なんでも聴くって本当ですか?
(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 4)
音楽なら「なんでも聴く」「雑食だ」というのを標榜する方の場合、よく観察すると、たいてい限られた狭い範囲の同質のものを単食しているにすぎない場合が多い。(複数の)どなたか特定の方を念頭に置いての発言ではない。僕自身が完璧にこのタイプの人間だったのを振り返って言っているだけのこと。
このタイプって、いままでの僕の経験からすると、ジャズ(中心)・ファンとクラシック(中心)・ファンに多いような気がするけれど、そうでもないのかなあ。他人のことはぜんぜん分らないので僕自身の内面(もやっぱりよく分らないことが多いが)を振り返って考えるに、本気で「僕はなんでも全部聴くんだぞ」と自覚して公言していたのではなく、ある種の「格好つけ」にすぎなかったように思う。他人に対し、自分はこんなにすごいんだぞと威張ってみせているだけだった。
もちろん僕もジャズばかり聴いていた17〜23歳ごろには「なんでも聴く」という威張り方はしていなかった。そうじゃなく、ジャズってこんなにもすごい音楽なんだぞ、どうしてアンタ方はこんな素晴らしいものをを聴かないんだ?アホちゃうのんか?そんなのを聴いている自分、偉いっ!とか、もうあんまり憶えていないが、おそらくはこんな感じの内容を(このままの言い方ではないが)他人に対してしていたんだろうなあ。いま考えたらどうにもこうにも恥ずかしすぎて、誰にも見られないところに消え入りたいが、レッキとした事実だから認めなくちゃ。
これがちょっと(外見だけ)変化してきたのが、24歳でキング・サニー・アデに出会って、まずアフロ・ポップ、その後そこから少しづつ広げて、アメリカ産のジャズだけじゃなく、ちょっとだけいろいろ聴くようになってからだ。僕のうぬぼれは、ジャズって、みんなが聴いていないそれを聴いている僕って、偉い、から、みんなこんないろいろ聴かないだろ?せいぜいアメリカ産のジャズとかロックとか(日本人含め)それ系のポップ・ミュージックだけだろ?そんなの、音楽世界のごくごく一部なんだぜ、僕はその広い世界に分け入っているんだぜ 〜〜 (だから)僕は音楽ならなんでも聴くんだよ、な〜んてうぬぼれへと変化した。
言うまでもないことだが、2017年7月現在でも、僕が聴いてきている音楽世界なんてきわめて狭い。耳にしているのはごくごく一部であって、しかもこれを聴いてみたいと気持があっても、どうにも触手が伸びない、興味がわかない、生理的に無理そうだ、ピンと来ないだろうっていうものだって多い(でも実際聴いてみたら素晴らしくて惚れてしまうことも多く、だから聴いてと薦めてくださる方々には本当に感謝している)。僕の音楽趣味はすごく偏っている。音楽的偏食者だ。
あっ、偏食と書いたので、また脱線する。僕は音楽(その他いろいろ)も偏食だが、文字通りの偏食人間なのだ。食べられないというものがかなりある。しかし一つ言っておきたいのは、偏食者に対し、それを「好き嫌い」があるんですねと表現する人がかなり多いけれど、それはやめてほしい。好きとか嫌いとかで食べたり食べなかったりするんじゃない。生理的に不可能なのだ。身体が受け付けない。ダメなものも以前から僕はいろいろチャレンジはしているが、どの場合でも戻してしまうのだ。人前で戻すことはできないから、それで食べない、というか食べられない。好みの問題じゃないんだ。好き嫌いとか興味があるという点でだけ言えば、僕だっていろんな料理にすごく興味があるし、まあ「好き」だ。食べたいんだ。でも無理。
音楽的偏食でも、人によっては生理的に無理、受け付けないという場合もあるみたいだよね。気持悪くなっちゃうとかあるらしい。僕はといえば、音楽にかんしてはいままでのところそれがまだ一度もない。単に、フ〜ン、これ、どこが面白いの?ぜ〜んぜんツマラナイじゃん、もう二度と聴かないよとなるだけで、(気分的な意味で)戻したりすることはまだない。でも人によってはそれがあるんじゃないかと思うから、そうなると正真正銘の音楽偏食だよね。
