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2017/07/08

サンバ・カンソーンの女神がボサ・ノーヴァを産む

Unknown








ブラジル人女性歌手エリゼッチ・カルドーゾの日本盤 CD は二つしかない。かなり有名な『ジョアン・カエターノ劇場のエリゼッチ・カルドーゾ』、そして『サンバ歌謡の女王』。前者はタイトルで察せられるようにライヴ・アルバムで二枚組。後者はベスト盤で、田中勝則さんの選曲・編纂・解説で、2009年に日本のライス・レコードからリリースされたもの。

 

 

しかし二つしかないなんてなあ。しかも『ジョアン・カエターノ劇場のエリゼッチ・カルドーゾ』の方はいまや廃盤みたいだ。なんてこった。ブラジル人女性歌手ではおそらく最大の存在の一人、それも私見では、カルメン・ミランダをナンバー・ワンとし、それに次ぐ二番手だと言いたいくらいの偉大なシンガーなのに。だから、ブラジル盤でいろいろお持ちだとかではない、ふつうの日本人音楽ファンで、ひょっとしてあるいはまだライス盤『サンバ歌謡の女王』をお持ちでない方は、ぜひともいますぐ!これしかないんだ!

 

 

 

ってことで今日はこのエリゼッチ・カルドーゾ入門にはこれ以上好適なものはないと断言したいライスの『サンバ歌謡の女王』に沿ってこの歌手の話をしたい。ところで、エリゼッチは一般的にはサンバ・カンソーンというものの代表格の一人とされている。だがこのサンバ・カンソーンという言葉は決して新しいものではない。あたかも1950年代のブラジルで使われはじめたかのように考えられているかもしれないが、実は20年代には既に使われていた言葉だ。

 

 

1920年代のサンバは、基本的にはカーニヴァルでエスコーラ・ジ・サンバがやる音楽だったけれど、あの当時からカーニヴァルではない場面で歌われるサンバがあって、それをサンバ・カンソーンと呼んだのがこの言葉の使われはじめだ。ダンス・ミュージックであるカーニヴァルのサンバと違って、歌を聴かせるものだったということかなあ。28年に女性歌手アラシ・コルテスが録音した「リンダ・フロール」が、サンバ・カンソーンのレコード第一号(この曲はエリゼッチ・カルドーゾと深くかかわるので、後述する)。

 

 

しかしこのサンバ・カンソーンは1930年代に入ると意味を失う。なぜならば、例えばカルメン・ミランダその他らが大活躍したように、特にカーニヴァルなんか関係なく、年がら年中朝から晩までサンバを歌うのが当たり前になったので、それらをことさらサンバ・カンソーンと呼ぶことがなくなったのだった。30年代にはサンバのなかにショーロの感覚を取り込んで、しかもそれを「歌」として聴かせるようにもなった。

 

 

そうだから、用語そのものはブラジルに古くからあったとはいえ、やはり第二次世界大戦後の1950年代になって新感覚の歌謡音楽をやりはじめ、それをサンバ・カンソーンと呼んだ時代には、この言葉は新しい意味を帯びるようになった。たぶん51年のリンダ・バチスタ「ヴィンガンサ」(ルピシニオ・ロドリゲス)と、52年のノラ・ネイ「ニンゲーン・ミ・アマ」(アントニオ・マリア&フェルナンド・ロボ)あたりが、新音楽サンバ・カンソーンがこの名前で認識されるようになった最初じゃないかなあ。エリゼッチ・カルドーゾの処女録音は50年の「カンソーン・ド・アモール」で、これの SP 盤レーベル面には、まだ “samba” と書かれてあるらしい。だがこの「愛の歌」は、既に立派なサンバ・カンソーンだ。

 

 

 

この「愛の歌」が、当然のようにライス盤『サンバ歌謡の女王』でも一曲目。ご存知なかった方も、いまご紹介した音源をお聴きになって、新感覚であることにすぐ気がつくはず。僕に言わせれば、その新感覚(ボサ・ノーヴァ)は、ほぼ同時代のキューバのフィーリンや、それと区別不能な同国やメキシコのボレーロと同質のものだ。ハーモニー感覚がジャジーで(北米合衆国のジャズを取り入れたと言えるかどうかは難しい問題なので別の機会に改めたい)、伴奏の楽器編成もモダン。決して大きくなく激しくなく過激でもない音や声を使い、柔らかい感じでそっと優しく語りかけるかのように演奏し歌う 〜〜 この点においてボレーロ/フィーリン/サンバ・カンソーン(&ちょっとあとのボサ・ノーヴァ)は完璧に軌を一にする。時代を見ても地理を見ても、これは間違いないと思う。

 

 

