1965年のマイルズ・ジャズにあるカリブ〜ラテン〜アフリカ
マイルズ・デイヴィスのアルバム『E.S.P.』で一番いいなと思うのは、表ジャケットに写っている当時の妻フランシスがチャーミングだということなんだけど、それは中身の音楽とさほど強い関係がなさそうなので、やっぱりアルバムの中身の話をしなくちゃね。
ハービー・ハンコック、ロン、カーター、トニー・ウィリアムズの三人は1963年5月から既にバンドのレギュラー・メンバーだけど、62年から目をつけてはいたウェイン・ショーターを正規メンバーに加えたのが64年の秋頃。初録音が同64年9月25日のベルリン公演。これが公式盤『マイルズ・イン・ベルリン』になっている。
『マイルズ・イン・ベルリン』あたりから既にバンドのサウンドは変化しつつある。サックス奏者が(日本公演だけのサム・リヴァーズを除き)ジョージ・コールマンだった時期と比較すれば、リズム・セクションは同じ三人であるのに、フロントで吹くサックス奏者がウェインになってシャープで鋭角的なラインを奏でるようになって、引っ張られるようにリズム隊の三人、特にトニー・ウィリアムズのドラミングに微妙な変化が聴ける(一番よく分るのがベルリン二曲目の「枯葉」)。
ただ演奏曲目が相変わらずの旧態依然であって、しかもスタジオ録音は何年もなかった。アルバム『E.S.P.』になった七曲を録音した1965年1月20〜22日のスタジオ・セッションは、63年5月以来約二年ぶりなのだ。その63年5月というのが、上で述べたハービー・ハンコック、ロン、カーター、トニー・ウィリアムズの三人を初起用して録音した三曲で、アルバム『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』の半分になっている。
だから、これは以前も書いたけれど、念願だったウェイン・ショーターをようやく正規メンバーに加えての初スタジオ録音である1965年1月の三日間は、ボスのマイルズも気持が入っていたはずだ…、と思って『E.S.P.』を聴くと、案外そんな気負いみたいなものは感じられず、新鮮ではあるけれど、わりと普通にスッとやっているよね。リラックスしているとまで言いたい。
僕はこのくつろげる雰囲気が残っているからこそ、このセカンド・レギュラー・クインテットによるスタジオ・アルバムでは『E.S.P.』が一番好きで一番よく聴くものなんだよね。どうもここ一年半くらいかな、僕のこの好みが若干変化しつつあって、モスト・フェイヴァリットが『マイルズ・スマイルズ』に移ってきているかもしれないと感じているのだが、それでも続けて聴くと、まだやっぱり『E.S.P.』の方が楽しい。
オープニングの「E.S.P.」はウェインの曲で、ソロも一番手でウェインが吹き、ボスのトランペット・ソロは二番手。こういうことはそれ以前にはあまりなかった。もっぱらサックス・フィーチャーとかピアノ・フィーチャーとかいうものなら前からあるけれど、管楽器二本とピアノが普通にソロをとる曲では珍しい。いますぐパッと思いつくのは『カインド・オヴ・ブルー』の「フレディ・フリーローダー」でピアノのウィントン・ケリーのソロが一番手で出るのだけ。
そして『E.S.P.』以後はこんな感じのことがどんどん増えていって、ウェインが先とか、テーマ吹奏が二管じゃなくウェインのテナー・サックスだけとか、あるいはそもそもマイルズのトランペットは、テーマでもソロでも全く出てこないとか、そんなことになっていくよね。でも『E.S.P.』だと、それは一曲目のアルバム・タイトル・ナンバーだけ。
いまご紹介したこれ、べつに難しくもなんともない普通のメインストリーム・ジャズだよね。このあと『マイルズ・スマイルズ』以後は(『マイルズ・イン・ザ・スカイ』の前まで)どんどんと抽象化の一途を辿るマイルズのセカンド・クインテットだけど、このスタジオ録音第一作ではまだそうはなっていない。ある時期以後から現在は、『ソーサラー』『ネフェルティティ』の二枚こそこのクインテットのベスト作との評価が定まっているけれど、僕がジャズに興味を持ちはじめた1979年だと、むしろ『E.S.P.』の方が推薦されることがあったし、実際、名盤選の類によく載っていた。
アルバム二曲目の「エイティ・ワン」。これがマイルズのスタジオ録音では初の8ビート・ナンバーだ。ロン・カーターとマイルズの共作名義になっているので、たぶんロンが一人で書いたものなんじゃないかな。のちのちのロンのオリジナル・コンポジションに、似たような傾向の曲がいくつかあるのを踏まえれば、そうに違いないと僕は思う。しかもこの「エイティ・ワン」、かなり楽しい。
8ビートといっても、ロンが書くものはリズム&ブルーズとかロックなどから来ているんじゃなく、中南米音楽由来なんだよね。たとえばいまご紹介した「エイティ・ワン」にもちょっとだけボサ・ノーヴァっぽいようなフィーリングが聴きとれるんじゃないかな。リズムのスタイルとメロディの情緒にね。サウダージとまでは言えないけれど、ちょっとそれに似たようなものがスパイス的にまぶしてあるように、僕には聴こえる。そこが大好きだ。
マイルズのセカンド・クインテット(+α)の録音で、ラテンとかカリブ風味はまあまあ重要な要素で、色濃く鮮明に出るようになるのは、1967年12月録音の「ウォーター・オン・ザ・パウンド」とか68年1月録音の「ファン」とか、そのへんからで、特に後者「ファン」は中南米を経由してアフリカに到着しているような一曲。だからいろんな音楽マニアのみなさんにも刺激的なはず。この路線が『キリマンジャロの娘』のクウェラ・マイルズに結びつく。
だからそう考えると『E.S.P.』二曲目の「エイティ・ワン」は、マイルズのレコーディング史上で初めての、そんな音楽傾向のちょっとした端緒になっていたんじゃないかと僕は考えている。ちょっと面白い。マイルズ専門家も含め、みなさんマイルズ初の8ビート作品だとしか言わず、カリブ〜ラテン〜アフリカ的な視点で書いてあるものを、僕はまだ読んだことがない。でもジャズを聴いてそれじゃあね、ちょっとどうなんだろう?
