岩佐美咲と演歌の本質
(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 9)
熱狂的岩佐美咲ファン(わさ民)であるわいるどさんのブログ。2017年07月29日21時06分14秒付のエントリーがかなり面白く刺激的で、こちらの想像力をもかきたててくれる素晴らしいものだったので、ご紹介しておきたい。
これを読んだ僕は興奮し、たまらなくなって、思わず二個もコメントをつけてしまった。それも上のリンク先で読める。わいるどさんのエントリー本文と、僕の二個のコメントをお読みになれば、もうそれでもう十分だろうと思うものの、そこから僕なりに少し展げてみたい。日本大衆歌謡史上、岩佐美咲がどれだけ大きな存在なのかということについてね。
上掲ブログでわいるどさんは、ブログ「歌の手帖」の岩佐美咲担当である村田編集長さんの文章に言及している。
確かに村田編集長さんのおっしゃるように、岩佐美咲の発声法・歌唱法には、世間一般でいういわゆる「演歌歌手らしさ」がない。全般的には岩佐を褒めているのだが、「鼻にかかるアイドル発声で、演歌歌手としては損をしている」とも指摘されている。
わいるどさんはこれに異を唱え、演歌歌手としてはステレオタイプでないがゆえに<損> <欠点>となりうるかもしれない部分こそが、実は岩佐の最も大きな魅力で、しかも演歌界の将来にとって非常に大切なことなんじゃないかと指摘されている。僕も完全に同意。
わいるどさんはこれに異を唱え、演歌歌手としてはステレオタイプでないがゆえに<損> <欠点>となりうるかもしれない部分こそが、実は岩佐の最も大きな魅力で、しかも演歌界の将来にとって非常に大切なことなんじゃないかと指摘されている。僕も完全に同意。
いま僕は演歌界と書いたけれど、実は「そんなものはない」。わいるどさんのブログ記事へのコメントでも書いたし、僕自身のブログ、特に岩佐美咲関連の記事ではいままでなんども強調している。演歌も、そうじゃない歌謡曲(J-POP)も、フォーク・ソングも、ジャパニーズ・ロックも、ラテン(風)歌謡だって、ハワイアン(風)歌謡だって、ぜ〜んぶ同じもので、同じ世界に存在しているのだ。
それが日本大衆歌謡史の真実。
でもことさらジャンル分けをしたがる傾向はかなりよく理解できるものではある。まず第一にレコード会社、レコード・ショップ側の商略、販売方法としても、レッテル貼りして分けた方が売りやすいのは間違いない。 さらにリスナーのみなさんにとっても、この人たちは自分にとって特別と思う音楽家は別個のものとして分けてとっておきたい、それで愛好したい、少しの共通点を見出してそれでくくりたい、その際、(大同小異の)「大同」と呼ぶべき部分は無視したい 〜 こんな気分だってあるだろう。
演歌の場合、この分野の発生は、おそらく1960年代前半あたり、ひょっとして1963年(昭和38年)に日本クラウンというレコード会社が独立・誕生し、この日本クラウンは一定傾向の歌を専門的に扱う会社として発足したあたりからかなあ。
その63年前後に、海外からもいろんなポピュラー・ソングがどんどん流入するようになって日本の大衆歌謡は多様化し、実にさまざまな傾向のヒット・ソングが世に流れるこになった。だから差別化する必要があったかもしれない。この1960年代前半に日本クラウンが「演歌」の呼称を用い、演歌専門レーベルとして活動するようになったので、どうもこのあたりからじゃないかな、日本の大衆歌謡で演歌という言葉が改めて誕生し、一定傾向の流行歌をここに分類し認識するようになったのは。
その63年前後に、海外からもいろんなポピュラー・ソングがどんどん流入するようになって日本の大衆歌謡は多様化し、実にさまざまな傾向のヒット・ソングが世に流れるこになった。だから差別化する必要があったかもしれない。この1960年代前半に日本クラウンが「演歌」の呼称を用い、演歌専門レーベルとして活動するようになったので、どうもこのあたりからじゃないかな、日本の大衆歌謡で演歌という言葉が改めて誕生し、一定傾向の流行歌をここに分類し認識するようになったのは。
