乾いた硬質ピアノ・トリオ 〜 チック・コリア
本論に関係ないことを最初に書いておく。ブログ記事などは自分で書いて、校正・校閲も自分で施さなくちゃいけない(場合がほとんどだと思う、芸能人のみなさんのことは知りません)ので、その点ちょっと大変かもしれない。僕の場合、過去に雑誌記事や単行本の一部などを書いた経験があり、その際、他者の視点である編集者の校正・校閲の冷徹さ&素晴らしさを実感もしているので、それを自分で書いた文章に自ら行うのは不可能だと分っている。ずいぶんあとになって読み直すと、どうしてこれが見つけられなかったんだ?と不可解千万なことがかなりあって絶望するばかり。書いてアップするのはもうやめたいという気分になるころともある。そのあたり、「自」を徹底して客観視する「他」の視点を持てる書き手こそ一流なんでしょう。僕はあまりにもほど遠い。
さて、本題。アナログ・レコードで一度も聴いたことがなかったので(最初からブルー・ノート盤だったと思われているかもだけど、違うのだ)、疑わずにこういうもんだと思って買ったチック・コリアのピアノ・トリオ作品『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』のリイシュー CD。僕が持っているのは1998年の米 EMI/ブルー・ノート盤なんだけど、かなりあとになって、これは曲順がメチャクチャだと知った。
リイシュー・プロデューサーとして名前が記載されているマイケル・カスクーナさんに一度問い質してみたい気分なんだけどね。いまアマゾンでチックの『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』を見てみたら、現行のリイシュー CD ではちゃんとなっているみたいだ。でもたぶん買わないな。iTunes で曲順の並べ替えは自由かつものすごく簡単にできちゃうもん。そうやってオリジナル・アルバム通りにしたプレイリストを聴けばいいんだから。CD だとプログラミング再生することだってできる。
でもちょっとやっぱりなんか…。チックの『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』は A面B面を言わなければ、オリジナルでは一曲目が「ステップス ー ワット・ワズ」。以下「マトリックス」「ナウ・ヒー・シングズ ー ナウ・ヒー・ソブズ」「ナウ・ヒー・ビーツ・ザ・ドラム ー ナウ・ヒー・ストップス」「ザ・ロー・オヴ・フォーリング・アンド・キャッチング・アップ」になる。
ところがですよ、僕の持っている1998年のリイシュー CD だと、一曲目が「マトリックス」で、二曲目がなんとボーナス・トラックの「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ」になっている。三曲目以下も同様に、オリジナル・アルバムの曲順を完璧に破壊して並べ、しかもそのど真ん中にどんどんボーナス・トラックをねじ込むという暴挙。オリジナルではオープニングの「ステップス ー ワット・ワズ」が六曲目なんだもんね。
これ、なんなんですか?カスクーナさん、ちょっと教えてくれ。ある時期のリイシュー CD ではときたまこういうのを見かけたけれど、ここまでひどいのにはなかなかお目にかかれない。この事実を知って以後、僕は Mac にインポートしたそのリイシュー盤であるチックの『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』の曲順をちゃんとしたものに並べ替え、その後それでしか聴いていないもんね。そうすると、CD だけでそのまま、破壊された曲順のまま聴いていた時代とはかなり印象が違って聴こえる。新しい現行のリイシュー CD を買いなさいという意味なんですか、これは?しかし僕はこういうのいっぱい持っているから、全部買い直していたら金銭面でも大変なんですけどねっ。
