40年目の『エキシダス』
まず最初に最も肝心なこと、最重要事項を確認しておきたい。音楽(なんならクラシック音楽を含めたっていい)はポップ・エンターテイメントであって、なんらかの政治的・社会的思想や主義主張を繰広げるための「道具」「手段」ではないはずだよね?音楽家本人が強いメッセージを込めてそれを届けようと作品を発表する場合もかなり多いが、そんなもん、どう聴こうが、リスナーの自由だ。ニュー・ソウルや、レゲエや、アフロビートや、砂漠のブルーズなどだって、少なくとも僕は、美しく感じる、楽しい、面白い、踊れる、いっときの快感を得られてすごくいい気分になれるからこそ聴いているのであって、聴いて難しいことを考えたり、結果的に行動に移したりするのは、あくまで副次的産物にすぎない。
だがしかしこの世には、そんな副次的産物が、もとから主眼と化してしまっていて、快感ではなく、わざわざ苦悩を得たいがために聴いているかのような音楽愛好家がたくさんいるみたいだよね。う〜ん、まあはっきり言ってしまうが、ボブ・マーリーとフェラ・クティとタミクレストあたりがお好きなみなさんにこの傾向がかなり強いように、僕には見えている。ポピュラー・ミュージックの捉え方としては、本末転倒じゃないの?
もちろんどう聴こうが、なにを考えようがどう行動しようが、その人々の勝手だ。僕も勝手気ままに聴いている。じゃあさ、こっちもあんたがたのことは放っておくから、僕たちが日本のアイドル・ポップ・グループを聴いて楽しむのは放っておいてくれないか? SMAP なんかになんだかワケの分らない難しい屁理屈をつけないでもらえないだろうか?社会的意味づけみたいなこと、しちゃってさ。そんでもって挙げ句の果てに否定する。SMAP 好き人間の99.9%は SMAP に社会的意味づけなんか1ミリたりとも想起したことすらない。ただ単に CD やテレビ番組やいろんなもので見聞きして楽しい、面白い、カッコイイと感じて、いっときのうさ晴らしになるから聴いているだけだよ。
今日こそははっきり言わせてもらっちゃうが、あんたがたのお好きなボブ・マーリーだってフェラ・クティだってタミクレストだって、ぜ〜んぶ SMAP と同じなんだよね。音楽はすべて単なるうさ晴らしだ。ここがしっかり心の底から理解・納得できていないと大衆音楽はまったく分らないはずだと、今日こそは断言する。中村とうようさんはここを絶対に外すことがなかった。それなのに、とうようさんフォロワーの一部には、名前を書いたそれら三人の音楽家と峻別して、演歌や歌謡曲などの甘いラヴ・ソングを「大衆歌謡」と呼び、僕らが大衆歌謡という言葉を使うときの気持はニュートラルだが、ああいった方々が大衆歌謡と言うときには、やや蔑んだようなニュアンスがあるように感じ取ってしまうのは僕だけ?あるいは侮蔑と尊敬・憧憬がない混ぜになったようなものなのか?分らない。
どっちにしてもですね、音楽は強く激しいメッセージを伝達しようとするときでも、メロディやサウンドやリズムは美しく楽しく賑やかに。これこそが肝だ。今日はボブ・マーリーの『エキシダス』(がマーリーの発音)40周年記念 CD 三枚組の話題なのでレゲエに限定するが、レゲエ素人の僕が言ってもいいというならば(とか言いつつ、なんについても毎回いつも言ってしまうわけだが)、ビートはスカしてクールに、メッセージは熱くっていうのがこの音楽なんじゃないかなあ。
さてボブ・マーリーの『エキシダス:フォーティース・アニヴァーサリー・エディション』三枚組。荻原和也さんがブログ記事にされていて、僕はなんどもコメントしているので、荻原さんの記事本文と僕のコメントと、それに対する荻原さんの返信をお読みになれば、今日の以下の文章は不要だ。がまあもうちょっと言葉を重ねておこう。
『エキシダス:フォーティース・アニヴァーサリー・エディション』の構成は、CD1が1977年のオリジナル・アルバム『エキシダス』。CD2がジギー・マーリーが再構成・リミックスなど大幅に創りかえたニュー・エディション『エキシダス 40』。CD3が1977年6月のロンドン、レインボウ・シアターでのショウを収録した『エキシダス・ライヴ』。
実を言うと、8月21日時点での僕が一番好きになりつつあるのが三枚目の『エキシダス・ライヴ』なのだ。だってこれ、一曲目が「ナチュラル・ミスティック」で、しかもその一曲目も含め一枚ぜんぶサウンドやリズムの質感やマーリーの歌い方は、CD2のジギー・リミックス・ヴァージョンに近いんだもんね。だからさ、ねっ、そういうことだよ、bunboni さん。
上の一段落でもうぜんぶ言い切ってしまった気がする。にもかかわらずまだ書こうとするのが僕の悲しいサガなのだ。1977年のリアル・タイム・リリースでは、当然ながら『エキシダス』を知らない僕。そもそもボブ・マーリーの存在自体、知ったのは大学生時代に、ロック好きの五歳年下の弟が買って来たエリック・クラプトンのレコード『461・オーシャン・ブールヴァード』を聴いたときだ。これについては完璧に説明不要だね。
その後少しずつボブ・マーリーのレコードを買って聴くようになった僕の一番のお気に入りが、実を言うと『エキシダス』だったのだ。(ルーツ・)レゲエがプロテスト・ミュージックだなんてことは全く眼中になかった。ただ聴けば楽しいこともあるから少し好きだっただけ。エッジが甘くなってきているとか、ポップでソフトだとか骨太感が弱くなっているとか、まぁ〜ったく意識すらしていなかった。『キャッチ・ア・ファイア』なんかと比較しても、さほどの違いが感じ取れなかった僕は、やっぱりレゲエ向きじゃない?