違う見方もある。 演説歌→演歌、しかし旧来の演歌(=演説歌)はフォーク・ソングにかたちを変え、演説歌の呼称が消え、それが演歌であるとの認識もあやしくなったので、一定傾向の流行歌の派生形を、改めて演歌と呼ぶようになり、それを除くものを総称して歌謡曲と呼ぶようになり、それが現在の J-POP という呼称に受け継がれたと。
どっちの考えであるにせよ、ある時期以後いまでも使われる(ティピカルな)「演歌」とは、ある時期、意図的に、故意に、作為的にでっちあげられた表現で、音楽の本質的変化に根ざした自然発生的なものではない。人工的なもので、確かにここに分類される流行歌には、一定傾向の共通性が見出せるものの、歌・音楽の本質としては、それ以外の多くの流行歌 = 歌謡曲、J-POP などとなんら違いはない。
いや、アンタ、ヨナ抜きの五音音階は演歌独特のものじゃないか!と、ひょっとして誤解なさっている方がいらっしゃるかもしれない。日本のいわゆるフォーク・ソング、ある時期の言い方だったニュー・ミュージック、アイドル・ポップスなどにもヨナ抜きはものすごく多いんだぞ。
坂本九「上を向いて歩こう」、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ」、加藤登紀子「知床旅情」、太田裕美「木綿のハンカチーフ」、谷村新司「昴」、きゃりーぱみゅぱみゅ「つけまつける」、いきものがかり「笑顔」、Superfly「Beautiful」、星野源「恋」〜〜 これらほんの氷山の一角だけど、ぜんぶヨナ抜きだ。そして、なんたって AKB48「恋するフォーチュンクッキー」もまたヨナ抜き音階。
坂本九「上を向いて歩こう」、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ」、加藤登紀子「知床旅情」、太田裕美「木綿のハンカチーフ」、谷村新司「昴」、きゃりーぱみゅぱみゅ「つけまつける」、いきものがかり「笑顔」、Superfly「Beautiful」、星野源「恋」〜〜 これらほんの氷山の一角だけど、ぜんぶヨナ抜きだ。そして、なんたって AKB48「恋するフォーチュンクッキー」もまたヨナ抜き音階。
音楽学者の故小泉文夫が、ピンク・レディーのデビュー・ソング「ペッパー警部」の旋律を分析し、これは平安時代の歌に聴けるメロディの動きと本質的に同じであって、日本歌謡の伝統に沿ったものだと指摘したことも僕は鮮明に憶えている。つまり「ペッパー警部」の曲を書いた都倉俊一(ピンク・レディーのヒット曲はすべて都倉俊一&阿久悠コンビ作)だって、意識はしていなかったのかもしれないが、日本歌謡の伝統の末端に連なっているんだよね。まるで生物が意図せずに先祖の DNA を受け継いでいるかのように。
さて、岩佐美咲だが、日本の大衆歌謡と、そのなかでのいわゆる演歌の、いままで今日僕が書いてきたような歴史的真実を、彼女自身は意識していないかもしれないが、その歌そのもので立派に実証してくれていると僕は思う。そんな(いわゆる演歌)歌手は、日本中を見渡しても、僕の聴いている範囲ではほかには見当たらない。
演歌にもいろんな歌い方があるはずだ。あってしかるべきだと僕も思う。「典型的」な演歌の歌唱法 〜 強く(大人の)声を張り、ガナったり、ぐりぐりコブシを強く廻したり、すすり泣くように、また号泣するかのように、怨み節を思い切りぶつけたり 〜 こういうことを岩佐美咲は一切やらない。キュートで可愛い声質、スーッとナチュナルな発声とフレイジングで、スムースな歌唱法を実践している。
それはおそらく岩佐美咲が持って生まれたある種の生得的資質なのかもしれないが、歌手としてやっていこうと決断し、AKB48の一員となって以後、あえて選択したものでもあるんじゃないかなあ。またこれを選択後、訓練して、この自然体歌唱法に磨きをかけ、立派なものに仕立て上げたのだということも言えるはず。
そんな岩佐の自然体歌唱法は、もしかりに彼女が演歌の歴史的真実をさほど学んでいないのだとすれば(それも考えにくいが)、意図せず日本歌謡の DNA を受け継ぎ表現しているということになる。これを「天賦の才」と呼ばずして、なんと呼ぶ?
そんな岩佐の自然体歌唱法は、もしかりに彼女が演歌の歴史的真実をさほど学んでいないのだとすれば(それも考えにくいが)、意図せず日本歌謡の DNA を受け継ぎ表現しているということになる。これを「天賦の才」と呼ばずして、なんと呼ぶ?