『E.S.P.』三曲目の「リトル・ワン」こそ、マイルズ好きではない一般のジャズ・リスナーのあいだでも最も知名度がある一曲だ。しかしそれはこのアルバム収録のマイルズ・ヴァージョンによってではなく、作曲者ハービー・ハンコックのリーダー作であるブルー・ノート盤『処女航海』で再演されているからだ。後者は前者の二ヶ月後の録音。その三月のブルー・ノート録音の時点では、マイルズの『E.S.P.』はまだ発売されていなかった(八月リリース)。以前も書いたが1965年のマイルズは一月に『E.S.P.』になった曲群を録音して以後、健康状態が悪化して入退院を繰返すことになったので、ハービーとしても出るのかどうか不安だったんじゃないかな。それで自己名義のブルー・ノート録音で再演したんだろう。『処女航海』は五月に発売されているので、当時のファンはハービー・ヴァージョンの「リトル・ワン」の方を先に聴いていたはず。
B 面に行って「アジテイション」。『E.S.P.』収録曲中、このセカンド・クインテットがライヴで演奏したのはこの一曲のみ。唯一の例外が1966年のニュー・ポート・ジャズ・フェスティヴァルで「R.J.」をやっていることで、それはいまや公式盤で普通に聴けるが、本当にそれだけが例外で、他は皆無。でも「アジテイション」だけは1969年までかなり頻繁に繰返しやっているのだ。曲題通りアグレッシヴなハード・チューンとしてやっていたんだろう。それにしては『E.S.P.』収録のオリジナルは、冒頭部のトニーのドラムス・ソロを除き、案外おとなしい。だいたいこれ、どうしてハーマン・ミュートをつけて吹いているんだ?必然性が感じられない。マイルズ、起きてきてちょっと教えてくれよ。
一曲飛ばしてアルバム『E.S.P.』ラストの「ムード」。これ、以前も書いたが僕のお気に入り。スパニッシュ・スケールを使ってあるからだ。この曲にテーマ・メロディみたいなものはなく、あらかじめ用意されていたのはスケール(モード)だけ。マイルズがスペイン風のものをやりたいときはいつもそうなのだ。録音史上マイルズ初のスパニッシュ・ナンバーは1959年録音『カインド・オヴ・ブルー』の「フラメンコ・スケッチズ」だけど、あれもスケールを(五つ)用意しただけで、あとはそれをベースに即興的にやっている。『E.S.P.』の「ムード」を。
お聴きになって分るように、三人のソロにさほど強いスペインの匂いはしない。ほのかに漂うだけの微香性スパニッシュ。それがいいんだよね。ハービーのピアノ・ソロ中盤で、一瞬フラメンコ的に旋律が踊る部分があるけれど、つまりそこがこの「ムード」のクライマックス。ボスが指をパチンと鳴らしている。トニーのリム・ショットも印象的。
さて、アルバム『E.S.P.』では、B 面のこのスパニッシュ・ナンバー「ムード」。そしてこれまた微香性ではあるけれど、ほのかに漂うカリビアン〜ラテン(&アフリカン?)・ジャズの A 面「エイティ・ワン」。この二つがあるせいで、それを踏まえると、まだまだメインストリーム・ジャズの人だった1965年のマイルズ・デイヴィスの音楽の聴き方が、ちょっとは変わってくるんじゃないだろうか?スペインと中南米音楽の関係なんか言う必要もない。やっぱりマイルズだってそうだったんだよねえ。でも『E.S.P.』関連に限っては、まだ誰一人としてこれを指摘していない。
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