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2017/07/07

電化マイルズにおけるカリブ&ラテン&アフリカへの軌跡(短文)

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電化後のマイルズ・デイヴィスの音楽にあるカリブ〜ラテン〜アフリカについて、少しだけ書いておく。今日は本当にちょっとだけ。時間がないんだ、今日は。やらなくちゃいけない大事なことがあるので、あまり時間が割けない。本格的にはまた機会を改めてしっかり書きたいと思っているが、しかし今日書いたら、もうこれで終りになるかもしれない。

 

 

マイルズ・ミュージックにあるカリブ〜ラテン〜アフリカ要素について考え直してみようと思い立ったのは、以前、『E.S.P.』関連の文章を書いたときだった。電化して、その後ファンク化もして以後のマイルズにそんな要素が濃いのは、むかしからみんな知っていることだけど、1965年から既にその萌芽が聴けるとは、僕の場合、あの文章を書いて初めて気がついたことだった。

 

 

 

それで  iTunes でマイルズのそんな曲ばかり抜き出して一個のプレイリストにしてなんどか聴いてみた。本格的にマイルズが、まず最初にカリビアン・ミュージック的なものをやったのは、1981年まで未発表だった67年12月28日録音の「ウォーター・オン・ザ・パウンド」。この日にはこれ一曲しか録音記録がないが、これの次の68年1月12日には、やはり鮮明なカリビアンの「ファン」を録音している。

 

 

 

 

これら二曲がカリビアン電化ジャズであることは説明の必要がないだろう。マイルズの電気楽器使用例としても最も早い時期だということだって説明不要だ。だが、これらのこんなに面白い曲・演奏は、当時はこのままお蔵入り。初めて日の目を見たのが1981年のマイルズ復帰前にリリースされた未発表曲集 LP 二枚組の『ディレクションズ』でだった。なんて遅いんだ。間違いない記憶だけどこの二枚組未発表集は、復帰第一作『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』のリリースに先立ってその少し前に、露払いのような役目で発売された。

 

 

このへんの思い出話や、二枚組アルバム『ディレクションズ』の面白さについても、本当にいろいろあるのだが、それも今日はぜんぶ省略するしかない。上の「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」の二曲は、1967/68年当時お蔵入りしたのが理解できないでもないような内容ではあるなあ。だってあの頃発売されていたマイルズのアルバムのどれにも居場所がないような色のものだからだ。かろうじて68年の『キリマンジャロの娘』になら入りそうだが、このクウェラ・マイルズ、サウス・アフリカン・マイルズみたいなアルバムができあがった最初のきっかけみたいなものになったのが、上の二曲「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」なんじゃないかと僕は見ている。

 

 

しかし「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」の二つについては、おそらく1981年まで完全に未発表のままだったせいなのか別の理由なのか、どなたも話題にしていない。これら二曲についての文章を僕は見たことがないんだなあ。世間に出た81年時点だと既に、例えば『ゲット・アップ・ウィズ・イット』に「マイーシャ」(録音74年)や「カリプソ・フレリモ」(録音73年)など、その他かなり強烈なカリブ〜ラテン・ファンクをマイルズは発表済だったので、67/68年録音の「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」なんて話題になりようもなかったのかもしれないが。

 

 

でもさぁ、いまならば、マイルズ・ミュージックにあるそんな要素 〜 電気楽器と8ビートの導入&カリブ/ラテン/アフリカ音楽要素の反映 〜 これの軌跡を辿ってみてもいいんじゃないかと思うんだよね。ずっと遡ると1965年の「エイティ・ワン」(『E.S.P.』)に行き着いて、またリアルタイム・リリース作品でも、1967年録音の「マスクァレロ」「プリンス・オヴ・ダークネス」(『ソーサラー』)で、やはりトニー・ウィリアムズがラテン色の濃いドラミングを聴かせている。それらが、(お蔵入りしてしまったとはいえ)二つのかなり面白い「ウォーター・オン・ザ・パウンド」「ファン」を経過して、というかこの二つで既にある程度は結実していて、それがもっと大々的に68年録音のクウェラ・アルバム『キリマンジャロの娘』に辿り着き、それがその後ファンク化して『ゲット・アップ・ウィズ・イット』みたいなアルバムになったんだと。ザッとこんな風に俯瞰できるんじゃないかなあ。

 

 

1981年の復帰後もマイルズ・ミュージックにはそんな要素がある。まず復帰第一作の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』の A 面二曲目に「バック・シート・ベティ」があるじゃないか。このリズムはまあまあ面白いぞ。バリー・フィナティが弾く導入部のギターに続きマイルズが吹きはじめてから出てくる、エレベ(マーカス・ミラー)とドラムス(アル・フォスター)二名が創るリズムがいい。特にアルのドラミングを聴いてほしい。

 

 

 

このアルバムの次にリリースされた、カム・バック・バンドによる二枚組ライヴ・アルバム『ウィ・ウォント・マイルズ』では、この「バック・シート・ベティ」はなんでもない感じになっていてリズムの面白さも消え失せているが、二枚目 B 面いっぱいを占める「キックス」。これはレゲエ・ナンバーだ。しかも途中から4ビートになったりレゲエ・ビートに戻ったりを繰返す。

 

 

 

このライヴ・ヴァージョンしかない「キックス」は、マイルズ録音史上初のレゲエ・ナンバーだ。このあとマイルズ・レゲエは、1985年の『ユア・アンダー・アレスト』に「ミズ・モリシン」(ティンバレスが派手に入る)があり、またワーナー移籍後第一作1986年の『TUTU』にも「ドント・ルーズ・ユア・マインド」(ミハル・ウルバニアクが電気ヴァイオリンを弾く)があったりする。

 

 

あぁ〜、もう時間制限いっぱいだぁ。ダメだぁ、この程度の文章じゃあ。こんなもので今日は許してください。マジでやらなくちゃいけないことがあるんです。

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