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2017/08/11

ファンキーでポップになっていったマイルズ

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 20)

 

 

以前、ウェザー・リポート関連で、サウンドがポップになったりファンキーになったりするのを嫌うジャズ・ファンは、実に世界中にいるんだと書いた(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-2b77.html)。これと同じ事実はマイルス・デイヴィスにかんしても当てはまる。

 

 

マイルズがポップになったと言えるのは、私見では1985年以後、特に88年以後だけど、ファンキーになったのは1969年あたりからだと思うので、時代順にそっちの話からしておこう。曲単位で言えば同69年2月録音の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」(アルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』B 面)が、マイルズ録音史上初のエレクトリックなファンキー、いや、ファンク・ナンバーだ。

 

 

だが、約半年後の録音だった二枚組『ビッチズ・ブルー』も含め、この1969年のライヴ・ツアー(を行なった当時のレギュラー・バンドを、通称ロスト・クインテットという)音源を聴くと、まだまだぜんぜんファンキーじゃない。それどころか60年代フリー・ジャズにかなり接近しているような音楽を繰拡げていて、まぁあれじゃないかなあ、30年以上前から言う人がいたが『ビッチズ・ブルー』は、一面、60年代フリー・ジャズの落とし前をつけるみたいな部分もあったから、そこだけ取り出してグッと拡大したようなライヴ・パフォーマンスだったんだよね、69年バンドは。

 

 

ファンキーさと抽象さのあいだでどっちつかずで揺れているような状態が解消され、ライヴ演奏でも明快にファンキーで、リズムもファンクっぽいタイトなものになり、全体的なサウンドも聴きやすく分りやすいものになったのは1970年の夏ごろから。スタジオ録音作でもこの前後あたりから、例えば『ジャック・ジョンスン』みたいなものが出てくるようになっていた。

 

 

ところがですよ、世のジャズ・ファン、あるいは熱心なマイルズ愛好家のあいだでも、1969〜71年あたりのマイルズ・ミュージック、特にライヴ音源で最も人気が高いのは69年のロスト・クインテットものなんだよね。これは間違いないというかなり強い個人的実感がある。マイルズ69年ライヴのブートレグ音源はトレードしましょう、コピーしてくださいという種類の依頼メールが、各国から以前はよく届いていて、いまでも少し届く。反対に70年半ば以後のものは、僕が YouTube にどんどんアップロードしているものにだって、関心を示す世界のジャズ・ファン、マイルズ愛好家は少ない。その差たるや、愕然となってしまうものがある。

 

 

じゃあどういう方々が1970年代半ば以後のファンキーな(ファンクな)マイルズ・ミュージックに関心を示すのかというと、主にロックやファンク、リズム&ブルーズなどがお好きな音楽リスナーたちなのだ。あと、ジャズ・ファンでもコテコテのがお好きな方は面白がるし、また僕みたいにマイルズの音楽ならなんでもぜんぶ聴きたいというキチガイじみた愛好家も、これまた世界中にいる。さらに外国の(セミ・)プロの音楽ライターさんも、仕事柄なのか、興味を示す場合がある。

 

 

しかしふつうの(ってなにが「ふつう」か、基準が分らないが)ジャズ・ファン、マイルズ聴きにとっては、電化サウンド導入後で一番「良い」のが1969年ロスト・クインテットだとなってしまうらしいんだよね。その後のファンキー、いや、ファンクそのものみたいなマイルズ・ミュージックには無関心。嫌悪する場合すら多い。

 

 

1970年代マイルズのスタジオ・アルバム(は五作しかないが)で最もファンキーなのは、72年リリースの『オン・ザ・コーナー』と74年リリースの『ゲット・アップ・ウィズ・イット』だ。しかしこの方面をしっかり本気で掘り下げる気持がある方には、これら二作そのものよりも、2007年リリースの CD 六枚組ボックス『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』をぜひにぜひにと強く推薦しておきたい。

 

 

『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』は1972〜75年のマイルズ・スタジオ録音作品の(可能な範囲での)全集だからだ。だから『オン・ザ・コーナー』はぜんぶあるし、『ゲット・アップ・ウィズ・イット』も、70年録音の一曲「ホンキー・トンク」を除き、ぜんぶある。

 

 

さらに重要なことは、『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』には、もっともっとファンキーでカッコいいファンク・チューンがたくさんあるんだよね。それらの多くが1970年代当時は未発表のままだったか、未 CD 化だったか、(ブートレグしかないなど)著しく入手が困難になっていたものだ。面白いことは、この六枚組でじっくり辿ると、ファンキーさにポップさを加味していくようになったプロセスも垣間見え、復帰後1985年あたりからのポップ・マイルズ路線の先駆けみたいな部分すら感じるものがあるんだよね。

 

 

具体的に少し触れておくと、『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』CD5の最後の三曲「ヒップ・スキップ」「ワット・ゼイ・ドゥー」「ミニー」が面白い。三つともオフィシャルには2007年まで完全未発表だったもので、最初の二つが1974年11月6日、最後の「ミニー」が75年5月5日の録音。

 

 

 

 

 

特に最後の「ミニー」はかなりポップでスウィートで、メロウさすらあって、かなりいいんじゃないだろうか。これ、2007年まで未発表だったけれど、ブートレグには「アンタイトルド・ラテン」の名で収録され、マイルズきちがいはみんな知っていたもの。そう、ラテンっぽい曲だよね。前年の1974年10月7日録音で、『ゲット・アップ・ウィズ・イット』一枚目 B 面に収録されすぐに公式リリースされた「マイーシャ」に続く系統だけど、「ミニー」には「マイーシャ」にない程度の甘いポップさがある。ところで、曲題はミニー・リパートンのことなんだろうね。

 

 

1975年のマイルズ・スタジオ録音はこれ一曲しか確認されていないので、そのままなにかのアルバムに収録してなどでは発売することができなかった。しかし、何年か遅れてでももっと早く、もしかりに発売されていていたら、1981年の復帰後85年あたりからポップでメロウになったマイルズのことも、みんなにもっと理解してもらえたんじゃないかなあ。コロンビア最終作の85年『ユア・アンダー・アレスト』のこととかさあ。

 

 

『ユア・アンダー・アレスト』には二曲のポップ・チューン「ヒューマン・ネイチャー」(マイクル・ジャクスン)と「タイム・アフター・タイム」(シンディ・ローパー)があるばかりか、ほかの収録曲も、ポップ・チューンというに近いディスコ・ナンバー「サムシングズ・オン・ユア・マインド」(D・トレイン: https://www.youtube.com/watch?v=jHXSowK9plU)があったり、タイトなファンク・チューン「カティーア」があるかと思うと、超変態ジャズ・ナンバー「ユア・アンダー・アレスト」(難曲!)があったりもする。

 

 

さらにマイルズ自身の既存曲でも、『ユア・アンダー・アレスト』トップには「ジャック・ジョンスンのテーマ」(1970)の焼き直しである「ワン・フォーン・コール/ストリート・シーンズ」 があって、ほかの二名にくわえマイルズ本人がラップ・ヴォーカルを披露…、と呼んでいいのか、ただフツーにしゃべっているだけだが、ただこれ以前にはありえないことだったし、はっきりしたポップさだ。マイルズがしゃべっている言葉の内容は、自ら体験した深刻な黒人差別の告発だけどね。

 

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