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2017年6月

2017/06/30

マイルズのB面名盤たちとソニー・ロリンズ

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とある30代の女性音楽ファンの方に、以前「うちらにはA面B面という概念そのものがない」と面と向かって言い切られてしまったことがある。しかしその方はロックでもやや古めの1960〜70年代のものこそがお好きなはずなんだけど。う〜ん…、LP レコードで発売されたものは、もちろん例外もあるとはいえ、片面ずつに分けるのに制作側も気を配り、A 面はこう終わって、盤面をひっくり返し B 面に行って一曲目はこうだとか(もちろん以前書いたように、僕の場合、ジャズ喫茶時代の経験で、片面聴いたら別のレコードに取っ替える習慣だったんだけど)そのあたりがよく練られていたよねえ。CD なんだからひっくり返さないけれど、ここまでが A 面だったんだとかは知っておいた方がいいんじゃないの?それを調べるのは、いまやネットの普及でもんのすごくラクチンなんだからさ。

 

 

マイルズ・デイヴィスの1950年代前半プレスティジ録音の場合は、最初から「12インチの LP アルバム用に」と企画された録音はまったくない。10インチ用としてだっておそらく事前計画はないことが多かったんじゃないかなあ。マイルズのプレスティジ盤10インチ LP だって、ほぼ全てがいくつかのレコーディング・セッションからの寄せ集めにすぎない。

 

 

特に A 面と B 面で内容がかなり激しく異なっているというものがやはりあって、しかも聴きようによっては A 面(がやっぱり聴かせたいものなんじゃないの?発売側としては?)よりも B 面の方が音楽的に面白いというものがいくつかある。今日はそんななかからたった三枚だけご紹介して話をしておこう。でも以下の話はマイルズ好きや熱心なジャズ・ファンならみなさんかなり前から百も承知のことばかり。それでも最初に書いたように、最近はA面B面という発想そのものがなくなりつつあるらしいので…。

 

 

マイルズの B 面名盤といえるプレスティジの12インチ LP 三枚とは、発売順に1956年12月の『コレクターズ・アイテムズ』、57年6月の『ウォーキン』、同年12月の『バグズ・グルーヴ』。しかしこれら三枚の B 面収録曲の録音順で言えば、『ウォーキン』B 面三曲の1954年4月3日、『バグズ・グルーヴ』B 面4曲5テイクの54年6月29日、 『コレクターズ・アイテムズ』B 面三曲の56年3月16日となる。

 

 

それら三つのうち、一般の多くのジャズ・ファンのみなさんに最も評判がいいのは、いままでの僕の経験から得ている感触からして、間違いなく『ウォーキン』B 面だね。三曲(もう一曲同じ日に同じ編成で録音されたが、それは別のアルバムに収録)ともマイルズはカップ・ミュートを付けて吹き、ドラムスのケニー・クラークも全曲ブラシ。それが、例えばアルバム・ラストの「愛さないなら棄てて」(ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー)ではかなりスウィンギーだ。ちなみにこの曲もマイルズによる録音に先立ってビリー・ホリデイが…、ってもうあまりにしつこいので今日はやめておこう。マイルズの音源だけご紹介。

 

 

 

同じく『ウォーキン』B 面の「ソーラー」(の主旋律を五線譜に書いたのがマイルズの墓石に刻まれている)も「ユー・ドント・ノウ・ワット・ラヴ・イズ」もかなりいい。二曲とも人気が高い。特にマイルズ好きとはお見受けしないジャズ・ファンの方々からもわりとよく話を聞くものだ。後者のラヴ・バラードで、イントロから主旋律に入り、またマイルズのソロ部分背後など、随所で聴ける軽いアレンジは、間違いなくピアノを弾くホレス・シルヴァーによるものだ(こっちの話はどなたからもうかがったことがない)。

 

 

 

 

だがしかし、僕にとってはマイルズのプレスティジ B 面名盤というなら、まず『バグズ・グルーヴ』だね。このアルバムの B 面はかなり面白い。そして録音年月日も、演奏パーソネルも、演奏しているレパートリーも、その他いくつかの意味で、A 面とあまりにもかけ離れている。ふつうのジャズ・ファンや専門家は、ミルト・ジャクスンのオリジナル・ブルーズ「バグズ・グルーヴ」の二つのテイクが聴ける A 面のことばかり言い、B 面がこんなに面白いとは、中村とうようさんの文章でしか本格的な論評は読んだことがない。

 

 

とうようさんのそれは『大衆音楽としてのジャズ』(旧題『ブラック・ミュージックとしてのジャズ』)に出てくるもの。『バグズ・グルーヴ』B 面四曲目のソニー・ロリンズ・ナンバー「ドキシー」がいかにファンキーであるかを詳細に語っていた。その際(いま記憶だけで書いているが)あの主旋律を五線譜に書き起こし説明し、ヒョコヒョコとユーモラスに上下するメロディ・ラインはこれこそファンキーというもので、(これ以下は記憶があやふやだが)このセッションでピアノを弾くホレス・シルヴァーの一連のファンキー・ピースと完璧に同種のものだと、とうようさんは明言していた(と憶えているのだが)。

 

 

ちょっとその「ドキシー」の音源をご紹介しておこう。

 

 

 

これをお聴きになった直後に、例えばホレス・シルヴァーのソロ・デビュー作1954年の『ホレス・シルヴァー・アンド・ザ・ジャズ・メッセンジャーズ』にあるホレスのオリジナル「ドゥードゥリン」を聴いてみてほしい。

 

 

 

ホレス・シルヴァーの「ドゥードゥリン」の方はファンキー・ジャズ作品として人気があるものだが、僕(やとうようさんその他のみなさん)にとっては、ソニー・ロリンズが書いてマイルズのリーダーのもと録音された「ドキシー」も同種のファンキー・ジャズ・ピースに聴こえちゃうなあ。作曲者のロリンズにかんしては、以前も『ウェイ・アウト・ウェスト』についての文章で僕は明言したように、この人はこういうヒョコヒョコっていうユーモア感覚のあるラインを書いたり演奏するのが得意なサックス奏者なんだよね。

 

 

マイルズの『バグズ・グルーヴ』B 面では一曲目の「エアジン」(ナイジェリアの逆綴り)も二曲目の「オレオ」(アメリカ製マーガリンの商品名)もソニー・ロリンズのオリジナル・ナンバーだ。しかもこれら二曲は、ボスのマイルズがレギュラー・クインテットを結成後に、プレスティジへの例の1956年マラソン・セッションで再演しているので、聴き比べると面白い。

 

 

まずはご紹介を。

 

 

「エアジン」

 

1954年『バグズ・グルーヴ』 https://www.youtube.com/watch?v=nlc907zBBFY

 

 

 

「オレオ」

 

1954年『バグズ・グルーヴ』https://www.youtube.com/watch?v=9IY29EZb1pI

 

 

 

なんというかその〜、マジメなジャズ(とか言うと勘違いされそうだが)演奏としては、二曲とも1956年ヴァージョンの方がスリリングだ。テンポも上がってハードになりリズム・セクションも躍動的。ボスのトランペット技巧も向上しているし、あとはサックスだけがジョン・コルトレーンとソニー・ロリンズでは、この当時はやっぱりまだロリンズの方がずっといいなと思うだけで、それを無視すればいいことだらけ。特に「オレオ」におけるレッド・ガーランドのソロはかなりいい。左手だけで弾いている部分など凄まじさを感じるよね。曲全体のリズム・アレンジも面白い。

 

 

ですがね、1954年録音の『バグズ・グルーヴ』収録ヴァージョンの「エアジン」と「オレオ」には、そんなスリルは感じない代わりに、余裕があるんじゃないかなあ。余裕、とはすなわちユーモア感覚。だからどっちがよりファンキーか?という視点で聴けば、『バグズ・グルーヴ』ヴァージョンに軍配が上がる。特にやはり作者であるソニー・ロリンズのソロ部分がかなり面白く楽しい。このテナー・サックス奏者をファースト・クインテットのレギュラーにと望んで声をかけたマイルズだけど、断られたのはなんとも残念というべきか、代わりだったジョン・コルトレーンのその後のあんな大活躍を思えば、それもまたよしだったのか…。なんとも言えない。

 

 

マイルズのレコーディング・セッションにソニー・ロリンズが参加しているもののうち、スタジオ録音のラスト(ライヴでの散発的なピンチ・ヒッター起用なら後年まである)にあたるのが、B 面名盤のラスト『コレクターズ・アイテムズ』だ。しかしこれ、1956年3月16日ってことは、マイルズは既にファースト・レギュラー・クインテットを結成済で、スタジオ録音もあるんだけどなあ(例のコロンビアへの秘密録音を含む)。

 

 

とにかく『コレクターズ・アイテムズ』B 面三曲が相当に素晴らしい内容なんだよね。大学生の頃から僕は大好きでたまらないんだ。A 面は1953年にチャーリー・チャン名義でチャーリー・パーカーをテナー・サックスで参加させて録音したもので、その3曲4テイクは実につまらない。B 面の見事さとのあまりの大きなギャップにのけぞりそうだ。アナログ・レコード時代の僕は B 面ばかりに針を下ろしていた。

 

 

これも三曲ご紹介。

 

 

 

「ヴィアード・ブルーズ」https://www.youtube.com/watch?v=DabNQMNsFJk

 

「イン・ユア・オウン・スウィート・ウェイ」https://www.youtube.com/watch?v=XU6NghjEtfQ

 

 

三つともいい。デイヴ・ブルベック(マイルズは作曲家としてのみ評価していた模様)の書いた美しいバラード「イン・ユア・オウン・スウィート・ウェイ」なんか、これもマラソン・セッションで再演(『ワーキン』)していて、みんなそっちしか言わないんだけどさぁ。僕の耳にはどう聴いてもこのトミー・フラナガンがピアノ・イントロを弾くヴァージョンの方が上だなあ。「ノー・ライン」はテーマ・メロディがないのでこの曲題なんだろう。

 

 

さらに注目してほしいのは「ヴィアード・ブルーズ」。これ、書いたのがマイルズという版権登録になってはいるものの、さっき上でご紹介した「ドキシー」と同系統の旋律の動きだと僕には聴こえるんだが、どうだろう?ちょぴりユーモラスに上下するようなこの感じが。ってことは、テナー・サックスで演奏にも参加しているソニー・ロリンズが書いた可能性が高いように思えるんだけどなあ。サックス・ソロ部分でもやはりそんなような吹き方をしているじゃんねえ。

 

 

この「ヴィアード・ブルーズ」は、これまたファースト・レギュラー・クインテットでのマラソン・セッションで再演していて、『ワーキン』収録のそれは改題されて「トレインズ・ブルーズ」となっている。しかもですよ、『ワーキン』でのこの曲の作者登録は、曲題通りジョン・コルトレーンにクレジットされているんだもんね。演奏内容そのものは、上でご紹介した「ヴィアード・ブルーズ」の方がいい。

2017/06/29

アメリカン・ロックの良心

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アル・クーパーの1972年録音73年リリースのアルバム『ネイキッド・ソングズ』(邦題は嫌い)。かなりいいよねえ。僕も好き。個人的に大好きだと前から言っているビリー・ジョエルに似ている、なんていうとアルのファンのみなさんには怒られるのかどうなのか分らないが、そこそこ的を外していないように思う。二人ともニュー・ヨーカーで(年上のアルはブルックリン、ビリーはブロンクスの出身)、その出自を活かした都会的洗練のロック風ポップ・サウンド。ビリーの諸作がそうであるようにアルの『ネイキッド・ソングズ』も AOR っぽい。

 

 

アルの『ネイキッド・ソングズ』で、そんな都会的 AOR 風というと、一曲目の「(ビー・ユアセルフ)ビー・リアル」、三曲目の「ジョリー」、七曲目の「ピーコック・レイディ」、九曲目の「ウェア・ワー・ユー・ウェン・アイ・ニーディッド・ユー」、ラスト十曲目の「アンリクワイティッド」あたりだね。最後の二つは、なんだこの曲名?それだけで心動かされそう。

 

 

 

 

 

 

 

あ、いや、「ピーコック・レイディ」だけは AOR 風とだけも言い切れないぞ。基本的にはそうでありながら、この打楽器のサウンド。通常のドラム・セットは入っていない。代わりに、なんだか知らないがポコポコと、タブラではないし、なんの音だろうと思ってクレジットを見たら「クレイ・アンド・チューンド・ドラムス」と記載がある。おかげでちょっとした無国籍風ポップ、でもないのか、1972年録音だから。

 

 

「ウェア・ワー・ユー・ウェン・アイ・ニーディッド・ユー」「アンリクワイティッド」二つは聴き込むとつらい気持になりそうなので省略して、やっぱり僕が一番好きなのはシンプルな恋愛歌の三曲目「ジョリー」。この名の女性への想いを歌ったものだ(と思って調べてみたら、この当時アルはクインシー・ジョーンズの娘と付き合っていたらしい)。「ジョリー」はかなりポップでキャッチーだから、ヒット・チューンになっただろうな、と思ったらシングル・カットはされていない。もったいないなあ。曲終盤では女性への想いが感極まって、ジョリー!ジョリー!と絶叫している、というか興奮して声がうわずっている。僕はものすごく共感するね。

 

 

ロック系のものでいえば、六曲目の「サム・ストーン」。これはザ・バンドのサウンドそのまんまだ。ザ・バンドのどれに?なんて言うのは無意味だと思うほどこんなのばっかりじゃん、ザ・バンドって。アル自身の弾くアクースティック・ギターもまるでロビー・ロバートスンみたい…、と書こうとして記載を見たら、この曲のギターはアルじゃないみたいだ。

 

 

 

アルバム『ネイキッド・ソングズ』でかなり面白いのが四曲目の「ブラインド・ベイビー」。これは土ほこりが舞うようなカントリー・ナンバーだ。カントリー・スタイルのフィドルだって入っている。そして最も興味深いのが右チャンネルで聴こえるチューバのサウンド。そりゃアルはホーン・アレンジの上手い人だし、ブラス・ロックなんかもやってたんだし…、と思ってクレジットを見たらチューバは入っていないなあ。ってことは ARP シンセサイザーで出しているのかな、あの低音?本当にマウスピースをプッ・プッと吹くような音に聴こえるんだけど。

 

 

 

とにかくフィドルも入るカントリー・ソングで、それでチューバみたいな管楽器風低音が歯切れよくプッ・プッと刻むなんてのは、ほかにあまりないような気がする。アルはどのへんからこんなサウンド創りを思いついたんだろうなあ。幅広い音楽的バックグラウンドを持つ人だから、それを踏まえれば不思議じゃないのかもしれないが、チューバみたいな低音管楽器がボトムスを支えるって、ブラス・バンドとか1920年代末あたりまでのジャズ・ビッグ・バンドとかだから…、あ〜、だからアルのこんな着想も当たり前だ。

 

 

しっかしですね、ここまでこう書いてきたアル・クーパーの『ネイキッド・ソングズ』。僕みたいなアメリカ黒人音楽愛好家には、やっぱりホワイト・ブルーズとかブルー・アイド・ソウル(ゴスペル) みたいな二曲こそが最も嬉しい。二曲目の「アズ・ザ・イヤーズ・ゴー・パシン・バイ」と、八曲目の「タッチ・ザ・ヘム・オヴ・ヒズ・ガーメント」。前者のは黒人ブルーズ・マン、フェントン・ロビンスンの、後者は黒人ゴスペル(時代の )歌手サム・クックの曲だ。どっちも最高なんだよね。僕には。

 

 

 

 

でもアルの『ネイキッド・ソングズ』について、ネットで日本語の文章を読み漁っていると、この二曲は苦手だ、嫌いだという意見が少し出てくる。特に「アズ・ザ・イヤーズ・ゴー・パシン・バイ」でアル自身が弾くブルーズ・ギターが生理的にダメなんだそうだ。う〜ん、そうなのか…。シティ・ポップみたいなものしかアルに求めていないのか…。僕なんかこれ以上の生理的快感はないけどなあ。まあブルーズ専門のギタリストであれば、なんでもなくふつうに弾けるようなギター・ソロ内容ではあるが。もちろん鍵盤楽器も担当。

 

 

ソウル・スターラーズ時代のサム・クックの、というよりもサムの全音楽生涯での最高傑作だったんじゃないかと僕は思うことがある「聖衣に触れて」(タッチ・ザ・ヘム・オヴ・ヒズ・ガーメント)でのアルは、自身のヴォーカル以外にピアノとオルガンしか使っていない。その二つだけを多重録音した上で歌っている。ソウル・スターラーズのオリジナル・ヴァージョンにはポップなフィーリングがあったのに対し、『ネイキッド・ソングズ』のアル・ヴァージョンにはそれが薄く、むしろアル・ヴァージョンの方が敬虔な宗教ソング風だ。教会内などで聴けそうな雰囲気に仕上がっているような、そうでもないような。

 

 

アル・クーパーの『ネイキッド・ソングズ』って、だから白人アメリカン・ロッカーの作品でありながら、アルバム全体で見ると、適度な黒さと適度な白さのバランスが絶妙で、しかも録音時の1972年時点までのいろんなアメリカン・ミュージックのエッセンスが、それもこれみよがしにではなくサラリ自然に溶け込んでいて、しかも聴いた全体的な印象はシティ・ポップ風だし、やっぱりこういう作品を「良心」だと僕は呼びたい。

2017/06/28

日本の四畳半フォークみたいなマカオの歌

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香港から高速フェリーですぐなので(確か30分程度だったような?)遊びにいったことがあるマカオ。中国に正式返還されたのが1999年だったので、僕が行ったのはその前。カジノが目的ではなく、単なる物見遊山。でもマカオにこんなに楽しい音楽があるとは、その当時まったく意識していなかった。音楽のない国・地域なんて地球上に存在しないんだから、面白い音楽があって当然だけど、なかにはロシア民謡みたいだったり、日本の歌謡曲ソックリみたいなのもあったり、それもある時期の四畳半フォークに似たようなものさえあるのが、『ア・ヴィアジェム・ダス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)10:マカオ』。

 

 

このマカオ篇の収録時間は、CD としてはかなり短く約48分。しかも1トラック目とアルバム・ラスト14トラック目はナレイションだ。特に音楽と強い関係のなさそうなもので、1トラック目ではマカオの情景をノスタルジックに語り、14トラック目では中国正月の情景描写。といっても僕にポルトガル語の聴解能力はないので、トラジソンがもとからつけているブックレット記載の文字起こしを(ナレイションを聴きながら)ポルトガル語原文/英訳の両方で読んで、そういうことかと理解しているだけ。

 

 

だから普通の意味でのいわゆる音楽は『ア・ヴィアジェム・ダス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)10:マカオ』に12曲しかなく、時間もトータルで40分あるかないかという程度。でもかなり面白い。僕の耳を一番惹いたのは11曲目の「Ponte I - Macau」。これがまさに日本の歌謡曲、それも1970年代初頭あたりの、日本のいわゆる(特に四畳半)フォーク・ソングにかなり近い。というかソックリだと言ってしまいたい。

 

 

フォークのだれのどれに近いかは、まあ指摘できないんだけど、この独特の雰囲気がもう間違いないと思う。でも僕はああいった、いわゆるフォーク連中のレコードは一枚も買ったことがない。いわんや CD をや。もっぱらテレビの歌番組と、あとは僕が小学校高学年か中学生の頃にテレビ・ドラマなんかでよく使われていた。だからあの情緒だけは鮮明に憶えている。どんなのがあったっけ?中村雅俊ら(秋野太作もいたっけ?)三人が主演の青春ドラマとかあったよなあ。なんだっけなあ?調べれば分るだろうが、それはしなくてもいいだろう。

 

 

そんなわけでなんとなくの雰囲気だけ憶えているあの時代の日本のフォーク・ソング。暗く湿っぽく、リズム感も悪く、こじんまりとしていて、あの当時から嫌いだったけれど(だってちょうどその頃山本リンダとかが好きだったわけだから)、いまも聴く気になんかなるわけがない…、かというと実はそうでもなくなっていて、たまになにかのテレビ(歌)番組や YouTube 動画などでそんなようなものを観聴きすると、案外いいなあという気がするから不思議だ。単に少年時代へのノスタルジーを好ましく思うようになっているだけなのか?

 

 

そんな雰囲気にソックリな『ア・ヴィアジェム・ダス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)10:マカオ』の11曲目「Ponte I - Macau」。マカオという言葉が曲題にもあるし歌詞にも出てくるし、なんだかよく分らないが当地への想いを綴ったものなのだろうか?哀感を帯びたマイナー・キーの旋律はなんだか甘酸っぱいものだが、それはこのアルバムのなかではちょっと例外的なポップ・ソングだ。しかし、どうしてここまで日本の四畳半フォークに似ているんだろう?

 

 

 

『ア・ヴィアジェム・ダス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)』シリーズの一枚ということは、当然ポルトガルの植民地だった土地で、その旧宗主国からの音楽的影響の痕跡をたどるのが目的でマカオ篇も編まれているわけだけど、上の「Ponte I - Macau」は、ギターをメインで使っているのと、フルートが絡むのがインドネシアのクロンチョンっぽかったりする。テナー・サックスのソロはあまり関係なさそうだ。でもメロディの哀感は、やっぱりポルトガル由来なんだろうか?

 

 

11曲目「Ponte I - Macau」だけを例外とし、他の『ア・ヴィアジェム・ダス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)10:マカオ』収録曲は、(表面上は)カラッと明るくサラリ軽く涼やか。この点でもクロンチョンに相通じるものがあるような気がする(のは僕だけ?)。ちょっと面白いのが四曲目の「Casa Macaísta」。この曲題だけでもお分りのように、これはファド・スタンダードの「ポルトガルの家」(Uma Casa Portugeusa)なんだよね。アマリア・ロドリゲスも歌っている。典型的なファドっぽくないかなり陽気な曲調のものだ。

 

 

 

『ア・ヴィアジェム・ダス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)10:マカオ』収録の「Casa Macaísta」はこれ。ファド原曲のポルトガルをマカオに置き換えて歌っているのがイザベル・メシャ(Mexia の読みはこれでいいんだっけ?)。聴こえる弦楽器が普通のギターではなくマンドリンみたいな響きなので、たぶんポルトガル・ギターか、それを原型にマカオ人が工夫したものに違いない。

 

 

 

マカオのカーニヴァルの行進を歌った五曲目「Marcha do Carnaval」でも、やはり鳴っている弦楽器はポルトガル・ギター(かそれ由来の同族弦楽器)。弦楽器といえば続く六曲目が「Viola Chinesa」という曲題なので、中国の弦楽器を題材にした曲なんだろうが、曲調に中国風な部分はかなり薄い。中国風というよりポルトガル由来のユーロピアン・メロディだ。どっちも YouTube にはないみたい。

 

 

中国風だと分るものが流れてくるのは、12曲目の「Casas De Ópio (Versão Instrumental)」になってようやくのこと。楽器もそんなものが使われているみたいだし、使われているスケールがいわゆるヨナ抜きの五音音階で、誰が聴いてもファー・イースタン・ミュージックだと感じるものだろう。下にご紹介するのは同じ曲だけど、『ア・ヴィアジェム・ダス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)10:マカオ』収録ヴァージョンではない。でもなんとなくの雰囲気は分るはず。

 

 

 

しかしいまハッと思い当たったけれど、ヨナ抜きということは日本の曲にも多いわけで、先になんだかすごく不思議だと言わんばかりに強調した『ア・ヴィアジェム・ダス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)10:マカオ』11曲目の「Ponte I - Macau」が日本の四畳半フォークに酷似しているかのように聴こえるのは当たり前だったりするんだろうなあ。トラジソンが出したシリーズだからポルトガル由来という事情ばかり考えていた僕が浅薄だった。

 

 

八曲目「Bastiana」は中国風なところが皆無な、完全なるキリスト教会の賛美歌合唱。ロシア民謡風なものが聴こえると最初に書いたのが九曲目の「Aqui bôbo」。前者は単にポルトガルが支配してキリスト教音楽を持ち込んだ名残ってだけだろうからなんでもないけれど、後者はちょっと面白いかも。『ア・ヴィアジェム・ダス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)10:マカオ』収録ヴァージョンじゃないけれど、同じ曲でこんなのが見つかった。内容はほぼ同じ。

 

 

 

基本メジャー・キーだけど、途中でなんどかマイナーに転調するよね。その部分がまるでロシア民謡の旋律みたいじゃないかと僕には聴こえるんだけど?でもこれもよく考えてみたらポルトガルとロシアとマカオの関係云々じゃなく、中国とロシアが隣国同士だからってだけの話なのかなあ?こういったマイナー・スケールは極東アジア〜ユーラシア大陸東部で似通ったものがあるのかもしれない。なんの根拠もなくまったくの当てずっぽうで言っているけれども。

2017/06/27

コラ+ラテン・ダンス・サウンド 〜 バオバブの新作

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唯一の難点は、収録時間がたったの43分しかないってことだけじゃないだろうか?オーケストラ・バオバブの今2017年の新作『ンジュガ・ジェンに捧ぐ』。それくらい中身は充実しているよね。このアルバム、ライスからリリースされている日本盤の方には荻原和也さんがお書きの解説文が附属するので、それをお買いになれば、僕みたいなド素人が言うことはなにもない。僕はエル・スールさんに、まだ日本盤が出るかどうか分らない時点でオーダーしておいたら、特別なにも言っていないにもかかわらず、勝手にというか自動的に(笑)、原田さんが日本盤の方にしておいてくれていたっていう、嬉しいような、値段は輸入盤よりちょっとだけお高めなので、その点だけがちょっとねえ。

 

 

僕みたいにオーケストラ・バオバブをさほど熱心に聴いていない人間には、ちょっとくらい値段が高めでも、荻原和也さんの解説文を読めた方がありがたいのは言うまでもない。このセネガルのバンドについては、アフリカの音楽家なのになんだかラテン・バンドみたいだなあとか以前から思っていて、しかも復帰後の第二作である、『ンジュガ・ジェンに捧ぐ』の前作にあたる2007年の『メイド・イン・ダカール』は、あくまで僕だけにとってはイマイチな感じに聴こえたので、う〜ん、このバンドはもうちょっとどうなんだろう?とか漠然と思っていたのだった。

 

 

しかしバオバブが「ラテン」、しかも「ダンス」・バンドだっていうのは、そこそこ外していないんじゃないかなあ。いやあ、ホントさほどご執心の音楽家じゃないので怪しいもんなんだが、なんとなくそんな気がする。それが2017年の新作『ンジュガ・ジェンに捧ぐ』ではかなり様変わりしているように僕には聴こえる。最大の要因はコラの導入だろう。バオバブの作品でコラが聴けるものっていままであったっけ?ないはずだ。コラがどんな楽器なのか、説明しておく必要などない。ジャズ・ファンの方でご存知ない向きもネット検索すれば一発で分る(はず)。

 

 

コラをラテン・ダンス・ミュージックに使うという、この発想がどのへん&だれから出てきたものなのかは僕には分らない。だがバオバブの『ンジュガ・ジェンに捧ぐ』ではこれが大成功。ラテンなダンス・ビートはそのままに、西アフリカの伝統弦楽器であるコラがシットリ落ち着いたフィーリングを加味していて、しかもそれは前からあったかのようにバオバブ・サウンドに馴染んでいて、バンドのサウンド全体がまろやかでメロウになっている。こ〜りゃいいね。

 

 

『ンジュガ・ジェンに捧ぐ』ではコラはほぼ全面的に使われれていて、一曲目「フーロ」(Foulo)から聴こえる。リズムとサックス二管の円熟味はいまさら言うまでもないものだから、それにコラで西アフリカ伝統色がくわわって、しかもダンサブルでもあって、この一曲目を聴いただけで、このバオバブの新作は傑作だぞと誰でも確信できるだろう。活躍中のアフリカの音楽家で、ここまで伝統色と現代色を合体させ、しかもポップでダンサブルで楽しくて、さらにメロウな円熟味と、さらに新作だけはあるという新鮮さも感じられるものって、なかなか見当たらないよなあ。凄い人がほかにもたくさんいるけれど、ちょっと音楽の色が違う。バオバブを見捨てようとした僕って、バカバカ!

 

 

二曲目の「ファインクンコ」(Fayinkounko)以後もどんどんコラが入っていて、しかもそのサウンドが目立つので、これはバオバブのこの新作『ンジュガ・ジェンに捧ぐ』における最大のアピール・ポイントなんだろう。多くの曲で有機的に使われているけれど、でもバンド・サウンドのなかに渾然一体となって溶け込んでいるので(「前からあったかのようにバオバブ・サウンドに馴染んでいて」)、コラをあえてフィーチャーしているようなものは、二曲を除き、『ンジュガ・ジェンに捧ぐ』にはない。

 

 

その例外二つがアルバム五曲目の「新しい花嫁」(Mariama)とラスト十曲目の「アレクマ」(Alekouma)。 これらはコラを全面的にフィーチャーしていて、歌の伴奏がコラのオーヴァー・ダブ(「ダヴ」じゃありません、それは鳩です)・サウンドとアクースティック・ギターだけ。ギターだって聴こえるのか聴こえないのか微妙な感じの音だから、これら二曲は(多重録音による)コラ・オンリーの伴奏だと言ってしまいたいくらいだ。この二曲は、僕は知らないものだったので萩原さんの解説の引き写しだが、西アフリカの伝承ソングなんだそうだ。

 

 

萩原さんによれば五曲目「新しい花嫁」はマンデの有名なラヴ・ソング、十曲目「アレクマ』はガンビアのグリオの歌だそうだ。バオバブのアルバムでそんな伝承ナンバーが聴ける、それもほぼコラのみの伴奏と言ってもいいもので聴けるとは、たぶん誰も想像していなかったはずだ。だって萩原さんですらそうお書きなんだから、僕みたいな素人にはかなりの驚きだ。これら二曲にラテンなダンス・フィーリングは、僕は聴きとれない。西アフリカのコラ弾き語り音楽家の作品で聴けるような種類のものに仕上がっている。う〜ん、やっぱりビックリじゃんねえ。バオバブだよ。

 

 

これらビックリの二曲以外は、やはりコラが使われているものの、リズム・セクション(といってもドラムスはなし、コンガとティンバレスとベースとギター)や二管サックス+トロンボーンが入って、やはりバオバブらしいアフロ/ラテン・ダンス・チューンになっている。がしかし、上でも書いたがコクというかまろやかさというか、サウンドに円熟味を増し、2017年にリリースするだけあるという同時代性もあるんだよね。

 

 

『ンジュガ・ジェンに捧ぐ』、バオバブ復帰後の最高作だと僕も疑わない。

2017/06/26

現役男性歌手最高峰 〜 ゴチャグ・アスカロフ

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ラテン文字アルファベット”Gochag Askarov”でならいくつか見つかるけれど、日本語のカタカナ「ゴチャグ・アスカロフ」で Google 検索すると、ディスクユニオンのページ以外には、100%完全に僕が書いたブログ記事とツイートしか出てこない。これはマジなのか?これが実態なのか?世界の現役活躍中の男性歌手のなかで、パキスタンの故ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの衣鉢を継いでいる唯一の存在が、現在38歳のアゼルバイジャンのゴチャグ・アスカロフだっていうのにだよ?オカシイぞ、これ。誰も文章にしていないなんてさ。

 

 

ゴチャグ・アスカロフについて、いまごろちょっと書いておこうと思い立ったのは、僕が Twitter でフォローしている、とある男性ジャズ・ファンの方がアゼルバイジャンの音楽に興味が向きはじめたようなことをおっしゃっているからだ。その方の普段のツイートから判断するに、おそらく僕より年上で、ちょっと年季の入った、それもやや保守的な聴き方のジャズ・ファン。それでも新しめのジャズにも興味を示していて、特に東欧系のジャズのことを最近よくお話になっている(まあホットな話題ですから)。 

 

 

だからあるときそのジャズ・ファンの方がアゼルバイジャンの名前を出したとき、じゃあこんなのどうですか?と、いくつか古典ムガーム歌手の音源を紹介したら興味を示してくださった。中東の旋律に似て聴こえますともおっしゃっていた。まあそんなわけで、アゼルバイジャンのクラシカルなムガーム歌手現役では、私見ナンバー・ワンのゴチャグ・アスカロフのことを今日は少しだけ書いておこう。

 

 

それにしても、アゼルバイジャンではないが、たとえばティグラン・ハマシアンでアルメニアにみんな興味を持つようになったりしているから、ああいった JTNC系のライターさんの仕事はあんがい侮れないどころか大いに評価しないといけないよねえ。ティグランにかんしてはサラーム海上さんもかなり強い関心を示していて、サラームさんの場合は、アメリカで活動するジャズ・ピアニストという側面はひょっとしたら無視して、もっぱらアルメニアの音楽家としてだけお聴きなのかもしれないが(デイヴィッド・ボウイにもかなり強く関心を示すのはなぜだか分らん)。

 

 

ゴチャグ・アスカロフの生い立ちとかキャリアみたいなことは、ラテン文字で検索すれば英語の Wikipedia ページが出てくる。それにちゃんと書いてあるので、それをご一読いただきたい。ゴチャグ名義のフル・アルバムは、2017年6月時点ではまだ二枚。2011年の『ムガーム:トラディショナル・ミュージック・オヴ・アゼルバイジャン』と2013年の『セイクリッド・ワールド・オヴ・アゼルバイジャニ・ムガーム』。どっちもイタリアの Felmay レーベルからリリースされている。なかなか面白い会社みたいなんだよね。イタリア語のサイトから直接買うこともできるんだけど、カード決済の場面が分りにくいのは改善してくれ(僕のイタリア語能力が乏しいせいだろうけれども)。

 

 

僕がゴチャグ・アスカロフに出会ったのは2013年盤『セイクリッド・ワールド・オヴ・アゼルバイジャニ・ムガーム』でだった。エル・スールのサイトに、ある年までは掲載されていたいろんな方の年間ベストテン(僕のもある)で、ある方、どこのどなたかも存じ上げない方が、これを選んでいたからだった。その方のベストテンは、確かアゼルバイジャンやイラン(ペルシャ)など、そのあたりの音楽アルバムばかり選ばれていたような記憶がある。なにを隠そう、あの二枚組『グレイト・シンガーズ・オヴ・ザ・リパブリック・オヴ・アゼルバイジャン 1925-1960』も、荻原和也さんのブログで拝見する前に、その方の年間ベストテンに入っているので知って、僕は慌ててエル・スールの原田さんになんとかしてくれ!入荷してくれ!とメールでお願いしたんだった。同時に見たゴチャグ・アスカロフの方はアマゾンで実に簡単に見つかったので、それを即買い。

 

 

ゴチャグ・アスカロフの二枚のうち、僕にとっては2013年の『セイクリッド・ワールド・オヴ・アゼルバイジャニ・ムガーム』の方がずっと凄いように聴こえるので、このアルバムの話だけ今日はしたい。まず一曲目「Mugham Improvisation In The Mode Shushter」の冒頭で、なにか擦弦楽器のような音(カマンチャだとのちに知る)が鳴り、それはまあ雰囲気をつくるだけのようなものだけど、その後いきなり出てきた男性ヴォーカルにビックリしちゃったのだ。一目惚れ(一聴惚れ?)してしまったのだった。

 

 

あのド迫力、張りと伸びのある声の強靭さ、コロコロと喉を震わせるようにコブシを廻す歌い方、そして声質と歌い方に、あまり聴いたことのない独特の情緒、それはパトスというギリシア語が最もピッタリ来るものだけど、日本語にすれば憂いとか悲哀とかメランコリーとか、でもそれは落ち込んでいるようなものではなく力強く押し出す情念のような哀しみだから、やはりパトスというしかないのだが、そういったものが強く感じられる声と歌い方なんだよね、ゴチャグ・アスカロフの場合は。

 

 