愚痴だった。音楽の話をしよう。以下は並べ直したオリジナル・アルバム通りの曲順で、しかも全部で八曲あるボーナス・トラックのことは無視して、全五曲、計41分のアナログ盤(のようなものに似せたプレイリスト)に沿って話を進めたい。この1968年録音のピアノ・トリオ作品って、当時としては聴衆にかなり新鮮な驚きを与えたんじゃないかなあ。68年のチックのこれ以前に、こんなジャズ・ピアノ・アルバムってあったっけ?僕が知らないだけか…。
一番ビックリするのは(LP だと A 面二曲目だったらしい)「マトリックス」かもしれない。この曲、ちょっと気づきにくいが、12小節でコード進行も定型のブルーズ楽曲なのだ。しかしどこをどう切り取っても(いわゆる)ブルーズがない。そのせいで、大のブルーズ愛好家を自認しながらも、いつも耳はボンヤリしている僕なんか、長年分らなかった。
チックはわざとこんな感じのブルーズ曲を書いてわざとこんな演奏をしているんだろうなあ。ウェイン・ショーターの書いた、やはり12小節定型ブルーズの「フットプリンツ」にもちょっとだけ似ている。あのウェインのも、初演である自己名義録音(『アダムズ・アップル』)も、当時レギュラー・メンバーだったマイルズ・デイヴィス・クインテットでの再演(『マイルズ・スマイルズ』)も、全くどこにもブルージーさがないブルーズだ。
だからチックが「マトリックス」をやる二年前にあるにはあったんだよね。しかも「フットプリンツ」の二年後にチックもマイルズ・バンドの正式メンバーになってウェインと共演することになって、1969年のライヴではなんどか「フットプリンツ」も演奏している。録音が残っていて判明している限りでのチックのマイルズとの初共演は、68年9月のスタジオ録音二曲(『キリマンジャロの娘』収録)だから、『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』の録音はそれよりも半年ほど早い。
『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』ではベースもミロスラフ・ヴィトウスだから、これまた1968年時点では新時代の新感覚ベーシストで、実際、そんなウッド・ベースの弾き方をしている。ドラマーだけがビ・バップ全盛期から活動しているヴェテラン、ロイ・ヘインズ(なんと2017年でも92歳現役!)だけど、ロイはそもそも感覚的、あるいは演奏スタイル的に守旧派じゃないから、チックとヴィトウス二名の演奏にもちゃんとついていっている。
僕は大のブルーズ愛好家だから、やっぱり二曲目の「マトリックス」にこだわりたい気持があってここまで書いたが、ふつう一般的には、チックの『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』では一曲目の「ステップスーワット・ワズ」こそが目玉だろう。僕もかなり好きだ。前半はやはり(当時としては)ちょっと分りにくいものだったかもしれないが、後半がお馴染のスパニッシュ・ナンバー「ラ・フィエスタ」なのだ。
「ラ・フィエスタ」だというのは、もちろんふざけて言っているだけで、でも手っ取り早くどんな曲(というかパートか?)なのか、ご存知ない方に伝わりやすいんじゃないかと思ってそう表現してみただけ。スパニッシュになるのは中間部のロイのドラムス・ソロを経て 7:33 から。「ステップス ー ワット・ワズ」全体で 13:52 だから半分はスパニッシュ・パートだということになる。いや、ホント「ラ・フィエスタ」に似ているんじゃない?
