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2017/06/28

日本の四畳半フォークみたいなマカオの歌

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香港から高速フェリーですぐなので(確か30分程度だったような?)遊びにいったことがあるマカオ。中国に正式返還されたのが1999年だったので、僕が行ったのはその前。カジノが目的ではなく、単なる物見遊山。でもマカオにこんなに楽しい音楽があるとは、その当時まったく意識していなかった。音楽のない国・地域なんて地球上に存在しないんだから、面白い音楽があって当然だけど、なかにはロシア民謡みたいだったり、日本の歌謡曲ソックリみたいなのもあったり、それもある時期の四畳半フォークに似たようなものさえあるのが、『ア・ヴィアジェム・ダス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)10:マカオ』。

 

 

このマカオ篇の収録時間は、CD としてはかなり短く約48分。しかも1トラック目とアルバム・ラスト14トラック目はナレイションだ。特に音楽と強い関係のなさそうなもので、1トラック目ではマカオの情景をノスタルジックに語り、14トラック目では中国正月の情景描写。といっても僕にポルトガル語の聴解能力はないので、トラジソンがもとからつけているブックレット記載の文字起こしを(ナレイションを聴きながら)ポルトガル語原文/英訳の両方で読んで、そういうことかと理解しているだけ。

 

 

だから普通の意味でのいわゆる音楽は『ア・ヴィアジェム・ダス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)10:マカオ』に12曲しかなく、時間もトータルで40分あるかないかという程度。でもかなり面白い。僕の耳を一番惹いたのは11曲目の「Ponte I - Macau」。これがまさに日本の歌謡曲、それも1970年代初頭あたりの、日本のいわゆる(特に四畳半)フォーク・ソングにかなり近い。というかソックリだと言ってしまいたい。

 

 

フォークのだれのどれに近いかは、まあ指摘できないんだけど、この独特の雰囲気がもう間違いないと思う。でも僕はああいった、いわゆるフォーク連中のレコードは一枚も買ったことがない。いわんや CD をや。もっぱらテレビの歌番組と、あとは僕が小学校高学年か中学生の頃にテレビ・ドラマなんかでよく使われていた。だからあの情緒だけは鮮明に憶えている。どんなのがあったっけ?中村雅俊ら(秋野太作もいたっけ?)三人が主演の青春ドラマとかあったよなあ。なんだっけなあ?調べれば分るだろうが、それはしなくてもいいだろう。

 

 

そんなわけでなんとなくの雰囲気だけ憶えているあの時代の日本のフォーク・ソング。暗く湿っぽく、リズム感も悪く、こじんまりとしていて、あの当時から嫌いだったけれど(だってちょうどその頃山本リンダとかが好きだったわけだから)、いまも聴く気になんかなるわけがない…、かというと実はそうでもなくなっていて、たまになにかのテレビ(歌)番組や YouTube 動画などでそんなようなものを観聴きすると、案外いいなあという気がするから不思議だ。単に少年時代へのノスタルジーを好ましく思うようになっているだけなのか?

 

 

そんな雰囲気にソックリな『ア・ヴィアジェム・ダス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)10:マカオ』の11曲目「Ponte I - Macau」。マカオという言葉が曲題にもあるし歌詞にも出てくるし、なんだかよく分らないが当地への想いを綴ったものなのだろうか?哀感を帯びたマイナー・キーの旋律はなんだか甘酸っぱいものだが、それはこのアルバムのなかではちょっと例外的なポップ・ソングだ。しかし、どうしてここまで日本の四畳半フォークに似ているんだろう?

 

 

 

『ア・ヴィアジェム・ダス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)』シリーズの一枚ということは、当然ポルトガルの植民地だった土地で、その旧宗主国からの音楽的影響の痕跡をたどるのが目的でマカオ篇も編まれているわけだけど、上の「Ponte I - Macau」は、ギターをメインで使っているのと、フルートが絡むのがインドネシアのクロンチョンっぽかったりする。テナー・サックスのソロはあまり関係なさそうだ。でもメロディの哀感は、やっぱりポルトガル由来なんだろうか?

