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2017/07/10

エグ味全開なジョン・リー・フッカーのブルーズ

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ジョン・リー・フッカーの最有名曲「ブギ・チルン」を僕が生まれて初めて聴いたのは、間違いなく高校生の頃のこれだ。英ロック・バンド、レッド・ツェッペリンの LP 二枚組ライヴ・アルバム『永遠の詩』ラストの「胸いっぱいの愛を」。もちろんそんなことはどこにも書かれていなかった。いまならば…、と思ってネットでちょっと検索してみたが、パッとした記述が出てこない。あれれ〜?オカシイなあ。

 

 

もっとも、僕があの「胸いっぱいの愛を」で、ジョン・リー・フッカーの「ブギ・チルン」やその他いろいろやっていることを知ったのは、うん、まあ確かになんだかいくつか繋げてあるみたいだぞとは高校生の頃から気付いていたものの、誰のどれをやっているだなんて分るわけもない。古めのアメリカ(黒人)音楽をどんどんたくさん聴くようになって、ようやく「な〜んだ!」ってなったのだが、そこまでに軽く10〜15年以上かかっている。しかしいまだにネット上でもはっきりした記述がないなんて…。この際だから、あの「胸いっぱいの愛を」で、誰のどの曲をどの順番でやっていると全部書いてしまいたい気分なんだが、ちょっとそれも遠慮しておこう。それにツェッペリンのライヴでは毎回違っていたみたいだしな。

 

 

とにかく、あの公式盤『永遠の詩』の「胸いっぱいの愛を」では、ジョン・リー・フッカーの「ブギ・チルン」を間違いなくやっている。テルミン炸裂も終りテンポがなくなる中間部で、「夜遅くなってパパとママが話しているのを聞いたんだ、あいつはもう子供じゃない、だからそろそろブギ・ウギさせてやってもいいと思うんだ」とロバート・プラントが歌っているよね。ジミー・ペイジがちょろちょろっと弾くギター・フレーズに乗って。あれがジョン・リー・フッカーというアメリカ黒人ブルーズ・マンの最有名曲だとライナーノーツにでも書いてあったならば高校生の頃から僕はフッカーを…、は無理か、ライナーだから書けないな。それに渋谷陽一だしな。だからライナーではなくなにか紙の情報源にその記述があったらなあ。もしそうだったら僕がフッカーに出会うのはもっと早くなっていたはずだ。

 

 

いずれにしても、レッド・ツェッペリンだけでなく、ビートルズにしろローリング・ストーンズにしろエリック・クラプトンにしろほかの誰にしろ、あのへんの1960年代に活動をはじめた UK ロッカーたちに、まったくなんの共感もないだとか嫌いだとか、いろんな方々が(たくさんお見かけする)おっしゃるのはどうでもいいことだ。アメリカ黒人ブルーズ〜リズム&ブルーズなどをたくさん教えてもらった 〜 これは、僕だけじゃない、みんなそうなんだ。これはまったく揺るがない厳然たる事実だ。だから共感もなしで嫌いでもいいけれど、存在と功績だけは認めてくれてもいいんじゃないかなあ。ロックそのものとしてというより、アメリカ黒人ブルーズへの道案内役として。

 

 

ジョン・リー・フッカーの場合、とりあえずなにか一枚か二枚聴いてみたいと思ったら、いまでもやっぱり P ヴァインの二枚、『ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー』『Pヴァイン ブルースの巨人 15』が最も好適なんじゃないかなあ。いっぱい持っている僕も、なにかちょっとフッカーを…と思ったら、この二枚を一つにしてあるプレイリストを鳴らす。あとは P ヴァインではないがアメリカの SHOUT Factory(ってどこ?ロス・アンジェルスの会社みたいだが)が編んで Sony BMG が配給した CD 四枚組『フッカー』もわりとよく聴く。

 

 

四枚組『フッカー』もちょっと面白いんだよね。三枚目までは普通のベスト盤アンソロジーだけど、四枚目がいろんなロッカーその他との共演集。ヴァン・モリスン、カルロス・サンタナ、ボニー・レイット、ロバート・クレイ、ライ・クーダー、ジョン・ハモンド、ジミー・ヴォーン、ロス・ロボス、エリック・クラプトンなどなど。それらをもとのアルバムで全部集めるのは面倒だから、ジョン・リー・フッカー分だけ一枚になっているのが便利で助かるのだ。この四枚目があるせいで『フッカー』もなかなか侮れない。

 

 

『フッカー』の三枚目までは、まず一枚目がやはり当然1948年モダン・レーベル録音「ブギ・チルン」ではじまり、二枚目、三枚目とイーグル、キング、チェス、デラックス、ヴィー・ジェイ、リヴァーサイド、アトコ、ブルーズウェイ、ABC など各種レーベルへの録音が年代順に収録されている。P ヴァイン盤『ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー』は、もっぱらモダンへの1948〜54年録音、『Pヴァイン ブルースの巨人 15』はキングへの1948〜50年録音集。どっちもほぼすべてシングル・ナンバーだから「オリジナル」・アルバムなんかじゃありません、世間の「アルバムで聴く」志向のみなさん。

 

 

