アメリカ黒人音楽史の真実と岩浪洋三
(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 2)
『スイングジャーナル』誌の編集長だった時代もあるジャズ・ジャーナリストの故岩浪洋三さん。あまり、いや、ぜんぜん面白くない人だったように思うんだけど、この岩浪さんは愛媛県松山市生まれで、僕の母校である松山東高校の先輩 OB なのだ。これを僕が知ったのは、まだジャズ・ファンになる前の東高在学二年目のとき。秋の文化祭の講演で岩浪さんが来たんだよね。
といってもまだジャズなんかちっとも知らなかったから、「岩浪洋三」という名前と、それとあわせ演題が大きく垂れ幕(?)かなにかに書いてあった(はず)けれども、その人と題とがどなたでなになのか分るわけもなく。ただ校長だったか誰かの紹介で我が校 OB なのであると言われたので、ああそうなんだ、でもなにやってる人なんだろう?有名人かな?知らないなぁとか、その程度で、もちろん講演で岩浪さんがしゃべった内容なんかまったく1ミリたりとも理解できるはずがない。何十分間かがひたすら退屈で、体育館で腰掛けてただただ内的苦痛にもだえながら耐え忍ぶばかり。
まあ確かに取り柄の少ない(ない?)岩浪洋三さんで、僕としては尊敬もせず、ジャズ関係の執筆などの活動も評価できないと思っているんだけど、それでも生講演に接する機会なんて、その後から振り返って考えればまずありえないと知ったわけだから、ちょっともったいなかったよなあという気持もある。その高二のときに既に僕がジャズ・ファンで「岩浪洋三」という名前の意味するところを知っていたならば…、とは思うのだ。
僕が個人的に岩浪洋三さんをポジティヴな意味で面白いと思わず評価もできないと考えているのはともかくとして、日本でジャズ評論家の看板を掲げているフリーランスのジャーナリストさんたちの、ある時期の代表的存在だったことは疑いえない(のはちょっぴり悔しいが)。21世紀に入ってからかその少し前か、まだ島田紳助と石坂浩二が司会だった時代のテレビ東京の『開運!なんでも鑑定団』に、ブルー・ノート・レーベルの全アナログ・レコードのオリジナル・プレス盤コレクションを見てほしいと、 ある素人ジャズ愛好家の方が出演したことがあった。
あの『開運!なんでも鑑定団』の鑑定士軍団(と番組が呼ぶもの)には、レギュラー出演の方々にまじり、そういったときどき出現する、ふだんはない特殊専門分野の鑑定依頼があると、それにあわせ臨時にその分野を鑑定できるプロを呼んでいた。ブルー・ノートのオリジナル・プレス盤コンプリート・コレクションの鑑定士として出演したのが岩浪洋三さんだった。小川隆夫さんでもよかったような気がするが(小川さんはブルー・ノートのオリジナル盤コンプリート・コレクターとしても有名だ)小川さんの本職は医者だから、専業プロの岩浪さんが呼ばれたんだろうなあ。
岩浪洋三さんは「間違いなくすべて完璧なオリジナル・プレス LP です」とかなんとか言っていたような気がするけれど、そのへん、レコードのオリジナル・プレス盤とかいう(「音」が違うとありがたがられているらしい)世界にまぁ〜ったくなんの興味もない僕は、いろんなブルー・ノート盤のジャズ・レコード・ジャケットが続々とテレビ画面に映し出されるという、この世でまずありえない、見ることなど不可能な光景を嬉しがっていただけ。ホントあのとき一回だけじゃないかな、ジャズのアナログ盤ジャケットがあれだけどんどんたくさん民放地上波テレビ番組に出現したのは。
その面白さもさることながら、岩浪洋三さんがそういう鑑定ができる人物なのだと(かなり失礼な言い方だ)いうことを、僕はあのときちゃんと知って、でも考えてみればそりゃ専門家だからなあ、できるんだろうなあ、なんでもオリジナル・プレス盤かどうかを判別する術があるらしい、レーベル面記載か?ジャケット記載か?の番号とか?が違っているらしい(が僕はマジ興味ないから知らない)から、ジャズ・レコードの専門家なら見分けられるのかとか、そう思ったんだよね。
