恋は叶わぬもの 〜 スワンプ・ロック篇
(もう立ち直っていますけれど、失恋直後で激しく落ち込んでいたときに、なにもせず寝ず食べず、ひたすらそんな感じの音楽だけ聴きまくった結果、いくつか書けてしまったので。単に心情を吐露しただけの私小説みたいなものが。もったいないので木曜日までそれを出すことにします。一流音楽家みたいにたくさん録音したのに一部しかリリースしないなんていう真似は僕にはできないので。僕にとって「音楽を聴いて書く=生きる」なので。)
いままでいったい何種類がリリースされているのか把握すらできないデレク&ザ・ドミノズのアルバム『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』。通常の CD 一枚物(LP では二枚組だった)だけじゃなく、二枚組とか三枚組とか、四枚組もあったっけ?そんな拡大盤については、僕はほぼ無視状態(でも二つ持っている)。
通常の一枚物 CD の『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』だって、僕は三種類も持っているもんね。普段聴くのは SACD だが、日本盤の紙ジャケのと通常のプラスティック・ジャケットのもなぜだか売ることができずに持っているまま。やっぱり好きなんだよなあ。
しかしこのアルバム『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』のことについて突っ込んで書こうとすると、いまの僕には逆効果なんじゃないかという気がしないでもない。なぜならば、エリック・クラプトンは実を結ばない叶わぬ恋に身を焦がし、激しく身悶えるように歌い演奏しているが、その後しばらくして、結局その相手であるパティ・ボイドを手に入れた。実った・叶ったのだ(現在は別れているみたい)。
だからアルバム『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』リリース後の<事実関係>のことは考慮に入れず、このアルバムで聴ける叶わぬ恋の歌と演奏の内容にだけひたすら耳を傾けて、ちょっとなにか書いてみようと思う。それでこの全14曲の一枚物 CD から、僕は8曲をセレクトした。「アイ・ルックト・アウェイ」「ベル・ボトム・ブルーズ」「ノーバディ・ノーズ・ユー・ウェン・ユア・ダウン・アンド・アウト」「テル・ザ・トゥルース」「ワイ・ダズ・ラヴ・ガット・トゥ・ビー・ソー・サッド?」「ハヴ・ユー・エヴァー・ラヴド・ア・ウーマン」「イッツ・トゥー・レイト」「ソーン・トゥリー・イン・ザ・ガーデン」。これらにくわえ、中間部のピアノ・インタールード以後のインストルメンタル演奏部分だけであれば「レイラ」も入れたいのだが。
これら八曲のうち僕にとって最も馴染深いのは、アルバム全体の四曲目(LP では一枚目 A 面ラストだったが、この種のことは以下では省略)にあたる「ノーバディ・ノーズ・ユー」だ。こりゃもうみなさんお分りのはず。だってこの曲は1923年にジミー・コックスが書いた古いブルーズ・ソングで、ベシー・スミスが歌って有名になったものだからだ。
ベシーだけじゃなく、あの1920〜30年代の都会派女性ブルーズ歌手たちのお得意レパートリーになったのが「ノーバディ・ノーズ・ユー」。アルバータ・ハンターも1980年の復帰盤『アムトラック・ブルーズ』で歌った。しかしあんな内容の歌であるにもかかわらず、曲は1923年に書かれたものなんだよね。まだ大恐慌前のバカ騒ぎ時代だ。大金持ちだった頃は湯水の如く金を使って、密造酒を飲みまくり遊びまくったが、一文無しになったとたんにみんな僕から離れていって誰もいなくなってしまった、金の切れ目が縁の切れ目、みんな、世の中なんてこんなもんなんだぜ 〜 という歌。
エリック・クラプトンが『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』でやっている「ノーバディ・ノーズ・ユー」はサム・クック・ヴァージョンを参考にしていると一般には言われているのだが、こりゃ本当なのか?サムのと両方聴いても、歌詞内容以外の共通性はかなり薄い。クラプトンのはもっとこうブルージーでシリアスなフィーリングだ。サム・クック説は当たっていないんじゃないかなあ。
アルバム『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』には「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」があるだろ。これ、ビッグ・ビル・ブルーンジーの曲、というかレパートリーだ。あの世代の UK ブルーズ・ロッカーにビッグ・ビルはかなり大きな影響を与えた。ビッグ・ビルの英国公演の際にクラプトンも、ひょっとしたらビッグ・ビルが「ノーバディ・ノーズ・ユー」を歌うのを聴いたかもしれないよ。ビッグ・ビルがやったかどうか確証ゼロだが、可能性はあるはず。
(と昨日深夜ツイートしていたら、それをご覧になった椿正雄さんから、1969年にロンドンで公演をやってセンセイションを巻き起こした [と椿さんのおっしゃる] ホセ・フェリシアーノの、そのロンドン・ライヴ・ヴァージョンの「ノーバディ・ノーズ・ユー」を紹介していただいた。う〜ん、ホセが69年にロンドンでこの曲をやったなんて、全く知らなかった無知な僕…。)
