これもマイルズとザヴィヌルの共同作業?
1974年4月19日に発売されたマイルズ・デイヴィズの二枚組アルバム『ビッグ・ファン』。当時完璧に無視されていた作品で、たぶんいまでも同じような評価しか受けていない。それでも2000年にレガシーが大幅にボーナス・トラックを追加してリイシューして以後は、ほんのちょっとだけ見直されるようにはなっているようだ。しかし僕に言わせたら、その全部で四曲の追加曲こそ不要。
『ビッグ・ファン』は二枚組レコードの片面四つがそれぞれ全てワン・トラック(一曲とは言わない)で、四面で四つという構成だったからこそいいのであって、いくら CD の収録時間が大幅に伸びたからといって、それが分りにくくなると『ビッグ・ファン』の面白味半減なのだ。えっ?元から面白味なんかないアルバムだって?う〜ん、まあそうかもしれないけれど、それなりに聴きどころはあると僕は思うなあ。
『ビッグ・ファン』全四面で四つとは、一枚目 A 面の「グレイト・エクスペクテイションズ」、B 面の「イフェ」、二枚目 A 面の「ゴー・アヘッド・ジョン」、B面の「ロンリー・ファイア」。これらのうち「イフェ」は別記事にしたい。ちょっと興味深い内容があるので今日は書かない。「ゴー・アヘッド・ジョン」は全く面白さも聴きどころもないように思うので、やはり省略。
それで一枚目 A 面の「グレイト・エクスペクテイションズ」と二枚目 B 面の「ロンリー・ファイア」にだけ絞って書きたいのだが、この二つはそれぞれ1969年と70年の録音。前者の後半部は、前々から書くようにジョー・ザヴィヌルの書いた「オレンジ・レディ」で、ウェザー・リポート・ヴァージョンでお馴染のもの。これがつなががって1トラックになっている。「ロンリー・ファイア」の方は正真正銘一曲だ。
例によって1970年代マイルズのスタジオ録音については、CD 附属のデータ記載や紙に印刷されたディスコグラフィ本が信用できないので、インターネット上に存在する情報と僕自身の耳を頼りにして考えるしかない。マイルズ関係の紙の本を書いている方も、ある時期以後の研究成果はネット上に発表するようになっていて、紙メディアはもう捨てている(と最も信用されている紙のマイルズ・ディスコグラフィ本を書いたヤン・ローマンさんご自身も、昨年だったかメールでおっしゃっていた、あの本は間違いだらけだが、もはや紙で更新する気はないと)んだよね。紙に印刷されたものの方がまだやっぱり信用できるという方もたくさんいらっしゃるし、それにネットをそんな風に使わない人の方が多い(メールと LINE と各種 SNS だけ?) かもしれないから、本当は紙の本でも誰か出してくれたらありがたいんだけど、出したら出したで、電子データと違って改訂するのが面倒だよなあ。情報は日々刻々と更新されるのに。
『ビッグ・ファン』一枚目 A 面「グレイト・エクスペクテイションズ」(というチャールズ・ディケンズの小説があるが、関係ないんだろうなあ、僕は二つともほぼ同時期に知ったので、どうなんだろう?と思っていた)になっている二曲「グレイト・エクスペクテイションズ」「オレンジ・レディ」は、どっちも1969年11月19日録音。これは『ビッチズ・ブルー』になった曲群を録音した同年八月以後、初のスタジオ・セッション。しかしバンド編成がかなり激しく変化している。
最大の違いは、シタール、タンブーラ、タブラという三つのインド系楽器奏者が参加していること。1972年頃までのマイルズ・ミュージックの特徴の一つだったこういった楽器を使った最初の機会がこの日で、この日に四曲録音したうち、「グレイト・エクスペクテイションズ」が一番先に演奏されている。次いで「オレンジ・レディ」。
そしてドラムスがビリー・コバムで、しかしジャック・ディジョネットに代わってレギュラー・メンバーになったわけではなく、1970年春頃までのスタジオ・セッションではときどき起用することがあっただけ。実際この69年11月19日以後も、日付によってディジョネットだったりコバムだったり、またある時はその両者のツイン・ドラムス体制だったりなどしている。
また、「グレイト・エクスペクテイションズ」「オレンジ・レディ」他二曲を録音した1969年11月19日でのベーシストが、直前の『ビッチズ・ブルー』セッション同様、二名いるのだが、エレベの方はやはりハーヴィー・ブルックスなのに、ウッド・ベースはなぜだかデイヴ・ホランドではなくロン・カーター。なぜだか、ってこともないんだろう。こういうことは70年頃までのスタジオ・セッションではときたまあった。
バンド編成上の大きな違いはこれだけなんだけど、できあがったものが『ビッチズ・ブルー』とは似ても似つかないものになっている。ご存知ない方もいらっしゃるだろうから、音源を貼ってご紹介しておこう。フル・ヴァージョンでアップロードされているのがこれだけなんだけど、どうしてこんな画像を使っているんだ?