岩浪洋三さんのジャズ評論文章なんて、いまでは一顧だにする気もない僕だけど、それでも大学生のときに読んだこれ一個だけは、心の底からうなずける、納得できる、素晴らしいといまでも本当にそう思うものがある。1970年代に来日した際のクインシー・ジョーンズに岩浪さんがインタヴューした内容が、岩浪さんのなにかの単行本に載っていたものだ。
その文章のなかで岩浪さんはクインシーに「ジャズの伝統的な4ビートというものは、アフリカから奴隷として連れてこられた黒人たちが白人社会に合せるために、自らの黒人性を薄めて白人社会にいわば”迎合”しようと、あえて選んでいたものじゃないんですか?1970年代に入る前後から8ビートでファンキーなものがジャズ界にもどんどん出てきたのは、彼らが自らのアフロ・ルーツな文化を取戻しただけということなんじゃないんですか?」(括弧に入れているが引用ではない、手許に本はないので記憶だけ、だから正確じゃない)と聞いていた。
するとクインシー・ジョーンズはすかさず「その通り、あなたの言う通りだ」と答えていたように記憶している。クインシーのこの返事は、来日時に日本のジャズ・ジャーナリストにインタヴューされてのリップ・サーヴィス的な社交辞令まじりだったのかもしれない。がしかし本音がかなりあるように僕は大学生当時も感じていて、その思いはいまではどんどん強くなっている。アメリカのブラック・ミュージックの歴史ってそういうもんだよね。
お前、岩浪洋三の悪口ばかりふだん言っているじゃないか、そもそも岩浪の単行本なんか買って読んでいたのか?とか思われそうな気がちょっとだけするから書いておく。そう、買って読んでいたのだ。しかもどんどんたくさん。自らすすんで買って読んだんだ、岩浪さんの本を、何冊もね。最初のころはそもそもどなたが信用できる面白いジャズ・ライターで、どなたがそうじゃないかの区別なんかできていなかったというのもあるが、もっとはるかに大きな理由がある。それは要するに「ジャズに惚れた」ということ。これだ。
ジャズでもなんでもゾッコン惚れてしまうと、なんでもかんでも手当たり次第追いかけて、根掘り葉掘り漁りまくって、レコード(でもなんでもいいが)をなんでもぜんぶ聴きまくり、それに関係するあらゆる文章という文章を誰のなんでもいいから「すべて」熟読する 〜 こういうもんじゃないの?好きになる、惚れるってことは?音楽だけじゃなく人間でもなんでもね。インターネットの普及でやりやすくなっているはず。
ジャズに惚れてしまって、それ以外のことが頭のなかから完全に消えてしまっていたかのような一時期の僕は、レコードも自宅やジャズ喫茶で聴きまくるけれど、聴きながらジャズ関係の雑誌や単行本を、これまた自宅やジャズ喫茶で読みふけっていた。入手可能なもの文字通り「すべて」をね。新刊・中古の別問わず本屋で買えるものは、お財布事情的に可能な範囲でぜんぶ買い、それが不可能でもジャズ喫茶の書棚に置いてあるものはそこで読み。だから音楽レコードを聴きながら本を読む、こればっかり。な〜んだ、55歳のいまでもちっとも変わってないじゃないか(苦笑)。
そんなことで単行本や雑誌でもジャズ関係の文章は可能な限りすべて読んでいたので、たくさんあったと記憶している岩浪洋三さんの単行本だってもちろん自らすすんで僕は買って読んだ。そのなかのどの本かはもう分らないのだが、上でご紹介した岩浪さんとクインシー・ジョーンズとのやりとりがあったのだった。
ふだんどんなにつまらない、いい加減だと思っている人間だって、本当にまったくどこにも取り柄がないなんて、学ぶところがマジでまったくないなんて、そんな人はいないよねえ。場合によっては反面教師的な意味合いになってしまうかもしれないが、上でご紹介した岩浪さんとクインシーとのやりとりは、そういうことではぜんぜんない。岩浪さんは立派に、正面切って、アメリカ黒人音楽史の真実を突いたのだ。それもクインシーのような大物を相手にして。