そんな声を聴くのは実に久しぶりだったよなあ。久しぶりというか、音楽体験の狭くて浅い僕はあまり聴いたことのないものだった。こんなにものすごい歌手が、それも現役で活動中なのか?!と。いまやすっかり衰えたマリのサリフ・ケイタの、あの全盛期とか、あるいは上でも名前を出したパキスタンのヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの一番よかったころに十分匹敵するどころか、聴きようによってはもっと深みを感じるとさえ思う。最も重要なことは、そんな歌手ゴチャグ・アスカロフはまだ若く現役バリバリなのだということだ。僕たち、いや、僕が、生きているあいだ、それも熱心に音楽を聴いているリルタイムでそんな音楽家に出会えて楽しめるなんて、やっぱりレアな経験じゃないかなあ。僕はなんでも遅れてきている人間だからさ。

 

 

ゴチャグ・アスカロフのアルバム『セイクリッド・ワールド・オヴ・アゼルバイジャニ・ムガーム』は全5トラック。「曲」とは言えないようだ。一定のモード(=旋法、それもムガームという)に基づくインプロヴィゼイションが並んでいて、そのモードをなんどかチェンジして、楽器奏者はもちろん歌手も即興で、それもアゼルバイジャンの古典詩に基づいたものを廻しているからだ。聴いた感じ、演唱前にあらかじめ用意されていたメロディみたいなものがあるようだが(ブックレットにもそう書いてある)、そこから自在に即興で歌っているに違いない。四曲目はアゼルバイジャン民謡らしい。

 

 

伴奏の楽器編成はタール(リュート族のネックの細く長い弦楽器)、カマンチャ(形は胡弓みたいな擦弦楽器、ヴァイオリンのようなもの)、バルバン(クラリネットのような木管の笛)、ナガーラ(棒で叩く太鼓、見た目ちょっとタブラっぽい)、ウード(説明不要)、カヌーン(これもご存知のはず)。これらにくわえ低音ナガーラとゴシャ・ナガーラ(gosha は二つ一組の意)が参加している。


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大編成、でもないか、中人数編成に思われるだろうが、これらの楽器奏者全員が同時に音を出している時間は、ゴチャグ・アスカロフのアルバム『セイクリッド・ワールド・オヴ・アゼルバイジャニ・ムガーム』にはほぼない。歌の背後でも楽器演奏部分でも、常に一人か二人しか演奏しない。だから伴奏だけ取り出すと聴感上の印象はメチャメチャ地味で、渋すぎる。こういった部分だけだと、米英のジャズやロックなどなどこそがお好きなみなさんは、かなり物足りなく感じるはずだ。

 

 

だが、そんな地味極まりない伴奏の上に乗るゴチャグ・アスカロフのヴォーカルが尋常じゃない素晴らしさなのだ。上でも触れたが、高音部で喉を震わせるようにして転がすような歌い方は、おそらくイランのタハリール唱法からかなり強い影響を受けているんだと思える。ある時期のイラン、というかペルシャ帝国は、一帯にかなり強い影響を及ぼした。伴奏に使われている楽器も、イランを含む中近東〜アラブ圏あたりと(名称が若干揺れるだけで)共通するものが多い。それにモード(ムガーム)だって似通っているから、やはり同一音楽文化圏なんだよなあ。

 

 

ゴチャグ・アスカロフの『セイクリッド・ワールド・オヴ・アゼルバイジャニ・ムガーム』は、2012年4月8日、アゼルバイジャンの首都バクーで行われたライヴを収録したアルバムで、実際観客の拍手なども聴こえる。いやあ、こんなものすごい歌手を生で聴けたら、さぞや聴き手の心も打ち震えるだろうなあ。ゴチャグの来日公演が実現する可能性なんてゼロだとしか思えないが、ヨーロッパ各国では活動しているみたいだ。

 

 

ゴチャグ・アスカロフの二枚(それら以外にもいろんなコンピレイションに少しずつ入っているのを四枚ほど僕は持っている)『ムガーム:トラディショナル・ミュージック・オヴ・アゼルバイジャン』も『セイクリッド・ワールド・オヴ・アゼルバイジャニ・ムガーム』も、アマゾンで問題なく買えるし、やはり Spotify でも二枚とも聴ける(のを確認した)。ぜひお願いします。

2017/06/25

どうしてもう電話くれないんだよ?〜 プリンスのB面

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ちょっと調べてみたら、プリンスのアルバム未収録のシングル・ナンバー(その他)は全部で89曲もあるんだそうだ。それらすべて7インチか12インチのアナログ・シングル盤、あるいは CD マキシ・シングルみたいなもので発売されたものらしい。いまから全部集めようなんて考えたら、労力も経済力も相当な覚悟が必要だよなあ。もう死んで一年以上になるんだし、そろそろ全部まとめて公式リリースしてくれ〜っ!それがダメなら、誰かなんとかしてくれ〜っ!(と小声で松山市在住の熱狂的プリンス・マニアの女性に向けて言ってみる)。

 

 

それら(本当かどうか確かめる手段を僕は持たないのでネット情報をそのまま鵜呑みにすると)89曲のうち、ジミ・ヘンドリクスの「レッド・ハウス」をもじったブルーズ・ナンバー「パープル・ハウス」は、以前ジミヘン・トリビュート・アルバム『パワー・オヴ・ソウル』について書いた際に、ちょっとだけ触れた。だから僕も持っている。

 

 

 

これ以外で僕の持つプリンスのアルバム未収録のシングル・ナンバーは、すべて1993年のベスト盤 CD 三枚組『ザ・ヒッツ/ザ・B ・サイズ』収録のものだけだ。ただし二枚目までの「ザ・ヒッツ」サイドはアルバム収録曲がほとんどで、それを7インチ・シングルその他用に短く編集してあったりなどするものがメインだから、あまり必要性は高くないような気が僕はする。それでもこのベスト盤二枚で初 CD 化だったり、あるいは僕自身初めて耳にしたヴァージョンとか、そもそもこんな曲があるんだという存在自体を初めて知ったというものもあるので、当時もいまも重宝している。

 

 

でもこの三枚組ベスト盤『ザ・ヒッツ/ザ・B ・サイズ』最大の聴きどころは、やっぱり三枚目。数々のシングル B 面曲だよなあ。僕の場合、収録されている全20曲のそれらは、いまだにこのアルバムでしか聴いたことがない。これで全部なんかじゃないわけだから〜、だから〜、早く全部ドバ〜ッと出してくれ〜!ワーナーさんとペイズリー・パークさん!

 

 

そんなわけで『ザ・ヒッツ/ザ・B ・サイズ』の三枚目「ザ・B ・サイズ」に沿って、今日はプリンスのシングル B 面曲について、僕のお気に入りを少し書いておこう。なかにはこりゃいかにも B 面だ、ほぼボツでもいいだろうというに近いようなものがちょっとだけ混じっているような気がするが。例えば四曲目の「ガッタ・ストップ(メシン・アラウンド)」とラスト20曲目の「パワー・ファンタスティック」はそうじゃないかなあ。熱心なプリンス・ファンのみなさん、ゴメンナサイ。でもこの二つ以外はクォリティ高しというのが、さすがプリンスの仕事だけある。

 

 

なかでもこれは名曲!と言える、というかプリンス・ファンのあいだではその評価が定着していて、僕も『ザ・ヒッツ/ザ・B ・サイズ』で初めて聴いたときこりゃ素晴らしい!と感動したのが、15曲目「17・デイズ」と16曲目「ハウ・カム・U ・ドント・コール・ミー・エニイモア」の二つ。例によってご存知ない方向けに音源をご紹介できないのだけが、この音楽家の場合、残念でならない。今日は確かめていないが Spotify にありそうだ。

 

 

「17・デイズ」はかなりダンサブルなポップ・チューンで、グルーヴ感はファンクそのもの。ちょっと奇妙な感じのサウンドなのは、プリンスの場合いつものことだから言う必要がない。ほんとマジで踊れる曲なんだけど、歌詞を聴くと悲しいことこの上ない失恋歌なんだよね 〜「僕が手にしたのは二本の煙草と、この傷ついた心だけ」。このサウンド/リズムと歌詞とのアンバランス・不協和が実にいい。こうじゃなくっちゃね。

 

 

トーチ・ソングだといえば、続く16曲目「ハウ・カム・U ・ドント・コール・ミー・エニイモア」もまったく同じ。曲題だけで分っちゃうよね。そしてこっちは「17・デイズ」とは違って、いかにもハート・ブレイキングなフィーリングの歌い方(やや粘着質だが、そこはプリンスだから)で、伴奏もプリンス自身の弾くアクースティック・ピアノ一台(とかすかにドラムスの音がある)でシットリしたもの。そんな風なピアノを弾きながら、ファルセット・ヴォイスで泣くように「どうしてもう電話してくれないんだ?」と歌っているんだよね。「17・デイズ」と並び、殿下の B 面では最大の名曲だ。

 

 

しかしこの二曲と同じくらい僕が気に入っているものが少しあって、「ザ・B ・サイズ」6曲目の「フィール・U ・アップ」、8曲目の「アイ・ラヴ・U・イン・ミー」、9曲目の「エロティック・シティ」、10曲目の「ショッカデリカ」、11曲目の「イレジスタブル・ビッチ」(なんてひどい曲名なんだ 笑)。

 

 

これらのうち「フィール・U ・アップ」と「ショッカデリカ」はたぶん同時期の録音だね。ブックレット記載を見ると、前者が1989年の「パーティーマン」の、後者が87年の「イフ・アイ・ワズ・ユア・ガールフレンド」の、それぞれ B 面だったらしいが、「フィール・U ・アップ」も「ショッカデリカ」も、あのカミーユ声だから、同じ頃のセッションで録音・処理されたものに違いない。例のボツになったアルバムに収録する予定があったのかもしれない。大傑作『サイン・O ・ザ・タイムズ』に入っていてもまったくおかしくないような二曲だ。特に「ショッカデリカ」の方は、ソックリな曲がこの二枚組にあったと思う。Fairlight (鍵盤付きの音楽用コンピューター)で創るデジタル・ビートの重い感じがそのまんまなのがあったよなあ。

 

 

「フィール・U ・アップ」もカミーユ声で歌うバックのリズムが、あの1980年代後半というプリンス絶頂期にはよくあったタイトなファンク・グルーヴで、歌い方は実に淡々としているが、これも楽しい。しかし「ザ・B ・サイズ」にあるタイトに疾走するファンク・チューンということなら、僕の場合、11曲目の「イレジスタブル・ビッチ」が一番カッコイイと思う。ほぼドラムスだけ(めちゃめちゃファンキー)という伴奏に乗せて、プリンスはトーキング・スタイルのヴォーカルを聴かせる。しかしこれ、1983年のシングル盤 B 面じゃないか。『1999』の頃だ。この頃、こんなにファンキーなものがあったけなあ、プリンスって? まあこういったしゃべり系のヴォーカル・スタイルは、のちに多用されることになった。

 

 

九曲目の「エロティック・シティ」は、1984年「レッツ・ゴー・クレイジー」の B 面。プリンスとマイク・リレーを聴かせるのがシーラ・E。『パープル・レイン』の頃なのにウェンディとかリサじゃないのかよ。シーラ・E なのかよ。絶対になんかあったよな、この二人。ちなみにプリンスのヴォーカルはかなり加工されて妙な声になっている。しかもこの「エロティック・シティ」が、これまたファンキーでいいよなあ。

 

 

最高のラヴ・バラードが八曲目の「アイ・ラヴ・U・イン・ミー」。『バットマン』の頃のシングル・ナンバーらしい。これは絶品の美しさだ。まったりとした感じのもので、プリンスには同系統のものがすごくいっぱいあるので珍しくはない。エレピみたいな音を出すシンセサイザー(だと思うんだが)だけに乗って、実に淡々と美しく、しかも超絶エロい歌詞をプリンスが歌っている。この音楽家の場合、こういうのにハマっちゃうと抜けられないんだよね。僕はいまだにハマりっぱなし。

2017/06/24

ハーモニーこそがグルーヴだ 〜 原田知世と伊藤ゴローの世界(1)

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(1)といっても(2)をいつ書けるのやらサッパリ見当もつきませんが。もうすぐリリースされるのもそれなんだそうですが。きっといつか…。

 

 

こりゃ素晴らしい、原田知世のラヴ・ソング・カヴァー集二枚『恋愛小説』『恋愛小説 2 - 若葉のころ』。原田知世の歌がいいんだとは前々から聞いていたものの、たくさんあってどれから買ったらいいのか分らず。ある音楽マニアにして知世ちゃんファンの方に相談はしたけれど、結局は僕自身の判断で、曲そのものはほぼ全てよく知っているものばかりだという理由で、カヴァー・ソング集の『恋愛小説』『恋愛小説 2 - 若葉のころ』を買って聴いてみたら、こ〜れ〜が!大正解。

 

 

二枚ともいいんだが、6月18日に届いたのを毎日毎日リピート再生するうち、いまの僕には『恋愛小説 2 - 若葉のころ』の方が沁みてくるような気になっている。ハードでコアな音楽マニアのみなさんの一部は(僕が最近までそうであったように)、歌手としての原田知世は相手にしていないかもしれないので、『恋愛小説』『恋愛小説 2 - 若葉のころ』二枚の収録曲をちょっとだけ説明しておこう。

 

 

2015年リリースの『恋愛小説』は、二曲を除き有名アメリカン・ポップ・ソングを歌ったもの。ジャズ歌手がよくやるようなスタンダード(「ナイト・アンド・デイ」「ブルー・ムーン」「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」)もあるし、あるいはひょっとしたらもっと有名なエルヴィス・プレスリーの「ラヴ・ミー・テンダー」。イギリス人女性歌手ダスティ・スプリングフィールドが初演だが、曲はアメリカ人であるバート・バカラックが書いた「ザ・ルック・オヴ・ラヴ」。またノラ・ジョーンズのレパートリーや、レナード・コーエンなど。

 

 

アメリカの歌じゃない二曲のうちどっちが有名かというと、絶対に間違いなく一曲目のビートルズ・ソング「夢の人」(アイヴ・ジャスト・シーン・ア・フェイス」だよね。七曲目「イフ・ユー・ウェント・アウェイ」を書いたマルコス・ヴァーリはブラジル人だから、これもアメリカン・ソングのなかに入れなかった。しかしこの曲は、マルコス・ヴァーリのアメリカ合衆国時代に、全曲英語詞をつけて歌われた1968年の『サンバ ’68』のなかのもの。読みかじる情報では、初期のブラジル時代に書いていた曲ばかりのアルバムだそうだけど、僕はオリジナルを知らないので、まあアメリカン・ポップ・ソングに入れてもよかったかもしれない。

 

 

これに対し2016年リリースの『恋愛小説 2 - 若葉のころ』の方は、同じくカヴァー集といっても日本の歌謡曲をとりあげている。僕の世代だと、だいたいどれも懐かしい思い出が蘇ってくるものばかりだが、個人的に特に大好きなのが、四曲目の太田裕美「木綿のハンカチーフ」(1975)と、六曲目のキャンディーズ「年下の男の子」(1975)、七曲目の久保田早紀「異邦人」(1979)、九曲目の山口百恵「夢先案内人」(1977)の四つ。ネットで検索すれば他の収録曲も全部出てきて、誰が初演歌手で何年か全部書いてあるので、ぜひお願いします。

 

 

だがしかし『恋愛小説 2 - 若葉のころ』で、僕にとってこれが一番グッと来るのは、上記四曲ではない。一曲目の「September」(竹内まりや 1979)だ。これが!もうすんばらしいのなんのって!まずだいたいこの原田知世ヴァージョンはファンク・ミュージックだもんね。ウソだ〜!と思うそこのあなた、ぜひちょっとこれを聴いてみて。

 

 

 

これはティーザーだから短くて、どうもイマイチ分りにくいもかもしれない。4/4拍子を使ってあるサビ部分からはじまっているしね。でもその後ファンク・ビートに戻っているじゃないか。これしかし、曲の出だしのイントロ部分がもんのすごくカッコイイんだけどなあ。Spotify で問題なく聴けますのでお願いします。 エレベ(鳥越啓介)がくぅ〜んと鳴って、そのままビートを刻みはじめ、ドラムス(みどりん)が入ってヘヴィ・グルーヴになり、二枚とも全曲でプロデュースとアレンジもやっている伊藤ゴローのエレキ・ギターが単音弾きでリフを奏ではじめた瞬間に、僕は降参。知世ちゃんが歌いだしたら、もう泣きそう。

 

 

泣きそうになるのは、松本隆の書いた「September」の歌詞はトーチ・ソングだからだ。しかし、竹内まりやのオリジナルって、ここまで良かったっけなあ?原田知世ヴァージョンではホーン・リフの入り方もカッコよくグルーヴィだ。伊藤彩ストリングカルテットも素晴らしい。アレンジとプロデュースをやっている伊藤ゴローの仕事ぶりが見事すぎるということなんだろうけれど、このサウンドとリズムに乗って知世ちゃんにこんな内容を歌われたら歌詞内容が沁みすぎて、だから泣いちゃいそうになるんだよね。

 

 

ブラック・ミュージック路線は『恋愛小説』の方にもある。二曲目のノラ・ジョーンズ「ドント・ノウ・ワイ」だ。これの原田知世ヴァージョンは、まごうかたなきハイ・サウンドのソウル・ミュージック。誰が聴いてもそうだと分る鮮明なハイ・サウンドなんだよね。これもかなり短いティーザーみたいなものがあったのでご紹介しておく。こっちはこの約1分程度のティーザーでもハイだと分るはず。これも伊藤ゴローのアイデアなんだろうなあ。CD を買う気がない方は Spotify でお願いします。

 

 

 

伊藤ゴローの持味の一つであるボサ・ノーヴァ仕立てがいくつもあって、『恋愛小説』だと例えば五曲目の「ナイト・アンド・デイ」とか、八曲目「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」などが典型的。僕が大好きなバカラック・ナンバー「ザ・ルック・オヴ・ラヴ」もリズム・フィールがちょっぴりブラジリアンだけど、これはしかし北米合衆国のブラック・ミュージックっぽい要素もある。特にエレベではなくウッド・ベース(やはり鳥越啓介)を使ってヘヴィなリフを演奏させているあたり、そんな感じがする。このウッド・ベース・リフはかなり重い。フリューゲル・ホーン(織田祐亮)はちょっとジャジー。バカラックの書いた曲が持つ官能性は弱くなっているが、露骨なセクシーさを求めるアルバムじゃない。

 

 

『恋愛小説』の方は、全体的にフワ〜ッと優しいサウンドに原田知世のヴォーカルが包まれていて、だからブラック・ミュージックになっている二曲目「ドント・ノウ・ワイ」でも、激しいものじゃなくハイ・サウンドをチョイスしたというのが非常によく理解できる。そこが伊藤ゴローの目論見だったんじゃないかな。空中に漂うアンビエント・ミュージック風な部分も感じるサウンドで、それでも BGM にもなるがしっかり耳を傾けると感じる歯ごたえがある。

 

 

『恋愛小説 2 - 若葉のころ』は、書いたようにいきなりのファンク・ビートではじまりますがゆえ、それもやや賑やかめですがゆえ、しかもそんな強靭なビートとサウンドで切なく哀しい失恋を知世ちゃんに歌われますがゆえ、聴感上のイメージが『恋愛小説』とはかなり異なっている…、とアルバムを一回目に「September」だけ聴いたときは思ったけれど、二曲目の「やさしさに包まれたなら」以後は、やはりフワリ優しいサウンドが漂っている。しかしそのサウンドは、妙な言い方になるけれど、「コード・ヴォイシングこそがグルーヴだ」とでも表現するしかない伊藤ゴロー独自の世界だなあ。

 

 

一曲目の「September」で泣きそうになる『恋愛小説 2 - 若葉のころ』だけど、聴き進むともっと大波が来てしまう。四曲目の「木綿のハンカチーフ」と六曲目の「年下の男の子」だ。前者は、やはり上で書いたようなハーモニー = グルーヴみたいな伊藤ゴローのプロデュースとアレンジ手法を感じるもので、あんな歌詞内容だからこりゃイケマセン。だが後者「年下の男の子」は全然違う。かなり激しく賑やかなリズムとサウンドで、愉快で楽しげに知世ちゃんが歌っている。そりゃあんな歌詞だからね。あ、これも若干ファンク・ミュージックっぽいね。

 

 

僕が年上女性をこそ好きになってしまうタイプの男であることは、いまさら繰返すまでもないだろうが、だからこそこんな「年下の男の子」みたいな歌を、まあ原田知世は僕より年下だけど、そこを僕みたいな趣味の男性音楽ファンにも説得力あるように、「あいつは、あいつは可愛い、年下の男の子」「私のこと好きかしら、はっきり聞かせて」「憎らしいけど好きなの」などというのを納得できるように、聴かせてしまうのが、芸の力、音楽の魔力ってもんだよなあ。

 

2017/06/23

マイルズとゴー・ゴー 〜 リッキー・ウェルマン

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ゴー・ゴーというと僕より上の世代のみなさんは、ふつうゴーゴー喫茶(クラブ?)を連想しそうな気が非常に強くしちゃうけれども、僕はリアルタイムでの体験はない。ディスコの一種みたいなもの?よく知らない。今日、僕が話題にしたいゴー・ゴーとはそれではなく、アメリカの首都ワシントン D.C. で一時期流行したブラック・ミュージックの1スタイルを「ゴー・ゴー」と呼ぶ、それのことなんだよね。

 

 

たぶん1970年代後半〜80年代後半あたりまでじゃないかなあ、ワシントン D.C. でゴー・ゴーと呼ばれるスタイルの音楽が流行していた。ファンクの一種だと見て間違いないと思うんだけど、オールド・スクールなヒップ・ホップも混在していた。といってもサンプリングやコンピューターはほぼ使わず。流通音源の多くは延々とジャムをやっているライヴ演奏をサウンド・ボードからそのまま録音したカセットテープ。彼らはそれを “p.a. tapes” と呼んだ。

 

 

そんな p.a. tapes を1980年代半ばに耳にしたのが、誰あろうマイルズ・デイヴィスだ。正確には、ワシントニアンであるマイルズのロード・クルーの一人が買ってボスのいるところで聴いていたら、ボスがかなり強い興味を持ってしまったらしい。そのロード・クルーが買って聴いていたというのが、ゴー・ゴーの代表格の一つ、チャック・ブラウン&ザ・ソウル・サーチャーズの p.a. tapes。それでドラムスを叩いているのがリッキー・ウェルマンだった。リッキーこそ、今日僕が最も大きく話題にしたい人なんだよね。

 

 

1970年代後半〜80年代後半あたりのワシントン D.C. のゴー・ゴーをご存知ない方のために、ちょっと音源をご紹介しておこう。手っ取り早く話を進めるために、リッキー・ウェルマンがドラムスを叩いているチャック・ブラウン&ザ・ソウル・サーチャーズから二つ。

 

 

「バスティン・ルース」

 

 

「ゴー・ゴー・スウィング」

 

 

 

これをパソコンやスマホの内蔵スピーカーでではなく、ぜひ大きめのスピーカーか、ちゃんとしたヘッドフォン/イヤフォンで聴いてみてほしい。なぜならばゴー・ゴーのドラミング・スタイル最大の特色の一つがバス・ドラの使い方にあるので、低音がズッシリ来ないとそれが分らず、面白くないだろう。あとはスネアとハイ・ハットにもポイントがあるのだが、それは本格的な出力装置でなくても分るはず。

 

 

1987年にマイルズが聴いたという p.a. tapes もたぶんこんな感じだったんだろう。それで「おい!このドラマーは誰なんだ?!」となって、むかしからマイルズはそうであるようにほしいものはなんでも全部手に入れないと気が済まない粘着質人間であるがゆえ、いや、同じ音楽業界人であるがゆえ、わりと早くリッキー・ウェルマンの自宅の電話番号をゲットしてかけたそうだ。そのとき当のリッキーは寝ていた。代わりに出た奥さんは「マイルズ・デイヴィス」を名乗る人物が誰だか分らず適当に返事して、起きてそれを知ったリッキーは顔面蒼白になった…、のではなく、ソウル・サーチャーズのバンド・メンバーの誰かがふざけてジョークでかけてきたんだと思ったそうだ。

 

 

しかしマジでマイルズ本人だったと分り、ニュー・ヨーク・シティでオーディションを受け、リッキーは「私はジャズ・ドラマーじゃありません、大丈夫でしょうか?」とボスに言ったのだが、ボスは一連の p.a. tapes に言及し「あんな風に叩けるんだろ?それでオーケーだ」とリッキーに返事したのでリッキーも理解して、1987年(の正確に何月何日かは不明)からマイルズのツアー・バンド正規メンバーとなり、マイルズが亡くなる91年9月、いや活動は8月25日で終了しているのでそれまで、ライヴではあんな大活躍を聴かせてくれた。

 

 

直前で触れたように、マイルズ・バンドでのリッキーが聴けるのはだいたい全部ライヴ音源だ。1987年というと、マイルズはワーナーに録音していた時代だが、ワーナー時代のマイルズのスタジオ作品四枚はレギュラー・バンドを起用せず、白鳥の声になった『ドゥー・バップ』がイージー・モー・ビーとタッグを組んだものであるのを例外とし、他の三枚は全てマーカス・ミラーとの全面コラボでやっている。それでも89年の『アマンドラ』には、マーカス以外の楽器奏者が多めに参加していて、録音当時のレギュラー・バンドからも少し入っているが、リッキーが叩くのは二曲だけなんだよね。その他、未発表のままになっているものはどうしようもないので外して、マイルズのスタジオ作品でリッキーのドラミングが聴けるのは、その二曲「ビッグ・タイム」「ジリ」だけ。

 

 

 

 

しかしライヴはレギュラー・バンドでやっていたマイルズだから、二つある例外的企画物セッション・ライヴを除き、全部ドラマーはリッキー。1987〜91年のマイルズ・ライヴ音源は膨大な数があるんだよね。全部リッキーが叩いている。いつものように公式盤に限定すると、これまた二つだけ。1996年リリースの一枚もの『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』と2002年リリースの20枚組『ザ・コンプリート・マイルズ・デイヴィス・アット・モントルー 1973 - 1991』。いっぱい聴けるのはもちろん後者だが、もしかりにご興味を持った方にも買ったり聴いたりしていただきやすいように、一枚ものである前者『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』の方を推薦しておく。

 

 

マイルズの『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』は1988〜91年の、アルバム・タイトル通り世界各地でやったライヴ公演を収録したものからチョイスして CD 一枚にまとめてあるものだ。中山康樹さんはボロカスに言っていたけれど、僕はかなりいい内容のライヴ・コンピレイションだと信じている。中山さんの言うのは、収録の各ライヴ音源は当然フル・セットでテープがあるはずなのに、そこから一曲だけとか抜き出していろいろ並べているなんて…、どうして全部ドバ〜ッとリリースしないのか?という意味だっただけだ。この点に限れば、マイルズ者には理解できることだが。

 

 

『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』のソース音源を全部そのままフル・セットでリリースしたりなんかしたら、え〜っと CD で何枚組になるんだ?このアルバムは全部で11曲だけど、1曲目と2曲目、7曲目と8曲目が同日録音であるだけで、他は全部違う場所、違う録音年月日だから、しかも1988年頃からのマイルズ・バンドは、ワン・ステージが二時間以上だから、え〜っと、やっぱり最低でも20枚は越えちゃうよなあ。そんなもん、中山さんや僕なんかは買うけれど、ほとんどの音楽愛好家にとってはちょっとねえ。

 

 

『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』は膨大な量のライヴ・テープから厳選してあるだけあって、一曲一曲の演奏内容も(あの1988〜91年当時のマイルズ・ミュージックとしては)相当いい。それに曲順がよく考えられてあって、あの頃のマイルズ・ライヴのセット・リストを再現してあるに近い並びで、生体験していない人にもよく伝わるようにかなり工夫されれている。僕にとっては追体験、足を運んだことのない方にとっては「そうか、こういうものだったのか」とよく分るものなんだよね。

 

 

そんなこんなで(中山さんの言葉とは正反対に)かなりのオススメ品だと僕は思うマイルズの『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』。これを通して聴くと、マイルズ・バンドのレギュラー・ドラマー前任者だったヴィンス・ウィルバーン、その前のアル・フォスターとの比較で、リッキー・ウェルマンの特長がよく分るのだ。端的に言えば、ヘヴィでポリリズミックだが、スウィートでポップ。なんだか矛盾したことを言っているぞと読めるかもしれないが、僕の間違いない実感だ。

 

 

そのへんがよく分るのが『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』二曲目の「イントゥルーダー」(88/12/17 ニュー・ヨーク)、七曲目の「リンクル」(90/7/20 モントルー)、八曲目の「TUTU」(同)、九曲目の「フル・ネルスン」(88/8/7 大阪)、ラスト11曲目の「ハンニバル」(91/8/25 ロス・アンジェルス)あたりかなあ。

 

 

ちなみに、『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』のクレジットでは、11曲目「ハニバル」は “from Miles Davis’ Last Performance” としか記載がない。だがバンド・メンバーの名前は書いてあるし(このアルバムでは一曲ごとにメンツも録音場所も録音年月日も全部しっかりした記載がある)、生涯ラストとは1991年8月25日、ロス・アンジェルスのハリウッド・ボウルであると分っている。

 

 

『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』での上記五曲などで聴くと、いかに1987年からのマイルズがリッキーに大きな信頼を寄せていたかがクッキリと伝わってくる。かつてのフィリー・ジョー・ジョーンズ、トニー・ウィリアムズ、アル・フォスターと同等の信頼関係があった。そしてリッキーがゴー・ゴー・ビートを叩くおかげで、スタジオ・オリジナル(は全部リッキーではない)では聴けない複雑でヘヴィな、しかしポップな、いや、ポップはちょっと違うのか、なんと言えばいいのか、軽みを感じる。

 

 

ヘヴィと言ったそばから軽みってなんだよ?と思われそうだが、かなり重要なことだと思うんだよね。1985年のインタヴューでマイルズは、84年まで重用していたアル・フォスターをどうして辞めさせたのかと問われ、「オレがいまやりたい音楽にはアルのビートじゃあもう重すぎるんだ、オレは自分の音楽に軽さがほしい、ポップさが」と発言している。ポップな軽さ。しかし同時にしっかりしたグルーヴはほしかったはず。とりあえず雇った甥のヴィンス・ウィルバーンに満足していないことは、当時からファンはみんな知っていた。その二年後にリッキー・ウェルマンに出会うことになったのだ。

 

 

どうもやはり『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』から音源をちょっとご紹介しておいた方がいいのかな。

 

 

「イントゥルーダー」https://www.youtube.com/watch?v=p8zuCIjFj6w

 

「リンクル」(1:01:18から)https://www.youtube.com/watch?v=ET11uCBi6-0

 

 

 

 

どれもドラミングを聴いてほしい。バス・ドラの踏み方が複雑で(しかしリッキーはワン・ペダル)、ヘヴィにズンズン来るビートでありながら、ハイ・ハットやスネアの使い方は軽快に跳ねるようなポップなフィーリング。晩年の、音楽全体が軽くポップになっていたマイルズで、しかしグルーヴはズシリとしてなくちゃダメ、しかもポリリズミックなものはやはりほしいっていう、そんな願望を見事に叶えてくれているんじゃないだろうか?このリッキーのドラミングは?