ドラムスとパーカッションの音からまず入り、すぐにタンブーラとシタールの音が出てくるので、それまでのマイルズ・ミュージックとはかなり異なる音楽に聴こえるよね。リアルタイムでは1972年に『オン・ザ・コーナー』が先にリリースされているので、当時のファンなら驚きはなかったかもしれない。がしかし、特にシタールの使い方は『オン・ザ・コーナー』でのそれよりも鮮やかだ。少なくとも「グレイト・エクスペクテイションズ」でのシタールの使い方は効果が大きい。
最も重要なことはこの「グレイト・エクスペクテイションズ」、アド・リブ・ソロがマジで一切存在しない。いちおうマイルズ作となっているメロディ、というかモチーフをただひたすらマイルズ本人が(とときどきバス・クラリネットのベニー・モウピンも一緒に)反復するだけなのだ。同じパッセージをただそのままリピートするだけ。ただそれだけ。背後のリズムの感じやギター、エレピなどでのサウンド・テクスチャーは少しずつ変化しているが。
ってことはあの有名な「ネフェルティティ」と完璧に同じ手法だよね。1968年のアルバム『ネフェルティティ』一曲目のあれは大変に評価が高いものだけど、同じことをやっている「グレイト・エクスペクテイションズ」の方は、どうして誰もなにも言わないんだろう?そもそも「ネフェルティティ」と同じ演奏手法だということすら、誰一人として指摘していないしなあ。
これを録音した1969年11月というと、マイルズはジョー・ザヴィヌルとかなり親密で、だから実際ザヴィヌルが書いて提供した「オレンジ・レディ」を録音しているわけだけど(しかしリリースされなかったので、ウェザー・リポートの一作目でザヴィヌルは再演)、ザヴィヌルがマイルズに強い興味を持ったきっかけだったいう「ネフェルティティ」からの流れが、ザヴィヌルと親密で共演も繰返していた時期の69年11月まで続いていたってことだ。
これは「グレイト・エクスペクテイションズ」後半部になっている「オレンジ・レディ」についても同じ。ザヴィヌルの書いたピースフルなメロディを反復するだけで、しかしながらメロディもリズムも執拗かつヒプノティックに同一パターンを反復するだけの「グレイト・エクスペクテイションズ」部と違って、「オレンジ・レディ」部後半では、突如リズムが快活で躍動的になるのは大きな相違点。
それはそうと「オレンジ・レディ」部に入ると、アイアート・モレイラがビリンバウを演奏している。「グレイト・エクスペクテイションズ」部ではクイーカだった。この二つのブラジリアン・パーカッションを、僕が生まれて初めて耳にしたのが、このマイルズのアルバム『ビッグ・ファン』一枚目 A 面だったんだよね。しかし LP では<パーカッションズ>としか記載がなかったので、どんな楽器であんな音を出しているのか、やはり当時は全く分らず。
余談だった。同一パターンを反復するだけというのをマイルズがザヴィヌルと一緒にやったの最初のものが1969年2月録音の曲「イン・ア・サイレント・ウェイ」だけど、それがアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』の B 面になる際には、テオ・マセロが編集して<静>の「イン・ア・サイレント・ウェイ」と<動>の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」がひとつながりになっていた。後者が、いちおう名義上はマイルズ作。
その九ヶ月後である1969年11月のセッションで録音した二曲を74年にレコード発売する際、やはりテオ・マセロが編集してその二曲をつなげ、しかし今度は<動>の「グレイト・エクスペクテイションズ」を先、<静>の「オレンジ・レディ」を後に持ってきたことになるんだなあ。といっても書いたように「オレンジ・レディ」でも後半部は動的になるけれども。
そしてアド・リブ・ソロが全く存在しないという意味では、『ビッグ・ファン』一枚目 A 面は、『イン・ア・サイレント・ウェイ』B 面よりも徹底している。後者の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」では、ジョン・マクラフリン、ウェイン・ショーター、マイルズの三人がしっかりソロをとるもんね。それが「グレイト・エクスペクテイションズ(と「オレンジ・レディ」)では一瞬たりとも出てこない。