P ヴァイン盤二枚のうち『ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー』では、17曲目から、かなりの少人数編成だとはいえバンド形式になっていくが、ジョン・リー・フッカーのブルーズは、あくまで僕にとっては独りでのギター弾き語りこそが最高の表現形式だ。キング録音を集めた『Pヴァイン ブルースの巨人 15』は、全16曲がフッカー独りでの弾き語りだから素晴らしい。

 

 

ところで録音時期がほぼ同じであるのに、『ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー』のモダン録音と『Pヴァイン ブルースの巨人 15』のキング録音では音の状態がかなり違うよね。単に会社の録音技術のせいだけなのかもしれないが、後者の方が荒々しく、より生の感じで、う〜ん、上手く言えないんだが英単語でいえば ‘harsh’。この言葉に尽きるようなサウンドだ。そうでなくたってもとからドロドロにエグいジョン・リー・フッカーのブルーズが、もうなんだか体中の毛穴という毛穴からしみだしているかのような強烈さで、突き刺さるような密度の濃いブルーズに聴こえる。『ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー』で聴けるモダン録音も最高なんだが、『Pヴァイン ブルースの巨人 15』のキング録音には腰が抜けちゃうね。だからアメリカ黒人ブルーズのエグいのをあまり聴きなれない向きには、『ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー』の方から入門するのをオススメしたい。最初にいきなり『Pヴァイン ブルースの巨人 15』を聴いたら遠慮したくなると思うな。

 

 

そんなことで、バンド形式、それもロック・バンドに近いような編成でやるようになって以後のジョン・リー・フッカーもいいし、本質的にやっていることは変わっていないのだが、聴きやすさと引き換えにブルーズ表現のディープさが薄くなっているかもしれないので、僕としてはやはりフッカー独りでの弾き語りにこだわりたい。

 

 

『ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー』『Pヴァイン ブルースの巨人 15』二枚で聴けるジョン・リー・フッカーの弾き語りブルーズは完全に2パターンしかない。「ブギ・チルン」に代表されるテンポのいい(しばしば靴を踏み鳴らしながらやる)ワン・コード・ブギ。そして「サリー・メイ」に代表されるおどろおどろしくモーンするスロー・ブルーズ(もワン・コード)。この二つしかないんだよね。これらをあらゆる曲で転用しているだけなのだ。じゃあワン・パターン、じゃなくてツー・パターンか、その金太郎飴状態だからどうなんだ?と思うといくら続けても聴き飽きず、どんどんその世界に引きずり込まれてしまうのが僕も自覚できてしまう。これがブルーズ・ミュージックの魔力、恐ろしさだ。

 

 

 

 

そんなジョン・リー・フッカーのブルーズ・スタイルは、本拠をテキサスに置いたにもかかわらず、本質的に都会のものではない。コード・チェンジ(なんかないんだが)も小節数も自在に伸び縮みする融通無碍なところ=ブルーズ形式は完全無視するあたりからも、間違いなくカントリー・ブルーズのやり方だ。それもミシシッピの深南部ヒル・カントリーで受け継がれているようなもの。だからノース・ミシシッピのヒル・カントリー・ブルーズを1990年代以後録音したファット・ポッサム・レーベルのものと同じように聴こえるのは当たり前だ。R・L・バーンサイドにしろジュニア・キンブロウにしろ誰にしろ、みんなフッカーと同じじゃないか。

 

 

もちろんこれは誰が誰の影響を受けたなんていう類の話じゃない。ジョン・リー・フッカーの録音がちょっと早くなっただけで、ミシシッピの深南部で連綿と受け継がれてきている共同体財産を各人がそのままもらって、そこに自分の味を少し足して表現していただけの話だ。さらにジョン・リー・フッカーの場合、「ブギ・なんちゃら」「なんちゃら・ブギ」で有名になりはしたが、1930年代後半にアメリカで大流行した都会のピアノ・ブギ・ウギとはまったく異質の「ブギ」だ。ワン・コードだし、パターンもリズムのノリもぜんぜん違うよね。

 

 

ジョン・リー・フッカーのブギ(と呼ぶもの)は、ギターの低音弦をドローンで鳴らしながら高音弦でジャッ・ジャッとドライヴするようにはじく(というやり方はオープン・チューニングにしないとやりにくい)もの。だからダンサブルであるという点ではピアノ・ブギと共通するが、そのピアノ・ブギをロバート・ジョンスンが自らのギター・スタイルに移植して、その後のモダン・ブルーズ〜ロック・ビートの基本になったようなブンチャ・ブンチャという往復パターンは、フッカーには皆無。だからワン・アンド・オンリー、空前絶後なんだよね。

 

 

そしてピアノ・ブギを転用してシティ・スタイルのカントリー・ブルーズ・ギター弾き語りを完成させたロバート・ジョンスンに聴けるちょっとした明快さ、分りやすさ、ポップさ(が僕はあると思うのだ)は、ジョン・リー・フッカーにはまったくない。フッカーのブルーズはどこまでもディープでエグく泥臭く、まるでものすごくキツい体臭(ファンク)を嗅いでいるみたいなブルーズの醍醐味をこれでもかというほど味わわせてくれる。日本人でもアメリカ黒人ブルーズ愛好家は、そういうフッカーこそ大好きだと思うよ。

 

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