 

 

リッキー・ウェルマンが正確にいつ頃マイルズ・バンドのツアー・メンバーになったのかは判明していない。僕の持っている時期的に最も早いものは、FM 東京の放送音源だけど1987年7月25日の来日公演(YouTube にアップロード済)。中山康樹さんの『マイルズを聴け!』で見ると、同87年3月25日のミネアポリス公演がリッキー参加の最も早い音源らしい。それはギターがボビー・ブルームになっている。同じくボビーが弾く同87年2月27日公演ではまだヴィンス・ウィルバーンだ。しかもこの2月27日はワシントン D.C. 公演じゃないか。う〜ん、リッキーが表現するゴー・ゴーはワシントン D.C. ミュージックなんだけど。まあ別に関係ないんだろうな。

2017/06/22

サッチモ 1926〜28(補注)

 

 

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とりあえずこの四日間シリーズはこれでお終いです。

 

 

同じレガシー盤のルイ・アームストロングだけど、2012年リリースの CD十枚組『ジ・オーケー・コロンビア&RCA ヴィクター・レコーディングズ 1925-1933』に収録されていないものが、2000年リリースの四枚組『ザ・コンプリート・ホット・ファイヴ・アンド・ホット・セヴン・レコーディングズ』にはある。逆に後者四枚組になく前者十枚組にだけ収録されているものだってあるから厄介だ。今週月曜日のブログ記事アップロードのあと、その深夜に同内容をツイートしていたら、どうもこのあたりに誤解があると判明したので、書いておかなくちゃいけないと分った。

 

 

まずこれは書かなくてもいいだろうが、四枚組『ザ・コンプリート・ホット・ファイヴ・アンド・ホット・セヴン・レコーディングズ』はこの名の通りなので、1925〜28年(29年録音がちょっとだけある)のサッチモ・コンボ録音を中心にしたもの。十枚組『ジ・オーケー・コロンビア&RCA ヴィクター・レコーディングズ 1925-1933』に収録されている29〜33年録音分は当然収録なしだ。十枚組の方にはヒルビリー歌手ジミー・ロジャーズとやったものなどもあるのだとは昨日書いたので省略。

 

 

最も肝心なことは、1926〜28年のサッチモがかかわったコンボ録音で、十枚組の方に収録されていないものが四枚組の方に少しあることだ。ちょっと数えてみたら全部で21トラック(同じ曲の別テイク多し)。21は「少し」っていう数字じゃないなあ。こういうことがあるので、熱心なサッチモ愛好家は、2000年の四枚組と2012年の十枚組のレガシー盤の両方を持っておかないといけないんだよね。レガシーさん、どうして全部ひっくるめて一つのボックスに収録しないんだろう?ここだけは理解に苦しむ部分だ。一曲を除き、全部サッチモ名義のレコードじゃないからなんだろうけれどさぁ。どうせなら2012年の十枚組リリース時に、十一枚組にでもして、「全部」を一つにまとめてくれたらよかったんじゃないかなあ。

 

 

十枚組『ジ・オーケー・コロンビア&RCA ヴィクター・レコーディングズ 1925-1933』に未収録で、四枚組『ザ・コンプリート・ホット・ファイヴ・アンド・ホット・セヴン・レコーディングズ』に収録されているものは以下の通り。CD だと二枚目と三枚目に入っているものを収録順に記す。名義と録音年月日も付記しておこう。

 

 

1. He Likes It Slow - Butterbeans & Susie With Louis Armstrong & His Hot Five (26/6/18)

 

2. Gambler's Dream - Hociel Thomas & Louis Armstrong Jazz Four (25/ 11/11)

 

3. Sunshine Baby - Hociel Thomas & Louis Armstrong Jazz Four (ibid.)

 

4. Adam And Eve Had The Blues - Hociel Thomas & Louis Armstrong Jazz Four (ibid.)

 

5. Put It Where I Can Get It - Hociel Thomas & Louis Armstrong Jazz Four (ibid.)

 

6. Washwoman Blues - Hociel Thomas & Louis Armstrong Jazz Four (ibid.)

 

7. I've Stopped My Man - Hociel Thomas & Louis Armstrong Jazz Four (ibid.)

 

8. Georgia Bo Bo - Lil´s Hot Shots (26/5/28)

 

9. Drop That Sack [Common Take] - Lil´s Hot Shots (ibid.)

 

10. Drop That Sack [Rare Take] - Lil´s Hot Shots (ibid.)

 

11. Cornet Chop Suey - Louis Armstrong Hot Five (26/2/26)

 

12. Weary Blues - Johnny Dodd´s Black Bottom Stompers (27/4/22)

 

13. New Orleans Stomp - Johnny Dodds’ Black Bottom Stompers (ibid.)

 

14. Wild Man Blues [Common Take] - Johnny Dodds’ Black Bottom Stompers (ibid.)

 

15. Wild Man Blues [Rare Take] - Johnny Dodds’ Black Bottom Stompers (ibid.)

 

16. Melancholy [Common Take] - Johnny Dodds’ Black Bottom Stompers (ibid.)

 

17. Melancholy [Rare Take] - Johnny Dodds’ Black Bottom Stompers (ibid.)

 

18. You're A Real Sweetheart - Lillie Delk Christian & Louis Armstrong Hot Four (28/6/26)

 

19. Too Busy! - Lillie Delk Christian Accompanied by Louis Armstrong Hot Four (ibd.)

 

20. Was It A Dream? - Lillie Delk Christian & Louis Armstrong Hot Four (ibid.)

 

21. Last Night I Dreamed You Kissed Me - Lillie Delk Christian Accompanied by Louis Armstrong Hot Four (ibid.)

 

 

お分りのように、11個目の「コルネット・チョップ・スーイ」だけはサッチモ名義のもので、月曜日にも触れたものだ。これがどうして上記リストに入っているかというと、同じ録音であるにもかかわらずテンポが少しだけ遅くなって、したがってピッチがやや下がりキーが E♭になっているように聴こえる。お馴染のものは E。どっちもレコード発売されたってことなんだろうなあ。別にサッチモに限らずよくあるケースではあるし、同じ演奏だからこれについては触れる必要はない。

 

 

一番興味深いのは、上記リストだと12〜16個目のジョニー・ドッズ名義の録音だろうなあ。13個目の「ニュー・オーリンズ・ストンプ」以外は、全てサッチモの名義でも録音・発売されているが、このジョニー・ドッズ名義のものは、録音がそれより早い。その違いはたったの二週間ほどだとはいえ、そのたった二週間のあいだにサッチモ含めホット・セヴンの面々の演奏能力がグッと向上しているのが分る。特にサッチモがそう。それが一番クッキリしているのが「ワイルド・マン・ブルーズ」だ。

 

 

まずその「ワイルド・マン・ブルーズ」両方の音源をご紹介しておこう。

 

 

ジョニー・ドッズ(27/4/22)→ https://www.youtube.com/watch?v=vYtK34h4aT0 (スマホ聴取不可)

 

 

 

この二つを聴くと、1927年4〜5月あたりのサッチモが日々グングン上達していたのが誰にでも分るだろう。四月のジョニー・ドッズのバンドでの「ワイルド・マン・ブルーズ」では美しく感動的ではあるものの、まだかなりシンプルなジャズ・ブルーズ表現だった。それがたった二週間後のサッチモ自己名義録音では、驚くほど手の込んだ複雑なソロを展開している。だから月曜日にも書いたように、既にこの27年5月でサッチモのコルネット・スタイルは完成を見ていると判断できるほど。でも、それは一足飛びに成し遂げられたものではなかったのだ(ってあたり前の話だが)。

 

 

また「ウェアリー・ブルーズ」でも、1927年4月のジョニー・ドッズ・バンドでの演奏はテンポも早めで、ドッズのクラリネットもサッチモのコルネットも楽しいものではあるが、まだ深みは十分ではないような部分がある。それが5月11日のサッチモ・ホット・ファイヴ・ヴァージョンではややテンポを落とし落ち着いたフィーリングになって、基本的にはさほどの変化はないものの、ブルーズ表現のディープさは増している。チューバの効果も大きい。

 

 

「ウェアリー・ブルーズ」

 

ジョニー・ドッズ(27/4/22)→ https://www.youtube.com/watch?v=SPDhNHJSRk4 (スマホ聴取不可)

 

サッチモ(27/5/11)→ https://www.youtube.com/watch?v=oDW6CV4FENs

 

 

やはり両方での録音がある「メランコリー」も同様に表現が深まっているが、この曲にかんしてだけは、上記二曲ほどの差は聴きとれないように僕は思う。四月録音のジョニー・ドッズ・ヴァージョンも負けないくらいかなりいい。特にクラリネット演奏部分については四月のドッズ名義の方がいいかも。サッチモのコルネットもやはり同等くらいの出来だ。

 

 

上記曲目リストの8〜10曲目は、当時のサッチモの妻リルのリーダー名義録音。でもヴォーカルは旦那のサッチモがとったりしているよね。また、1曲目のバタービーンズ&スージーは黒人コメディ・デュオ。この1926年にサッチモとやった「ヒー・ライクス・イット・スロー」が、この男女二人組の録音では、当然のように最も有名。2〜7曲目のヒシエル・トーマスは、例によっての1920年代都会派女性ブルーズ歌手の一人。

 

 

18〜21曲目のリリー・デルク・クリスチャンのことは僕はほとんど知らない。聴いた感じ女性ブルーズ歌手というよりジャズ歌手だなあ。スウィンギーなフィーリングはある。特にどうってことないスウィートな感じの歌い口だけど(特に19曲目の「ユア・ア・リアル・スウィートハート」、21曲目の「ラスト・ナイト・アイ・ドリームド・ユー・キスト・ミー」とか)、19曲目の「トゥー・ビジー!」はちょっと面白い。後半部の彼女の歌にサッチモがスキャットで絡んでいるからだ。サッチモの声が入りはじめた途端にサウンドがキラキラするので、不思議なような当然のような…。

 

2017/06/21

サッチモ 1929 - 33

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一昨日の1925〜27年のルイ・アームストロングが、全録音を一つにしてみても2時間20分、昨日の28年分だとわずか1時間7分なのに対し、それ以後、29〜33年分の全録音は115トラック(同一曲の複数テイクもかなり多い)で、計6時間14分もある。だから一度に全部なんども繰返し聴きかえすのが難しい。一昨日の「1929〜33年分については書けないかもしれない」というのは、こういう意味だった。

 

 

 

 

まあでもなんとかやってみようと思い、たったの一度だけとはいえその六時間超のプレイリストをじっくり聴きかえし、そこからまず最初、CD なら二枚組で全部入るという長さの2時間14分、計41曲のプレイリストを作成するまでに絞った。だけれども、1925〜27年分も28年分も、むかし LP で一枚ものがあったわけだから(いま、どうして CD でそれがないのだ?)、それにならって僕も CD で一枚に入るプレイリストを作ろうと悪戦苦闘。その理由が以下。

 

 

 

 

サッチモは1928年をピークに、その後は下降線を辿った、それも主たる理由は(技巧を褒め称えられたがゆえの)無意味な高音の乱発や、またオーケー(コロンビア)側の商略で、レコードが売れるようにと当時の流行歌をどんどん録音するよう指示されサッチモもそれに従ったがゆえ、ジャズとしてのシンシアリティが失われがちになっているだとか、そんなことをみなさん言うけれども、僕の考え方はかなり違う。後者についてはね。前者(高音の無意味な乱発)は僕もイタダケナイと思うが。

 

 

 

 

したがって油井正一さんがお書きだったことへの真っ向からの反論になるが、ジャズと時代の流行歌はどこが違うのだろうか?ことさら区別する必要があるのだろうか?っていうか、ジャズってのは演奏の方法論でしかないんだから、とりあげる素材はなんでもいい。なかでもことさらサッチモみたいな芸能エンターテイメント性と芸術性がピッタリ貼り付いているような、というか娯楽をとことんまで追求した結果、挙げ句の果てにその娯楽性が高度な芸術表現に「も」なりえているというようなジャズ・マンの場合なら、このことは言を俟たないではないか。

 

 

 

 

あぁ、それなのに、油井さん、どうしてですか?(『生きているジャズ史』立東文庫版 66ページ参照)。『ジャズの歴史物語』の方では、サッチモのこの芸能性=芸術性みたいなことを明確に指摘していらっしゃるではありませんか?でもあれも結局のところ、結果的にサッチモは芸術性を獲得できたからこそ偉いのだとでも言いたげな語気が感じられないでもないが、僕の読み違いだと信じたい。恩師にたてつくようだが、繰返して言う:サッチモだけに限った話じゃないが特にサッチモの場合は、聴衆を楽しませること第一優先、というかそれしか頭のなかになかったような音楽家だ。もうそれしかやっていないじゃないか。

 

 

というわけなので、面白いものがかなり少なくなっているとみなさんがおっしゃる1929〜33年録音でも、僕みたいなファンには楽しいものがいっぱいあるのだ。上で書いた2時間14分、計41曲のプレイリストからさらに絞るのに相当な困難があったというのは、そういう意味だ。それでもなんとかかんとか、断腸の思いであれを捨てこれも消しして、全24曲、計79分のプレイリストができあがったので、以下にそれを公開する。公開して後悔するかもしれないが、CD 一枚ものアンソロジーがあってしかるべきと僕は強く願っているからだ。どなたかソニー/レガシーに関係する方、お願いします!(ってどなたもお読みなわけがない)。並び順はラスト24曲目を除き録音順。括弧内がその年月日。

 

 

 

1. Knockin' A Jug (29/3/5)

 

2. I Can't Give You Anything But Love (ibid.)

 

3. Ain't Misbehavin' (29/7/19)

 

4. (What Did I Do To Be So) Black And Blue? (ibid.)

 

5. When You're Smiling (29/9/11)

 

6. After You've Gone (29/11/26)

 

7. St. Louis Blues (29/12/13)

 

8. Dear Old Southland (30/4/5)

 

9. My Sweet (ibid.)

 

10. I Can't Believe That You're In Love With Me (ibid.)

 

11. Exactly Like You (30/5/4)

 

12. Dinah (ibid.)

 

13. I'm Confessin' (That I Love You) (30/8/19)

 

14. Memories Of You (30/10/16)

 

15. The Peanut Vendor (30/12/23)

 

16. Shine (31/5/9)

 

17. I Surrender Dear (31/4/20)

 

18. When It's Sleepytime Down South (ibid.)

 

19. (I’ll Be Glad When You're Dead,) You Rascal You (31/4/28)

 

20. Stardust (31/11/4)

 

21. Georgia On My Mind (31/11/5)

 

22. All Of Me (32/1/27)

 

23. Mahogany Hall Stomp (33/1/28 Victor)

 

24. Standin' On The Corner (Blue Yodel No. 9) (30/7/16 Victor)

 

 

ラスト24曲目のタイトルをご覧になって、どうしてこれだけ録音順のなかに並べていないのかはお分りだと思う。ジャズ・ファンは誰も相手にしていないのかもしれないが、ヒルビリー歌手ジミー・ロジャーズと共演した一曲で、お得意のブルー・ヨーデルを聴かせるのにサッチモがコルネットで絡んでいるという最高度の面白さ(なのにどうしてみんな無視?)。まあでもレガシー盤 CD10 枚組『ジ・オーケー・コロンビア&RCA ヴィクター・レコーディングズ 1925-1933』でも、これは録音順からかなり遠い場所に収録されている。僕はそれに従っただけ。まあ音楽の種類も少し違うような気がするようなしないような。

 

 

 

この24曲目のヒルビリー+ジャズ合体の一曲以外は、全てシンシアなジャズ作品だと僕には聴こえる。それら23曲のなかでの、まず最高傑作の話からするが、八曲目、1930年4月5日録音の「ディア・オールド・サウスランド」。フロイド・バック・ワシントンのピアノ一台だけでの伴奏でサッチモが、この世のものとは思えない美しいコルネット吹奏を聴かせる。1925〜28年録音の数々と比較しても、僕はこの30年の「ディア・オールド・サウスランド」が一番好き。どうにもこうにも最高に、宇宙一に、大好きすぎる。サッチモの生涯最高傑作に違いないと僕は信じる。

 

 

 

これにシンシアリティを感じなかったらなにに感じるっていうんだよ〜?こんなにも誠実で、こんなにも美しいジャズ・コルネット演奏なんて、もうこの世に存在しないと断言してしまいたい。この「ディア・オールド・サウスランド」という曲はもとからそうだが、サビ部分でリズムがアバネーラ調に跳ねるのが特徴で、誰のヴァージョンもだいたい全部そうなっている。このサッチモ1930年ヴァージョンではそれがやや薄いけれどね。

 

 

リズムがアバネーラといえば、上記プレイリストでこれの前の七曲目29年録音の「セント・ルイス・ブルーズ」もそうだというのは、みんな知っている当たり前の常識だからいまさら繰返す必要はない。サッチモも(1920年代の女性ブルーズ歌手たち同様に)得意レパートリーにしていた。だからこれについてはいい。それよりも15曲目の30年録音「ザ・ピーナツ・ヴェンダー」に注目してほしい。言うまでもなくキューバン・ソングの「南京豆売り」。北米合衆国で大ヒットした直後にサッチモも録音したわけだね。時代の流行歌ですけれども〜、どこが悪いんでしょうか?

 

 

 

この「南京豆売り」でドラム・セットに座っていたのがライオネル・ハンプトン。ハンプのデビュー・セッションなのだ。といっても「南京豆売り」ではどうやらオミットされていたらしく、ドラムスの音が聴こえないのがちょっと残念。だからそれが鮮明に聴こえる、上記プレイリスト16曲目の翌31年「シャイン」をご紹介しておく。躍動的でいいよなあ。『生きているジャズ史』での油井さんは、これは素晴らしいとちゃんと指摘している。30年3月とお書きだが、それはミスだ。

 

 

 

上記プレリストでは、黒人差別問題を扱った四曲目の「ブラック・アンド・ブルー」(書いたのはファッツ・ウォーラー)と、ほか少しを除き、それ以外は全部ストレートなラヴ・ソングばかり(告白だったり求愛だったり失恋だったり)。それもだいたい全部1929〜33年当時に売れていた流行のポップ・ソングばかり選んでおいたのが僕の目論見なのだ。それら全部がサッチモの手にかかると、立派なジャズ作品に仕上がっているじゃないのさ。

 

 

13曲目の「アイム・コンフェッシン」はかなり面白いので、ちょっと書いておこう。間違いなくハワイアン・スタイルで弾くギター・スライドが聴こえる。アクースティック・ギターを膝の上に寝かせて上からバーで押さえているにちがいない弾き方だ。弾いているのがシール・バーク。アメリカ本土のギター・スライドはハワイ由来が定説だが、1930年のジャズ録音でここまで鮮明にハワイアン・ギター・スライドが聴けるのは珍しい。シール・バークは36年にもエリントニアンズと共演して、同様のハワイアン・スライドを披露している(エピック盤『ザ・デュークス・メン』収録)。

 

 

 

20曲目の「スターダスト」も問答無用の超有名曲だが、ちょっと誤解があるかもしれないように僕には見えているので、解説しておいた方がいいのかもしれない。ホーギー・カーマイケルが曲を、ミッチェル・パリッシュが歌詞を書いたこの曲は、なんとなくムーディでロマンティックなラヴ・ソングだくらいに思われているんじゃないのかなあ?確かにメロディはそうだけど。でもちょっと違う部分がある。歌詞をよく聴いて。一人寂しく夜を過ごし君のことを想う、失った恋を振り返って感傷にひたり、夢なんか見るだけ無駄だ 〜 そんな内容だよね。

 

 

 

他の曲は解説の必要もないラヴ・ソングばかり。レガシー盤 CD10 枚組『ジ・オーケー・コロンビア&RCA ヴィクター・レコーディングズ 1925-1933』に複数テイク収録されているものだと、ノン・ヴォーカル・ヴァージョンも並んでいたりするが、僕は全部ヴォーカル入りの方をチョイスした(って上の一覧では分らないが)。だって歌が聴こえた方が楽しいもんね。歌詞だってそのまま伝わる 〜〜「君にあげられるのは愛だけ」(2曲目)、「僕の愛しい人」(9曲目)、「君が僕に恋しているなんて信じられない」(10曲目)、「愛しているって言っているんだよ」(13曲目)、「君にくびったけ」(17曲目)。「君去りし後」(6曲目)はやめてくれ。

2017/06/20

サッチモ 1928

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(6/20註)急遽予定を変更して、サッチモ関連は四日連続になります。したがって今日からは三日間です。どうしてなのか、詳しいことは明後日。

 

 

昨日も似たようなことを書いたが、1928年のルイ・アームストロングにかんしては全部で19曲、計1時間1分程度なんだから(実はもう二曲あって計1時間7分だが、その話はあとで)、ソニー/レガシーはどうしてこの年の全録音を CD 一枚でリリースしないのか?僕なんかにはそれがサッパリ理解できない。日本ではアナログ LP でそれがあったというのに、CD 時代に入って、このあたりの認識が後退しているのだとしか思えない。

 

 

といっても CD メディア登場期あたりに、日本のソニー(じゃなかったかもしれない、まだ)が1928年のサッチモを一枚ものでリリースしたことはあった。もう誰も憶えてもいなさそうだが、実を言うと僕もタイトルすら忘れてしまっている。現物はいまでも自室のどこかにあるので、探せば出てくるはずだ。それは昨日書いた CBS ソニー盤 LP『ルイ・アームストロングの肖像1928』をそのまま CD リイシューしたものだった。

 

 

じゃあどうしてそれをいま手に取れないような部屋の片隅に置いてあるのかというと、音質があまりにもショボすぎて、とにかく LP 盤よりも悪く、またそれが出てすぐに、これまたいまや速攻では手に取れない部屋のどこかに置いてある日本盤のボックス・セットがリリースされて、それはサッチモ1925〜32年のコロンビア系録音の(ほぼ)完全集だったのだ。これで僕は長いあいだ楽しんでいた。タイトルはなんだっけなあ?

 

 

昨日も書いたレガシー盤 CD10 枚組『ジ・オーケー・コロンビア&RCA ヴィクター・レコーディングズ 1925-1933』が2012年にリリースされ、僕も即買い。音質が大幅に向上しいているので、それ以後はこれでしか聴かないようになって、それで日本盤ボックス(は10枚組だったか?9枚組だったか?)は部屋のどこかで(たぶん CDラックのなかだと思うが)肥やし状態になっているというわけ。ただ、最初にこのあたりをコンプリート集としてまとめたのは日本の会社だったことだけは記憶しておいていいかも。

 

 

レガシー盤10枚組は(あくまで基本的には)やはり録音順に収録されているので、1928年のサッチモも、6月27日録音の「ファイアワークス」その他三曲がまず最初に来ている(CD三枚目末尾)。その後、四枚目に12月12日録音の三曲(「セント・ジェイムズ病院」「タイト・ライク・ディス」を含む)まで、28年録音分全てを収録し、四枚目はそれで終り。五枚目は29年録音ではじまっている。

 

 

だがしかし(おそらく油井正一さんが考案した)『ルイ・アームストロングの肖像1928』の曲の並び順がかなり良かったと僕は思うんだよね。全19曲をA面B面に分割して、よく練られた曲順だった。あれでこそ28年のサッチモの面白さがよく分るのだ。僕なんか、あのアナログ LP 時代の体験がなかったら、ここまでサッチモに入れ込むようになっていないかもしれないとすら思うくらいだ。それくらい大学生の頃は『ルイ・アームストロングの肖像1928』(からカセットテープにダビングしたもの)をあまりにも聴きまくっていた。

 

 

ネットで検索すればそれも出てくるようには思うものの、一目で分りやすいように CBS ソニー盤 LP『ルイ・アームストロングの肖像1928』の収録順を以下に記しておく。括弧内は録音月日。

 

 

1. West End Blues (6/28)

 

2. Don't Jive Me (6/27)

 

3. Sugar Foot Strut (6/28)

 

4. Skip The Gutter (6/27)

 

5. Fireworks (ibid.)

 

6. A Monday Date (ibid.)

 

7. Two Deuces (6/29)

 

8. Squeeze Me (ibid.)

 

9. Knee Drops (7/5)

 

10. No (Papa, No) (12/4)

 

(ここまでが A 面)

 

11. Basin Street Blues (ibid.)

 

12. No One Else But You (12/5)

 

13. Beau Koo Jack (ibid.)

 

14. Save It, Pretty Mama (ibid.)

 

15. Weather Bird (Rag) (ibid.)

 

16. Muggles (12/7)

 

17. Hear Me Talkin' To Ya (12/12)

 

18. St. James Infirmary (ibid.)

 

19. Tight Like This (ibid.)

 

 

サッチモ1928年録音は、コンボ編成に限れば確かにこの19曲で全部だ。だが上でも書いたように、もう二曲ある。キャロル・ディッカースンズ・ストンパーズ名義でのアルゼンチン・オデオン原盤の「シンフォニック・ラップス」「サヴォイヤジャーズ・ストンプ」。これらは大編成オーケストラでのもので、7月5日録音。この二曲もレガシー盤10枚組『ジ・オーケー・コロンビア&RCA ヴィクター・レコーディングズ 1925-1933』に収録されている。入っている場所がどうもちょっと妙ではあるが、些細なことだ。

 

 

しかもそのアルゼンチン・オデオン原盤のキャロル・ディッカースンズ・ストンパーズ名義「シンフォニック・ラップス」「サヴォイヤジャーズ・ストンプ」は、二曲とも内容がいいもんなあ。サッチモのコルネット・ソロにだけ耳を傾けたいという向きには推薦しにくいが、しかし短いサッチモのソロは、さすが1928年というだけある立派な出来で、他の自己名義コンボ編成録音になんら劣らない。ピアノだってアール・ハインズだしね。特にこっちがいいと僕は思う「サヴォイヤジャーズ・ストンプ」の方だけご紹介しておこう。

 

 

 

この YouTube 音源に使われている写真が、レガシー盤10枚組附属ブックレットにもド〜ンと見開きで掲載されているのだ。それはともかく、サッチモのコルネットもハインズのピアノもかなりいい演奏内容だよね。自己名義録音ではない、コンボ編成でもない、しかもオーケーやコロンビア原盤でもないというので、長年見捨てられたままになっていたのかもしれない。

 

 

さてこの二曲を除く全19曲は、やはり上掲の CBS ソニー盤 LP『ルイ・アームストロングの肖像1928』の収録順に沿って話を進めた方がいいように思うのでそうしよう。一曲目が「ウェスト・エンド・ブルーズ」であるのには全く異論はない。まず無伴奏で高らかに華麗なフレーズを吹くサッチモのコルネットは、まるで天翔けるがごとき勢いと完成度があって、これをソックリそのままコピーするのだって、並のジャズ・トランペッターには難しいはず。テクニックだけなら並じゃないウィントン・マルサリスだって完璧には吹けなかった。

 

 

 

油井正一さんだけでなくみなさんおっしゃっているのだが、ズティ・シングルトンのドラム・セット(ともまだ呼べない程度のものしか持ち込めなかったらしいが)の音だけが、なんだかチャカポコとあまりにも食い足りないもので、サッチモが吹いたあとのトロンボーン・ソロ部分と演奏終了時に入っているのだけが難点といえば難点。あの音はなにを叩いて出しているんだろう?と思われるかもしれないが、シンバルだろうと僕は推測する。

 

 

シンバルだという根拠は、「ア・マンデイ・デイト」冒頭部でサッチモとアール・ハインズの会話が入っているのだが、その会話部分の最後でサッチモは「さあ、ズティ、そのシンバルを叩いてくれ!」と指示している。その直後に出てくる音がまったく同じチャカポコ音なのだ。あと一つ、フル・ドラム・セットを鮮明に録音できるようになる1930年代の録音でズティのドラミング・スタイルを聴いて、シンバルで同一スタイルの叩き方をしているからというのもある。

 

 

 

しかしサッチモの1928年録音を聴いていると実に頻繁に出てくるあのズティのチャカポコには、シンバルだけでなくハイハットも含まれていた可能性が少しあるかもしれない。シンバルだけをあそこまで細かく複雑に叩いたとは判断しにくいような部分もあるように思える気がするからだ。金属音には違いないから、当時のドラム・セットでいえば、シンバルでなければハイハットだろう。これはなんの根拠もない当てずっぽうだから、信用しないでほしい。

 

 

録音状態の話のついでに書くと、上記プレイリストだと A 面10曲目の「ノー(パパ、ノー)」から格段に録音状態が良くなっている。ズティに限ればシンバルの音もいまの録音で聴く音とあまり違わない程度にまでなっているし、ハイハットもそう。スネア・ロールも鮮明に聴こえ、またバス・ドラの音ですら入っているもんね。だから10〜19曲目のサッチモ1928年は、9曲目までとまるで違って聴こえる。サッチモ以下バンド・メンバーの演奏はなにも変化なしで、また特にボスのコルネットのブリリアントさなどには1ミリの違いもないのだが。

 

 

 

バンド・メンバーは、しかし12月5日の録音セッションで(僕に言わせれば)かなり大きな違いが生じている。ドン・レッドマンの参加だ。それまでのジミー・ストロングに代わってクラリネットとサックスを担当するばかりか、サッチモ在籍時もそうであったように、フレッチャー・ヘンダスン楽団で一斉を風靡したアレンジのペンをふるっているのが、僕みたいなまとまりのあるグループ一体表現が好きな人間にはかなり嬉しい。

 

 

といってもドン・レッドマン加入以前にアレンジなしだったかというと全然そんなことはなく、上でご紹介した1928年のサッチモで最も評価の高い「ウェスト・エンド・ブルーズ」でも、かなり綿密にアレンジされているのはお分りいただけるはず。ニュー・オーリンズ出身でニュー・オーリンズ・ジャズの代表であるかのごとく言われるサッチモだけど、彼は決して<典型的な>ニュー・オーリンズ・スタイルの演奏はしたことがないんだよね。

 

 

それ以外の曲だって事前に用意周到に練り込まれリハーサルも積んだものだったことに疑いはない。決してアド・リブ一発勝負なんてものじゃない。いくら即興が命のジャズ・ミュージックでもそんなものは誕生期ニュー・オーリンズ・ジャズと、40年代のビ・バップと、60年代のフリー・ジャズだけじゃないかなあ。少なくともサッチモは審美的に整った演奏をこそ好んだ。

 

 

そういうわけだから、僕自身の嗜好もあって、サッチモの1928年録音では、ドン・レッドマンが参加してアレンジしている12月5日の「ノー・ワン・エルス・バット・ユー」以下の八曲が好きで好きでたまらない。もっともそのうちの一曲「ウェザー・バード」はサッチモとハインズ二名だけのデュオ演奏。しかしこれは丁々発止のスリリングな攻防だから、これも大好きだ。

 

 

 

ジミー・ストロングに代わってドン・レッドマンが、と書いたが、12月12日録音の三曲「ヒア・ミー・トーキン・トゥ・ヤ」「セント・ジェイムズ病院」「タイト・ライク・ディス」ではジミー・ストロングが復帰。ドン・レッドマンはやはりいるので、リード楽器が一名増えている。したがってホーン・アンサンブルに分厚さが増し、レッドマンのアレンジのペンも冴え、だから僕はこの三曲こそが、特に「セント・ジェイムズ病院」「タイト・ライク・ディス」こそが、1928年のサッチモでは一番好きなのだ。どうにもこうにも好きすぎる。三曲全部ご紹介しておこう。

 

 

「ヒア・ミー・トーキン・トゥ・ヤ」https://www.youtube.com/watch?v=gl3jBCIvcNY

 

「セント・ジェイムズ病院」https://www.youtube.com/watch?v=cMbRV5d7TeY

 

「タイト・ライク・ディス」https://www.youtube.com/watch?v=vU1ALkLumqs

 

 

「タイト・ライク・ディス」における3コーラスのコルネット・ソロが絶品だと日本では著しく評価が高い。僕も異論は全くない。1コーラス目は低〜中音域でシンプルな落ち着いた雰囲気、2コーラス目はもっと音域を上げフレーズも複雑なもので盛り上げ、最終3コーラス目は高音をヒットしながらそれを楽々と伸ばし華麗に飛翔する。3コーラスのソロ内容全体の組立ても、個々のフレーズを抜き出しても、こんな完璧なソロはなかなか聴けない。本当にアド・リブだったのかと疑っちゃうね。ドン・レッドマンという譜面が書ける人物が参加しているだけにね。まあ即興だったんだろうが、そう考えると寒気がするほど凄い。

 

 

ですがね、そうやってこの「タイト・ライク・ディス」3コーラスのコルネット・ソロを称揚する日本のジャズ・ファンや専門家は、この曲がメチャメチャ卑猥な変態ドエロ・ソングであることはあまり強調せず軽く触れるだけか、完全無視じゃないか。僕が単にドスケベ・エロ中年男(もはや初老の入り口に立っている?)なだけかもしれないが、ポピュラー・ミュージックからエロを、はっきり言っちゃうがセックスを抜いたら、無視したら、ちっちも面白くもなんともないものになり下がると僕は信じているけれどね。

 

 

もろにセックスのことに言及し男女のむつみ声をかなり頻繁に入れ、同時にサッチモがコルネットで<芸術品>たる一級のソロを聴かせ、その背後で(女性の声色でサッチモと卑猥なやり取りをしている)ドン・レッドマンが冴えたホーン・アレンジを書き響かせてサッチモの絶品ソロを際立たせる 〜 これら全部の要素が揃っているからこそ、1928年の「タイト・ライク・ディス」は面白く、素晴らしいのだ。

2017/06/19

サッチモ 1925〜27

 

 

Unknown

 

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ルイ・アームストロング1925〜1933年のオーケー、コロンビア、ヴィクター録音について、今日から三日連続で書く。あ、いや、1929〜33年分については書けないかもしれないので二日だけになる可能性はあるが、1925〜27年分、1928年分の二回については間違いなく書けるはず。あの1920年代のサッチモはあまりにも輝いていて、ジャズ界にいまでも絶大なる影響力を持ち続けている(ウィントン・マルサリスやニコラス・ペイトンはもちろん、ディアンジェロとの共演歴があるロイ・ハーグローヴだって…)にもかかわらず、熱心に書く人がゼロに等しくなっているからだ。むかし油井正一さんが絶賛したのでそれで十分?いんや、僕はそうとは全く思わないね。

 

 

それで今日はサッチモのオーケーとコロンビア録音の1925〜27年録音分、明日は1928年録音分、そして可能であれば明後日は1929〜33年録音分(は最後の方にヴィクター原盤が少しある)について、それぞれ書こうと思っている。まあやっぱり僕はサッチモが好きで好きでたまらないんだよね。ニュー・オーリンズのルイ・アームストロング公園(旧コンゴ・スクエア)にあるサッチモの銅像の前でひざまずき、その足元にキスしたのは内緒。同行の妻には、汚いなあよくできるなあと呆れられた。

 

 

さて、フレッチャー・ヘンダスン楽団から独立し、自己のコンボを結成してオーケーに録音しはじめるのが1925年。その後28年までのものは、むかし日本では LPレコードで二枚に分けて発売されていた。『サッチモ 1925-1927』『ルイ・アームストロングの肖像1928』がそれ。コロンビア系だから言うまでもなく CBS ソニー盤。どっちも選曲・編纂・解説は、やっぱり油井正一さんだったように記憶している。

 

 

『ルイ・アームストロングの肖像1928』は28年録音の完全集なのだが、『サッチモ 1925-1927』の方は選集だった。いま、僕の持つレガシー盤 CD10 枚組『ジ・オーケー・コロンビア&RCA ヴィクター・レコーディングズ 1925-1933』で見ると、25〜27年録音は全45曲。そこから16曲が厳選されて『サッチモ 1925-1927』に収録されていた。僕はそのレコード通りにチョイスしたプレイリストを作っているので、ご存知ない方のために曲順を以下に記しておこう。

 

 

1. Gut Bucket Blues

 

2. Heebie Jeebies

 

3. Cornet Chop Suey

 

4. Muskrat Ramble

 

5. Jazz Lips

 

6. Skid-Dat-De-Dat

 

7. Big Butter And Egg Man

 

8. Irish Black Bottom

 

(ここまでが A 面)

 

9. Wild Man Blues

 

10. Willie The Weeper

 

11. Potato Head Blues

 

12. Melancholy

 

13. Weary Blues

 

14. S.O.L. Blues

 

15. Struttin' With Some Barbecue

 

16. Hotter Than That

 

 

これで計約50分。LP レコードなら片面約25分相当になるので、十分立派なアンソロジーだ。だけれども、いまの CD は80分(正確には79分45秒くらいのようだ)収録できる。だからもうちょっと足して CD 一枚物のアンソロジーをリリースしてくれないだろうか?レガシーさん?ソニーさん?やりませんか?もうそんな1925〜27年のサッチモなんて売れないんですか?実にもったいない話です。

 

 

レガシー盤完全集で聴くと、上記16曲以外にもかなり面白く出来がいいものがいくつもある。サッチモの自己名義コンボでの初録音はオーケーへの1925年11月12日。この日三曲やっているなかから、『サッチモ 1925-1927』には「ガット・バケット・ブルーズ」がチョイスされていた。25年録音はそれら三曲だけで、この次から26年になる。しかし初吹き込みの「マイ・ハート」から既に立派な出来なんだよね。

 

 

 

この YouTube 音源の映像で最初に写る SPレーベル記載の作者名 Armstrong はルイのことではない。リル・アームストロングのことだ。だが、レガシー盤10枚組附属ブックレットではリル・ハーディンと記載されているからどうなってんの?ブックレット記載では  L. Hardin だから L. Armstrong 記載と区別しているだけか?ってことは、リルとルイはもう結婚していた?どっちでもいいようなことだけど。

 

 

リルとルイの結婚云々では、音楽にも関係あるようなことを書いておく。昨年復刊された油井正一さんの『生きているジャズ史』にも出てくる話なのだが、1925〜27年のサッチモ・コンボの録音は必ず朝の九時すぎにはスタジオ入りして、十時にレコーディングを開始したらしい。なぜならばまだ電気録音技術が普及する前でアクースティック録音だったので、炭素粒を詰めたカーボン・マイクロフォンを使用していた。だがしかしこのカーボン・マイクは一晩中乾かした午前中は調子がいいが、午後になると湿ってきて使いものにならなかったらしい。

 

 

そういうわけで朝十時などという、現在の常識(?)からしたら考えられない早い時間にスタジオ録音セッションをやっていたわけだけど、サッチモ・バンドはその前の夜にだってライヴ出演があったはず。それこそ夜中の12時をはるかに廻る時間まで演奏していたに違いない。さらに当時リルとルイは新婚ホヤホヤで(ってホント何年結婚?)、だから早朝に近い時刻にライヴ出演を終えてからでもイイコトをしていたんだろう。それで朝九時のスタジオ入りはちょっとしんどかったのではないだろうか?って、やっぱり音楽とは深い関係はなさそうな…。ごめんなさい、ただのエロオヤジです。

 

 

しかしかなり強い疑問がある。電気録音技術の開発は1925年であって、コロンビアみたいな大手が、それの導入に一年とか二年とかもかかっていたとは到底考えられない。その証拠に一例として、1926年6月23日録音の一つ「ジャズ・リップス」の SP 盤レーベル面にはデカデカと ELECTRIC と記されているじゃないか。このエレクトリックとは電気録音ですというアピールに違いないと見るけどなあ。「ジャズ・リップス」の SP 盤レーベルはレガシー盤10枚組附属ブックレットに写真が載っているから僕は知っているだけなので、他の発売曲も同じだったんじゃないの?

 

 

これも音楽そのものにはあまり関係なさそうな気がしないでもない…なんてことは全然なく、録音技術の発展とともに音楽の表現スタイルも変化したのでかなり重要なことだ。サッチモの場合は楽器の音も声もかなり大きいのでそうでもないが、例えば、いわゆるクルーナー・スタイルの歌手。マイクにピッタリ口を接近させてささやくように小さな声で語りかけるがごとく歌うのは、録音技術が小さい声も鮮明に拾えるように発展しなかったらありえない表現方法だった。

 

 

そもそも録音やマイクと電気を使った増幅そのものがまだはじまっていない時代のオペラ歌手なんて、間違いなく声量のみが絶対優先だったね。管弦楽の大編成にまじって聴衆に生声を届けなくちゃいけないんだから間違いない。そうなるとバカでかい、あるいは甲高い声を突き抜けるように出すことになって、それであのソプラノ唱法が誕生・発展したんじゃないの?よく知らんが、きっとそうだ。歌詞だって聴きとれなかったに違いないし、デリケートな表現なんて不可能だ。そんなオペラ歌手を録音技術普及後でもありがたっているって、どういうこと?

