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2017/08/09

アメリカ音楽の地域差

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(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 18)

 

 

アメリカ人音楽家は、ライヴでのメンバー紹介の際に必ずと言っていいほど、「どこそこ州(どこそこ町)出身のだれそれです」って言うよね。日本人音楽家でこれを必ず言うという人は少ないはず。僕の知っている範囲の日本人音楽家で、自分のライヴ・ステージで、起用している外国人でも日本人についても必ずこれを言うのは渡辺貞夫さんだ。アメリカ人なら、例えば「サン・フランシスコのベイ・エリア周辺から…」だとか、また「ジャマイカ生まれで、水泳の奨学金をもらって渡米、そしていまどうしてだかこのステージに立っているという…」だとか、日本人でも「野力奏一、京都出身です」とか、貞夫さん、言ってたもんなあ。

 

 

貞夫さんのああいった姿勢は、やっぱりアメリカ人ジャズ・メンの例にならったということなんだろうか?アメリカ人音楽家ならば、ジャズだろうとロックだろうとなんだろうと、ほぼ全員がライヴ・ステージでこれを言う。リーダー格、あるいはおしゃべり担当(アイヌのヴォーカル・グループ、マレウレウだとまゆんさん)のメンバーか、あるいは司会者みたいな人がいる場合でも、みんな出身地を紹介するじゃないか。

 

 

出身地を紹介しない場合も当然あるんだろうし、日本人でもどこの人でも、紹介する場合だって多いんだろう。メンバー紹介で出身地を言うというこの慣習は、音楽の場合、地域性が音楽性と密着しているせいもあるからなんじゃないかという気がする。むろん、たんに誰かのひととなりを紹介しようと思ったら、音楽家に限らず、出身場所を告げるのが当たり前のことではあるんだろう。だが特にアメリカ音楽の場合は、国内での音楽的地域差、地域的特色差を踏まえないと面白さが分りにくい場合があるように思う。

 

 

アメリカ音楽の場合、演奏家の出身地を告げる=どんな持味の音楽家であるか、どんな音楽的特徴があるかの名刺代わりになるケースがかなりあるように見受けられる。国が違えば、あるいは大陸や諸地域など大きなエリアが違えば音楽が変わるのは当たり前のことだから、それは今日はまったく考慮に入れていない。あくまでアメリカ合衆国という同一国内での地域差の話だ。

 

 

別にジャズがアメリカ最初のポピュラー・ミュージックじゃないだろうが、商業化、特にレコード産業が本格化した時代に乗って、そのままジャンルじたいが大流行しはじめたのがジャズ。それにしてはジャズ界初のレコードは1917年とあんがい遅いが、これには事情がある。今年はピッタリ100年なので(ジャズ録音史100周年に際し、今年中になにか書くつもり、大晦日にでもアップできれば)、だからアメリカ音楽産業が、レコードの普及で大爆発し、産業じたいが活性化した最初のきっかけは、やはりジャズによってだったと言って差し支えないんじゃないかなあ。そのジャズは、同国南部ルイジアナ州ニュー・オーリンズで誕生した。これに異を唱える専門家がむかし少しいたみたいだが、いまやそんなヘソ曲がりは消えた。ジャズはニュー・オーリンズで生まれた。これは間違いない。

 

 

ジャズ・ミュージックの特色を考える際には、生誕の地がニュー・オーリンズであったことと、この都市の文化的特色を踏まえないと、十分に理解することができないんだよね。これについては詳しいことを今日書く必要はないと思うので、もしかりにご存知なくてご興味のある方は、油井正一さんの二冊『生きているジャズ史』『ジャズの歴史物語』をお読みいただきたい。僕なんかが説明するより100万倍よく理解できる。

 

 

カリビアン・クリオール文化の北米大陸における<首都>とも呼ぶべきニュー・オーリンズで生まれたジャズだから、この音楽のなかにも、主にニュー・オーリンズ・クリオールたち(がジャズ誕生期の主役)が担い表現し、その後(いわゆる)黒人、白人ジャズ・メンにも色濃く流入したカリブ〜ラテン音楽文化要素が存在する 〜 しかし、こういったことが今日問題なのではない。

 

 

今日僕が言いたいことは、そんなニュー・オーリンズで産まれたジャズがアメリカ全土に拡散してのちのことだ。全米各地で、その州その州の、その都市その都市の独自音楽に変化した。その背後には音楽と密接に結びついているローカル・カルチャーの存在があって、それが音楽にも反映されて、音楽的特色の地域差を生んだのだと思う。

 

 

ことジャズだけに限定しても、ニュー・オーリンズの次にジャズのメッカになったシカゴ、そしてニュー・ヨーク、カンザス・シティなど。すべてジャズ・メンの傾向や演奏の特色が異なる。ニュー・オーリンズ、シカゴ、ニュー・ヨーク、カンザス、これらすべて第二次世界大戦前にジャズ(関連)音楽が花開いた都市だけど、戦後なら西海岸もメッカの一つになった。同じ西海岸でもサン・フランシスコとロス・アンジェルスでは、やはり音楽性が異なっている。

