD では入れ替わっているんだなあ。「ハンドバッグズ・アンド・グラッドラグズ」からはロン・ウッドはいったん退場し七曲やって、その後再びロンが登場。最終盤の「ステイ・ウィズ・ミー」での共演がクライマックスになるんだろう。

 

 

ロンがいないあいだの七曲では、CD だと順番が入れ替わっているのであれだけど、CD アルバム全体の10曲目「トム・トラバーツ・ブルーズ」が最大の聴き物に違いない。このトム・ウェイツ・ナンバーをロッドが歌ったことについては、以前一度やや詳しめに書いたので、以下のリンク先をご一読いただきたい。

 

 

 

ここに書いてある通りなのだが、やはりロッド自身この曲はかなりのお気に入りになっていたんだろう。『アンプラグド....アンド・シーティッド』ヴァージョンもスタジオ録音ヴァージョンとほぼ完全に同一のアレンジと歌い方。それにしてもこういったストリングスの使い方、ジャズの人たちと違って、ロック・ファンやロックの専門家は全くなにも悪く言いませんよね。言わない方が当たり前だ。美しいもん。41:40 から。

 

 

 

ロン・ウッド一回目の登場時でのクライマックスは、僕にとってはロッドの曲ではなくカーティス・メイフィールドの書いたインプレッションズ・ナンバー「ピーピル・ゲット・レディ」になる。CD だと八曲目。ロッドによる初演はジェフ・ベックとやった1985年だが、『アンプラグド....アンド・シーティッド』ではロン・ウッドが、当然アクースティック・ギターで、エレキを弾いたジェフ・ベックの代わり…、ではなく立派に自身のプレイを披露している。ここでもストリングスのサウンドがいいなあ。

 

 

 

僕の個人的な感慨では、この「ピープル・ゲット・レディ」こそがアルバム『アンプラグド....アンド・シーティッド』収録曲で最も思い入れの強い曲。ソロ時代と違ってあまり人気のない(アメリカの黒人音楽家)カーティス・メイフィールドの(コーラス・グループである)インプレッションズだけど、これだけは非常によく知られている曲だ。でもインプレッションズには、他にもいい曲がいっぱいあるんだよ。

 

 

でも普通はみなさん、ロッドが初演した1970年代初期の曲の数々を、ジェフ・ベック・グループ時代以来の盟友ロン・ウッドを迎えて、アクースティック・サウンドで再演するものの方がお好きなはず。だから、やはり CD でも最後から二つ目に収録され、当日の現場でもそうだったらしい「ステイ・ウィズ・ミー」こそが一番グッと来るものなんだろう。

 

 

 

この映像で見ると、やはりロッドもロンもかなり盛り上がっているなあ。当然だろうと思う。当日の現場の客も CD や DVD で楽しむファンも同じであるはず。僕はといえば、正直に言うとこの最も有名なフェイシズ・ナンバーはどうもその〜…(以下略)。同じバンドの曲ならもっと他に…(以下略)。

 

 

当日の現場でも CD でも、この「ステイ・ウィズ・ミー」をクライマックスとして、最後にもう一曲、余韻を楽しむかのようにやるのが、ロッドが最も敬愛し最も強く影響を受けたアメリカ黒人ソウル歌手サム・クックの「ハヴィング・ア・パーティ」。ロッドにとっては初演であるこの『アンプラグド...アンド・シーティッド』ヴァージョンで聴いても分るように、いかにもサムらしいメロディの曲だよね。

 

 

 

ロッドの敬愛するサム・クックのオリジナルも聴いてほしいので、その1962年オリジナル・ヴァージョンもご紹介しておく。こういうのを聴いても、ロッドがサムの歌い廻しから影響を受けているのが分っていただけるはずだ。そしてこのサムの曲は、ロッドのアンプラグドな一夜を締めくくるのにもってこいの曲調と歌詞だよね。

 

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