マイルズ『ウォーター・ベイビーズ』も B 面あってこそ
マイルズ・デイヴィスが1975年夏に一時隠遁(っていうか「一時」かどうかも、当時、分らなかったはずだし、本人にすら)を決め込んだため、新録音が途絶え、会社側の緊急避難措置、戦略的な意味で1976年に発売された未発表集『ウォーター・ベイビーズ』。…という言い方をされることが多いんだけど、いまになって考えてみればそれはちょっとオカシイ。だって『ウォーター・ベイビーズ』は1967年(A 面) と68年(B 面) の未発表録音集だけど、その後69年あたりから75年までのほうがお蔵入りしていた音源はずっと多いんだもん。
だからあたかも<新作>であるかのようにコロンビアも装うなら、70年代録音の未発表ものを出せばよかったんじゃない?いまでは公式リリースもされているが、数だってかなりあるし、なにより70年代にリリースするならば、音楽内容的にもコンテンポラリーだったはずだしなあ。アナザー『ビッチズ・ブルー』、アナザー『ジャック・ジョンスン』、アナザー『オン・ザ・コーナー』、アナザー『ゲット・アップ・ウィズ・イット』なんていうのを、いまなら僕みたいな素人だって作れちゃうぜ。それもかなり楽で気軽に。機会があればそんなプレイリストも書いてみましょう。
だから1976年にリリースして、マイルズの一時隠遁後初作品にするにしては『ウォーター・ベイビーズ』みたいなものをコロンビアとプロデューサーのテオ・マセロがどうして企画したのか、ちょっとそのあたりの真意は僕には掴めない。だが、音楽内容的には『ウォーター・ベイビーズ』だってなかなか面白いには違いない。まずジャケット・デザインがいい。曲題からのそのままだけど、黒人の子供たちが、水道栓から放出される水で水遊びをしている様子。苦々しい顔でそれを見つめる黒人の大人。このイラストは『オン・ザ・コーナー』と同じデザイナーが手がけたもので、実際、よく似ている。
大学生のときの僕なんか、レコード・ショップの棚で『ウォーター・ベイビーズ』を発見し、それがマイルズのいったいなんなのかちっとも分らなかったが、ジャケットを一瞥しただけで買おうと思ったくらいだもんね。いま2017年時点でも、マイルズの諸作中、ジャケット・デザインだけなら最も好きな部類に入る一枚。
『ウォーター・ベイビーズ』。A 面と B 面でガラリと内容が変わる。A 面三曲はオール・アクースティックで、例のセカンド・クインテット(マイルズ、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズ)による1967年6月7、13、23日録音。この時期はちょうどアルバム『ネフェルティティ』になったものを録音していた時期で、実際、この三日で同アルバム収録曲も同時録音している。
『ウォーター・ベイビーズ』B 面二曲は1968年11月11日録音で、だから当然すでに電気楽器を導入済み。上記セカンド・クインテットから、ベースがデイヴ・ホランドに交代し、さらにチック・コリアがハービーと二人同時でフェンダー・ローズを弾いている。この時期、すでにハービーはバンドを去っていて、チックのほうがレギュラー・メンバー。つまりハービーは一時的に呼び戻されたことになる。
このハービーを呼び戻したという事実はかなり興味深いと思うんだよね。だってこれ、1968年11月11日録音でしょ。当時のリアルタイム・リリース作品で言うと、これの次が翌69年2月録音のアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』になるわけだからさ。もっともいまではそのあいだに(廃棄された分を除き)計7トラックの録音があると分っていて、公式リリースもされている。そのなかの最重要曲が、以前から僕が強調する「ディレクションズ」。つまりジョー・ザヴィヌルが、作曲・演奏で参加していた。
1968年末ごろ、レギュラー鍵盤奏者のチック一人だけで奏でるサウンドでは、マイルズはすでに満足できなくなっていて(1975年来日時のインタヴューで、この時期の鍵盤奏者複数起用について、確か「シンフォニック・オーケストラみたいな響きがほしかったんだ」みたいな意味のことを言っていたように思う)、だからまず1968年11月11日にハービーを呼び戻しフェンダー・ローズ二台にし、その後すぐの27日にもう一人、ザヴィヌルも起用して三台にしたってわけ。ほぼ同じこの体制でその後70年まで続く。