そしてさらに、最近この思いがどんどん強くなっているのだが、世界中のいろんな音楽をいろいろたくさん聴いている方々だって、多かれ少なかれ、みんな音楽的偏食者なんだということ。言い換えれば単食主義者だ。真の意味での雑食聴き、なんでも聴きリスナーなんて、本当はこの世に存在しないだろう。それなのに「私は雑食です」「なんでも聴きます」「この世で”音楽”と名のつくものことごとくありとあらゆるものに興味があります」などとプロフィール欄に記載があったり発言したり、それぞれ一名ずつ計お三方、パッと思い浮かぶネット知り合いの実人物がいるんだけど、具体例を出して話をするのは遠慮しておく。僕も大差ないからだ。お三方とも同質の音楽しか聴かない単食主義者にすぎないことが、ふだんの発言内容から判断できる。
この種の話は、ネットでちょっと検索するとたくさん出てくるものなんだけど、そういうものを読むと、僕が今日ここまで書いた内容とは少し質が違っているみたいだ。単食/雑食、狭い範囲聴き/なんでも聴きの判断根拠が、ある特定の分野だけに限定されている。例えば日本の歌謡曲(J-POP)世界内での単食/雑食とか、そんなたぐいの話ばかりなんだよね。それはそれでぜんぜん構わないけれど、例えばアメリカ産ジャズと、トルコ古典歌謡と、ナイジェリアのフジと、インドネシアのクロンチョンと、などを並べてある例は一つもなかったなあ。
う〜ん、こう書くと、アンタやっぱりそう思ってんじゃないの?と思われそうなんだけど、単食/雑食の話をするのに均質分野のなかだけで判断するのも、ちょっとどうなんだろうなあ?つまり、例えばクラシック音楽ファンで、バロックもロマン派も現代音楽もぜんぶ同じように並べて聴くから雑食、古典的なものしか聴かない人は単食とか、例えばジャズ・ファンなら、ニュー・オーリンズ・ジャズもスウィングもビ・バップもハード・バップもフリーもぜんぶ聴くから雑食だなんて、そりゃちょっとおかしな判断じゃないかなあ。
僕の場合は、いまだになんだかんだ言ってやっぱりジャズ・ファンでブルーズ好きだ。ここがいまでも一番大切。でも「知っている」か「聴いている」かどうかを問われれば、ある程度ちょっとだけ自負があるのはマイルズ・デイヴィスだけ。本当にこの人だけだ。さらにマイルズについても、僕なんかよりずっとたくさんしっかり聴いている方々が、日本人に限定してもたくさんいるし、世界中を見渡すことができれば無数にいると分っている。だからマイルズ関係についてすら、僕はどっちかというと「知らない」部類に入るはず。
ってことはマイルズ・マニアを標榜している僕は、いったいぜんたい音楽でなにを知っているというんだろう?なにも知らない、なにひとつ聴いていないということになってしまうよなあ。そんでもって事実その通りだろうと最近思う。井の中の蛙みたいなことに気がついていなかった時期よりは少しマシになっているのかもしれないが、井の中からまだ出ていないもんなあ。聴いていないものが実に多い。そして一番どうしようもないのが、これこれこのような音楽がこの地球上にあるのだという、その存在じたいにまだまったく気がついてすらいないもの。たくさんあるはずだ(はず、としか言えない、だって存在すら知らないんだから)。
僕もふだんこんなことを意識して考えることなんてなくて、ただのんきに音楽聴いて楽しんでいるだけなんだけど、まあいま耳が聴こえにくくて、音源聴いても、全然聴こえないなんてことはないんだけど、どんな姿かたちなのか細部が把握しにくいからさ。だからボンヤリ聴こえるなにかを適当に流しながら、そして中耳炎とはまったく関係なく、最近どうも「私は雑食のなんでも聴き音楽リスナー」を標榜しつつ、実は狭い範囲の均質のものばかり聴いているという具体例に遭遇することが複数回あって、それで人のふり見て我がふり直せとばかりに考えたことを、今日はちょっと書いてみただけ。
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