テレサに慰撫され涙する
あ〜〜、もうこんなのダメダメ〜!こんなのありなのか?!なんの気なしにふとかけた鄧麗君の『淡淡幽情』でボロボロに泣いてしまった。弱っている僕のメンタルの方に大きな原因があるような気もするけれど、弱ってなくても、こんなに優しくされたのは初めてのような気がする。不意打ちくらったから衝撃デカイよ、これ。
本当は別の音楽について書くつもりで聴きながら準備を進めていたのに、本当にたいして聴くつもりもなく、ふと、本当に何気なくクリックしてしまっただけなのだ、鄧麗君の『淡淡幽情』のプレイリストを。すると、流れてきた一曲目「獨上西樓」出だしのア・カペラ部分で、僕はダメになってしまった。
これはあれだなあ、今年三月にこのブログでも書いた岩佐美咲「涙そうそう(アコースティック・バージョン)」のときと全く同じ現象だなあ。あのとき、音楽を聴いてこんなに激しく泣いたことがないって書いたけれど、あの文章も、岩佐美咲の「涙そうそう(アコースティック・バージョン)」について書くつもりのものじゃなかった。別のものを用意していたのだが、あまりの感動でそれが全部吹っ飛んでしまって、これについて書くしかないとなったのだった。
今日の、いまの、僕はまた同じ。鄧麗君の『淡淡幽情』なんて前から聴いていたのに、ここまで感動したことがなかった(ような音楽リスナーはたぶん僕だけなんだろう、ダメな耳だ)。突然大波が押し寄せて、ホント、これなに?こんなにも優しく歌いかけてくれる歌手って他にいるの?中村とうようさんがテレサの歌を「万人を慰撫する仏の境地だ」と書いたことがあったが、ようやくいまごろになって僕はこれを激しく実感し、インクが涙で滲むかのように、泣きながらこれを書いている。泣かずに聴けますかって〜の、このテレサの『淡淡幽情』は。あ〜、ダメだ、書けば書くほど涙が出てきて止まらない。
まあしかしちょっと気持を落ち着けて、鄧麗君の『淡淡幽情』の素晴らしさについて少し考えて書いておこう。このアルバムは香港ポリグラムから1983年にレコード発売されたものらしい。その当時僕がこれを知るわけもなく。83年というと彼女は既に日本の歌謡界で活躍していたが、パスポートの不備で日本での活動を一時中断していたあたりだなあ。再開が84年だから。
僕が最初に買った鄧麗君の『淡淡幽情』は、たぶん1995年に日本のニュートーラスが CD リイシューしたものだろうと思う。「思う」というのは、いま僕の手許にそれがないので実物は確認できず、アマゾンのサイトで発売年を見ただけだ。あの頃のものはまだ購入履歴が記録されていないので正確には分らないが、買ったのがおそらく21世紀初頭あたり。その後、以前書いたようにエル・スールで、香港と台湾で出た紙ジャケット盤全90枚ほどを一括買い(ってバカな買い方だ)。
『淡淡幽情』も必然的にそのなかに含まれていたので(原田さんは、お持ちのものは発注するのを省きましょうか?と言ってくださったけれど、僕はめんどくさいから全部買うと返事したのだ、紙ジャケなのもあって。ニュートーラス盤はプラジャケ)、このアルバムもダブることになって、昨年、興味があるという方にニュートーラス盤 CD の方は差し上げた。したがって、いま僕が持っている『淡淡幽情』は香港ポリグラム盤だけ。日本語はどこにもない。
しかし漢字ですので。記載内容を見ると『淡淡幽情』収録の全12曲中、9曲が宗時代の詩。残る3曲が南唐時代の詩に基づいている模様。つまり中国古典だ。それにたぶん現在の音楽家がメロディをつけアレンジしてテレサが歌っているんだろう。曲を書いた人、アレンジした人も全部書いてあるが、僕は一人も知らない。
同じ漢字と言っても、附属ブックレットにその詩=歌詞が掲載されてはいるものの、当然中国語(の横書)なので、そのままでは読めない僕。中国古典の書き下しだってもう100%できなくなっているから、見ても意味は分らないのだ。日本のニュートーラス盤にはそのあたりしっかり和訳が載っていたんだろうが、見たような見なかったような…。そりゃ、ここまで激しく感動したことがなかったからさぁ〜。あまり真剣に読んでなかったんだよね。どうでしょうか、僕がプレゼントしたニュートーラス盤の『淡淡幽情』をお持ちの大阪在住の男性音楽ファンの方?
詩(歌詞)の意味が分らないなりに、鄧麗君のこの歌声の優しさ、柔らかさ、なんでも全部包み込んでしまうような懐の大きさ、包容力、そっと優しく語りかけてくれて、五月に落ち込んだのが100%完全には戻っていない僕のメンタルを撫でてくれる、本当にとうようさんの書く通りのまるで「仏」みたいな救いの手 〜 これらは世界中の誰だって聴けば分るはず。心に触れるはずだ。
あ〜、イカンイカン、いったんちょっと気持が落ち着いたかのような僕だったのに、『淡淡幽情』の鄧麗君の歌を聴きながら書き進むと、やっぱりまた涙が滲んでくる。もう何回聴いているんだ、これ?僕のメンタルが弱すぎるのか、テレサの歌が優しすぎるのか、その両方か、とにかくこんな歌は55年の人生で今日初めて知った、マジで。いままでジャズやブルーズなどばかり聴き狂ってきた僕の音楽人生はなんだったんだ?このまま全部放棄してしまいたい。もうテレサだけでいい。テレサ以外の音楽家はもう要らない。
『淡淡幽情』では鄧麗君の歌があまりにも素晴らしすぎる(と書くと、どうしてブワッと涙が溢れ出るんだ?)のだが、伴奏も素晴らしい。たぶんエレベ(&エレキ・ギターも?)だけが電気楽器で、それ以外はフル・アクースティックなサウンド。しかも派手さが全然なく、テレサの柔和な声を100%存分に活かすように控え目の優しい音でオーケストラが演奏している。ドラム・セットも入っているが、やかましい叩き方は全くせず、ほぼビートをキープするだけ。
これらは企画の勝利ってことなんだろうなあ。誰が思いついての『淡淡幽情』みたいなコンセプト・アルバムだったのか、そのへんも書いてあるんだろう。中国語が読めれば分るんだろう。南唐や宗の古典詩をとりあげて、それにメロディをつけ、鄧麗君が歌い、彼女の歌と同じ種類のサウンドの伴奏をつける 〜 間違いなく用意周到に準備され練られた作品だよね。
以前からみなさんがテレサ・テン(鄧麗君)では『淡淡幽情』が一番いいぞというのが、ようやく、2017年6月某日になってようやく、僕も心の底からそうに違いないと分るようになった。何年も前に僕が Twitter で「世界三大女性歌手」としてカルメン・ミランダ、フェイルーズ、アマリア・ロドリゲスの名前を出したとき、私だったらテレサを入れますと言ってくださった女性音楽マニアの方のその言葉が、何年も経って初めて僕に理解できたのだった。
そんな僕、いま55歳と3ヶ月ちょいなんですけど、もう今後、女性の歌で泣くのは鄧麗君と岩佐美咲だけにします。この共通する資質の二人の歌があれば、僕はもう死ぬまで過ごせそうです。テレサとわさみんだけ。この二人以外誰も要りません。
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