もう二つ、これもかなり重要なことなんじゃないかと僕が見ているのが<テンポを落とす> <夜の音楽にする>ということだ。サンバ・カンソーンに話を限定すると、サンバ全盛期にできあがったような曲でもグッとテンポを落とし激しさを消し、一段落ち着いたフィーリングに再解釈して歌っている。ダンサブルなフィーリングはあっても賑やかに騒ぐようなものではなく、ゆっくり、ゆったりと体を揺すっているような感じのノリだ。だからどっちかというと、自然と歌の中身に耳を傾けるような受け入れ方になっていく。

 

 

ライス盤『サンバ歌謡の女王』では、エリゼッチ・カルドーゾがそんな風に柔和に微笑みかけているような歌が多く並んでいる。全23曲で1950年録音から58年録音まで。すなわちエリゼッチのキャリア初期の音源で、彼女はその後も大活躍を続けるのはみなさんご存知の通り。初期のトダメリカ〜コンチネンタル原盤音源は、ブラジル本国でなら CD リイシューされたこともあるらしいけれど、日本で簡便に入手できるのはライス盤だけのはず。しかもブラジル盤 CD よりも音質が格段に向上しているようだ(と田中勝則さんの解説文の受け売り)。

 

 

ここまで書けば、あとは収録曲の一つ一つをそんなに詳しく解説しておく必要もないようにも思うけれど。まだサンバ・カンソーンとは呼ばれていないエリゼッチ・カルドーゾの1950年のレコード・デビュー(実は B 面)「愛の歌」が、二曲目以後、特にサンバ・カンソーンが爆発した52年あたりの作品よりも格段にモダンに聴こえたりするのがやや不思議だ。例えば四曲目52年の「言葉だけでは言い尽くせない」(As Palavras Não Dizem Tudo)なんか、濃厚な夜の雰囲気がプンプンして、エリゼッチの歌い方もネットリ粘っこい。

 

 

 

だがしかし同じ1952年でも続く五曲目「私たちの愛、私たちの喜劇」(Nosso Amor, Nossa Comédia)では軽くソフトに、その次のやはり52年の六曲目「悪行」(Maus Tratos)で濃厚にと、つまりこの52年当時のエリゼッチ・カルドーゾは、それら両者を自在に歌い分けることができるようになっていたんだよなあ。そしてどっちもやはり<夜の歌>だ。歌詞が、というんじゃなく全体的なフィーリングが。

 

 

 

 

アルバム『サンバ歌謡の女王』7〜12曲目はコンチネンタル移籍後。アリ・ポローゾ作品の「偽り」(Ocultei)やドリヴァール・カイーミの「もう二度と」(Nunca Mais)なども素晴らしいが省略するしかない。なぜならば11曲目に1956年録音の「美しい花」(Linda Flor)があるからだ。前述の通り28年にアラシ・コルテスが歌ったもの。それはサンバ・カンソーンの名で呼ばれたものの、現代感覚からすればこの言葉は使えないような内容。テンポもまあまあ速いし、ショーロ風の伴奏なんだよね。

 

 

 

これを1956年のエリゼッチ・カルドーゾはこう歌った。大幅にテンポを落とし落ち着いたフィーリングにして情感豊かに歌って、古風な”名称だけ”サンバ・カンソーンを、見事に現代的な”実質”サンバ・カンソーンとして蘇らせたわけだよね。<サンバ・カンソーン>というものの大きな円環を結びつけてくれたっていう、ブラジル音楽史に残る大きな偉業だ。

 

 

 

アルバム『サンバ歌謡の女王』13曲目以後はコパカバーナ移籍後。これも断腸の思いで省略するしかないすんばらしい曲・歌ばかりだ。どうして省略するのかというと、19〜21曲目の三つがアントニオ・カルロス・ジョビンの書いた曲を歌ったものだからだ。特に20曲目の「想いあふれて」(Chega De Saudade)。この知らぬ者のない超有名ボサ・ノーヴァ・スタンダードは、このエリゼッチ・カルドーゾによる1958年の歌が第一号なんだよね。初録音なんだ。ってことは、ボサ・ノーヴァの誕生はエリゼッチによってもたらされたと言えるんじゃない?

 

 

 

これを録音したとき、スタジオには当然アントニオ・カルロス・ジョビンが立ち会っていたばかりか、聴こえるナイロン弦ギターを弾くのがジョアン・ジルベルトなんだよね。しかもまだ駆け出しだったジョアンは、当時もう女神ともいうべき大きな存在になっていたエリゼッチ・カルドーゾに向かって「ここをこう、軽くソフトに歌うべきです」などとの歌唱指導までしてしまったそうだ。エリゼッチはそんな若造ジョアンの言葉を、まったく偉ぶらずそのまま素直に受け入れた結果、上でご紹介したような「想いあふれて」第一号ができあがったのだった。

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