 

 

オペラ歌手云々はどうでもいい。「直接的には」サッチモに関係ない話だった。レガシー盤『ジ・オーケー・コロンビア&RCA ヴィクター・レコーディングズ 1925-1933』で通して聴いていると、全体の25曲目(CD だと二枚目九曲目)の1927年5月7日録音セッションの最初「ウィリー・ザ・ウィーパー」で、録音状態もサッチモ含めバンドのサウンドもガラリ豹変する。これは27年の初吹き込み。ってことはその前、26年11月27日、シカゴ録音の二曲まではアクースティック録音?う〜ん、上でも書いたがそれはありえない話だと思うのだが、録音状態が段違いであるのは確かだ…。

 

 

録音のことはともかく、サッチモ含め七人(だから、それまでホット・ファイヴ名義だったのが、ここからホット・セヴン名義になる)の演奏がかなり違うもんなあ。もうあまりにもすんばらしいの一言に尽きる。「ウィリー・ザ・ウィーパー」もいいが、同日録音では「ワイルド・マン・ブルーズ」でのサッチモのコルネットは華麗すぎる。めまいを起こしそうな驚くほど手の込んだ複雑で繊細で高度な表現なのに、聴いたらそれを感じないナチュラルなストレートさ。なんなんだこれ?

 

 

 

この時点で、衆目が絶頂期とみなす1928年ではなく27年5月時点で、サッチモは完璧に完成されていたと見るべきだ。そんな27年のパーフェクトなサッチモの、私見での最高傑作が、同年5月10日録音の「ポテト・ヘッド・ブルーズ」。(僕には)どうにもこうにも楽しすぎるので、絶句するしかない。サッチモ(とクラリネットを吹くジョニー・ドッズの)めくるめくジャズ・ブルーズ表現。僕はこういうのが最高に大好きすぎる人間なのだ。

 

 

 

歌詞がひどいなあと思うのが、全体の33曲目(CD だと三枚目一曲目)の「金の切れ目が縁の切れ目」。ゴメンナサイ、そうじゃなくって「S.O.L. ブルーズ」。このサッチモ自身が書き歌い演奏する一曲は、つまりは金が全て、なあカワイイ女よ、金があるあいだは一緒にいるよ、金がなくなればもう用なしだぜというものだ。ひどいよなあ(笑)。だがそんな歌詞はともかく、ジョニー・ドッズのすすりなくようなクラリネットと、歌詞内容通り高らかに笑っているようなサッチモのコルネットを聴いてほしい。

 

 

 

CBS ソニー盤 LP『サッチモ 1925-1927』は、1927年12月13日録音で、サッチモのスキャト・ヴォーカルと、ブルーズ・ギタリスト、ロニー・ジョンスンの単音弾きが火花を散らす「ホッター・ザン・ザット」でお終いだった。これは確かにその二名の応酬パートが最高にスリリングで、かなりの聴き応えがある。僕も大学生の頃から大好きだった。

 

 

 

だがサッチモの1927年録音はこれで終りではない。もう二曲ある。「サヴォイ・ブルーズ」と「シカゴ・ブレイクダウン」。レガシー盤 CD10枚組『ジ・オーケー・コロンビア&RCA ヴィクター・レコーディングズ 1925-1933』だと、前者「サヴォイ・ブルーズ」は「ホッター・ザン・ザット」と同日録音だから、その直後に収録されているのは当然。しかし「シカゴ・ブレイクダウン」の方は27年5月9日録音なのに離されて、28年録音の最初の四曲を CD 三枚目末尾に収録したのちの四枚目冒頭に入っているのは、ちょっと解せない。レギュラー・バンドであるホット・セヴンとは別にビッグ・バンドで録音したものだからかもしれないが、アール・ハインズら28年バンドによる四曲の後ろっていうのは、レガシーさん、どうして?

 

 

しかもその「シカゴ・ブレイクダウン」がかなりいい演奏だからなあ。ビッグ・バンド演奏といっても、サッチモのコルネット・ソロ部分の伴奏は少人数編成だけ。コルネットはサッチモ以外にもう一名いるが、二回出るソロはどっちもサッチモに間違いない。書いているように1927年には既に完成されていたサッチモの芸の見事さがやはりよく分る一曲だ。

 

2017/06/18

ラテンなレー・クエンが心の防波堤を決壊させる

Lequyen2016












ここのところ、決壊してばかりのようにも思いますが…。

 

 

2015年の『Khúc tình xưa III - Đêm tâm sự』以来、レー・クエンの CD パッケージは、長いホルダー・ケース仕様の豪華版なので、他の音楽家の通常サイズのプラスティック・ジャケットやデジパックや紙ジャケットのものと一緒に並べておきにくい。この点だけが僕はどうもイマイチな気分なのだ。音楽になんの関係もないどころか、その正反対にレーの歌を味わう際にゴージャスな雰囲気になっていいことだらけじゃないかと思われそうだけど(レーが写った同サイズのフォト・カードもたくさん入っているし)、僕は普通に並べたい人間だったりする。

 

 

おかげで僕の自室では、レー・クエン CD の特別コーナーができてしまっている。しかもレー自身だって2014年作『Vùng Tóc Nhớ』までは通常サイズの(デジパック・)ジャケットだったので、その特別コーナーじたいがデコボコになっていて、う〜ん、なんだかやっぱり違和感が…。僕は毎日音楽関係の文章を書いているが、今日はこれ、明日はこれ、明後日はこれと、CD現物を順番にテーブルの上に平積みで並べておいて、それを眺めて心の準備をする癖ができてしまっている。レー・クエンの2017年入手作は、だから置きにくく、そのせいで今日まで伸び伸びになってしまっていただけだ。ホント歌の魅力にはなんの関係もないことだけどね。これはレーの CD に限った話じゃない。

 

 

そんなことで今日ようやく書いているヴェトナム人女性歌手レー・クエンの(リリースは昨2016年暮れだったらしい)新作『Khuc Tinh Xua - Lam Phuong』。確かにサッパリしている印象だけど、それでもかなりドラマティックに激しく歌い上げている部分もあるじゃないか。と書けてしまうのは、昨日鄧麗君の『淡淡幽情』をとりあげたせいなんだけどね。テレサや岩佐美咲と比較すれば、いくらサッパリ・アッサリ味に仕上がっているとはいえ、やはりレー・クエンはレー・クエンだ。濃厚で劇的な歌い廻しこそが持味の歌手だから。

 

 

そのあたりの、もとから重く湿った濃厚な歌い口の抒情派女性歌手が、サッパリした楽想のラム・フォン(南ヴェトナム)のソングブックを歌い、伴奏のアレンジも基本的にサラリ軽やかで、それに乗ってレー・クエンが軽やかに舞う…、とまではやっぱり僕には言えないが、その<重/軽>のバランスが2017年入手作『Khuc Tinh Xua - Lam Phuong』では実にいい。これなら、いままでレーの重苦しい歌い方が苦手だとおっしゃっていたみなさんも親しめるんじゃないかなあ。

 

 

と言ってもレーのアルバムは、日本ではエル・スール(かプランテーション)でしか買えないよなあと、あ、いや、待て、Spotify で…と思って検索したら、この2017年入手作『Khuc Tinh Xua - Lam Phuong』も Spotify で問題なく聴けるじゃあ〜りませんか。「Le Quyen - Khuc Tinh Xua」で Spotify 検索すると、出てくるジャケットがなぜかだ白いアオザイを着た2015年作のもので曲順も CD とは違っているのだが、音源そのものは全曲残らず聴ける。 エル・スール原田さん、頑張ってください!

 

 

ってことで念のため、以下に CD での曲順だけ書いておくので、Spotify で楽しみたいみなさん、参考にしてください。

 

 

1. Bien Tinh

 

2. Kiep Ngheo

 

3. Tram Nho Ngan Thuong

 

4. Thanh Pho Buon

 

5. Bai Tango Cho Em

 

6. Thu Sau

 

7. Mua Le

 

8. Phut Cuoi

 

9. Co Ua

 

10. Mot Minh

 

11. Xin Thoi Gian Qua Mau

 

12. Tinh Dep Nhu Mo

 

 

 

CD も Spotify も不可という方には僕の言葉で説明するしかない。毎度毎度の繰返しで申し訳ないが、音を文字化する僕の能力には大きな疑問符が付いている。これは謙遜とか卑下なんかじゃない。他のちゃんとした方の文章を読むと、僕はダメだとはなはだ強く実感している。「卑下」という行為は、ずっと前、大学生の頃に読んだ井上ひさしの文章に「卑下慢」というのが出てきて、井上の言うには、卑下しすぎる人の場合、それは相手から「いやいや、そんなことはありません、あなたはこうこう立派です…」みたいな言葉を引き出す目的でやっているだけだから、結果的には自慢しているのと同じ、どころかもっとタチが悪いのが卑下慢だとあって、そうだよなあとそのとき僕も思って、その後はあまりやりすぎないようになった。

 

 

だから再び今日も僕が上で言ったのは、決して卑下慢とか謙遜ではないつもりなのだ。それでも僕にできる範囲でレー・クエンの2017年入手作『Khuc Tinh Xua - Lam Phuong』のことを書いておこう。このアルバムで一番強く印象に残るのが、ラテン調の活用だ。特にリズム・アレンジにラテンが目立つような気がするのだが、僕の気のせいかなあ?

 

 

一曲目「Bien Tinh」は海の波の音、ざわめきからはじまり、その後、フルートを中心とするかなり明るいイントロになるので、おっ、こんなフィーリングはレー・クエンにいままでなかったじゃないかと意外さ五割+嬉しさ五割で、レーの歌が出てきてからも、やはり(彼女にしては)軽くサラリとアッサリ目の歌い方なので、ずいぶんと変わったんだなあと思うのは確か。コンガなどラテン・パーカッションが控え目に入っているせいで、リズムのライト・タッチとあいまって、本当にほんのかすか〜に、ボサ・ノーヴァっぽいような?(いや、そんなことはない)。

 

 

二曲目「Kiep Ngheo」も、基本、軽い歌い口ながら、一曲目よりは重く湿っている。従来路線っぽいかも。曲想もそんなアッサリでもないような抒情ソングで、中盤からカスタネットが鳴りはじめたあたりからリズムはラテンだ。キューバのボレーロに近いような甘いバラードだけど、アルゼンチン・タンゴみたいなフィーリングも聴きとれる。ってことは、やっぱりそんなに軽くもないじゃんねえ。

 

 

そんなようなちょっぴりタンゴを混ぜたようなボレーロ風の甘い抒情バラードがその後も続く。甘い抒情といっても、レー・クエン自身も、誰のペンになるものか知らないが伴奏のアレンジも、極力ドラマティックになりすぎないように心を砕いているのは確実に伝わってくる。それはおそらく全面的にとりあげている作家ラム・フォンの曲をどこまで活かせるかということなんだろうね。

 

 

でも四曲目「Thanh Pho Buon」なんかはまあまあ劇的で激しい伴奏と歌ではあるなあ。なんたってまず最初にサム・テイラーみたいな(レー・クエン・ファンのみなさんゴメンナサイ)テナー・サックスがすすり泣くかのように吹き上げて、そんなイントロ部に続いて出て来るレーの歌もそこそこ力が入っている。結構ドラマティックなヴォーカルじゃないのかなあ、この曲は。ときたま左チャンネルで鳴るエレキ・ギターのカッティングは(僕にとっては)効果絶大。

 

 

五曲目「Bai Tango Cho Em」は完全なるタンゴ歌謡。イントロ部で(バンドネオンじゃないだろう?)アコーディオンがザクザク演奏し、レー・クエンのヴォーカルが出てくると、リズム・セクションが誰にも鮮明にタンゴだと分るスタイルの演奏をする。といってもメジャー・キーだからそんなに暗く重くはない。ストリングスの入り方もそう。バンドネオン風なアコーディオンは中間部でもその他でも随所で聴こえる。ちょっぴり重く湿っているようにも感じるが(タンゴですからゆえ)、前作までのレーと比較すれば軽く明るくソフトだと言えるんだろう。

 

 

これまたサム・テイラーが吹いているので、大映テレビ制作の昼ドラ・ミュージックとどこも違わない六曲目「Thu Sau」や、やはり波の音ではじまって、その後ナイロン弦ギターとヴァイオリンの音メインでイントロが演奏される七曲目「Mua Le」、その他も僕は大好きだが省略する。う〜ん、いや、七曲目はかなりいいぞ。

 

 

それらよりも、アルバム中特に素晴らしく響くのが10曲目「Mot Minh」〜ラスト12曲目「Tinh Dep Nhu Mo」の三つの流れだ。これら三曲での伴奏のシンプルなナチュラルさと、それに乗って歌うレー・クエンのヴォーカル表現は、現役女性歌手でいえば、世界中を探しても並ぶものがあまりいないはず。なかでも10曲目なんか、ギターとヴァイオリンの二人しか伴奏がいない。だから編成もシンプルだが、演奏もかなりしっとりと落ち着いたもので、レー・クエンも細やかな情感を漂わせながら、同様にシンプルに、しかも凄みと深みを感じる歌い方で、やっぱりこれは新境地なんだろうね。

 

 

そんなシンプルな10曲目「Mot Minh」がアクースティック・ギターの音で後を引くように終ると、続く11曲目「Xin Thoi Gian Qua Mau」冒頭でドラマーがスネアを四発叩いてリズム隊が出て、やはりアクースティック・ギターが鳴る。ストリングスも入ってレー・クエンの声が聴こえはじめた刹那に僕の心の防波堤は決壊するので、これは明らかに強く狙った曲順だよなあ。レーもかなり声を張って濃厚に歌い廻している。

 

 

ラスト12曲目の「Tinh Dep Nhu Mo」は完全なるラテン・ナンバー。サルサ・ミュージック風な部分さえ感じ取れる。まずいきなりティンバレスの連打ではじまるし、また特にピアノの弾き方がエディ・パルミエーリみたいだ(誰が弾いてんの?)。リズム・セクションも派手目のラテン〜サルサを演奏し、ティンバレスは曲全体を通しカンカン鳴っている。ホーン・リフもラテン・スタイル(誰がアレンジ?)。レー・クエンも、いつもの後ろ髪を引かれるようなため息・吐息まじりのハスキーな歌い方ではなく、歯切れよくスパスパ歌い廻していて、これもいいなあ。三連符ダダダで完全終了。

2017/06/17

テレサに慰撫され涙する

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あ〜〜、もうこんなのダメダメ〜!こんなのありなのか?!なんの気なしにふとかけた鄧麗君の『淡淡幽情』でボロボロに泣いてしまった。弱っている僕のメンタルの方に大きな原因があるような気もするけれど、弱ってなくても、こんなに優しくされたのは初めてのような気がする。不意打ちくらったから衝撃デカイよ、これ。

 

 

本当は別の音楽について書くつもりで聴きながら準備を進めていたのに、本当にたいして聴くつもりもなく、ふと、本当に何気なくクリックしてしまっただけなのだ、鄧麗君の『淡淡幽情』のプレイリストを。すると、流れてきた一曲目「獨上西樓」出だしのア・カペラ部分で、僕はダメになってしまった。

 

 

これはあれだなあ、今年三月にこのブログでも書いた岩佐美咲「涙そうそう(アコースティック・バージョン)」のときと全く同じ現象だなあ。あのとき、音楽を聴いてこんなに激しく泣いたことがないって書いたけれど、あの文章も、岩佐美咲の「涙そうそう(アコースティック・バージョン)」について書くつもりのものじゃなかった。別のものを用意していたのだが、あまりの感動でそれが全部吹っ飛んでしまって、これについて書くしかないとなったのだった。

 

 

今日の、いまの、僕はまた同じ。鄧麗君の『淡淡幽情』なんて前から聴いていたのに、ここまで感動したことがなかった(ような音楽リスナーはたぶん僕だけなんだろう、ダメな耳だ)。突然大波が押し寄せて、ホント、これなに?こんなにも優しく歌いかけてくれる歌手って他にいるの?中村とうようさんがテレサの歌を「万人を慰撫する仏の境地だ」と書いたことがあったが、ようやくいまごろになって僕はこれを激しく実感し、インクが涙で滲むかのように、泣きながらこれを書いている。泣かずに聴けますかって〜の、このテレサの『淡淡幽情』は。あ〜、ダメだ、書けば書くほど涙が出てきて止まらない。

 

 

まあしかしちょっと気持を落ち着けて、鄧麗君の『淡淡幽情』の素晴らしさについて少し考えて書いておこう。このアルバムは香港ポリグラムから1983年にレコード発売されたものらしい。その当時僕がこれを知るわけもなく。83年というと彼女は既に日本の歌謡界で活躍していたが、パスポートの不備で日本での活動を一時中断していたあたりだなあ。再開が84年だから。

 

 

僕が最初に買った鄧麗君の『淡淡幽情』は、たぶん1995年に日本のニュートーラスが CD リイシューしたものだろうと思う。「思う」というのは、いま僕の手許にそれがないので実物は確認できず、アマゾンのサイトで発売年を見ただけだ。あの頃のものはまだ購入履歴が記録されていないので正確には分らないが、買ったのがおそらく21世紀初頭あたり。その後、以前書いたようにエル・スールで、香港と台湾で出た紙ジャケット盤全90枚ほどを一括買い(ってバカな買い方だ)。

 

 

『淡淡幽情』も必然的にそのなかに含まれていたので(原田さんは、お持ちのものは発注するのを省きましょうか?と言ってくださったけれど、僕はめんどくさいから全部買うと返事したのだ、紙ジャケなのもあって。ニュートーラス盤はプラジャケ)、このアルバムもダブることになって、昨年、興味があるという方にニュートーラス盤 CD の方は差し上げた。したがって、いま僕が持っている『淡淡幽情』は香港ポリグラム盤だけ。日本語はどこにもない。

 

 

しかし漢字ですので。記載内容を見ると『淡淡幽情』収録の全12曲中、9曲が宗時代の詩。残る3曲が南唐時代の詩に基づいている模様。つまり中国古典だ。それにたぶん現在の音楽家がメロディをつけアレンジしてテレサが歌っているんだろう。曲を書いた人、アレンジした人も全部書いてあるが、僕は一人も知らない。

 

 

同じ漢字と言っても、附属ブックレットにその詩=歌詞が掲載されてはいるものの、当然中国語(の横書)なので、そのままでは読めない僕。中国古典の書き下しだってもう100%できなくなっているから、見ても意味は分らないのだ。日本のニュートーラス盤にはそのあたりしっかり和訳が載っていたんだろうが、見たような見なかったような…。そりゃ、ここまで激しく感動したことがなかったからさぁ〜。あまり真剣に読んでなかったんだよね。どうでしょうか、僕がプレゼントしたニュートーラス盤の『淡淡幽情』をお持ちの大阪在住の男性音楽ファンの方?

 

 

詩(歌詞)の意味が分らないなりに、鄧麗君のこの歌声の優しさ、柔らかさ、なんでも全部包み込んでしまうような懐の大きさ、包容力、そっと優しく語りかけてくれて、五月に落ち込んだのが100%完全には戻っていない僕のメンタルを撫でてくれる、本当にとうようさんの書く通りのまるで「仏」みたいな救いの手 〜 これらは世界中の誰だって聴けば分るはず。心に触れるはずだ。

 

 

あ〜、イカンイカン、いったんちょっと気持が落ち着いたかのような僕だったのに、『淡淡幽情』の鄧麗君の歌を聴きながら書き進むと、やっぱりまた涙が滲んでくる。もう何回聴いているんだ、これ?僕のメンタルが弱すぎるのか、テレサの歌が優しすぎるのか、その両方か、とにかくこんな歌は55年の人生で今日初めて知った、マジで。いままでジャズやブルーズなどばかり聴き狂ってきた僕の音楽人生はなんだったんだ?このまま全部放棄してしまいたい。もうテレサだけでいい。テレサ以外の音楽家はもう要らない。

 

 

『淡淡幽情』では鄧麗君の歌があまりにも素晴らしすぎる(と書くと、どうしてブワッと涙が溢れ出るんだ?)のだが、伴奏も素晴らしい。たぶんエレベ(&エレキ・ギターも?)だけが電気楽器で、それ以外はフル・アクースティックなサウンド。しかも派手さが全然なく、テレサの柔和な声を100%存分に活かすように控え目の優しい音でオーケストラが演奏している。ドラム・セットも入っているが、やかましい叩き方は全くせず、ほぼビートをキープするだけ。

 

 

これらは企画の勝利ってことなんだろうなあ。誰が思いついての『淡淡幽情』みたいなコンセプト・アルバムだったのか、そのへんも書いてあるんだろう。中国語が読めれば分るんだろう。南唐や宗の古典詩をとりあげて、それにメロディをつけ、鄧麗君が歌い、彼女の歌と同じ種類のサウンドの伴奏をつける 〜 間違いなく用意周到に準備され練られた作品だよね。

 

 

以前からみなさんがテレサ・テン(鄧麗君)では『淡淡幽情』が一番いいぞというのが、ようやく、2017年6月某日になってようやく、僕も心の底からそうに違いないと分るようになった。何年も前に僕が Twitter で「世界三大女性歌手」としてカルメン・ミランダ、フェイルーズ、アマリア・ロドリゲスの名前を出したとき、私だったらテレサを入れますと言ってくださった女性音楽マニアの方のその言葉が、何年も経って初めて僕に理解できたのだった。

 

 

そんな僕、いま55歳と3ヶ月ちょいなんですけど、もう今後、女性の歌で泣くのは鄧麗君と岩佐美咲だけにします。この共通する資質の二人の歌があれば、僕はもう死ぬまで過ごせそうです。テレサとわさみんだけ。この二人以外誰も要りません。

2017/06/16

いつの日にかお姫様が…

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ジャズ・ファンの大半を占めるであろう男性の場合、気恥ずかしくてなかなか口にできないかもしれない「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」(1937年『白雪姫』)というディズニー・ソングのタイトル。英語をそのままカタカナにするだけならそうでもないのか?じゃあ「いつの日にか王子様がやってくる」ならどうだ?言えないだろう?僕はこの程度ならちっとも恥ずかしくない人間なので、どんどん言っちゃうぞ。

 

 

そうでなくたって、前々から繰返すように僕はディズニーの世界がかなり好きなのだ。アメリカの音楽家がやったいろんなディズニー・ソング集だって複数枚持っているもんね。世の(おそらく男性の)ハードな音楽リスナーは、ディスニーなんかバカにして相手にしていないだろうが、案外そんな悪くもないんだよ。

 

 

というわけでマイルズ・デイヴィスの1961年録音・同年リリースのコロンビア盤アルバム『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』だって僕はかなり好きだ。多くのマイルズ・ファンやジャズ・リスナーは、「いつの日にか王子様がやってくる」というアルバム・タイトル曲でも、既にマイルズ・バンドを脱退していたジョン・コルトレーンがゲスト参加でソロを吹く部分などを中心に聴いているような気がするが、僕の場合、確かにトレーンのソロも素晴らしいと思うものの、それだけじゃマイルズを聴いたことになんかなんないと思うのだ。

 

 

ご存知の方はご存知のように、マイルズは(も?)かなりのロマンティストで、音楽以外の彼のプライヴェイトのことはこの際おくとして、音楽でもあま〜いラヴ・ソングが大好きで、かなり頻繁にとりあげては自分のアルバムに収録しているじゃないか。それにしては1961年のこの『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』を最後に、その種のバラードがマイルズ・ミュージックのなかから姿を消したかのようだけど、81年の復帰後は再びよくやっていた。シビアなジャズ・ファンはあまり「タイム・アフター・タイム」のことなんか言わないけどさ。

 

 

それに女性の影が消えていたかのような時期にだって、例えば1965年の『E.S.P.』のアルバム・ジャケットには当時の妻フランシスを登場させ、また68年の『キリマンジャロの娘』では当時の恋人ベティ・メイブリーを載せ、アルバムのなかにも曲「マドモワゼル・メイブリー」があり、70年のライヴ・アルバム『マイルズ・アット・フィルモア』では、既に結婚していたベティが再登場。復帰後もまだスウィート・ポップ路線に回帰する前の83年『スター・ピープル』には「スター・オン・シシリー」がある。シシリーとはもちろんシシリー・タイスン(シスリーの方が近い?)のこと。アメリカの芸能界ではシシリーの方が大物で、マイルズが煙草をやめたのだって、シシリーに「煙草臭い口にはキスしない」って言われたからだもんね。あまりにも僕ソックリで笑えてくる。マイルズがじゃなくて、僕自身のことが。

 

 

マイルズはそんな人なんだから、ファンのみなさんも恥ずかしがらずに「いつの日にか王子様がやってくる」と口にすればいいんじゃないかと思うんだよね。恥ずかしいということであればそれは抜きにしても、1961年のアルバム『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』は楽しい。まずアルバム・ジャケットに大写しされているのがフランシスに他ならない。二曲でゲスト参加のジョン・コルトレーンのソロは確かに素晴らしい。当時のマイルズ・バンドのレギュラー、ハンク・モブリーと並んでしまうもんだから、モブリーのダサさが…、ではなくトレーンの鋭さが目立ってしまうよね。

 

 

コルトレーンが吹く二曲では、僕の場合、アルバム・タイトル曲「いつの日にか王子様がやってくる」でのソロもいいと思うものの、B 面二曲目のスパニッシュ・ナンバー「テオ」(くどいようだが、マイルズの発音は「ティオ」)でのソロはもっと凄いと感じる。さすがにボスもこれをモブリーに吹かせるのは無理だと判断して、サックス・ソロはトレーンのみ…、というとちょっと事情が違うのかもしれない。

 

 

曲「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」の録音は1961年3月20日。「テオ」の方は同21日。そんでもって前者20日にはこの曲を15テイク録音している。61年にレコード発売されたマスター・テイク(のみにコルトレーンが参加)は最終15テイクだが、現行のリイシュー CD『サムデイ・プリンス・ウィル・カム』には、トレーンが参加せずサックスはモブリーのみのテイク14が同時収録されている。

 

 

テイク15にコルトレーンが参加したのは、マイルズ本人が知っていたのかどうかまでは僕には分らないのだが、バンド・メンバーにとっては意外な驚きの完全飛び入りだったらしい。これは確かハンク・モブリーが証言していた(のでどこまで本当か分らないが)ことだが、曲「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」のテイクを重ねている真っ最中にトレーンがスタジオの録音ルームに入ってきて、その場でテナー・サックスを組立てて、リハーサルも音出しもなしで、いきなり(テイク15で)ソロを吹いたので、モブリーは「どうやってトレーンが合わせられたのかサッパリ理解できなかった」。

 

 

これしかし、ホント、どこまで本当なんだろうか?1961年にレコード発売されたマスター・テイクの方の「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」を聴いていると、ある程度は納得できる部分もある。どうしてかって、コルトレーンのソロは、マイルズ、モブリー、ウィントン・ケリー三人のソロ廻しも全部終って、ボスがハーマン・ミュートで最終テーマも演奏した、その後ろに出てくるからだ(だからボスは最後の最後にもう一回テーマを演奏する)。

 

 

 

ここまでテナー・サックス二名のソロ内容に歴然たる差があるわけだから、いくらマイルズがいびり根性の持主だったとはいえ、もう一回演奏し直してモブリーをオミットすることだってできたんじゃないの?実際、翌21日に演奏した「テオ」(は1テイクしか残っていない)ではそうしているわけだしさ。だからこれはテイク15の演奏途中でいきなりコルトレーンが入ってきてソロを吹き出したのに、ボスもある種の<ドラマ性>みたいなものを見出して、これは面白いからこのままリリースしちゃうおうって、テオと二人でニンマリしたってことじゃないかなあ。やっぱりモブリーのことはいびり倒す結果になってしまっているけれどね。

 

 

コルトレーンのみがサックス・ソロを吹く B 面の「テオ」は文句なしに僕好みのスパニッシュ・ナンバーだけど、だからいままでも折に触れてなんどか書いている。それにアルバム『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』ではトレーンのいない、1961年のレギュラー・バンドだけでやった四曲がかなりいいと僕は思うんだよね。それを言わないと、このアルバムの、リラックスできる楽しさは分らない。

 

 

それら四曲のうち、A 面二曲目の「オールド・フォークス」、B 面ラストの「アイ・ソート・アバウト・ユー」はスタンダード・バラードで、スモール・コンボでのスタジオ録音前作の1959年『カインド・オヴ・ブルー』にはちっともなかったような種類の曲。マイルズのキャリア前後を見渡すと、『カインド・オヴ・ブルー』みたいな方がむしろ例外だ。その前までは実によくポップ・チューンをとりあげてバラードとして演奏していた。1963〜83年までの約20年間、そういうのがなくなってしまうのは、63年というとアメリカでビートルズその他 UK ロック旋風が吹き荒れるようになっていたのとピッタリ一致するが、このこととマイルズのオリジナル楽曲志向は関係あるのかなあ?ないのかなあ?分らない。

 

 

「オールド・フォークス」では、マイルズがハーマン・ミュートで綺麗なメロディを吹いている最中に(1:14)、誰かがストゥールかなにかに座り直すようなギ〜ッという音が入っている。この時代のマイルズのスタジオ風景を写したものなどでは、よくそういうストゥールみたいなものが入り込んでいるのだが、あの「オールド・フォークス」1:14 のギ〜ッはなんの音だろう?まあどうでもいいことだったな。細かく聴いてゴメンナサイ。

 

 

 

モブリーも「オールド・フォークス」みたいな曲では実にいい。ピアノのウィントン・ケリーもリリカルだけど、このタイプの曲なら前任者ビル・エヴァンスの演奏で聴いてみたかったような気が僕はちょっとする。いやあ、本当にいいなあ、こういったウィラード・ロビンスンの書いたオールド・スタンダードなバラードをハーマン・ミュートをつけて吹くときのマイルズは。

 

 

アルバム・ラストの「アイ・ソート・アバウト・ユー」もいろんなジャズ演奏家・ジャズ歌手がとりあげている、ジミー・ヴァン・ヒューゼンとジョニー・マーサーが書いたスタンダード・バラード。マーサーの手になる歌詞もいいよね。「列車で旅行をして君のことを考えたんだ」ではじまり、ありとあらゆる場面でいかにいつもいつも君のことを考えたのか、君には分らないだろうが僕がほかになにをしたっていうんだよ?っていうもので、やっぱりあま〜いね、マイルズ。この演奏でのモブリーはちょっとイマイチかも?サックスの音をグリグリッと重ねる部分でウン!と唸っているのは誰なんだ?ジミー・コブ?

 

 

 

アルバムに一曲だけある A 面三曲目のオリジナル・ブルーズ「プフランシング」。もちろんこれも当時の妻フランシスの名前に引っ掛けた曲題だけど、演奏内容はなんでもない普通の12小節定型ブルーズで、マイルズも1950年代から自分のバンドでよくやっていたお馴染のパターン。ここでのモブリーはかなりいいよね。その前に二番手でウィントン・ケリーのピアノ・ソロが出るのは、ブルーズが上手い人にしてはあんまりちょっと…。いいのはボスとモブリーじゃないかなあ。

 

 

 

この「プフランシング」。その後のレギュラー・クインテットのライヴでは実に頻繁にとりあげているが、曲題は全て「ノー・ブルーズ」に変更。聴けば誰だって一瞬で同一曲だと分るものだけど、どうしてだったんだろう?チック・コリアがフェンダー・ローズを弾く1969年のライヴ・ツアーでは、毎回必ずステージを締めくくるクロージング・テーマ代わりに使っていて、それらは全てデイヴ・ホランドのベースをフィーチャーした内容。

 

 

ってことは、それ以前のクロージング・テーマが「ザ・テーマ」だった時代、その「ザ・テーマ」の初演である1956年プレスティジ録音の2テイク(『ワーキン』収録)でもポール・チェンバースのベース・ソロのみを聴かせる内容だったのと似ているような似ていないような?なんだか主旋律も「ザ・テーマ」と「プフランシング」で似ているような気がしてきたが、こっちは気のせいだろう。

2017/06/15

フェミニズムを先取りしたアイダ・コックス

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アイダ・コックス(アイーダの方が近いような?)にしても誰にしてもそうなのだが、このあたりの1920年代都会派女性ブルーズ歌手たちについて熱心に書く人は激減中だ。ベシー・スミスとマ・レイニーとアルバータ・ハンターの三人が例外な程度じゃないかなあ?あ、メイミー・スミスについてもまだ書く人がちょっといるかな。でもホントそれくらいになったよね。

 

 

メイミー・スミスの場合は、1920年のレコード「クレイジー・ブルーズ」が当たって、それでアメリカの大手レコード会社は、案外こういったレイス・レコードに需要が(白人層にも)あるんだと分り、どんどん録音するようになったっていう。だからメイミーの「クレイジー・ブルーズ」はまず最初の大きなとっかかりで第一号だったんだから、僕たち、ああいったブルーズ歌手たちが大好きな人間は忘れようったって忘れられない。

 

 

アイダ・コックスについては、例のジョン・ハモンドがプロデュースしたカーネギー・ホールでの『フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング』コンサート・イヴェントの1939年回に出演しているのが、いろんな音楽リスナーにとって最も有名だろう。僕も完璧に同じ。現行の CD 三枚組の三枚目にアイダが歌うのが二曲収録されている。「ローダウン・ダーティ・シェイム」と「’フォー・デイ・クリープ」…、ってどっちもひどい曲題だよなあ(笑)。

 

 

それら二曲の伴奏は、ピアノがジェイムズ・P ・ジョンスンなだけで、他は当時のカウント・ベイシー楽団からのピック・アップ・メンバー六人。じゃあジャズ・ブルーズなのか?というとそうでもなく、以前から強調しているが、あの頃のベイシー楽団はどっちかというとブルーズ・バンドであって、っていうかあの時代のジャズとブルーズを無理やり区別しようとするのがそもそも間違っているわけで…、ってしつこいですね。

 

 

1939年のコンサート・イヴェントでの収録なわけだけど、アイダのように1920年代に主に活躍したみたいな都会派女性ブルーズ歌手で、29年の大恐慌とその後をくぐりぬけ生き延びて、レコードをどんどん出したりライヴ出演したりなどした人は実は多くない。だいたいみんなあの29年大恐慌をしのげなかった。みんなダメになったのだ。それはああいったブルーズ歌手だけでなく、ジャズ・メン(ウィミン)でもなんでも、だいたいみんなそうだった。

 

 

あの1929年の大恐慌でアメリカ音楽産業がいかにダメになったのかを詳しく語る人もどんどん減っている。もちろん音楽産業だけでなくアメリカ経済全般が大打撃を受けた。書いている1938/39年のカーネギー・ホール・コンサートのあたりではもう既に回復していて、あの当時最も人気があったベニー・グッドマンも出演し録音が収録されている。だがあのコンサート・イヴェントの主眼はあくまで黒人音楽にフォーカスするところにあったので、あんなに人気があったグッドマンも自楽団での出演はない。全て黒人ジャズ・メンとの共演だ。僕の持つ CD 三枚組『フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング』附属ブックレットには、アイダ・コックスの堂々たる立ち姿が1ページ全部を割いて載っているもんね。最もお馴染の写真だが。

 

 

しかしながら僕はアイダ・コックス名義の単独盤 CD は『ジ・エッセンシャル・アイダ・コックス』二枚組しか持っていない。以前ビッグ・ビル・ブルーンジーのときにも書いたが、この『ジ・エッセンシャル・だれそれ』は、オーストリアのドキュメント・レーベルが年代順完全集でリリースしているのから抜き出して二枚組に編纂してデータ・解説なしで発売している廉価盤シリーズ。いっぱいあるんだよね。いっぱいあるのは、それくらいたくさんドキュメントがバラ売り完全集でアメリカの古いブルーズを復刻している証拠だけど。

 

 

そんなわけで『ジ・エッセンシャル・アイダ・コックス』しか単独盤を持っていない僕なので、これの収録曲も音楽そのもの以外にはほぼなにも知らない僕。ネットで調べてほんのちょっと知っているだけ。だから毎度毎度の僕のテキトー耳判断だけで、アイダについて少し書いておこう。

 

 

『ジ・エッセンシャル・アイダ・コックス』収録の36曲は、必ずしも年代順に並んでいないみたいだ。続けて全部聴くと、あからさまに録音状態が新しくなったり古くなったりを繰返すからというのが一つ。もう一つは、ネットで音楽関係を調べると必ず(例外なく)出てくる Discogs のサイトの情報によっている。

 

 

Discogs はアルバム単位でしか情報がないサイトなので、LPレコードが一般化して以後のそんな作品については参考になるけれど、それ以前の一曲単位(正確には両面で二曲だが)で音楽商品が売買されていた SP 時代の録音にかんしては全くダメ。全滅状態なのだ。なんの頼りにもならないんですよ、みなさん、ご参照のようですが。

 

 

だがしかしアイダ・コックスについてもドキュメントの完全集シリーズ五枚が Discogs で出てくる。それをクリックしてよく見て、掲載されているのはドキュメント盤の場合録音順だと分っているわけだから、そのデータと『ジ・エッセンシャル・アイダ・コックス』の収録順を比較して、それで後者は録音順に並んでいないと判断しているんだよね。

 

 

だけど、録音順に並べ替える必要も僕は感じないので、データはデータで参考にはして、『ジ・エッセンシャル・アイダ・コックス』をそのまま聴いている。通して聴くと一枚目11曲目の「アイ・ガット・ザ・ブルーズ・フォー・ランパート・ストリート」でガラリと雰囲気が一変する。 アイダのヴォーカルはそんなに違わないが、伴奏が全然違って聴こえるのだ。誰だろうなあ、このブリリアントなトランペット(あるいはコルネット?音だけでは判断できない)を吹くジャズ・マン(に違いない)は?1920年代の録音だと思うんだけどね。

 

 

 

あっ、この YouTube 音源の説明文では、1923年録音で、トランペットはトミー・ラドニアだとあるなあ。そうだったのか。教えていただいた。トミー・ラドニアって、フランスのジャズ批評家ユーグ・パナシエが、ルイ・アームストロングに次ぐ二番手だって書いた人なんですよ(本があまりにも古い?)。そういえばトミー・ラドニアはマ・レイニーやアルバータ・ハンターの伴奏をやったのがあるから、アイダの伴奏をやってても当たり前だ。そして、あの時代、男性ジャズ演奏家より女性ブルーズ歌手の方がランクがかなり上だったね。

 

 

『ジ・エッセンシャル・アイダ・コックス』一枚目15曲目収録の「ハウ・ロング、ダディ、ハウ・ロング」が問答無用の超有名曲、リロイ・カーがやったもので、バンジョー(に聴こえる)一台だけを伴奏にしてアイダが歌っているものだとは、以前リロイ関係で書いたような気がするので、今日は省略。アイダの方が録音はちょっとだけ先のようだ。とにかくこの曲もそうだし、リロイのやった有名ブルーズ・ナンバーほど人口に膾炙しているものはないんですよ、モダン・ブルーズしか聴かないみなさん。

 

 

 

あっ、これもバンジョーがパパ・チャーリー・ジャクスンだと書いてある。教えてもらってばかりだ。それにしてもこの「ハウ・ロング」はバンジョーの伴奏リズムがちょっと妙だよね。ザッ・ザッと刻んでは一瞬ストップしたかのようになり、次の瞬間にまたザッ・ザッと刻む。突っかかって進んだり止まったりする歩行のようで、定常ビートをキープしない。ズンズンとフラットに、あるいはピョンピョン跳ぶようなグルーヴ感が好きな僕には、どうもちょっと気持悪いような部分がある。

 

 

『ジ・エッセンシャル・アイダ・コックス』を聴いていると、あの当時の女性ブルーズ歌手にしては、ジャズ・バンドによる伴奏がちょっと少なめのように思う。コンプリート状態で持っていないので、アイダの場合全般的にそうだったのか、あるいはこのアンソロジー独自の編纂方針だったのかは全然分らないが、ちょっと面白いね。一番多いのは、しかしやはりピアノ一台だけの伴奏だから、そこだけ取り出すとアイダも決して例外的ではない。

 

 

一枚目ラスト18曲の「ユー・ガット・トゥ・スウィング・アンド・スウェイ」 は完全なるジャズ・ナンバーというに近い。これは YouTube で見つからないので教えていただけないが、クラリネットもトロンボーンもその他もみんな当時(って何年録音?)のトップ・ジャズ・メンに違いないぞ。ソロ部分で聴くクラリネットはジョニー・ドッズのスタイルのように聴こえるんだけど、違うかなあ?違うだろうなあ?トロンボーンは全く想像つかない。アイダの歌もブルージーというよりジャジーというに近いスウィンギーなフィーリング。

 

 

『ジ・エッセンシャル・アイダ・コックス』二枚目に行って、一曲目の「ワイルド・ウィミン・ドント・ハヴ・ザ・ブルーズ」がかなり面白い。この曲題だけでも想像がつくはずだが、歌詞内容はいまで言うフェミニズムの先取りだ。って歌詞だけなんだけどね。これ、何年の録音なんだろう?と YouTube で探したらドキュメント盤の二枚目、1924〜25年分に収録らしい。う〜ん、あの時代にこのリリックを書いたのは誰だったんだろう?