演歌も、歴史的にはもともと演歌などという、あたかも独立した一分野である(いま、そう思われているけれども、肝心の歌手のみなさんたちにですらも)かのようになる前は、もともとフツーの日本の流行歌だった時期、特定の呼び名なんか存在せず、誰ももジャンルとして区別もせず、いろんなものと並べて一緒くたに聴いて楽しんでいた時代があったのだ。
そんな時代の歌、歌い方を、岩佐美咲は思い起こさせてくれているじゃないか。
都はるみも「わたしがデビュー当時、”演歌”などという呼び名はなかった、みんなほかのものと混ぜて”流行歌”と言っていたし、わたしもそう思っていた。だからいま、自分の歌をあえて”演歌”、自分のことを”演歌歌手”、と呼ばれるのは抵抗があります」と言ったことがある。
ある時期以後は日本演歌界の大御所女性歌手みたいになった美空ひばりだって、フツーの、いや、大変優れた、ポップ・シンガーだった。
岩佐美咲のあんな歌い方って、そんな歴史を紐解くかのような、日本の大衆音楽史のDNAを発掘して僕たちに見せてくれている、実際の歌で演歌の、いや、日本の流行歌全般の、大衆歌謡の、歴史的真実を証明してくれているんじゃないかなあ。
つまり演歌というものがいったいなんであるか、この音楽の「本質」を、岩佐美咲は自分の歌でもって身をもって聴かせ証明してくれている。そんないわば歴史的歌遣いを、岩佐美咲は実践していると僕は断言する。
そこまでできる歌手、なかなかいないだろう?というか、ほかに誰かいるの?もはや日本歌謡史に大きな足跡を残していると言えるんじゃないだろうか?現時点で既に。
ちょっと大げさな文章になったかもしれないけれど、僕の正直な気持、本音だ。だから!みんな、岩佐美咲をちょっと聴いてみてくれ!残念ながら Spotify にはまだ一つもないけれど(どうして入れない?徳間ジャパン!?)。 来たる8月23日発売の CD マキシ・シングル「鯖街道」特別記念盤(通常盤)に収録予定のライヴ・ヴァージョン「糸」(中島みゆき)は、とんでもなくものすごいらしいぞ!
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コメント
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坂本九・加藤登紀子~星野源、ピンク・レディー~きゃりーぱみゅぱみゅ・AKB48まで、幅広く聴かれておられるんですね。
わたしのなかでは、源さんは”最後のJ-POPアーティスト”です。
> 岩佐美咲の発声法・歌唱法には、世間一般でいういわゆる「演歌歌手らしさ」がない
わたしも『美咲めぐり』聴いてみました。
確かに、3曲目までは堀内孝雄と同じく”シティ演歌”な感じがしましたし、歌は演歌っぽくなかったです。もう時代が違うので、演歌が昭和っぽくないのは当然と言えば当然なんでしょうけど。
> ヨナ抜き音階
> 平安時代の歌
知らないです、学校の「音楽」で習った記憶が無いです。
学校の「音楽」が本当におかしいと思うのは、わたしだけなのでしょうか?
> 演歌界と書いたけれど、実は「そんなものはない」
テレビ業界によって、作られた(捏造された)と言うことですか?
> ”演歌”などという呼び名はなかった
演歌=作られた「日本の心」神話 でしたよね。そういうタイトルの新書を以前に読みました。
①日本の”流行歌”は昭和初期からアメリカ音楽のコピーだった、②演歌は元々は明治時代の演説歌だった、③演歌の作曲家のほとんどは東京音楽学校で西洋クラシック音楽を学んだ人たちだった、④昭和30年代は西洋音楽が良くて、西洋化以前の日本の伝統音楽は子供の教育に「よろしくない」と言う風潮だった…などが紹介されてました。
投稿: azadi | 2018/05/22 00:36
「演歌」というジャンルをでっち上げたのは、本文にありますように、レコード業界だと思います。住み分け、仕分けしたほうが売りやすいからです。ターゲットにする購買層を特定し、そこへ向けて商品を投下できますので。
投稿: 戸嶋 久 | 2018/05/22 16:43
ならば演歌歌手を名乗らないでほしい。ポップス畑の連中が作ったナンチャッテ演歌は不快です。演歌ファンより。
投稿: | 2023/04/16 21:02