« 2017年7月 | トップページ | 2017年9月 »

2017年8月

2017/08/31

R&B とは Ruth Brown のこと

41djcfw4f3l








と言われたほど売れた女性歌手ルース・ブラウン。レコード・デビューが1949年のアトランティック盤「ソー・ロング」で、アトランティックにはそのまま1960年まで在籍し(というか60年代はほぼ引退同然状態だった)、レコード=すべて45回転シングル盤を出し続け、ことごとくヒットした。ルースがあまりに稼ぐので、アトランティック社屋は<ルース御殿>との異名までとるようになった。つまり看板スター。

 

 

ところで関係ない話かもしれないが、このルース御殿(the house that Ruth built)という表現について付言しておく。スポーツの世界、特にアメリカ野球に関心のあるみなさんには釈迦に説法だが、あるいは黒人音楽ファンと層が重なっていない部分があるかもしれないから。ルース御殿(the house that Ruth built)とは、ヤンキー・スタジアムのことなのだ。ルースとはもちろんベイブ・ルース。

 

 

2009年に新ヤンキー・スタジアムが建設されるまで、ニュー・ヨーク・ヤンキーズの本拠地だった旧ヤンキー・スタジアムは1923年に建設されたものだが、その費用をヤンキーズにもたらしたのがベイブ・ルース(1920年にレッド・ソックスから移籍、その移籍にまつわる諸々もあるのだが省略)の大活躍による稼ぎだったのだ。当初はマンハッタンに建てる計画もあったらしいのだが、地価があまりにも高いということでブロンクスになった。2009年のシーズンから使用されている新ヤンキー・スタジアムもブロンクスにあるが、それの起工式が行われた2006年8月16日はベイブ・ルースの58回忌だった。

 

 

だからルース御殿のあだ名が音楽界のアトランティック社屋についたのだって、もとは野球界の表現を借用したものだったのだ。アメリカ音楽の場合だから野球との関連が強く、ほかにもいろいろとあるけれど、世界的に見て音楽界と最も縁の深いスポーツはサッカーにほかならない。まあでもルース・ブラウンの歌そのものとは特にこれといった関係のない話ではあったな。ごめんなさい。

 

 

さて上で書いたように家庭を重視するようになって第一線を一時退く1960年までが、やはりルース・ブラウンの一番いい時期だったのは間違いないから、その後もレコードを出してはいるけれど、1949〜59年録音に話を限定したい。僕が持っているのはたった一枚のベスト盤『ロッキン・イン・リズム:ザ・ベスト・オヴ・ルース・ブラウン』だけだが、充分だと思う。これはちゃんとアトランティックがやった仕事だ(ライノだけどね)。

 

 

『ロッキン・イン・リズム:ザ・ベスト・オヴ・ルース・ブラウン』は全23曲で、最後の二曲は1959年5月のアトランタ公演をライヴ収録したもの。その二曲は1996年にこのコンピレイションが出るまで未発表のものだったらしい。それ以前の21曲が1949〜59年のアトランティック盤45回転レコード音源。附属ブックレットに全曲のチャート最上位が書いてあるが、どれもこれも順位一桁台の大ヒット。本当に楽しい。

 

 

この1949〜59年のルース・ブラウンは、どう聴いても僕にはダイナ・ワシントン・フォロワーであるように聴こえる。例えば一曲目のデビュー・シングル「ソー・ロング」とか、また、ルースの生涯初ナンバー・ワン・ヒットである二曲目の「ティアドロップス・フロム・マイ・アイズ」とか、もうこのへんは間違いなく先輩ダイナのイミテイション・スタイルだ。特に「ソー・ロング」なんか、もうソックリそのまんまじゃん。けなしているのではない。

 

 

 

 

このあたり、ルースもまだかなりジャジーだ。(ジャンプ系)ジャズ歌手というに近いフィーリングだよね。ダイナ直系なんだから当然だ。ルースはその後も基本的にはこの路線で歌っているんだけど、ダイナと大きく違う面もある。それはダイナがどっちかというとブルーズ寄り、というか本質的にはブルーズ・シンガーだったのに比べ、ルースにはブルーズ色は薄く、もっとポップなフィーリングの方が強いんだよね。

 

 

アトランティック社屋が自らの名で呼ばれるほど10年間レコードが売れまくったという背景には、ルースの持つこのポップなフィーリングがあったおかげに違いないと僕は見ている。単にリズム&ブルーズ歌手というだけでは、いくら時代の最先端黒人音楽だったからといっても、そこまでは売れないはず。この点では、ルースのデビュー時にはすでに人気がかなり落ちていたが、1940年代のルイ・ジョーダンに通じるものがあるかもしれない。二者ともジャズ〜ブルーズ〜ポップの真ん中あたりに位置する資質・感覚を持っていて、それを発揮してビッグ・ヒット・メイカーになった。時代が違うだけに、ルースのほうはリズム&ブルーズの女王となっただけだ。

 

 

あ、そういえば僕は以前、ビッグ・ママ・ソーントンの記事で、彼女をリズム&ブルーズの女王と呼びたいと書いたことがあったよねえ。

 

 

 

このとき、ビッグ・ママの録音のなかにはラテン・フィーリングがかなり濃厚に表現されている場合があって、アメリカ黒人音楽におけるラテン要素なんて当たり前の話ではあるけれど、それでもそんなリズム&ブルーズを下敷き(の一部)にしてロック・ミュージックも産まれたんだから、米英ロックにラテン・アクセントが聴けても当然だと指摘してある。

 

 

『ロッキン・イン・リズム:ザ・ベスト・オヴ・ルース・ブラウン』で聴くと、ラテン・フィーリングはルースにも当然のようにある。それも曲によってはそれがかなり濃厚だ。まず最初が5曲目の「シャイン・オン」(1951)。次いで7曲目の「ダディ・ダディ」(1952)。一番露骨なのが12曲目の「マンボ・ベイビー」(1954)。

 

 

 

 

 

特に三つ目の「マンボ・ベイビー」が、もうこの上なく最高に楽しいよねえ。なかでもハンド・クラップが入っているあいだなんか、もう言うことなしの極上フィーリング。チャカチャカと効果絶大で、素晴らしいエンターテイメント・ミュージックだ。間奏部でテナー・サックス・ソロがあるあたりはやはりリズム&ブルーズ・マナーだが、ルースが軽くポップに歌っているところがあるのもイイネ。

 

 

そう、ルースは軽くポップで柔らかいというか、あまり黒人歌手らしくないストレートでスムース歌唱なのだ。だからこそ売れたんだと思うんだけど、そして売れまくったからこそリズム&ブルーズの女王の呼称が与えられ、アトランティック社屋がルース御殿と呼ばれたわけだけど、エグ味とアクと粘り気の強い黒人歌手がお好きなみなさんには、ルースはイマイチな感じがするかもしれないよね。

 

 

黒人歌手でジャズやリズム&ブルーズやゴスペルやソウル界にいながらも、そんなポップでスムースな歌い方をして人気だったというと、ルース・ブラウン以外にも、ナット・キング・コールやサム・クックなどがいる(まあこの男性二名は直接の影響関係があるが)。ルース含め、ああいった歌手たちのことを、熱心な黒人音楽愛好家は遠ざける場合もちょっとあるけれど、う〜ん、それもちょっとどうなんだろうねえ。

2017/08/30

「Pチャン」の快楽 〜 渋さ知らズのダンス天国

613x2idrv4l








デューク・エリントンやサン・ラーが21世紀の日本に降臨したら、きっとこんな音楽をやるだろうという渋さ知らズ。 P ファンク軍団っぽい感じもあって、面白いよねえ。いちおうジャズ・ビッグ・バンドに分類されているけれど、そんな枠内におさまるような音楽集団じゃない。ジャズをベースにしながらも、いろんな音楽要素がゴッタ煮のヤミ鍋状態でドロドロに混在しているのが渋さ知らズだ。

 

 

渋さ知らズはなんでも1989年から不破大輔を中心に活動を開始しているらしい。少なくとも初リリース作品が1993年の『渋さ道』だけど、そのころ僕は全く気づいてもいなかった。アンダーグラウンドで活動していたようだ。まあ僕も東京にいた時代だから、アンテナを張っていればなんとかなったのかもしれないが、う〜ん、鈍感だった。まあレーベルも地底レコードなんていう名前だしな(笑)。

 

 

僕が渋さ知らズを初めて知ったのは、2002年のライヴ・アルバム『渋旗』がリリースされたとき。この CD は HMV 渋谷店のジャズ・フロアで見つけた。この記憶は間違いない。全く知らない名前だなあと思ったけれど、なんだったか、ちょっと信用してもいいかなという筋の推薦の言葉が添えられていて、じゃあちょっと飛び込んでみようと思ったのだった。ジャズ・フロアにあって、しかもビッグ・バンド作品だということは HMV 店頭で分っていた。

 

 

自宅に帰って聴いてみたら、即座に一発で KO されてしまった『渋旗』。こ〜りゃスゴイ!こんなものすごいビッグ・バンドがいま日本にいるのか!何者なんだ?!と思ってネットで調べてみるものの、2002年だからまだネット検索はいまみたいに手軽ではないし充実もしていなかったのだった。だからあまり分らず、とにかく CD ショップ店頭で見つかる渋さ知らズの CD を根こそぎぜんぶ買うことになる。

 

 

2017年現在でも、僕にとっての渋さ知らズ最高傑作は、やっぱり『渋旗』なんだよね。この作品でゾッコン惚れてしまったという弱みだけなんだろうが、う〜ん、他のアルバムにはないなにかがこのライヴ・アルバムにはあるような気がする。僕の耳にはそう聴こえてしかたがないんだよね。

 

 

アルバム『渋旗』は全七曲で計72分。何年にどこで行われたライヴ・パフォーマンスなのか、どこにも記載がない。収録曲は、もっと前からやっていたレパートリーもあるみたいだけど、僕は当然ぜんぶ初体験。最初はこりゃぜんぶ凄い凄いと感じて嬉しくて、なんどもなんども繰返し聴いていたが、なかでも特にお気に入りだったのが四曲目の「諸行でムーチョ」と六曲目の「Pチャン」。グルーヴが明快だからだ。三曲目の「股旅」もフランク・ザッパみたいで面白くて好きだし、五曲目の「反町鬼郎」のタメの効いた深いリズム・フィールも大好きだ。

 

 

まあでも僕にとってはやっぱり「諸行でムーチョ」と「Pチャン」だなあ、『渋旗』では。も〜う楽しいったらありゃしない。「諸行でムーチョ」は諸行無常にひっかけてある曲題なんだろうが、「Pチャン」ってなんだろう^^;;?まあいいや。前者はヴォーカル・ナンバーで、意味不明の、たんなる言葉遊びのナンセンス・リリックを(たぶん)女性二名が歌うのが最高に楽しくて大好き。しかもななんだかちょっとセクシーじゃないか。

 

 

一回目のヴォーカルに続きテナー・サックス・ソロがあって、しかし二名クレジットされているテナー奏者のどっちが吹いているのか、僕には分らない。二回目のヴォーカルのあとにはエレキ・ギター・ソロがあるが、ギタリストも二名いる。ドラマーも二名いて、パーカッショニストもいるから、「諸行でムーチョ」だけでなくほかの曲でもそうだが賑やかで、しかも統一感がない、というかピッタリ合致した合奏をしていないのがいいんだよね。音を出すタイミングが少しづつズレているのが最高のカオス・グルーヴを生み出している。管楽器アンサンブルも、それはハーモニーがなくすべてユニゾン合奏だけど、それも微妙なズレが生むサウンドが広がりとキラメキをもたらしている。

 

 

六曲目の「Pチャン」の、この『渋旗』収録ヴァージョンは、2017年現在に至るまでも、渋さ知らズ全音源のなかで僕のモスト・フェイヴァリット。だ〜ってね、最高にカッコイインだよ〜。キモチエエ〜〜!まず右チャンネルのドラマーが叩くのが合図で、ユニゾンのホーン・アンサンブルでテーマ、でもないモチーフを演奏。渋さ知らズの曲の合奏部はだいたいどれもシンプルなリフの反復なんだよね。テーマみたいなのは。どんな曲でも複雑高度なアンサンブルで楽しませるような部分はなく、だんだんと音を重ねていきながら少しづつ色をくわえていき、それもぜんぶズレているので濁って混沌感があって面白いっていう、そんなやり方だよね。しかしホーン・アンサンブルに絶対にユニゾンしか使わないっていうのは、不破大輔のなんらかのこだわりなんだろうか?

 

 

『渋旗』ヴァージョンの「Pチャン」では、ドラムスの音に続きいきなり大音量の管楽器ユニゾン・アンサンブルが出て大迫力。しかもサビ部分でリズム・フィールがちょっと変わる。まあサビでリズムがチェンジするのはむかしからみんなよくやるパターンではある。テーマ・アンサンブルに続きエレキ・ギター・ソロが、こりゃまたジミ・ヘンドリクスみたいでカッコエエ〜!左チャンネルで弾く人がメインだけど、適宜右チャンネルでもう一人のギタリストが弾き絡むのも楽しい。

 

 

ギター・ソロが終るとドラマー二名とパーカッショニストだけによる打楽器乱れ打ちパートになって、そこも素晴らしく楽しいが、それが終ると、これは間違いなく片山広明であろうフリーキーなテナー・サックス・ソロになる。最初はフリー・ジャズっぽい吹き方をしているけれど、後半部から同一フレーズの反復をはじめて、それがバック・アンサンブルを導くのもイイ。まるでイリノイ・ジャケーとライオネル・ハンプトン楽団みたい。

 

 

それがきっかけに怒涛の大音量ホーン・アンサンブルになって(もちろんユニゾン)、ウィルスン・ピケットのあの「ダンス天国」のあの有名なフレーズを演奏。日本のグループ・サウンズ、ザ・スパイダースもやっているあれだ。ザ・スパイダース・ヴァージョンでは、いきなりそこからはじまっているよね。僕も大好きなんだよ、あの「ら〜、らららら〜♪♫」がね。

 

 

「ダンス天国」のリフをユニゾン合奏の大音量でホーン群が演奏して、そのまま最初と同じテーマ・モチーフになだれ込む。『渋旗』ヴァージョンの「Pチャン」では、そのスーパー・ダンサブルなリズムとあいまって(実際これを聴くとき、僕は部屋のなかでいつも踊っている)、その管楽器合奏の雪崩のような怒涛の迫力で、僕はもう完全に昇天。これ以上の快楽がありますかって〜の!

2017/08/29

ストーンズのアフロ・オリエンティッド・ポリリズム

51h8tghuokl

 

31jkr3v3m7l









ローリング・ストーンズ1980年リリースのアルバム『エモーショナル・レスキュー』が過小評価されているのは、日本では中村とうようさんが発売直後に褒めたからだという話を、20年ほど前にるーべん(佐野ひろし)さんからうかがったことがある。本当なのかどうかは僕には確かめられないが、とうようさんべた褒め ⇨ 聴かないよ、とうようさん0点 ⇨ 面白そう、みたいになってしまう傾向は理解できないでもない。

 

 

僕の場合、『エモーショナル・レスキュー』にはギリギリ間に合わなかったのだ。以前も書いたが僕の買った初ストーンズが次作1981年の『刺青の男』(Tatoo You)で、買った理由も別にストーンズに興味を持ったとかじゃなくて、これにジャズ・サックスの巨人ソニー・ロリンズが参加しているのだと読んだからだ。ジャズ雑誌なんかでも大きめの記事で扱われた話題だったように記憶している。

 

 

それで買って聴いてみた『刺青の男』は、ロリンズのサックス演奏じたいには別にどうという感想もなく(だってあれくらいなら朝飯前のサックス奏者だから)、それよりも、例えば一曲目「スタート・ミー・アップ」でいきなり鳴りはじめるエレキ・ギター・リフがなんてカッコイイんだ、しかもミック・ジャガーのヴォーカルが出る直前にベースが一瞬跳ねたりするのも面白いなあとか、そんなことでストーンズ好きになってしまったのだった。

 

 

『エモーショナル・レスキュー』にはだから間に合ってなくて、リリース時にとうようさんはじめみなさんがどんな評し方をしていたのか知るわけもない。あとになって買って聴いてみたら、オッ、こりゃ面白いアルバムだぞと思って、いままでずっと聴いていて、20世紀末ごろか21世紀頭ごろかネットの音楽仲間に、ストーンズでは『エモーショナル・レスキュー』が過小評価すぎるんじゃない?と発言してみたら、速攻でるーべんさんが同意してくれたのだった。それで一番上で書いた内容を言われたってわけ。

 

 

僕も間に合っていたらなあ。まあでもストーンズに間に合っていたとしても、1980年だとまだとうようさんにも出会うちょっと前だったが。とうようさんが『エモーショナル・レスキュー』についてどう褒めたのか知りたかった。当時懇意だったるーべんさんにしつこく聞いてみたけれど、もうすでに20年ほども前のことだし詳しいことは忘れちゃったなあと言われて、う〜ん、残念なことだった。まあでもいまとなっては、たぶんこんなことだったんじゃないかとおおよそ想像がつく部分がないわけではない。

 

 

それはアルバム A 面一曲目「ダンス(Pt.1)」のことなんだよね。ひょっとしたら B 面三曲目のアルバム・タイトル曲のこともあったかもしれない。そしてこの二曲こそ、僕にとってアルバム『エモーショナル・レスキュー』が面白いと思う最大の要因なんだよね。A 面ラストの「インディアン・ガール」もマリアッチみたいで面白いが、ストーンズのマリアッチはそんなビックリするようなものじゃない。問題は「ダンス(Pt.1)」と曲「エモーショナル・レスキュー」だ。特に前者。

 

 

「ダンス(Pt.1)」は、結論から先に言うと、ポリリズミック・ディスコ・ダブだ。何種類かのリズム・パターンの異なるグルーヴが並行して混在し(ポリリズム)、ビートの基本的なフィーリングは前作にある「ミス・ユー」(1978年『女たち』)の同種で、しかもレゲエ風な感じと、それ由来のダブ的な音処理が施されている。

 

 

 

お聴きになれば分るように、「ダンス(Pt.1)」の基本的な創りはシンプル。(たぶん)ロニー・ウッドが思いついたたった一個の簡単なワン・リフが、一番最初のおおもとになっている。ロニーとキース・リチャーズは約四分間、延々と種々のギター・リフを弾き続けるだけ。エレベもロニーなので、それはオーヴァー・ダビングだ。チャーリー・ウォッツが跳ねるパターンの、基本はディスコだが、「ミス・ユー」よりもちょっと込み入った複雑な叩き方をしている。その上にミックが歌うでもないしゃべるようなスタイルの、つまりトーストを乗せている。パーカッション群も面白いが、それはマイクル・シュリーヴ(サンタナ・バンド)。ミック以外にもう二人聴こえる男声はキースと、それにくわえマックス・ロメオ(ジャマイカのレゲエ・シンガー)。リズミカルなホーン・リフも入る。

 

 

こんな感じになっているのは、アルバム『エモーショナル・レスキュー』収録曲の録音が、1979年にバハマはナッソーのコンパス・ポイント・スタジオで行われたことと関係あるんだろう。上でご紹介した音源でお分りのように、二本のギター、エレベ、ドラムス、三人のヴォーカル、パーカッション群、ホーン・リフ 〜 これら八個以上が全て同一リズムに一斉に乗っかっているわけではない。それぞれバラバラに、というか複雑に絡み合って、異なったまま同時進行している。すなわちポリリズムだ。

 

 

この「ダンス(Pt.1)」には別ヴァージョンがあって、そっちはもっと興味深い。1981年にリリースされたベスト盤『サッキング・イン・ザ・セヴンティーズ』にしか収録されていないもので、CD だと八曲目。 曲題が「イフ・アイ・ワズ・ア・ダンサー(ダンス Pt.2)」。もっと面白いのはなにがかって、こっちのパート2のほうがダブふうの音処理が大胆だからだ。パート2といっても、いわゆる続編ではなく、同じベーシック・トラックを使って、その上に違うヴォーカルを乗せ、ミックスも変えたりしているんだと思う。そのやり方じたいダブの手法じゃないか。3:50過ぎのミックの声はかなり大胆に加工してあって、しかも抜き気味だ。

 

 

 

(脱線。ストーンズの場合、こういった別ヴァージョンとかシングル・エディットとかシングル B 面曲とか、いまだにちゃんとまとめられていないよね。だから大変に困る場合があるのだが、これはミックかキースが死んでバンドがなくなってしまうまで、ずっとこのままなんだろうか?困るなあ。僕もそうあと30年もは生きてないだろうし、早くいままでリリースしたストーンズの「ぜんぶ」を公式に完全リイシューしてほしい。)

 

 

音を加工したり抜いたりというダブ手法は、パート1のほうでも 3:00 過ぎで聴けた。ミックの声ではなくバンドのサウンド全体から音を抜き、エコー処理も施して、ジャマイカのダブ音楽家がやるようなのと同じようなサウンドを生み出している。ダブをやると同時に、というかダブだからこそポリリズミックなグルーヴを持つ演奏をしている(というか録音後に加工している?)のは納得しやすい。カリブを媒介してアフリカへ視線が向いているってことだよなあ。

 

 

曲「エモーショナル・レスキュー」のほうにも触れておこう。これの基本ビートもディスコ系だけど、この曲だと熱い感じがぜんぜんせず、かなりクールでヒンヤリしたフィーリング。それはたぶんチャーリーのドラミングと、これまたロニーが弾くエレベのパターンと、さらにミックが全編ファルセットで歌うせいか?ボビー・キーズも、このいつもは激熱テキサス・テナーの人が、かなり冷感のある吹き方をしていて面白い。

 

 

 

この曲「エモーショナル・レスキュー」は、2ヴァージョンある「ダンス」ほど鮮明ではないがダブ風にエコーが効いた音処理(特に後半部のミックのヴォーカルに)を施していて、音を抜いたり重ねたりはあまりしていないみたいだけど、1962年デビューの古参ロック・バンドがやったサウンドとは到底思えない(失礼!)、まさに<1980年の音>に仕上がっているじゃないか。2ヴァージョンある「ダンス」とあわせ、ニュー・ウェイヴ・サウンドだ。同時期のトーキング・ヘッズあたりにも似ている。

 

 

中村とうようさんがリリース時にどう書いたのかは僕には確かめられないが(当時とうようさんが書いたと思しき文章をいまでもお持ちの方、ぜひ教えていただけませんか!)、まあたぶん、ひょっとしてこんなようなことだったんじゃないかなあって気がする。ニュー・ウェイヴ的なアフリカ志向のポリリズミック・サウンド。そう考えるとストーンズの『エモーショナル・レスキュー』だって、トーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』ほどにってのは無理だけど、もう少しだけ高く評価され聴かれてもいいんじゃないかなあ。熱心なストーンズ・ファンですらなにも言わないっていう、いまの評価はあまりに低すぎるよ。

2017/08/28

マディの『ファーザーズ・アンド・サンズ』で考えるブルーズの分りやすさ

71ynzwnnnzl_sx355_








僕の場合、アナログ LP 時代を知らないマディ・ウォーターズの1969年盤『ファーザーズ・アンド・サンズ』。二枚組だったらしいが、CD だと一枚だ。レコード二枚ってのはきっとスタジオ録音サイドとライヴ録音サイドに分けてあったんだろうなあ。それが CD だとそのまま続けて流れてくるが、これは確かにディスクが分かれていた方が聴きやすいように思う。

 

 

ところで最初に疑問を書いておくが、このアルバム題、"Fathers"と複数になっている。息子が複数なのは当たり前だが、「父」とはこの場合マディのことだけじゃないの?そうじゃないから複数形になっているわけだが、どういう意味があるんだろう?オーティス・スパン(ピアノ)やサム・レイ(ドラムス) も「父」だってこと?あるいはなにかもっと違う意味がある?分らない僕にどなたか教えてください。

 

 

複数形になってはいるが、もちろん『ファーザーズ・アンド・サンズ』の主役は「父」マディ一人だ。参加ミュージシャンのうち、上で書いたオーティス・スパンとサム・レイも黒人。また一曲目の「オール・アボード」その他に、やはり黒人のフィル・アップチャーチ(ベース)など、その他若干名いるが、ほかは全員マディの「息子」である白人ブルーズ・ロッカーたち。ベースのドナルド・ダック・ダンだけはピュア・ブルーズというよりリズム&ブルーズ〜ソウル寄りの人材だが、まあ似たようなもんだ。

 

 

マディの『ファーザーズ・アンド・サンズ』が不思議なのは、僕にはブルーズ・アルバムなのか(ブルーズ・)ロック・アルバムなのか分らないところだ。例えばこのアルバムでソロやオブリガートなどいちばんたくさん楽器で活躍しているのはハーモニカのポール・バタフィールドなんだけど、ポールのバンドで弾いていたマイケル・ブルームフィールドも参加している。サム・レイだってバンドの一員だった。ってことはあのころのポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドのサウンドか?と思うと、さほど強くは似ていないように僕は感じる。

 

 

でもこれはマディが好きすぎる僕だけの感想かもしれない。ネット上でいろんな文章を読むと「ブルーズ・ロックとして聴きやすい一枚」「ロック好きが黒人ブルーズの世界に入っていく際にいちばん最初に聴いたらいい格好の入門盤」「黒人ブルーズのエグ味に慣れていない方々でも気軽に聴ける」とか、この手の表現がたくさん見つかる。そのなかに一つ、日本人ブルーズ・ハーピストの第一人者、妹尾隆一郎さん(つまり、みえさんはブルーズと結婚したみたいなもん)のインタビヴュー発言みたいなのが見つかった。

 

 

なんでも妹尾隆一郎さんがまず最初に買った黒人ブルーズ・マンのレコードが、マディの『ファーザーズ・アンド・サンズ』だったんだそうだ。それまではロック少年だったと語っている。聴いてみたらギターはソロを弾かず、もっぱらハーモニカがソロを吹いているのが意外な印象で感銘を受けたんだとか。それで自ら和製ポール・バタフィールドになろうと思ったのかどうかまでは記載がなかった。ただ妹尾さんも「聴きやすいブルーズ・アルバムや思います」(妹尾さんは関西人)とは発言していた。

 

 

このあたり、ちょっと聴いてみてとっつきやすく、ブルーズ初心者でもスッと入っていける気軽さ、易しさがあるマディの『ファーザーズ・アンド・サンズ』だけど、この聴きやすさはブルーズの奥深さ、ディープさと引き換えに手に入れているようなものなんかじゃないんだということは、今日、僕は強調しておきたい。妹尾隆一郎さんの発言はぜんぜんそうじゃなかったが、ネット上の文章のなかには、なんだかちょっとこの分りやすさを小馬鹿にしたようなブルーズ愛好家の方々の文章も散見する。

 

 

たくさん(でもないんだが)の白人ブルーズ・メン(ロッカーたち?)と共演したマディの『ファーザーズ・アンド・サンズ』は、白人たち、それもややロック寄りにいる音楽家たちと共演しているから分りやすさを獲得しているのではなく、いやまあ確かにそういう部分があるけれど、それだけじゃないというか、それは本質的なことじゃない。大事なのはブルーズ・ミュージックって「本来的に分りやすい」ものなんじゃないかということ。これを僕は言いたいんだよね。

 

 

ブルーズが分りやすい、演りやすいという面も強いのは、もちろんかたちのおかげでもある。定型だと12小節で3コード(に即し若干展開はするが)と決まっているし、そうじゃないものだって基本これの発展形だ。誕生期のブルーズがどんなのだったか、録音がないので文献資料などから推測するしかないが、ある時期までの僕は、ワン・コードで小節数もないようなものほうが先に存在し、そこから徐々にかたちが整っていき12小節3コードの定型パターンができあがったに違いないと見ていた。

 

 

だが最近の研究や専門家の発言などを読むと、どうやらこれは間違っているらしい。まだ「ブルーズ」とも呼べないような段階の音楽のことはいざ知らず、いまの時点から見てもブルーズに違いないと判断できるようになったころには、まず最初に三行詩を12小節で展開する3コードのものが成立したんだそうだ(でも実証できないんじゃないの?)。1コードものや8小節ブルーズなんかは、12小節三段階ブルーズ誕生の「あと」に成立している(8小節ブルーズは都会のジャジーなものだから、こっちは納得しやすい)という話だが、どうなんだろう?

 

 

この最近の研究成果が当たっているとすれば、かたちとしてブルーズは非常にやりやすく、聴いて理解もしやすいものとして、そもそもの最初からそういうものとして誕生した。ブルーズが分りやすいと僕が思う、もう三つの理由が、(ブルーズ・)フィーリングと、ダンス感覚と、歌詞内容の日常的卑近さだ。

 

 

ブルーズ・フィーリングは聴けば感じるもので、納得しやすいものだけど、でも言葉で説明するのはかなり難しい。少なくとも憂鬱感とかブルーな気分とか落ち込んで沈んだような感じとか、そんなもの(だけ)ではない。これは上で述べた三つの理由の二番目であるダンサブル・フィーリングとも密接に結びついているのだが、賑やかに踊り騒いで(まあ楽しい)、それは根底にはそうやって憂さを晴らしたいという気持があるからかもしれないが、音楽のフィーリングとしては強靭なビートに支えられて快活陽気な感じなっている場合のほうが多い。ノリやタメの深いブルーズになっても、くつろいでリラックスできる感覚がある。

 

 

三番目に書いた歌詞内容の日常的卑近さとも関係あるのだが、人間、誰だって心のなかに抱えていそうな闇を音楽で表現するのに、ブルーズほどピッタリな表現様式もないんじゃないかと僕は思うのだ。心の闇の表現といっても、憂歌だみたいなステレオタイプなことを言いたいわけじゃなくて、「快楽」にかたちを変えるようなもの。例えば今日話題にしたマディの『ファーザーズ・アンド・サンズ』のラストに2ヴァージョン収録されているライヴの「ガット・マイ・モージョー・ワーキング」みたいなダンス・ブルーズにこそ、ブルーズが表現する最もディープな闇があるんじゃないかと僕は思うんだよね。

 

 

そんなような感覚って、人間なら誰だって持っているから、共感しやすいよねえ。僕がブルーズ・ミュージックは分りやすいんだ、分りやすいからこそ最も深く、ある意味、まあ難しかったりもすることがあるっていうのは、こういうことなんだよね。マディの『ファーザーズ・アンド・サンズ』を聴いて、こんなことを考えた。う〜ん、伝わっているかなあ?