 

 

 

この曲にかんしては、YouTube で探すと新しい録音も出てきて、どうしてベシー・スミスの写真を使っているのかは分らないが、こういうのだ。何年だろう?相当最近だよなあ(と言ってしまう僕の時代感覚も狂っているだろうが、1920年代メインだった歌手の話題だから)。テナー・サックスはコールマン・ホーキンスかぁ。

 

 

 

アイダ・コックスのこれに限らず、主に1920年代に大活躍した女性ブルーズ歌手たちの場合、上でも触れたが、だいたい音楽産業のランク的にも男性よりずっと上位で、音楽・歌内容的にも大胆な女性の姿を歌っている場合もあって、その意味ではずいぶんと早くフェミニズムを表現していたと言えるのかもしれないよなあ。どうですか?女性音楽愛好家のみなさん?聴きませんか、このへんの女性ブルーズ歌手たちを?

2017/06/14

山本リンダ現象

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と呼んでいいものがあるように思うんだけどね。違うかなあ?どなたかが「山本リンダ現象」という言い方をしていたのをチラ見したようなぼんやりした記憶があって、しかし完全に忘れてしまい、どういう文章だったのかもはや記憶がない。だから言葉だけ拝借して、僕なりの考えを書いておきたい。

 

 

僕の言う山本リンダ現象とは、要するに<アクション歌謡>ということなんだ。僕のハジレコ、すなわち初めてのレコード(=初めての女)が山本リンダ1972年の「どうにもとまらない」だったのはなんども繰返している。個人的初体験云々はどうでもいいとして、この一曲で日本歌謡史の流れが変わったところがあるんじゃないかと思うのだ。曲というよりも、正確にはテレビの歌番組などで歌い踊る山本リンダのあの姿、ありようが変えたのだ。

 

 

山本リンダの初ヒットは1966年の「こまっちゃうナ」(遠藤実)だけど、これはいわゆるカマトト路線。舌ったらずで可愛い子ちゃんを演じているものだった。これも僕はテレビで観聞きしていた幼少時分の記憶がはっきりあるのだが、66年だと僕は四歳だなあ。だから発売時のリアルタイムではなかったんだろう。

 

 

最近思うところあって買った山本リンダのベスト盤 CD(だって全部シングル曲だからベスト盤一枚で充分)で聴きなおすと、「こまっちゃうナ」もこれはこれでかなり面白いように55歳現在の僕には聴こえる。実際これがかなりヒットして年末の NHK『紅白歌合戦』にも初出場したようだ(がその記憶はない)。

 

 

だけれども日本中に大旋風を巻き起こすのは、やはりガラリ180度イメチェンして、セクシーなアダルト・シンガー路線に転向しての第一作、1972年の「どうにもとまらない」だったよなあ。当時僕は10歳。衝撃だった、テレビ番組で、あのヘソ出しルックで激しく踊り狂いながら歌う山本リンダの姿が。10歳の小学生にあのセクシーさが理解できたとは到底思えないので、なんだか分らないがとにかくすごく面白い、おかしいとか、そんな感じ方だったんだろう。

 

 

だからドーナツ盤を当時買って、いまも CD を買って持っているけれど、ああいったアクション歌謡は「音」だけ聴いていても面白さは伝わりにくいと思うんだよね。いや、CD でいま聴きなおしていて、音だけでもかなり楽しいのだが、それだけでは僕の記憶も蘇らないし、日本歌謡史上で山本リンダが成し遂げたものも分らないと思う。ので、ちょっと一つご紹介しておこう。例えばこの「どうにもとまらない」を。

 

 

 

どうですこれ?1972年だからねえ。山本リンダも派手だが、同じくらい派手なラテン・コスチュームに身をつつみ激しくコンガを叩きまくっているのが、ラテン・パーカッショニストにしてバンド・リーダーのダン池田。ダン池田とニューブリードは、僕の世代の歌番組ファンには決して忘れられない名前だ。このラテンなリズムはどうだろう?ラテン・リズムを賑やかに使ったアクション歌謡。こういうのが少し後のピンク・レディーや、またその後のモーニング娘。(特に最高傑作1999年の「LOVEマシーン」)などなどへつながったように思う。最初にやってみせたのが山本リンダ。ひょっとして、現在までも秋元康がプロデュースするガール・ポップ・グループも?

 

 

しかしこの YouTube 動画での「どうにもとまらない」は、音楽だけ取り出すと、オリジナル・シングル・ヴァージョンの方がもっと凄いんだぞ。特にラテン・リズムと、それを表現するために使われているパーカッション群がね。シングル・ヴァージョン(はたぶんご紹介できないんだろう)では、まず打楽器だけの激しい乱れ打ちではじまる。山本リンダがワン・コーラス歌い終わってからの中間部にも打楽器オンリーの派手なアンサンブル・パートがある。歌詞はモロあれのことしか歌っていない。1972年によくこんなものを堂々と歌えたもんだ。しかも「こまっちゃうナ」の人だったのが。あまりにも扇情的。

 

 

「どうにもとまらない」がとんでもない大ヒットになったので、その後、山本リンダは続々と同系統のシングルを発売し(全て阿久悠&都倉俊一コンビ)、テレビの歌番組に出演してはセクシーないでたちで情熱的に激しく踊り狂いながらセックスのことばかり歌い、日本中のお茶の間を、まさに「困っちゃう」ようなことにしてしまったのだ。1970年代前半の僕んちもその一つ。僕が食い入るように、まさに食いつかんばかりに見つめていたら、いきなりチャンネルを親に替えられたりしたもんなあ。わっはっは。

 

 

しかしセックスのことなんか知るわけもない小学生の僕でも、あんな山本リンダの姿に夢中になって、親にいきなりチャンネルを廻されても(そう、むかしは廻したんです、チャンネルは、テレビもラジオも)まったくめげず山本リンダを追いかけて、歌番組をどんどん見まくっていた。そっか、僕の年上女好きドスケベ症はあの頃に養われたものだったのか…。とにかく、歌ばかりでなくああいった振り付けを憶えて、以前から言うように小学校の教室の後ろとか、場合によっては学校のプール・サイドや、遠足で出かけた先などでも、そのまんま披露していた。歌い踊っていたのだ、クラスメイト相手に。みんな笑っていたけれど、なかには「弟子入りしたい」などとワケの分らないことを言い出すヤツもいたんだよ。

 

 

僕の一番の得意レパートリーだったのが「どうにもとまらない」ではなく、1973年の「狙いうち」。うらら〜、うらら〜、というあの歌がメチャメチャ印象的で、これこそ僕が一番真似していたリンダ・レパートリーだったのは、僕が就職してから松山であった小学校の同窓会でも、僕の顔を見るなり「戸嶋、うらら〜、うらら〜」と言いながら近づいてきたドイくん(漢字で書くことはできない)がいたことでもはっきり分る。しかしこの曲もセックスのことしか歌ってないなあ。11歳がそのまんま歌っていたなんて…。この曲は当時の映像が見つからないから、現在のものを貼っておく。リンダさん、ご活躍中ですから。振り付けは同じだ。こういうのを真似していたんです、僕は。

 

 

 

また八代亜紀&藤あや子二名がカヴァーするのも見つかったので、すごく短いけれど、ご紹介しておく。僕の場合藤あや子さんはそうでもないんだけど、八代亜紀さんはど真ん中直球ストライク僕好みの年上女性なのだ。

 

 

 

山本リンダは、1973年12月リリースの「きりきり舞い」(はやや地味だが)がオリコン28位だったあたりを最後にヒットを飛ばせなくなって、その後も同路線のセクシー・ダンス・チューンがあるものの売れなくて、忘れられていくようになった。「こまっちゃうナ」の純情路線に戻ったかのようなものすらある。個人的には<初めての女>ですがゆえ〜、忘れられるわけもなく、踊りの振り付けはもはや瞬時に披露することができなくなっているものの、歌い踊るあのセクシーさと、そしていまではこっちの方が強く印象に残るラテン・リズムの活用(スペインの闘牛風フラメンコ調も一つある)は、いまでも非常に強く染みついている。

 

 

山本リンダ本人はヒットを出せなくなって忘れられたもの、その後の日本歌謡界ではこの手のアクション歌謡路線がすっかり定着し、1976年に「ペッパー警部」でレコード・デビューしたピンク・レディーもこの種の世界の申し子だったと言えるはず。この二人は80年に解散するが、それまでヒットを飛ばしまくった、なんてもんじゃなく、やはり日本の大衆音楽界で絶大な影響力を持った(いまでも持っている?)。その他いちいち例を挙げていると枚挙にいとまがないほど多いじゃないか。

 

 

すると、そんなアクション歌謡の第一号みたいだった山本リンダが日本歌謡史で果たした役割を、もっと大きく再評価してもいいんじゃないだろうか?しかもですね、リンダは「こまっちゃうナ」のカマトト路線で松田聖子をも先取りしていたわけだよ。僕がいま持っているリンダのベスト盤のラスト13曲目には、テクノ/ハウスにリミックスした「NERAI-UTI」が収録されている。やったのが DARK MATTER PROJECT って、誰だこれ?そういや、近田春夫もなにか一曲、リンダをとりあげていたよねえ。ピンク・レディーのベスト盤も同時に買ったんだけど、いま聴きかえすと、リンダの方が面白い。決して<初めての女>だったからという思い入れだけで言っているわけではないつもり。

 

 

全盛期のピンク・レディーとか、おニャン子クラブとか、いっときのモーニング娘。(やぐっちゃん=矢口真里さんが在籍した頃は僕も熱心に応援していた)とか、あるいは最近の AKB48やその他のガール・グループがお好きなみなさん!どうですか?1972/73年の山本リンダは?

 

 

最後に。やぐっちゃん(矢口真里さん)をそろそろ本格復帰させてあげてもいいんじゃないだろうか?例の不倫騒動の件で完全に干されてしまって、その後ちょっとでもテレビ番組に出演すると、途端に「あんな不倫女をテレビに出演させるとはナニゴトですか!?」などとのクレームが殺到するらしい。そんなご清潔な倫理観を振り回すのが一番汚らしいんだぞ。日本中みんなご立派になりくさりやがって。僕はやぐっちゃんのあのちょっとセクシーで、そして明るい笑顔を見たいんだ。

2017/06/13

メディ・ジェルヴィルのことをもっとみんな騒いでくれ

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どうしてこんなにカッコイイんだぁ〜!メディ・ジェルヴィルの今年の新作『トロピカル・レイン』。斬れ味鋭い、なんてもんじゃないシャープなピアノの弾き方。ドラムスやパーカッションも含め全員が変拍子を難なくこなす、なんてもんじゃなくとてつもないグルーヴの仕方で、なんなんだ、このアルバムは?ジャズ系のなかではいまのところ今年ナンバー・ワンだと疑わない。いや、あと半年でメディの『トロピカル・レイン』を超えるものが出るとも思えない。

 

 

まずジャケット・デザインが素晴らしい。これは一目で惚れてしまうよね。事実、僕は完全なるジャケ買いだった。ジャケット写真をネットで見て(ってことはかなりサイズの小さい写真なわけですよ、LPジャケット絶対礼賛派のみなさん)、絶対に中身もいいに違いないという直感を信じて買ったら大正解。ジャケ写でメディが抱えているのはカヤンブという簾みたいな箱型のシェイカーで、マロヤに欠かせない打楽器だそう。象徴的なんだろうなあ。最初に見たとき僕はちっとも知らず、古い写本かなにかみたいに見えるなあとか、そう思っていたっていう…。まあでも洗練(度は抜群)と野生の肉太さの両方を兼ね備えている中身の音楽を実に的確に表現しているジャケット・デザインだ。

 

 

メディ・ジェルヴィルは日本でも注目されているレユニオンのピアニストらしく、ネット情報もたくさん出てくる。だからあまり解説しておく必要はないとは思うものの、普段の僕の文章は八割〜九割方が古い音楽の話ばかりなので、読者層がそうなっているだろう。ちょっとだけ書いておこうかな。あ、最初に付言しておくと、この Meddy Gerville(フランス人はジェルヴィーユと発音するはずだと思ったけれど、レユニオン・クレオールではジェルヴィルになるんだと荻原和也さんに教えていただいた)の『Tropical Rain』も Spotify で難なく聴ける。フィジカルへのこだわりを捨てられない僕はやはり CD で買って持っているけどね。エル・スールで買った僕だけど、アマゾンでも普通に売っている。アメリカのレーベルから出ているもんね。

 

 

マダガスカル島の東、インド洋に浮かぶフランス領の島レユニオンにマロヤという音楽がある…、らしいが僕はほとんど知らないに近いので「らしい」としか書けない。マロヤ・ジャズとでもいうべきものをやっている代表格(って、知らないのにどうしてそう言えるんだ?)ピアニストが、最近だとメディ・ジェルヴィルだということになるようだ。ただレユニオンとかマロヤ・ルーツのジャズとか言わなくても、なんの問題もなく楽しめる音楽家だ。僕がそうだったから強い実感があるし、そうでなくたってこの手のジャズは、いなまらあの JTNC 系のみなさんの守備範囲内にある。

 

 

それにしては柳樂光隆くんはじめ JTNC 系のライターさんはメディ・ジェルヴィルをとりあげないよなあ。ちょっと妙だ。『トロピカル・レイン』ではリオーネル・ルエケだって弾いているのになあ。リオーネルにはみなさん反応しているじゃん。リオーネルがいいかよくないのかはともかくとして、いろんな音楽家に重用されているギタリストで、新し目のジャズがお好きなファンのみなさんにも注目されて、話題になっているじゃないか。

 

 

そして僕も案外、気まぐれフレーズをパラパラ弾きちらすだけみたいなリオーネルの草食系ギターがそんなに嫌いでもないのだ。少なくともメディの『トロピカル・レイン』では上手くハマっているように聴こえる。ただしこれが例えばリオーネルじゃなくグエン・レーがゲスト参加でギターを弾く六曲目「Ter Vs Bin」なんかと比べると、やっぱりリオーネルは線が細くてかなり物足りないように聴こえてしまうけれどね。六分以上ある曲だけど、一分程度の短いティーザーみたいなものが YouTube にあったので貼っておく。

 

 

 

どうです、これ?Spotify を使っていないみなさんもちょっと聴いてみて。この『トロピカル・レイン』六曲目の、グエンがギターを弾く「Ter Vs Bin」は、アルバム全体のなかでも、かなり出来がいいもののように聴こえる。メディの弾くピアノも華麗で粒立ちが良く、しかも曲はなんだか分りにくい変拍子だけど、そうとは感じさせないほど全員がビシバシ決めている気持ち良さ。エレベがミシェル・アリボーではなく、これまたゲスト参加のドミニク・ディ・ピアッツァ。ドラマーもレギュラー参加の同郷エマニュエル・フェリシテではなく、やはりゲスト参加のダミアン・シュミット。パーカッションはレギュラーのジョバンニ・イダルゴ。

 

 

メディのアルバム『トロピカル・レイン』は、どの曲も基本、こういったピアノ+ギター+ベース+ドラムス+パーカッションのクインテット編成で、その五人のメンツは曲によっては入れ替わり、またランディ・ブレッカーのトランペット(コイツこそイラネェ〜、僕はブレッカー兄弟が大嫌い、どうして二人ともあんなに重用されるんだ?)や、あるいはフルートや、さらにメディ自身がたくさん歌い、他のヴォーカリストも参加している。

 

 

デジパックの CD ジャケットを開くと、そんなことと、あと、曲は二つを除きメディの自作オリジナルと分る。その二つとは三曲目の「Pot Pourri Maloya」と11曲目の「ラ・ボエーム」。前者はマロヤの伝承曲と記載があるので、いまの僕には分らない。後者はかなり有名なシャンソンでシャルル・アズナブールの曲。前者ではゲスト参加のヴォーカリスト二名が歌い、後者でもゲスト参加の男性が歌っている。後者では、メディのアレンジにシャンソンだという面影がほぼ全くなく、やはり変拍子で、しかもテンポも自在に変化して、これがマロヤ・ジャズ仕立ての(もと)シャンソンなのか…。フランス語の歌詞はお馴染のもののはずだけど、「ら・ぼえ〜む」と出てこなかったら気づかなかった可能性がある。もはやこれは全然シャンソンではなく、新時代ジャズだ。

 

 

アルバム『トロピカル・レイン』を聴き進むと、ランディ・ブレッカーのトランペットが聴えはじめた途端に萎えてしまう僕だけど、それさえなければ、リオーネルのギターも案外そんなに強くは嫌いではないので、全体的にほぼ文句なし(ランディでさえなかったら100点満点だが…)。リズムがどの曲でもかなり野太くて、変拍子といってもアメリカ合衆国の一部ジャズ・ミュージシャンがやるような頭デッカチのものじゃなく、肉感をしっかり感じるものなのが、どうやらマロヤ・ジャズのマロヤな部分らしい。

 

 

そんな変拍子は6/8、すなわちハチロクを基本にしているみたいだけど、そのまんまストレートなハチロクはメディの『トロピカル・レイン』に一曲もない。だがハチロク・ベースなのが、やはりアフリカ〜マダガスカル由来で伝わってきたレユニオン音楽の特徴なんだろう。しかもマロヤはパーカッション・ミュージック+コール&リスポンスの歌が付くらしい。そのあたりはマロヤ伝承ナンバーである三曲目の「Pot Pourri Maloya」だとかなりクッキリ分る。これこそがアルバム『トロピカル・レイン』ではやはり白眉の一曲なんだろうね。実際、聴いていると相当物凄いことをやっているのに、聴感上、まったく自然でスッーと違和感なく入ってくる。う〜ん、こりゃとんでもないもの聴いちゃったな。

 

 

五曲目「Si Zer Grand Matin」の出だしで鳴る低音打楽器はなんだろうなあ?バス・ドラなどとも違うみたいだし。それがドン・ドンと基本のビートを創り、シャカシャカという音もして、そして歌いはじめるのがやっぱりメディなんだろうな。ハッ!とか気合いみたいに叫び、やはり変拍子になって、ドラマーとパーカッショニストが複雑だけどシンプルに聴えるグルーヴを出すなかでメディがピアノを華麗に弾く。この曲も最高だよなあ。右手のシングル・トーン弾きも素晴らしくソフィスティケイティッドされているのに、か細い感じはゼロで、正反対に骨太感がある。

 

 

メディ自身が歌うものは肉太感よりも洗練されたクールさを感じるね、僕は。スキャットも使うし、このあたりはジャズ・ヴォーカリストっぽい。だからメディのヴォーカルにかんしては僕は驚きがない。ビックリ仰天はやっぱりピアノの弾き方だ。野生の肉太感(はアフリカン・ルーツか?)+西洋的洗練(はやはりジャズだ)がここまで完璧に合体しているのはなかなか聴けないぜ。メディはピアノとヴォーカルだけじゃなく、その他鍵盤楽器や打楽器もやっていることになっているのだが、打楽器の方は聴いてもどれがメディなのか分らず。またピアノじゃない鍵盤楽器もあまり目立たない。『トロピカル・レイン』ではあくまでアクースティック・ピアノの響きにこだわっているのかもしれない。

 

 

それはそうとアルバム『トロピカル・レイン』の一曲目「Aero Feel」(は「アエロ・フィール」でいいんだろう)とラスト13曲目「Sanm Ou Mi Ve」(こっちは分らん)は、出だしのピアノの旋律が同じだけど、関係あるのかなあ?前者はインストルメンタルで、後者はメディのヴォーカル入り(「さむ・う・み・ゔぇ」と歌っているように聴こえる)。曲題が違っているだけで同じものなんじゃないの?分りませんが。後者の方はボーナス・トラックと記載がある。また後者ではシンセサイザーも聴こえる。

 

 

いやあ、こんなものすごいジャズ・アルバムが2017年の新作として聴けるなんてねえ。すごいすごい。柳樂光隆くん、こういうのをとりあげて騒いでくれませんか?既にかなり大きな影響力を持っているんだから(なんたって Twitter で僕がフォローしているなかにも、柳樂くんが褒めたものをそっくりそのまま引き写す人が複数いるもんね、僕が油井正一さんや中村とうようさんを引き写すように)、メディ・ジェルヴィルの『トロピカル・レイン』をどっか紙でもネットでも激賞してほしい。ピッタリだと思うんですよ、JTNC に。アフロ・ルーツがあまり鮮明に出ている音楽は取り上げないという鉄則を共有しているような気もするんですが、僕の勘違いであると祈りたい。

2017/06/12

アイルランド人が音楽でひもとく米墨戦争の悲劇

Unknown








1998年のアメリカ映画に『ワン・マンズ・ヒーロー』というものがあった。1846〜48年のいわゆる米墨戦争(アメリカ対メキシコ戦争)を扱ったもので、おそらくいまでもこの戦争をとりあげた唯一のアメリカ映画だろう。そのなかでも出てきたものに聖パトリック大隊(サン・パトリシオズ)というものがある。聖パトリック大隊、またの名をアイルランド人殉教者たちという。殉教者というとなんだかカッコよさそうなイメージかもしれないが、要は裏切り者の脱走兵たちだ。

 

 

米墨戦争の際のこの聖パトリック大隊にかんする歴史については、メキシコ人とアイルランド人はいまだ忘れずしっかり憶えているらしいのだが、いわゆるアメリカ人、正確には北米合衆国人は、上で書いた映画『ワン・マンズ・ヒーロー』だけを唯一の例外とし、それ以外ではほとんど誰も憶えてすらもおらず、語り継がれていないんだそう。

 

 

米墨戦争の時期は、アイルランドにおけるジャガイモ飢饉の時期とほぼ重なる。だからあの当時のアメリカ合衆国には大量のアイルランド移民が流入していたわけだけど、ちょうど米墨戦争が勃発し(発端はアメリカ合衆国側がテキサスを自国領土と主張して武力行使したため)兵力増強が急務となり、ちょうど流入したばかりの新移民であるアイルランド系の多くが自発的に(=ヴォランティアで)アメリカ軍に加入した。

 

 

しかしアメリカ軍に加入したアイルランド移民は、人種差別を受けたからか、あるいは宗教的な理由からか(アイルランドもメキシコもカトリック系キリスト教徒が最も多い)、別の理由があったのか、主にプロテスタント系で構成されるアメリカ軍を脱走しメキシコ軍に加入して一緒にアメリカ合衆国側と戦うことになってしまう。アメリカ合衆国、アメリカ軍、アメリカ人側からすれば単なる裏切り者集団だ。そんなアイルランド人脱走兵たちが全体の約四割以上を占めていたのが聖パトリック大隊で、アイルランド系以外にはスコットランド系、ドイツ系、スイス系などがいたようだ。だがやはりこの聖パトリック大隊のことは、あくまでアイルランド人脱走兵たちの歴史として認識されている。

 

 

ご存知の通り米墨戦争はアメリカ合衆国側の勝利に終り、聖パトリック大隊も、主にチュルブスコの戦いで破れアメリカ軍の捕虜となり、脱走は重大な戦争犯罪にあたるので、メキシコ・シティ陥落時に彼らはやはり一斉処刑されてしまう。ここまでお読みになってお分りの通り、米墨戦争の際の聖パトリック大隊の歴史とは、すなわち悲劇に他ならない。

 

 

そんな聖パトリック大隊のことを忘れてしまったアメリカ合衆国人と違い、アイルランド人は忘れていないので、アイルランドの音楽家であるチーフタンズが2010年に『サン・パトリシオ』という一枚の音楽アルバムをリリースした。名義はチーフタンズ・フィーチャリング・ライ・クーダーということになっている(といってもアルバム一枚丸ごと全部で弾いているわけではない)。ライがメキシコ音楽や文化やその他諸事情に精通していることを、いまさら繰返す必要はないだろう。

 

 

なんだか大上段に構えたような書き出しになってしまったが(でも大上段に構えたアルバムなんだからしょうがないじゃない)、僕が言いたいことはただ一つ、チーフタンズの『サン・パトリシオ』で聴ける(主にスペイン語の)歌がきわめて美しく感動的に響くということだけだ。と言ってもアルバムの全19曲中5曲はヴォーカルなしのインストルメンタル・ナンバー。もう一曲インスト曲があるけれど、それは大々的にヴォーカル・コーラスがフィーチャーされる次の曲への前奏なので、外しておこう。

 

 

『サン・パトリシオ』CD には大判の紙が附属していて、まずパディ・モロニーによる米墨戦争と聖パトリック大隊の歴史についての解説文が英語とスペイン語で掲載されている。その下に一曲ごとの参加歌手・演奏家名・担当楽器名などが詳しく書かれてあるのだが、それを見るとこのアルバム収録曲のうち11曲がトラディショナルとなっている。アイリッシュ・トラッドの意味なのか、ラテン・トラッドの意味なのか?それら伝承曲は、曲名も全てスペイン語、歌詞もスペイン語で、しかも音の出来上がりもほぼラテン・アメリカ音楽と言って差し支えないようなものだけど。

 

 

ってことは、以前僕も同じチーフタンズの『サンティアーゴ』について詳しく書いた際(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-6a1d.html)にも強調したし、その他折に触れて指摘しているケルト音楽とラテン音楽の相性の良さを、またまた『サン・パトリシオ』で実感することになっている。いや、あるいは僕はそれらの世界には疎いので、大判の紙に書いてある Trad.というのはひょっとしてラテン・アメリカン・トラッド楽曲に違いないという可能性は十分にある。そのあたりはあまりよく分らないので、どなたか詳しい方にちゃんとしたことを教えていただきたいです。

 

 

『サン・パトリシオ』のオープニング「ラ・イグアーナ」は、やはりこれもパディ・モロニー(とヴォーカルのリーラ・ドーンズ)がアレンジしたトラッドとなっている。リーラ・ドーンズは僕より六歳年下のメキシコ系アメリカ人、すなわちチカーナ(男性形がチカーノ)だ。リズム・スタイルが6/8拍子のアイリッシュ・ジグそのまんまなので、やっぱりアイリッシュ・トラッドなのか?それにしてはリーラがスペイン語で歌っているせいだけじゃなく、全体的に演奏の調子もラテン音楽みたいに聴こえるから、ラテン・アメリカン・トラッドか?複数台のハープが伴奏の中心になっていて、ギター、打楽器、パディ・モロニーのイーリアン・パイプなども入る。

 

 

 

『サン・パトリシオ』二曲目の「ラ・ゴロンドリーナ」もアイリッシュ・ジグ風の6/8拍子だが、これはほぼインストルメンタル演奏で、ロス・フォルクロリスタスがゲスト参加。ロス・フォルクロリスタスとはラテン・アメリカン・トラッドを調査・発掘・実践するメキシコ人音楽集団らしい。この曲もトラッドとの記載だから、う〜ん、じゃあやっぱりアイリッシュじゃなくてラテン・アメリカン・トラッド楽曲なのかなあ?そのあたり、ほぼ知らない無知な僕だけど、聴いて楽しいには違いない。ケルト&ラテン合体トラッドということでどうだろう?

