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2017/05/03

リズム&ブルーズのひそやかな性的言及

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僕は25曲入りのベスト盤『グッド・ロッキン・トゥナイト:ザ・ヴェリー・ベスト・オヴ・ワイノニー・ハリス』一枚しか持っていない歌手なのだが、これまたフランスのクラシックス・レーベルが年代順に集大成しているらしい。しかしクラシックスがリリースするということは、ジャズ・シンガーだという認識なのか?特に間違っていないだろうが、でもちょっとどうかなあ?どういう認識でどこがやろうと、ちゃんとしたコンプリート集にして出してくれているだけでありがたいことではある。

ベスト盤一枚しか持っていない僕が言うことじゃないが、しかしワイノニー・ハリスはそれで充分なんじゃないかという気がちょっとする。ラッキー・ミリンダー楽団の歌手として1944年にレコード・デビュー。その後そのボスのススメでキング・レーベルと契約し独立。その前にちょっと他の会社とやっているが、成功したのはあくまでキング時代の1948年「グッド・ロッキン・トゥナイト」からで、50年代半ばのロックンロール活況とともに姿を消したという歌手だからね。

あれだけロックンロール誕生に寄与したにもかかわらず、それにとってかわられてしまった 〜 そういう黒人歌手は、ワイノニー・ハリスだけじゃなくいっぱいいるんだよね。だからやっぱりああいう人たちを僕はリズム&ブルーズのくくりに入れたい。ジャズ側に譲るならば、ジャンプ・ブルーズ歌手だ。まあ本質は同じようなものであって、ジャズ〜ジャンプ〜リズム&ブルーズ〜ロック誕生は一つながりのものだけれども。

ワイノニー・ハリスの「グッド・ロッキン・トゥナイト」も、エルヴィス・プレスリーが歌ったので有名化し、その後現在までいろんな人が歌うロック・スタンダードになっているが、 ワイノニーが最初に歌った曲ではない。同じ頃の同じような種類の黒人歌手ロイ・ブラウンのものが初演だ。それは1947年。しかしちょっと入り組んだ事情があるようだ。

ロイ・ブラウンは「グッド・ロッキン・トゥナイト」を元々ワイノニー・ハリスに歌ってもらうためのものとして書いて提供したらしい。しかしワイノニーがこれを却下してしまった。それでロイは次いでセシル・ギャントにアプローチ。しかしセシル・ギャントはロイ自身ががこの曲を歌うのを聴き、自分でレコーディングするのではなくデラックス・レコーズの社長に電話。社長のジュールズ・ブラウンは、電話口でロイが「グッド・ロッキン・トゥナイト」を歌うのを耳にして、そのままレコーディングを申し出た。

それでロイ・ブラウンが書き自ら歌う1947年の「グッド・ロッキン・トゥナイト」がリリースされたんだよね。しかしロイ自身のそのレコードが注目されるようになったのは、あくまで(当初の予定通り)翌48年にワイノニー・ハリスが歌い、そのレコードがヒットしてからだ。ワイノニーのものはビルボードの R&B チャート首位になっているが、ロイのものは13位。しかしワイノニーがヒットさせたあとの49年に、ロイのオリジナル・レコードも再チャート・インして11位まで上昇している。

その二つの「グッド・ロッキン・トゥナイト」をご紹介しよう、ちょっと比較してみて。

1947年ロイ・ブラウン→ https://www.youtube.com/watch?v=cgdzS4OSQ1M
1948年ワイノニー・ハリス→ https://www.youtube.com/watch?v=_7IFrGZMzYU

ロイ・ブラウンのヴァージョンはジャジーだ。伴奏バンドの演奏も柔らかいし、中間部のテナー・サックス・ソロがパワフルな感じかなと思う程度。歌手の声質や歌い方だって軽くスムースでソフト。クルーナーだとまで言いたいほど。ジャンプ・ブルーズの部類には入るけれど、はっきり言ってしまうと1947年としてはコンサヴァティヴなのだ。だからこれがイマイチ売れなかったのは理解できる(が僕はこっちの方が好き)。

それと比較してワイノニー・ハリスのものはゴツゴツしていてかなりパワフルでエナジェティックじゃないか。猥雑さも増しているし、こっちの方がアピールできるのは誰だって分る。伴奏バンドだって、まず冒頭でフル・バンドで迫力満点に入ってくるが、直後にワー・ワー・ミュートをつけたトランペットも合間合間で出るのがイイネ。ビートもロイ・ブラウン・ヴァージョンよりも一層強力に効いていて、ワイノニーが歌いはじめてからはハンド・クラップがバック・ビートで入るのも効果的。

だからエルヴィス・プレスリーも、たぶん両方聴いていただろうけれど、どっちかというとワイノニー・ハリスのレコードを参考にしてカヴァーしたんだろうね。それにしてはエルヴィスの1954年サン・レーベルへの初演はおとなしい感じだけど、これでも当時の白人歌手としてはパワフルで猥雑な感じだったんだよ。
エルヴィス・ヴァージョンの最大の特徴は二つ。rockin’ という言葉が完全にクリーンになっていること。歌詞をかなり書き換えてしまっていること。しかしこの二つは非常によく理解できる。まず前者、ロック(&ロール)という言葉をセックスへの直接的な言及ではなくしたことの意味は大きい。セックスというより(パーティーなどで)大騒ぎする、そしてそんな際の音楽の一つのスタイルを指す言葉として使われている。

