マグレブ追放者たちの歌
北アフリカのマグレブ地域の出身で、(旧)宗主国フランス、特にパリに渡って活動した音楽家が多いことはみなさんご存知の通り。彼らは移民というか亡命者というか追放者みたいなもので、理由はいくつもあっただろうけれど、主たる二つは経済的なものと政治的なものかなあ。いつごろからマグレブからフランスへの移動がはじまったのかは分るわけもないのだが、大衆音楽の場合、録音その他の記録が残っているということが重要なので、それで辿ると、1917年にはパリのオランピア劇場で、シャアウィ(アルジェリア)の歌手アイッサ・エル・ジャルムニがライヴ公演を行ったとなっている。
フランスで(主にパリで)演唱したマグレブ追放者たちがやった音楽は、かつてはアラブ・アンダルース古典、現代になっては、シャアビやライやシャアウィなどなんだろう。前々から僕も繰返すように、マグレブ地域のアラブ音楽にはユダヤ人も深く関わっていたので、アラブ・アンダルースでもシャアビでもないようなユダヤ系マグレブ歌謡みたいなものとか、もちろんアルジェリア系だけでなく、チュニジアやモロッコの歌謡音楽もあったはずだ。
上でシャアウィ歌手アイッサ・エル・ジャルムニの1917年パリ公演のことに言及したけれど、マグレブから追放されフランスに渡り活動した音楽家の歴史から推測するに、これはごくごく最近の事実ということになるんだろう。しかしながら、北アフリカのマグレブ地域においてもアラブ・アンダルース古典は数百年の歴史を持つものだとはいえ、それがポピュラー・ミュージックになって花開いたのはやはり20世紀に入って以後に違いないので、ってことは1917年は最古の部類に入るのか?
その1917年のアイッサ・エル・ジャルムニによるパリはオランピア劇場公演。オランピア劇場はかなりポピュラーな場所だから、ここで誰がやろうとまったく不思議ではないのだが、1967年にはエジプトのウム・クルスームが同劇場でライヴをやっている。ウムの場合は単にアラブ圏外での海外公演というだけの意味だろう。別にアラブ世界から追放された人物ではないし、だいたいエジプトはマグレブ地域ではない。それにこの国はアラブ音楽のメッカ・中心地なので、古くから録音だって現地でもはじまっている。エジプトにおける商業録音の開始は、アメリカなんかより早かったんだよね。
がまあしかし、ウム・クルスームのような大人物でもパリのオランピア劇場公演は1967年だったということを考えると、1917年にそれをやったアルジェリアのシャアウィ歌手アイッサ・エル・ジャルムニは、やはりかなり早い一例と言うべきなんだろうなあ。視点を変えれば、それほどマグレブ地域で生まれ育ち、同地を離れフランスに渡り活動する音楽家の歴史は長く深いってことだ。そうであるとはいえ、在仏マグレブ人の音楽活動が活発になるのは、やはり第二次世界大戦後と見るべきだろう。
そんなマグレブ追放移民たちがフランスで歌い録音した望郷の歌を集めたアンソロジーがある。昨2016年にフランスの MLP(Michel Lévy Projects)がリリースした CD 二枚組『シャンソン・デグジル・ダフリーク・デュ・ノール』(Chansons d'Exils d'Afrique du Nord)。この手の、なんというか故郷を出て他国の都会で活動する追放者の歌に激しい共感を覚える僕はタイトルだけで判断して、エル・スールに入荷直後に即買い。
二枚組『シャンソン・デグジル・ダフリーク・デュ・ノール』に収録の全27曲のなかには、既にお馴染のものがいくつもある。しかし、マグレブ追放移民の望郷歌集であるにもかかわらず、そんな種類の最大の代表曲であるダフマーン・エル・ハラシの「ヤ・ラーヤ」は収録がない。あまりにも有名だからというのが一つと、あと、これはどういうことかよく分らないのだが、エル・ハラシの「ヤ・ラーヤ」オリジナルは、いろんなものになかなか収録されない場合が多いよね。場合によってはエル・ハラシのベスト盤にすら入らなかったりするのだが、これはどういうことなんだう?権利上かなにかの不都合な理由があるんだろうか?あるいはまったく別の理由?どなたか事情をご存知の方、教えてください。不思議です。
『シャンソン・デグジル・ダフリーク・デュ・ノール』に収録のダフマーン・エル・ハラシは、一枚目七曲目の「ヤ・ザイル」(1965)だ。この曲を含め、エル・ハラシについては、以前ほんのちょっとだけ触れた。「ヤ・ザイル」もマンドーラによる華麗な旋律に続き歌が出るという、かなりティピカルなシャアビだ。
『シャンソン・デグジル・ダフリーク・デュ・ノール』収録の、ダフマーン・エル・ハラシ以外の超有名人というと、例えば二曲収録のシェイク・エル・ハスナウイ(1949、55)とか、それぞれ一曲だけ収録のシェブ・マミ(1988)とシェブ・ハスニ(1992)あたりかなあ。マミもハスニも言うまでもなくライの歌手だが、このアンソロジー収録の曲は、二名ともまだぜんぜんポップなものではない。かなり渋く地味で、アラブ・アンダルース古典〜シャアビの流れに立脚しているようなスタイル。
彼らの次に知名度があるのが、ヌーラ(1966)、ホシヌ・スラウイ(1950)、アクリ・ヤヒアテン(1955)、ラウル・ジュルノ(1955)、ナッシーマ(2009)、レネット・ロラネーズ(1985)あたりじゃないかなあ。ここまで書いてきた人たち以外で『シャンソン・デグジル・ダフリーク・デュ・ノール』に収録の歌手は、正直に告白するが、僕は知らない。特にこの人が傑出しているというものに聴き当たらないように思うんだけど、それでもマグレブ音楽、特に聴いた感じ、アラブ・アンダルース古典(をややポップにしたもの)とアルジェリアのシャアビ(っぽいようなものも含む)が多いようだ。
フランスはパリでマグレブ音楽が盛んになったのは、かのラテン地区(カルティエ・ラタン)における、やはり第二次大戦後の1950年代初期あたり以後の話のようだ。その頃からラテン地区の様々なカフェやその他いろんな場所で生演唱が行われ、またヨーロッパ系のレコード会社がどんどん録音し、しかもそこそこ売れたそうだ。ってことはフランスその他の欧州系白人もたくさん買ったって意味になるよねえ。マグレブ追放歌手たちは、フランスで暮らす厳しさ、つらさ、やるせなさ、望郷その他を歌ったみたいだけど、白人たちはどこらへんに共感したんだろう?僕みたいに日本に暮らす日本人で亡命・追放・放逐の経験はなく、アラビア語はもちろんフランス語の聴解だっておぼつかない人間でも激しく共感できる部分が確かにあるので、ぜんぜん不思議なことではないんだろうけれども。
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