 

 

 

『サン・パトリシオ』三曲目の「ア・ラ・オリーオ・デ・ウン・パルマー」(Orilla だが「オリーオ」と歌われているので)で、ようやくライ・クーダーが登場しギターを弾く。アクースティック・サウンドだが、通常の六弦でもなさそうな響きで、だからメキシコ系のギター族のなにか弦楽器を弾いているかもしれない。しかもこの曲ではリンダ・ロンシュタットがスペイン語で歌っている。これも(リンダがアレンジした)トラッドとなっているが?やっぱりラテン・アメリカン・トラッドかもしれない…、というかそっちの可能性の方がかなり高いように思えてきた。パディ・モロニー以下チーフタンズの面々は、やり慣れたアイリッシュ・トラッドみたいに楽々とこなしているが。

 

 

 

『サン・パトリシオ』五曲目の「エル・チーヴォ」 では、やはりメキシコのバンド、ロス・ チェンソントレスをくわえ、かなり賑やかにやっている。これはもうどこからどう聴いてもラテン音楽が純度100%だよなあと思っていると、特にパディ・モロニーがイーリアン・パイプを吹くパート以後、リズムが二拍子と三拍子の混交ポリリズムになって、表面的には6/8拍子みたいに聴こえはじめる。この(表面的には)ハチロクのリズムはもともとアフリカ音楽に多いもので、アメリカ合衆国のポピュラー・ミュージックだと1950年代あたりからの黒人音楽で増えるようになる。チーフタンズ『サン・パトリシオ』ヴァージョンの「エル・チーヴォ」が YouTube で見つからないが、ロス・ チェンソントレス単体によるこういうのが見つかったのでご紹介しておく。こういうのがあるってことは、『サン・パトリシオ』でトラッドとクレジットされているこれも、やっぱりメキシカン〜ラテン・アメリカン・トラッドに違いないと、もはや確信する以外ない。

 

 

 

『サン・パトリシオ』六曲目の「サン・カンピーオ」で、チーフタンズの作品ではお馴染、スペインはガリシア地方出身のカルロス・ヌニェスが登場しガイータ(ガリシアのパイプの一種)を吹く。これはトラッドではなくパディ・モロニーのオリジナル曲。カルロス・ヌニェスは、アルバム中ほかでは八曲目の「セイリング・トゥ・メキシコ」、ラスト19曲目の「フィナーレ」でも演奏している。「セイリング・トゥ・メキシコ」の方はやはりパディ・モロニーの書いた曲でインストルメンタル演奏。

 

 

 

 

『サン・パトリシオ』七曲目「ザ・サンズ・オヴ・メキシコ」はライ・クーダーのオリジナル曲で、ライがギターを弾きながら自ら英語で歌う。歌詞はやはり米墨戦争とアイルランド人脱走兵たちのことを歌っているみたいだ。ってことはライがパディ・モロニーからこのアルバム制作を持ちかけられて初めて書いたものなんだろうなあ。後半部ではチーフタンズその他の面々がかなり賑やかに入っての演奏になるが、最終盤は再びほぼライ一人でのシットリとしたものになる。最終局面でほんのかすかにストリングスが聴こえる。効果絶大だ。

 

 

 

アルバム『サン・パトリシオ』では、この七曲目ライ・クーダーの「ザ・サンズ・オヴ・メキシコ」が終って、八曲目以後がいよいよ本題に入っているような感じの演唱が続いている。僕の見るところ、クライマックスは三回。一回目が10曲目の「マーチ・トゥ・バトル(アクロス・ザ・リオ・グランド)」。二回目が14/15曲目の「カンシオン・ミクステカ(イントロ)」「カンシオン・ミクステカ」。三回目がアルバム・ラスト19曲目の「フィナーレ」。

 

 

それら以外でも面白いものがあるのでちょっとだけ書いておく。いくつかあるが、一番耳をひくのは12曲目の「ルス・デ・ルナ」だ。これはなんとあのコスタ・リカ生まれのメキシコ人女性歌手チャヴェーラ・ヴァルガースが歌っているものだ。しかしチャヴェーラは2012年に93歳で亡くなっているから、『サン・パトリシオ』収録のこれは最晩年のものだろうなあ。紙にはフィールド・レコーディングと書いてあるのだが、何年頃の録音だろう?完全なるおばあちゃん声に聴こえるから、やはり『サン・パトリシオ』リリースの2010年のちょっと前あたりかなあ?ニール・マーティンのチェロも感動的で、とてもフィールド・レコーディングとは思えない音質だ。エコーもスタジオ録音みたいにかかっている。

 

 

 

これ以外でも面白いものが、上で書いた三回の絶頂ではないもののなかにもあるのだがキリがないのでやめておいて、エクスタシー三回の話をしなくちゃね。まず一回目である10曲目の「マーチ・トゥ・バトル(アクロス・ザ・リオ・グランド)」。リオ・グランデ川が、米墨戦争の際に非常に重要な意味を持っていたことは、調べればすぐ分るので省略。この曲は基本、マーチ調のインストルメンタルだが、そこにリアム・ニースンによる英語のナレイションが入る。その部分では「われら、聖パトリック大隊」という台詞も聴こえ、また演奏にはチーフタンズ以外に、大規模なパイプ集団が参加している。

 

 

 

絶頂二回目の14/15曲目「カンシオン・ミクステカ(イントロ)」「カンシオン・ミクステカ」。いちおうトラックが切ってあるのだが、演奏はどうやら一続きのものだったに違いないと聴こえる。14曲目のイントロ部分ではライ・クーダーの美しいアクースティック・ギター(は普通の六弦のもの)と、ヴァン・ダイク・パークスのアコーディオンとピアノのデュオ演奏インストルメンタル。非常に美しいが、これで泣いてしまっては次の曲へ入ってとんでもないことになる。

 

 

 

一続きになっている15曲目の本編「カンシオン・ミクステカ」。冒頭でスペイン語の数字でカウントを取るのはライの声だろうか?演奏に参加して大々的にフィーチャーされているロス・ティグレス・デル・ノルチ(北の虎たち)は、四人のエルナンデスたち(兄弟や従兄弟など)を中心に構成されている、アメリカ合衆国は北カリフォルニアの街サン・ホセの音楽集団。率いるホルヘ・エルナンデスのリード・ヴォーカルとアコーディオン演奏が見事だ。14曲目のイントロ部分に続けてこれが流れるので、著しく、激しく、感動的だ。

 

 

 

アルバム『サン・パトリシオ』ラスト19曲目の「フィナーレ」。これがアルバム中最も長い約六分間。ここまでアルバムにゲスト参加していたいろんな音楽集団が勢揃いして、入れ替わり立ち替わり演奏。そのたびに曲調もキーもリズムも変化する。ちょっとヴォーカルも出るが、あくまでインストルメンタル演奏がメインになっている。パディ・モロニーの解説文によれば、聖パトリック大隊はアイルランド人たちだったんだから、アイルランド人であるということは、そこに音楽があったことは疑いえない、メキシコの地においてメキシコ人たちと合流して音楽的にも合体して演奏し歌っていたに違いないはずだ、と書かれてある。そんな姿を21世紀に実際の音で聴かせてくれているじゃないか。

 

2017/06/11

乾いた硬質ピアノ・トリオ 〜 チック・コリア

 

 

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本論に関係ないことを最初に書いておく。ブログ記事などは自分で書いて、校正・校閲も自分で施さなくちゃいけない(場合がほとんどだと思う、芸能人のみなさんのことは知りません)ので、その点ちょっと大変かもしれない。僕の場合、過去に雑誌記事や単行本の一部などを書いた経験があり、その際、他者の視点である編集者の校正・校閲の冷徹さ&素晴らしさを実感もしているので、それを自分で書いた文章に自ら行うのは不可能だと分っている。ずいぶんあとになって読み直すと、どうしてこれが見つけられなかったんだ?と不可解千万なことがかなりあって絶望するばかり。書いてアップするのはもうやめたいという気分になるころともある。そのあたり、「自」を徹底して客観視する「他」の視点を持てる書き手こそ一流なんでしょう。僕はあまりにもほど遠い。

 

 

さて、本題。アナログ・レコードで一度も聴いたことがなかったので(最初からブルー・ノート盤だったと思われているかもだけど、違うのだ)、疑わずにこういうもんだと思って買ったチック・コリアのピアノ・トリオ作品『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』のリイシュー CD。僕が持っているのは1998年の米 EMI/ブルー・ノート盤なんだけど、かなりあとになって、これは曲順がメチャクチャだと知った。

 

 

リイシュー・プロデューサーとして名前が記載されているマイケル・カスクーナさんに一度問い質してみたい気分なんだけどね。いまアマゾンでチックの『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』を見てみたら、現行のリイシュー CD ではちゃんとなっているみたいだ。でもたぶん買わないな。iTunes で曲順の並べ替えは自由かつものすごく簡単にできちゃうもん。そうやってオリジナル・アルバム通りにしたプレイリストを聴けばいいんだから。CD だとプログラミング再生することだってできる。

 

 

でもちょっとやっぱりなんか…。チックの『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』は A面B面を言わなければ、オリジナルでは一曲目が「ステップス ー ワット・ワズ」。以下「マトリックス」「ナウ・ヒー・シングズ ー ナウ・ヒー・ソブズ」「ナウ・ヒー・ビーツ・ザ・ドラム ー ナウ・ヒー・ストップス」「ザ・ロー・オヴ・フォーリング・アンド・キャッチング・アップ」になる。

 

 

ところがですよ、僕の持っている1998年のリイシュー CD だと、一曲目が「マトリックス」で、二曲目がなんとボーナス・トラックの「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ」になっている。三曲目以下も同様に、オリジナル・アルバムの曲順を完璧に破壊して並べ、しかもそのど真ん中にどんどんボーナス・トラックをねじ込むという暴挙。オリジナルではオープニングの「ステップス ー ワット・ワズ」が六曲目なんだもんね。

 

 

これ、なんなんですか?カスクーナさん、ちょっと教えてくれ。ある時期のリイシュー CD ではときたまこういうのを見かけたけれど、ここまでひどいのにはなかなかお目にかかれない。この事実を知って以後、僕は Mac にインポートしたそのリイシュー盤であるチックの『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』の曲順をちゃんとしたものに並べ替え、その後それでしか聴いていないもんね。そうすると、CD だけでそのまま、破壊された曲順のまま聴いていた時代とはかなり印象が違って聴こえる。新しい現行のリイシュー CD を買いなさいという意味なんですか、これは?しかし僕はこういうのいっぱい持っているから、全部買い直していたら金銭面でも大変なんですけどねっ。

 

 

愚痴だった。音楽の話をしよう。以下は並べ直したオリジナル・アルバム通りの曲順で、しかも全部で八曲あるボーナス・トラックのことは無視して、全五曲、計41分のアナログ盤(のようなものに似せたプレイリスト)に沿って話を進めたい。この1968年録音のピアノ・トリオ作品って、当時としては聴衆にかなり新鮮な驚きを与えたんじゃないかなあ。68年のチックのこれ以前に、こんなジャズ・ピアノ・アルバムってあったっけ?僕が知らないだけか…。

 

 

一番ビックリするのは(LP だと A 面二曲目だったらしい)「マトリックス」かもしれない。この曲、ちょっと気づきにくいが、12小節でコード進行も定型のブルーズ楽曲なのだ。しかしどこをどう切り取っても(いわゆる)ブルーズがない。そのせいで、大のブルーズ愛好家を自認しながらも、いつも耳はボンヤリしている僕なんか、長年分らなかった。

 

 

 

チックはわざとこんな感じのブルーズ曲を書いてわざとこんな演奏をしているんだろうなあ。ウェイン・ショーターの書いた、やはり12小節定型ブルーズの「フットプリンツ」にもちょっとだけ似ている。あのウェインのも、初演である自己名義録音(『アダムズ・アップル』)も、当時レギュラー・メンバーだったマイルズ・デイヴィス・クインテットでの再演(『マイルズ・スマイルズ』)も、全くどこにもブルージーさがないブルーズだ。

 

 

 

 

だからチックが「マトリックス」をやる二年前にあるにはあったんだよね。しかも「フットプリンツ」の二年後にチックもマイルズ・バンドの正式メンバーになってウェインと共演することになって、1969年のライヴではなんどか「フットプリンツ」も演奏している。録音が残っていて判明している限りでのチックのマイルズとの初共演は、68年9月のスタジオ録音二曲(『キリマンジャロの娘』収録)だから、『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』の録音はそれよりも半年ほど早い。

 

 

『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』ではベースもミロスラフ・ヴィトウスだから、これまた1968年時点では新時代の新感覚ベーシストで、実際、そんなウッド・ベースの弾き方をしている。ドラマーだけがビ・バップ全盛期から活動しているヴェテラン、ロイ・ヘインズ(なんと2017年でも92歳現役!)だけど、ロイはそもそも感覚的、あるいは演奏スタイル的に守旧派じゃないから、チックとヴィトウス二名の演奏にもちゃんとついていっている。

 

 

僕は大のブルーズ愛好家だから、やっぱり二曲目の「マトリックス」にこだわりたい気持があってここまで書いたが、ふつう一般的には、チックの『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』では一曲目の「ステップスーワット・ワズ」こそが目玉だろう。僕もかなり好きだ。前半はやはり(当時としては)ちょっと分りにくいものだったかもしれないが、後半がお馴染のスパニッシュ・ナンバー「ラ・フィエスタ」なのだ。

 

 

 

「ラ・フィエスタ」だというのは、もちろんふざけて言っているだけで、でも手っ取り早くどんな曲(というかパートか?)なのか、ご存知ない方に伝わりやすいんじゃないかと思ってそう表現してみただけ。スパニッシュになるのは中間部のロイのドラムス・ソロを経て 7:33 から。「ステップス ー ワット・ワズ」全体で 13:52 だから半分はスパニッシュ・パートだということになる。いや、ホント「ラ・フィエスタ」に似ているんじゃない?

 

 

1968年3月録音で同年12月リリースだった『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』は、リリース順で言えばチックのデビュー・アルバムになるものだから、ってことはこのピアニストは最初からスペイン志向があったということになるなあ。同じくスペイン志向が強いマイルズが目をつけたのもそれで…、と一瞬思ったが、初起用が同年9月だから、それは見当外れだった。しかし同バンドの前任者ハービー・ハンコックにそんな方向性は、マイルズ・バンド時代も独立後も全然ないので、ちょっとはなにか感じていたかもよ、マイルズも。

 

 

ブルーズとかスパニッシュとか僕自身親しみがあって分りやすいものの話ばかりしているが、チックの『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』を全体的に見渡すと、もちろんそんな方向性の作品だとは言えない。僕のなかではかなり大きな部分になっているが、それだけじゃこのアルバムを聴いたことにはならない。

 

 

1968年当時の新感覚ジャズ・ピアニストだったチックの面目躍如となっているのが、「ステップス ー ワット・ワズ」前半部、「マトリックス」のブルージーじゃないフィーリング、そして(LP だと B 面に行って)全体の四曲目「ナウ・ヒー・ビーツ・ザ・ドラム ー ナウ・ヒー・ストップス」、ラストの「落下と捕捉の法則」 あたりかなあ。後者二曲にはいわゆる通常のテーマみたいなものが用意されておらず、全体が最初から即興演奏だけで組立てられているようだ。

 

 

なかでも四曲目の「ナウ・ヒー・ビーツ・ザ・ドラム ー ナウ・ヒー・ストップス」は、こんな曲題であるにもかかわらず、ドラマーのロイ・ヘインズは半分あたりまで全く出てこない。その間、ベースのミロスラフ・ヴィトウスも不在で、約五分間、チック一人によるピアノ・インプロヴィゼイションが続くのだ。そこが僕はかなり好き。リズム二名が入ってトリオ演奏になってからはそんなに斬新でもない感じで、1960年代には既にたくさんあったようなメインストリーム・ジャズだからイマイチ。

 

 

 

アルバム・ラストの短い(三分もない)「ザ・ロー・オヴ・フォーリング・アンド・キャッチング・アップ」も即興演奏だけで組立てているが、この曲(?)でのチックは、グランド・ピアノという楽器の構造を利用してフル活用しているような演奏だ。鍵盤を叩くだけでなく、いやあまり叩かず、グランド・ピアノの蓋を開けて張ってある弦をそのまま直接なにかではじいているみたいな音の方がメインになっていると聴こえる。ひょっとしたらベースとドラムスの二名は全く参加していないかもしれない。

 

 

 

グランド・ピアノをこんな風に使うのは別にチックがはじめたことなんかじゃ全然ないけれど、でも1960年代末〜70年代初頭時期には似たようなピアノ演奏や、録音技法に工夫を凝らしたようなものがジャズ界にいくつもあったことを考えると、ちょっと面白いことかもしれない。ウェザー・リポートのジョー・ザヴィヌルもやっていた(「ミルキー・ウェイ」など)。チックが1991年のマウント・フジ・ジェズ・フェスティヴァルで、キューバのピアニスト、ゴンサロ・ルバルカバとデュオ共演した際のラスト「スペイン」では、ゴンサロの方があらかじめステージにドラム・スティックを持ち出してピアノの上に置いてあって、曲最終盤でスティックでピアノ本体を叩いて打音を奏でていた。ゴンサロは使う場面があると想定して持ち出していたんだろうか?

 

 

チックの『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』は、全体的に乾いた質感の硬質サウンド。だからもともと湿り気があるのがブルージーな情緒ということになるだろうから、ブルーズ楽曲「マトリックス」で全然ブルージーさがないのは当たり前。それでもちょっとした湿度をほんのりと感じる時間もある。一番はっきりしているのが、上でも触れた「ステップス ー ワット・ワズ」後半部のスパニッシュ・パートと、あとは三曲目のアルバム・タイトル曲「ナウ・ヒー・シングズ ー ナウ・ヒー・ソブズ」がそれ。一番最後のもややスパニッシュ。

 

 

 

しかもこの二曲で聴けるエモーションは、その後のリターン・トゥ・フォーエヴァーにつながっているように僕には聴こえるんだよね。リターン・トゥ・フォーエヴァーはかなり知名度があるから説明する必要はないと思うけれど、ご紹介した曲「ナウ・ヒー・シングズ ー ナウ・ヒー・ソブズ」や、やはり上で音源を貼った「ステップスーワット・ワズ」後半部などは、RTF で聴けるチックのフェンダー・ローズ演奏に似ているじゃないか。

 

 

その後、マイルズ・バンド時代のフェンダー・ローズ演奏は過激で鋭角的に尖っていて、湿り気のある情緒を感じるのは例外的だけど(でも僕はそんな過激なチックもかなり好きだ)、数年してはじめるリターン・トゥ・フォーエヴァー時代にはそんな湿度のあるフィーリングがたくさんあるのを踏まえると、生/電気の違いはあっても、リリース順でのデビュー作『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』は、ちょっぴり先鋭的な部分もありながら、チック本来の持味をも表現していたのかもしれないよなあ。言うまでもないだろうが「いまの」チックに興味はゼロだ。

2017/06/10

アンゴラのセンバってこんなに凄いのか!〜 パウロ・フローレス篇

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僕の場合、今年一月付の Astral さんのブログ(http://astral-clave.blog.so-net.ne.jp/2017-01-13)で知ったアンゴラの音楽家パウロ・フローレスの2013年作。なんだか世界中のありとあらゆるアフロ・ルーツ・ミュージックの最高峰だと激賞してあって、じゃあ聴きたいなと思うものの CD 現物が入手できず。Astral さんは Spotifyでお聴きになったと書いているけれど、今年一月だと僕は Spotify に登録しようかどうしようかと迷っていた時期だ(いまは Spotify のストリーミングでいろんな音楽を楽しんでいる)。

 

 

パウロ・フローレスの2013年作『オ・パイス・キ・ナスシウ・ミウ・パイ』CD はエル・スールに入荷しては即売り切れを繰返していて、僕が買えたのは四月中旬頃のこと。いまエル・スールのサイトを見たらまた再入荷待ち状態にになっているのは、それくらい人気だってことと、そもそもアンゴラ産 CD は数がキープできにくいんだそうで。でも僕も聴いたら一発で KO されちゃって、こりゃ Astral さんのおっしゃる言葉が大袈裟ではないのを実感した。大傑作じゃないか。だからヒバ・タワジの新作のときにも書いたことだけど、興味を持った方はフィジカル現物にこだわらない方がいいかも(と言えるのはヒバもパウロ・フローレスも僕は CD 現物で持っているからかもしれないが)。Spotify や iTunes Store ではあっけないほど簡単に入手できるので。

 

 

さて、マジ大傑作で、どうしてこんなに凄いのか理解すらできないほど凄いパウロ・フローレスの『オ・パイス・キ・ナスシウ・ミウ・パイ』。これはアンゴラ音楽であるセンバというものだそうだ。なんだか最近アンゴラが凄いことになっているぞ、センバの新作がいろいろと充実しているぞとは読むものの、その「センバ」がなんのことだか分らなかった僕。同じポルトガル語圏だし、ブラジルのサンバの親戚なのかなあ?程度の想像しかできていなかった。それにアンゴラのセンバ新作 CD はなかなか入手が容易じゃないしなあ。日本でエル・スール以外に簡単に買えるお店ってあるの?

 

 

それでも(なんでも1970年代からアンゴラにあるらしい)センバがなんのことやら知識ゼロ状態だった僕にとっても、パウロ・フローレスの『オ・パイス・キ・ナスシウ・ミウ・パイ』を一回聴いただけで、な〜んだこりゃ!スゲエ!と感嘆の声を(無音で)自室で上げてしまったくらい口あんぐりだったので、やっぱり音楽知識とか関係ないんだよね。音楽を聴いて感動できる部分や心に触れる部分は、知識とはなんの関係もない。センバってこんなに凄いのかっ!と大感動だった僕は、その後エル・スールで僕に入手可能な範囲でアンゴラのセンバを買っているので、そのうちそんな話もするだろう。なかでもエディ・トゥッサの『カセンベレ』 は特に素晴らしかったので、これだけは絶対に書く。

 

 

パウロ・フローレスの『オ・パイス・キ・ナスシウ・ミウ・パイ』。約70分間のアルバム全編を通し、打ち込みなどのコンピューター・サウンドが聴こえないので、全部人力演奏なのか?と思ってブックレットを見ると、全部で15曲の一曲ごとにパーソネルが記載されている。確かに全部の曲の全員が(電気は使っているものの)人力演奏の楽器を担当している。どうやらセンバはここがポイントらしいんだけど、いまの僕にはそのへんの詳しいことはまだ分っていない。

 

 

しかしなかにはまあまあ大編成の管弦楽が聴こえたりするからなあ。それら全部を生楽器演奏でまかなうとは、アンゴラは、あるいはパウロ・フローレスは、景気いいのか?景気よくなくてもなんらかのこだわりなんだろうね、音楽的な。『オ・パイス・キ・ナスシウ・ミウ・パイ』では、一曲目の「メモリア・ジ・カフェ」からいきなり管弦楽全開で、しかもこのファンクなグルーヴ感がものすごい!ティンバレスも気持いい〜。 YouTube にないが Spotify で「Paulo Flores」で検索すれば一瞬で見つかる。是非ちょっと聴いてみて!

 

 

しかもこの「メモリア・ジ・カフェ」。なんだか哀愁を帯びたような曲調と旋律で、やっぱりちょっとブラジル音楽のサウダージに通じるものを感じるのは僕だけ?ブラジル音楽のサウダージ的なものを感じる曲は、パウロ・フローレスの『オ・パイス・キ・ナスシウ・ミウ・パイ』には他にも何曲もある。五曲目の「カルダ・ダ・マドナ」とか、六曲目の「モルディーダ・ジ・コブラ」とか、八曲目の「ア・カルタ」とか、12曲目の「ルンバ・パパ」とか。

 

 

それらのなかで僕が特に気に入っているのが、ともにアコーディオンの入る八曲目の「ア・カルタ」と12曲目の「ルンバ・パパ」。後者では正確にはアコーディオンではなく teclas とクレジットされているのがそれなんだろうか?知らない楽器だが、調べてみたら鍵盤型の楽器みたい。サウンドだけ聴くとちょっとアコーディオンに近いメロディカみたいな感じの音だ。ってことはリードを鳴らしているのかなあ?う〜ん、分らない。どなたか教えてください。

 

 

八曲目の「ア・カルタ」でははっきり acordeão とクレジットされているが、同時に teclas 奏者もいることになっているので、そのへんはやはり僕には判然としない。がしかし「ア・カルタ」がブラジル音楽でいうサウダージ、なんてもんじゃなく、なんだか哀しみと切なさに満ち満ちているかのようなサウンドに聴こえるのだが、なにかあるんだろうなあ。なお teclas はアルバム中ほかでもたくさん入っているみたいだ(があまり目立たないような?)。

 

 

アルバム五曲目の「カルダ・ダ・マドナ」も切なくて、ポルトガル語の歌詞にではなく旋律の動きに心動かされて泣きそうになってしまう。パウロ・フローレスよ、どうしてこんなに切なく哀しいんだ?この曲では途中なんどか英語で「パパ、ドント・プリーチ」と歌われるけれど、これなんだっけ?むかし聴いたアメリカ人歌手の誰かのなにかの曲にあったような気がするけれども忘れてしまった。最終盤のピアノ・ソロもいい。

 

 

サウダージ的な切なさ・哀しみと重量級ファンク・グルーヴが合体しているのが六曲目「モルディーダ・ジ・コブラ」。打楽器群のアンサンブルは、ドラマーもいいがパーカショニストが特にいい(っていうのはアルバム『オ・パイス・キ・ナスシウ・ミウ・パイ』では他でも多くの曲でそうだが)。一人のパーカショニストしかいないというクレジットになっているが、いくえにも折り重なって聴こえる。が、多重録音ではないかもしれない。

 

 

九曲目「トレム・ダ・シダージ」も素晴らしいグルーヴ感。 ホーン群のアンサンブル・リフの入り方が超カッコイイ、こんなにカッコいいホーン・リフの使い方って、1960年代のジェイムズ・ブラウンとスライ&ファミリー・ストーンとか、70年代のサルサ・ミュージック(そのものみたいな曲が『オ・パイス・キ・ナスシウ・ミウ・パイ』には数曲あるよ)とかでしか僕は聴いたことないなあ。パウロ・フローレスの『オ・パイス・キ・ナスシウ・ミウ・パイ』ではそんなカッコいいホーン・リフが随所で聴けて、しかもストリングス・リフも似たような使い方をしてある。スタッカート気味で入る。最高だ。

 

 

あ、11曲目「マーナ・ベッサ・ンガーナ」もいいなあ、切なげで。この曲にもアコーディオン奏者が参加していて、しかもそのシーロ・ベルティーニ(Ciro Bertini って誰だろう?)の弾くアコーディオンが最高だ。個人的にはパウロ・フローレスのアルバム『オ・パイス・キ・ナスシウ・ミウ・パイ』全体のなかでいちばん好きなのが、この11曲目「マーナ・ベッサ・ンガーナ」最終盤のアコーディオン・ソロだ。そのまま弾きながらフェイド・アウトする。ん〜、もっと聴かせて。この11曲目はアンゴラの伝承曲と記載がある。それ以外は全部パウロ(とその他)の自作みたい。

 

 

13曲目「バツカーダ・ド・デサツラード」では、曲題通り打楽器(は一名しか記載がないが、この曲では間違いなくオーヴァー・ダビングでかなりたくさん重ねてある)オンリー+エレベだけの伴奏でパウロが歌う。かなり賑やかなフェスティヴァル風の一曲で、やっぱりこれもパレードの際に演奏されるブラジルのサンバ・ミュージック風だ。しかしこのジョアン・フェレイラ(Joãn Ferreira)というパーカショニストはタダモノじゃないね。上手い。

 

 

一つ飛ばしてアルバム・ラスト15曲目の「ボーダ」。一番長い八分以上あるし、それだけでなくいろんな意味でパウロ・フローレス『オ・パイス・キ・ナスシウ・ミウ・パイ』の総決算的締めくくりに間違いないはず。こんな感じのリズムやサウンドや、その他諸々一緒くたにしてのグルーヴを「センバ」と呼ぶのか?(旧宗主国ポルトガルから受け継いだのかどうか分らないが)独特の哀感+(こっちはアフリカ音楽独自に違いない)ポリリズミックなサウンド。ひゃ〜、もうタマラ〜ン!

 

 

ただしこのアルバム・ラストの「ボーダ」では、そんな感じの激しい哀感ヘヴィ・グルーヴは 4:55 で終り、その後しばらく無音の空白がある。僕は最初 CD『オ・パイス・キ・ナスシウ・ミウ・パイ』をかけていて、あ、もう終ったんだねと思っていると、アクースティック・ピアノが鳴りはじめ、それ一台の伴奏でパウロが歌うパートが来る。それは「ボーダ」本編とは関係なさそうだから、(トラックは切れていないが)隠しトラックみたいなもんなんだろう。お祭り騒ぎのあとに寂しく一人で振り返っているようなシットリしたもので、約70分間のフェスティヴァルのいい感じのコーダになっている。

2017/06/09

ソニー/レガシーさん、マイルズの「ビッグ・ファン」「ハリ・ウード」を一枚物 CD で出してくれ!

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1973年11月2日に45回転のシングル盤で発売されたマイルズ・デイヴィスのA面「ビッグ・ファン」とB面「ハリ・ウード」(Holly-wuud)。45回転シングルだからどっちも約三分程度(「ビッグ・ファン」が 2:33、「ハリ・ウード」が 2:55)しかないものだけど、僕の見るところマイルズの70年代ファンク最高傑作だ。

 

 

しかしこの二曲、長年アナログ・シングルしかなくて、いいぞいいぞと噂だけ聴いていた僕は悔しくて、最初にその話をなにかで読んだときはまだアナログ・レコード・プレイヤーを持っていたので、東京のいろんなレコード・ショップで探したんだけど見つけられなかったんだよなあ。臍を噬むほど悔しいとはまさにあの頃の僕の気分だ。

 

 

僕が最初にこのシングル盤収録の二曲を聴けたのは、渋谷マザーズで買ったブートレグ CD『アナザー・”アイル・オヴ・ワイト”&リアル・ベルリン・’73+B ・B ・キング』というものでのこと。何年頃だっけなあ、20世紀末か21世紀頭か、そのあたりだ。このブート盤の目玉は、間違いなくラストに収録されている1973年11月13日に B ・B ・キングのバルセロナ公演にマイルズが飛び入り共演した一曲だろうが、僕はそんなもの眼中になく。五曲目「ハリ・ウード」、六曲目「ビッグ・ファン」ばかり繰返し聴いていた。

 

 

今日の本題に関係があるように思うので、ブート盤だけどちょっと書いておくと、この『アナザー・”アイル・オヴ・ワイト”&リアル・ベルリン・’73+B ・B ・キング』には他にも四曲、1970年代に45回転のいわゆるドーナツ盤でリリースされたマイルズ音源が収録されている。四曲+二曲どころじゃなくもっとたくさんあるのだが、ソニー/レガシーが公式 CD 化しているのは、いまだ「ビッグ・ファン」「ハリ・ウード」だけだよなあ。どうして全部 CD で出さないのか?

 

 

どうして?という理由は、しかし僕にはちょっと分るような気がするのも確か。「ビッグ・ファン」「ハリ・ウード」二曲は本当に1973年リリースのシングル盤しか存在せず、その後どんな公式 LP、CD にも収録されないまま21世紀になっていたものだから、2007年の『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』に入れたんだろう。その際に、この二曲のソースになった約七分間の元テイクも同時収録された。だがしかしこの二曲以外のマイルズのシングル盤は、全て発売済みのレコードに収録され CD にもなっている長めの曲を、45回転シングル用に短めに編集しただけのもの。完全に未知のものというわけじゃないのだ。

 

 

僕が推測するにたぶんそんな理由で、いまだに「ビッグ・ファン」「ハリ・ウード」二曲以外のマイルズ・シングル音源が公式未 CD 化なんじゃないかと思うんだけどね。でも1970年あたりからは音楽家本人の意向も汲んでなのか、あるいはコロンビアの単なる商略だったのか、たくさんの数の45回転シングル盤でマイルズが出ていて、LP を買う経済力の弱い若者向けとか、あるいはジューク・ボックスに入れてもらえるようにとか、そんな目的もあってか(ジューク・ボックスには実際入っていたらしい)、何枚もあったんだよね。当時のアメリカでマイルズのそれらシングル盤がどう受け止められていたのか、アメリカ人のほとんどどなたもまだ文章にしてくださらないので分らないが、ちょっと面白そうな事実じゃないだろうか?

 

 

ふつう1950年代あたりからのジャズ(畑の)音楽家って、LP レコードこそがメインの商品だからね。LP でこそ自らの音楽をフルに表現できるのだ、ライヴ・コンサートに来てもらう以外の録音・再生メディアでは LP 以外考えられないとジャズ音楽家は思っていたんじゃないかなあ。そしてそれは CD メディア、次いでネット配信メディアが主流になった現在でも、ジャズ音楽家はみんなアルバムしかリリースしないから、やはり変わっていない。シングルをリリースするのって、ポップ・ミュージックの世界、日本なら歌謡曲とか演歌の世界とかだけだよね。

 

 

ジャズだって本当はポップ・ミュージックだっていう、この類の話は突っ込んで考えるとちょっと難しそうそうなので、別の機会に改めたい。今日話題にしたいのは、マイルズ1973年のシングル曲「ビッグ・ファン」「ハリ・ウード」と、そのソースになった約七分間の「ビッグ・ファン/ハリ・ウード {テイク3]」 のことだけだ。上述の通りこれら3トラックは、いまでは公式盤『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』で問題なく聴ける。

 

 

前々から繰返すように1970年代のマイルズは、発売時にどうなるかなどは全く考えもせず、気の向くままスタジオ・セッションを行っては録音していたので、レコード発売するとなったときにそれを調整するのは、かなり大きな部分がプロデューサー、テオ・マセロの役目だった。マイルズが当時のレギュラー・バンドで「ビッグ・ファン/ハリ・ウード」(という曲名は、シングル盤についたタイトルから遡及しただけのものだが)を録音したのは1973年7月26日。『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』ではテイク2とテイク3の二つが収録されている。ってことはテイク1もある(あった)ってことだよなあ?う〜ん、聴きたいぞ。

 

 

「ビッグ・ファン/ハリ・ウード」テイク2の方は、主にデイヴ・リーブマンのソプラノ・サックス・ソロをフィーチャーする内容で、終盤部でちょっとだけマイルズのソロも出るが短くてすぐに間に終わってしまう。あまり面白くないんだよね。でも曲のキーもテンポもリズム・フィールも、既にテイク3(からシングル盤二曲が編集された)と同じものになっているのは分る。特にドラマー、アル・フォスターの叩き方などは完璧に同じだ。

 

 

 

しかしこれがテイク3になると一変して、最初からボスの電気トランペット・ソロが出て三分間以上続き、次いでデイヴ・リーブマンのソプラノ・サックス・ソロ、ピート・コージーのギター・ソロ(がマイルズのスタジオ録音で聴けるのはこれだけのはず)と続く。書いたようにリズム・セクションの演奏はテイク2とほぼ同じ。レジー・ルーカスのギター・カッティングとアル・フォスターのハーフ・オープン・ハイハットがキモチエエ〜!

 

 

 

さて、これから編集されたシングル盤二曲も、まず最初にご紹介だけしておこう。

 

 

A面「ビッグ・ファン」https://www.youtube.com/watch?v=li_wtDFRRP0

 

 

 

ソースになった元音源「ビッグ・ファン/ハリ・ウード {テイク3]」のどこをどう切り取って二つのシングル曲にしてあるのかは、聴いていただければ僕がなにも説明する必要はない。ただ唯一いまでも個人的に判然としないことがある。それはエムトゥーメのコンガの音だ。シングル二曲ではあれだけ鮮明に聴こえるエムトゥーメのコンガが、ソースの「ビッグ・ファン/ハリ・ウード {テイク3]」ではほとんど(全く?)聴こえない。ミキシングの際に手を入れたってだけだろうが、それでここまで違うものなのか。ないものが出てきている。シングル二曲ではあのコンガぽんぽんがかなり気持いいから、元音源でも聴けたら文句なしだったんだけど、『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』収録の際には誰がミキシング担当だったんだろう?プロデューサーがボブ・ベルデンとマイケル・カスクーナであることしか記載がないが。

 

 

まあいい。出来上がりで判断すると、どう聴いてもシングル二曲「ビッグ・ファン」「ハリ・ウード」の方がカッコイイじゃんねえ。三分未満というコンパクト・サイズにまとまっているせいで、もっぱらマイルズのトランペット・フィーチャーになっているのもいい。レジー・ルーカスのギター・カッティングから部分的にコピー&ペーストしてイントロ部に持ってきているのも気持いい最高のアイデア。さすがは70年代当時のテオ・マセロだ。書いたようにエムトゥーメのコンガの音を目立つようにミックスしたのも成功している。

 

 

僕が強調したいのは、ソースである「ビッグ・ファン/ハリ・ウード {テイク3]」では、やっぱりちょっとヘヴィで引きずるようなモッタリしたグルーヴ感だったのが、シングル曲になった二つを聴くとそれが消えて、かなり軽やか・爽やかなファンク・ミュージックに仕上がっているように僕の耳には聴こえるんだけど、みなさんどうですか?同じ演奏なのに、ミキシングと編集でこんなにも違っちゃうんだねえ。

 

 

シングル二曲「ビッグ・ファン」「ハリ・ウード」は、言ってみればファンク・ミュージックに宿命的につきまとう汗臭さ、体臭、暑苦しさみたいなものを抹消したような爽やかな清涼ファンク。探してもこんなのはなかなかないんだよね。もちろんファンクは臭い・暑苦しいからこそ楽しいのであって…、と思われるだろう。マイルズ・ファンクは、そこいくとファンクじゃない、失格だと、そうなっちゃうよね。でも僕はメチャメチャ好きなんだ、この二曲のシングル・チューンが。直接は聴かないだろうけれど、45回転のドーナツ盤現物も手に入れたいところだが、ちょっと難しそうに思える。

 

 

最後にソニー/レガシーさんに宛てて強いお願いを書いておく(どうせどなたも読むわけない)。この二曲「ビッグ・ファン」「ハリ・ウード」は、現在のところ『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』六枚組にしか収録されていません。この二曲に興味を持った音楽リスナーにとって、六枚組ボックスを買えというのはあんまりな仕打ちじゃないでしょうか?たった二曲だけのために、いくらそれが最高だとはいえ、それだけのために六枚組ボックスを買ってくれとは言えないんですよ。試聴できたらこ〜りゃカッコイイぞ!となるのは請け合いの二曲なのに、六枚組でしか聴けないなんて。ですから、この二曲と、それから他のもの、例えば1970年代に何枚もリリースしたマイルズのシングル・ナンバーの数々をあわせて、一枚物の CD でリリースしてもらえないでしょうか?あるいは「ビッグ・ファン」「ハリ・ウード」二曲だけの CD シングルで十分オッケーだと思います。是非!是非!前向きにご検討ください!