2017/08/27

人生、チャンスは一度きり 〜 モントルーのレイ・ブライアント

Alone_at_montreux








「アフター・アワーズ」というピアノ・ブルーズ・クラシックは、僕の場合、レイ・ブライアントのソロ・ピアノ演奏で知ったんだった。もちろん例のアトランティック盤『アローン・アット・モントルー』。ブルーズの得意なジャズ・ピアニストだから、もっと前に録音・発売されたものがあるかもしれない。また録音されないライヴ演奏でなら、間違いなくかなり前からレイは「アフター・アワーズ」あたりはやっていたはずだ。

 

 

アースキン・ホーキンズ楽団のピアニスト、エイヴリー・パリッシュが1940年に書き、同楽団で作者自身をフィーチャーし初演した「アフター・アワーズ」。黒人国歌とまで呼んだ人もいる曲だが、この曲の持つそんなような意味合いが、正直言うと、以前、僕にはどうもピンと来ていなかったのだった。ふつうのジャズ・ピアノ・ブルーズとして、レイ・ブライアントだけでなく本当にいろんな人がやっているので、なにも考えず楽しんできた。12小節定型だしなあ。

 

 

ただまあ「アフター・アワーズ」が持つ、あの一種独特な、なんというかレイド・バックしたようなフィーリングと、タメの効いたディープなノリは、やっぱり黒人音楽だけあるよね、それも1940年初演という時代にフィットしたものだよね、つまり要するにスロー・ジャンプだよねと、間違いなく僕も思う。しかし、ジャンプはジャズの一部ですからゆえ〜。「アフター・アワーズ」なんかは完全にスタンダード化していて、特に黒人色を押し出さないジャズ・ピアニストだってふつうにどんどんやっている。

 

 

レイ・ブライアントはというと、まあやっぱり黒人色を全面的に打ち出すようなジャズ・ピアニストなんだろうなあ。ブルーズ・ナンバーの弾き方なんか聴いていると、これは間違いない。…、とこう書いたが、レイのこの一番の特徴が、誰でもはっきり鮮明に分るようになったのは、実を言うと、上述1972年のアトランティック盤『アローン・イン・モントルー』によってだったんだよね。そして、レイ・ブライアントという、こんなにも素晴らしいピアニストがいるんだということが、全世界のジャズ・ファンに広く一般的に認識され人気も出たのが、この72年のライヴ・アルバム以後なのだ。つまり、それまでだって長く立派なキャリアを持ち、実力も一流であるにもかかわらず、72年のモントルーまでレイは知る人ぞ知るという存在でしかなかった。

 

 

これは超有名エピソードだから書いておく必要もないだろうが、レイ・ブライアントの『アローン・アット・モントルー』になったパフォーマンスが行われた1972年6月23日のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルには、本当ならオスカー・ピータースンが出演するはずだった。それもソロ・ピアノで。しかし、ピータースンは(本当かどうか知らないが)ソロ・パフォーマーとしての準備不足を理由に、突然出演をキャンセル。それで主催者側が急遽代役として抜擢したのがレイ・ブライアントだった。

 

 

しかしどうしてレイ・ブライアントだったんだろう?1972年にソロ・ピアノで立派なライヴ演奏ができるジャズ・ピアニストは他になんにんもいたと思うのだが、モントルー・ジャズ・フェスティヴァル側は、とにかくレイに白羽の矢を立てたのだった。立てられた側のレイとしては、まずそれまでヨーロッパで公演を行ったこともなく、またライヴ・コンサート全編丸ごとソロ・パフォーマンスを繰り広げた経験も、こっちはアメリカ本国ですらも、まだ一度もなかったはず。

 

 

しかしこれはレイ・ブライアントにとっては千載一遇の大チャンスだったんだよね。人生でたった一回巡ってくるかこないかというような大チャンスで、一世一代の大勝負だった。1972年6月23日のソロ・ピアノ・ステージをほぼ全編ブルーズ・ナンバーで行くと決めたのは、間違いなくレイ本人の意向だろう。人生を賭けるたった一回しかない勝負の場で、ただでさえ緊張度はマックスに達すると本人もあらかじめ自覚できたはず。じゃあ自分はブルーズこそが自家薬籠中のものなんだから、それで通せばパフォーマンスが成り立つんじゃないかっていう、そんな算段だったんじゃないかな。

 

 

そのレイ・ブライアントの目論見が成功したかしないかなんて、いまさら僕がなにも言うことなんてない。アルバム『アローン・アット・モントルー』を聴く人全員が分ることだから。しかし、直前で書いた「自分はブルーズこそが自家薬籠中のもの」だとレイ自身が考えたはずだというのは、もちろん結果になったアルバムを聴いて僕も判断しているわけで、このモントルー・ライヴ盤以前には、ブルーズが得意なピアニストだと仲間内のジャズ・メンなら全員知っていたはずだが、世間一般のファンはまだそこまで認識できていなかったんだよね。

 

 

レイ・ブライアントの『アローン・アット・モントルー』。CD だと五曲目の「アフター・アワーズ」こそが、その後の僕のアメリカ黒人音楽人生を考えたら最も意義深い一曲で、演奏内容も実際素晴らしいと思う。レイ自身の曲紹介では「私の知る限り現存する最も古いブルーズ・ピースの一つです、それを演りたいと思います、世界で最も偉大なピアノ・ブルーズ・ソロ、エイヴリー・パリッシュの”アフター・アワーズ”」となっている。演奏の展開はお馴染のまま。「世界で最も偉大なピアノ・ブルーズ・ソロ」も同感だが、「現存する最も古いブルーズ・ピース」とはちょっとおかしいよね。まあでも MC だから瑣末なことだ。

 

 

僕がレイ・ブライアントの『アローン・アット・モントルー』で最も好きなのは、しかし「アフター・アワーズ」ではなく、オープニングの2トラック「ガタ・トラヴェル・オン」と「ブルーズ #3/ウィロー・ウィープ・フォー・ミー」なんだよね。前者はレイ自身もしゃべっているがアメリカ南部に古くから伝わるフォーク・ブルーズ・ピース。後者はレイのオリジナルと有名スタンダードとの合体メドレー。

 

 

「ガタ・トラヴェル・オン」なんか、これ、本当に公の面前、しかもモントルー・ジャズ・フェスティヴァルみたいな舞台における、人生初のソロ・ピアノ・パフォーマンスだったのか?そんな(マイナス方向での)緊張や気負いなんてちっとも感じられないほどの躍動的なフィーリングだよなあ。

 

 

2トラック目のメドレーでは、リラクシングというかレイド・バックしたスロー・ブルーズでのレイ・ブライアントの絶妙な上手さがよく分る優れたパフォーマンスで、こういったくつろいだジャズ・ブルーズ演奏が大好きな僕にはたまらない味わい。しかも右手のタッチは一点一画たりともおろそかにしない丹念さだなあ。さすがに20年以上にわたり一流ジャズ・ピアニストとしてやってきただけあるという風格が感じられる。「アフター・アワーズ」その他、ジャンプ系ジャズ・ブルーズでよく聴ける、三連の反復を叩き盛り上げるパターンが、それも終盤ではなく中盤のチェンジ・オヴ・ペースとして使われているのも面白い。

 

 

2017/08/26

スライド・ギター好き必聴!〜 謎の変態ビルマ・ギター

Utin

 

Burmeseguitar









まず、ちょっとこれを見ながら聴いてほしい。これはいったいなんなんだ?

 

 

 

このギター独奏はビルマのウー・ティンという人のもの。ボディは木製に見えるけれど、金属製のコーン(反響板)があるので、リゾネイター・ギターの一種だろうなあ。それを寝かせて水平に置き、その上からスライド・バーで押弦し、サム・ピックみたいなものを親指と人差し指にはめて弦をピッキングしているよね。そして同時に歌っているのもウー・ティン本人なんだろう。

 

 

ここまではこの動画を観れば分ることだが、問題はこの旋律(音階)の摩訶不思議さだよなあ。それを奏でるギター弦六本のチューニングだって、どうなっているのやら、聴いても僕には分らない。こんなたとえを出すのは不適切だろうが、アメリカ産のブルーズやロックにおけるギターの使い方に慣れていると、なにがなんやらサッパリわけ分ら〜ん。スライド・バーだってあまり滑らせず、ただポン、ポンと置くように押弦しているよねえ。そのポジションを見ると、やはりどうしてこの弦のこの位置でこんな音程が出るのか、分ら〜ん。

 

 

しかしこんなのはビルマ・ギターをぜんぜん理解していない僕だからゆえ抱く感想であって、所詮アメリカ産音楽におけるギター使用法で推しはかろうなんていう心根がもとから間違っているよなあ。がしかし、ちょっとした関係がまったくゼロだというわけではないのかも。アメリカにおけるスライド・ギターはハワイ由来だというのが定説(異論もある)なんだけど、ビルマのスライド・ギターも、一説によればハワイ由来なんだそうだ。ってことはルーツは一緒か?

 

 

ビルマ・ギターもラップ・スティールみたいに(膝の上かどうかは見てもよく分らないが)寝かせて置いて上から押弦するっていうスタイル。謎の音階とチューニングは、たぶんビルマの古典歌謡や大衆歌謡をギター独奏で表現せんとして編み出されたものなんだろうと推測する。そう考えるとギター・スタイルとしてはまったく聴いたことのない摩訶不思議なものに聴こえるウー・ティンや、またもっと若いアウン・ナイン・ソーも、この二名によるそれぞれ一枚ずつ、計二枚しかビルマ・ギター独奏 CD アルバムはないはずだが、彼らのギター・ミュージックも、実はそんなに耳慣れないものじゃないはず。

 

 

ビルマ音楽完全無知の僕だって、竪琴演奏や、またソーサーダトンなどほんのちょっとだけの歌手や、その伴奏や、またサイン・ワイン独奏や、サイン・ワイン楽団の演奏など、少し CD アルバムを持っていて愛聴している。それらで聴ける音楽、旋律などから推しはかれば、ウー・ティンもアウン・ナイン・ソーも、わりと「耳馴染みのあるメロディがふんだんに出てきて、相好を崩すことウケアイ」なんだよね。僕も実はそう。

 

 

日本では、というか世界中でも、ビルマ本国でもってことか、上記二枚、ウー・ティンとアウン・ナイン・ソーのそれぞれ一枚ずつ(アルバム名はどっちも『Music of Burma : Burmese Guitar』)は、日本人、井口寛さんが現地ヤンゴンに赴いて録音したもので、かなり簡素な紙パッケージに入っているだけ。ジャケット表に二名それぞれのギターを抱えた写真と曲目が書かれてあるだけ。

 

 

しかし二枚とも録音状態は極上で、謎につつまれていたビルマの変態スライド・ギターがどんなものか、実によくクッキリと聴ける(分るとは僕には言えない)。それもそのはず、井口寛さんはあの『Beauty of Tradition 〜ミャンマーの伝統音楽、その深淵への旅』のプロデューサーだもんね。その二枚はまだビルマ音楽をまったく聴いたことがなく、どんなものかちょっと覗いてみたいなと思った方には、まずぜひこれを!と言える絶対の推薦盤。だって概観的アンソロジーがなかったビルマ伝統音楽をそのような入門盤で、しかもそれに詳しい井上さゆりさんの丁寧な解説文とともに味わえる、しかも極上の現地録音でっていう、まったくこれ以上のものはないアルバムなんだもん。

 

 

そんな井口寛さんが、やはり現地ヤンゴンで録音してきてくださって CD アルバムになったウー・ティンとアウン・ナイン・ソーのギター独奏ミュージック。どっちか一枚だけとおっしゃるならば、ぜひウー・ティンのほうを!と僕は強く強く推薦しておきたい。なぜならばウー・ティンはベテランのビルマ・ギター・ヴァーチュオーゾであって、現存する最高のギタリストだからだ。ウー・ティンに比べたら、最初はこっちのほうが先にリリースされたので僕も先に聴いていたアウン・ナイン・ソーが、そのときは凄い凄いと思っていたのが、そののち出たウー・ティンを聴いてしまったら、なんだかニュアンスに乏しいように思えてくるほどだもんね。

 

 

もちろんアウン・ナイン・ソーだって面白い。ウー・ティンがあまりに素晴らしすぎるので、同じ種類の音楽で比較したならば…、という意味。すなわちひるがえってウー・ティンのビルマ・スライド・ギター独奏アルバムは、それほどものすごいものなのだ。ちょっと聴いた感じ、のんびりのどか穏やかで、ぜんぜん「すごい」という印象を持たないだろうが、みなさんよくご存知のアメリカ人ロック・ギタリスト界でたとえると、あのライ・クーダーのあの持味にも似ている。ライも華麗に弾きまくったりなど決してしないが、すごく上手く、ものすごく素晴らしい。ライはウー・ティンを聴いているのかなあ?ライのことだから聴いてそうな気がするけれど(ライは YouTube でいろんなものをどんどん聴いているし、以前は河内音頭も聴いていた)、もし万が一聴いてなかったら、ぜひライ本人のところにエル・スールで買ったウー・ティンの CD を持っていきたい気分だ。

 

 

いちばん最初にご紹介した YouTube 音源ではイマイチ分りにくいかもしれないが、CD で聴くウー・ティンのアクースティック・ギターのサウンドは、かなりアタック音が強くしっかりしている。強すぎるとすら思うくらいなんだけど、そんな弦さばきにギター・ヴァーチュオーゾのヴァーチュオーゾたるゆえんがあるんだよね。どんな楽器でも同じじゃないかな。いつものようにこの人のことを書くと嫌われそうだけど、あのマイルズ・デイヴィスのトランペット・サウンドも、女性的でソフトだという見方が支配的だけど、アタック音はかなり強いんだ。ウィントン・マルサリスくん、見習ってください。

 

 

ウー・ティンの CD では全編にわたり、そんな強すぎると思うほどのアタック音で、粒立ちも良すぎるほどの見事なギター・サウンドで、1〜6曲目までが金属製ボディのもの、7〜11曲目までが木製ボディのものを使い、単弦弾きや分散和音弾きでビルマ古典歌謡や大衆歌謡(をやっているという話だが、そのへん、僕はまだよく知らない世界だから)をギターに置き換えて表現し、またそれにもとづくインプロヴィゼイションも披露している(と CD パッケージに書いてあるが、どこからが即興なのやら僕には判断できない)。また一曲丸ごとがギター即興というものもあるみたいだ。

 

 

ビルマ音楽ファンや、また僕みたいにそれに興味を持っているがまだ10枚も聴いていないという初心者ファンでも、耳馴染のある歌手の歌い廻しのフレイジング、特にフレーズの歌いはじめや歌いおわり部分での微妙なフレイジングの持ち上げ、伴奏楽団の旋律の創り方などが、リゾネイター・ギター・スライドでのフレイジングの端々に垣間見えて(つまりスライド・バーを用いてのヴィブラートや微分音移動)楽しいし、またライ・クーダーやそのファンみたいに、世界のあらゆるギター・ミュージックに興味がある、特にスライド・プレイに惹かれているというファンにもオススメ。僕はこの二つ両方なのでメチャメチャ面白いウー・ティンとアウン・ナイン・ソーの CDアルバムなのだった。

 

 

ひょっとしてまだご存知ないプロ・ギタリストのみなさんも、ぜひ!

2017/08/25

マイルズ 『”アナザー”・イン・ア・サイレント・ウェイ』

Tumblr_m9es3dbmcv1qdulys_1346062720








先週、いつかそんなプレイリストも書いてみましょうと言った『”アナザー”・イン・ア・サイレント・ウェイ』『”アナザー”・ビッチズ・ブルー』『”アナザー”・ジャック・ジョンスン』『”アナザー”・オン・ザ・コーナー』『”アナザー”・ゲット・アップ・ウィズ・イット』。ああ書いたら矢も盾もたまらずということになってしまうこらえ性のない性急人間ですがゆえ、僕は(苦笑)。

 

 

だから直後に iTunes でそんなプレイリストを作ってしまった。それじたいは僕にとってはわりと簡単なことで、上記五つが完成するのに、ぜんぶで20分もかからなかった。選曲し並び順を考えてプレイリストを作成するのが最大事なので、それさえできたら、それについて書くのはさほどの難事じゃない。今日は『”アナザー”・イン・ア・サイレント・ウェイ』だけ。今日から五週連続で1969〜75年マイルズの「アナザー」・シリーズです。

 

 

『”アナザー”・イン・ア・サイレント・ウェイ』のプレイリストから、まず記しておこう。

 

 

1. Directions I  6:51

 

2. Dual Mr. Anthony Tillmon Williams Process  13:23

 

3. In A Silent Way (Rehearsal)  5:27

 

4. The Ghetto Walk  26:50

 

 

以下、録音データ

 

 

1. Recorded November 27, 1968.  NYC.

 

 

Miles Davis - trumpet

 

Wayne Shorter - soprano sax

 

Herbie Hancock - electric piano

 

Chick Corea - electric piano

 

Joe Zawinul - electric piano

 

Dave Holland - bass

 

Jack DeJohnette - drums

 

 

2. Recorded November 11, 1968.  NYC.

 

 

Miles Davis - trumpet

 

Wayne Shorter - soprano sax

 

Herbie Hancock - electric piano

 

Chick Corea - electric piano

 

Dave Holland - bass

 

Tony Wiilams - drums

 

 

3. Recorded February 18, 1969. NYC.

 

 

Miles Davis - trumpet

 

Wayne Shorter - soprano sax

 

John McLaughlin - guitar

 

Herbie Hancock - electric piano

 

Chick Corea - electric piano

 

Joe Zawinul - electric piano

 

Dave Holland - bass

 

Tony Williams - drums

 

 

4. Recorded February 20, 1969.  NYC.

 

 

Miles Davis - trumpet

 

Wayne Shorter - soprano sax

 

John McLaughlin - guitar

 

Herbie Hancock - electric piano

 

Chick Corea - electric piano

 

Joe Zawinul - electric piano

 

Dave Holland - bass

 

Joe Chambers - drums

 

 

以下、音源。

 

 

 

2. 'Dual Mr. Anthony Tillmon Williams Process'  https://www.youtube.com/watch?v=tBoT-APt5os

 

3. 'In A Silent Way (Rehearsal)'  https://www.youtube.com/watch?v=L8PO-o2AU7I

 

 

 

これで計53分。収録曲はすべて2001年リリースの『ザ・コンプリート・イン・ア・サイレント・ウェイ・セッションズ』CD 三枚組から取ったもの。 一曲の長さからして、一枚の LP の A面B面に分割するのは不可能だけど、CD なら一枚で収まる。ソニーさん、どうですか?発売しませんか?まあダメですよね、こんなもの。

 

 

この時期のマイルズ・スタジオ録音作品の特徴を一言で表現すると <マイルズ+ジョー・ザヴィヌル・バンド> に尽きる。だから一曲目はザヴィヌルがマイルズのために書き一緒に録音したもののなかでは最重要曲であるお馴染「ディレクションズ」で幕開け。これは同じ1968年11月27日に2ヴァージョン目も録音されているが、よりシンプルでよりグルーヴィなヴァージョン1のほうをチョイス。

 

 

二曲目の「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」だけがまだザヴィヌル加入前なのでルール違反だが、大目に見てほしい。先週『ウォーター・ベイビーズ』の記事で書いたように、この1968年11月11日時点で、すでにその後のマイルズ・ファンクへつながる足がかりがハッキリできているし、なによりこんなにカッコいいグルーヴ・ナンバーを放ったらかしにせよというほうがご無体だ。これはもうすでに八割がた「イッツ・アバウト・ザット・タイム」じゃないか。

 

 

三曲目「イン・ア・サイレント・ウェイ(リハーサル)」は、もちろんザヴィヌルの書いた超有名曲。1969年発表のアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』に使われているものは、諸情報を突き合わせると、おそらく3テイク目だ。それが最終テイクで完成品。しかし『ザ・コンプリート・イン・ア・サイレント・ウェイ・セッションズ』には二つしか収録されていない。その完成品と、今日僕が選んだリハーサル・テイクの二つだけ。その公開されているリハーサルは2テイク目らしく、この前に一回録音しているんだよね。それはいまだに未発表のままだ。

 

 

「イン・ア・サイレント・ウェイ(リハーサル)」が1969年発表の完成品と一番大きく違っているのは、トニー・ウィリアムズのドラミングとテンポだ。完成品のほうではトニーは完全におやすみ。しかも約四分間まったくテンポ・ルパートで、定常ビートがない。フワフワ〜ッと漂うかのようなユートピア・サウンドだよね。

 

 

でも「イン・ア・サイレント・ウェイ(リハーサル)」を聴くと、そんなフワフワ漂う郷愁サウンドが、必ずしもこの曲の楽想ではなかったのだと分る。いや、アトランティック盤『ザヴィヌル』ヴァージョンの「「イン・ア・サイレント・ウェイ」や、ウェザー・リポート・ヴァージョンや、その他ザヴィヌルのいろんな曲から判断して、もとから浮遊感のある郷愁を誘うアンビエント・ナンバーではあった。それが「イン・ア・サイレント・ウェイ」の曲想には違いない。

 

 

だがボスのマイルズはちょっとだけ資質が違うんだよね。「イン・ア・サイレント・ウェイ(リハーサル)」を聴くと、トニーが軽い定常ビートを刻んでいて、しかもその特にリム・ショットの使い方には、ボサ・ノーヴァ・テイストが感じられる。ベースのデイヴ・ホランドだってピチカート奏法で若干跳ねていて、ギターのジョン・マクラフリンだって楽しそう。マイルズとウェイン・ショーターはやはり用意されたメロディを反復するだけだが、背後のリズムが面白いんだよね。シェイカーみたいな音も聴こえるが、なんだろう?パーカッショニストはいないはずなんだが。

 

 

ボサ・ノーヴァ・タッチで軽快でリズミカルな「イン・ア・サイレント・ウェイ(リハーサル)」。約五分間だが、これこそ今日の僕のこの『”アナザー”・イン・ア・サイレント・ウェイ』プレイリストの肝に据えたかったものなんだよね。どうだろうか?

 

 

プレイリスト最後の「ザ・ゲットー・ウォーク」。このグルーヴ・ナンバーは1969年2月20日録音で、アルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』を録音したわずか二日後。パーソネルは同じだが、ドラマーだけがジョー・チェンバーズに交代している。この時期、すでにトニーはマイルズ・バンドを脱退していて、そもそも『イン・ア・サイレント・ウェイ』だって、すでにジャック・ディジョネットが正式ドラマーだったころのセッションなのに、あのときだけなぜだかトニーが呼び戻されたのだった。だから二日後のセッションでトニーじゃないのは当たり前だ。しかしディジョネットでもないのはどうしてだろう?

 

 

そこは分らないが、「ザ・ゲットー・ウォーク」がかなりファンキーでカッコいいグルーヴ・ナンバーだってことは間違いない。『ザ・コンプリート・イン・ア・サイレント・ウェイ・セッションズ』ブックレット記載の作曲者はマイルズにクレジットされているが、これはやはりどうも怪しい。聴いた感じ、やはりここでも演奏に参加しているザヴィヌルの曲なんじゃないかと思う。

 

 

しかも「ザ・ゲットー・ウォーク」はワン・パートじゃないみたいだ。動と静をなんどか往復する。「静」部分では主にボスのトランペット吹奏だが、「動」部分ではリズム・セクションの演奏が中心。その上に乗るソロはジョン・マクラフリンのギターが中心で、トランペットやサックスのソロはかなり短い。そもそもソロよりもリズムのグルーヴを聴かせるような内容だよね。

 

 

約26分間以上もある「ザ・ゲットー・ウォーク」だけど、「動」部分ではファンキーだし、「静」部分ではやや牧歌的だし、やはりザヴィヌルの書いたものに違いないと僕は踏む。そしてアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』では テオ・マセロのテープ編集で <一曲> になっていた静と動が、「ザ・ゲットー・ウォーク」では文字どおり一曲のなかで双方繰広げられる。こんなのが2001年まで完全未発表のままだったなんてねえ。

2017/08/24

マット・デニス、マット・デニスを歌う

Mi0002034704








マット・デニスの名盤『マット・デニス・プレイズ・アンド・シングズ・マット・デニス』。僕の持っているリイシューCD は、なんというかチープなパッケージングで、プラスティック・ケースに入っているけれど、それが100円ショップなんかでよく売っているような薄いペラッペラのやつで、ジャケットもそれに紙切れ一枚はさんであるだけ。裏ジャケットなんか存在しないもんね。中古で買ったせいか?

 

 

そんな入れ物なんかなんだっていいだろう、アフリカ音楽の現地盤 CD なんかもっとひどいのがいっぱいあるだろう、場合によっては CD-R だったりするじゃないか、問題は中身の音楽をちゃんと聴けるかどうかじゃないかと言われそう。僕も普段から自分自身にこれを強く言い聞かせているものの、やっぱりなんか、ちょっと、その〜…。むかしアナログ LP で『マット・デニス・プレイズ・アンド・シングズ・マット・デニス』を聴いていたころは、ちゃんとしたパッケージだったような記憶があるんだけど。

 

 

まあいいや。そんなわけで僕の持つ『マット・デニス・プレイズ・アンド・シングズ・マット・デニス』再発 CD は、主役がマット・デニスであることと曲目しか分らないのでネットで調べてみた。アナログ時代に知っていたはずだが、ほかの演奏メンバー(聴こえるのはベースとドラムスだけ)なんかまったく目立たない、というかいてもいなくても同じような演奏なので、主役の名前以外憶えることなど不可能だし、憶える意味もゼロだ。

 

 

アルバム収録の全12曲がすべてマット・デニスの自作曲で、ライヴ収録であるような感じに聴こえる(が?)。演奏メンツもヴォーカルとピアノはマット・デニス本人。それ以外はベースがジーン・イングランド、ドラムスがマーク・バーネット、二曲でゲスト参加の女性歌手がヴァージニア・マクシー。録音は1954年(月日は不明)で、ハリウッドにあるザ・タリ・ホーというサパー・クラブで行われた(ということになっている)。

 

 

サパー・クラブでの生演奏(?)だというのは、アルバム『マット・デニス・プレイズ・アンド・シングズ・マット・デニス』を聴いていると、まあそうなんだろうなという雰囲気を実感できる。ちょっと恥ずかしい言い方だが、大人の夜を過ごすちょっとオシャレな場所で演唱されるムーディなジャズっぽいポップ・ソングズ。もしカップルだったりすれば、かなりいい雰囲気にひたって、ニッコリ微笑み合って愛をささやく 〜 そんな内容の音楽だよなあ、このマット・デニスのアルバムは。

 

 

収録曲はほぼすべてが有名なものばかりなので、曲名だけ書いておけば解説の必要などない。一曲目「ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン?」、三曲目「ザ・ナイト・ウィ・コール・イット・ア・デイ」、五曲目「エンジェル・アイズ」、六曲目「ヴァイオレッツ・フォー・ユア・ファーズ」、七曲目「エヴリシング・ハプンズ・トゥ・ミー」あたりは、なかでも特に超有名スタンダードだよねえ。

 

 

それらは本当にいろんな歌手や、ジャズ演奏家がとりあげてやっている。見事な出来栄えのものだってもちろん多い。だから、作者マット・デニス自身の、かなり線が細くまったく頼りなく弱々しく声量も小さく、声じたいにも特別これといった魅力もないヴォーカルと、それとほぼ同じようであるピアノ演奏による自作自演ヴァージョンなんか取るに足らないよ、聴く価値ないぞと判断されても仕方がないものだ。

 

 

音楽の楽しみって、でもねえ、いつもそんなハードにブロウするような激しい感じで、実力満点の歌手や演奏家が目一杯実力を発揮していて聴く側の胸に訴えかけてくるようなものばかり聴くというようなことでもないんじゃない?ちょっと前に Facebook フレンドさんの男性が、いつもいつも甘ったるい J-POP ばっかりじゃみんな満足できないんじゃないかなぁと書いていたけれど、同意義のことを内容を逆にして僕は言いたい。いつもいつもシビアでハードなものばかりじゃ、少なくとも僕は嫌になる。

 

 

だからときどき『マット・デニス・プレイズ・アンド・シングズ・マット・デニス』みたいな、アルバム全体でたったの33分しかないけれど、ぜんぶなんでもないふつうのラヴ・ソングばっかり(まあ甘ったるい)で、それを頼りなく魅力も薄いヴォーカリスト兼ピアニストが自作自演しているのだって、たまには聴きたいんだよね。同傾向ならリー・ワイリーとかさ。まあリー・ワイリーはしっかりした素晴らしい女性歌手だけど、できあがった録音物がつくりだす雰囲気は共通するものがあるように僕には聴こえる。

 

 

『マット・デニス・プレイズ・アンド・シングズ・マット・デニス』からちょっとだけ音源をご紹介しておくので、聴いてみて。まず僕の大好きな一曲目「ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン?」。(こんなことが起きても)それでも僕と一緒にいてくれる?という、その起こる一個一個の具体例が面白い。歌詞のなかにビング・クロスビーとジョニー・レイの名前が出てくるが、その部分でまさに彼らの歌真似をやる。

 

 

 

マット・デニスの書いた曲のなかでは、おそらく最も有名で最も頻繁にとりあげられていそうな五曲目「エンジェル・アイズ」。かなり深刻で残酷きわまりないトーチ・ソング。とりあげる歌手や演奏家も、その失恋のあまりのショックの大きさを強調するような歌い方・演奏の仕方でやっているものが多い。がしかし作者自身の手にかかると、これが不思議と軽い味で、失恋の深刻な落ち込みが薄い。サラッとしていて「僕はべつになんでもないよ〜」とでも言いたげな歌い方なんだよね。たまにはこういう淡白さもいいじゃん。

 

 

 

六曲目の「ヴァイオレッツ・フォー・ユア・ファーズ」(演奏開始前に ”T-72, Take 1”って言ってるのはなに?だれ?) なんかは、この愛を告げる歌 〜 真冬に君のコート(furs ですけどね、いちおう)にスミレの花を着けてと買ってきたんだ、君がコートにスミレを一輪着けたならば、凍える季節にまるでちょっとした春が差し込んだかのようじゃないか 〜 っていうこのラヴ・ソングを、フランク・シナトラみたいにシリアスさたっぷりではなく(言っておきますが、それも好きですから)軽くサラリと流すかのようなフィーリングで歌っているのがなかなか悪くないように思う。だいたいシナトラあたりは(上の「エンジェル・アイズ」でも)ちょっと重い。と感じるときがある。

 

 

 

七曲目の「エヴリシング・ハプンズ・トゥ・ミー」もトーチ・ソングなんだが、これもアッサリ淡白味で、これまたシナトラがやっている(みんなマット・デニスの曲が好きだったんだよね、マイルズ・デイヴィスもやっているのはシナトラのおかげだけど)もののような深刻さがなく、反対にちょっとしたコミカルな味付けすらあるもんね。しかしそのコミカルになる特に中間部のシアトリカルなサウンド・エフェクトみたいなのは、ライヴ収録じゃないよなあ?