そう考えれば『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』ヴァージョンの「ノーバディ・ノーズ・ユー」のあんなブルージーなフィーリングも納得しやすいのだ。これにもデュエイン・オールマンが参加してギターを弾いているのだが、この曲にかんしてはいなくてもよかったかも?と僕は思う。
デュエインなしといえば、アルバム一曲目の「アイ・ルックト・アウェイ」。大好きなんだよね、僕は。歌詞内容のことは、う〜んとまあ〜もういいや。そんなことよりも冒頭でクラプトンが弾きだして、すぐにジム・ゴードンのドラムスが入り、タンバリン(はジムの多重録音だろう)がシャカシャカ鳴りはじめた瞬間にすごく良い気分になる。この雰囲気が僕は好きだ。なんとなくのアメリカ南部臭さがあってさ。
この「そこはかとなきアメリカ南部臭さ」ってのが僕にとっては非常に重要なことで、アルバム『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』で一番愛する音楽要素なのだ。言い換えれば LA スワンプ・ロック風味。デレク&ザ・ドミノズのリズム・セクション三人がどういう人たちで、クラプトンはどこでどうして知り合ったのかなんてことは全人類にとって全く説明不要だから。
LA スワンプ風なアメリカ南部臭さをアルバム『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』に僕が最も強く感じるのが、上であげた計八曲のセレクションだってことなんだよね。じゃあアンタ、「アイ・アム・ユアーズ」とか「エニイデイ」とかをどうして選ばなかったんだ?と言われるに違いないが、そこが完全なる僕だけの個人的趣味嗜好なのだ。趣味の偏った狭量な僕を許して。
アルバム『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』にある、そんな僕だけの偏向趣味で選んだスワンプ・ロック・ナンバーのうち、クラプトンとデュエインのギターが最も冴えわたっていると思うのが、CD では9曲目の「ワイ・ダズ・ラヴ・ガット・トゥ・ビー・ソー・サッド?」と10曲目の「ハヴ・ユー・エヴァー・ラヴド・ア・ウーマン」。前者はオリジナル曲だが、後者はブルーズ・スタンダードで、クラプトン自身もっと前からやっている。
この二曲は歌詞内容も、曲「レイラ」と並んで、アルバム中、最も激しく身悶えするような内容で、叶わぬ恋、届かぬ想いが激情となってほとばしっている。その歌詞のことをあまり詳しく書いて考え込むのはもう嫌なので、それよりもむしろクラプトン、デュエイン二名のソロの弾き方、オブリガートの入れ方などギター・ワークにこそ、そんな激情をいまの僕は聴きとりたい。そして実際二人ともすごくエモーショナルに弾きまくっているのがイイネ。
CD アルバムでは全体の12曲目「イッツ・トゥー・レイト」も自作ではなく、チャック・ウィリス・ナンバーのカヴァー。チャック・ウィリスのオリジナルは三連のリズム&ブルーズ楽曲で、米ルイジアナ風イナタい感じのポップ・ソングだ。それをクラプトンはやはり LA スワンプのゴスペル風味をプラスし、オリジナルにあったイナタいポップさは消して、三連はそのままだが、アーシーなフィーリングのロック・ソングに仕立て上げているのが見事。アルバム『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』中、ひょっとしてこの「イッツ・トゥー・レイト」が一番出来がいいんじゃないかなあ。この曲もこりゃまた歌詞内容が…(以下略)。
アルバムではこれの次があまりにも有名すぎるスーパー・スタンダードになった曲「レイラ」だが、まあ確かにいい曲だよなあ。私小説(は大嫌いな僕だけど、田山花袋とかさ、どこかいいの?幻想力が発揮されたものが好きだ、僕は)ならぬ<私音楽>だ。曲を書いて演唱する人間の個人的想いが、音楽的普遍性・客観性を帯びるまでに高度に昇華されている傑作。だけどさ、最初にも書いたがこんなことを歌った本人は、結局のところその対象の女性を獲得できちゃったわけだから、その後までもライヴで歌うってのはどうなの?うんまあ、それが芸能者の表現性ってものだろうけれどもね。書いたように中間部のピアノ・インタールードが入って、キーもテンポも曲想もなにもかも(晴れやかに)ガラリと全部チェンジして以後のインストルメンタル部分は、いまでもかなり好きだ。その部分では、クラプトンの方はアクースティック・ギターも弾いているのがいいアクセントだ。
アルバム『レイラ&アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』では、この「レイラ」がクライマックスだということに異議を唱える人間などいない。それが終ると、一種のエピローグ(厳密な意味ではちょっと違うかも)みたいに短く「ソーン・トゥリー・イン・ザ・ガーデン」が鳴る。これが実にいい。曲「レイラ」よりいい。フル・アクースティック・サウンドも実にシンミリと沁みてくる。そして歌詞内容もね。
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