1968年3月録音で同年12月リリースだった『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』は、リリース順で言えばチックのデビュー・アルバムになるものだから、ってことはこのピアニストは最初からスペイン志向があったということになるなあ。同じくスペイン志向が強いマイルズが目をつけたのもそれで…、と一瞬思ったが、初起用が同年9月だから、それは見当外れだった。しかし同バンドの前任者ハービー・ハンコックにそんな方向性は、マイルズ・バンド時代も独立後も全然ないので、ちょっとはなにか感じていたかもよ、マイルズも。
ブルーズとかスパニッシュとか僕自身親しみがあって分りやすいものの話ばかりしているが、チックの『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』を全体的に見渡すと、もちろんそんな方向性の作品だとは言えない。僕のなかではかなり大きな部分になっているが、それだけじゃこのアルバムを聴いたことにはならない。
1968年当時の新感覚ジャズ・ピアニストだったチックの面目躍如となっているのが、「ステップス ー ワット・ワズ」前半部、「マトリックス」のブルージーじゃないフィーリング、そして(LP だと B 面に行って)全体の四曲目「ナウ・ヒー・ビーツ・ザ・ドラム ー ナウ・ヒー・ストップス」、ラストの「落下と捕捉の法則」 あたりかなあ。後者二曲にはいわゆる通常のテーマみたいなものが用意されておらず、全体が最初から即興演奏だけで組立てられているようだ。
なかでも四曲目の「ナウ・ヒー・ビーツ・ザ・ドラム ー ナウ・ヒー・ストップス」は、こんな曲題であるにもかかわらず、ドラマーのロイ・ヘインズは半分あたりまで全く出てこない。その間、ベースのミロスラフ・ヴィトウスも不在で、約五分間、チック一人によるピアノ・インプロヴィゼイションが続くのだ。そこが僕はかなり好き。リズム二名が入ってトリオ演奏になってからはそんなに斬新でもない感じで、1960年代には既にたくさんあったようなメインストリーム・ジャズだからイマイチ。
アルバム・ラストの短い(三分もない)「ザ・ロー・オヴ・フォーリング・アンド・キャッチング・アップ」も即興演奏だけで組立てているが、この曲(?)でのチックは、グランド・ピアノという楽器の構造を利用してフル活用しているような演奏だ。鍵盤を叩くだけでなく、いやあまり叩かず、グランド・ピアノの蓋を開けて張ってある弦をそのまま直接なにかではじいているみたいな音の方がメインになっていると聴こえる。ひょっとしたらベースとドラムスの二名は全く参加していないかもしれない。
グランド・ピアノをこんな風に使うのは別にチックがはじめたことなんかじゃ全然ないけれど、でも1960年代末〜70年代初頭時期には似たようなピアノ演奏や、録音技法に工夫を凝らしたようなものがジャズ界にいくつもあったことを考えると、ちょっと面白いことかもしれない。ウェザー・リポートのジョー・ザヴィヌルもやっていた(「ミルキー・ウェイ」など)。チックが1991年のマウント・フジ・ジェズ・フェスティヴァルで、キューバのピアニスト、ゴンサロ・ルバルカバとデュオ共演した際のラスト「スペイン」では、ゴンサロの方があらかじめステージにドラム・スティックを持ち出してピアノの上に置いてあって、曲最終盤でスティックでピアノ本体を叩いて打音を奏でていた。ゴンサロは使う場面があると想定して持ち出していたんだろうか?
チックの『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』は、全体的に乾いた質感の硬質サウンド。だからもともと湿り気があるのがブルージーな情緒ということになるだろうから、ブルーズ楽曲「マトリックス」で全然ブルージーさがないのは当たり前。それでもちょっとした湿度をほんのりと感じる時間もある。一番はっきりしているのが、上でも触れた「ステップス ー ワット・ワズ」後半部のスパニッシュ・パートと、あとは三曲目のアルバム・タイトル曲「ナウ・ヒー・シングズ ー ナウ・ヒー・ソブズ」がそれ。一番最後のもややスパニッシュ。
しかもこの二曲で聴けるエモーションは、その後のリターン・トゥ・フォーエヴァーにつながっているように僕には聴こえるんだよね。リターン・トゥ・フォーエヴァーはかなり知名度があるから説明する必要はないと思うけれど、ご紹介した曲「ナウ・ヒー・シングズ ー ナウ・ヒー・ソブズ」や、やはり上で音源を貼った「ステップスーワット・ワズ」後半部などは、RTF で聴けるチックのフェンダー・ローズ演奏に似ているじゃないか。
その後、マイルズ・バンド時代のフェンダー・ローズ演奏は過激で鋭角的に尖っていて、湿り気のある情緒を感じるのは例外的だけど(でも僕はそんな過激なチックもかなり好きだ)、数年してはじめるリターン・トゥ・フォーエヴァー時代にはそんな湿度のあるフィーリングがたくさんあるのを踏まえると、生/電気の違いはあっても、リリース順でのデビュー作『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』は、ちょっぴり先鋭的な部分もありながら、チック本来の持味をも表現していたのかもしれないよなあ。言うまでもないだろうが「いまの」チックに興味はゼロだ。
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