 

2017/08/23

40年目の『エキシダス』

Bob20marley20exodus2040










(7月29日よりも右耳の聴えが改善傾向にあるせいなのかも)

 

 

まず最初に最も肝心なこと、最重要事項を確認しておきたい。音楽(なんならクラシック音楽を含めたっていい)はポップ・エンターテイメントであって、なんらかの政治的・社会的思想や主義主張を繰広げるための「道具」「手段」ではないはずだよね?音楽家本人が強いメッセージを込めてそれを届けようと作品を発表する場合もかなり多いが、そんなもん、どう聴こうが、リスナーの自由だ。ニュー・ソウルや、レゲエや、アフロビートや、砂漠のブルーズなどだって、少なくとも僕は、美しく感じる、楽しい、面白い、踊れる、いっときの快感を得られてすごくいい気分になれるからこそ聴いているのであって、聴いて難しいことを考えたり、結果的に行動に移したりするのは、あくまで副次的産物にすぎない。

 

 

だがしかしこの世には、そんな副次的産物が、もとから主眼と化してしまっていて、快感ではなく、わざわざ苦悩を得たいがために聴いているかのような音楽愛好家がたくさんいるみたいだよね。う〜ん、まあはっきり言ってしまうが、ボブ・マーリーとフェラ・クティとタミクレストあたりがお好きなみなさんにこの傾向がかなり強いように、僕には見えている。ポピュラー・ミュージックの捉え方としては、本末転倒じゃないの?

 

 

もちろんどう聴こうが、なにを考えようがどう行動しようが、その人々の勝手だ。僕も勝手気ままに聴いている。じゃあさ、こっちもあんたがたのことは放っておくから、僕たちが日本のアイドル・ポップ・グループを聴いて楽しむのは放っておいてくれないか? SMAP なんかになんだかワケの分らない難しい屁理屈をつけないでもらえないだろうか?社会的意味づけみたいなこと、しちゃってさ。そんでもって挙げ句の果てに否定する。SMAP 好き人間の99.9%は SMAP に社会的意味づけなんか1ミリたりとも想起したことすらない。ただ単に CD やテレビ番組やいろんなもので見聞きして楽しい、面白い、カッコイイと感じて、いっときのうさ晴らしになるから聴いているだけだよ。

 

 

今日こそははっきり言わせてもらっちゃうが、あんたがたのお好きなボブ・マーリーだってフェラ・クティだってタミクレストだって、ぜ〜んぶ SMAP と同じなんだよね。音楽はすべて単なるうさ晴らしだ。ここがしっかり心の底から理解・納得できていないと大衆音楽はまったく分らないはずだと、今日こそは断言する。中村とうようさんはここを絶対に外すことがなかった。それなのに、とうようさんフォロワーの一部には、名前を書いたそれら三人の音楽家と峻別して、演歌や歌謡曲などの甘いラヴ・ソングを「大衆歌謡」と呼び、僕らが大衆歌謡という言葉を使うときの気持はニュートラルだが、ああいった方々が大衆歌謡と言うときには、やや蔑んだようなニュアンスがあるように感じ取ってしまうのは僕だけ?あるいは侮蔑と尊敬・憧憬がない混ぜになったようなものなのか?分らない。

 

 

どっちにしてもですね、音楽は強く激しいメッセージを伝達しようとするときでも、メロディやサウンドやリズムは美しく楽しく賑やかに。これこそが肝だ。今日はボブ・マーリーの『エキシダス』(がマーリーの発音)40周年記念 CD 三枚組の話題なのでレゲエに限定するが、レゲエ素人の僕が言ってもいいというならば(とか言いつつ、なんについても毎回いつも言ってしまうわけだが)、ビートはスカしてクールに、メッセージは熱くっていうのがこの音楽なんじゃないかなあ。

 

 

さてボブ・マーリーの『エキシダス:フォーティース・アニヴァーサリー・エディション』三枚組。荻原和也さんがブログ記事にされていて、僕はなんどもコメントしているので、荻原さんの記事本文と僕のコメントと、それに対する荻原さんの返信をお読みになれば、今日の以下の文章は不要だ。がまあもうちょっと言葉を重ねておこう。

 

 

 

『エキシダス:フォーティース・アニヴァーサリー・エディション』の構成は、CD1が1977年のオリジナル・アルバム『エキシダス』。CD2がジギー・マーリーが再構成・リミックスなど大幅に創りかえたニュー・エディション『エキシダス 40』。CD3が1977年6月のロンドン、レインボウ・シアターでのショウを収録した『エキシダス・ライヴ』。

 

 

実を言うと、8月21日時点での僕が一番好きになりつつあるのが三枚目の『エキシダス・ライヴ』なのだ。だってこれ、一曲目が「ナチュラル・ミスティック」で、しかもその一曲目も含め一枚ぜんぶサウンドやリズムの質感やマーリーの歌い方は、CD2のジギー・リミックス・ヴァージョンに近いんだもんね。だからさ、ねっ、そういうことだよ、bunboni さん。

 

 

上の一段落でもうぜんぶ言い切ってしまった気がする。にもかかわらずまだ書こうとするのが僕の悲しいサガなのだ。1977年のリアル・タイム・リリースでは、当然ながら『エキシダス』を知らない僕。そもそもボブ・マーリーの存在自体、知ったのは大学生時代に、ロック好きの五歳年下の弟が買って来たエリック・クラプトンのレコード『461・オーシャン・ブールヴァード』を聴いたときだ。これについては完璧に説明不要だね。

 

 

その後少しずつボブ・マーリーのレコードを買って聴くようになった僕の一番のお気に入りが、実を言うと『エキシダス』だったのだ。(ルーツ・)レゲエがプロテスト・ミュージックだなんてことは全く眼中になかった。ただ聴けば楽しいこともあるから少し好きだっただけ。エッジが甘くなってきているとか、ポップでソフトだとか骨太感が弱くなっているとか、まぁ〜ったく意識すらしていなかった。『キャッチ・ア・ファイア』なんかと比較しても、さほどの違いが感じ取れなかった僕は、やっぱりレゲエ向きじゃない?

 

 

だいたい A 面一曲目の「ナチュラル・ミスティック」が僕は最高に好きで好きで、この曲は当時から、そしていまでも、僕にとってはマーリーの書いた全曲中モスト・フェイヴァリットなんだよね。あの裏拍で(ン)ジャ!(ン)ジャ!と刻むエレキ・ギターが、しかもクレッシェンドで聴こえてきて、音が大きくなって 0:26 でティンバレス?スネア?(どっちですか?)がカンカラカンと鳴って、次の瞬間にマーリーが歌いはじめるっていう、あそこがもう好きで好きでたまらなかった。いまでもそう。だからアルバム『エキシダス』は、あのクレッシェンドではじまってくれないとダメなんだよ〜〜!

 

 

ところがジギー・マーリーが手がけた『エキシダス』では曲順が大幅に変更されている。「ナチュラル・ミスティック」は二曲目で、だから当然オリジナルにあったクレッシェンドもなし。最初にその部分を聴いたときは、上の荻原さんのブログ記事へのコメントでも書いてあるように、アァ〜、こりゃダメだ!我慢できない、吐きそう!となって再生をストップしちゃったほどだもんね。

 

 

ただですね、40周年記念盤の三枚目『エキシダス ・ライヴ』でも「ナチュラル・ミスティック」は一曲目。ライヴだからクレッシェンドではじまったりはしない。ふつうにギターを刻みはじめるだけだ。この三枚目を、まだ聴いていなかったんだよな、僕は、上の荻原さんのブログ記事にコメントした7月29日時点では。三枚目を聴いたら考えが変わっちゃった。一枚全体にわたりグルーヴの肉太感、エッジの鋭さ、野性味が、この1977年6月のロンドン・ライヴでもしっかりあって、スウィートでソフトでメロウなフィーリングは薄い。

 

 

そこから振り返ってジギーが再構築した二枚目『エキシダス 40』を聴くと、あぁ、これがボブ・マーリーの本来の自然な姿なのかも?レゲエって1977年だとまだこんな感じだったのかも?ボブ・マーリーってやっぱりこんな音楽家なのかも?と、疑問符を重ねているが、僕の気持のなかではもはや疑問形でもなく、わりとしっかり自覚できるようになった。さらに『エクシダス 40』でのジギーはダブ風な音処理も施していて、かなり面白い。

 

 

しかもボトムスの野太さが大きく違う。まず一曲目になったアルバム・タイトル・ナンバー「エキシダス」で、その重低音に度肝を抜かれる。ベース・ドラムがズンズンと、なんだかお腹に、お尻に、突き上げるように響いてくるんだよなあ。ベース・ドラムは鳴り続けたままボブ・マーリーがハードにシャウトする。こ〜りゃいいね!オリジナルの「エクシダス」に、あんな重低音とハード・シャウトはない。マーリーのヴォーカルもジギーはかなり差し替えている模様。『エキシダス 40』一曲目になっているヴァージョンでは、冒頭、ピアノがちょろっと聴こえたかと思うと、次の瞬間にベース・ドラムがものすごいズンズンで、それが最後まで鳴り続けたまま。

 

 

この40年目の、スピード感も迫力も鋭さもグンと増している曲「エキシダス」のサウンドにすべてが象徴されている。一曲目に持ってきたのも理解できる。アルバム『エキシダス 40』は一枚全体がハードでシャープで肉太で野性味満点。スウィートなポップ・チューン、ラヴ・ソングでも甘すぎさに流れない節度を再奪取する仕事をジギーが施している。まあでもあれだ、僕はそんなポップな恋愛歌は、とことんリリカルにやってくれるのが好きな人間ではあるのだが。

 

 

大幅な曲順変更はいまだに少しだけ馴染めない部分が残っているものの、CD だからA面B面みたいなことはないわけで、だから面での落差を埋めたみたいな表現は『エキシダス 40』には当てはまらないと思うものの、確かに一枚全体の統一感を増すことに成功しているジギーの仕事、かなりいいじゃん。曲順さえ…、という気持はやっぱり消せないけれど、リメイクして『エキシダス 40』を創り上げたジギーの心意気と腕前、そして苦労(は相当なものがあったはず)には心底、敬意を表したい。40周年記念盤二枚目の『エキシダス 40』、素晴らしい一枚だ。

 

 

萩原さんのブログ記事へのコメントで書いた「ジギーめ、こんなふうにしくさりやがって! 」の言葉は撤回します。

2017/08/22

郷土愛に満ち満ちたマルディ・グラ・クイーンの快作

Unknown








荻原和也さんのブログ記事で、こういうアルバムがあるんだって初めて知ったシャーメイン・ネヴィルの1998年作『クイーン・オヴ・ザ・マルディ・グラ』。シャーメインはあのチャールズ・ネヴィル(ネヴィル・ブラザーズ)の娘らしい。娘がいて地元ニュー・オーリンズで歌手をやっているということも僕は知らなかった。セカンド・ライン・ファンクには滅法弱い僕ですがゆえ〜、ええ、慌てて速攻で買いましたとも、シャーメイン・ジャクスンの『クイーン・オヴ・ザ・マルディ・グラ』。

 

 

そうしたら、これが超快作!気持いいのなんのって、こういうのこそ、セカンド・ライン・ファンクの代表的傑作として位置付けたいと思うほどの一枚なんだよね。しかも収録の全11曲、マルディ・グラ(ニュー・オーリンズのカーニヴァル)関連の曲がかなり多い。いやあ、多いというかそればっかりじゃん。現地でのそれは、イコール、ファット・チューズデイだから二月開催だけど、シャーメインの『クイーン・オヴ・ザ・マルディ・グラ』を日本で聴くなら、いまの真夏期がいちばんピッタリ。汗をたっぷりかいて爽快感を味わうみたいな意味でね。

 

 

シャーメインの『クイーン・オヴ・ザ・マルディ・グラ』。一曲目「シューフライ」はオリジナル曲みたいだけど、いきなり叩きはじめるドラマー(レイモンド・ウィーバー)が典型的で完璧なセカンド・ライン・ビートを刻む。叩きはじめたその瞬間に、嗚呼、降参ですとなってしまった僕。ニュー・オーリンズ独特のシンコペイティッド・ファンク・グルーヴがお好きな方々であれば、全員同じことになってしまうはず。直後にエレキ・グターがグチュグチュ刻むので誰かと思って見たら、やっぱり山岸潤史じゃないの〜。

 

 

二曲目があの「マルディ・グラ・マンボ」。一番知られているのがホウケッツの1954年ヴァージョンだけど、このホウケッツには、ミーターズ結成前のアート・ネヴィルがいたんだったよね。シャーメイン・ヴァージョンではバリトン・サックスがカッコイイなあと思うと、それはレジー・ヒューストン。レジーはバリトンだけじゃなく、アルト、ソプラノ と各種を吹き分けて大活躍。アルバム『クイーン・オヴ・ザ・マルディ・グラ』のサウンドの肝になっている。

 

 

シャーメインのヴォーカル、レイモンド・ウィーバーのドラムス&パーカッション、レジー・ヒューストンのサックス、その他パーカッション群&バック・コーラス隊 〜 これら、特にドラムスが『クイーン・オヴ・ザ・マルディ・グラ』のサウンド&リズムの中核になっているように感じる。ハモンド B3 とか山岸潤史のギターも素晴らしいものの、まあスパイス的というか彩りを添える程度。

 

 

聴きようによっては『クイーン・オヴ・ザ・マルディ・グラ』、ドラムスだけの上にシャーメインのヴォーカル(とパーカッションもやっている模様)が乗っているというふうにも受け取れるもので、編成だけ見たらかなりシンプルな音楽なんだけど、聴いた感じはゴージャスだ。それはひとえにドラマーの叩き方にあるんだよね。レイモンド・ウィーバーって凄い腕前だよなあ。たった一人で(パーカッションは多重録音だろうけれど)こんな複雑に跳ねるリズムを表現できるなんて。バスドラとシンバルとスネアの使い方が特に素晴らしい。特にバスドラ(そろそろベース・ドラムに修正しようかな)が野太く超タイトな音で録れていてド迫力。

 

 

主役シャーメインのヴォーカルは、『クイーン・オヴ・ザ・マルディ・グラ』で聴くと、一瞬、パワフルというか豪放磊落で細かいことは気にしない女傑タイプにも聴こえるかもしれないが、じっくりよく聴くと実は正反対。かなりデリケートな歌手に違いないと僕は判断する。それは、アルバム8曲目のスロー「イフ・アイ・エヴァー・シーズ・トゥ・ラヴ」(男女間の恋愛ではなく郷土愛を歌った曲)とか、ラスト11曲目「クリーン・アップ」の哀切感とかに強く感じるというよりも、ちょっと聴いた感じ、その逆の陽気に騒いでいるようなアップ・ビートのマルディ・グラ・ソングのほうに、より強くシャーメインの繊細さ、かなり細やかに神経の行き届いたヴォーカル表現を僕は感じる。

 

 

例えばアルバム四曲目がお馴染「アイコ・アイコ」、五曲目がプロフェッサー・ロングヘアの「マルディ・グラ・イン・ニュー・オーリンズ」なんだけど、この二曲もテンポのいい快活なセカンド・ライン・ファンク・チューン。リズムだってサウンドだってコーラス隊だって派手で賑やか。だけど、一番上に乗っかっているシャーメインの歌い方の端々に、実にデリケートなフレイジングが聴きとれる。息づかいまで聴こえてくるかのようで、それはまあ録音がいいおかげでもあるけれど、ブレス(息つぎ)を入れるタイミングにまでも相当に気を配っているし、ワン・フレーズ、ワン・フレーズ、歌いはじめたり歌い終える瞬間のちょとした音の微妙きわまりない持ち上げ・下げ方がメチャメチャ細やか。

 

 

僕にはそんな歌手だとシャーメインは聴こえるので、最初『クイーン・オヴ・ザ・マルディ・グラ』を聴きはじめたときは、ただひたすら楽しい楽しい、賑やかにダンス!ダンス!っていうフィーリングだったんだけど、そしてそれはいまでも基本的には変わっていないが、なんどか聴くうちに、部屋のなかでも踊らずに、ジッと座ってこの主役女性歌手のヴォーカル表現の細かい部分を漏らさず聴きとろうと耳を凝らすようなときもあるんだよね。

 

 

でも!もちろんシャーメイン・ネヴィルの『クイーン・オヴ・ザ・マルディ・グラ』は、快活陽気でアッパーなセカンド・ライン・ファンクの快作には違いない。だからゆえ、歌い方の瑣末な部分にあまりこだわりすぎず、楽しいグルーヴに身を委ね踊って、あまり考えこまず、約一時間のエンターテイメント・タイムを味わいたい。

2017/08/21

真夏に熱湯グナーワ・ファンク 〜 ハッサン・ハクムーン

61invuzgzbl_ss500









なんて骨太なグルーヴなんだろう。ここまで贅肉を削ぎ落とし、まぶしく黒光りする剥き出しの筋肉質ボディをこれでもかと見せつけてくれる音楽もなかなかないはず。モロッコはマラケシュ生まれで、ある時期以後は米ニュー・ヨークに拠点を置いて活動するマアレム(グナーワ・マスター)、ハッサン・ハクムーンの2014年作『ユニティ』のことだ。

 

 

北アフリカ地域のアラブ圏は必ずしもいわゆる「アフリカ」には含まれない場合があるにもかかわらず、『ポップ・アフリカ 800』(アルテスパブリッシング)での荻原和也さんはこのハッサンの『ユニティ』をとりあげて「モダン・グナーワの最高傑作」と評し、「本書にグナーワの項を新設したのは、実はこの名作誕生ゆえ」(p. 39)とまでお書きになっている。

 

 

ハッサンの『ユニティ』。バンドはミニマム編成で、ハッサン自身のヴォーカル&ゲンブリ(この人の場合、いつも「シンティール」表記だが)&カルカベ以外には、基本、ドラマーだけ。ギタリストが参加している場合も多いが全部ではない。ほぼこの三名だけで演奏を進めている。その他、バック・コーラス、サバールやカルカベを含む打楽器類、キーボード、ウード、ハーモニウムなどがクレジットされてはいるが、コーラス隊はよく聴こえるものの、それ以外はどこで演奏しているのか注意深く耳を傾けないと分らない程度、というか、三人以外の楽器ではサバールとカルカベのほか、あまりよく分らない。

 

 

だから『ポップ・アフリカ 800』で萩原さんがお書きのように、ヴォーカル兼ゲンブリ+ドラムス+ギターの三人編成だと言っても差し支えないように僕も思う。この最小限編成であるがゆえ、ハッサンのヴォーカルの生々しい華や、ゲンブリがブンブン出す野太すぎるグルーヴ感などがあらわになっていて、こういうもののほうがグナーワ・ミュージックとしては僕も好みだなあ。

 

 

しかしハッサンの『ユニティ』を、じゃあ伝統的マナーでやったグナーワなのか?と勘違いしてはならない。21世紀の音楽としての非常に強いコンテンポラリーな訴求力を兼ね備えたモダン・グナーワ、言ってみればグナーワ・ファンクに仕上がっているんだよね。ミニマム編成でグナーワのブラック・アフリカ・ルーツを掘り下げて、それを露骨に剥き出しに表現したからこそ、かえって現代性を獲得できているんじゃないかと僕は思うんだよね。

 

 

もちろんドラム・セットやギター(その他)は伝統グナーワにはない楽器。以前、『グナーワ・ホーム・ソングズ』というアルバムについて書いた際にも触れたけれど(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-383f.html)、そういう世界では、基本、ゲンブリ一台だけでの弾き語りで儀式が進むらしい。だからハッサンの『ユニティ』だって現代的なポップさを、少なくとも楽器編成面だけでも、持っていると言えるかも。

 

 

『ユニティ』に入っているドラム・セットが表現するリズムは、間違いなくアフロ・アメリカン・ミュージックのファンク・マナーであるように僕には聴こえる。全曲でドラマーがそんな叩き方をしているので、だからエレベがゲンブリになっているだけで、このグナーワ・アルバムはアメリカ黒人音楽ファンにだって聴きやすいものなんじゃないかなあ。その上、僕の耳にはエレベよりもゲンブリの重低音のほうが、より肉太な、そしてより生の、身体性を感じられるサウンドに聴こえるよ。

 

 

ヴォーカルのほうは、ハッサンの場合以前からそうだけど、ほかのマアレムにはない華と艶があって、ダミ声であるがゆえに輝かしくパワーがあって、さらにしかも柔軟なコブシ廻し。ここはほかの人には真似できないところだなあ。でもなんだか余計なサウンド追加やエフェクトで、いままでは(ライヴ音源集『スピリット』などを除き)それが大きく前面にポンと出ていない場合もあった。

 

 

ところが2014年作『ユニティ』では、文字どおり全面的にハッサンの極上ヴォーカル&ゲンブリにフォーカスされていて、演唱自体もそうだし、録音もミックスもそうなっているのが百点満点だ。かなり面白いと以前書いたハッサンの前作であるライヴ集『スピリット』でも、いろんな楽器が使ってあったからさあ。書いてあるが、このライヴ・アルバムでも僕が一番気に入っているのは、ラストに収録のハッサン一人での弾き語りだもんね。

 

 

 

ハッサンのいまのところの最新作2014年の『ユニティ』では、この自分一人のヴォーカル&ゲンブリ弾き語り路線を拡大し、ブラック・アフリカ・ルーツであるグナーワの、特にその音楽の、アフリカネスを掘り下げ見つめ直し、その本質的な姿をそのままハッキリ表現してくれている。あくまで助力でドラムスやギターなどが入っているだけで、アルバム『ユニティ』の根幹はあくまでハッサン一人で出す筋肉質グルーヴの黒光りだ。

 

 

だから上で書いた、ドラマーの叩き方がアメリカン・ファンク・ミュージックのそれに近いというのも、グナーワ・ミュージックが本来内在しているビート感にそういうたぐいのものがあって、それを取り出して、あえてドラム・セットで表現させているということじゃないかなあ。そのグルーヴが21世紀的同時代性を獲得できているのは、もともとトラディショナル・グナーワがそういうものでもある証拠なのかも。というか人類が代々受け継いでいる民族共同体内部の伝承音楽って、そうなっている場合が多いのかもしれないよね。現代に誕生したものだけどアメリカ黒人ブルーズだって古くならないじゃんねえ。

 

 

グナーワ(・ミュージック)の、サハラ以南にあるブラック・アフリカネスを再奪取し、ミニマム編成でそんな音楽の本質を生で剥き出しにし、結果的にコンテンポラリーなものに仕上がって、クラブなんかで流しても違和感なく踊れそうなポップでダンサブルなフィーリングもあるっていう、そんなハッサンの『ユニティ』。とんでもない大傑作じゃないかな。真夏に聴くと、まるで熱帯夜に約70分間熱湯シャワーを浴び続けるみたいなものだけどねっ。

2017/08/20

これがベイシー楽団リズム・セクションの実力だ

B5c7016d8c4a9ebe5f








カウント・ベイシー楽団のリズム・セクションがいくら素晴らしいと言われても、最も高名な1930年代後半のオール・アメリカン・リズム・セクションは録音状態がイマイチだから、やっぱり古い音を聴きなれないみなさんにはピンとこないのかもしれないよね。その証拠に(専門家を除く)一般のふつうのジャズ・ファンのあいだには、あのフレディ・グリーン(ギター)+ウォルター・ペイジ(ベース)+ジョー・ジョーンズ三人の腕前を褒め称える文章を書く人がほぼいない。すごく上手いと思うんだけどね。

 

 

だから戦後録音で、しかもかなり状態のいい音質で、特にウッド・ベースのブンブン鳴る音とか、またこの人だけは死ぬまで一貫してベイシー楽団を離れなかったフレディ・グリーンの、あのピック・アップのついていないアクースティック・ギターでの地味で小さい音(に思えるでしょう、ふつうは)でのカッティングとかも鮮明に聴こえ、ベイシー楽団のリズム隊がいかに絶妙な上手さで演奏しているのか、非常に分りやすい一枚を、今日はご紹介しておく。

 

 

それは1962年録音のインパルス盤『カウント・ベイシー・アンド・ザ・カンザス・シティ 7』だ。このアルバム・タイトルでお分りのようにコンボ編成録音。ベイシー関連でこの「カンザス・シティ・セヴン」名というと、レスター・ヤングらによる1939年録音がファンには有名なはず(だが?)。もちろん1962年時点でのベイシー当人も、プロデューサーのボブ・シールもそれを意識して名付けたアルバム・タイトルで、あのころのあれと同じようなものを創ろうよというアイデアだったんだだろうと思う。

 

 

1930年代後半と同じメンツはボスのベイシーとギターのフレディ・グリーンだけ。あとはリズム隊も、フロントでソロを吹く管楽器隊も当然全員違うメンツだが、中身は1962年インパルス盤『カウント・ベイシー・アンド・ザ・カンザス・シティ 7』だってかなりいいぞ。少人数編成(ホーンは三管)であるがゆえ、リズム・セクションの動きが非常に分りやすい。というか、僕の聴いている範囲では、例えば特にフレディ・グリーンのリズム・ギターの上手さがいちばん分りやすい作品なんじゃないかと思う。

 

 

一番いいのが一曲目の「オー、レイディ・ビー・グッド」。まずベイシーのピアノ・ソロではじまる。なんて上手いんだ、ベイシー。すんごく簡潔きわまりない弾き方だけど、ツボだけを確実に押さえていくような名人芸だ。すぐに三人のリズム・セクションが入ってくる。フレディ・グリーンのカッティングもこれ以上ないほど鮮明に聴こえるね。

 

 

 

 

 

ところでこれを、またアルバム・フルででも、お聴きになれば、収録曲の演奏はかなりしっかりアレンジされているぞとお気づきのはず。この部分だけは戦前録音のベイシー楽団関連(コンボ編成含む)とは大きく異なっている。アレンジャーはトランペットで演奏に参加しているサド・ジョーンズに間違いないはず。それがどこにも書かれていないのは、誰だって分る至極当然のことだからだろう。サドはアレンジャーとしてもベイシー楽団に、その後もサド・ジョーンズ〜メル・ルイス・オーケストラに、多大な貢献をしたのはみなさんご存知のとおり。

 

 

面白いのは三曲目の「アイ・ウォント・ア・リトル・ガール」だよなあ。これは上述した1939年のレスター・ヤングらがコンボ編成でやっているものだ。そこではレスターはクラリネットを吹いた。今日話題にしている62年インパルス盤では、サド・ジョーンズの、モダン・トランぺッターにしては珍しいワー・ワー・ミュート・プレイと、ベイシーのオルガンをフィーチャーしている。この曲をとりあげようという着想自体が、あのレスターらのコンボ・セッション録音を意識したという証拠だ。出来上がりのフィーリングはかなり違っているのだけれど。いちおうフランク・フォスターがクラリネットを吹いている(がレスターとは比較できない)。

 

 

 

またそれに続く四曲目(A 面ラストだった)「シュー・シャイン・ボーイ」も、オールド・ベイシー楽団ファンには楽しいナンバー。 ベイシー楽団関連での初演は1936年11月9日のヴォキャリオン(コロンビア系)録音で、それもレスター・ヤング中心のコンボ編成。ベイシー楽団のコロンビア系録音集四枚組にも入っているし、レスター・ヤング名義のエピック盤『レスター・リープス・イン』にも収録がある名演。

 

 

 

 

1962年インパルス盤『カウント・ベイシー・アンド・ザ・カンザス・シティ 7』ヴァージョンの「シュー・シャイン・ボーイ」だってかなりスウィンギーでいいじゃないか。36年ヴァージョンで聴ける個々のソロ内容と比較するのは無粋というものだけど、リズム・セクションの躍動感は決して引けを取らない。しかも録音状態がいいせいで、特にギターとベースの二名がどこでなにをしているのかクッキリ分るよね。そこがいいんだ。また後半部のホーン・アンサンブルとソニー・ペインのドラムス・ソロ(バス・ドラの踏み方に注目)との掛け合いなんかも楽しいよ。

 

 

 

アルバム B 面は四曲すべて1962年録音当時のオリジナル・ナンバー。ベイシー楽団も戦前からやっているガーシュウィンの有名曲や、その他二曲のクラシックスがある A 面に比べ、かなり地味で目立たない内容であるのは間違いない。今日ここで告白するが、アナログ・レコードでは僕は B 面を聴いたような記憶がない^^;;。まあ A 面があんな素晴らしさですがゆえ〜。

 

 

こういうところ、そのままにしておけばダラダラ続けてB 面分再生も来る CD メディアのメリットを感じないわけではない。というか、間違いなく一つの長所ではあるなあ。盤面をひっくり返さないといけないから聴いていなかった B 面(や C 面や D 面など)がそのまま流れてくるので、なんとなく流し聴きしていたら、おっ、なかなかいいじゃん!って気づくっていう。 いいところだってあるぞ、LP 盤の CD リイシュー。

 

 

1962年インパルス盤『カウント・ベイシー・アンド・ザ・カンザス・シティ 7』B 面には12小節定型ブルーズが二曲ある。(CD だと)五曲目の「カウンツ・プレイス」とラスト八曲目の「ワッ’チャ・トーキン?」。この二曲ではサド・ジョーンズがあまりアレンジの手をくわえていない。わりとストレートにそのままやっているジャズ・ブルーズ演奏で、手の込んだ A 面との違いが面白い。後者「ワッ’チャ・トーキン?」でのフランク・ウェスは、フルート・ソロの途中でボビー・ティモンズ(アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ)の「モーニン」を引用しているよね。

 

 

 

 

B 面三曲目(全体の七曲目)の「タリ・ホー、ミスター・ベイシー」の前半部は、A 面の「オー、レイディ・ビー・グッド」前半部と並び、ベイシーのピアノ並びにリズム・セクション三人のあまりの上手さが際立っている演奏。こっちではまずドラムス・ソロではじまって、ベース、ギター、ピアノの順に入ってくる。出だしでソニー・ペインが叩くリズム・パターンもかなり面白い。

 

2017/08/19

岩佐美咲ベスト・セレクション by としま

Artist_36_large




 








なんについて書くときでも僕の文章は肩に力が入りすぎで、いわばオーティス・レディング・タイプの熱唱型(えっ?たとえがあまりにもだいそれているって?)。強く大きく声を張り、グリグリとコブシをこねくり廻しまくり、メリスマを限度いっぱいまで効かせて、たっぷりすぎなヴィブラート。『妖怪人間ベム』の真似して言えば、「はやくテレサ・テンになりた〜い」!