 

 

11曲目「Ponte I - Macau」だけを例外とし、他の『ア・ヴィアジェム・ダス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)10:マカオ』収録曲は、(表面上は)カラッと明るくサラリ軽く涼やか。この点でもクロンチョンに相通じるものがあるような気がする(のは僕だけ?)。ちょっと面白いのが四曲目の「Casa Macaísta」。この曲題だけでもお分りのように、これはファド・スタンダードの「ポルトガルの家」(Uma Casa Portugeusa)なんだよね。アマリア・ロドリゲスも歌っている。典型的なファドっぽくないかなり陽気な曲調のものだ。

 

 

 

『ア・ヴィアジェム・ダス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)10:マカオ』収録の「Casa Macaísta」はこれ。ファド原曲のポルトガルをマカオに置き換えて歌っているのがイザベル・メシャ(Mexia の読みはこれでいいんだっけ?)。聴こえる弦楽器が普通のギターではなくマンドリンみたいな響きなので、たぶんポルトガル・ギターか、それを原型にマカオ人が工夫したものに違いない。

 

 

 

マカオのカーニヴァルの行進を歌った五曲目「Marcha do Carnaval」でも、やはり鳴っている弦楽器はポルトガル・ギター(かそれ由来の同族弦楽器)。弦楽器といえば続く六曲目が「Viola Chinesa」という曲題なので、中国の弦楽器を題材にした曲なんだろうが、曲調に中国風な部分はかなり薄い。中国風というよりポルトガル由来のユーロピアン・メロディだ。どっちも YouTube にはないみたい。

 

 

中国風だと分るものが流れてくるのは、12曲目の「Casas De Ópio (Versão Instrumental)」になってようやくのこと。楽器もそんなものが使われているみたいだし、使われているスケールがいわゆるヨナ抜きの五音音階で、誰が聴いてもファー・イースタン・ミュージックだと感じるものだろう。下にご紹介するのは同じ曲だけど、『ア・ヴィアジェム・ダス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)10:マカオ』収録ヴァージョンではない。でもなんとなくの雰囲気は分るはず。

 

 

 

しかしいまハッと思い当たったけれど、ヨナ抜きということは日本の曲にも多いわけで、先になんだかすごく不思議だと言わんばかりに強調した『ア・ヴィアジェム・ダス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)10:マカオ』11曲目の「Ponte I - Macau」が日本の四畳半フォークに酷似しているかのように聴こえるのは当たり前だったりするんだろうなあ。トラジソンが出したシリーズだからポルトガル由来という事情ばかり考えていた僕が浅薄だった。

 

 

八曲目「Bastiana」は中国風なところが皆無な、完全なるキリスト教会の賛美歌合唱。ロシア民謡風なものが聴こえると最初に書いたのが九曲目の「Aqui bôbo」。前者は単にポルトガルが支配してキリスト教音楽を持ち込んだ名残ってだけだろうからなんでもないけれど、後者はちょっと面白いかも。『ア・ヴィアジェム・ダス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)10:マカオ』収録ヴァージョンじゃないけれど、同じ曲でこんなのが見つかった。内容はほぼ同じ。

 

 

 

基本メジャー・キーだけど、途中でなんどかマイナーに転調するよね。その部分がまるでロシア民謡の旋律みたいじゃないかと僕には聴こえるんだけど?でもこれもよく考えてみたらポルトガルとロシアとマカオの関係云々じゃなく、中国とロシアが隣国同士だからってだけの話なのかなあ?こういったマイナー・スケールは極東アジア〜ユーラシア大陸東部で似通ったものがあるのかもしれない。なんの根拠もなくまったくの当てずっぽうで言っているけれども。

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