声と楽器
ジャズとショーロとクラシック。ヴォーカルものもたくさんあるけれど、この三つは基本的にはやっぱりインストルメンタル・ミュージックだよね。しかもなんだかこれら三つは関係があるみたい。クラシック音楽の話はできないが、ジャズとショーロは大好きなポピュラー・ミュージックだから、いままで僕もたくさん書いてきている。でもまあやっぱりジャズだよなあ、僕にとっては。いまみたいなショーロ好きになったのだって、ちょっとジャズみたいじゃないかと感じたからだもん。
だからやっぱりジャズの話に限定しよう。ヴォーカルなしの楽器演奏オンリーというものがやっぱり多い、というか大部分そうだと思うジャズだけど、最近の僕はこれがどうもちょっとイマイチな感じがする。人の声を聴きたい、というのはたんに僕が寂しがっているだけかもしれないが、日常生活では僕だって誰の声も聞かないなんて日は少ない。おやすみの日は一日中部屋のなかで音楽を聴くだけの生活で誰とも会わないけれど、そうじゃない日は自分もしゃべるし、他人の声も聞く。
だから人肌恋しいみたいな気分で人声聴きたいというのでもないはずだと思うんだけどなあ。それなのに自室で聴く音楽がインストルメンタルものばかりになってしまうのがイヤだから、ヴォーカルものとのバランス、混ぜ具合を考えて、インストルメンタルものを聴いたら、次はヴォーカルものとか交互に聴く、というのではもはやなく、いまの僕がふだん聴く音楽の九割程度がヴォーカル・ミュージックで、インストルメンタル・ミュージックはその合間にほんのちょっとだけ流すという、そんな具合になっている。
また昔話。大学生のころジャズ・レコードばかりどんどん聴いていたころは、この事情がまったく違っていて、楽器演奏のみのジャズ・レコード(がやっぱりジャズでは多いからなあ、特にモダン・ジャズは)ばかりをどんどん続けて聴いていた。そりゃもう何時間でも続けて聴いていたよなあ、楽器演奏ばっかり、飽きもせずそればっかり。ジャズ・ファンになってしばらくして戦前古典ジャズの虜となってこのあたりが多少変化はしたものの、それでもインストルメンタル演奏の方に、より強く惹かれていたのは間違いない。
あのころのことから考えると、いま僕がヴォーカル・ミュージック中心の音楽生活を送っているなんて、ちょっと不思議というか妙というか。いまは楽器演奏のソロでも、ヴォーカル・パートのあいだにほんのちょっと、四小節とか八小節とか出てきたのでもう充分すぎるほど満足な気分で、ソロなんかなくたって、歌のオブリガートでちょろっと演奏するのが聴こえたり、歌に入る前のイントロ部で楽器演奏があったりなどなど 、もうそれくらいで充分満たされた気分。
だからそんな気分から逆算すると、ハード・バップとかフリー・ジャズとか、ロックでも1960年年代末後半〜70年代初頭のものとか、延々何十分もソロを吹いたり弾いたり叩いたりする音楽はちょっと勘弁してほしいのだ…、という気分になっているかというと、実はそんなことはない。ああいったものはそれはそれで聴けばかなり楽しめる。おそらくグレイトフル・デッドあたりが発端で、1990年代あたり?に大流行した(している?)ダラダラ即興演奏をやっているだけみたいなジャム・バンドだって、いまでもやはり好きなんだよね。聴けば楽しいよ。
しかしながら全体量からすれば、そんなモダン・ジャズ(含むフリー)とか一時期の一定傾向のロックとかジャム・バンドみたいなものを聴く回数は減っていて、UK クラシック・ロックでも、まだ演奏が長時間化する前の存在だったビートルズその他や、また、ある時期までのローリング・ストーンズやなどのレコード(CD)などなら、今日僕がいちばん言いたい<声/楽器>の配分具合が実にいいのだ。バランスがいい。一曲の時間も長くない。三〜五分程度で、ヴォーカルによる歌がメインで、楽器演奏はあくまでそれを支える役目。イントロ部、中間部のソロ、歌のオブリガート、ほぼこれだけ。イイネ。
これが、やっぱりいまでもいちばん好きなロック・バンドであるレッド・ツェッペリンとなると、スタジオ録音作品ではそんなことないものの、ライヴ演奏ではいつも長尺。ときに、これは無意味なんじゃないか、どうしてこんなに延々やるんだ、しかもさほどのメリハリもなく…、と思ってしまう。むかしは唯一のライヴ盤だった『永遠の詩』一枚目 B 面の「幻惑されて」(Dazed And Confused) のこと。大学生になって長尺インプロのジャズ演奏が好きだったころにはよく聴いたあの「幻惑されて」だが、いまやスキップしている。