 

 

岩佐美咲もまた、パティ・ペイジや鄧麗君タイプの自然体歌唱法を身につけている天才歌手。だからそんな人についてそのナチュラルな感性と魅力を伝えようとするならば、書き手の僕もスムースな筆致じゅなきゃいけないだろうと思うにもかかわらず、そんな書き方がなかなかできない人間なので、まあいつもどおりやるしかないね。こんな僕の文章で、はたして岩佐美咲の魅力が伝わっているのだろうか?という強い疑問はおいておく。

 

 

今日は僕がふだん最も頻繁に、まあはっきり言えば文字どおり毎日聴いている岩佐美咲の iTunes プレイリストを公開したい。オリジナル楽曲・カヴァー楽曲あわせ全16曲で計1時間5分。あくまで僕の好みで抜き出したセレクションだから、ほかの方々の参考にはならないと思うけれど、それでも岩佐美咲を聴こうかどうしようかと入り口に立って迷っていらっしゃる方々にだけはちょっとした参考程度にはなるかも。熱心な岩佐美咲ファンのみなさんは笑い飛ばしてください。

 

 

さて、岩佐美咲の音源は、いままでの各種 CD と二枚の DVD で全部のはず。二枚の DVD『岩佐美咲ファーストコンサート〜無人駅から新たなる出発の刻』『岩佐美咲コンサート〜熱唱!時代を結ぶ 演歌への道〜』でかなりたくさんいろいろ聴けるのだが、DVD 音源は一曲単位で抜き出しにくいんだよね。この曲をと一つ再生だけするなら簡単だが、取り出して、ほかのもの、CD 音源に混ぜて並べたりするのは、ちょっと苦労する。不可能でないが、手間がかなりちょっとね。だから!なんども言っているように同じ音源を CD でもリリースしてくれ!

 

 

岩佐美咲にかぎらず、僕はどんな音楽家についてもこういうマイ・ベスト的コンピレイションを実によく作る人間なんだよね。ところがかなり面白いものが DVD にしかなかったりする岩佐の場合、ここだけがちょっとその〜…。だから!CD を!まあそんなわけで DVD をリッピングして、それをオーディオ・エディターで一曲単位にトラックを切り分けて、改めて iTunes に読み込ませる…、というめんどくさいことをやっていない現在、僕の岩佐美咲マイ・ベスト・セレクションは CD 音源だけから作成してある。

 

 

以下、それを記しておこう。

 

 

1. 無人駅(シングル盤、アルバム『美咲めぐり ~第1章~』)

 

2. もしも私が空に住んでいたら(シングル盤、アルバム『美咲めぐり ~第1章~』)

 

3. 鞆の浦慕情(シングル盤、アルバム『美咲めぐり ~第1章~』)

 

4. 初酒(シングル盤、アルバム『美咲めぐり ~第1章~』)

 

5. ごめんね東京(シングル盤、アルバム『美咲めぐり ~第1章~』)

 

6. 鯖街道(シングル盤、アルバム『美咲めぐり ~第1章~』)

 

7. 越冬つばめ(アルバム『リクエスト・カバーズ』)

 

8. 北の螢(アルバム『美咲めぐり ~第1章~』)

 

9. なみだの桟橋(アルバム『美咲めぐり ~第1章~』)

 

10. 石狩挽歌(シングル「鯖街道」通常盤)

 

11. つぐない(アルバム『リクエスト・カバーズ』)

 

12. ブルーライト・ヨコハマ(アルバム『リクエスト・カバーズ』)

 

13. ラヴ・イズ・オーヴァー(アルバム『リクエスト・カバーズ』)

 

14. 20歳のめぐり逢い(シングル「初酒」生産限定盤)

 

15. 涙そうそう(アコースティック・バージョン)(アルバム『美咲めぐり ~第1章~』初回限定盤)

 

16. なごり雪(アコースティック・バージョン)(シングル「鯖街道」通常盤)

 

 

以上、どうでしょう?1〜6は岩佐美咲のオリジナル楽曲すべてをリリース順に並べてある。カヴァー曲とあわせなんどもなんども聴くうちに、最初はカヴァー・ソングのほうがいいよなあ、そりゃやっぱりもとの楽曲の出来が違うんだから…と考えていた僕だけど、最近はどうやらオリジナル楽曲でのほうが岩佐のチャーミングさがよりよく表現されているんじゃないかと考えるようになりはじめている。

 

 

7以後は、みなさんお馴染の有名曲のカヴァーだけど、最初に「越冬つばめ」(森昌子)を持ってきているのは、オリジナル楽曲篇とカヴァー・ソング篇との境目にピッタリだと思うからなんだよね。あの出だしのアクースティック・ギターのアルペジオが、節目にまさによく似合うし、大好き。岩佐美咲が歌いはじめる部分でも、まず最初はギター・アルペジオ・オンリーで、ドラマーがハイ・ハットをチャチャとやってから、いろんな楽器が入ってくる。

 

 

その後、岩佐美咲のカヴァー曲のなかでは特に出来栄えのいい「北の螢」(森進一)、「なみだの桟橋」(森昌子)、「石狩挽歌」(北原ミレイ)の三連発でノックアウト。この三曲での岩佐は本当に素晴らしい歌いっぷりで、録音も最近のものだから、歌手としてグンと一段も二段も成長しているのを実感できる。

 

 

そのあとの11〜16は完全に僕の趣味嗜好だけで並べたカヴァー・ソング。「つぐない」(テレサ・テン)がアバネーラ歌謡であることは、先週書いた。「ブルーライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)は歌い方、というか言葉の置き方がすんごくチャーミングでカワイイ。岩佐美咲の歌う「あなたと二人、幸せよ」の「せ」と「よ」のあいだの一瞬の表情の変化の絶妙さに僕は降参している。「ラヴ・イズ・オーヴァー」(欧陽菲菲)は単に好きな曲だからというだけ。でも岩佐の、男との別れをドロドロ引きずらない薄味で、この曲の魅力を再発見したのだった。

 

 

14「20歳のめぐり逢い」(シグナル)が、いままで岩佐美咲が歌ったカヴァー・ソングのなかで、僕が聴いているなかでは群を抜いている素晴らしさだというのは、もういままでもさんざん繰り返してきたのであまり言わないでおこう。本当につらくて切なくて哀しくて。こんな歌を歌える歌手って、そうそういないんだよね。

 

 

今月23日発売予定(もうあと四日だ!)の「鯖街道」特別記念盤に収録予定の「糸」(中島みゆき)が、そんな「20歳のめぐり逢い」を超えて、いままでの全岩佐美咲史上最高屈指の出来栄えだったと、現場でライヴを体験なさったみなさんは口を揃えておっしゃるので、本当はそのリリースまで待って、その「糸」を聴いてから今日のこの文章も書けばよかったのかもしれないが。まあ僕は 思い立ったらすぐやらなくちゃ、いてもたってもいられなくなる人間なので。

 

 

15、16の「涙そうそう(アコースティック・バージョン)」、「なごり雪(アコースティック・バージョン)」は、いわばこのセレクション・プレイリストのエピローグ、音楽でいえばコーダ。岩佐美咲自身の弾くギター弾き語りを中心に、まったく派手ではなくしっとり落ち着いたフィーリングでの歌と伴奏で、約一時間を聴いて満足した僕の頬を、優しく一筋の涙が伝う。

 

2017/08/18

マイルズ『ウォーター・ベイビーズ』も B 面あってこそ

61ir7negxgl









マイルズ・デイヴィスが1975年夏に一時隠遁(っていうか「一時」かどうかも、当時、分らなかったはずだし、本人にすら)を決め込んだため、新録音が途絶え、会社側の緊急避難措置、戦略的な意味で1976年に発売された未発表集『ウォーター・ベイビーズ』。…という言い方をされることが多いんだけど、いまになって考えてみればそれはちょっとオカシイ。だって『ウォーター・ベイビーズ』は1967年(A 面) と68年(B 面) の未発表録音集だけど、その後69年あたりから75年までのほうがお蔵入りしていた音源はずっと多いんだもん。

 

 

だからあたかも<新作>であるかのようにコロンビアも装うなら、70年代録音の未発表ものを出せばよかったんじゃない?いまでは公式リリースもされているが、数だってかなりあるし、なにより70年代にリリースするならば、音楽内容的にもコンテンポラリーだったはずだしなあ。アナザー『ビッチズ・ブルー』、アナザー『ジャック・ジョンスン』、アナザー『オン・ザ・コーナー』、アナザー『ゲット・アップ・ウィズ・イット』なんていうのを、いまなら僕みたいな素人だって作れちゃうぜ。それもかなり楽で気軽に。機会があればそんなプレイリストも書いてみましょう。

 

 

だから1976年にリリースして、マイルズの一時隠遁後初作品にするにしては『ウォーター・ベイビーズ』みたいなものをコロンビアとプロデューサーのテオ・マセロがどうして企画したのか、ちょっとそのあたりの真意は僕には掴めない。だが、音楽内容的には『ウォーター・ベイビーズ』だってなかなか面白いには違いない。まずジャケット・デザインがいい。曲題からのそのままだけど、黒人の子供たちが、水道栓から放出される水で水遊びをしている様子。苦々しい顔でそれを見つめる黒人の大人。このイラストは『オン・ザ・コーナー』と同じデザイナーが手がけたもので、実際、よく似ている。

 

 

大学生のときの僕なんか、レコード・ショップの棚で『ウォーター・ベイビーズ』を発見し、それがマイルズのいったいなんなのかちっとも分らなかったが、ジャケットを一瞥しただけで買おうと思ったくらいだもんね。いま2017年時点でも、マイルズの諸作中、ジャケット・デザインだけなら最も好きな部類に入る一枚。

 

 

『ウォーター・ベイビーズ』。A 面と B 面でガラリと内容が変わる。A 面三曲はオール・アクースティックで、例のセカンド・クインテット(マイルズ、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズ)による1967年6月7、13、23日録音。この時期はちょうどアルバム『ネフェルティティ』になったものを録音していた時期で、実際、この三日で同アルバム収録曲も同時録音している。

 

 

『ウォーター・ベイビーズ』B 面二曲は1968年11月11日録音で、だから当然すでに電気楽器を導入済み。上記セカンド・クインテットから、ベースがデイヴ・ホランドに交代し、さらにチック・コリアがハービーと二人同時でフェンダー・ローズを弾いている。この時期、すでにハービーはバンドを去っていて、チックのほうがレギュラー・メンバー。つまりハービーは一時的に呼び戻されたことになる。

 

 

このハービーを呼び戻したという事実はかなり興味深いと思うんだよね。だってこれ、1968年11月11日録音でしょ。当時のリアルタイム・リリース作品で言うと、これの次が翌69年2月録音のアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』になるわけだからさ。もっともいまではそのあいだに(廃棄された分を除き)計7トラックの録音があると分っていて、公式リリースもされている。そのなかの最重要曲が、以前から僕が強調する「ディレクションズ」。つまりジョー・ザヴィヌルが、作曲・演奏で参加していた。

 

 

1968年末ごろ、レギュラー鍵盤奏者のチック一人だけで奏でるサウンドでは、マイルズはすでに満足できなくなっていて(1975年来日時のインタヴューで、この時期の鍵盤奏者複数起用について、確か「シンフォニック・オーケストラみたいな響きがほしかったんだ」みたいな意味のことを言っていたように思う)、だからまず1968年11月11日にハービーを呼び戻しフェンダー・ローズ二台にし、その後すぐの27日にもう一人、ザヴィヌルも起用して三台にしたってわけ。ほぼ同じこの体制でその後70年まで続く。

 

 

その間に『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』という、マイルズの音楽全生涯における最重要作二つが誕生。どっちも(ほぼ全曲で)電気鍵盤が三台。フェンダー・ローズを中心に三人同時演奏でゴージャスな、マイルズ言うところのシンフォニックな重層的サウンドを創りだしている。これがあの二作のサウンド・テクスチャーの根幹にある。ファンキーなグルーヴはあくまでアフロ・アメリカン・ミュージックのものだけど、その上に(マイルズも大好きな)西洋白人音楽的な分厚いサウンドが乗っかっているっていう。

 

 

こう考えると、マイルズの録音歴で一番最初に鍵盤楽器奏者を複数同時起用したのが、1968年11月11日録音の二曲「トゥー・フェイスト」「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」であって(これの直前がチック一人の『キリマンジャロの娘』収録曲一部を録音の68年9月24日)、その後は三人に増員したままずっと続いたことを踏まえると、これら二曲が B 面になっている『ウォーター・ベイビーズ』だってかなり興味深いよなあ。

 

 

『ウォーター・ベイビーズ』のB 面「トゥー・フェイスト」「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」の二曲は、だがしかし実際かなりファンキーでカッコイイ。チック&ハービー二台のフェンダー・ローズ同時演奏でも、(まあザヴィヌルがまだいないせいかもしれないが)クラシック音楽的な音の広がりはあまり感じない。むしろどっちかというと、リズム&ブルーズ〜ソウル〜ファンク・ミュージックでの複数鍵盤みたいなタイトな響きだ。どこにも記載はないが、右チャンネルがハービーで左がチックだと僕は判断する。

 

 

 

「トゥー・フェイスト」21:41から

 

「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」39:43から

 

 

翌1969年2月録音の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」の、リズムとサウンド・テクスチャーの粗い骨格はすでにできあがっているよね。69年8月録音の『ビッチズ・ブルー』だってはっきり見えるし、マイルズのトランペット・ソロ内容だけ抜き出せば、70年4月録音『ジャック・ジョンスン』の、あのカッコいい「ライト・オフ」だって先取りしている。そうに違いないように僕には聴こえるね。

 

 

ところで「トゥー・フェイスト」におけるマイルズのソロでは、『ビッチズ・ブルー』の「スパニッシュ・キー」と同じフレーズが出てくる。それでいつものように中山康樹さん批判だけど、『マイルスを聴け!』のなかで中山さんは、『ウォーター・ベイビーズ』における新発見というか面白いものは、その「トゥー・フェイスト」だけだと書いている。まあ A 面三曲が実験的模索品にすぎないという点では僕も中山さんと同意見だけど、B 面の「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」までもそうだと中山さんは断じている。

 

 

ですがね、僕が聴くと『ウォーター・ベイビーズ』B 面では、どっちかというと「トゥー・フェイスト」よりも「デュアル・ミスター・アンソニー・ティルマン・ウィリアムズ・プロセス」のほうが面白くカッコイイと感じるんだけど、みなさんどうですか?曲題だってそもそもファンキーじゃないか。リズムのグルーヴだってこっちのほうがタイトでファンキーでグルーヴィだし、チック&ハービー二台の鍵盤サウンドも楽しいし、ボスのトランペット・ソロ内容なんか、どう聴いたってこっちのほうがシャープでいいぜ〜。

 

 

『ウォーター・ベイビーズ』A 面の三曲「ウォーター・ベイビーズ」「キャプリコーン」「スウィート・ピー」は、ぜんぶウェイン・ショーターの書いた曲。当時お蔵入りしてしまったせいなのか、ウェイン自身のリーダー作品『スーパー・ノーヴァ』で、ガラリと姿を変えて再演されているから、機会を改めて、ウェインのそのアルバムに絡めながら書いてみたい。

2017/08/17

真夏にピッタリ 涼感音楽クロンチョン (4)〜 ワルジーナ篇:インドネシアとハワイとブラジルをつなぐ

81pandumgzl_sl1200_









数あるクロンチョン・アルバム。僕が持っているのはほんの少しだが、そのなかでこれが一番真夏向きの涼感をかもしだしてくれるかもしれない。なぜならばハワイアン・スラック・キー・ギターも入っているからだ。ワルジーナのライス盤1999年の『グサンを歌う』のこと。田中勝則さんのプロデュース作なんだよね。田中さんがワルジーナをプロデュースするのはこれが三作目だけど、『グサンを歌う』が一番いいんじゃないかなあ。

 

 

ワルジーナの『グサンを歌う』には山内雄喜が参加してギターその他を弾いている。言わずと知れたハワイアン・スラック・キー・ギターの日本人名手。このアルバムでは全曲参加ではないものの、要所要所でギターやウクレレやカヴァキーニョやティプレの見事な腕前を披露。おかげでクロンチョン・アルバムにして、この音楽とハワイ音楽がどっちもポルトガル由来だという親戚関係も感じるし、また月曜日に書いたようにどっちもヒンヤリ涼感音楽だから、二者の相互作用で冷感アップ。真夏にこれ以上快適な音楽アルバムはない。

 

 

さらにブラジルのショーロ演奏家、エンリッキ・カゼスも、やはり部分的に参加。テナー・ギターとカヴァキーニョを聴かせてくれている。ショーロは冷んやりクールな面もあるものの、どっちかというと熱を帯びてホットにドライヴする音楽である場合が多いように思うけれど、ワルジーナ『グサンを歌う』でのエンリッキは、落ち着いて冷感のある控えめな伴奏に徹している。ショーロだってポルトガル・ルーツの音楽だよなあ。

 

 

これらインドネシア+ハワイ+ブラジルの三者合体(といっても、ブックレット記載の一曲ごとに書いてある演奏メンバーを見ると、山内雄喜とエンリッキ・カゼスの共演は一曲だけ)で、ワルジーナの『グサンを歌う』は、正統派クロンチョン・アルバムでありながら、スケールの大きい世界的な音楽作品の趣があるんだよね。三者ともに親交のある田中勝則さんじゃないとなしえなかったプロデュース・ワークだなあ。

 

 

ワルジーナの『グサンを歌う』でもオープニングは「ブンガワン・ソロ」。グサン曲集だからこれで幕開けするのは当然のように思うけれど、この一曲目のヴァージョンはかなり面白い。まず山内雄喜のスラック・キー・ギター独奏ではじまり、それにストリングス・アンサンブルが重なり(これはオーヴァー・ダブらしいが効果満点)、次いでワルジーナが歌いはじめるが、そのヴォーカル伴奏も山内のギターが中心。小さくフルートやヴァイオリンがオブリガートを入れるだけ。中間部でスギオノのヴァイオリン・ソロと山内のギター・ソロがある。

 

 

そしてそのインドネシア&ハワイ合体ヴァージョンの「ブンガワン・ソロ」では、打楽器はぜんぜん入っていないものの、リズムがかなり面白いんだよね。このゆっくりとして穏やかなスロー・テンポで大きくゆったりと乗り、タン、タ、ターンと跳ねる感じの二拍子。間違いなくアバネーラのリズム・パターンだ。打楽器なしだから、イマイチ鮮明には感じ取れないないかもだけど、山内雄喜のギター・フレイジングのリズム、ストリングスの奏で方にハッキリと聴きとれる。ワルジーナの歌い方だって、セバスティアン・イラディエールの「ラ・パローマ」みたいなノリだもんね。また、エンディング部での転調の仕方はハワイ音楽スタイルだ。

 

 

スロー・テンポで大きくゆったりと、のどかにのんびりくつろいでいるかのようなアバネーラのリズムで歌い演奏されるグサンの「ブンガワン・ソロ」。こんなにもスケールが大きくて、音楽的にはメチャメチャ高度に洗練されていながらも、そんな部分は聴感上ほぼ意識しないほどの高いレヴェルで分りやすさを獲得し、近づきやすい親しみを感じさせ、真夏の日本の聴き手に涼感を与えてくれリラックスさせてくれるなんて。こんな「ブンガワン・ソロ」は、ワルジーナの『グサンを歌う』一曲目でしか聴いたことがない。あ、いや、この曲というに限らず、またクロンチョンに限らず、ここまで心地良い音楽演唱って、ほかにあったっけ?

 

 

ワルジーナの『グサンを歌う』には、アルバム・ラストにもう一回「ブンガワン・ソロ」がある。それについては月曜日の文章の最後で触れた。一曲目のような面白さは薄いものの、こっちはこっちで和める雰囲気があって、なかなか素晴らしい。だが音楽的には、一曲目ヴァージョンの「ブンガワン・ソロ」の(真の意味での)音楽的ものすごさと比べることはできないなあ。

 

 

アルバム収録曲は、もちろん全てグサン・マルトハルトノの書いたクロンチョン・ナンバーだけど、伴奏スタイルはクロンチョンのそれとは限らない。というか、正統派トラディショナル・スタイルのクロンチョン伴奏はかなり少ない。多くの曲で、おそらくプロデューサーの田中勝則さんの着案でいろんな楽器を使い、いろんなスタイルで、クロンチョン楽曲を歌うクロンチョン歌手ワルジーナのバックを支え、彩をつけている。

 

 

でも、月曜日からずっと毎日僕が書いているクロンチョン・リズムの面白さ、すなわち、細かくせわしないクロス・ビートに乗って大きくゆったりと横たわるように乗って歌い演奏する 〜 この二種混交リズムのうねりの快感は、ワルジーナの『グサンを歌う』でも全曲守られているので安心。これはやっぱりクロンチョンでは外せない必須要素だってことなんだろうか?ぜんぜん知らないが、なんとなく漠然とそう感じている。

 

 

また10トラック目の五曲メドレーもかなり面白い。かなりユーモラスなフィーリングの曲が続き、ワルジーナもそんな味のヴォーカルを聴かせる。伴奏だって、パーカッションは(ブラジル録音で)ベト・カゼスが細かいリズムを刻み、弟エンリッキもカヴァキーニョで参加し、やはりカチャカチャとせわしないように弾くのが楽曲のコミカルさを際立たせ、しかしやはり上物は大きくゆったりと乗る。

 

 

三曲目の「がっかりのスタンブル」ではマンドリンがややアラブ音楽風な響きだったり、四曲目の、これも「ブンガワン・ソロ」と並ぶ名曲「ハンカチ」ではピアノ伴奏が中心。かと思うと後半は正統クロンチョン・スタイルに変化。マイナー・キーの九曲目「別離」は日本の演歌調にも聴こえるもので、オブリガートを弾くヴァイオリンとアコーディオンだってそんな雰囲気だ。

 

 

なお、曲目解説で田中勝則さんがこの九曲目「別離」を、ショーロとクロンチョンの融合を試みたと書いているのは、ちょっとした取り違えじゃないだろうか?カゼス兄弟は参加していないようだし。田中さんの言うのは二曲目「車輪のクロンチョン」のことじゃないかと思う。そっちの二曲目のほうではカゼス兄弟の演奏をフィーチャーしているしね。でもやはり出来上がりはクロンチョンであって、ショーロと融合しているという印象は僕には薄い。

 

 

ワルジーナのヴォーカルの味は、昨日書いたヘティ・クース・エンダンとはずいぶん違い、というか正反対で、一昨日書いたネティの気品高さ、崇高さに近いものがある。じゃあ近寄りがたいイメージなのか?というとそんなことはなく正反対で、身近な親しみを感じることのできる味が歌声にあるので不思議だよなあ。アメリカ人歌手なんかだと、このあたり、分離している場合が多いけれど。

 

 

ワルジーナといわず誰といわず、またクロンチョンといわずどんな分野でも、インドネシアの大衆娯楽音楽って、どうやらそんな不思議な魅力があるんじゃないかと、最近感じはじめるようになっている。

2017/08/16

真夏にピッタリ 涼感音楽クロンチョン (3)〜 ヘティ・クース・エンダン篇

Unknown1









ヘティ・クース・エンダンは別にクロンチョン歌手ではない。広い分野でヴァーサタイルに活躍するインドネシアのポップ歌手だ。『ポップ・ムラーユ』や『うぶ毛がそそり立つ』なんかが有名な人だしね。そんなヘティのクロンチョン曲集が『クロンチョン・コレクション』で、2000年にオフィス・サンビーニャから日本リリースされた。

 

 

ヘティの『クロンチョン・コレクション』はオリジナル・アルバムではない。このインドネシア女性歌手のアルバムを、マレイシア国内でリリースしているライフ・レコーズのカタログにもとづいて、日本の田中勝則さんと田中昌さんが編纂したコンピレイション盤で、日本での配給はオフィス・サンビーニャだけど、あくまで『クロンチョン・コレクション』の制作・販売はマレイシア・ライフで、マレイシア国内でも同内容の CD が発売された(はず)。

 

 

タイトルだけでお分りのように、このアルバムは幅広く活躍するヘティ・クース・エンダンが歌ったクロンチョンだけにフォーカスを当て、それらだけを集めて一枚にしたもの。これを聴いていると、ヘティの歌手としての素晴らしさも実感するのと同時に、かなりポップなかたちに姿を変えているクロンチョンの面白さ、どうアレンジし歌い方を変えてもクロンチョンらしさは失わない懐の深さみたいなものが、インドネシア音楽素人の僕にだって実感できる。

 

 

ヘティの『クロンチョン・コレクション』。一曲目が言わずと知れた名曲「ブンガワン・ソロ」。ヘティもなんどか録音しているらしいが、収録されているのは1978年ヴァージョン。ふつうみんなフルートでやりはじめるイントロのメロディをシンセサイザーで代用。ギター、チェロは生楽器でやっているみたいだけど、チャックやチュックはなし。またドラム・セットが入り、バック・ビートを叩き入れている。

 

 

そんな感じの楽器編成、アレンジ、演奏スタイルでやっている「ブンガワン・ソロ」だから、かなりポップなフィーリングに仕上がっていて親しみやすく聴きやすい。米英のポピュラー・ミュージックを中心に聴いている僕やみなさんにも馴染みやすい感じのクロンチョンじゃないかなあ。

 

 

それでも一昨日、昨日と書いたクロンチョンのチャーム、すなわちリズム・セクションがややせわしなく細かいクロス・ビートを刻む上で、ヴォーカリストが大きくゆったりと乗って歌い、フルートやヴァイオリン(の代用品)も同じく大きくうねるように演奏するという、この細/大の絶妙なぶつかり合いが生む大海の波のようなノリ(=グルーヴ)は、ヘティ・ヴァージョンの「ブンガワン・ソロ」でもまったく変わらず、しっかり表現されている。

 

 

二曲目の「クロンチョン・リンドゥー・マラム」もトラディショナルなクロンチョン名曲だが、ヘティ・ヴァージョンはモダンでポップ。しかもユーモラスというかヒョウキンだ。歌のオブリガートやブリッジ部でシンセサイザーが入れるフレーズなんか、頭の固い伝統派だったら怒り出しそう。でもそんなヒョウキンさが、みなさんご存知、へティの持味なんだよね。

 

 

クロンチョンをやりながらポップでコミカルで軽快なフィーリング、というのは三曲目「クロンチョン・クマヨラン」でも同じだ。昨日、ネティの記事でも触れた古典名曲なんだけど、へティのこれはシンセサイザーとドラムスが大活躍し、さしづめ YMO 的テクノ?・クロンチョンとでも呼ぶべき仕上がり。

 

 

四曲目以後は、もはやクロンチョンだかなんなんだかよく分らないポップさ。六曲目「竹笛」なんか相当に甘いマイナー・キーのしっとりバラードで、エレベも入り、特にクロンチョンだなんだと言う必要もないものだよなあ。ヘティの歌い方も大人びた(これを録音したころは実際そんな年齢になっていたらしい)もので、普通のメロウ・ポップ・バラードとして聴ける。真夏だと熱帯夜みたいなフィーリングだ。

 

 

ところが七曲目の「クロンチョン・バハナ・パンチャシーラ」は、いろんな意味で正統派でトラディショナル・スタイルのクロンチョンになっているから面白い。ヘティのヴォーカルも伝統派クロンチョン・シンガーの歌い方に近づいているし、バック・バンドの楽器編成も演奏スタイルもそう。正体が分らないが小型のギター族弦楽器であろうものが、繰返し細かく小さく同一音程フレーズを弾くのも効果的。しかしエレベは入っている。

 

 

そのあたりは、どうやらブディマン・BJ(と彼のグループ)のプロデュースのたまものらしい。ヘティ&ブディマン・コンビで、1978〜84年にかけてオリジナル・アルバムが八枚あるらしい。ブディマンの指導で、ヘティも独立後のインドネシア国民音楽みたいになったクロンチョンをちゃんと本格的に歌おうという決意をしたらしいんだよね。

 

 

『クロンチョン・コレクション』では、上記7曲目〜12曲目までの六曲が、ブディマンのプロデュースしたクロンチョン作品で、これがかなりいい。8曲目「スタンブル・ティンガル・クナンガン」でのスケールの大きさといい、9曲目「バリ島」での力の入りようといい、ワルジーナの得意レパーリーである10曲目の「ガンバン・スマラン」で聴ける粘り気のある歌い廻しといい、素晴らしい。

 

 

その10曲目からすでにそうだが、またやはりヘティ&ブディマン・コンビの作品である11曲目「キチル・キチル」、12曲目「ダユン・サンバン」あたりは相当にファンキーでもあって、もとからコミカルな味のあるヘティが、正統派本格クロンチョンを経て、それを本来の持味と合体させて余裕たっぷり。かなりポップで面白い仕上がりになっている。

 

 

アルバム『クロンチョン・コレクション』の残り三曲は、マントース時代。最後の二曲はプロデュースもマントースで、ポップでモダンでありながら、伝統的な部分も感じられるクロンチョン。ヘティの歌い方にもより一層の余裕(綽々といった印象だ、聴くと)とスケールの大きさが感じられて素晴らしい。

2017/08/15

真夏にピッタリ 涼感音楽クロンチョン (2)〜 ネティ篇

Unknown









昨日書いたようにどっちにしようかなあと迷ったが、今日はネティにしようっと。もちろんディスコロヒア盤『いにしえのクロンチョン』。どうしてかって、ネティの単独盤 CD は、僕の知る限り、いまでも全世界でこれ一枚しかない。あと、数種のクロンチョン・アンソロジー、インドネシア音楽アンソロジーに一曲、二曲入っているが、それらもぜんぶ日本盤で、しかもどれも中村とうようさん編纂か田中勝則さん編纂かのどっちかで、インドネシア本国に目を向けると、ネティの歌はまったくただの一曲も CD 化されていないようだ。

 

 

だから日本に住む僕たち音楽愛好家はまだかなり恵まれているんだよね。だってさ、ネティの単独盤アルバム『いにしえのクロンチョン』を聴いていると、こんなにも魅力的な歌手って、ホントなかなかいないなあって強く実感するんだもんね。インドネシア音楽のことをなにも知らない僕だけど、こりゃインドネシア大衆音楽史上、ナンバー・ワン歌手なんじゃないの〜?少なくともクロンチョン史上では最高の女性歌手じゃないかなあ?