 

 

いまは情報拡散のスピードがとんでもなく速く、その日にできあがった音楽を即ネットにアップロードして、現実の物理的距離があってもネットではそれはゼロに近いから、アップした次の瞬間に、遠く離れた場所にいるほかの音楽家がパソコンかスマホで聴いて、イイネと思って自分の音楽に取り入れるなんてことも朝飯前だが、むかしはそこまでではなかったから、ある時期まで、地域差は保たれたままだったはず。

 

 

そして地域差が保たれないと誕生すらもしなかったような種類のアメリカ音楽もあったんじゃないかとも思うのだ。ニュー・オーリンズがあんなふうでないと(あんなかたちの)ジャズなんか絶対に誕生しえなかったのも典型例だが、それ以外でも、例えばブルーズ・ミュージックだって、深南部の黒人共同体内部でしか産まれえなかったものだが、その後、北部や全米各地に飛散して地域差を獲得したし、またカントリー・ミュージックだって、ブルーズほど深い場所でないにしろ、やはり南部の田舎町で誕生し、しかもそもそも聴衆層の中心として南部田舎町の白人を想定して存在していた。

 

 

この点では(も)黒人ブルーズと白人カントリーは共通性がある。もともとカントリー・ミュージックは、黒人ブルーズのレパートリーを白人がとりあげて、ヒルビリー・ブルーズとして彼らなりにやったところがそもそもの出発点だということも大きいが、両者とも(最初は主に)南部田舎町で、(黒人・白人の)労働者階級のアイデンティティに訴えかけるようにデザインされた音楽だったということが言えるはず。カントリーはそもそもそういうものとして1920年代に誕生した。ブルーズのほうは「デザイン」化されるようになる前の時代から存在していたので、その時代には100%マジで対面して貧乏黒人ブルーズ・メンが貧乏黒人労働層を相手にしていたんだろう。

 

 

アメリカ南部や、南部でなくとも一定の地域、都市、州の地域性に根ざしたアメリカ音楽は、ジャズ、ブルーズ、カントリー以外にもいくつもある。ロックやソウルやヒップ・ホップの世界その他でもたくさんあるじゃないか。ネイティヴ・アメリカン(アメリカン・インディアン)の音楽。サザン・ロック、LA スワンプ、LA メタル。サザン・ソウル、メンフィス・ソウル、フィリー・ソウル、デトロイト・サウンド。ヒップ・ホップも、ある程度イースト、ウェスト、サウスと、そのサウンドで区別されたりするみたいだ。ジャズやブルーズに地域差があるように、カントリーだってナッシュヴィル・サウンドとベイカーズフィールド・サウンドは違う。

 

 

まあ第一には、(ある時期以後の)アメリカ合衆国は国土面積が広いというのと、その広大(にその後なる)国土も、ある部分がもともとスペイン領だったりフランス領になったり、また戻ったりして、結果的にアメリカ領になっただとか。またメキシコ領になったかと思うとアメリカ領になったりだとか。

 

 

そんな事情もあるし、またアメリカ国内に住む人たちだって、先住民族(の子孫)たち以外はすべて他国・他地域からの移民(の子孫)たちであって、さらにそれがその後ミクスチャーした。だから祖先たちがアメリカ大陸へやってくる前に住んでいた場所の音楽文化の記憶が DNA 的に残っていたりもしたんだろう、しかも人種・民族によって居住地域を限定されていた時代もあったから、余計に一層音楽的地域差が鮮明になって、しばらく経って入り混じったとかいう事情だってあるだろう。

 

 

いまの時代の、あたかもアメリカ一国内での音楽的地域差がかなり薄くなった21世紀のアメリカ音楽だって、そんな地域的音楽差が鮮明だったころの音楽が息づいていて、それがなかったらいまのアメリカ音楽だって、こんな姿じゃないんだよね。でもいまでも音楽における鮮明な地域差はあるそうだ。僕はあまりよく知らない事情なんだけど、ちょっとご紹介しておこう。ニールセンが発表した次のようなデータだ。

 

 

 

これをお読みになれば分るはず。ニールセンが発表したこのデータは、非常に分りやすくアメリカ人音楽リスナーの聴取行動傾向を示している。いまや音楽はネットがあればどこでも聴くことができるようになった。でも音楽を聴く手段は千差万別。iTunes ストアもあれば音楽ストリーミング・サーヴィスもあり、 またモバイル・ディヴァイス、カー・ラジオなど、デジタル音楽サービスが普及しているアメリカならば、なおさら選択肢が分れている。

 

 

上掲インフォグラフィックでは、音楽ストリーミング・サーヴィスを利用している割合 (無料&有料)、音楽を聴くディヴァイス、初めて音楽を見つける (ミュージック・ディスカヴァリー)方法、日常で音楽視聴に割く率を地域別に出している。例えばオレゴン、ワシントン、カリフォルニア、アラスカ、ハワイの西海岸は、音楽ストリーミング・サーヴィスの利用が全米で最も高くなっているし、またどの地域でも音楽を聴く手段にカー・ラジオがあるところは、自動車社会のアメリカらしい。

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