その間に『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』という、マイルズの音楽全生涯における最重要作二つが誕生。どっちも(ほぼ全曲で)電気鍵盤が三台。フェンダー・ローズを中心に三人同時演奏でゴージャスな、マイルズ言うところのシンフォニックな重層的サウンドを創りだしている。これがあの二作のサウンド・テクスチャーの根幹にある。ファンキーなグルーヴはあくまでアフロ・アメリカン・ミュージックのものだけど、その上に(マイルズも大好きな)西洋白人音楽的な分厚いサウンドが乗っかっているっていう。
こう考えると、マイルズの録音歴で一番最初に鍵盤楽器奏者を複数同時起用したのが、1968年11月11日録音の二曲「トゥー・フェイスト」「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」であって(これの直前がチック一人の『キリマンジャロの娘』収録曲一部を録音の68年9月24日)、その後は三人に増員したままずっと続いたことを踏まえると、これら二曲が B 面になっている『ウォーター・ベイビーズ』だってかなり興味深いよなあ。
『ウォーター・ベイビーズ』のB 面「トゥー・フェイスト」「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」の二曲は、だがしかし実際かなりファンキーでカッコイイ。チック&ハービー二台のフェンダー・ローズ同時演奏でも、(まあザヴィヌルがまだいないせいかもしれないが)クラシック音楽的な音の広がりはあまり感じない。むしろどっちかというと、リズム&ブルーズ〜ソウル〜ファンク・ミュージックでの複数鍵盤みたいなタイトな響きだ。どこにも記載はないが、右チャンネルがハービーで左がチックだと僕は判断する。
「トゥー・フェイスト」21:41から
「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」39:43から
翌1969年2月録音の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」の、リズムとサウンド・テクスチャーの粗い骨格はすでにできあがっているよね。69年8月録音の『ビッチズ・ブルー』だってはっきり見えるし、マイルズのトランペット・ソロ内容だけ抜き出せば、70年4月録音『ジャック・ジョンスン』の、あのカッコいい「ライト・オフ」だって先取りしている。そうに違いないように僕には聴こえるね。
ところで「トゥー・フェイスト」におけるマイルズのソロでは、『ビッチズ・ブルー』の「スパニッシュ・キー」と同じフレーズが出てくる。それでいつものように中山康樹さん批判だけど、『マイルスを聴け!』のなかで中山さんは、『ウォーター・ベイビーズ』における新発見というか面白いものは、その「トゥー・フェイスト」だけだと書いている。まあ A 面三曲が実験的模索品にすぎないという点では僕も中山さんと同意見だけど、B 面の「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」までもそうだと中山さんは断じている。
ですがね、僕が聴くと『ウォーター・ベイビーズ』B 面では、どっちかというと「トゥー・フェイスト」よりも「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」のほうが面白くカッコイイと感じるんだけど、みなさんどうですか?曲題だってそもそもファンキーじゃないか。リズムのグルーヴだってこっちのほうがタイトでファンキーでグルーヴィだし、チック&ハービー二台の鍵盤サウンドも楽しいし、ボスのトランペット・ソロ内容なんか、どう聴いたってこっちのほうがシャープでいいぜ〜。
『ウォーター・ベイビーズ』A 面の三曲「ウォーター・ベイビーズ」「キャプリコーン」「スウィート・ピー」は、ぜんぶウェイン・ショーターの書いた曲。当時お蔵入りしてしまったせいなのか、ウェイン自身のリーダー作品『スーパー・ノーヴァ』で、ガラリと姿を変えて再演されているから、機会を改めて、ウェインのそのアルバムに絡めながら書いてみたい。
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