 

 

そして世界中を見渡しても、ディスコロヒア盤『いにしえのクロンチョン』で聴ける1950〜60年代のネティの数々の名唱に比肩しうるものを歌えたヴォーカリストは、かなり少ないはず。ネティの場合、スムースでナチュラルな発声、決して押し付けがましくなく、こちらの気持に寄り添ってくれるかのような柔らかい歌い廻し、聴き手をふんわり優しく包み込んでしまうような大きな包容力、透明感があってキラキラしていて、それでいて肉太な存在感 〜 などなど、あらゆる点で、東アジア圏では台湾出身の鄧麗君(テレサ・テン)に並ぶ存在だ。いや、東アジアに限定せずとも、ネティやテレサほどの歌手はあまりいない。

 

 

そこまで言える存在であるネティの単独盤 CD が、全世界で『いにしえのクロンチョン』たった一枚だけだという事実はなんとも嘆かわしいのだが、しかしこれ一枚あるだけでも大変にありがたく、感謝して愛聴している僕。そんな人はいないと思うけれども、ひょっとしてまだネティのこのディスコロヒア盤をお買いでないという方がいらっしゃれば、いますぐこれをクリック!

 

 

 

さて、ネティの歌について言いたいことはもう全部言い切ってしまったような気がするが、それはそうと彼女の『いにしえのクロンチョン』にしろ、ほかのいろんなアルバムにしろそうなのだが、クロンチョンばかりをどんどん続けて聴いていていまふっと思ったのは、これ、コード進行がぜんぶ同じじゃないの?どの曲もぜんぶ。いやまあそんなことはないと思うけれど、ソックリに聴こえるよなあ。ちゃんと聴きなおさないとあれだけど、かなりの部分のクロンチョン楽曲が同じコード進行を使っているかも。のように僕には聴こえる。

 

 

さらにワン・コーラスの小節数もどれも全部同じじゃないかなあ。場合によってはキーまでぜんぶ同じ。そして主旋律の動き方も同じ、伴奏バンドの演奏スタイルも同じで…、ってことはクロンチョンって「ぜんぶ同じ」なのか?これはそう聴こえてしまう僕の耳がダメなのか(未知の分野は、最初、なにを聴いても「同じ」に思えるもんね)、あるいは誰が聴いてもマジでそうなのか、どっちだろう?

 

 

もちろん僕の言っている「ぜんぶ同じ」という台詞を、そっくりそのまま文字どおり受け取ってもらっても困っちゃうのだが、しかし一種の真実を突きたい気分で言ってみている。これは世界のありとあらゆるポピュラー・ミュージックのなかで最古の歴史を持つインドネシアのクロンチョンの、なんというか古典的に完成された表現様式ということになるんじゃないだろうか?

 

 

昨日も書いたクロンチョン・バンドの基本編成を軸に、っていうか、だいたい昨日の僕のあの箇所はネティの「クロンチョン・モリツコ」に例をとって書いたのだから、同じものが一曲目に収録されていて、二曲目以後も同系統が続く『いにしえのクロンチョン』でそうなっているのは当たり前だ。

 

 

ギター族小型弦楽器のクロス・リズムがチャカチャカと細かいビートを刻み、その上にネティのスケールの大きなヴォーカルがゆったりと大きな抑揚で横たわる。フルートやヴァイオリンも、同様に大きな旋律をゆっくりと奏で、リズム伴奏の細かいリズムとぶつかって、2種リズムの混交で大海の波のようなウネリが生じているのが心地良い。心地良いウネリ、それはアメリカ音楽でならグルーヴと呼ばれるものだ。

 

 

ネティの『いにしえのクロンチョン』。ところで、一曲目の「クロンチョン・モリツコ」もそうだし、二曲目「スタンブル・プサカ」、三曲目「クロンチョン・クマヨラン」にしても同じだが、こりゃまたずいぶんと懐かしいというか、相当前から知っているぞ、まるで日本国内でも古来から伝わっている伝承民謡みたいな素朴なメロディじゃないかと僕は感じるのだが、妙な感想だろうか?よく知っている馴染のある曲であるかのように聴こえる。既視感なら既聴感。

 

 

四曲目の「ペルシ・ルサック」以後は、伴奏の楽器編成も演奏スタイルも少し変化し、レパートリーにもそんなデジャ・ヴュ感は薄い。じゃあ四曲目以後は古典的様式を抜けてモダン化したクロンチョンなんだってことだろうか?それでも主役ネティのヴォーカル・チャームはなにひとつ変化していない。透明で柔らかく優しい声でおおらかに歌っている。安心して身を委ねてリラックスできて、しかも昨日も書いたようにヒンヤリ涼感のある音楽だから、クロンチョンはね。だからいまの猛暑期にはこれ以上ピッタリ来る音楽もなかなかないよね。

 

 

ネティの単独盤『いにしえのクロンチョン』では、17曲目「クロンチョン・テレモヨ」以後、アルバム・ラスト25曲目「愛の物語」までの九曲、1950年代末〜60年代初頭?あたりの録音こそが、歌手ネティにとっても音楽クロンチョンにとっても黄金期・全盛期だったと言えるはず。ネティのヴォーカルだって格調高く気品があって、それなのに身近に感じ、親しみやすい分りやすさ(なかには歌いこなすのに高度な技巧を要する難曲もあるのに)。

 

 

特にアルバム・ラストの「愛の物語」。これもネティと、夫アフマッド・ザエラニとのデュオ歌唱で、ふんわり和やかで柔らかい。そうだなあ、過激とか前衛的とか衝撃的とか、そんな種類の決め台詞が似合う音楽とはまるで正反対、対極にある音楽だ。僕はまあやっぱり過激にトンがった音楽だっていまだに大好きなんだけど、ネティ(とか鄧麗君とか、その他)のこういったヴォーカル表現の味わい、深み、真のものすごさも、最近、なんとか少しは実感できるようになっている。

2017/08/14

真夏にピッタリ 涼感音楽クロンチョン (1)

Unknown









(「耳が聴こえない」云々のシリーズ名を書くのはもうヤメ。いつまで続くか分らないから)

 

 

インドネシア音楽のクロンチョン。真夏に聴くのにこれ以上なくピッタリ来るヒンヤリ爽やかな涼感があるんじゃないだろうか。ジャンルそれじたいがほぼ丸ごとそうであるものって、クロンチョンとか、あとハワイのスラック・キー・ギター音楽とか、いろいろあるけれど、今日はクロンチョンの話だけをしたい。

 

 

日本で手っ取り早くクロンチョン入門をしようと思ったら、田中勝則さんの編纂・解説でオフィス・サンビーニャから2006年にリリースされた CD『クロンチョン歴史物語』が、いまはいちばんいいものに違いない。以前、中村とうようさんのオーディブックで『クロンチョン入門』が出ていて、その後もやはりオーディブックで『魅惑のクロンチョン 1』『魅惑のクロンチョン 2』と、計三枚あった。しかしオーディブック・シリーズは、いまや入手が難しい。実は僕もあまり持っていない。

 

 

だからライス・レーベルで、やはり例えばへティ・クース・エンダンやワルジーナや、また会社変わってディスコロヒアだけどネティとかのアルバムをつくってくれている田中勝則さんの編纂した『クロンチョン歴史物語』が、2017年時点では一番格好のクロンチョン入門盤として万人にオススメできる。ネティとワルジーナだって収録されているもんね。

 

 

『クロンチョン歴史物語』にあるネティは三曲。三つのなかでは、やはりアルバム・オープニングの一曲目を飾っている「クロンチョン・モリツコ」こそがネティの最高の名唱でもあり、クロンチョンの代表曲でもあり、またこの音楽をまだご存知でない方に、クロンチョンってどんなものかを分りやすく紹介するのにもうってつけだ。音楽の「分りやすさ」を、音楽の低級さと勘違いしてバカにするリスナーがたまにいるんだけど、真逆なんですよ。

 

 

ネティの歌うそのヴァージョンの「クロンチョン・モリツコ」。彼女名義の単独盤『いにしえのクロンチョン』でも同じものが冒頭を飾っている(そっちのほうが音質がいいなあ)それは、残念ながら YouTube などにはないみたいだからご紹介できない。伝統クロンチョンの最重要作品にして最高傑作、さらにネティにとっても最高の名唱に違いない。ご紹介はできないが、素晴らしいことは折り紙つきなので、ぜひ『クロンチョン歴史物語』か、ネティの『いにしえのクロンチョン』を買っていただきたい。できうれば両方を!

 

 

言及しているヴァージョンのネティの「クロンチョン・モリツコ」は、おそらく1950年代頭ごろの録音なんだろと推定される。だがクロンチョンという音楽の成立はもっとはるかにずっと時代を遡って、ポルトガル人が植民地支配していた16世紀か17世紀には成立していたのかもしれない。そんなに歴史の長いポピュラー・ミュージックは、世界中探してもないよね。しかもただ伝統的というのではなく、例えば話題にしているネティの「クロンチョン・モリツコ」でも分ることだが、古い時代のクロンチョンの要素を受け継ぎながら、しかも出来上がりは極めてモダンに洗練されている。高度な洗練を極めているからこそ、それが涼感音楽に聴こえる一因なんじゃないかとも思う。

 

 

そのネティの「クロンチョン・モリツコ」では、まずフルートの奏でる、やはり涼やかなサウンドで幕開け。この曲の演奏がクロンチョン・バンドの基本編成だ。フルート、ヴァイオリン、ギター、チュック(ウクレレ)、チャック(バンジョー)、チェロ、ウッド・ベース。確かにいかにもポルトガル由来だというような楽器編成だよね。ブラジルのショーロの楽器編成(もポルトガル由来)にも似ている。

 

 

僕が強調したいのは、『クロンチョン歴史物語』で聴ける、ネティはじめフロントで歌う歌手たちの素晴らしさもさることながら、伴奏リズムの面白さだ。「クロンチョン・モリツコ」でもそうだしほかの収録曲でもほぼ同じだが、土台を支えるウッド・ベースはかなりシンプルにボン・ボンと、フルートとヴァイオリンはゆったりと大きく長めの音で演奏し、チュックとチャックが細かい音でクロス・ビートを刻む。これらのリズム・パターンの混交が絡まり合って、まるで真夏の大海を進んでいるかのようなウネリを感じさせる。細かくせわしないと同時に大きくゆったり。この2パターンの混じり合った伴奏リズムが、僕にとってのクロンチョン最大のの面白さ。そしてこれも、真夏に聴くと部屋のなかの体感気温を下げてくれるようなヒンヤリ感をもたらしてくれる一つの要因なんじゃないかなあ。と、僕は勝手に推測している。

 

 

さて、『クロンチョン歴史物語』でも、まだ一曲目のネティ「クロンチョン・モリツコ」の話しかしていない。まあしかしこの一曲のみにフォーカスすることで、クロンチョンという音楽がどんいうものなのか、ある程度は知ることができるんじゃないかと思うんだよね。実際、この CD アルバム附属ブックレット解説文の田中勝則さんも、この曲での解説が一番長く、詳しく説明していて、かなりの力の入りよう。

 

 

『クロンチョン歴史物語』収録の、ほかの一曲一曲に言及するのがもうちょっとあれだけど、例えば二曲目、クロンチョン・オルケス・エウラシアの「クロンチョン・ブターウィ」には、キューバのアバネーラみたいなフィーリングがあって、カリビアン&インドネシアン・ストリング・バンドの演奏みたいで、かなり面白い。

 

 

カリビアン〜ラテンっぽいものは、『クロンチョン歴史物語』にほかにも何曲もある。例えば九曲目スルマニ「蘭の花」は、ほぼ完璧なタンゴ・クロンチョンだ。アコーディオンも入ってザクザク刻む。ラテンじゃなくてもハワイアン・スタイルのギターが入るものだってある。アバネーラとかタンゴとかハワイアンとかは世界中に拡散しているので、こっちの方が先に成立していたクロンチョンのなかにだって、ある時期以後はどんどん流入したのは間違いない。

 

 

最後に、『クロンチョン歴史物語』には2ヴァージョン収録されている、こっちも名曲クロンチョンである「ブンガワン・ソロ」のことを書いておこう。「クロンチョン・モリツコ」がトラディショナル・クロンチョンの最高傑作なら、グサン・マルトハルトノの書いた「ブンガワン・ソロ」はモダン・クロンチョン最高の名作。アルバムには16曲目にイラーマ・トリオ(歌はヘリジャティ)のヴァージョンが、ラスト24曲目にグサン&ワルジーナのデュオ・ヴァージョンが収録されている。

 

 

ピアニスト、ニック・ママヒット率いるイラーマ・トリオについては、以前少し書いた(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/1950-4315.html)。『クロンチョン歴史物語』収録の「ブンガワン・ソロ」でも、ママヒットはいかにもジャズ・ピアニストらしい大胆なコードの使い方、置き換え方で、なんだかぜんぜん違う曲みたいに聴こえる。ヴォーカルの伴奏最中でもありえないようなコードを使うので、ヘリジャティはさぞや歌いにくかったに違いない。そんな緊張感が音から伝わってくる。

 

 

アルバム・ラストに収録されている、ワルジーナと作者グサンとのデュオ・ヴァージョンの「ブンガワン・ソロ」(はいきなりこれだけ新しいステレオ録音になるのでやや面食らうが)は感動的。グサンの声はさすがにちょっと衰えているかなとも感じる年輪があるが、ワルジーナがそれを補ってあまりある充実の歌唱を聴かせてくれる。中間部ではこの二名のほのぼのとした会話もあって、気持が和む。伴奏は伝統スタイルのクロンチョンだから、やはり涼やか。

 

 

このワルジーナとグサンのデュオによる「ブンガワン・ソロ」は、ワルジーナのアルバム1999年のライス盤『グサンを歌う』に収録されているものが使われている。明日はこのアルバムのことを書こうかな。あ、いや、ネティの『いにしえのクロンチョン』にしようかな。

2017/08/13

ヘッドフォンで聴く 〜 原田知世と伊藤ゴローの世界(2)

 

 

(ヘッドフォンだとまあまあマトモに聴こえるシリーズ 一回限り)

 

 

以前も触れたが、スピーカーから出るものなど空中の音を捉えるのが、耳の病気のせいでまだちょっと苦手な僕だけど、不思議なことに全く同一音源でもヘッドフォンで聴くとそこそこマトモに聴こえてくる。ホントどうしてだろうと思って耳鼻科医にこのことを告げてみたら、「音圧が上がるからです」と即答された。ふ〜ん、そうなのか。

 

 

じゃああれか、スピーカーでも、いま僕は部屋のなかで左右二台で聴いているだけなのを、もっと増やして四台とか六台とかにして同時に鳴らすと音圧は上がるはずなので、少しいい感じに聴こえるのかなあ?しかし僕がいま使っているプリメイン・アンプのスピーカーへの出力端子は二系統しかないから、このままだと同時に四台までしか鳴らせない。スピーカー本体も、いま使っているもののほかに、もうワン・ペア持ってはいるが、そっちはかなりショボいものだからなあ。でも物は試しだ、今夜あたり、ちょっとやってみようっと。

 

 

そんなわけでヘッドフォンだと音楽が少しマシに聴こえるので、いろんな音源をヘッドフォンで聴いているのだが、ものによっては聴こえ方、印象が違い、場合によっては違う音楽に聴こえたりすらするのでちょっとビックリ。それもごく最近の録音作品でこれが多い。2010年代以後の音楽作品で、特にこういった違いがあるように思う。

 

 

それを、僕がふだん聴きのもののなかでいちばんハッキリと感じるのが、原田知世だ。昨日、岩佐美咲はマジで「文字どおり」毎日聴いているのだと書いたが、原田知世も同じなんだよね。本当に毎日聴いている。といっても僕が買って持っている原田知世は六枚だけ。ぜんぶ伊藤ゴローのプロデュース作品で、一番上のリンク先の過去記事で書いてあるように、ラヴ・ソング・カヴァー集『恋愛小説』『恋愛小説 2 - 若葉のころ』があまりに素晴らしかったので、原田知世+伊藤ゴローのコンビ作品を探してぜんぶ買ったのだ。

 

 

いまのところの最新作『音楽と私』にくわえ、過去作の2007年『music & me』、2009年の『eyja』、2014年の『noon moon』。これに2015年『恋愛小説』、2016年『恋愛小説 2 - 若葉のころ』〜 これで伊藤ゴローのプロデュースする原田知世はぜんぶのはず(だよね?)。まあホ〜ント!どれもこれも素晴らしいが、僕はまだこれら六枚しか聴いていないし、今月23日に過去の代表ヒット作のオリジナル・ヴァージョンを収録した二枚組ベスト盤がリリースされるので、それを聴いたら、それらをリメイクした最新作『音楽と私』と聴き比べ、なにか書けることがあるかもしれない。

 

 

とにかく今日は、特にやっぱりこの二枚が本当にいいと思って、文字どおり聴かない日はない『恋愛小説』『恋愛小説 2 - 若葉のころ』の二枚だけについて、ヘッドフォンで聴くと、耳がマトモだったころにスピーカーで聴いていたのとはずいぶんと感じ方が変わるもんだなということについてだけ、かなり短い文章で記しておきたい。今日はマジで短いですから^^;;;。だってあまり書くことないもんね。

 

 

そこそこ上質なヘッドフォンで聴くと、まだ右耳の聴力がイマイチ回復していない僕でもこれが一番違うと思うのが、歌手、原田知世の声の表情だ。スピーカーで聴くのとはずいぶん表情が違う。ヘッドフォンで聴いたら声の表情がずいぶん豊かだ。また、細やかで、実に微細な部分にまで神経を配って歌っているのが非常によく分る。えっ?スピーカーでそれが分らないアンタの耳がヘボいんだって?まあそりゃそうなんですけれど。

 

 

ヘッドフォンで聴くと『恋愛小説』『恋愛小説 2 - 若葉のころ』で歌う原田知世の声は、若干ハスキーにも聴こえる。ややかすれ気味の、というとちょっと違うのか、なんだか吐き出す息のシューという音と歌声が混じっているかのような、しかも優しくささやくかのようにそっと置くように言葉をかけてきてくれる。耳が悪いので弱っている僕のメンタルをそっと優しく撫でてくれているかのようにね。

 

 

そんな原田知世のウィスパリング・ヴォイス&シンギングは、伊藤ゴローのアレンジ&プロデュース・ワークが見事なせいで、より一層際立っているんだよね。『恋愛小説』『恋愛小説 2 - 若葉のころ』二枚での伊藤ゴローの仕事ぶりについては、最初に貼った過去記事リンクをお読みいただきたい。それに付け加えることは、現時点の僕にはまだない。ため息をつきながら、うっとりと聴き惚れ続けているだけだ。

 

 

曲によっては、原田知世の歌い廻しの細かい部分が、スピーカーで聴くのとヘッドフォンで聴くのでは違っているかのように聴こえるので不思議だ。だってフレイジングそのものが違っているみたいに聴こえ、実際にはそんなはずはないわけだから、じゃあ原田知世の歌声を存分に味わうには、ヘッドフォンじゃないとダメってこと?う〜ん、僕はスピーカー派なんだけど…。使い分けりゃいいのか…、う〜ん…。

 

 

一つだけ具体例をあげておこうっと。日本の歌謡曲のラヴ・ソング・カヴァー集『恋愛小説 2 - 若葉のころ』にある、アルバム・ラストの「SWEET MEMORIES」(松田聖子)。原田知世が歌いはじめて、2リフレイン目の「幸せ?と聞かないで / 嘘つくのは上手じゃない」(歌詞は松本隆)部分の「上手じゃない」。これの「じょうず」の「じょ〜(ず)」での原田知世の声の出し方と歌い方の表情のつくり方が、こりゃも〜う、あまりにも絶妙すぎる。なんて上手いんだろう。

 

 

最後に付記。リンクを貼った過去記事では『恋愛小説 2 - 若葉のころ』の「September」(竹内まりや)が個人的モスト・フェイヴァリットだという意味の書き方をした。あの時点では間違いなくそうだったが、いま8月10日時点で僕にとっていちばんグッと来ているのは、六曲目の「年下の男の子」(キャンディーズ)だ。毎日こればっかリピート再生している。

2017/08/12

岩佐美咲のダンス演歌

Img_0227

 

Img_0244










(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 21)

 

 

岩佐美咲(ブラジル滞在中)の歌は「本当に日常的に」聴いている僕。もはや無条件降伏状態なのだ。だから毎日(「のように」ではなく文字どおり毎日)聴いていて、それでいろんな考え、というかまあ音楽的妄想が、言い方を換えれば頭の体操、冒険が浮かぶ。今日の文章もまたそんな一つなので、岩佐美咲に興味がない、え〜っと AKB なんちゃらの女子タレでしょ〜、そんなもの…、などというお考えの方々は、どうぞ無視してください。

 

 

さて、ふつう、演歌は「聴く」ものだ。それに合わせて「踊る」人は、確かにいるだろうが少数派かもしれない。しかしもともと演歌には日本におけるラテン歌謡、タンゴ調歌謡の一形式みたいな部分もあったので、ダンス・ミュージック的な要素だってあるにはあったと言えるはず。

 

 

春日八郎「別れの一本杉」(曲は船村徹)みたいな演歌(調歌謡曲だが)に多いあんなリズムの感じ、ちょうどイタリアの「オ・ソレ・ミオ」によく似ているあの感じは、どっちもルーツを辿るとやっぱりセバスティアン・イラディエールの「ラ・パローマ」に行き着くんだろうなあ。もっとも演歌に多いあんなリズム・フィールは、直接的にはアバネーラの影響というよりも、アルゼンチン・タンゴのリズムが流入したと見るべきだと中村とうようさんは指摘している。

 

 

しかしながらいまちょっとネットで調べてみたら、「別れの一本杉」を書いた船村徹は、ジョルジュ・ビゼーの例の高名なオペラ『カルメン』にあるアバネーラを聴いてヒントにしたのだという記述が出てくる。う〜ん、確かに考えてみたら、日本人大衆歌謡作曲家だって、ヨーロッパのクラシック音楽作曲家のものをどんどん聴いて参考にしていたのは間違いないんだろう。どんな分野であれ作曲でメシ食っている世界の人間が、西洋のクラシカル・コンポジションを聴いていないなんてありえない。じゃああれか、日本の演歌(調)で聴けるあんな跳ねる感じのリズム・フィールは、「直接的には」ビゼー『カルメン』からの流入か。

 

 

といってもアルゼンチン・タンゴにしろビゼーの『カルメン』にしろ、ルーツは同じもの。もとはキューバのアバネーラ。さらにそれを耳にして自分の作品に使ったスペイン人コンポーザー、セバスティアン・イラディエールの「ラ・パローマ」だ。イラディエールのこの曲のいちばん最初の楽譜がマドリードで出版されたのが1859年だから(この曲にかんしては、これ以外の正確な年号が判明しない)、ってことはこれより前に「ラ・パローマ」はできあがっていたはず。

 

 

フランス人ビゼーがフランス語で書いた『カルメン』の場合も、何年作曲との正確な年が分らないのだが、少なくともパリでの初演は1875年。ということはイラディエールの「ラ・パローマ」を知らなかったとは思えない。「ラ・パローマ」はヨーロッパ各地で親しまれ、さらにアメリカにも渡って人気があった。実際、ビゼーは「ラ・パローマ」ではないが、同じイラディエールが1864年に発表した同じリズム・パターンの「エル・アレグリート」から直接借用し、それがかの有名な「カルメンのハバネラ」となった。

 

 

アルゼンチン・タンゴのあんなリズムの感じだって、こっちはスペイン人経由ではなく、直接キューバからアバネーラのパターンが流入し、ああなった。こっちはほとんど書いておく必要がないだろう。

 

 

つまり日本の演歌(調歌謡)に多い、あんなような跳ねるリズム・フィールも、直接的には(中村とうよう説に反し)タンゴの流入ではなく、ビゼーの『カルメン』のアバネーラを下敷きにしている、というか間違いなく『カルメン』のレコードを船村徹にしろ誰にしろみんな聴いていたはずだから、それを借用というか取り入れて、日本の(演歌調)歌謡曲なりに活かしたということになる。それでも、なんもかんもぜんぶひっくるめてそもそもの《起源》はキューバのアバネーラにあるんだよね。

 

 

ってことはいつごろのことかはっきりしないが18世紀末か19世紀あたりかにキューバであんなリズム・パターンが誕生していなかったら(それをキューバ滞在中のスペイン人イラディエールが耳にしなかったら、という部分もあるが)、日本の演歌調歌謡曲だって、ある時期以後いままで続いているような、あんな感じのものは生まれなかったことになるぜ。カリビアン・ミュージック様さまじゃないのさ。

 

 

岩佐美咲から少し離れてしまった。岩佐がいままで歌って CD などのパッケージ商品にしている曲のなかにも、ラテン調のダンス・ナンバーはいくつもある。まず、オリジナル楽曲が、最新の「鯖街道」まで六つあるが、そのうち三つがかなりダンサブルだ。「無人駅」「初酒」「鯖街道」の三つ。これら以外の「もしも私が空に住んでいたら」「鞆の浦慕情」(ハード・ロック!)「ごめんね東京」にも軽いダンス・フィールはあるように僕には聴こえる。

 

 

でもまあ最も顕著にダンサブルなのは「初酒」と「鯖街道」だな。「初酒」はズンドコズンドコっていう、むかしから演歌調にはよくあるリズム・パターンで、いかにも日本の農民ダンスに似合いそうな調子のもの。日本農耕民族感覚のダンス・チューンだというのは、演歌調のものが日本全土でどういうものとして想定(デザイン)され、どういう受け入れられ方をしているかを考えるときに、まあまあ重要なことなんじゃないかと思うんだよね。詳しいことは難しそうだからやめとくよ。

 

 

「鯖街道」のほうは、曲題とおりマーチ調…、とはちょっと違うのか、でもそれにちょっぴり似たような、街道を行進していくようなズンズン進む感じのダンス・リズムだ。しかも「初酒」でも「鯖街道」でも(いま僕が聴いているのはオリジナル・シングル・ヴァージョン)、岩佐美咲の歌い方にはモッサリしてリズム感の悪いようなところがぜんぜんない。モッサリしてリズムのノリが悪い歌手が、日本の(演歌調)歌謡歌手のなかには少しいるよね。岩佐はぜんぜんそうじゃない。確かに発声はキュートで可愛いアイドル・ヴォイスだが(なにが悪い?)、歌い廻しは大人のサッパリした歯切れのよい感じで、スパスパ軽快にリズムに乗っているのがイイネ。

 

 

岩佐美咲のカヴァー曲のなかにもダンス演歌がある。いちばんはっきりしているのは(いま僕は CD だけ聴きかえしているので、DVD でたくさん聴けるカヴァー・ソングのことは考えていない)「石狩挽歌」だ。これが超ダンサブルな歌だっていうのは、北原ミレイのオリジナル・ヴァージョンからそうだったので、改めて言う必要もないだろう。こっちは農耕感覚じゃなく漁業感覚のダンス・チューンか。どっちにしても日本第一次産業的ダンス・フィールだ。岩佐のヴァージョンでもドラマーの、特にスネアとタムの叩き方が素晴らしく跳ねているが、歌手本人の歌い方だって、まあ北原ミレイには及ばないと言わざるをえないが、各種あるカヴァー・ヴァージョンのなかでは、僕の聴くところ、いちばん優れている。北原ミレイのオリジナルをじっくり聴いて勉強したに違いない歌い方と出来栄えだ。無表情を装ったアッサリ感がソックリだから、疑いえない。

 

 

岩佐美咲が歌う「いわゆる」演歌調じゃないカヴァー・ソングになら、ダンス・チューンはもっとたくさんある。「リンゴの唄」「東京のバスガール」などもそうだが、特にすごくいいなと思うのがテレサ・テンの「つぐない」とシグナルの「20歳のめぐり逢い」だ。どっちも強くダンサブルで、前者はラテン調、というよりも鮮明にアバネーラの跳ねるパターンを使い、後者は、例えばビートルズの「アイ・アム・ザ・ウォルラス」みたいな、いわゆるシェイクってやつ。

 

 

どっちも岩佐美咲ヴァージョンをご紹介できないので、初演歌手のものを貼っておこう。まず三木たかしが書いたテレサ・テンのアバネーラ歌謡「つぐない」。

 

 

 

岩佐美咲ヴァージョンでのアレンジもほぼこれに忠実にやっているのだが、どうです、このリズムの跳ねるフィールは?完璧にアバネーラじゃないだろうか?特にベーシストの弾き方なんかにもはっきりしているし、ドラマーの叩き方だってモロそのまんまだ。三木たかしがアバネーラを(直接)意識したかどうかは、さほど重要な問題ではないと思う。重要なのは、こんなふうなカリブ〜ラテンなダンス感覚が、日本の(演歌調)歌謡のなかにもうすっかり染み込んでいて、作家自身、歌手自身が意識しなくとも自然に表出されるほどまでになっているという事実だ。

 

 

シグナルの「20歳のめぐり逢い」はこれ。う〜ん…、いかにも一時期の日本のいわゆるフォーク・ソングだ(このオリジナル・ヴァージョンだけだと、僕はちょっと苦手かも?)。

 

 

 

岩佐美咲ヴァージョンの「20歳のめぐり逢い」も、アレンジの基本はこれに沿っているのだが、こんな暗く哀しい(曲ではありますが、確かに)フィーリングがやや弱くなっていて、まあそれは歌う人間の性別や資質がぜんぜん違うからというのが一番大きいだろうが、伴奏アレンジだって、途中、ドラムス(は打ち込みっぽい音だ)が奏でるリズムが、まるでグルグル廻りながら一箇所で跳ねているような眩惑的なグルーヴ。シェイクっぽいよ。岩佐の「20歳のめぐり逢い」をご紹介できないので、ビートルズの「アイ・アム・ザ・ウォルラス」 を貼っておこうっと。

 

2017/08/11

ファンキーでポップになっていったマイルズ

R16365991265012082jpeg_2

 

Unknown_2









(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 20)

 

 