あのへん、ツェッペリンもやはり1960年代末デビューという時代のロック・バンドらしかったということなんだろうなあ。グレイトフル・デッド的なジャム・バンド風で、さらに、ブルーズ・ベースのハード・ロック・バンドだからあまり言われないが、プログレシッヴ・ロック的な部分も色濃いといまでは思う。プログレは、キング・クリムズンがそうであるようにブルーズを土台に置いていないから、ツェッペリンとプログレはあまり結びつけられないんだけどね。
ロックの話はいいとして、ジャズ。じゃあいまのキミは、基本、ヴォーカルがメインで、楽器演奏は脇役のものがいいというのなら、ジャズ・ヴォーカリストの作品をどんどん聴いているのか?と思われそうだけど、歌手一本でやっている専業ヴォーカリストのものは、実はそんなにたくさんは持っていないのだ。いや、持ってはいるが、日常的にどんどん聴くものは限られている。ビリー・ホリデイの戦前コロンビア系録音全集10枚組とか、戦後だけどエラ・フィッツジェラルドの例のソング・ブック・ボックス(on ヴァーヴ)16枚組とか、あと少し。それらは「本当に日常的に」聴いている。
そんでもってビリー・ホリデイの10枚組のほうなんかは、それらの大部分を占めるテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッション(でビリーが歌ったもの)の事情をご存知のみなさんには釈迦に説法だけど、もともとビリーをフィーチャーする目的で録音されたものじゃない。ビリーはあくまでワン・コーラス歌うだけの、言葉は悪いが<添え物>にすぎないもんね。ステーキをオーダーすると皿の脇にちょこっと載っているポテトとか人参とか、そんなもんなのだ。いや、そうでもないのか。あの一連のブランズウィック・セッション、むろんインストルメンタル演奏オンリーの曲もたくさんあるが、歌手を起用しているものでは、歌と演奏が50対50くらい?いや、歌30で演奏70くらいか?
いずれにしてもあのテディ・ウィルスンのブランズウィック全セッション、ビリー・ホリデイだけじゃなくほかの歌手も同様だけど、フル・コーラス歌っているものなんかは一個もない。ぜんぶワン・コーラスだ。それだけ。ただ、楽器演奏のソロのほうだとワン・コーラスやっていることなんか絶対なくて、四小節とか八小節とかでトランペットやクラリネットやサックスなどのソロがどんどん流れてくるだけだから、それに比べれば、まだ歌手はフィーチャーされていると言える?
そんななかからビリー・ホリデイが歌った録音だけがピック・アップされ、ビリー名義の10枚組に収録されているわけなんだよね。それらは、今日、僕がいちばん言いたい人声/楽器のバランスが実にいいんだ。心地良い。ヴォーカルか楽器演奏かのどっちかだけに傾いてはいない。ちょうどいい配分具合なんだよね。
こんな事情が、戦前古典ジャズ録音では多い。上の方で触れたことをようやく書けるけれど、専業歌手名義の録音集よりも頻繁に僕が聴いているのは、楽器奏者兼歌手だというジャズ・ミュージシャンの録音集。誰の?などと問わないで。ビ・バップ勃興前までは多くがこれだったのだから。たいていみんな楽器もやって歌もやる。それが当たり前のナチュラルなジャズ・ミュージシャンのありようだった。
だから誰のどれでもいいが、二例だけあげると、ルイ・アームストロングのオーケー録音集でもライオネル・ハンプトンのヴィクター録音集でも、サッチモはコルネットを吹きながら歌い、ハンプもヴァイブラフォンを叩きながら歌っている。インストルメンタル・オンリーの曲もあれば、ヴォーカルの方に大きな比重が置かれてあるものだってある。それらが混ぜこぜに流れてくる 〜 これがいいんだ。
モダン・ジャズ愛好家に戦前古典ジャズを、お勉強ではなく好きで、楽しみで、どんどん聴くという人が多くないように見えるのは、ひょっとしたらこのせいもあるのかな?楽器ソロにだけ集中して耳を傾けることができないし、ちょろっと出てきてはすぐ終わるので「本格的」じゃないし、じゃあヴォーカルにフォーカスしているのかというとそうでもないっていう、言ってみれば<曖昧な>この古典ジャズのありようがお好きじゃないのかな?
他人のことはまったく分らないがゆえ書けないが、僕自身はそんな<人声/楽器>の混ぜこぜ具合が五目炒飯みたいになっていて楽しんだけどね、戦前古典ジャズは。以前、まぁ〜ったくなんの関係もない(はず)ラテン・ロック・バンド、サンタナ関連でも、こういうことは書いた。サンタナも歌だけ or 楽器演奏だけ、っていうんじゃないもんね。混ぜこぜになっている(ことが多い)。
楽器演奏もいいが、人の歌声をもっと聴きたいんだよね。いまの僕はね。
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