まあしかしこれは元々ロイ・ブラウンが書き、ロイやワイノニー・ハリスが歌ったものから既にそうなっている。ってことは1940年代後半で、既にロック(&ロール)という言葉が直接的にはセックスから離れ、合わせて踊れる音楽の1スタイルを指すものになっていたってことだろうなあ。黒人音楽家がまずこの切り離しをやって、1950年代半ばの白人ロッカーがさらに一層クリーンにしたことで、アメリカ一般大衆のお茶の間でも気軽に楽しめる娯楽品になったんだね。

もう一つ、エルヴィスがロイ・ブラウンの書いた歌詞をかなり書き換えているという点。上で貼ったロイやワイノニー・ハリスのヴァージョンを聴きなおしていただきたいのだが、人名が実にたくさん出てくるよね。そしてそれらは全て先行する黒人音楽曲への言及なのだ。スウィート・ロレイン、スー・シティ・スー、スウィート・ジョージア・ブラウン、カルドニア、この四つは誰でも分るものだが、ほかにもエルダー・ブラウン、ディーコン・ジョーンズがある。

エルダー・ブラウンとディーコン・ジョーンズを除く四つは、誰が歌ったものなのか全く説明不要の有名曲。そのまま曲名にもなっているから、YouTube で検索すれば出てくるはず。だからご存知ない方は是非ちょっと探して聴いてみてほしい。こういう先行黒人音楽曲への言及が歌詞中にたくさんあるので、それもあって「グッド・ロッキン・トゥナイト」は僕の大のお気に入り。ややジャジーなロイ・ブラウン・ヴァージョンも、ロックを先取りしたような強靭なビート感とサウンドと歌い方のワイノニー・ハリス・ヴァージョンもね。

ところがエルヴィスはこういう一連の言及を完全に抹消してしまっている。まあしかしこっちも理解できるものではある。こういった先行する黒人音楽と切り離すことで、「新しい」音楽としてのロックンロールの意味を見出したかったということだろう。それにくわえ、(主に)白人音楽購買層にとっては、それらの人名がなんかなんのことやら分らない可能性もあると、エルヴィスかサム・フィリップスが判断したのかもしれない。

個人的には残念でありながら、しかしそうするしかなかっただろう、そうしないとヒットしなかっただろうと納得もできるエルヴィス・ヴァージョンの「グッド・ロッキン・トゥナイト」。だがしかし1910〜40年代前半までのジャズやその他黒人音楽が大好きな僕には、この曲はやはりロイ・ブラウンやワイノニー・ハリスのヴァージョンに止めを刺す = それに限る。

僕の持つコレクタブルズ・レーベルのベスト盤『グッド・ロッキン・トゥナイト:ザ・ヴェリー・ベスト・オヴ・ワイノニー・ハリス』では、アルバム・タイトル通りのものが一曲目で、その後ずらずら並んでいるが、だいたい似たような曲が多い。強いビートが効いていて、アップ・テンポで、ハードにシャウトするようなものばかり。ワイノニーの歌い方もかなり愉快。そして下品だ。

えっ?下品?さっき「グッド・ロッキン・トゥナイト」は、ロックという言葉がセックスと切り離された曲だと書いたじゃないかと言われそうだが、あくまで直接的にはという意味であって、完全に消えるわけもなく、またこの曲以外でもワイノニー・ハリスの歌にはかなりダーティーなフィーリングがある。歌詞内容も歌い口もね。そう、これこそ黒人娯楽音楽の最大の魅力ですよ。

例えば僕の持つコレクタブルズのベスト盤では、一曲目「グッド・ロッキン・トゥナイト」に続く二曲目が「ラリパップ・ママ」(1948)。八曲目が「シティン・オン・イット・オール・ザ・タイム」(50)。 九曲目が「アイ・ライク・ベイビーズ・プディン」(50)だもんね。
人気が消えはじめる直前の時期にだって、僕の持つベスト盤15曲目に「キープ・オン・チャーニン」(1952)があるし、またそれには収録されていないが「ワズント・ザット・グッド」(53)などもあったりして、まあホントそのまんまじゃないか。
ただこういったワイノニー・ハリスの一連のダーティー R&B は主に歌詞内容と曲題がそうなのであって、歌い方はパワフルだけどそんな露骨すぎるエロさはなく、また曲全体の調子や伴奏バンドの演奏スタイルにもハゲシイなフィーリングは聴きとれない。歌詞内容をマジに受け止めたら難しいかもしれないが、それを無視すれば(ってアメリカ人には無理だが)お茶の間でも気軽に聴けそうじゃないか。上品芸術品扱いしかされないデューク・エリントン楽団なんかの方がよっぽどひどい=エロいぞ。

1940年代後半から50年代初頭にかけての黒人歌手たちが、よく聴くと実は下品でダーティーなブルーズでありながら、露骨すぎないように表面上はエロさを決して、聴きやすく大勢の聴衆にも受け入れやすいかたちの娯楽音楽にして売ったリズム&ブルーズが、直後にロックンロールが誕生する素地になったんだよね。隠されたセクシャルなニュアンスも、ひそやかにロックのなかにも受け継がれていて、折々ひょっこりと顔を出している。

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