以前、ウェザー・リポート関連で、サウンドがポップになったりファンキーになったりするのを嫌うジャズ・ファンは、実に世界中にいるんだと書いた(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-2b77.html)。これと同じ事実はマイルス・デイヴィスにかんしても当てはまる。

 

 

マイルズがポップになったと言えるのは、私見では1985年以後、特に88年以後だけど、ファンキーになったのは1969年あたりからだと思うので、時代順にそっちの話からしておこう。曲単位で言えば同69年2月録音の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」(アルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』B 面)が、マイルズ録音史上初のエレクトリックなファンキー、いや、ファンク・ナンバーだ。

 

 

だが、約半年後の録音だった二枚組『ビッチズ・ブルー』も含め、この1969年のライヴ・ツアー(を行なった当時のレギュラー・バンドを、通称ロスト・クインテットという)音源を聴くと、まだまだぜんぜんファンキーじゃない。それどころか60年代フリー・ジャズにかなり接近しているような音楽を繰拡げていて、まぁあれじゃないかなあ、30年以上前から言う人がいたが『ビッチズ・ブルー』は、一面、60年代フリー・ジャズの落とし前をつけるみたいな部分もあったから、そこだけ取り出してグッと拡大したようなライヴ・パフォーマンスだったんだよね、69年バンドは。

 

 

ファンキーさと抽象さのあいだでどっちつかずで揺れているような状態が解消され、ライヴ演奏でも明快にファンキーで、リズムもファンクっぽいタイトなものになり、全体的なサウンドも聴きやすく分りやすいものになったのは1970年の夏ごろから。スタジオ録音作でもこの前後あたりから、例えば『ジャック・ジョンスン』みたいなものが出てくるようになっていた。

 

 

ところがですよ、世のジャズ・ファン、あるいは熱心なマイルズ愛好家のあいだでも、1969〜71年あたりのマイルズ・ミュージック、特にライヴ音源で最も人気が高いのは69年のロスト・クインテットものなんだよね。これは間違いないというかなり強い個人的実感がある。マイルズ69年ライヴのブートレグ音源はトレードしましょう、コピーしてくださいという種類の依頼メールが、各国から以前はよく届いていて、いまでも少し届く。反対に70年半ば以後のものは、僕が YouTube にどんどんアップロードしているものにだって、関心を示す世界のジャズ・ファン、マイルズ愛好家は少ない。その差たるや、愕然となってしまうものがある。

 

 

じゃあどういう方々が1970年代半ば以後のファンキーな(ファンクな)マイルズ・ミュージックに関心を示すのかというと、主にロックやファンク、リズム&ブルーズなどがお好きな音楽リスナーたちなのだ。あと、ジャズ・ファンでもコテコテのがお好きな方は面白がるし、また僕みたいにマイルズの音楽ならなんでもぜんぶ聴きたいというキチガイじみた愛好家も、これまた世界中にいる。さらに外国の(セミ・)プロの音楽ライターさんも、仕事柄なのか、興味を示す場合がある。

 

 

しかしふつうの(ってなにが「ふつう」か、基準が分らないが)ジャズ・ファン、マイルズ聴きにとっては、電化サウンド導入後で一番「良い」のが1969年ロスト・クインテットだとなってしまうらしいんだよね。その後のファンキー、いや、ファンクそのものみたいなマイルズ・ミュージックには無関心。嫌悪する場合すら多い。

 

 

1970年代マイルズのスタジオ・アルバム(は五作しかないが)で最もファンキーなのは、72年リリースの『オン・ザ・コーナー』と74年リリースの『ゲット・アップ・ウィズ・イット』だ。しかしこの方面をしっかり本気で掘り下げる気持がある方には、これら二作そのものよりも、2007年リリースの CD 六枚組ボックス『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』をぜひにぜひにと強く推薦しておきたい。

 

 

『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』は1972〜75年のマイルズ・スタジオ録音作品の(可能な範囲での)全集だからだ。だから『オン・ザ・コーナー』はぜんぶあるし、『ゲット・アップ・ウィズ・イット』も、70年録音の一曲「ホンキー・トンク」を除き、ぜんぶある。

 

 

さらに重要なことは、『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』には、もっともっとファンキーでカッコいいファンク・チューンがたくさんあるんだよね。それらの多くが1970年代当時は未発表のままだったか、未 CD 化だったか、(ブートレグしかないなど)著しく入手が困難になっていたものだ。面白いことは、この六枚組でじっくり辿ると、ファンキーさにポップさを加味していくようになったプロセスも垣間見え、復帰後1985年あたりからのポップ・マイルズ路線の先駆けみたいな部分すら感じるものがあるんだよね。

 

 

具体的に少し触れておくと、『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』CD5の最後の三曲「ヒップ・スキップ」「ワット・ゼイ・ドゥー」「ミニー」が面白い。三つともオフィシャルには2007年まで完全未発表だったもので、最初の二つが1974年11月6日、最後の「ミニー」が75年5月5日の録音。

 

 

 

 

 

特に最後の「ミニー」はかなりポップでスウィートで、メロウさすらあって、かなりいいんじゃないだろうか。これ、2007年まで未発表だったけれど、ブートレグには「アンタイトルド・ラテン」の名で収録され、マイルズきちがいはみんな知っていたもの。そう、ラテンっぽい曲だよね。前年の1974年10月7日録音で、『ゲット・アップ・ウィズ・イット』一枚目 B 面に収録されすぐに公式リリースされた「マイーシャ」に続く系統だけど、「ミニー」には「マイーシャ」にない程度の甘いポップさがある。ところで、曲題はミニー・リパートンのことなんだろうね。

 

 

1975年のマイルズ・スタジオ録音はこれ一曲しか確認されていないので、そのままなにかのアルバムに収録してなどでは発売することができなかった。しかし、何年か遅れてでももっと早く、もしかりに発売されていていたら、1981年の復帰後85年あたりからポップでメロウになったマイルズのことも、みんなにもっと理解してもらえたんじゃないかなあ。コロンビア最終作の85年『ユア・アンダー・アレスト』のこととかさあ。

 

 

『ユア・アンダー・アレスト』には二曲のポップ・チューン「ヒューマン・ネイチャー」(マイクル・ジャクスン)と「タイム・アフター・タイム」(シンディ・ローパー)があるばかりか、ほかの収録曲も、ポップ・チューンというに近いディスコ・ナンバー「サムシングズ・オン・ユア・マインド」(D・トレイン: https://www.youtube.com/watch?v=jHXSowK9plU)があったり、タイトなファンク・チューン「カティーア」があるかと思うと、超変態ジャズ・ナンバー「ユア・アンダー・アレスト」(難曲!)があったりもする。

 

 

さらにマイルズ自身の既存曲でも、『ユア・アンダー・アレスト』トップには「ジャック・ジョンスンのテーマ」(1970)の焼き直しである「ワン・フォーン・コール/ストリート・シーンズ」 があって、ほかの二名にくわえマイルズ本人がラップ・ヴォーカルを披露…、と呼んでいいのか、ただフツーにしゃべっているだけだが、ただこれ以前にはありえないことだったし、はっきりしたポップさだ。マイルズがしゃべっている言葉の内容は、自ら体験した深刻な黒人差別の告発だけどね。

 

2017/08/10

グルーヴ、それは溝に刻まれた楽しい躍動感

 

 

1

 

Unknown

 

 






(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 19)

 

 

音楽用語として使われる際のグルーヴ(groove)とは、もちろんアナログ・レコードに刻まれた溝のこと。そこを針が進んで、最終的に音になる…、ってちょっと考えただけじゃ、物理的な溝から最終的にスピーカー(など)がつくる空気の振動=現実の音になるまでのプロセスは、やっぱり僕なんかにはピンとこない。CD でも配信音源でも同じだけど、摩訶不思議というに近い感覚すらあるもんなあ^^;;。

 

 

そんなレコードの溝=グルーヴ。このグルーヴはいったいいつごろから演奏のノリとか、賑やかで楽しい一体感とか、ダンサブルで高揚するフィーリングなどを指すようになったんだろう?形容詞化してグルーヴィとか言うもんね。

 

 

グルーヴもグルーヴィも、僕だってふだんかなりよく使う言葉だ。アナログの溝に針を落とすことはなくなった僕だけど、グルーヴは毎日たっぷり味わっている。しかし溝のことを意味したグルーヴが、いったいどうしてダンサブルに高揚する演奏のノリ、フィーリングを指すものへと変化したのかは、ちゃんと調べないと、僕にはいまちょっと分らない。

 

レコードの溝には波のような感じがあるみたいだから(顕微鏡で拡大した写真などを見るとね)、寄せては返す波のうねりのようなものを指すようになって、レコードのグルーヴは音楽用語には違いないので、次第に音楽演奏のうねりを指すようになり、結果的にノリノリの快感ダンサブル・フィーリングを指すことになったのだろうか???まあちゃんと調べりゃ分るんだろうが。

 

音楽作品で、レコードの溝という意味ではなく演奏のノリノリ・フィーリングという意味で、このグルーヴという言葉を使った最初の一例は、僕の知る範囲では、ジャズ・ピアニスト、レッド・ガーランドのプレスティジ盤『グルーヴィ』だ。1957年12月リリース。もちろんもっと早い例があるはずと思うんだけど、いまいちばん最初にパッと思い付いたのがレッド・ガーランドのこれ。

 

レッド・ガーランドの『グルーヴィ』、 僕はレコードも CD も一度も買ったことがない。むかしジャズ喫茶でよくかかっていたので、その記憶があるだけなんだよね。確かにグルーヴィなピアノ・トリオ演奏に違いないと僕も思うが、自分で買う気にはなれない程度のアルバムだったよなあ。悪口言っているみたいになってスミマセン。もちろん悪くはないと僕も思うよ。買うこたぁないけれど。いま YouTube でふつうに聴ける。

 

レッド・ガーランドのアルバム『グルーヴィ』に同名の曲はない。だから全部録り終えて、ポスト・プロダクションも終えたプレスティジのボブ・ワインストックが、1957年12月のレコード発売時に考案したアルバム・タイトルなんだろう。楽しくてダンサブルだし、跳ねるようなフィーリングもあるし、特に A 面一曲目の「C・ジャム・ブルーズ」(デューク・エリントン作)なんか相当いいじゃんねえ。マイルズ・デイヴィスのアルバムのいろんな曲でさんざん聴けるのと完璧に同一パターンだけどね。

 

 

こういう(のやその他の収録曲の)ジャズ演奏を「グルーヴィ」と名付けたボブ・ワインストックのネーミング・センスはなかなかいいよね。といっても1957年時点で彼が考え付くわけだから、彼のまったくの独案なわけがなく、グルーヴやグルーヴィをこんな意味で使う用法は、もっと前からしっかりあったのだということになる。ホント、いつごろから溝→演奏のノリと意味が変化するようになったんだろう?

 

上掲の「C・ジャム・ブルーズ」のようなノリは、この曲を書いたデューク・エリントンの、彼の楽団による初演、1942年ヴィクター録音ヴァージョンでもしっかり聴ける。グルーヴィというかスウィンギーだ。12小節定型ブルーズで、シンプルなリフを反復するだけ。あとはアド・リブ・ソロが続くのみという、まるで1930年代のカウント・ベイシー楽団みたいな演奏で、エリントンらしくない(これはいい意味で)。

 

 

しかしこれ、共作者としてエリントン楽団のクラリネット奏者バーニー・ビガードの名前も登録されていて、しかもバーニー・ビガード自身のグループで一年前の1941年に録音もあるんだよね。曲題が「C・ブルーズ」だけど。ってことはこりゃまたボスのエリントンがイッチョ噛みした、というよりそのままいただいちゃって自分の名前をクレジットにくわえちゃっただけなんだろうね。この当時の慣例で、楽団員の書いた曲の版権登録には、必ずボスが名前を連ねるか、自分だけの名義にしてしまう。

 

でも今日だけはシーッ!デューク・エリントンだということにしておきたい。それは今日話題にしている「グルーヴ」という言葉の使い方にかんし、スティーヴィ・ワンダーのあの超有名曲に言及したいからなんだよね。とこう書けば、もうみなさん「な〜んだ」とお分りのはず。そう、1976年リリースのアルバム『ソングズ・イン・ザ・キー・オヴ・ライフ』収録の「サー・デューク」のことだ。

 

 

この「サー・デューク」は、アルバム『ソングズ・イン・ザ・キー・オヴ・ライフ』の一枚目 A 面ラストだった。CD なら五曲目。1977年にはシングル・カットもされている、音楽愛そのもの、偉大な先達たちへの敬意を歌った一曲で、エリントンだけでなく、カウント・ベイシーやグレン・ミラーやルイ・アームストロングやエラ・フィツジェラルドの名前も登場するので、ジャズ・ファンのみなさんだってもちろんご存知のはず(?)。あれっ、ジャズ・ファンのみなさんには二枚目 A 面トップだった「イズント・シー・ラヴリー」(可愛いアイシャ)のほうが有名なのかな?

 

さて、上でご紹介した「サー・デューク」の歌詞のなかに、以下のような一節が聴きとれる。

 

But just because a record has a groove

 

Don't make it in the groove

 

う〜んと、前後もちゃんと引用しておいたほうがいいな。

 

Music is a world within itself

 

With a language we all understand

 

With an equal opportunity

 

For all to sing, dance and clap their hands

 

But just because a record has a groove

 

Don't make it in the groove

 

But you can tell right away at letter A

 

When the people start to move

 

さて、「But  just because a record has a groove / Don't make it in the groove」部分。一回目のほうのグルーヴはもちろんレコードの溝のことだ。しかし二回目のグルーヴを、スティーヴィはどういう意味で使っているんだろう?「レコードにはもともと溝があるからってだけで、それを溝に落としちゃダメだよ」?あるいは「レコードにはもともと溝があるからってだけで、音楽を型にハメちゃダメだよ」ってこと?

 

しかしスティーヴィだってグルーヴという言葉をそんなシンプルには使っていないはず。「Don't make it in the groove」部分では、 グルーヴ=演奏のノリ、動き出したくなるようなワクワクするダンサブルなフィーリングという意味にだってひっかけてあるはずだ。しかし演奏のノリという意味だと解釈すると「レコードをノリノリでつくっちゃダメ」と歌っているようにも解釈できちゃうので、う〜ん、どうなんだろう?

 

「But just because a record has a groove / Don't make it in the groove」部分の前で、音楽には歌い踊り手拍子をとる権利がみんなに平等にあると歌っている。後でも似たようなことを歌っている。だからやっぱりこの問題の箇所は「レコードにはもともと溝があるからってだけで、溝にハメる=決まりきったことをするだけじゃダメだよ」という意味で、直接的には、使っているのかも。

 

前と後で音楽のダンサブルなフィーリングのことをスティーヴィは歌っているんだから、これはあくまで直接的にはということ。暗示的に演奏のノリ=グルーヴィさという意味での groove も含んでの歌詞なんじゃないかと僕は考えているんだけれどねっ。

2017/08/09

アメリカ音楽の地域差

22p159250statesusamap

 

Usmusicmap






(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 18)

 

 

アメリカ人音楽家は、ライヴでのメンバー紹介の際に必ずと言っていいほど、「どこそこ州(どこそこ町)出身のだれそれです」って言うよね。日本人音楽家でこれを必ず言うという人は少ないはず。僕の知っている範囲の日本人音楽家で、自分のライヴ・ステージで、起用している外国人でも日本人についても必ずこれを言うのは渡辺貞夫さんだ。アメリカ人なら、例えば「サン・フランシスコのベイ・エリア周辺から…」だとか、また「ジャマイカ生まれで、水泳の奨学金をもらって渡米、そしていまどうしてだかこのステージに立っているという…」だとか、日本人でも「野力奏一、京都出身です」とか、貞夫さん、言ってたもんなあ。

 

 

貞夫さんのああいった姿勢は、やっぱりアメリカ人ジャズ・メンの例にならったということなんだろうか?アメリカ人音楽家ならば、ジャズだろうとロックだろうとなんだろうと、ほぼ全員がライヴ・ステージでこれを言う。リーダー格、あるいはおしゃべり担当(アイヌのヴォーカル・グループ、マレウレウだとまゆんさん)のメンバーか、あるいは司会者みたいな人がいる場合でも、みんな出身地を紹介するじゃないか。

 

 

出身地を紹介しない場合も当然あるんだろうし、日本人でもどこの人でも、紹介する場合だって多いんだろう。メンバー紹介で出身地を言うというこの慣習は、音楽の場合、地域性が音楽性と密着しているせいもあるからなんじゃないかという気がする。むろん、たんに誰かのひととなりを紹介しようと思ったら、音楽家に限らず、出身場所を告げるのが当たり前のことではあるんだろう。だが特にアメリカ音楽の場合は、国内での音楽的地域差、地域的特色差を踏まえないと面白さが分りにくい場合があるように思う。

 

 

アメリカ音楽の場合、演奏家の出身地を告げる=どんな持味の音楽家であるか、どんな音楽的特徴があるかの名刺代わりになるケースがかなりあるように見受けられる。国が違えば、あるいは大陸や諸地域など大きなエリアが違えば音楽が変わるのは当たり前のことだから、それは今日はまったく考慮に入れていない。あくまでアメリカ合衆国という同一国内での地域差の話だ。

 

 

別にジャズがアメリカ最初のポピュラー・ミュージックじゃないだろうが、商業化、特にレコード産業が本格化した時代に乗って、そのままジャンルじたいが大流行しはじめたのがジャズ。それにしてはジャズ界初のレコードは1917年とあんがい遅いが、これには事情がある。今年はピッタリ100年なので(ジャズ録音史100周年に際し、今年中になにか書くつもり、大晦日にでもアップできれば)、だからアメリカ音楽産業が、レコードの普及で大爆発し、産業じたいが活性化した最初のきっかけは、やはりジャズによってだったと言って差し支えないんじゃないかなあ。そのジャズは、同国南部ルイジアナ州ニュー・オーリンズで誕生した。これに異を唱える専門家がむかし少しいたみたいだが、いまやそんなヘソ曲がりは消えた。ジャズはニュー・オーリンズで生まれた。これは間違いない。

 

 

ジャズ・ミュージックの特色を考える際には、生誕の地がニュー・オーリンズであったことと、この都市の文化的特色を踏まえないと、十分に理解することができないんだよね。これについては詳しいことを今日書く必要はないと思うので、もしかりにご存知なくてご興味のある方は、油井正一さんの二冊『生きているジャズ史』『ジャズの歴史物語』をお読みいただきたい。僕なんかが説明するより100万倍よく理解できる。

 

 

カリビアン・クリオール文化の北米大陸における<首都>とも呼ぶべきニュー・オーリンズで生まれたジャズだから、この音楽のなかにも、主にニュー・オーリンズ・クリオールたち(がジャズ誕生期の主役)が担い表現し、その後(いわゆる)黒人、白人ジャズ・メンにも色濃く流入したカリブ〜ラテン音楽文化要素が存在する 〜 しかし、こういったことが今日問題なのではない。

 

 

今日僕が言いたいことは、そんなニュー・オーリンズで産まれたジャズがアメリカ全土に拡散してのちのことだ。全米各地で、その州その州の、その都市その都市の独自音楽に変化した。その背後には音楽と密接に結びついているローカル・カルチャーの存在があって、それが音楽にも反映されて、音楽的特色の地域差を生んだのだと思う。

 

 

ことジャズだけに限定しても、ニュー・オーリンズの次にジャズのメッカになったシカゴ、そしてニュー・ヨーク、カンザス・シティなど。すべてジャズ・メンの傾向や演奏の特色が異なる。ニュー・オーリンズ、シカゴ、ニュー・ヨーク、カンザス、これらすべて第二次世界大戦前にジャズ(関連)音楽が花開いた都市だけど、戦後なら西海岸もメッカの一つになった。同じ西海岸でもサン・フランシスコとロス・アンジェルスでは、やはり音楽性が異なっている。

 

 

いまは情報拡散のスピードがとんでもなく速く、その日にできあがった音楽を即ネットにアップロードして、現実の物理的距離があってもネットではそれはゼロに近いから、アップした次の瞬間に、遠く離れた場所にいるほかの音楽家がパソコンかスマホで聴いて、イイネと思って自分の音楽に取り入れるなんてことも朝飯前だが、むかしはそこまでではなかったから、ある時期まで、地域差は保たれたままだったはず。

 

 

そして地域差が保たれないと誕生すらもしなかったような種類のアメリカ音楽もあったんじゃないかとも思うのだ。ニュー・オーリンズがあんなふうでないと(あんなかたちの)ジャズなんか絶対に誕生しえなかったのも典型例だが、それ以外でも、例えばブルーズ・ミュージックだって、深南部の黒人共同体内部でしか産まれえなかったものだが、その後、北部や全米各地に飛散して地域差を獲得したし、またカントリー・ミュージックだって、ブルーズほど深い場所でないにしろ、やはり南部の田舎町で誕生し、しかもそもそも聴衆層の中心として南部田舎町の白人を想定して存在していた。

 

 

この点では(も)黒人ブルーズと白人カントリーは共通性がある。もともとカントリー・ミュージックは、黒人ブルーズのレパートリーを白人がとりあげて、ヒルビリー・ブルーズとして彼らなりにやったところがそもそもの出発点だということも大きいが、両者とも(最初は主に)南部田舎町で、(黒人・白人の)労働者階級のアイデンティティに訴えかけるようにデザインされた音楽だったということが言えるはず。カントリーはそもそもそういうものとして1920年代に誕生した。ブルーズのほうは「デザイン」化されるようになる前の時代から存在していたので、その時代には100%マジで対面して貧乏黒人ブルーズ・メンが貧乏黒人労働層を相手にしていたんだろう。

 

 

アメリカ南部や、南部でなくとも一定の地域、都市、州の地域性に根ざしたアメリカ音楽は、ジャズ、ブルーズ、カントリー以外にもいくつもある。ロックやソウルやヒップ・ホップの世界その他でもたくさんあるじゃないか。ネイティヴ・アメリカン(アメリカン・インディアン)の音楽。サザン・ロック、LA スワンプ、LA メタル。サザン・ソウル、メンフィス・ソウル、フィリー・ソウル、デトロイト・サウンド。ヒップ・ホップも、ある程度イースト、ウェスト、サウスと、そのサウンドで区別されたりするみたいだ。ジャズやブルーズに地域差があるように、カントリーだってナッシュヴィル・サウンドとベイカーズフィールド・サウンドは違う。

 

 

まあ第一には、(ある時期以後の)アメリカ合衆国は国土面積が広いというのと、その広大(にその後なる)国土も、ある部分がもともとスペイン領だったりフランス領になったり、また戻ったりして、結果的にアメリカ領になっただとか。またメキシコ領になったかと思うとアメリカ領になったりだとか。

 

 

そんな事情もあるし、またアメリカ国内に住む人たちだって、先住民族(の子孫)たち以外はすべて他国・他地域からの移民(の子孫)たちであって、さらにそれがその後ミクスチャーした。だから祖先たちがアメリカ大陸へやってくる前に住んでいた場所の音楽文化の記憶が DNA 的に残っていたりもしたんだろう、しかも人種・民族によって居住地域を限定されていた時代もあったから、余計に一層音楽的地域差が鮮明になって、しばらく経って入り混じったとかいう事情だってあるだろう。

 

 

いまの時代の、あたかもアメリカ一国内での音楽的地域差がかなり薄くなった21世紀のアメリカ音楽だって、そんな地域的音楽差が鮮明だったころの音楽が息づいていて、それがなかったらいまのアメリカ音楽だって、こんな姿じゃないんだよね。でもいまでも音楽における鮮明な地域差はあるそうだ。僕はあまりよく知らない事情なんだけど、ちょっとご紹介しておこう。ニールセンが発表した次のようなデータだ。

 

 

 

これをお読みになれば分るはず。ニールセンが発表したこのデータは、非常に分りやすくアメリカ人音楽リスナーの聴取行動傾向を示している。いまや音楽はネットがあればどこでも聴くことができるようになった。でも音楽を聴く手段は千差万別。iTunes ストアもあれば音楽ストリーミング・サーヴィスもあり、 またモバイル・ディヴァイス、カー・ラジオなど、デジタル音楽サービスが普及しているアメリカならば、なおさら選択肢が分れている。

 

 

上掲インフォグラフィックでは、音楽ストリーミング・サーヴィスを利用している割合 (無料&有料)、音楽を聴くディヴァイス、初めて音楽を見つける (ミュージック・ディスカヴァリー)方法、日常で音楽視聴に割く率を地域別に出している。例えばオレゴン、ワシントン、カリフォルニア、アラスカ、ハワイの西海岸は、音楽ストリーミング・サーヴィスの利用が全米で最も高くなっているし、またどの地域でも音楽を聴く手段にカー・ラジオがあるところは、自動車社会のアメリカらしい。

2017/08/08

レコードや CD を処分しないで

R73259114894366146994jpeg

 

51ppo3mwgpl

 

61az4lwszml_sy355_








(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 17)

 

 

音楽好きじゃない方々にはなんの意味があるんだ?と思われるに違いないのだが、まったく面白くない、もう絶対に聴かないという音楽レコードや CD を処分せずにいつまでも持っておくのは、実はあんがい大切なことだったりする。そうしないと食べていけないとか、なにか深刻で特別な理由がない限り、そう簡単に音楽作品を売ったり処分したりなどしないほうがいい。もちろん背に腹はかえられないというようなことがあったりするとは思うけれど。

 

 

レコードや CD の処分。 僕の言う「処分」とは、もちろん中古レコード・CD 買取・販売店などに売るという意味であって、ゴミとして「捨てる」などという選択肢はない。そんな神をも恐れぬ超非人間的所業なんかはハナから想定していない。しかしそんなことができるメンタリティの持主がこの世に一定数いるのは事実だけれど。いらなくなったらレコードでも CD でも本でなんでもどんどんゴミに出すという人たちが確かにいる。あなた方、それは文化財ですぞ。穴が空いて履けなくなった靴下をゴミ箱に入れるのとはワケが違うんですぞ。

 

 

でも、特に季節の変わり目や引越しシーズンなど、やはり出現するんだよね、Twitter のタイムラインなど僕の見る範囲にも、捨てます、捨てました、というような人たちが出てくる。いくら自分にはもう絶対に不要だからといっても、音楽の好みなんて本当に人さまざまなんだから、捨てるんじゃなく他人の手に渡るようにしてくれないかな。セカンド・ハンドでそれを入手して聴いた人が喜ぶ可能性は十分ある。レコードでも CD でも本でも、中古品であれ、どなたかの幸せにつながれば、それが作品、作家にとっても幸福なんだから。そうなれば最初に買った自分だって嬉しい気持になるんじゃないの?ごくたまにゴミ置場に文庫本なんかが廃棄してあったりなどするのを目撃すると絶望的な気分になって、まるで我身を切られるような痛みを感じるよ。

 

 

だからせめて中古買取店に売ってほしいのだ。あるいは一円にもならないが、興味があるという、あるいはなくても、友人などにプレゼントするとかさ、それもありだ。これらが僕の言う レコードや CD の「処分」。そういえば、僕はいらなくなった CD は売らずにどんどんあげてるなあ。売ればちょっとのお金になるのにどうしてしないのかというと、相手がどんな音楽趣味の持主で、どんな喜び方、喜ばなさ方をするか少しは知っている、つまり音楽的「素性」の分っている人のところに行ってほしいという気持があるからなんだよね。

 

 

でも僕がどんどん人にプレゼントするのは、例えば1987/88年の初回 CD 化の際に全部買ったビートルズの全アルバムを、2009年のリマスター盤でまたもう一回ぜんぶ買ったから、最初のそれらはプレゼントしたとか、マイルズ・デイヴィスのアルバムでも同様の事情が、しかも繰返しあるとか、あるいは、意図せずまったく同じものをダブって買ってしまい、意味がないからあげるとか(以前記事にしたシェバ・ジャミラ&リベルテのライヴ盤なんか、なぜだか五枚も持っていたが、理由がぜんぜん分らない^^;;、二枚はあげた)、そんな事情のものだけだよ。

 

 

一枚しか持っていないのに、面白くなかった、もう聴かないよとなっただけで中古で売った経験は、僕の場合、まだ一度もない。それはしない方がいいという体験をなんどもしているからだ。もう既にみなさんお分りでしょうが、CD を手放すなと僕が主張するのは、自分の音楽の好みや自分のなかでの評価なんてコロコロ変るもんだし、なんど聴いても気づかなかった部分に、何年後かに初めて気づく新鮮な発見があったりするからだ。そんな体験をなんどもなんどもしたから、きっと今後もあるだろうと思う。

 

 

勘がよく耳の超えた優れた音楽リスナーのみなさんであればこんなことはないんだろう。数回聴いて「すべて」が分って、それで不要だと判断して処分なさっているんだろうとは思う。僕はそんなリスナーではない。良さ、面白さになかなか気づかない場合だって多い。こんなものツマンナイじゃん、あるいは場合によっては腹が立ったりして、フ〜ン、もう二度と聴くもんか!とかいう気分になるんだけど、しばらく経って気を取りなおしてもう一回聴くと面白かったり素晴らしかったり、ときには激しく感動したりなど。

 

 

だからほんの五回や十回程度しか聴いていないものを、即断して処分しないほうがいいと僕は思う。個人的具体例を少しあげておこうかな。例えばチャールズ・ミンガスの『直立猿人』。これの面白さが分るのに、僕は20年くらいかかったもんね。約20年間、一曲目のアルバム・タイトル・ナンバーがまぁ〜ったく面白くなかった。ところがそれがいまでは大の愛聴曲。

 

 

またユッスー・ンドゥールの最高傑作と言われる1990年『セット』。これもなんど聴いてもピンと来ず。なんでもない普通のアフロ・ポップじゃないか、次作の『アイズ・オープン』のほうがずっといいなとか、わりと長いあいだ感じていたのが、いまでは完全に逆転している。まぁあの『セット』の素晴らしさになかなか気づかないなんて人間も少ない、というかほぼいないだろうが。

 

 

またこれは以前詳しく書いた山内雄喜の『ハワイ・ポノイ』。これもそもそもオープニングが大の個人的愛聴ソング「ラ・パローマ」であることすら忘れていて、というか気づきすらもしておらず、二曲目以後の印象なんかぜんぜんぼなくて、二、三回聴いてそのまま CD ラックの奥で肥やしになっていたのが、いまではこれ以上に面白い音楽もなかなかないと心の底から信じ、聴くと感動する。

 

 

 