だから、この一点を除くと、まあやっぱりジャズ評論家としては信用できない、面白くないと僕は思う岩浪洋三さんだけれど、僕みたいなちっぽけな人間のなかに、たった一つだけでも、心に残る宝石みたいな(は言いすぎか?)ものを残すことができたっていう、もうこれだけで岩浪さんは立派に「仕事をした」と言えるのかもしれないよ。最近、僕はそう考えるようになっている。岩浪さんだけじゃなく、ほかのどんな人でも自分自身のことについても。ほかの人の心にほんのちいさなカケラをたった一個だけでいいから残すことができたら、それで…(でも僕がどなたかほかの方の心を一瞬でも打つことなんてないはずだ)。
ここで正直にやっぱり告白しておく。ジャズでもなんでもアメリカのブラック・ミュージック史をじっくりたどると、時代を遡れば遡るほどブラックネスが薄くなっていて、下れば下るほど逆に音楽的人種意識が高揚し、リズムやサウンドにネグリチュードが濃厚に出現するようになっていて、いまではアメリカ黒人音楽家の誰もこれを薄めたり隠したりはしない 〜 このアメリカ黒人音楽史の真実にかんし、そうなんだと指摘しているのを僕が生まれて初めて読んだのが、上でご紹介した岩浪洋三さんとクインシー・ジョーンズとのやりとりだったんだよね。これは間違いないという記憶がある。これがいままでず〜っと僕のなかに残ってきているんだよね。まず最初のとっかかりが岩浪さんのあれだった。
このアメリカ黒人音楽史の真実が具体的にどう出現しているのかは、僕もいままでなんかいも書いてきたつもりだ。ふだんジャズ関連でも書いているし、ブルーズ関係でも、リズム&ブルーズでも、新興ジャンルのソウルやファンクなどについても、僕なりに書いた。いますぐパッと思い浮かぶものだけ二つ、過去記事のリンクを貼っておくが、これら以外にもいっぱいあるよ。今後もかたちを変えて書くだろう。
う〜ん、ってことは岩浪洋三さんはちょっとどころではない大きなものを僕のなかに残してくれたってことになっちゃうなあ。面白くない音楽関係者だと断じているだけになんだか悔しいが、これは間違いないと認めなくちゃいけない。55歳の僕は、もうこのあたり、自分の気持にウソはつかないことにした。もうそんなことをして稼げるだけのたっぷりな時間はなくなりつつある人生だから、素直に、正直に、認めて言葉にしておかないといけない。好きなものは好き、いいものはいいとストレートに言わなくちゃ。自分、あるいは対象が消えるときに後悔しそうだからさ。
« 聴界 | トップページ | ヒップ・ホップが打ち砕いてくれた近代西洋のオリジナリティ信仰 »
「音楽(その他)」カテゴリの記事
- とても楽しい曲があるけどアルバムとしてはイマイチみたいなことが多いから、むかしからぼくはよくプレイリストをつくっちゃう習慣がある。いいものだけ集めてまとめて聴こうってわけ(2023.07.11)
- その俳優や音楽家などの人間性清廉潔白を見たいんじゃなくて、芸能芸術の力や技を楽しみたいだけですから(2023.07.04)
- カタルーニャのアレグリア 〜 ジュディット・ネッデルマン(2023.06.26)
- 聴く人が曲を完成させる(2023.06.13)
- ダンス・ミュージックとしてのティナリウェン新作『Amatssou』(2023.06.12)
いいものはいいと言うカミングアウト、いいね。岩浪洋三氏も喜ぶだろうね。
この「ブラックビューティ」の本領発揮ってところだね。で、このカミングアウトにも示唆されるよ。ぼくは、クインシーの「私の考えるジャズ」やライオネル・ハンプトン楽団のアレンジも好きだけど、それよりもこのクインシーが話したと思われる言葉の方がいい感じだって思ったよ。このサイトで綴られている内容ってたまに音楽が好きで良かったって思わせてくれるとこがクールだよ。笑
投稿: hideo_na | 2017/07/24 17:57
最高の褒め言葉だね。そう言ってもらえると嬉しいよ、ひでぷ〜。
投稿: としま | 2017/07/24 18:16