だいたい A 面一曲目の「ナチュラル・ミスティック」が僕は最高に好きで好きで、この曲は当時から、そしていまでも、僕にとってはマーリーの書いた全曲中モスト・フェイヴァリットなんだよね。あの裏拍で(ン)ジャ!(ン)ジャ!と刻むエレキ・ギターが、しかもクレッシェンドで聴こえてきて、音が大きくなって 0:26 でティンバレス?スネア?(どっちですか?)がカンカラカンと鳴って、次の瞬間にマーリーが歌いはじめるっていう、あそこがもう好きで好きでたまらなかった。いまでもそう。だからアルバム『エキシダス』は、あのクレッシェンドではじまってくれないとダメなんだよ〜〜!
ところがジギー・マーリーが手がけた『エキシダス』では曲順が大幅に変更されている。「ナチュラル・ミスティック」は二曲目で、だから当然オリジナルにあったクレッシェンドもなし。最初にその部分を聴いたときは、上の荻原さんのブログ記事へのコメントでも書いてあるように、アァ〜、こりゃダメだ!我慢できない、吐きそう!となって再生をストップしちゃったほどだもんね。
ただですね、40周年記念盤の三枚目『エキシダス ・ライヴ』でも「ナチュラル・ミスティック」は一曲目。ライヴだからクレッシェンドではじまったりはしない。ふつうにギターを刻みはじめるだけだ。この三枚目を、まだ聴いていなかったんだよな、僕は、上の荻原さんのブログ記事にコメントした7月29日時点では。三枚目を聴いたら考えが変わっちゃった。一枚全体にわたりグルーヴの肉太感、エッジの鋭さ、野性味が、この1977年6月のロンドン・ライヴでもしっかりあって、スウィートでソフトでメロウなフィーリングは薄い。
そこから振り返ってジギーが再構築した二枚目『エキシダス 40』を聴くと、あぁ、これがボブ・マーリーの本来の自然な姿なのかも?レゲエって1977年だとまだこんな感じだったのかも?ボブ・マーリーってやっぱりこんな音楽家なのかも?と、疑問符を重ねているが、僕の気持のなかではもはや疑問形でもなく、わりとしっかり自覚できるようになった。さらに『エクシダス 40』でのジギーはダブ風な音処理も施していて、かなり面白い。
しかもボトムスの野太さが大きく違う。まず一曲目になったアルバム・タイトル・ナンバー「エキシダス」で、その重低音に度肝を抜かれる。ベース・ドラムがズンズンと、なんだかお腹に、お尻に、突き上げるように響いてくるんだよなあ。ベース・ドラムは鳴り続けたままボブ・マーリーがハードにシャウトする。こ〜りゃいいね!オリジナルの「エクシダス」に、あんな重低音とハード・シャウトはない。マーリーのヴォーカルもジギーはかなり差し替えている模様。『エキシダス 40』一曲目になっているヴァージョンでは、冒頭、ピアノがちょろっと聴こえたかと思うと、次の瞬間にベース・ドラムがものすごいズンズンで、それが最後まで鳴り続けたまま。
この40年目の、スピード感も迫力も鋭さもグンと増している曲「エキシダス」のサウンドにすべてが象徴されている。一曲目に持ってきたのも理解できる。アルバム『エキシダス 40』は一枚全体がハードでシャープで肉太で野性味満点。スウィートなポップ・チューン、ラヴ・ソングでも甘すぎさに流れない節度を再奪取する仕事をジギーが施している。まあでもあれだ、僕はそんなポップな恋愛歌は、とことんリリカルにやってくれるのが好きな人間ではあるのだが。
大幅な曲順変更はいまだに少しだけ馴染めない部分が残っているものの、CD だからA面B面みたいなことはないわけで、だから面での落差を埋めたみたいな表現は『エキシダス 40』には当てはまらないと思うものの、確かに一枚全体の統一感を増すことに成功しているジギーの仕事、かなりいいじゃん。曲順さえ…、という気持はやっぱり消せないけれど、リメイクして『エキシダス 40』を創り上げたジギーの心意気と腕前、そして苦労(は相当なものがあったはず)には心底、敬意を表したい。40周年記念盤二枚目の『エキシダス 40』、素晴らしい一枚だ。
萩原さんのブログ記事へのコメントで書いた「ジギーめ、こんなふうにしくさりやがって! 」の言葉は撤回します。
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