僕みたいなヘボ耳の音楽愛好家にとっては、こんなのはほんの氷山の一角でしかない。ほかにもホ〜ントにたくさんあるわけなんだよね。それでかなり強く痛感しているのが、音楽レコードや CD は処分しないほうがいいということ。いつ、面白く聴えはじめるやら分らないもんね。早いときはその日のうちだが(http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2017-07-28 、荻原和也さんホンマ、スンマセン)、場合によっては何十年もかかったりする。

 

 

ひょっとして僕だけじゃないんじゃないの?だから、音楽レコードや CD を処分しないで。時間を置いてでも、辛抱強く聴き続けて。

2017/08/07

スティーリー・ダンの復活ライヴ、なかなかいいよ

1280x1280








(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 16)

 

 

昨日、エレベ奏者トム・バーニーに言及し、彼はスティーリー・ダンの復活ライヴ・アルバム1995年の『アライヴ・イン・アメリカ』で弾いていると書いたら俄然これを聴きなおしたくなり、いま聴いているけれども、まあやっぱり耳の聴こえはまだまだダメだなあ。よく知っている大好きな既知音源だから、こんな聴こえ方じゃないはずだと分る。まあいい。いまの聴こえ方で感じることだけ書いておこう。それにヘッドフォンで聴くと、スピーカーで聴くよりまだマシなんだよね。これはどうして?スピーカー(やその他空中の音)はダメでヘッドフォンなら OK(に少しだけ近い)というのは、どういう科学的根拠があるの?どなたか教えてください。

 

 

ともあれスティーリー・ダンの1995年リリース作『アライヴ・イン・アメリカ』。これは1980年にファイナル・スタジオ作『ガウチョ』をリリースし、このバンドが活動を停止して以後、初の復帰アルバムだった。もっともこれの二年前、93年にドナルド・フェイゲンのソロ作『カマキリアド』があるにはあった。これもフェイゲンのソロ名義作としては『ザ・ナイトフライ』以来11年ぶりだったもの。そして『カマキリアド』では盟友ウォルター・ベッカーがベースとギターを弾きプロデュースもやっているので、この93年あたりで、最後のほうはこの二名だけのプロジェクトになっていたスティーリー・ダン本格復帰への地ならしができていたんだろう。

 

 

渋谷東急プラザ内の新星堂(ここでかなり買ったのだ、職場へ行く前とか帰りとか、京王井の頭線の乗り降り場所からいちばん近かったので)で スティーリー・ダン『アライヴ・イン・アメリカ』CD 現物のパッケージを見たときは、ちょっと目を疑った。こんなタイトルだからライヴ盤なんだろう?裏ジャケットにははっきりと大規模屋外ライヴ会場みたいなのが写っているし、フランケンシュタインが(死んだ?)美女を抱えている表ジャケットだって、アルバム・タイトルとあいまって、死からの再生のメタファーみたいなものなんだろう(だから復活第一弾盤)?アメリカ・ツアー収録盤か?と分るものの、裏ジャケに書かれてある曲目一覧には、『エイジャ』や『ガウチョ』の収録曲もかなり並んでいたからだ。

 

 

ファンのみなさんには釈迦に説法だけど、スティーリー・ダンのライヴ・パフォーマンスは1974年のものが最後になっていた。スタジオ・アルバムで言えば三作目の『プレッツェル・ロジック』のあたりまで。あのへんまでは、このバンドもまだ「バンド」だったよなあ。あ、そうだ、band という英単語が音楽集団を意味するようになったいきさつについては、しぎょういつみさんの名著『よりみち英単語』p.14で説明されているので、ぜひご一読を。Kindle 版なら Loc. 2502の145。ホント面白いんですよ、この本。

61bt2vnu7zl_sy498_bo1204203200_




 

 






そんな感じで band ではなくなって、ある時期以後ライヴ活動を完全にやめて、オーヴァー・ダビングの繰返し、あまりにも多い回数の録りなおし、気狂いじみた編集作業など、スタジオ密室作業で音楽を創るようになっていたスティーリー・ダンの、そんな方向性における傑作が、上でも書いた1977年の『エイジャ』、80年の『ガウチョ』。がしかしそれゆえに、これら二作で聴ける曲はライヴ演奏など間違いなく不可能だと、周囲やファンはもちろんそう思っていたし、ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカー本人たちだって似たような考えだったんじゃないかなあ。

 

 

それが1995年に店頭に並んだライヴ盤『アライヴ・イン・アメリカ』には、『エイジャ』『ガウチョ』のレパートリーがたくさんあったのだ。しかもスタジオ作、ライヴ作の別を問わず、そもそもスティーリー・ダンの復活第一作だったし、そりゃもう躊躇なく東急プラザ内新星堂のレジに、いつものようにほかの二・三枚と一緒に持っていった僕。

 

 

帰宅して CD プレイヤーでかけた『アライヴ・イン・アメリカ』。一曲目があの「バビロン・シスターズ」なんだけど、客席のかなり小さい音量での喧騒音に続きバンドの演奏がはじまった瞬間に、こりゃ傑作だ!と確信した僕。うんまあ、そりゃスタジオ・オリジナルと比較したならばね、もちろんイマイチなんだけど、これ、一回性・一発録りのライヴ演奏ですから。

 

 

しかも聴いた感じ、録音後にスタジオで手を加えた形跡もない。どの曲もすべてそうだ。全11曲、綿密なリハーサルを繰返したに違いない出来だけど、最終的にはライヴ会場での一発録りをそのまま収録したんじゃないかなあ。ドナルド・フェイゲン/ウォルター・ベッカー・コンビの、というかフェイゲンの、スタジオ密室作業でのあのこだわり方を知っていると、ライヴ・アルバムではかえって逆に修正しない(で済むように準備はしているわけだけど)ままなんじゃないか、そういう性格の音楽家なんじゃないかと僕は思ったりもする。曲間のつながりをスムースにする編集ならかなり綿密にやっているけれど、曲の演奏じたいには手を入れていないかも?

 

 

『アライヴ・イン・アメリカ』。一曲目に「バビロン・シスターズ」を置いた(ライヴ現場でどうだったかは知らない)のは大正解だ。これは見事なツカミだからね。しかし僕がもっと好きなのは二曲目「グリーン・イアリングズ」三曲目「バディサトゥバ」のメドレー。前者が1993年のアーヴァイン(カリフォルニア)公演、後者が94年のデトロイト公演からのピックアップだから、スッと自然につながって聴こえるその部分だけはもちろん繊細な編集作業のたまもの。

 

 

だがこれら二曲での演奏そのものがいいんだよね。僕が一番好きなのは「グリーン・イアリングズ」で叩くピーター・アースキンのドラミングだ。アルバム『アライヴ・イン・アメリカ』では、1993年ツアーでも94年ツアーでも、バンド(ブックレットでは「オーケストラ」との記載)・メンバー編成は、基本、同じだが、ドラムスだけが93年はアースキン、94年はデニス・チェンバーズで、ここだけ入れ替わっている。

 

 

化け物デニス・チェンバーズは本当に awesome(フェイゲンのコメント)だと納得だけど、好みだけで言うと、僕はピーター・アースキンに軍配を上げてしまう。たんにジャコ・パストリアスと一緒だったウェザー・リポート全盛期のドラマーだったからとかいうんじゃない。だいたいあの1970年代末〜80年代初頭ごろのアースキンは、まだまったくたいしたことないじゃないか。

 

 

と〜ころが、『アライヴ・イン・アメリカ』二曲目「グリーン・イアリングズ」でのピーター・アースキンはめちゃくちゃ上手いよ。最高のグルーヴを叩き出している。全般的に素晴らしいが、特にスネアの使い方が気持イイ。アースキンの十八番である例のハタハタ・スタイル。一番カッコイイのがドナルド・フェイゲンがツー・コーラス歌い終えて 1:50 で ウォルター・ベッカーのギター・ソロになるのだが、弾きはじめて以後、途中 2:08 で転調するまでのあいだのスネア・ハタハタがチョ〜キモチエエ〜〜!!

 

 

 

『アライヴ・イン・アメリカ』にある、ピーター・アースキンが叩く1993年ツアー分は、この「グリーン・イアリングズ」と、六曲目の「ブック・オヴ・ライアーズ」(アルバム中、この曲だけウォルター・ベッカーが歌う)、八曲目の「サード・ワールド・マン」と、たった三つだけ。これらのうち、「ブック・オヴ・ライアーズ」は、曲じたいがなんでもないものだと思うのであれだけど、「サード・ワールド・マン」でのアースキン・ドラミングがこりゃまた最高なのだ。ドナルド・フェイゲンも "Erskine perfect" とコメントを寄せている。以下はアルバム収録ヴァージョンそのままではなく、それの現場でのオーディエンス録音。

 

 

 

なんだかピーター・アースキンのドラムスの話しかしていないが、まあねえ、あれなんだ、耳の聴えが悪い現状況下、ドラムスの音なら、バスドラを除き、なぜだかけっこうしっかり聴えてくるんだよね。特に金属音、つまりシンバルやハイ・ハットが目立つが、スネアも聴こえる。ほかの楽器やヴォーカルのサウンドはイマイチだったりダメだったりがまだ続いている。そんなもんで、ドラマーの演奏だけにフォーカスして聴きたい音源なら、いまちょうどピッタリなんだよね。ドラムスだけが、まるでミックスを変えたみたいに浮き上がって聴こえるもん。特にシンバルとハイ・ ハット。

 

 

同じドラマーでも、『アライヴ・イン・アメリカ』ではこっちのほうがたくさん叩いているデニス・チェンバーズのことをほとんど書いていないじゃないかと言われそうだけど、デニスのことはみんな褒めているじゃないか。だから僕が改めて言う必要はないはず。あまり言われないが、ドナルド・フェイゲンが1994年ツアー収録分に混ぜて93年録音分も、それもまるでメドレーみたいにして並べて違和感なしと判断しただけあるという出来だよ、このアルバムでのピーター・アースキンはね。

2017/08/06

「鷹匠」渡辺貞夫

 

 

20160319010628

 

 









(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 15)

 

 

最初にとんでもない妄想を一言書いておく。渡辺貞夫さん、サカキマンゴーさん、OKI さん。このお三人で、ぜひ共演作を創っていただきたい!

 

 

荻原和也さんのブログで、スティール・パン(スティール・ドラム)をフィーチャーするビバップ・バハマのアルバム『ビバップ・バハマ』のことがとりあげられていたなかに、同じスティール・パンのアンディ・ナレルの名前があったのに僕はニンマリ。懐かしく思い出すことがあって二つコメントをつけてしまった。荻原さんの返信にあった「貞夫さんは若手起用の天才」ということについて懐かしいことがいろいろ浮かんでくるので、今日はそれについて少しだけ書いておこう。本当に短い文章になると思うよ。

 

 

 

渡辺貞夫さんは自身のリーダー・アルバムに、というよりもライヴ・ツアーに、その時点ではまだ無名の、しかしかなり有能な若手ミュージシャンをどんどん起用していた。いまでも?いまの貞夫さんの活動はフォローしていないので分らないのだが、貞夫さんは鼻が効くんだよね。だからいわば名伯楽、タレント・スカウト、鷹匠(はちょっと違うのか?)みたいな人なのだ。

 

 

これは以前も書いたけれど、1980年か81年の日本ツアーでの貞夫さんのメンバー紹介。松山市民会館大ホールでのこと。正確な言葉は忘れてしまったが、「本当は別のベーシストを用意してリハーサルも積んでいたんですが、急遽、あるジャズ・マンのバンドに参加することになったので」と貞夫さんは言っていた。そのとき貞夫さんの言う「別のベーシスト」「あるジャズ・マン」が誰なのか、僕が知るわけもない。

 

 

すると少し経ってマイルズ・デイヴィスの六年ぶりの復帰作である1981年の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』がリリースされ、全面的にマーカス・ミラーがエレベを弾いていたのだった。続くライヴ・ツアーを行うカム・バック・バンドにもマーカスが起用された。

 

 

あの貞夫さんのライヴ・コンサートで言われたのがマーカス・ミラーだったとの確証は得られない。マーカスの名もマイルズの名も、貞夫さんはおくびにも出していなかった。出せるわけがない。が、これは絶対にそうに間違いないという確信はあるんだよね、僕には。直接証拠はないものの、種々の状況証拠その他から見て、疑いはないと僕は思う。

 

 

あのとき貞夫さんの言ったのはマーカス・ミラーで、既に貞夫さんの日本ツアーに向けて準備していたにもかかわらず、ビッゲスト・フィギャーに声をかけられたら、そりゃ誰だってそっちを選ぶよねえ。だから貞夫さんとしては、まああっちの方が先輩だしはるかに大物だし、スンナリ諦めざるをえなかったとは思うけれど、実は心中複雑だったかもよ。

あの時点でのマーカス・ミラーが知っていたかどうかは分らないが、マイルズ・バンドの待遇は、ジャズ界では超破格の、というかたぶん最高級の良いものだったんだよね。マイルズ本人はもちろんサイド・メンのギャラといい、ツアーで宿泊するホテルの格・質といい、その他いろんな意味で。1985年にマイルズ・バンドをやめたあとのアル・フォスターがマイルズに電話してきて、「マイルズ、いま僕が泊まっているホテルがどんなものか、見せたいよ」と嘆いたらしい。

 

 

 

 

さらに!その貞夫さんがあのとき(マーカス・ミラーの)代役として急遽起用したエレベ奏者が、なんとトム・バーニー!1980(か81)年なんだよ。マイルズ・ファンならご存知のとおり、トム・バーニーは、マーカス・ミラーの後任として83年にマイルズ・バンドに起用された。僕はマーカスもマイルズ81年の来日公演で観聴きしたが、トム・バーニーも、やはりマイルズ83年の来日公演で、大阪中之島フェスティバルホールで、二日連続で、体験した。

 

 

あの1983年のマイルズ来日公演で初めてトム・バーニーを知ったというファンが多いと思う。僕ら貞夫ファンは、その数年前に知ってたぜ。貞夫さんが起用してくれたおかげでね。メンバー紹介での貞夫さんは「その人が急遽来られなくなったのは残念ですが、代役のこちらの彼も有能ですから大きな拍手を」と言っていたはず。80年とか81年にトム・バーニーを起用できるなんて、貞夫さん、やっぱりすごいタレント・スカウトじゃないか。ロック・ファンのみなさんにとってのトム・バーニーは、スティーリー・ダン復活後のライヴ・アルバム1995年の『アライヴ・イン・アメリカ』で全面的に弾いているので知っているという存在かも。

 

 

マイルズ関係で言うと、貞夫さんは1884年の日本ツアーで、ギターにロベン・フォードを起用。ロベンもまたまた二年後の86年にマイルズに起用されることとなった。マイルズと貞夫さんのこの種のことは、マーカス・ミラー、トム・バーニー、ロベン・フォードの三人でぜんぶのはずだけど、起用したのはみんな貞夫さんのほうが先だったんだぜ。どっちが名伯楽なんだよ?マイルズは若手発掘名人とか、むかしからみんな言うけれどさぁ。貞夫さんのこともちょっとは言ってくれないかなあ。

 

 

スティール・パンのアンディ・ナレルだって、アンディのバンドをそっくり丸ごとそのまま全部バック・バンドに起用した貞夫さんの日本ツアーが何年のことだったか、正確なことを忘れたが、僕の大学院生時代の、たぶん博士課程在籍時だったと思うから、すると1986年か87年だ。少なくとも僕はあのとき初めてアンディ・ナレルというスティール・パン(兼キーボード)奏者を知って、な〜んてカッコイイんだ!スティール・パンってこんなに複雑で高度で繊細な表現ができるものなんだ!って、南洋カリブの、なんだかのどかでのんびりとしたイメージしかなかった楽器(僕のなかでだけ?)だが、180度ひっくりかえってしまった。

 

 

もちろんアンディ・ナレルがそれだけの腕前のスティール・パン奏者だからってことだけど、日本ではまだ無名だったはずのアンディを起用した貞夫さんの眼力がなかったら、それもなかなか知りえないことだったんだよ。かなり遅れてしか知ることができなかったはず。何年のことか忘れちゃったんだけど、そのライヴ・コンサート、一曲目がお馴染「オレンジ・エクスプレス」だったんだけど、そ〜れが!もうカッコイイのなんのって!

 

 

「オレンジ・エクスプレス」の主旋律を貞夫さんがアルト・サックスで吹きはじめる前に、やはりお馴染のリフがあるでしょ、それをアンディ・ナレルのスティール・パン中心でやるんだよ。いきなりカリブ海に突入。貞夫さんの吹く主旋律はイースト・アフリカンっぽいからなあ。しかも貞夫さんがそのアフリカン・メロディのサビ部分を吹くあいだ、その背後でアンディがスティール・パンでギャン、ギャンと伴奏リフを叩くんだけど、裏拍で入れるリフだから、ジャマイカのレゲエみたいなフィーリングもあったんだよ。

 

 

あのときの「オレンジ・エクスプレス」。貞夫さんのアルト・サックス・ソロが終ると、リズム・ブレイクがあって、ドラマーとパーカッショニストだけが叩いているパートがある。バンド全体がなんどかバンバンとブレイク・リフを演奏する合間、ずっと打楽器だけのパートが。そのブレイク部分からアンディ・ナレルはスティール・パン・ソロを叩きはじめるんだよね。

 

 

そしてリズム・ブレイク部(というかあれはブリッジか?)が終る刹那にバンド全体でキメを演奏するんだけど、それに続いて、リズム伴奏付きの本格的なスティール・パン・ソロになる。その出だしでビャ〜ン!って、まるでフル・オーケストラ・サウンドをスティール・パンで出しているみたいな音がする。その瞬間にも〜う、背筋がゾクゾクして震えてシビレちゃった。完璧に僕はイカされちゃったんだよね。

2017/08/05

ジャズというかりごろも 〜 フィーリンとボサ・ノーヴァの時代

Feelingfeelin

 

Xat1245385162








(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 14)

 

 

キューバのフィーリンとブラジルのボサ・ノーヴァに、北米合衆国のジャズの影響はあるのか?ないのか?というちょっと面倒くさいテーマを考えてみようと思う。荷が重いなあ。気が進まない。本格的なものは無理だから、やっぱり短めの文章で、ほんの軽く触れるだけにしておこう。耳もやはりまだあまり聴こえないしね。

 

 

フィーリンとボサ・ノーヴァに、ジャズっぽい「ような感じ」が聴きとれるというのは間違いないことだ。最も顕著にはハーモニーの創り方、コード進行、そして伴奏の楽器編成だ。あ、いや、楽器編成はそうでもないのか?ジャズで最も重要な楽器であるドラム・セットは、フィーリンやボサ・ノーヴァにはないことの方が多い。だから主に和音構成とコード進行かな、フィーリンとボサ・ノーヴァでジャズっぽく聴こえるのは。

 

 

フィーリンとボサ・ノーヴァ。前者の流行の方が先に成立したはず。1940年代末ごろのキューバで、ボレーロ(恋愛歌)の新しい表現方法として、最初はあまり目立たない動きだったが徐々に広がって、しかしフィーリンが本格化するパイオニアだったホセ・アントニオ・メンデスがブレイクしたのは1950年代のメキシコにおいてだった。キューバ本国でなかなか受け入れられなかったからなのか?あるいはマーケット的にメキシコでのほうが活動しやすかったということなのか?これは僕には分らない。

 

 

ところで、このフィーリンの創始者(?)José Antonio Méndez の名前のカナ書きについて、ちょっとだけ。「ホセー」と表記する人がかなり多い。中村とうようさんもホセー表記だ。しかしこの人のライヴ音源で名前が紹介されているのを聞くと José の sé は長い音じゃない。短くホセだ。本人のしゃべりじゃないのでイマイチだけど、僕はだからホセと前から書いている。とうようさんはアクセントのある音節はなんでもかんでもぜんぶ音引きをつけてしまう傾向があっただけだ。まだ日本で知名度のないもの/人の発音がどうなのか、分りやすく示そうとしてそうやったのは理解できる。長音でなくても音引きをつけた。僕たち全員が真似することはない。ぜひ、「ホセ」・アントニオ・メンデスでお願いしたい。

 

 

さて、フィーリンの、はっきりとはしない誕生期はおそらく1940年代末で、流行期は50年代以後。ボサ・ノーヴァのほうはわりとハッキリ言うことができる。アントニオ・カルロス・ジョビンの書いた「想いあふれて」(シェガ・ジ・サウダージ)をジョアン・ジルベルトがギター弾き語りで歌ったレコードの録音が1958年。同じ年に三ヶ月だけ早くエリゼッチ・カルドーゾが同曲を歌ったものが先にレコード発売されているのは以前触れた。ジョアンのヴァージョンも同じ年だし、この58年をもってボサ・ノーヴァ誕生と見ていいんじゃないかなあ。

 

 

 

そう見ると、ボサ・ノーヴァの誕生はフィーリン流行より約10年弱遅かったことになるのだが、まあ同じ1950年代だし、同じ中南米圏だしね。またもっと重要な共通性がある。それはフィーリンもボサ・ノーヴァも、その名称でもハッキリ示しているように(Feelin = 感じ、Bossa Nova = 新感覚)新しい楽曲様式ではなく、演唱の一つの方法論でしかなかったということ。フィーリンもボサ・ノーヴァも新しい流れが生まれたので、それにあわせて新しい曲が当然どんどんできて歌われたものの、曲そのものの新しさではなく「ちょっと違った新鮮な感じでやってみようよ」という程度の音楽傾向だった。だから既成曲もとりあげて料理しなおしたりもした。しかも本質的には従来音楽と違いがない。ボレーロ = フィーリン、サンバ = サンバ・カンソーン = ボサ・ノーヴァ。

 

 

キューバとブラジルで、ちょっと違った感じで音楽をやってみようじゃないかと、こんなふうに彼らが考えていろいろ探して北米合衆国ジャズにヒントを見つけて、そこから「借用」したやり方、感じ 〜 それがフィーリンとボサ・ノーヴァに聴けるちょっとしたジャズっぽい和音構成とコード進行だったんじゃないかなあ。すなわちやはり方法論だったのだと僕は考えている。

 

 

だからそれをジャズの「影響を受けた」とか、あるいはもっと言えば(キューバ音楽やブラジル音楽が)ジャズに「支配された」などと言うのは間違っているはずだ。もしかりにそう言うのならば、フィーリンとボサ・ノーヴァの本質を捉えていないのだと考えざるをえない。もちろんジャズっぽさはハッキリある。だからジャズが、まぁある種「流入」はしている。がしかしこの場合、「影響」という言葉の意味を再定義しないといけないような気がしちゃうんだなあ。

 

 

「影響」ってはたしてどういう意味なんだろう?1950年代なら北米合衆国音楽産業の力は絶大だった。だから一種の支配勢力だったと呼んで差し支えないはず。支配勢力の文化をそのまま受け入れてそれに追従するのを「影響された」といい、一方、流入してくる支配勢力に、あたかも屈服したかのように表面上は装いながら、それをうまく(かりの)「衣」としてまとってみせるものの、実は内面に自国文化の伝統感覚をしっかり維持して離さないのも「影響された」と言うのなら、この「影響」という言葉を安易に使うのは、大衆による音楽文化の動きの本質を隠蔽してしまうだけかもしれないよね。

 

 

キューバのフィーリンやブラジルのボサ・ノーヴァが、表面的にジャズの(仮)衣をまとっているかのように聴こえるのは、あれは戦略としての流用だっただったんだろう。ちょうどこのころ、ジャズの国、北米合衆国ではロックンロールが大爆発し、全世界に大拡散せんとしていた時期だったから、そのままなにもしない、とキューバでもブラジルでも音楽はロックに塗り替えられてしまっていたかもしれない。それを防いで自国の音楽伝統を守り続け、演唱し続け、伝え続けていきたいという気持も彼らにあって、それでジャズの衣を借りてまとっただけの意図的戦略だったのかも。

 

 

ちょうどジョアン・ジルベルトがそんなことを以前しゃべっていたように記憶している。自分たちのボサ・ノーヴァはジャズの影響下で生まれた音楽じゃないんだとハッキリ否定していた。正確にジョアンがどう発言したのか、いま手許にないので曖昧な記憶だが、確かにそう言っていたぞ。ジャズっぽさは「かりごろも」だみたいな言い方はしていなかったと思うけれども。

 

 

つまり、ロック大流入への防波堤の役目になったということだと思うんだよね。ブラジルだと、ジョアンの直後の次世代にあたるカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルらが、米英ロックにかなり強く「影響された」ような新音楽をやっていたが、彼ら新世代のなかにもサンバ以来のブラジル音楽の伝統がしっかり根付いて離れず息づいて、血肉となっているじゃないか。それはジョアンに代表されるボサ・ノーヴァ・パイオニアたちがやったことのおかげじゃないかなあ。

 

 

カエターノは「MPB の歴史は二つの時代に分けられる、ジョアン・ジルベルト以前とジョアン・ジルベルト以後に」と、中原仁さんのインタヴューにこたえて明言したそうじゃないか。

2017/08/04

マイルズの中流音楽

Unknown

 

Milesdavis

 

 

 






(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 13)

 

 

今日(7/31)は文章を書く気がしない。耳の聴こえがかなりダメだからだ。ぜんぜん聴こえないわけじゃなく、ちょっとは聴こえるのだが、しかしどんどん悪化する一方だなあ、この僕の右耳。どうなってんの?そこそこ聴こえるというところまでアンプで音量を上げると、今度はスピーカーからの音が割れてビリビリ鳴って、しかもベースやバスドラなどの低音で床があまりにもズンズン振動しすぎてしまい、テーブルも鳴り、こりゃまるで低級ディスコだ。

 

 

しかし発症からちょうど二週間。マジでどんどん悪くなっているのだけれど、治る見込あるのか、この耳?いまちょうど夏休み中で、今日も午後は耳鼻科に行くけれど、医者に思いのたけをぶちまけて泣かないとダメだなあ、こりゃ。最終的には手術しないといけないかもしれませんと、土曜日(7/29)に言われている。こんな状態が続くようであれば、音楽愛好家としてはちょっとどうなの?じゃあとっとと手術してもらおうかな?それで聴こえが改善されるかどうか分らないが、どっちみち聴こえなくなるのであれば、なにかトライしなくちゃ。

 

 

そんなわけでいま午前中はなにも書く気がしないけれど、それでもちょっとだけなにか書いておこう。マイルズ・デイヴィス関連で。そんな必死こいて毎日書かなくたって休めばいいじゃないか、アンタのブログ更新なんか、そんな誰も期待してないぞ、休め休め、うるさくなくなってこっちはせいせいするぞと言われるかもしれないが、ゴメンナサイ、そうはいかんのだ。まったくなにも音楽を(聴こえないなりに)鳴らさず、文章も一行も書かないとなると、そっちのほうが僕のメンタルはずっとひどく落ち込んでしまうんだよね。

 

 

こんなようなことも、吐き出す愚痴もなにもかも、耳の聴こえが改善しさえすれば、消えてしまうはず。100%戻ることはもう期待していない。70%か、せめて50%でも戻ってくれば、ぜんぶ吹っ飛んで消えてなくなってしまうのは分っている。ケロッとなにごともなかったかのように僕はふるまうだろう。それまで(って、いつまで?いつ治る?)お目障りであれば、どうぞ僕のブログは無視してくださって結構。

 

 

だから本当に少しだけマイルズについて書いておこう。具体的音源の話は耳が聴こえないんだから無理。したがってマイルズ関連で、前から僕がちょっと気になっていることにかんし、少し触れておきたい。

 

 

なにかというと、マイルズは、マイルズ・ミュージックは、決して貧乏労働者や低層の味方なんかじゃないってことだ。どっちかというとマイルズの音楽は、どの時代でも常に、白人インテリ層中流向けのものであり続けている。むかしから、その後も、そしていまもそうだ。まったく変わっていない。

 

 

その最大の原因は、ひょっとしたらマイルズの生い立ちにあるのかもしれない。生誕の地はイリノイ州アルトンだが、ここはセント・ルイスとほぼ同じといっていいほどの近隣で、マイルズ一歳のときに家族で同州イースト・セント・ルイスに引っ越して、その後マイルズもニュー・ヨークに出てくるまで同地で育った。

 

 

そのマイルズの両親というのが、父は歯科医、母は学校教師で、息子は1926年生まれという世代のことと、黒人であることを考えたら、かなりいいほうの階層じゃないかなあ。低く見ても裕福中流に違いない。実際、マイルズ本人も食べるに困ったりなどはぜんぜんなく、なに不自由しない子供時代を過ごしていた。

 

 

それに第一にだ、ニュー・ヨークに来てからも、長いあいだマイルズには父(も同名のマイルズ)からまあまあな額の仕送りがあったのだ。チャーリー・パーカー・コンボを卒業して独立しソロ活動するようになって以後も、父マイルズからの仕送りはずっと続いていた。あの仕送りはいったい何年ごろなくなったんだろう?ひょっとして1955年に大手コロンビアと秘密契約し、アドヴァンス・マニーみたいなものをもらうまで続いていたんだろうか?

 

 

そんなこともあってか、まあ育ちのいい、言ってみれば「いいとこのボンボン」だったマイルズ。それがいくら憧れだったからといっても、いきなりニュー・ヨークの、あんな苛烈で生き馬の目を抜かんばかりのビ・バップ・ムーヴメントの渦中に飛び込んでいったわけだから、じゃあさんざん苦労して、世間の底を舐めているかのような人たちの気持が分るようになって、そんな人たち向けの音楽を志向するようになったのかといえば、まったくならず。

 

 

チャーリー・パーカー・コンボ時代からあんなお上品なトランペットを吹いていたマイルズだが、初リーダー作品が例の『クールの誕生』だもんね。面白くて僕は好き(この際はっきり言うが、ムード・ミュージックとしてだよ)なんだが、一般的見方としては、西洋白人音楽寄りの、難解で、とっつきにくい、実験的室内楽じゃないか。だからいま JTNC 系のみなさんにとりあげられるんだよね。ああいった最近のジャズ(周辺)は、要はクラシック音楽に寄っていっているわけだから。

 

 

ジャズ(・ファン、専門家含め)関係者のクラシック音楽コンプレックスって、いったいいつまで続くんだろう?「早くクラシックになりた〜い!」っていう、むかし『妖怪人間ベム』っていうテレビ・アニメ番組があったんだけど、みなさんご記憶でしょうか?