このアド・リブ・ソロ完全無視の手法は、アルバム『ビッグ・ファン』二枚目 B 面の「ロンリー・ファイア」でも全く同じだ。だから今日僕は最初にこの2トラックの話をすると書いたんだよね。「ロンリー・ファイア」の方は1970年1月27日録音で、ウッド・ベースがデイヴ・ホランドに戻り、ドラムスがジャック・ディジョネットとビリー・コバムのツイン体制であること以外は、バンド編成上、前述の「グレイト・エクスペクテイションズ」と大差ない。
「ロンリー・ファイア」はスパニッシュ・スケールを用いた曲、というかモチーフなので、これはマイルズ本人の用意した(「書いた」とは言わない)ものに違いない。テンポ・ルパート状態でボスがミュート・トランペットを使ってそのモチーフをひたすら反復演奏するだけ。ウェイン・ショーターのソプラノ・サックスもほぼ同じ。そして後半部からリズムが活発で躍動的になるあたりは「オレンジ・レディ」と同じパターンだ。スパニッシュ・ナンバーだけあって、後半部でフェンダー・ローズのチック・コリアが、後年のリターン・トゥ・フォーエヴァーでの自作「ラ・フィエスタ」そっくりのフレーズを弾いたりする。
がしかし非常に大きな違いが一つある。「グレイト・エクスペクテイションズ」その他を録音した1969年11月19日には参加していなかったジョー・ザヴィヌルが、70年1月27日にはフェンダー・ローズで演奏に参加していることだ。これはちょっと不思議だね。だって69/11/19にはザヴィヌルのオリジナル曲「オレンジ・レディ」をやっているのに作者本人は参加せず、曲を提供していない70/1/27には演奏だけで参加しているなんて。
というのはザヴィヌルがマイルズのレコーディングに参加する際は、1968年11月の初参加から最後になった70年2月まで、「常に」オリジナル曲を提供するというのが呼ばれる一つの大きな理由で、というかそれがあってこそ演奏にも参加しているからだ。プレイヤーとしてよりもコンポーザーとして重宝されていたようなフシがあるもんね。それが69/11/19と70/1/27では違っているのが不思議だ。
しかしよくよく調べなおしてみると、1970年1月27日にはザヴィヌルが参加して「ロンリー・ファイア」「グウィニヴィア」(そう、あれだ、クロスビー、スティルス&ナッシュのあれをマイルズは録音した)の二曲だけを録音したのだと僕は思っていたが、実はもう一曲「ヒズ・ラスト・ジャーニー」のリハーサル・テイクがあるじゃないか。これ、ザヴィヌルの曲だよ。例のアトランティック盤『ザヴィヌル』に収録されているあれだ。
がしかし!そのマイルズがやった「ヒズ・ラスト・ジャーニー」のリハーサル・テイクは、なんともったいないことに ”rejected” と各種ネット上のディスコグラフィには記載されている。そうなのかと思って CD 四枚組の『ザ・コンプリート・ビッチズ・ブルー・セッションズ』で見ても、附属ディスコグラフィでやはり “rejected” の文字。なんということを!リハーサル・テイクだから聴いてもつまらないものだった可能性が高いのかもしれないけれどもさぁ。
ってことはザヴィヌルが演奏でマイルズの録音に参加する時は、やはり常に自作曲を持ってきているじゃないか。しかし、するとかえって1969年11月19日のセッションで、自作の「オレンジ・レディ」を提供しているにもかかわらず、この日は演奏で全く参加していないというのが、やはりちょっと奇妙だなあ。でも曲を持ってきたんだから、スタジオ現場には顔を出していた可能性がかなり高いだろう。上でも触れたように、やはりマイルズにとってのザヴィヌルは、あくまでコンポーザーだったのかも。
だからやはりスタジオ内におけるマイルズとザヴィヌルのコラボ・アイデアで(「イン・ア・サイレント・ウェイ」からの流れで)、1974年発売のアルバム『ビッグ・ファン』に収録された69年の「グレイト・エクスペクテイションズ」「オレンジ・レディ」や70年の「ロンリー・ファイア」みたいな、アド・リブ・ソロなしで同一モチーフを反復するだけという演奏手法を練って実行したんじゃないかと僕は考えている。
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