2017/06/08

ド田舎の生のブルーズで踊ろうよ

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1990年代後半は本当にファット・ポッサム・レーベルのブルーズにどハマりしていた、なんてもんじゃないくらいだったので、いろんな CD を買った。一部例外を除き10年以上振り返りもしなかったのだが、二年ほど前から音楽についてたくさん書くようになって、また引っ張り出して聴きなおすことになっている。90年代後半のファット・ポッサム・ブルーズのなかでも特に異彩を放っているのが T-モデル・フォード。笑っちゃうよね、このステージ・ネーム。T 型フォードとは、もちろんあのアメリカ産自動車の名前だ。

 

 

僕は二枚だけ買っていまでも持っている T-モデル・フォードのアルバム。1997年のデビュー作『ピー・ウィー・ゲット・マイ・ガン』と次作98年の『ユー・ベター・キープ・スティル』。どっちもなんだか恐ろしそうなアルバム名だよなあ。表ジャケットの印象とあいまって、なんなんだこのブルーズ・マンは?怖い人なのか?とジャケットを眺めながら音だけ聴いていた頃はぼんやりと想像していたのだが、実は全くそんな人ではなかった。

 

 

何年のことだったか、新宿でやっていた例のパークタワー・ブルース・フェスティバルで来日した T-モデル・フォード。終演後に出てきた本人に話しかけ、一緒に行ったブルーズ好きの友人とともにちょっとだけ話をしたみたら、全然恐ろしくもなんともない気さくな人で、にこやかに笑みを浮かべながらフレンドリーにしゃべり、しかもど田舎の人のいいオッサンというような印象だった。

 

 

だからファット・ポッサムからリリースされた CD アルバムは、ブルーズ・ミュージックにむかしからつきまとうある種のイメージを利用しただけってことなんだろうね。それが分って『ピー・ウィー・ゲット・マイ・ガン』と『ユー・ベター・キープ・スティル』を聴きなおすと、確かに音楽も全く恐ろしいものじゃない普通の純朴な田舎ブルーズだ。それも相当にプリミティヴな感じの生のブルーズ。

 

 

T-モデル・フォードは、例のドキュメンタリー・ヴィデオ『ジューク』に登場するので、それで名前が知られるようになった人らしい。あのヴィデオ『ジューク』と、ミシシッピ州ヒル・カントリーのブルーズと、それを録音し発売するファット・ポッサムという会社の関係などについては、僕はあまりよく知らない。『ジューク』を観ていないからだ。渋谷警察署裏にあった時代の渋谷サムズで VHS を見かけたようなかすかな記憶があるが、買わなかった。持っていないもん。いま考えたら買っとけばよかったなあ。DVD になってないかなあ。

 

 

『ピー・ウィー・ゲット・マイ・ガン』と『ユー・ベター・キープ・スティル』の二枚しか聴いていないのでその話しかできないが、これら二枚で聴ける T-モデル・フォードのブルーズは、CD でたくさん買ったファット・ポッサムのブルーズのなかでもいちばん純朴な部類に入る。しかもギターもヴォーカルも下手くそだ。ブルーズの本場アメリカになら、この程度やれる黒人はアマチュアでもたくさんいるはず。

 

 

そんな人でも CD、それもフル・アルバムを何枚もリリースできたんだから、あの1990年代後半は人気があったんだよなあ、ミシシッピ州ヒル・カントリーのプリミティヴ・ブルーズと、それを CD にするファット・ポッサムが。しかしはっきりさせておきたいが、ブルーズとか(ロックンロールもそうだが)は、そんな下手くそなアマチュアのそこいらへんの兄ちゃんがちょっとやってみる 〜 そういう部分にかなり大きな魅力と意義がある音楽だ。

 

 

T-モデル・フォードの『ピー・ウィー・ゲット・マイ・ガン』と『ユー・ベター・キープ・スティル』。二枚とも主役のギター&ヴォーカルにくわえ、サイド・マンがドラマーだけというかなりシンプルな、というかプリミティヴな編成。ときどきオルガンみたいなキーボードの音も聴こえるがオマケでしかなく、基本的にはとことんギター&ヴォーカル+ドラムスでやっている。

 

 

二枚とも演奏曲目は、一曲を除き、いちおう T-モデル・フォードにクレジットされている自作ブルーズだけど、オリジナリティみたいなものは僕は全くと言っていいほど感じない。ミシシッピ州の田舎のジューク・ジョイントなどでなら、いろんなブルーズ・メンがやっていそうなごくごく当たり前のものばかり。さらに12小節3コードの定型でもない。自在に変化しているが、それもまたカントリー・ブルーズでなら当たり前に全員そうだ。

 

 

一曲を除きというのは、『ユー・ベター・キープ・スティル』の八曲目が「ジ・オールド・ナンバー」という身も蓋もない曲名になっていて(笑)、CDジャケット裏には T-モデル・フォードがアレンジしたトラディショナルと記載がある。これは例の「キャットフィッシュ・ブルーズ」に他ならない。しかもギターのパターンは、この伝承ブルーズのマディ・ウォーターズ・ヴァージョンである「ローリン・ストーン」から引っ張ってきている。だからアレンジメントも T-モデル・フォードのものじゃないじゃんねえ。

 

 

 

T-モデル・フォード→ https://www.youtube.com/watch?v=P1Qgv-l4lJU

 

 

これ以外の曲は、『ピー・ウィー・ゲット・マイ・ガン』と『ユー・ベター・キープ・スティル』二枚では自作扱いとなっているのだが、いろんな意味で聴き憶えがあるようなものが並んでいる。それも相当に「生」なフィーリングのブルーズで、たぶんアメリカ南部の田舎町のジューク・ジョイントではこんな演奏が聴けて、みんなこういうのに合わせて踊っているんだろうと容易に想像できるもの。

 

 

実際二枚とも収録曲のほぼ全てがビートの効いたダンス・チューンだ。T-モデル・フォードのことを下手くそだと今日繰返している僕だけど(本当はそんなに下手でもないのだが、アメリカにはもんのすごく上手いブルーズ・メンがいっぱいいるから)、このダンサブルなフィーリングは素晴らしい。ギターもヴォーカルも(なかにはインストルメンタル・ナンバーもあり)かなり乱暴で生だけど、グルーヴ感の持続が気持いい。

 

 

だからそういった T-モデル・フォードみたいな人のブルーズは、CD で音だけ聴いて、単に部屋などで座って動かずに耳を傾けるだけじゃあ、どうもイマイチ面白くないと思うんだよね。アメリカ南部の田舎町のジューク・ジョイント現場で体験するのがなかなか難しいわけだから CD で聴くわけだけど、それもやっぱり聴きながら部屋のなかで踊ったり、踊らなくても膝や肩を揺すったり手を動かしたりして、一緒に身体運動すると楽しいのだ。

 

 

北部の都会で、座って聴くだけの聴衆を想定してレコード吹込みしたようなブルーズ・ウィミン(の方がメンより先だった)たちのものと違って、南部の田舎町であまり姿を変えずに保たれてきているようなジューク・ジョイント・ブルーズって、座って聴くためだけの音楽(はかなり好きなんだけど)じゃない。ダンス・ミュージックだもんね。この点においてなら、T-モデル・フォードのブルーズも一級品だ。

2017/06/07

サムのナチュラルでナイーヴなヴォーカル表現 〜『コパ』

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サム・クックのライヴ録音。ソウル・スターラーズ時代に三曲だけあるものの話は、このブログでも以前書いたので、以下をご参照いただきたい。それら三曲はサム在籍時のソウル・スターラーズ完全集 CD 三枚組ボックスの末尾に収録されているものだ。かなり凄いぞ。音源もご紹介してある。

 

 

 

それら三曲を外すと、ゴスペル時代、ポップ(ソウル)時代の別を問わず、サム・クックのライヴ音源は、アルバム二枚分しかない。録音順だと、1963年1月12日公演の『ライヴ・アット・ザ・ハーレム・スクエア・クラブ 1963』。そして64年7月7&8日公演の『サム・クック・アット・ザ・コパ』。たった二枚しかないのかよ…。しかもどっちも40分前後の長さしかないので、iTunes のプレイリストで合体させて(いるよ、僕はね、だって続けて聴きたいもん)みても、合計でたったの1時間11分。たったこれだけかよ…。早死したからしょうがないけれど、サムのライヴ、もっともっとたくさん聴きたかった。僕は大のライヴ・アルバム愛好家だからね。

 

 

しかしこれら二枚、リリース順だと逆になる。また『ライヴ・アット・ザ・ハーレム・スクエア・クラブ 1963』の方にはややこしい事情があるみたいだ。先にリリースされたのは『サム・クック・アット・ザ・コパ』の方で、これは録音直後の1964年10月にレコードが出ている。しかし『ライヴ・アット・ザ・ハーレム・スクエア・クラブ 1963』の方は、一年先に録音したにもかかわらずお蔵入り。初リリースは1985年だったのだ。

 

 

さらに、ハーレム・スクエア・クラブでのサムのライヴ録音盤は、僕の知る限り三種類ある。演唱本体はもちろん同じだが、少しずつ、いや、かなりミックスが違っているのだ。そのせいで僕は三つとも買う羽目になった。最初のものが1985年初リリースの『ライヴ・アット・ザ・ハーレム・スクエア・クラブ 1963』。二番目が2000年リリースの CD 四枚組ボックスのベスト盤『ザ・マン・フー・インヴェンティッド・ソウル』。これの四枚目にハーレム・スクエア・クラブでのライヴがフル収録されている。三つ目が、いまはこれが標準なのかな、2005年リリースの『ワン・ナイト・スタンド!:サム・クック・ライヴ・アット・ザ・ハーレム・スクエア・クラブ』。

 

 

1963年ハーレム・スクエア・クラブでのサム・クックのライヴ公演。演唱自体が同じで、ミックスがどう違っているかなどを克明に記そうとすると面倒くさいことになってしまうので手短かに書くと、一番目の1985年盤は「やかましい」。特にオーディエンスの反応がかなり大きめに聴こえる。二番目の2000年ボックス収録のものはそこを修正して、バンドの演奏とサムの歌を前面に出しそれにフォーカスしているが、今度は反対にライヴならではの臨場感が弱い。いまではたぶん標準視されているだろう2005年盤は、それら二つの「真ん中」あたりでちょうどいい感じのミックスに仕立て上げている。

 

 

音楽そのものには特に深い関係がないかもしれないことだったな。とにかくサム・クックのライヴ・アルバム二枚にかんし、いまの僕が一番気に入らないのは世評だ。『ザ・ハーレム・スクエア・クラブ』の評価が異常に高く、それに比べたら『コパ』の方は不当に下に置かれているじゃないか。冗談じゃない。どっちも素晴らしいサムの歌だよ。この世評のギャップはアメリカ黒人音楽の世界にまつわる、ある種の思い込み、はっきり言えば偏見に基づいているように、僕には見える。

 

 

録音は先だった『ザ・ハーレム・スクエア・クラブ』はマイアミにある同名の場所でのライヴだが、ここは、アメリカ黒人音楽愛好家には説明不要だが、いわゆる<チトリン・サーキット>の一つなのだ。アメリカ黒人音楽家が、同胞黒人を観客として、そういう人たちが集まって彼ら用に音楽娯楽を提供する場所なんだよね。同じ黒人たちがオーディエンスで、そういう場所だからこそ、サム・クックも<本来の>熱い姿を発揮できた 〜 そう考えられているんじゃないの?

 

 

一方、約一年後の録音である『コパ』。こっちはニュー・ヨークにあるコパカバーナという場所での公演で、コパカバーナは高級サパー・クラブであって、オーディエンスもお金持ちの白人層。そんなところで歌わなくてはならないサム・クックは黒人なわけだから、なんというか、白人向けに音楽の濃厚さを薄めて、いわば<迎合して>、受け入れられやすいようにマイルドに歌った、 だからアメリカ黒人歌手本来の姿は捉えていない 〜 そう考えられているんじゃないの?

 

 

ふ〜ん、アホくさ。冗談じゃないぜ。サム・クックみたいな音楽家については、そんな考え方がいちばん無意味である。それはサムの音楽キャリア全体を見渡せば理解できるはずだ。だいたいどうしてゴスペル界でアイドル的人気だったにもかかわらず、それを<捨てて>まで世俗界の歌手としてスタートすることにしたのか?この一点のみを深く考えてみれば、僕の言いたいことは分っていただけるはずだ。

 

 

つまりサム・クックは、黒人といえどアメリカ社会で白人と同じ扱いを受けるべきだ、そうでないと世の中オカシイだろう、みんな同じアメリカ人じゃないか、どうして僕たち黒人はこんな理解不能な冷遇状態にあるんだ?という、たぶん21世紀のいまでもやはり解決していない問題を、音楽と、そして一見それとは無関係そうな言動で鮮明に示した人物であり歌手なんだよね。ここが分ってないと、サムの歌は理解できない。あの「ア・チェインジ・イズ・ゴナ・カム」 という名曲をどうして書いて歌ったのかも分らないだろう。

 

 

これを踏まえれば、チトリン・サーキットでの公演であろうと白人向け高級サパー・クラブでの公演であろうとサム・クックは区別せず、<同じ>音楽・歌を披露したのだと分るはずだ。実際、あまり変わらないしね。さらにもう一点、この事実と密接に結びついている歌手としてのサムの資質にも言及しなければならない。

 

 

それはサム・クックの場合、人種は関係ないクロス・オーヴァー・ヒットを飛ばせる歌手になりたい、自分はポップ歌手だ、目標はナット・キング・コールだっていう、そんな歌手だったもんね。そして実際、多くの曲がリズム&ブルーズ・チャートだけでなくポップ・チャートをも上昇した。このことはサムの発声法・歌唱法とも深い関係がある。スムースでなめらかで綺麗な声でストレートに歌うのがサム。いかにも黒人歌手だというアクの強さは必ずしも前面に打ち出さない。それがサムのやり方だ。

 

 

正直に告白するが、だからアメリカ黒人音楽愛好家の僕は、そんな柔らかいマイルドな感じのサム・クックのヴォーカルが、ゴメンナサイ、(一部例外を除き)あまり好きではなかったのだ。ちょっとこれは黒人歌手にしてはスムースすぎるんじゃないの?歯ごたえがないなあとか、そんな気分が最近まで続いていて、この考えがガラリ180度変化したのは、なんの関係もなさそうだが、鄧麗君(テレサ・テン)と、今年になってちゃんと知った岩佐美咲のおかげなのだ。

 

 

鄧麗君と岩佐美咲は、たぶん直接的にはサム・クックと深い関係はないので、詳しいことは割愛する。どういうことなのか、詳しいことを読みたいとお考えの方は、Google 検索で「歌手は歌の容れ物 black beauty 」の文字列で検索していただければ全部出る。とそれだけで済ませるのもちょっと愛想がないので少し書くと、鄧麗君や岩佐美咲(この二名の資質はほぼ同じ)みたいな、全くアクのないスムースで柔らかい発声と歌い廻しで、曲の持味をそのままストレートに表現するナイーヴな表現法に惚れてしまったのだ。それで僕の音楽観が一変してしまった。わさみん、ありがとう、感謝しているよ。

 

 

そうすると、いろんな他の歌手や、場合によっては楽器奏者ですらも、鄧麗君や岩佐美咲と同質の人たちこそ真に輝いていると、ポピュラー・ミュージックの真の魅力とはアクの強い<個性>なんかじゃないんだ、いわば無個性みたいな無色透明容器になりえる歌手や音楽家こそが本当に素晴らしいのだと、心の底から信じ込むようになっている。

 

 

それでですね、サム・クックのあのスムースで柔らかい声質と歌唱法、あまり露骨にグリグリとはコブシを廻さない(よく「ウォウウォウ」とやっているが、あれはいわゆるコブシとかメリスマとかいうものではないだろう)ようなナチュラルなヴォーカル表現こそが、コブシを廻しに廻しまくって、声を濁らせるだけ濁らせて歌う(という歌手はやっぱりいまでも大好物だけどね)人たちよりも、一層深くて広い世界を表現して、僕たち聴き手に歌の本質を伝えてくれているんじゃないかなあ。

 

 

サム・クックがここまで考えて、ああいった声の出し方や歌い方を確立したのか?それでポップ・ヒットを飛ばしていたのか?それで金持ち白人向け高級サパー・クラブにまで出演したのかどうか?とお疑いになる方が、あるいはひょっとしたらいらっしゃるかもしれないけれども、言っておくがサムは相当に強い<自覚的な>音楽家なのだ(詳しく説明する気はない)。だから自分がどういう声とどういう歌い方でどう歌ったときに、リスナーやオーディエンスにどういう反応が出て、結果的にどうなるかなどなどは明確に把握していたはず。

 

 

さて、普段の僕にしてはありえないことだが、ここまで音楽自体というか、アルバムや曲の中身についての具体的な記述が全くない。サム・クックの『サム・クック・アット・ザ・コパ』と『ライヴ・アット・ザ・ハーレム・スクエア・クラブ 1963』について詳細に説明する余裕がもはやあまりない。僕の実感を一つ書いておくと、先に録音された『ハーレム・スクエア・クラブ』で聴けるサムは確かに熱い。観客もいかにもチトリン・サーキットだと思える熱狂を示している。しかし、今日書いてきたような真実を踏まえれば、これ「だけ」がサムの真の姿で、『コパ』なんか借りてきた猫だとみなすのが、いちばん無意味なのだ、サムの場合はね。

 

 

そんな意義みたいなものばかりじゃない。『コパ』で聴けるサム・クックの歌は、実際、素晴らしいじゃないか。弘法筆を択ばず。超一流はなにを使ってどこでどうやろうと立派な結果を出せる。サムもそんな一人だ。どっちかというと『コパ』の方が好きになってきている理由の一つは、先ほど書いたように鄧麗君や岩佐美咲などにも通底するナチュラルでスムースなヴォーカル表現が聴けるからというのが最大のものだけど、もう一つ、やっぱり僕はジャズ・ファンなんだよね。

 

 

『コパ』でのサム・クックは、適切な表現かどうか分らないが、まるでジャズ・シンガーみたいじゃないか。そもそもサムはそういうあたりが目標だったんだし、 『コパ』では歌い方がそうであるだけでなく、演目もジャジーだ。どの曲がジャズ(やそれと密接な関係があった時代のブルーズやポップなど)と関係あるのかなんて書いておく必要はないはず。僕がいちばん嬉しいのは八曲目の「ウェン・アイ・フォール・イン・ラヴ」だ。いまの、ちょっと前からの、僕の気分にまさにピッタリだというのもある(「僕が恋に落ちるなら、それは永遠にだよ、そうじゃなければ決して誰とも恋をしない」云々)。がしかしそれ以上にこの曲はマイルズ・デイヴィスもやっているし、いろんなジャズ演奏家・ジャズ歌手が無数にとりあげているスタンダードだからだ。

 

 

『コパ』でサムが歌う「ウェン・アイ・フォール・イン・ラヴ」は、ジャズ歌手でも滅多にやらないヴァース部分から歌いはじめているのも僕好み。リフレインに入ってホーン・アンサンブルも聴こえはじめ、お馴染のメロディで「僕が恋に落ちるなら、それは永遠に…」などと歌いだしたら、もういまの僕は泣きそうになってしまう。泣きそうになってしまうのは、サムの声と歌い方がストレートでナチュラルでナイーヴだからだよ。聴き手の心にそのままスッと染み入るような、感情移入しやすい表現をしているからだよね。大衆音楽界では、そういう歌手こそホンモノなんじゃないの?

 

 

今日は『ライヴ・アット・ザ・ハーレム・スクエア・クラブ 1963』のことは本当に一行も書けなかった。がこれにかんしては、本当に評価が高いのでいろんな人がたくさん褒めまくっている。人気も高い。僕も書きたいことがいくつもあったのだが、まあ今日のところは書かなくても OK だろう。これに比べて不当に過小評価されている『サム・クック・アット・ザ・コパ』の方を、みなさんもっと聴いてください!

2017/06/06

クーティ・ウィリアムズ楽団のジャンプ録音

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「クーティ ジャンプ」で Google 検索すると、僕が書いた2015/09/29付のこのブログ記事(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-86c2.html)しか出ないのだが、英語で検索すれば少しは出てくるはずと思ってやってみたら、今度はこのトランペッター関連の文章が全く出てこないぞ。う〜ん、どうなってんのこりゃ?クーティ・ウィリアムズ楽団のあの1940年代後半録音って、そんなに無視されたままなの?イカンなあ。

 

 

というわけで今日はそのあたりをちょっと書いてみようと思う。つまりジャンプ・ブルーズ(=ジャズだが)やリズム&ブルーズをやっていた時期のクーティ・ウィリアムズ楽団の音楽の話を。実はこのへん、なかでも1947〜49年に11トラック(一個は同じ曲のパート1とパート2)あるマーキュリー・レーベル録音は、熱心なブラック・ミュージック愛好家のなかでは、以前から愛聴されていた。本格的なきっかけは、1995年リリースの例のラジオ型のボックス『ブルーズ、ブギ、&バップ:ザ・1940s ・マーキュリー・セッションズ』CD七枚組だろう。これの六枚目にクーティ楽団のマーキュリー録音全11トラックが収録されている。

 

 

その後、僕は仏クラシックス・レーベルが年代順にリイシューしたクーティ・ウィリアムズ楽団の1940年代後半録音二枚を買って、現在までの最高の大好物。二枚に分れていて『1945 - 1946』『1946 - 1949』。40年代前半の同楽団録音が、やはりクラシックスからリリースされているのだが、僕は持っていない。手遅れだったのだ。また50年代に入ってからの同楽団は、さらにディープなリズム&ブルーズをやっていたらしいが、それはどこがリイシューしているんだろう?見つけられないから、ひょっとしていまだに未復刻…、なんてことはないよねえ?

 

 

クラシックスがリイシューしたクーティ・ウィリアムズ楽団の『1945 - 1946』『1946 - 1949』二枚で、計44曲、2時間11分。一度に全部をとりあげるのは僕には不可能なので、収録順=録音順にかいつまんで書いていこう。まず『1945 - 1946』の方で最初にオッ!これは!と思うのが三曲目の「ジュース・ヘッド・ボーイ」だ。1945年5月29日キャピトル録音。ボスのトランペット・グロウルもいいが、それ以上にフル・バンドでのこのノリ、特にリズムのディープさを聴いてほしい。これはもう確かにいわゆる「ジャズ」とは呼べないかも。でもジャズ・ファンのみなさんにも聴いてほしい。なぜならば、ジャズから流れ出てきたものに間違いないからだ。

 

 

 

フル・バンドでのジャンプ・サウンドがよく分るのが、『1945 - 1946』六曲目の「ハウス・オヴ・ジョイ」。やはり1945年のキャピトル録音。45年当時なら最も激しくジャンプしまくっていたものの一つじゃないかなあ。こりゃまあ確かにねえ、純粋芸術志向のジャズ専門家が眉をひそめるのは理解できないでもない。

 

 

 

『1945 - 1946』14曲目の「スティンジー・ブルーズ」。1946年1月29日のキャピトル録音で、前述の「ジュース・ヘッド・ボーイ」と同系統の深いノリを持つスロー・ジャンプ(or リズム&ブルーズ)。いいなあ、これ。最高じゃないか。普通のジャズ・ファンのみなさんも楽しんで聴いてくれたら、僕は最高に嬉しい。

 

 

 

『1945 - 1946』には、デューク・エリントン楽団時代のレパートリーが一曲だけある。16曲目の「エコーズ・オヴ・ハーレム」。エリントン楽団は1936年にクーティ・ウィリアムズをフィーチャーするものとしてこれを書き、同年2月27日に ABC レーベルにこれを録音。ABC はコロンビア系なので、モザイクがコンプリート・リイシューした CD11枚組で聴ける。こういう普通の(でもない?)ムーディなジャズ・ナンバーだ。

 

 

 

これをクーティ・ウィリアムズは自楽団で1946年1月29日にキャピトルに録音。基本的にはエリントン・アレンジに沿いながら、しかしフィーリングの猥雑さをグッと増し、ジャイヴィなヴォーカル・コーラスも背後で入れたりもしながら再演した。自身のワー・ワー・ミュート・トランペットでのグロウル具合も、エリントン楽団でのものより、一層激しい。

 

 

 

二枚目『1946 - 1949』の方がもっと楽しいので、こっちの話もしなきゃね。二曲目のスロー R&B ナンバー「エイント・ガット・ノー・ブルーズ・トゥデイ」。歌っているのはトランペット・セクションの一員ボブ・メリル。オブリガートは当然ボス、クーティ・ウィリアムズだろうね。ちなみにクーティ自ら歌うものが一曲だけあって、『1945 - 1946』のラストに収録されている。甘い感じでなかなか悪くないんだよ。

 

 

 

 

『1946 - 1949』では、3曲目の「ブリング・エム・ダウン・フロント」(1946/9/11、キャピトル)とか、18曲目の「レット・エム・ロール」(49/3/2、マーキュリー)とか、20曲目の「マーセナリー・パパ」(49/9/20、マーキュリー)とか、21曲目の「ドゥーイン・ザ・ゲイター・テイル」(同)とか、このあたりは、もうロックンロール誕生だと呼びたいほどだ。念押しするが、もともとピュア・ジャズの世界のトランペッターなんですけどね、クーティ・ウィリアムズは。

 

 

 

 

 

 

僕にしては短めの文章が仕上がったけれども、ウィンストン・チャーチルがいみじくも言ったこの言葉→「演説は女性のスカートの丈と同じで、興味を惹きつけるだけの短さも必要だ」〜 この名言で計れば、僕の普段の記事は完全に失格。長すぎて興味を持っていただけないだろう。今日の文章はそれを反省したわけではなく、またみなさんからすれば、そんな短めでもないような気もする。

2017/06/05

今夜は君と一緒にいるよ

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お天気の良い午後にはよく聴くボブ・ディランの『ナッシュヴィル・スカイライン』。季節も問わない。寒い時期でも暑い時期でも、いま六月頭あたりのちょうどいい気候の時期でも、年中、晴れてさえいればピッタリ似合うよね。中身の音楽があんな感じの柔らかいもので、難しくもなくハードでもシビアでもなく、暖かくフンワリしたラヴ・ソングを穏当なサウンドと歌い方でやっているもんね。

 

 

僕はそういうボブ・ディランが(も)かなり好きなのだ。時代と闘う先鋭的アーティストとしてのディランの姿も支持するが、音楽の本質にはあまり関係ないことのような気がする。先鋭的でも保守的でもディランの音楽は美しく楽しいからこそ大勢に聴かれ受け入れられ続けているに違いないと僕は信じる。世界で最も高名な文学賞をもらうほどの歌詞の高度な文学性も、この際、いったんおいておきたい。

 

 

ディランのカントリーなラヴ・ソングが聴ける1969年の『ナッシュヴィル・スカイライン』だが、その予兆は前作67年の『ジョン・ウェズリー・ハーディング』に既にある。いちばんんはっきりしているのがアルバム・ラスト12曲目の「アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト」だ。これはそのまんまカントリー調で、しかもかなりシンプルなラヴ・ソング。フル・アクースティック・サウンドに、電気楽器はペダル・スティール・ギターが入るだけの編成で、甘い歌詞をディランが歌う。

 

 

しかしこの「アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト」オリジナルをご紹介しようと思っても YouTube に存在しない。権利上の問題なんだろうなあ。残念。しょうがないから、こんなのでも貼っておこう。歌詞は同じだし、サウンドも似せている。

 

 

 

あるいはクリス・クリストファースンのこんなライヴ・ヴァージョンなら聴ける。これ、なかなかいいじゃん。クリスもカントリー畑の音楽家というに近いし、このヴァージョンもアクースティック・サウンドで、『ジョン・ウェズリー・ハーディング』のディラン・オリジナルに近い。

 

 

 

女性歌手ならリンダ・ロンシュタットのこういうのとかもいい。これもカントリー・サウンドだ。フィドルも入る。「今宵の私はあなたと一緒よ」…、こんな風に眼前で歌われてみたいぞ、僕も。どなたか女性の方、僕の前でリンダ・ロンシュタトみたいにこれを歌ってください…、おっと、話が危険な方向へ入りそうなので、回避回避。

 

 

 

ディランの『ジョン・ウェズリー・ハーディング』では、この「アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト」の前にある11曲目「ダウン・アロング・ザ・コーヴ」も似たような系統の曲だけど、これら二曲が、次作である二年後の『ナッシュヴィル・スカイライン』につながった。声質と歌い方をガラリと変えているが、ディラン・ミュージックの本質は変化していないんだよね。世間一般で言ういわゆるプロテスト・ソング歌手時代にもラヴ・ソングはたくさんある。

 

 

『ナッシュヴィル・スライライン』収録曲で、前作にある「アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト」の流れをストレートに汲む最もシンプルなラヴ・ソングだと言えるのは二曲。三曲目の「トゥ・ビー・アローン・ウィズ・ユー」、ラスト十曲目の「トゥナイト・アイル・ビー・ステイイング・ヒア・ウィズ・ユー」。なんだか曲題だけでどんな曲なのか全部分ってしまうようなものだなあ。これら二つもやはり YouTube で見つからない。権利関係だなあ。無念。

 

 

誰かやっているのが上がってないのかと思って探したら、「トゥ・ビー・アローン・ウィズ・ユー」の方はこんなのがあった。誰だか全く知らないがオランダのバンドとなっている。カントリー・サウンドでもなくロックンロール・ヴァージョンだけど、ディラン・オリジナルの雰囲気がほんのかすかにあるかも。

 

 

 

女性ならカナダ人歌手スー・フォーリーのこんな「トゥ・ビー・アローン・ウィズ・ユー」が見つかったのでご紹介しておく。やっぱり女性にこんな「あなたと二人っきりよ」なんて歌われてみたい…、って、またヤバい方向へ向かいそうなので、やめておこう。

 

 

 

ところで、あるいはひょっとしてご存知ない方向けにちょっとだけ簡単な英語のお勉強をしていただこう。この alone って「一人だけ」「一人ぼっち」という意味だと勘違いなさっている方が、ほんのちょっぴりいるかもしれないように僕には見えている。でもそれだとディランのこの「To Be Alone With You」や、あるいはもっとはるかに有名なボズ・スキャッグズの「We Are All Alone」などの意味が分らなくなっちゃうよね。二曲とも「僕と君だけ、二人っきりだよ」って意味。他に誰もいないんだよ、って意味だよね。やっぱりなんか危険だ(^^;;。

 

 

『ナッシュヴィル・スカイライン』収録のオリジナル「トゥ・ビー・アローン・ウィズ・ユー」では、冒頭部でアクースティック・ギターとピアノの音に乗って、歌いはじめる前にディランが「Is it rolling, Bob?」としゃべっている。ボブとはたぶんプロデューサーのボブ・ジョンストンのことだろう。ディランがジョンストン(はコンソール内?)に向けて「テープ廻ってる?」(だからはじめていいかな?)と聞いているんだろうなあ。

 

 

アルバム・ラストの「トゥナイト・アイル・ビー・ステイイング・ヒア・ウィズ・ユー」もかなりシンプルで、しかも R-18かもしれないようなストレートなラヴ・ソングだ。今夜は君と一緒にいるよって歌っているんだから、やっぱりあれのことを暗示しているに違いない。こっちの方はディラン本人が1994年に MTV アンプラグドに出演した際のヴァージョンがあったので、貼っておく。

 

 

 

発声が『ナッシュヴィル・スカイライン』で聴けるツルツル声ではなく、普段のディランのザラザラ声だけど、だからかえっていっそう中年〜初老のエロ・オヤジ的スケベ・ソングに仕上がっていて、僕にはピッタリ似合っているかもしれないよなあ(苦笑)。またブラック・クロウズのこんなヴァージョンもあった。こっちは普通にやっているし、しかも『ナッシュヴィル・スカイライン』ヴァージョンに近いアレンジだ。こりゃいいね。

 

 

 

あるいはジェフ・ベック・グループの例の『(オレンジ)』収録の「トゥナイト・アイル・ビー・ステイイング・ヒア・ウィズ・ユー」はどうだろう?ギタリストとヴォーカリストの資質のおかげでブラック・ミュージックというに近いラヴ・ソングに仕上がっているのが面白い。だからさ、カントリーとリズム&ブルーズって、そんなに遠くないんだってば。

 

 

 

さて、現在55歳の僕。もはや何年も触っていないので弾けなくなっているギターと、何十年も歌っていないので出なくなっている声と、この二つをリハビリして、想いを寄せる女性の前で、こんなような「今夜の僕は君のもの」とか「僕たち二人っきりだね」とか「今夜は君と一緒にいるよ」などと歌えるようになる日が、果たしてやってくるのだろうか?(きっと来ない)。

2017/06/04

ポップなエリントン 〜 『コットン・クラブ・アンソロジー 1938』

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計1時間10分なので CD 一枚に全部入る長さであるにもかかわらず、どうしてだか二枚組になっているデューク・エリントン楽団の『コットン・クラブ・アンソロジー 1938』。アメリカの Stardust Records という僕は全く知らないところから2001年にリリースされたもの。僕が持っているのは、それを同じ年に日本クラウンが発売したものだ。以前も一度だけマイルズ・デイヴィス関係で触れたけれど、どうも日本クラウンのリリースって、ちょっと妙な感じのものがあるよね。

 

 

しかしエリントン楽団の『コットン・クラブ・アンソロジー 1938』の中身は決して妙なものなんかじゃない。オフィシャル・リリースなのかブートレグなのか、そのあたりは曖昧なものだけど(まあたぶんちょっとブートくさい)、1938年の数ヶ月間ニュー・ヨークにあるコットン・クラブにエリントン楽団が出演した様子をラジオで放送したものがソースになっているもの。38年のエリントン楽団のライヴ演奏って貴重だからね。

 

 

しかも1938年というと、スタジオ録音ならエリントン楽団は主にコロンビア系レーベル(ブランズウィックなど)に吹き込んでいた時期。以前から執拗すぎるほど繰り返しているからまたかよ…、と思われるだろうが(でもマジで怒っているんだからね)本家筋の米コロンビアは、この時期のエリントン楽団スタジオ録音を自社でオフィシャルにはきちんと復刻していない。リイシュー専門レーベルのモザイクが発売したボックス・セットしかないのだ。あとはコロンビアも申し訳程度のベスト盤は出している。

 

 

そんなわけで、1938年のエリントン楽団の姿を知りたい、それもライヴ演奏で手っ取り早く知りたいという向きには『コットン・クラブ・アンソロジー 1938』は好適な二枚組かもしれない。価格も安い。ライヴ出演時の演奏で、というのはちょっと面白いのだ。なぜかというとライヴ・ステージ(でもないが、コットン・クラブは)でなら楽団の代表的レパートリーがまあまあまとめて聴けるからだ…のはず…、と僕は思って買った(のとエリントン関係の CD 音源は全部ほしいのとで)のだが、実は1938年時点での代表作が揃っているわけじゃないんだよね。この点でなら二年後40年のライヴ録音『アット・ファーゴ 1940』の方をオススメしておきたい。

 

 

 

『コットン・クラブ・アンソロジー 1938』の方は、むしろあまりエリントン楽団がやらないレパートリー、というかたぶん普段からやってはいたんだろうが、なかなかライヴ盤などには収録されていないものがたくさんあるという点にこそ意味や魅力を見出すべきものだろう。この二枚組に収録されているエリントンの自作で同楽団の代表作と言えるものは、全22曲中、一枚目一曲目の「エコーズ・オヴ・ハーレム」と11曲目の「ロッキン・イン・リズム」だけ。ほかは自作曲でも有名ではなく、またその数じたい少なく、ほかのライヴ盤などにも入っていないものばかり。だからこそ面白いんだよね。

 

 

もう一つ、重要なことを書いておかないといけない。エリントン楽団のコットン・クラブ定期出演は1929年から31年まで(何月ということなどの詳細は不明)。この29年の定期出演契約を結んだときのエピソードには興味深いものがいくつかあるのだが、今日は省略する。詳しくはなにかの紙に印刷されたもの(は日本語のものもある)や電子データ(はだいたい英語)の文献ですぐ読めるので、是非参照していただきたい。

 

 

 

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(2017年6月12日補記)

 

 

 

エリントン楽団のコットン・クラブ定期出演は、1927年12月4日から1931年6月30日まで、との記載が見つかって、どうやらその通りのようですので、そう訂正します。
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だから1938年というと、エリントン楽団はもうコットン・クラブに定期出演はしていなかった時期だ。コットン・クラブはマンハッタン北部ハーレムにあって、金持ち白人向けの娯楽を提供するナイト・クラブだったのだが、これが1936年にハーレムからダウンタウンに移動し(ブロードウェイあたり?)、それまで定期出演していたキャブ・キャロウェイ楽団の後釜としてクラブに請われて、エリントン楽団は37年3月に出演。次いで翌38年3月から6月にも出演し、38年のときは11回がラジオ中継された。だからそれをソースに『コットン・クラブ・アンソロジー 1938』が発売されているってわけ。

 

 

『コットン・クラブ・アンソロジー 1938』を聴くと、曲演奏前に頻繁にアナウンサーが演目を紹介するしゃべりが入るので、生中継ではなく録音放送だったんだろう。生放送で、こんな演奏直前に演目をそこそこ詳しく紹介するのは不可能だ。あるいは本日の演目はこれこれですと事前に実況アナウンサーに渡してあったりしたのだろうか?う〜ん、分らなくなってきたが、まあでも聴いて楽しいには違いないので、ま、いっか。