 

 

マイルズの『クールの誕生』だって、結果的に(僕にはムード・ミュージックに聴こえる)あのソフトでフワフワしたサウンドに仕上がって悪くないと思うけれど、あんなもの、貧乏マイノリティは聴かないね。ましてやいまから30年以上前に寺島某が、なんだっけ、学究的に聴けとか学問的に聴けだっけ?なんだかそんなようなことをこのアルバムについて書いていたんだけど、あれが某靖国と僕との出会いだったので、その後現在まで、無視していい存在だと分ってしまった。

 

 

まあしかし『クールの誕生』にはじまり、 その後もマイルズ・ミュージックの基本線はずっとこれだった。裕福中流のリスニング・ルームで聴くための音楽。これをぜんぜん踏み外したことがない。1970年代にファンク・ミュージックをやっていた時期のものだって、以前僕は、汗臭さ(=ファンク)をまったく感じない「知的ファンク」だと書いたことがあるが、体の芯から思わず滲み出てくるかのようなクッサ〜イものは、マイルズ・ファンクにはないよね。

 

 

 

だから、あの1970年代にファンキーだった(ように僕は思う)時代のマイルズの音楽も、購買層のメインは欧州系白人だった。コンサート会場の客層も、実際、白人が多かったようだ。マイルズ本人はこのことを嘆いていて、「どうしてオレのコンサートにはブラック・ピーピルが少ないんだ?オレはオレの音楽に彼らを取り戻したい」と発言していた。がしかし、マイルズ、本気でそんなこと思って発言していたのか?本気だったとしたら、音楽家としての自己認識・分析能力がなさすぎるんじゃないの?

 

 

つまり、今日、僕が言いたいことは要はこれ 〜 自分は中流インテリであるくせに、低層貧乏労働者の味方であるようなことを言って、音楽もそんなものが好きであるかのような格好をし、強く愛好するかのようなフリをしている、いや、フリではなく本人はマジでそういうものが好きだと心底思い込んでいる 〜  こんな僕のこれは、まさしくマイルズ・デイヴィスのありようそのまんまだ。

 

 

だから僕はマイルズが好きなんだろうか?う〜ん…、どうなんでしょう?

2017/08/03

78回転SPの「古い」音が好き!

Unknown

 

Mi0003677649

 

Alexis_zoumbas1











(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 12)

 

 

いま、アフリカ音楽集の『オピカ・ペンデ:アフリカ・アット・78・RPM』と東南アジア音楽集『ロンギング・フォー・ザ・パスト:ザ・78・Rpm ・エラ・イン・サウス・エイジア』の二つのボックスを聴きながら、いや、聴くというよりも、耳の聴こえがやはりまだダメなのでなんとなくボヤ〜ッとしか聴こえないそれらをダラダラ流しながら考えているのだが、アフリカやアジアでもアメリカでもどこでも、僕はどうやらこういった78回転 SP(グラモフォン)の音が大好きなんだなあ。

 

 

アメリカのそんな時代のジャズとブルーズの話はふだんから散々書きまくっているのであれだけど、それらのことをやっぱり今日も書こう。だってね、ホント〜ッに心の底から大好きでたまらないんだ、僕は78回転 SP の音がね。と言っても僕が聴いてきているのは、リイシュー LP やリイシュー CD だけ。SP 盤そのものの音はまだ一度しか耳にしたことがない。そんなに好きだというならそれじゃあダメじゃんと言われるのは必定だけど、経済的その他いろんな理由があって、SP 盤蒐集は諦めざるをえない。

 

 

一度だけの機会を除き(おそらく今後もない)、100%リイシュー・アルバムでしか聴いていない78回転 SP の音は、あんがい悪くない。それどころかかなりいいぞ。この世界のことをあまりご存知でなく、1970年代あたり以後からの録音物でしか音楽を聴いたことがあまりない方々には、SP の「音がいい」と言うとエエ〜ッ??!!って言われるんだけど、たくさんお聴きになっている方々からは、おそらく賛同の意を表明していただけるはずだ。

 

 

僕が(アメリカでの場合)1950年あたりまでの SP 盤時代の音楽が大好きだという理由は大まかに分けて二つある。一つは、第二次大戦後にようやく誕生したような新興ジャンルではない、19世紀後半〜20世紀初頭に花開いた種類のポピュラー・ミュージックの場合、その後約50年間ですっかり爛熟し絶頂期を迎えたので、そのいちばんいいときの姿は SP 盤にしか残されていないということ。

 

 

そりゃ誰だっていちばんよかったころの姿を知りたいんじゃないのかなあ?ジャズでもなんでも好きになればなるほど、そういう気持になるはずだ。最も輝かしかった時代の音を、それがたとえ現在の録音基準ではかると「悪い」録音状態だと言われるものでしか聴けないのだとしても、やっぱりぜひとも聴いてみたい、聴いて、絶頂期の姿を知って、できうれば愛したい 〜 こういう気持になるもんじゃないの?それが音楽愛好家の至極当然のありようじゃないか。もうはっきり言っちゃうが、そういう考えに至っていないジャズ専門家なんか、ジャズのことがぜんぜん好きじゃないんだよね。

 

 

録音技術の誕生・普及によってレコード産業が成立し、大規模なものになってレコード商品がどんどん売れるようになって以後の時代における音楽の変化速度は、それまでの何千何百年という人類音楽史のことを考えたら、全く比較にならないほど速い。あっという間に、場合によっては一年もかからずに新スタイルが誕生・拡散し、またまた次の別の新スタイルが出てくる。

 

 

そんなようなことになった20世紀以後は、だからジャズでもブルーズでも、アメリカじゃない他の国のなんでもいいが、既にあった音楽が、腐り落ちるギリギリ寸前の最高の旨味を発揮している爛熟状態にまで到達するのに50年も60年もかかったりするわけがない。だから上で書いたように古くから存在する種類の音楽のいちばんいいものは、78回転の SP 盤でしか聴けないんだよね。SP 盤そのものじたいで聴くのはいまではちょっと特別な機会じゃないと難しいので、そんな音源を LP でも CD でもなんでもリイシューしたアルバムで聴けばいいんじゃないか。それで充分(と僕は自分に言い聞かせている)。

 

 

そんなこと 〜 ジャズでもなんでも好きな音楽のいちばんいいものが SP 盤音源の世界にしか存在しない 〜 これが僕が SP 音源集を聴く一つの理由で、そしておそらく最大のものだろう。

 

 

もう一つは、最初のほうで触れたように SP 時代の音ってあんがい良いいんだよね。それが僕は好きなのだ。でもそうじゃなくても SP 時代の古い音は、ただ単に「古い」からという理由からだけで好きだという部分が僕にはある。いまはコンピューターでノイズ除去をするのが当たり前になったのでなかなか聴けなくなったが、復刻 LP なんかじゃよく聴けた SP 音源の スクラッチ・ノイズ。あれが聴こえるだけで、もうそれだけで、愛おしい。

 

 

振り返って考えるに、僕も最初からそんな古い時代の音が好きだったわけじゃない。いくらなんでもそれはありえない。ジョナサン・ウォードやその他大勢や、日本でなら保利透さんや毛利眞人さんやその他お三方のように、僕もその音楽そのものや、時代や、その時代と音楽のありように興味を持ったのがはじまりだ、そんな時代の音楽が素晴らしいんだと、いろんな(ジャズだと、最初のころは主に油井正一さんの)本で読み 、そんなにいいのなら是非聴きたい!油井さんやその他のみなさんがあんなに褒めるルイ・アームストロングやデューク・エリントンの1920年代録音をぜひ聴きたいぞとなって、手探りでレコードを買って聴いたみたのがまず最初のとっかかりだったはず。

 

 

だから最初は音の「状態」そのものが好きだったわけじゃなく、最高傑作なんだからとみなさんが言うその音の「中身」にだけ興味があった。正直に告白するが、最初はキツかったよなあ。例えばサッチモの二枚、CBS ソニー盤 LP の『サッチモ 1925-1927』『ルイ・アームストロングの肖像1928』だって、買って聴いた最初のころは、こ〜りゃ厳しい、特に28年録音集のほうがダメだ、あのズティ・シングルトンのドラムスなんだかなんなんだか、あのチャカポコ音はなんだこりゃ?!となっていて、25〜27年録音集の方がもっとマシなように聴こえていた。

 

 

この、サッチモの1920年代オーケー録音では、28年より25〜27年が(音質も)いい、特に27年の録音がいちばん状態が良いんじゃないかというのは、実はいまでもそうだと思っている。ウソだと思う方は、ぜひ聴きなおしてみてほしい。サッチモのコルネットの音だって、28年のより艶があって輝かしく聴こえるよ。スタジオ(やライヴなど)現場などでの生音は逆だったはずなのにねえ。

 

 

サッチモでも誰でも、僕もさすがに最初はこんなひどい音は厳しいと感じながら、またもう一つ正直に告白するが、しばらくのあいだは「我慢しながら」聴いていたのだった。この我慢は録音状態についてだけでなく、演奏内容にかんしても我慢していた。みんなあんなに褒めるのに、いったいどこがいいんだこれ?だいたいこんな悪い音(と当時は思っていたのが、いまでは正反対の気持)では演奏内容の良し悪しなんか判断できるかっ!という気分だったのだ。

 

 

SP 時代のジャズ音楽で、一度聴いた即その瞬間に「こ〜んりゃ楽しい!」と感動したのは、ベニー・グッドマン楽団の1930年代ビッグ・バンド録音の数々と、少しあとのグレン・ミラー・オーケストラと、デューク・エリントン楽団の1940年ヴィクター録音と、その数年あとのチャーリー・パーカーの一連のサヴォイやダイアル録音と、それくらいだけだったんじゃないかなあ。それらぜんぶ、SP 時代としてはもう末期、というかいちばん新しい部類なので、音は良い。演奏も最高なのだが。

 

 

デューク・エリントン楽団でも、そのヴィクター録音の1940年録音分が B 面だったレコードの A 面は1920年代録音集で、「ブラック・アンド・タン・ファンタシー」とか「ザ・ムーチ」とか「クリオール・ラヴ・コール」とか代表作が並んでいたが、そしていまではそれら20年代録音が好きで好きでたまらない僕だが、むかし最初にレコード買って聴いたころは、はっきり言うがまあしんどかった。サッチモの20年代オーケー録音集同様に。

 

 

しかしなんどもなんども繰返し聴いたのだ。素晴らしいんだ、最高の名演集なんだと油井正一さんその他のみなさんがおっしゃるのを信じて、僕も分るようになりたい!という一心で、そりゃもう毎日毎日厳しい思いに耐えながら聴いたのだった。本当に繰返し繰返し。カセットテープにダビングしたそれを。だってレコードはあまり頻繁に再生を繰返すと、磨耗して音が劣化するとみんなが言うからさぁ。あれって本当なんですか?

 

 

硬いスルメをがしがし噛んでいるうちに美味くなってくるようなものなのか、あるいは女性にとってのセックスみたいなものなのかどうなのか、僕は男性なもんでそこは分りませんが、最初はつらかった1920年代のジャズ録音が、だんだん快感になってきてヤミツキになって、とうとうどうやってもやめられなくなって、それは痛いことが快感になるというマゾヒズムではなく、ふつうの意味で本当に気持良くなってきたんだよね。あの古い音じたいが超快感になって、ある時期以後いまは、もう絶対に離れられない。

 

 

そうすると「古い」とは感じなくなってきて、だから今日最初から書いているように、SP(音源)の音って、あんがい、かなり良いと聴こえている。どうして SP の音が良いと思うのか、中音域がしっかりしているとかなんとか、オーディオ面の科学的分析でなにか言えることがあるんじゃないかと思うんだけど、そのあたりは素人の僕にはサッパリ分らないので、できる方にお任せしたい。僕なりに表現すると、なんだか丸くてまろやかでふっくらしていて、とげとげしくなく、特にヴォーカルなどが生々しく響く。(リイシュー)CD ですけどね、聴いているのは。

 

 

いや、ヴォーカルだけじゃないなあ、まあ主にヴォーカルの音が良いなと思う SP 音源だけど、それ以外でもソロでフィーチャーされているトランペットやサックスやクラリネットなどの管楽器も良い響きだし、ヴァイオリンなんかも素晴らしく活き活きとした生々しいサウンドに聴こえる。ウソだと思う人は、ぜひアメリカで録音したギリシア人ヴァイオリニスト、アレヒス・ズンバスの1920年代録音集『ア・ラメント・フォー・エピルス 1926-1928』を聴いてみてよ。腰抜かすよ。

2017/08/02

レコード・リリースの年月日もかなり重要

Md2317724930

 

51s2low6efl











(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 11)

 

 

ディスコグラフィ(はもともと録音物目録の意ではなく、録音物研究の意)など各種情報源の類には記載されない場合もあるレコード(CD、配信)の発売年月日。音楽の日付で最も重要視されるのは、むかしもいまも、あくまでパフォーマンスが行われた当日の年月日だ。録音しないライヴ・コンサートであれば、もちろんそれだけでいい。そもそも聴衆を前にして行うライヴは、それがリリース= お披露目、発売なわけだから、その日付さえあればいい。それが録音・録画されパッケージ商品となるのは副次的なことだ。

 

 

ところが、スタジオ(やフィールドなど)での録音となると、それじたいは聴衆を面前にしない(場合が多い、例外はある)もので、スタジオには音楽家とプロデューサーと、エンジニアその他の録音技師などレコード会社関係の人たち。演唱される音楽をその場でそのまま同時に耳にできるのは、本人たちを除くとそれらの人たちだけ。

 

 

スタジオ録音物が公にお披露目されるのは、もちろんレコード商品となってリリースされたとき。演唱時がそのまま同時に公開時となるライヴ・パフォーマンスとは、この点で非常に大きく異なっている。言うまでもなく録音技術発明・普及以前の長い長い時代には、やはりこの二つは同時だった。生演奏しか存在しないわけだから。あ、いや、西洋クラシック音楽その他の譜面出版があるか。あれも確かに「音楽作品の発売」だったよなあ。う〜ん…、譜面出版のことは今日は無視するしかない。あくまで録音に限定しよう。

 

 

となると、僕たち一般聴衆が音楽作品に触れるのは、演唱が行われるまさにその瞬間に同時体験できるライヴ・コンサートか、そうでなければレコードなどの録音物を、なにかの店か自宅かどこかにおいて再生装置で聴くか、この二つしかありえないはずだ。それでライヴ・コンサートの場合は演唱/聴取の時間ギャップがないわけだから、今日の僕の話題では問題が小さい。問題はスタジオ録音され、レコード商品となって発売されるものの場合だ。

 

 

何年何月何日に録音が行われたのか?ということは、もちろんものすごく重要なことだ。みんなそう考えて疑っていないからこそ、それが記載されないディスコグラフィなど存在しえない。そんなものは無価値だ。何年何月何日に録音が行われたのか?というデータは、当の音楽家がその録音時においてどんな状態・過程にあったのか?録音時に、音楽の背後にどのような社会状況があって、どんな影響を受けたのか?また録音前にどんな音楽作品が既に存在していて、それらからどのような影響を受けたのか?そもそもどれを聴いていたのかどうか?などなど、諸々を判断できる最大の根拠だ。

 

 

しかしいま直前で示唆したように、その音楽家のその作品録音時にどんな音楽作品が世に出ていたのか?をちゃんと知るためには、レコード(CD)がいつ発売されていたのかが分らないと判断できないよね。これが僕の言うリリース年月日重視説の根拠だ。もちろん重視する方はむかしからたくさんいて、発売年月日をちゃんと記してあるディスコグラフィも多い。というか、全体から(って「全体」を僕は知らないが)すれば、そっちの方が多いように見えている。

 

 

レコードのリリース年月日が記されない場合もしばしばあるのは、一つには、録音年月日よりは重視しなくていいという認識がまだまだある?のと、もう一つは、調べてもちゃんとした日付が判明しない場合もたくさんあるからなんじゃないかという気がする。まあこれは録音年月日でも同じだけれどね。ディスコグラフィのたぐいに録音日付の記載がない音源だってかなりある。分らないものは記しようがないんだから。この調べても判明しないというケースが、リリース日付の場合はもっとグンと増えるんじゃないかなあ。

 

 

調べても分らない最大の原因を推測するに、レーベルやレコード会社側も、録音日付は記録してあっても発売日付は記録しないケースがあるらしいんだよね。というのは、録音は一回こっきりだから日付も一個だけ。これを記録するのはたやすい(はず)だし、記録する意味も大きい。ところが発売は一回だけじゃないもんね。複数回発売されるケースが多いじゃないか。

 

 

〜 言うまでもないが、一回だけしかリリーされず、売れず、まったく売れないので再発もされず、そのまま埋もれて、世の多くの人々の記憶に残ってすらもいないという音楽レコードが全体の大部分を占めているはず。アメリカ合衆国音楽だと、特にこれがひどい。アメリカほどクズ音楽レコードを、それも膨大な数を、一世紀半以上もどんどん発売し続けている国は、世界にほかにない。〜

 

 

そんなわけで、記録しやすく、記録する意味も大きい録音日付と違って、リリース日付は記録されなかったり、同一内容の音楽作品が(パッケージングなどを少しずつ変えて)なんども繰返し再発されている場合には、そもそも会社側もワケが分らなくなってしまうのかもしれないよなあ…、なんてことはないか、まあでも全部を記録することは難しいんだろう。それにかなりの音楽愛好家を除き、多くの人はなんども再発されるような、そんな人気音楽商品を買って耳にしているんだろう。僕もそうだ。

 

 

とは思うものの、「初回」リリースの日付はやはり一個しかないわけだから、これは記録しておいてくれてもいいんじゃないかなあ。なんども再発される場合でも、できうればぜんぶ記録しておいてほしいのだ。なぜならば、優れた音楽作品であればあるほど、発売されるたびに毎回再評価され、毎回の発売時に初めて耳にしたという世の人たち、特に音楽家に再び影響を及ぼすからだ。その影響具合を詳しく考えようとしたら、(毎回の)リリース日付が分らないと難しいんだよね。会社によっては、また同じ会社でも重視している大物音楽家の場合は、それらをぜんぶしっかり記録してあって、だからいま僕の手許でも参照できることも多い。そう、つまりマイルズ・デイヴィスの場合がこれだ。だいたいぜんぶ分っている。考える際には助かるんだよね。

 

 

一つの音楽作品が発売されたことで、それが世のなかにもたらしたインパクトや、その後のいろんな人たちの音楽展開に与えた影響など、それらを考える際には、やっぱりリリース年月日こそが重要なんだよね。ある意味、録音年月日以上に重要かもしれないと僕は考えている。

 

 

例えばボブ・ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』とフランク・ザッパの『フリーク・アウト』の関係とか、ザッパの『アブソルートリー・フリー』とビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の関係とかさ、かなり面白く興味深いものがあると思うよ。これらの関係を考えるためには、やはり発売年月日の正確なところを知りたいよね。本人たちもそうだし、リスナーたち、社会との関係も。

 

 

また、「その後のいろんな人たちの音楽展開に」と書いたが、録音技術が普及してレコード商品が一般流通するようになると、外国にもたらされることが容易になった。最初は本国盤の輸出入だったかもしれないが、ある時期以後は発売当国でプレス作業をやることも一般化した。

 

 

ある国のある音楽作品が、他国にいつ入ってきたのか?当国プレス盤はその国でいつ発売されたのか?など、情報がどんどん交錯して複雑化することになる。僕の言うリリース年月日重視説は、こんな事情も当然含んでいる。当たり前だ、そりゃそうだろう、僕が今日強調しているのは、音楽レコード商品(やそのラジオ放送などその他いろいろ)が、世のなかに、人々に、特に音楽家に、リアルタイムでどのようなインパクト、影響をもたらしたかを考える際には、ということなんだから、同じ作品でも国によって発売年月日が異なるものは、そのデータがすべてほしい。そもそも「世界同時発売」などという謳い文句が当たり前になったような現在より以前は、すなわちほんのちょっと前までは、すべての音楽商品は国によって発売年月日が異なっている。直接の輸入だって、当然本国での発売よりは後だ。

 

 

そうなると、一つの音楽作品が発売されて、それを聴いたその国の人たちがそれをどう聴いて、どう捉え、どう考えて、その国の社会にどんなものをもたらして、また特にその国の音楽家にどれくらいの影響を及ぼしたのか?そもそも彼らはいつそのレコード(CD)を買って聴いたのか?〜 これを考えるには、やはり各国別のリリース日付が重要になってくるはず。最低でもいつ(なんらかの意味で)輸入されたのか、知りたい。

 

 

しかしこんなことになると、今日ここまで僕が書いてきたことをぜんぶ克明に記録して、ディスコグラフィカルな一覧にして(紙でも電子データでも)出版するのは、やっぱりかなり難しい、というか、まあ不可能なんだろう。う〜ん…。すべてのリリース年月日が判明すれば、もっともっと録音音楽作品の研究、だけじゃなく楽しみ・面白さも拡大すると思うんだけどなあ。

2017/08/01

声と楽器

Instruments

 

Fullsizeoutput_8db












(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 10)

 

 

ジャズとショーロとクラシック。ヴォーカルものもたくさんあるけれど、この三つは基本的にはやっぱりインストルメンタル・ミュージックだよね。しかもなんだかこれら三つは関係があるみたい。クラシック音楽の話はできないが、ジャズとショーロは大好きなポピュラー・ミュージックだから、いままで僕もたくさん書いてきている。でもまあやっぱりジャズだよなあ、僕にとっては。いまみたいなショーロ好きになったのだって、ちょっとジャズみたいじゃないかと感じたからだもん。

 

 

だからやっぱりジャズの話に限定しよう。ヴォーカルなしの楽器演奏オンリーというものがやっぱり多い、というか大部分そうだと思うジャズだけど、最近の僕はこれがどうもちょっとイマイチな感じがする。人の声を聴きたい、というのはたんに僕が寂しがっているだけかもしれないが、日常生活では僕だって誰の声も聞かないなんて日は少ない。おやすみの日は一日中部屋のなかで音楽を聴くだけの生活で誰とも会わないけれど、そうじゃない日は自分もしゃべるし、他人の声も聞く。

 

 

だから人肌恋しいみたいな気分で人声聴きたいというのでもないはずだと思うんだけどなあ。それなのに自室で聴く音楽がインストルメンタルものばかりになってしまうのがイヤだから、ヴォーカルものとのバランス、混ぜ具合を考えて、インストルメンタルものを聴いたら、次はヴォーカルものとか交互に聴く、というのではもはやなく、いまの僕がふだん聴く音楽の九割程度がヴォーカル・ミュージックで、インストルメンタル・ミュージックはその合間にほんのちょっとだけ流すという、そんな具合になっている。

 

 

また昔話。大学生のころジャズ・レコードばかりどんどん聴いていたころは、この事情がまったく違っていて、楽器演奏のみのジャズ・レコード(がやっぱりジャズでは多いからなあ、特にモダン・ジャズは)ばかりをどんどん続けて聴いていた。そりゃもう何時間でも続けて聴いていたよなあ、楽器演奏ばっかり、飽きもせずそればっかり。ジャズ・ファンになってしばらくして戦前古典ジャズの虜となってこのあたりが多少変化はしたものの、それでもインストルメンタル演奏の方に、より強く惹かれていたのは間違いない。

 

 

あのころのことから考えると、いま僕がヴォーカル・ミュージック中心の音楽生活を送っているなんて、ちょっと不思議というか妙というか。いまは楽器演奏のソロでも、ヴォーカル・パートのあいだにほんのちょっと、四小節とか八小節とか出てきたのでもう充分すぎるほど満足な気分で、ソロなんかなくたって、歌のオブリガートでちょろっと演奏するのが聴こえたり、歌に入る前のイントロ部で楽器演奏があったりなどなど 、もうそれくらいで充分満たされた気分。

 

 

だからそんな気分から逆算すると、ハード・バップとかフリー・ジャズとか、ロックでも1960年年代末後半〜70年代初頭のものとか、延々何十分もソロを吹いたり弾いたり叩いたりする音楽はちょっと勘弁してほしいのだ…、という気分になっているかというと、実はそんなことはない。ああいったものはそれはそれで聴けばかなり楽しめる。おそらくグレイトフル・デッドあたりが発端で、1990年代あたり?に大流行した(している?)ダラダラ即興演奏をやっているだけみたいなジャム・バンドだって、いまでもやはり好きなんだよね。聴けば楽しいよ。

 

 

しかしながら全体量からすれば、そんなモダン・ジャズ(含むフリー)とか一時期の一定傾向のロックとかジャム・バンドみたいなものを聴く回数は減っていて、UK クラシック・ロックでも、まだ演奏が長時間化する前の存在だったビートルズその他や、また、ある時期までのローリング・ストーンズやなどのレコード(CD)などなら、今日僕がいちばん言いたい<声/楽器>の配分具合が実にいいのだ。バランスがいい。一曲の時間も長くない。三〜五分程度で、ヴォーカルによる歌がメインで、楽器演奏はあくまでそれを支える役目。イントロ部、中間部のソロ、歌のオブリガート、ほぼこれだけ。イイネ。

 

 

これが、やっぱりいまでもいちばん好きなロック・バンドであるレッド・ツェッペリンとなると、スタジオ録音作品ではそんなことないものの、ライヴ演奏ではいつも長尺。ときに、これは無意味なんじゃないか、どうしてこんなに延々やるんだ、しかもさほどのメリハリもなく…、と思ってしまう。むかしは唯一のライヴ盤だった『永遠の詩』一枚目 B 面の「幻惑されて」(Dazed And Confused) のこと。大学生になって長尺インプロのジャズ演奏が好きだったころにはよく聴いたあの「幻惑されて」だが、いまやスキップしている。

 

 

あのへん、ツェッペリンもやはり1960年代末デビューという時代のロック・バンドらしかったということなんだろうなあ。グレイトフル・デッド的なジャム・バンド風で、さらに、ブルーズ・ベースのハード・ロック・バンドだからあまり言われないが、プログレシッヴ・ロック的な部分も色濃いといまでは思う。プログレは、キング・クリムズンがそうであるようにブルーズを土台に置いていないから、ツェッペリンとプログレはあまり結びつけられないんだけどね。

 

 

ロックの話はいいとして、ジャズ。じゃあいまのキミは、基本、ヴォーカルがメインで、楽器演奏は脇役のものがいいというのなら、ジャズ・ヴォーカリストの作品をどんどん聴いているのか?と思われそうだけど、歌手一本でやっている専業ヴォーカリストのものは、実はそんなにたくさんは持っていないのだ。いや、持ってはいるが、日常的にどんどん聴くものは限られている。ビリー・ホリデイの戦前コロンビア系録音全集10枚組とか、戦後だけどエラ・フィッツジェラルドの例のソング・ブック・ボックス(on ヴァーヴ)16枚組とか、あと少し。それらは「本当に日常的に」聴いている。

 

 

そんでもってビリー・ホリデイの10枚組のほうなんかは、それらの大部分を占めるテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッション(でビリーが歌ったもの)の事情をご存知のみなさんには釈迦に説法だけど、もともとビリーをフィーチャーする目的で録音されたものじゃない。ビリーはあくまでワン・コーラス歌うだけの、言葉は悪いが<添え物>にすぎないもんね。ステーキをオーダーすると皿の脇にちょこっと載っているポテトとか人参とか、そんなもんなのだ。いや、そうでもないのか。あの一連のブランズウィック・セッション、むろんインストルメンタル演奏オンリーの曲もたくさんあるが、歌手を起用しているものでは、歌と演奏が50対50くらい?いや、歌30で演奏70くらいか?

 

 

いずれにしてもあのテディ・ウィルスンのブランズウィック全セッション、ビリー・ホリデイだけじゃなくほかの歌手も同様だけど、フル・コーラス歌っているものなんかは一個もない。ぜんぶワン・コーラスだ。それだけ。ただ、楽器演奏のソロのほうだとワン・コーラスやっていることなんか絶対なくて、四小節とか八小節とかでトランペットやクラリネットやサックスなどのソロがどんどん流れてくるだけだから、それに比べれば、まだ歌手はフィーチャーされていると言える?

 

 

そんななかからビリー・ホリデイが歌った録音だけがピック・アップされ、ビリー名義の10枚組に収録されているわけなんだよね。それらは、今日、僕がいちばん言いたい人声/楽器のバランスが実にいいんだ。心地良い。ヴォーカルか楽器演奏かのどっちかだけに傾いてはいない。ちょうどいい配分具合なんだよね。

 

 

こんな事情が、戦前古典ジャズ録音では多い。上の方で触れたことをようやく書けるけれど、専業歌手名義の録音集よりも頻繁に僕が聴いているのは、楽器奏者兼歌手だというジャズ・ミュージシャンの録音集。誰の?などと問わないで。ビ・バップ勃興前までは多くがこれだったのだから。たいていみんな楽器もやって歌もやる。それが当たり前のナチュラルなジャズ・ミュージシャンのありようだった。

 

 

だから誰のどれでもいいが、二例だけあげると、ルイ・アームストロングのオーケー録音集でもライオネル・ハンプトンのヴィクター録音集でも、サッチモはコルネットを吹きながら歌い、ハンプもヴァイブラフォンを叩きながら歌っている。インストルメンタル・オンリーの曲もあれば、ヴォーカルの方に大きな比重が置かれてあるものだってある。それらが混ぜこぜに流れてくる 〜 これがいいんだ。

 

 

モダン・ジャズ愛好家に戦前古典ジャズを、お勉強ではなく好きで、楽しみで、どんどん聴くという人が多くないように見えるのは、ひょっとしたらこのせいもあるのかな?楽器ソロにだけ集中して耳を傾けることができないし、ちょろっと出てきてはすぐ終わるので「本格的」じゃないし、じゃあヴォーカルにフォーカスしているのかというとそうでもないっていう、言ってみれば<曖昧な>この古典ジャズのありようがお好きじゃないのかな?

 

 

他人のことはまったく分らないがゆえ書けないが、僕自身はそんな<人声/楽器>の混ぜこぜ具合が五目炒飯みたいになっていて楽しんだけどね、戦前古典ジャズは。以前、まぁ〜ったくなんの関係もない(はず)ラテン・ロック・バンド、サンタナ関連でも、こういうことは書いた。サンタナも歌だけ or 楽器演奏だけ、っていうんじゃないもんね。混ぜこぜになっている(ことが多い)。

 

 

 

楽器演奏もいいが、人の歌声をもっと聴きたいんだよね。いまの僕はね。

 

« 2017年7月 | トップページ | 2017年9月 »

フォト
2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