 

 

収録の全22曲中、エリントンの自作は上述の二曲だけというに等しいので、エリントン・コンポジションの素晴らしさは味わえない。それでも、ほかの既存曲・有名曲をエリントン流儀でアレンジしてあって、やはりアンサンブルのサウンドもサイド・メンのソロも、エリントン・カラーで染まっている。さらに、ここがかなり重要なんじゃないかと思うのだが、自作ではない多くのポップ・ソングをとりあげているので、『コットン・クラブ・アンソロジー 1938』全体がかなり親しみやすい分りやすさ、ポップさをも兼ね備えているってことだ。

 

 

ふつうエリントン楽団でボスの自作曲をやるときは、西洋クラシック音楽愛好家にもファンが多いので分るように、やや高尚芸術臭い感じがどうしても拭えないんじゃないかなあ。エリントン愛好家は、たいていの場合、ここで二分化していて、クラシック音楽寄りのアート・ミュージックとして聴くか、あるいはブルーズ・ベースの下世話で猥雑な芸能ポップ・エンターテイメントとして聴くか 〜 このどっちかなんだよね。エリントン楽団に間違いなくあるそれら両面を、そのまま両面とも受け入れて愛するというリスナーは、案外多くない。そしてジャズ・ファンの多くもエリントンを芸術家として捉え、一方そうじゃないポップ・エンターテイメントとして捉えるリスナーは、そこに目をつぶる。本当にどっちかだけだ。はぁ〜…。

 

 

今日話題にしている『コットン・クラブ・アンソロジー 1938』は、二枚組のほとんどの部分でポップなエンターテイナーとしてのエリントン楽団の姿を収録してあって、たぶんこれはそこを狙ったに違いない。だってさ、1938年のコットン・クラブ出演で、こんなにも自作曲が少ない、というかほとんどないようなステージを繰り広げていたのだとは考えられない音楽家だからだ。自作の有名代表作もたくさん演奏したはずだ。演奏はしたがラジオで放送されなかったか、あるいは放送はされたが、CD 収録の際にオミットしたかのどっちかに違いない。ある種の意図をもって。

 

 

『コットン・クラブ・アンソロジー 1938』では当時の専属歌手アイヴィ・アンダスンがたくさん歌っているのもいい。例えば一枚目七曲目の「オン・ザ・サニー・サイド・オヴ・ザ・ストリート」。1938年4月24日の放送からとなっているので、フィーチャーされているアルト・サックス奏者のジョニー・ホッジズは、例のライオネル・ハンプトンのヴィクター・セッションで録音済み(37年4月26日)。それで歌うのは当然ハンプだった。

 

 

『コットン・クラブ・アンソロジー 1938』では、その「オン・ザ・サニー・サイド・オヴ・ザ・ストリートでアイヴィ・アンダスンが歌うのがいいんだよね。歌手としての力量を、ライオネル・ハンプトンとアイヴィ・アンダスンで比較できないなんて言うまでもない。アイヴィがポップに歌ったあと、(たぶんローレンス・ブラウンではなく)トリッキー・サム・ナントンのトロンボーン・ソロも出る。

 

 

アイヴィ・アンダスンが歌うものでは、ほかに一枚目三曲目の「イフ・ドリームズ・カム・トゥルー」。この曲はエドガー・サンプスンがベニー・グッドマン楽団のために書いたもので、しかしグッドマン楽団では歌なしのインストルメンタル演奏だった。それを1938年3月24日放送のエリントン楽団ではアイヴィが色っぽく歌うのがいい。「もしも夢が叶うなら、私はあなたと一緒にいたいのよ」と。いいねいいね。

 

 

その他、『コットン・クラブ・アンソロジー 1938』でアイヴィ・アンダスンが歌うラヴ・ソングはかなり多いので、いちいち全部は指摘できない。一枚目四曲目の「イッツ・ザ・ドリーマー・イン・ミー」、二枚目三曲目の「アット・ユア・ベック・アンド・コール」(情緒たっぷり!)、四曲目の「イフ・ユー・ワー・イン・マイ・プレイス」、五曲目の「オー・ベイブ、メイビー・サムデイ」とか、いいなあ。あ、最後の「オー・ベイブ、メイビー・サムデイ」はエリントンの自作曲じゃないか。見逃していた。「あなたこそ、私がいつも想っている人なんです、きっといつの日か…」って、アイヴィ、いいねいいね。

 

 

『コットン・クラブ・アンソロジー 1938』でアイヴィ・アンダスンが歌うもののうち、ちょっと面白いのが二枚目八曲目の「ユー・ウェント・トゥ・マイ・ヘッド」。これはいろんなジャズ・メンやウィミンがやるかの有名スタンダード曲「ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド」のもじりでできた曲だろうなあ。この曲がポップ・ヒットしたのがちょうど1938年だったので、それにひっかけた遊びだ。エリントンの自作なのかそのへんの他作なのかも分らないものだが。

 

 

ちょっとだけ楽器演奏のことも書いておこうっと。一枚目一曲目の「エコーズ・オヴ・ハーレム」は、スタジオ・オリジナル通りクーティー・ウィリアムズがワー・ワー・ミュート・トランペットでグロウルするのをフィーチャーした内容の、リズムも含めいかにもなジャングル・サウンド。転調した瞬間にエリントン・カラーのホーン・アンサンブルがブワッと入ってくるのもお馴染。しかしこれはエリントン楽団では物珍しいものじゃない。一枚目ラストの「ロッキン・イン・リズム」同様、特筆すべき出来栄えでもない当たり前のクオリティの高さだ。

 

 

それらよりも一枚目二曲目で、セルゲイ・ラフマニノフの「前奏曲嬰ハ短調」(プレリュード・イン・C ・シャープ・マイナー)をジャズ・ナンバーにアレンジしてやっていたりするのはちょっと面白い。ラフマニノフの原曲を知らなければ、これがもともとクラシック楽曲だとは誰も分らないだろうようなスウィンギーな演奏。

 

 

二枚目九曲目「ローズ・ルーム」も古いポップ・チューンでスタンダード化しているが、ジャズ界では、当時、ベニー・グッドマン・セクステットのヴァージョンが最も有名だった。僕はああいったグッドマンのクラリネットが結構好きなんだけどね。あの頃だけならば。『コットン・クラブ・アンソロジー 1938』でのエリントン楽団は、同じクラリネットのバーニー・ビガードをフィーチャーしているので、ボスもやはりグッドマン・セクステットを意識したんじゃないかな。後半部でジョニー・ホッジズのアルト・ソロと同時に奏でられるホーン・アンサンブルになってからは、やはりエリントンにしか書けないアンサンブルの筆だ。

2017/06/03

カルメン・ミランダ1930年代録音の素晴らしさ

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外国のことについての日本語版ウィキペディアなんかに期待する方が間違っているんだが、しかしカルメン・ミランダについてのそれはひどすぎるんじゃないだろうか?みなさんちょっと覗いてみてほしい。なんたってブラジル時代のことについては一行もないに等しい状態なんだよね。北米合衆国時代のことばかり書いてある。ハリウッドのあの最悪のエキゾティズム(=人種偏見)で輝かしい才能をひたすら擦り減らすだけだった(とばかりも思わない部分が個人的にはちょっぴりあるが)北米合衆国時代のことしか書いていないなんて、いくらなんでもあんまりだよ。

 

 

カルメン・ミランダの歌が大好きなファンのみなさんには説明不要だが、カルメンは1939年に渡米する前のブラジル時代の録音こそが最高なのだ。あのキラキラとした輝き、ときめき、楽しさ、まぶしい光、さらに最高の歌唱技巧を持ちながらもそれをそうと感じさせないナチュラルな次元にまで高度に昇華された表現などなど、特に1930年代録音でのカルメンに比肩しうる歌手が、男女問わず、古今東西はたしてどれだけいるのか?

 

 

1930年代と書いたが、カルメン・ミランダの絶頂期が1937年のオデオン録音だというのは間違いないだろう。全部で26曲あるそれらについては「1937年のカルメン」(なんだか本田美奈子のヒット曲のタイトルみたいだ)として別記事にしてまとめようと準備中。また男性サンバ歌手マリオ・レイスとの共演録音(は全五曲かな?まだ数えていないが)についても別途まとめる腹づもりでいるので、乞うご期待(…、って誰が僕の文章なんかに期待するんだ?)。

 

 

1930年代ブラジル時代のカルメン・ミランダは、全レーベルの全録音を集大成したコンプリート集みたいなものがまだないはず。1935〜40年のオデオン録音だけ(40年に一時帰国し七曲録音している)ならば、全129曲がブラジル EMI から CD五枚組ボックスで完全復刻されている。がしかしその前にカルメンは、ブルンズウィック(がレコード・デビュー)とヴィクトルに録音していて、特にヴィクトルではヒットを飛ばし、面白い歌があるからなあ。いまや権利関係をさほど深刻に考えなくてもいいんだから、オデオン時代はもうコンプリート集があるので、それ以前のカルメンの録音を全部まとめてどこかリリースしてくれ!既にあるのを僕が知らないだけなのか?

 

 

そんなわけで1929年のブルンズウィックからのレコード・デビューから渡米後一時帰国の40年オデオン録音までをざっと大雑把に俯瞰しようと思ったら、これこそが好適の一枚というアンソロジーがある。この人、この会社ばかりで申し訳ないが、僕はなんの利害関係もない。ただ単にこれしかないからオススメするだけで、実際素晴らしいものをたくさんリリースしている田中勝則編纂のオフィス・サンビーニャ盤 CD『カルメン・ミランダ/サンバの女王』。2002年リリースだが、おっ、いま見たらアマゾンでもまだ新品在庫があるじゃん!さあ、まだお持ちでない方、いますぐ!

 

 

 

2002年というと、僕の場合、上述のブラジル EMI の五枚組ボックスはもうとっくに買って聴きまくっていた。だからオフィス・サンビーニャ盤『カルメン・ミランダ/サンバの女王』だと、全24曲のうち10曲目以後のオデオン録音に驚きはなかった。がそれ以前の九曲、特に一曲目のカルメンのデビューである1929年のブルンズウィック録音(SP 両面にするためのもう一曲録音があるはずだが?)は初めて聴いたし、たぶん世界初復刻で、しかもいまでも僕はほかでは見ない。

 

 

輝きはじめるその後のヴィクトル時代や、また全盛期オデオン録音の傑作群も含め、それら全部を CD 一枚で概観できる CD アンソロジーは、いまではオフィス・サンビーニャ盤『カルメン・ミランダ/サンバの女王』だけなのだ。むかし中村とうようさんが編んだものがあったはずだが、いまでも容易に入手可能なのはオフィス・サンビーニャ盤だけだ。さあ、みなさん、いますぐに!

 

 

 

『カルメン・ミランダ/サンバの女王』を通して聴いていると、僕の耳には六曲目の1933年「アロー・アロー」から突然ガラリと雰囲気が変貌するように聴こえる。カルメンのヴォーカルの輝きが五曲目までとは全く違ってケタ違いに素晴らしい。だからたぶんこの33年あたりからカルメンが超一流サンバ歌手として歌唱スタイルを確立し成熟したと見ていいんじゃないかな。そしてその「アロー・アロー」は、上述マリオ・レイスとの共演録音だ。

 

 

 

歌詞の「レスポンジ」(responder) 部分で、カルメンの方は冒頭の r をかなり強い巻き舌で発音しているのがマリオ・レイスと大きく違う。これはカルメンがポルトガル生まれだったことと関係があるのかも(と言っても一歳でブラジルに渡る)。マリオの方のレスポンジの r はそうなっていないしね。合唱部分ではカルメンの巻き舌 r が強いので、それがかなり目立つ。レスポンジは返事をするという意味で、曲題の「アロー・アロー」は電話での「もしもし」の意。そういえば(版権登録された)サンバ曲史上第一号が1916年の「電話で」だったよなあ。関係あるのかなあ?たぶん電話とか、そんな日常生活の一コマを切り取って歌詞にしているってことなんだろうね。北米合衆国で同じことがはじまるのは1940年代のルイ・ジョーダン以後だもんなあ。ブラジルの方が数十年早い。

 

 

電話が題材とか r の巻き舌云々よりも、音源をご紹介した「アロー・アロー」では軽快なリズムを聴いてほしい。バック・バンドのウキウキするようなノリ。マリオ・レイスとカルメン・ミランダが歌うあいだクラリネットが入れるオブリガートも跳ねるように楽しく、また打楽器(のメインはたぶんパンデイロ)の刻むリズミカルな躍動感とか、それらに乗って歌うマリオとカルメンのヴォーカルの愉快さとか、あぁ、1930年代全盛期のサンバってホント楽しいなあ。

 

 

さてオフィス・サンビーニャ盤『カルメン・ミランダ/サンバの女王』では10曲目からがオデオン時代だが、1935年4月〜39年までのオデオン時代こそがカルメンの絶頂期だったことには誰も異論を挟めないはず。9曲目のヴィクトル時代との大きな違いは、サンバのなかにショーロの感覚をとりいれて、新感覚(ボサ・ノーヴァ)のサンバをやりはじめたところ。伴奏もベネジート・ラセルダ楽団などショーロ・バンドがつけることが多くなり、それにともなってカルメンのヴォーカルも軽みとポップさを増し、一段と飛翔している。10曲目の「ハートがチクタク」(Tic-Tac Do Meu Coracao)はそんな典型例の一つ。この曲名で YouTube 検索すると、渡米後の再演ヴァージョンの方が上に来るので要注意。もう伴奏も歌も全然違うもんね。下のは正真正銘1935年のオデオン録音。

 

 

 

11曲目の「太鼓たたきよ、さようなら」(Adeus Batucada)も最高に素晴らしい。これも YouTube 検索の際は要注意。下にご紹介する1935年オデオン録音では、伴奏もカルメンの歌も余裕があって、ミディアム・テンポでゆったりと乗り、楽しくリラックスできる。かなりヒットして、カルメンの代表作の一つとなった。曲題や歌詞内容はエスコーラ・ジ・サンバを題材にしたもので、それがサンバ楽曲になっているという面白さ。ポルトガル語の内容のことはともかく、このリズムと、そして軽々と、しかししっとりと歌うカルメンを聴いてほしい。

 

 

 

14曲目の「サンバとタンゴ」のことにも触れておこう。カエターノ・ヴェローゾが1995年の『粋な男ライヴ』のオープニングでとりあげて歌ったので(たぶんサビ部分の歌詞がスペイン語だからだろう)、僕の場合、それで初めて知った曲だったが、カルメン・ミランダの1937年オデオン録音を聴いたら、やっぱりカルメンの方が躍動感があるもんね。しかもサビ部分でリズムがパッとチェンジしてタンゴ調になりバンドネオンまで入るという凝りよう(この部分はカエターノは無視)。しかもこれ、かなりの難曲だよなあ。それをこんなに楽々と(のように聴こえてしまうのが最高の技巧)。

 

 

 

15曲目の「ジェンチ・バンバ」(サンバ狂たち)は、これまたサンバそのものを題材にした曲だが、そんなことよりブレイクも入るサンバ・ショーロみたいな曲で、しかもそれまでのカルメンの曲では聴けなかった全く新しい曲調、新素材であることに注目してほしい。書いたのはこれまたやはりシンヴァール・シルヴァで、このソングライターはのちのちまでカルメンとの付き合いが長かった。この「ジェンチ・バンバ」では、曲を書いたシンヴァールの方が、むしろカルメン・ミランダという才能に刺激され引っ張られて書いたような感じ。カルメン以外が歌うことなど不可能であるがゆえ、カルメン以外を想定していない旋律だからだ。つまりソングライターの作風にまでカルメンの歌唱技巧は影響を与え、その相互作用で最良の音楽を創り出していた。歌手と作家のこんな関係は、世界中探してもなかなかない。

 

 

 

17曲目の「サンバの女王」(Imperador Do Samba)は、オフィス・サンビーニャ盤がここからアルバム・タイトルをとっているだけあって、やはり全盛期1937年オデオン録音の名曲名唱。やはりサンバそのもの、カーニヴァルのパレードに題材をとった曲で、躍動的に細かく動くリズムと管楽器の伴奏、それに乗ってキュートでチャーミングに翔ぶカルメンのヴォーカルの素晴らしさにを聴いてほしい。言葉も出ないだろう。

 

 

 

オフィス・サンビーニャ盤『カルメン・ミランダ/サンバの女王』では、このあと18曲目からは、これまた新境地であるバイーア(ブラジル北東部)っぽい曲が少し並んでいる。がしかしそこまで突っ込んで話をしようとすると文章が長くなりすぎてしまうので、大変に面白いものだけど今日は諦めて、上で書いたように「1937年のカルメン」記事で詳しく書いてみたい(となると39年まで行かないとダメなのだが…)。

2017/06/02

1965年のマイルズ・ジャズにあるカリブ〜ラテン〜アフリカ

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マイルズ・デイヴィスのアルバム『E.S.P.』で一番いいなと思うのは、表ジャケットに写っている当時の妻フランシスがチャーミングだということなんだけど、それは中身の音楽とさほど強い関係がなさそうなので、やっぱりアルバムの中身の話をしなくちゃね。

 

 

ハービー・ハンコック、ロン、カーター、トニー・ウィリアムズの三人は1963年5月から既にバンドのレギュラー・メンバーだけど、62年から目をつけてはいたウェイン・ショーターを正規メンバーに加えたのが64年の秋頃。初録音が同64年9月25日のベルリン公演。これが公式盤『マイルズ・イン・ベルリン』になっている。

 

 

『マイルズ・イン・ベルリン』あたりから既にバンドのサウンドは変化しつつある。サックス奏者が(日本公演だけのサム・リヴァーズを除き)ジョージ・コールマンだった時期と比較すれば、リズム・セクションは同じ三人であるのに、フロントで吹くサックス奏者がウェインになってシャープで鋭角的なラインを奏でるようになって、引っ張られるようにリズム隊の三人、特にトニー・ウィリアムズのドラミングに微妙な変化が聴ける(一番よく分るのがベルリン二曲目の「枯葉」)。

 

 

ただ演奏曲目が相変わらずの旧態依然であって、しかもスタジオ録音は何年もなかった。アルバム『E.S.P.』になった七曲を録音した1965年1月20〜22日のスタジオ・セッションは、63年5月以来約二年ぶりなのだ。その63年5月というのが、上で述べたハービー・ハンコック、ロン、カーター、トニー・ウィリアムズの三人を初起用して録音した三曲で、アルバム『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』の半分になっている。

 

 

だから、これは以前も書いたけれど、念願だったウェイン・ショーターをようやく正規メンバーに加えての初スタジオ録音である1965年1月の三日間は、ボスのマイルズも気持が入っていたはずだ…、と思って『E.S.P.』を聴くと、案外そんな気負いみたいなものは感じられず、新鮮ではあるけれど、わりと普通にスッとやっているよね。リラックスしているとまで言いたい。

 

 

僕はこのくつろげる雰囲気が残っているからこそ、このセカンド・レギュラー・クインテットによるスタジオ・アルバムでは『E.S.P.』が一番好きで一番よく聴くものなんだよね。どうもここ一年半くらいかな、僕のこの好みが若干変化しつつあって、モスト・フェイヴァリットが『マイルズ・スマイルズ』に移ってきているかもしれないと感じているのだが、それでも続けて聴くと、まだやっぱり『E.S.P.』の方が楽しい。

 

 

オープニングの「E.S.P.」はウェインの曲で、ソロも一番手でウェインが吹き、ボスのトランペット・ソロは二番手。こういうことはそれ以前にはあまりなかった。もっぱらサックス・フィーチャーとかピアノ・フィーチャーとかいうものなら前からあるけれど、管楽器二本とピアノが普通にソロをとる曲では珍しい。いますぐパッと思いつくのは『カインド・オヴ・ブルー』の「フレディ・フリーローダー」でピアノのウィントン・ケリーのソロが一番手で出るのだけ。

 

 

そして『E.S.P.』以後はこんな感じのことがどんどん増えていって、ウェインが先とか、テーマ吹奏が二管じゃなくウェインのテナー・サックスだけとか、あるいはそもそもマイルズのトランペットは、テーマでもソロでも全く出てこないとか、そんなことになっていくよね。でも『E.S.P.』だと、それは一曲目のアルバム・タイトル・ナンバーだけ。

 

 

 

いまご紹介したこれ、べつに難しくもなんともない普通のメインストリーム・ジャズだよね。このあと『マイルズ・スマイルズ』以後は(『マイルズ・イン・ザ・スカイ』の前まで)どんどんと抽象化の一途を辿るマイルズのセカンド・クインテットだけど、このスタジオ録音第一作ではまだそうはなっていない。ある時期以後から現在は、『ソーサラー』『ネフェルティティ』の二枚こそこのクインテットのベスト作との評価が定まっているけれど、僕がジャズに興味を持ちはじめた1979年だと、むしろ『E.S.P.』の方が推薦されることがあったし、実際、名盤選の類によく載っていた。

 

 

アルバム二曲目の「エイティ・ワン」。これがマイルズのスタジオ録音では初の8ビート・ナンバーだ。ロン・カーターとマイルズの共作名義になっているので、たぶんロンが一人で書いたものなんじゃないかな。のちのちのロンのオリジナル・コンポジションに、似たような傾向の曲がいくつかあるのを踏まえれば、そうに違いないと僕は思う。しかもこの「エイティ・ワン」、かなり楽しい。

 

 

 

8ビートといっても、ロンが書くものはリズム&ブルーズとかロックなどから来ているんじゃなく、中南米音楽由来なんだよね。たとえばいまご紹介した「エイティ・ワン」にもちょっとだけボサ・ノーヴァっぽいようなフィーリングが聴きとれるんじゃないかな。リズムのスタイルとメロディの情緒にね。サウダージとまでは言えないけれど、ちょっとそれに似たようなものがスパイス的にまぶしてあるように、僕には聴こえる。そこが大好きだ。

 

 

マイルズのセカンド・クインテット(+α)の録音で、ラテンとかカリブ風味はまあまあ重要な要素で、色濃く鮮明に出るようになるのは、1967年12月録音の「ウォーター・オン・ザ・パウンド」とか68年1月録音の「ファン」とか、そのへんからで、特に後者「ファン」は中南米を経由してアフリカに到着しているような一曲。だからいろんな音楽マニアのみなさんにも刺激的なはず。この路線が『キリマンジャロの娘』のクウェラ・マイルズに結びつく。

 

 

 

だからそう考えると『E.S.P.』二曲目の「エイティ・ワン」は、マイルズのレコーディング史上で初めての、そんな音楽傾向のちょっとした端緒になっていたんじゃないかと僕は考えている。ちょっと面白い。マイルズ専門家も含め、みなさんマイルズ初の8ビート作品だとしか言わず、カリブ〜ラテン〜アフリカ的な視点で書いてあるものを、僕はまだ読んだことがない。でもジャズを聴いてそれじゃあね、ちょっとどうなんだろう?

 

 

『E.S.P.』三曲目の「リトル・ワン」こそ、マイルズ好きではない一般のジャズ・リスナーのあいだでも最も知名度がある一曲だ。しかしそれはこのアルバム収録のマイルズ・ヴァージョンによってではなく、作曲者ハービー・ハンコックのリーダー作であるブルー・ノート盤『処女航海』で再演されているからだ。後者は前者の二ヶ月後の録音。その三月のブルー・ノート録音の時点では、マイルズの『E.S.P.』はまだ発売されていなかった(八月リリース)。以前も書いたが1965年のマイルズは一月に『E.S.P.』になった曲群を録音して以後、健康状態が悪化して入退院を繰返すことになったので、ハービーとしても出るのかどうか不安だったんじゃないかな。それで自己名義のブルー・ノート録音で再演したんだろう。『処女航海』は五月に発売されているので、当時のファンはハービー・ヴァージョンの「リトル・ワン」の方を先に聴いていたはず。

 

 

B 面に行って「アジテイション」。『E.S.P.』収録曲中、このセカンド・クインテットがライヴで演奏したのはこの一曲のみ。唯一の例外が1966年のニュー・ポート・ジャズ・フェスティヴァルで「R.J.」をやっていることで、それはいまや公式盤で普通に聴けるが、本当にそれだけが例外で、他は皆無。でも「アジテイション」だけは1969年までかなり頻繁に繰返しやっているのだ。曲題通りアグレッシヴなハード・チューンとしてやっていたんだろう。それにしては『E.S.P.』収録のオリジナルは、冒頭部のトニーのドラムス・ソロを除き、案外おとなしい。だいたいこれ、どうしてハーマン・ミュートをつけて吹いているんだ?必然性が感じられない。マイルズ、起きてきてちょっと教えてくれよ。

 

 

 

一曲飛ばしてアルバム『E.S.P.』ラストの「ムード」。これ、以前も書いたが僕のお気に入り。スパニッシュ・スケールを使ってあるからだ。この曲にテーマ・メロディみたいなものはなく、あらかじめ用意されていたのはスケール(モード)だけ。マイルズがスペイン風のものをやりたいときはいつもそうなのだ。録音史上マイルズ初のスパニッシュ・ナンバーは1959年録音『カインド・オヴ・ブルー』の「フラメンコ・スケッチズ」だけど、あれもスケールを(五つ)用意しただけで、あとはそれをベースに即興的にやっている。『E.S.P.』の「ムード」を。

 

 

 

お聴きになって分るように、三人のソロにさほど強いスペインの匂いはしない。ほのかに漂うだけの微香性スパニッシュ。それがいいんだよね。ハービーのピアノ・ソロ中盤で、一瞬フラメンコ的に旋律が踊る部分があるけれど、つまりそこがこの「ムード」のクライマックス。ボスが指をパチンと鳴らしている。トニーのリム・ショットも印象的。

 

 

さて、アルバム『E.S.P.』では、B 面のこのスパニッシュ・ナンバー「ムード」。そしてこれまた微香性ではあるけれど、ほのかに漂うカリビアン〜ラテン(&アフリカン?)・ジャズの A 面「エイティ・ワン」。この二つがあるせいで、それを踏まえると、まだまだメインストリーム・ジャズの人だった1965年のマイルズ・デイヴィスの音楽の聴き方が、ちょっとは変わってくるんじゃないだろうか?スペインと中南米音楽の関係なんか言う必要もない。やっぱりマイルズだってそうだったんだよねえ。でも『E.S.P.』関連に限っては、まだ誰一人としてこれを指摘していない。

2017/06/01

ベイシーのブルーズ・ピアノ

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以前の予告通り。1930年代後半のデッカ録音に、カウント・ベイシーが自楽団のオール・アメリカン・リズム・セクション三人だけを従えたカルテット編成でやったピアノ・ブルーズ録音が少しあるんだということを指摘した。その際はベイシー楽団のフル・バンド・スウィングの話に限定したので、それを割愛した。というわけで今日はカルテット編成でやるベイシーのピアノ・ブルーズの話をしたい。

 

 

まず、上でも書いたオール・アメリカン・リズム・セクションの三人のメンツ、なんて書いておく必要はないだろう。一つだけ言っておくと、1930年代のフル・バンド録音ではどうにも聴こえにくいフレディ・グリーンのギター・カッティングが、カルテット編成録音だとそこそこ鮮明に聴こえるのはいい。戦後のコンボ編成録音に比べればまだまだだけど、それでも1930年代後半で、しかもギター用に個別のマイクなんか用意されていなかった録音なんだから、これは上出来だ。

 

 

1930年代後半のデッカ録音において、カルテット編成でベイシーがブルーズを弾くのは全部で10曲12テイク。一回目が1938年11月9日で、5曲。二回目が翌39年1月26日で、5曲7テイク録音している。もっぱらベイシーによるソロ(でもないのか?)演奏だけど、現代的視点からは、他の三人は伴奏オンリーですか?なとど言われそうな気がちょっとする。僕たちのなかでは常識的なことだけど、1930年代後半でギタリスト、ベーシスト、ドラマーがソロを取ることなんてまあ例外、というかほぼありませんのでご承知おきを(むろん例外はある)。

 

 

そうでなくても、この二日間で録音された10曲12テイクでは、ブルーズ・ピアニストとしてのベイシーにフォーカスしようという意図が、録音を聴いていると鮮明に感じられるので、ますますベイシーしかソロ(でもないのか?全面的に弾くわけだから)を弾かないということになっている。フル・バンド録音でもイントロ部や中間部などで上手いピアノを聴かせているベイシーの、その上手さが際立っている。

 

 

10曲12テイクのなかには、ブルーズ・ファンなら間違いなく全員知っているという超有名スタンダードも複数ある。1938年11月9日にやった「ハウ・ロング・ブルーズ」「ブギ・ウギ」、39年1月26日にやった「ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン」がおそらく最も知名度が高い。「ブギ・ウギ」は例のブギ・ウギ・ピアニスト、パイントップ・スミスの自作自演曲で、ブギ・ウギ・ピアノの代表作。カヴァーしているピアニストは、ブルーズ界以外にも多い。

 

 

「ハウ・ロング・ブルーズ」「ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン」もお馴染(だと僕は信じているが、どうも最近名前を見ない)リロイ・カーの、やはり自作自演曲。この二曲もスタンダード化しているので、カヴァーしている人があまりにも多く、たとえブルーズ界に限定したとて誰が?との指摘など不可能。それほど多い。

 

 

いま「ブルーズ界に限定」と書いたが、今日のこの文章は、というかそのずっと前から、僕はビル・カウント・ベイシーやジェイ・フーティ・マクシャンなど、カンザス・シティのピアニストは、どっちかというとジャズというよりブルーズの枠内で認識してきている。正確にはカンザスだと、ピアニストに限らずジャズとブルーズの区別などできない。

 

 

そういったカンザスの黒人コニュニティの基盤に根ざしたようなブルーズ・ベースのジャズこそ、カンザス・ミュージックの売り、特徴ではあった。がしかしそれをジャンプ・ミュージックを産む母胎になったからといって、中村とうようさんみたいにあまり言いすぎない方がいいかも?ちょっとこのへん、とうようさんはやりすぎだったかも?だってベイシーにしろマクシャンにしろ、泥臭さは全く聴きとれない。あるのは泥臭さじゃなくて都会的洗練だ。だから(たぶんとうようさんは対極に置いた)ベニー・グッドマン楽団など白人スウィングのフィーリングに近いし、実際様々なセッションでの共演数がメチャメチャ多く、相性も良い。とうようさんにとってジャズにおけるブルーズは「特別」だったかもしれないが、カンザスにおいてはそれは「日常」。

 

 

おっと、また話が逸れてしまった。ブルーズ・ピアニストとしてのカウント・ベイシーの弾き方は、ブルーズ曲に限らず、世代的に見ても1910〜20年代のストライド・ピアノが直接の源流になっているように思うのだが、しかし今日話題のカルテット編成録音は1938年が最初だから(フル・バンドでも37年1月が初録音)、もう既に脱却していて、痕跡はほぼ存在しない。ハーレム・スタイルに代わって、アール・ハインズ流の右手単音弾き、そしてブギ・ウギ・スタイルの影響が濃く聴ける。

 

 

まず1938年のセッションで最初にやったリロイ・カーの問答無用の有名曲「ハウ・ロング・ブルーズ」。かなり重くズッシリ来るような左手の弾き出しで、直後に右手でかの旋律を弾きはじめる。オール・アメリカン・リズム・セクションが立派な伴奏をしている(フレディ・グリーンのギターが鮮明に聴こえる)ので、当然既にベイシーは、トレード・マークにもなったあの音数の極端に少ないスカスカなラインを弾いて、リズム・セクションの演奏を聴かせるというようなスタイル。

 

 

 

ボスも伴奏も、跳ねるというより引きずるようなヘヴィなリズム感を出しているが、これは1928年録音のリロイ・カー・オリジナルがそうなっているのだ。左手で弾くズンズンというリフは、ベイシーもリロイ・カーの弾き方を真似している。書いたようにベイシーはどっちかというとブルーズ界のピアニストだから、1938年なら(既に故人の)リロイ・カーからもたっぷり影響はこうむっている。いちおう「ハウ・ロング・ブルーズ」のリロイ・カー・オリジナルも貼っておこう。ちょっと聴き比べてほしい。

 

 

 

ベイシーの独創は、こういったかなりブルージーなリロイ・カーの弾き方(と言ってもリロイはソロは弾かない、歌のバックで同時に弾くだけ)から強い影響を受けながら、それを都会的にソフィスティケイトして、(たぶん)当時の白人でも聴きやすいオシャレなジャズ・ブルーズ・ピアノに仕立て上げたことだ。リロイ・カーがそもそも都会的に洗練されたブルーズ・マンだったのを、もっと一層グッとオシャレで聴きやすく、リロイには残っているある種の泥臭さはほぼ完全に消した(だから白人ジャズ・メンとも…)。

 

 

同じリロイ・カー・ナンバーである「ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン」(イン・ジ・イヴニング)の、カウント・ベイシー・カルテットによる1939年録音でも全く同様のことが言えるので、これにかんしてはこれ以上なにも言うことはない。リロイのとベイシーのと、音源を貼ってご紹介だけしておこう。リロイ・ヴァージョンにあるブロック・コードでのダダダ・ダダダの三連をベイシーは全く使っていないので、フィーリングがかなり違うよね。

 

 

「ウェン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン」

 

 

 

 

パイントップ・スミスが1928年に録音・発売した「ブギ・ウギ」。これも38年にカヴァーしたカウント・ベイシーは泥臭さを完全に抹消して、ブギ・ウギにある身体感覚、すなわち激しくダンサブルなフィーリングをマイルドに緩和しているのが分る。しかしベイシーも左手のパターンは完璧にブギ・ウギ・スタイルだ。

 

 

「ブギ・ウギ」

 

パイントップ・スミス→ https://www.youtube.com/watch?v=fDp9cOLxYv0

 

 

 

フル・バンド録音でも、例えば「ワン・オクロック・ジャンプ」初演のピアノ・イントロ部など、随所にベイシーのブギ・ウギが聴こえるので、ちょっと注意してみてほしい。ベイシーが録音を開始するのはニュー・ヨーク進出後の1937年なので、ブルーズ・ピアノの一形態であるブギ・ウギがあっても全く不思議なことじゃないどころか、ないとオカシイ。

 

 

ちょっとだけ他の曲にも言及しておこう。1938年のセッションで「ハウ・ロング・ブルーズ」の次にやった「ザ・ダーティ・ダズンズ」。やはりブギ・ウギ・ピアニストであるスペックルド・レッドで有名な曲だが、ベイシーは歌はやらない人なので、これもインストルメンタル・ブギ・ウギ・ピアノ。左手のパターンはブギ・ウギを土台にしたベイシー・オリジナルで、フル・バンド録音でも同じようなのがいろいろ聴ける。右手で少ない数の音をコン・コンと置くように弾くのも、ベイシー以外のピアニストには真似できないスタイル。だってリズム・セクションがかなり立派でないと成立しないものだから。

 

 

「ザ・ダーティ・ダズンズ」

 

スペックルド・レッド→ https://www.youtube.com/watch?v=FAzUhRRvAgA

 

 

 

ダーティ・ダズンという言葉の意味とか、アメリカ大衆音楽界でどんな重要性を持っているのかとか、ジャズ・メンでもブルーズ・メンでも他の人たちでも、いろいろとこの言葉が入るものがかなりたくさんあって、それらひっくるめてどう考えたらいいかなど、この部分については今日書くことはできない(のはご存知のみなさんなら納得していただけるはず)。

 

 

全12トラックあるデッカへのベイシーのブルーズ・ピアノ録音のなかで、ブギ・ウギを土台としながら最も軽快なスウィング感を聴かせるのが、1938年の「ザ・ファイヴズ」と39年の「オー!レッド」。どっちも可憐なチャーミングさ、リリカルさがあるのも聴きものだ。ブルーズ・ナンバーをやりつつ、三人のリズム・セクションとあわせ四人全員が一体となって創り出すノリの洒脱な軽妙さは、ジャズ界でもブルーズ界でも、この当時、彼ら以外表現しえなかったはず。

 

 

 

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