« ジャズというかりごろも 〜 フィーリンとボサ・ノーヴァの時代 | トップページ | スティーリー・ダンの復活ライヴ、なかなかいいよ »

2017/08/06

「鷹匠」渡辺貞夫

20160319010628









(いま耳が聴こえにくいので音楽の細かいことが分らないシリーズ 15)

最初にとんでもない妄想を一言書いておく。渡辺貞夫さん、サカキマンゴーさん、OKI さん。このお三人で、ぜひ共演作を創っていただきたい!

荻原和也さんのブログで、スティール・パン(スティール・ドラム)をフィーチャーするビバップ・バハマのアルバム『ビバップ・バハマ』のことがとりあげられていたなかに、同じスティール・パンのアンディ・ナレルの名前があったのに僕はニンマリ。懐かしく思い出すことがあって二つコメントをつけてしまった。荻原さんの返信にあった「貞夫さんは若手起用の天才」ということについて懐かしいことがいろいろ浮かんでくるので、今日はそれについて少しだけ書いておこう。本当に短い文章になると思うよ。
渡辺貞夫さんは自身のリーダー・アルバムに、というよりもライヴ・ツアーに、その時点ではまだ無名の、しかしかなり有能な若手ミュージシャンをどんどん起用していた。いまでも?いまの貞夫さんの活動はフォローしていないので分らないのだが、貞夫さんは鼻が効くんだよね。だからいわば名伯楽、タレント・スカウト、鷹匠(はちょっと違うのか?)みたいな人なのだ。

これは以前も書いたけれど、1980年か81年の日本ツアーでの貞夫さんのメンバー紹介。松山市民会館大ホールでのこと。正確な言葉は忘れてしまったが、「本当は別のベーシストを用意してリハーサルも積んでいたんですが、急遽、あるジャズ・マンのバンドに参加することになったので」と貞夫さんは言っていた。そのとき貞夫さんの言う「別のベーシスト」「あるジャズ・マン」が誰なのか、僕が知るわけもない。

すると少し経ってマイルズ・デイヴィスの六年ぶりの復帰作である1981年の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』がリリースされ、全面的にマーカス・ミラーがエレベを弾いていたのだった。続くライヴ・ツアーを行うカム・バック・バンドにもマーカスが起用された。

あの貞夫さんのライヴ・コンサートで言われたのがマーカス・ミラーだったとの確証は得られない。マーカスの名もマイルズの名も、貞夫さんはおくびにも出していなかった。出せるわけがない。が、これは絶対にそうに間違いないという確信はあるんだよね、僕には。直接証拠はないものの、種々の状況証拠その他から見て、疑いはないと僕は思う。

あのとき貞夫さんの言ったのはマーカス・ミラーで、既に貞夫さんの日本ツアーに向けて準備していたにもかかわらず、ビッゲスト・フィギャーに声をかけられたら、そりゃ誰だってそっちを選ぶよねえ。だから貞夫さんとしては、まああっちの方が先輩だしはるかに大物だし、スンナリ諦めざるをえなかったとは思うけれど、実は心中複雑だったかもよ。

あの時点でのマーカス・ミラーが知っていたかどうかは分らないが、マイルズ・バンドの待遇は、ジャズ界では超破格の、というかたぶん最高級の良いものだったんだよね。マイルズ本人はもちろんサイド・メンのギャラといい、ツアーで宿泊するホテルの格・質といい、その他いろんな意味で。1985年にマイルズ・バンドをやめたあとのアル・フォスターがマイルズに電話してきて、「マイルズ、いま僕が泊まっているホテルがどんなものか、見せたいよ」と嘆いたらしい。

さらに!その貞夫さんがあのとき(マーカス・ミラーの)代役として急遽起用したエレベ奏者が、なんとトム・バーニー!1980(か81)年なんだよ。マイルズ・ファンならご存知のとおり、トム・バーニーは、マーカス・ミラーの後任として83年にマイルズ・バンドに起用された。僕はマーカスもマイルズ81年の来日公演で観聴きしたが、トム・バーニーも、やはりマイルズ83年の来日公演で、大阪中之島フェスティバルホールで、二日連続で、体験した。

あの1983年のマイルズ来日公演で初めてトム・バーニーを知ったというファンが多いと思う。僕ら貞夫ファンは、その数年前に知ってたぜ。貞夫さんが起用してくれたおかげでね。メンバー紹介での貞夫さんは「その人が急遽来られなくなったのは残念ですが、代役のこちらの彼も有能ですから大きな拍手を」と言っていたはず。80年とか81年にトム・バーニーを起用できるなんて、貞夫さん、やっぱりすごいタレント・スカウトじゃないか。ロック・ファンのみなさんにとってのトム・バーニーは、スティーリー・ダン復活後のライヴ・アルバム1995年の『アライヴ・イン・アメリカ』で全面的に弾いているので知っているという存在かも。

マイルズ関係で言うと、貞夫さんは1884年の日本ツアーで、ギターにロベン・フォードを起用。ロベンもまたまた二年後の86年にマイルズに起用されることとなった。マイルズと貞夫さんのこの種のことは、マーカス・ミラー、トム・バーニー、ロベン・フォードの三人でぜんぶのはずだけど、起用したのはみんな貞夫さんのほうが先だったんだぜ。どっちが名伯楽なんだよ?マイルズは若手発掘名人とか、むかしからみんな言うけれどさぁ。貞夫さんのこともちょっとは言ってくれないかなあ。

スティール・パンのアンディ・ナレルだって、アンディのバンドをそっくり丸ごとそのまま全部バック・バンドに起用した貞夫さんの日本ツアーが何年のことだったか、正確なことを忘れたが、僕の大学院生時代の、たぶん博士課程在籍時だったと思うから、すると1986年か87年だ。少なくとも僕はあのとき初めてアンディ・ナレルというスティール・パン(兼キーボード)奏者を知って、な〜んてカッコイイんだ!スティール・パンってこんなに複雑で高度で繊細な表現ができるものなんだ!って、南洋カリブの、なんだかのどかでのんびりとしたイメージしかなかった楽器(僕のなかでだけ?)だが、180度ひっくりかえってしまった。

もちろんアンディ・ナレルがそれだけの腕前のスティール・パン奏者だからってことだけど、日本ではまだ無名だったはずのアンディを起用した貞夫さんの眼力がなかったら、それもなかなか知りえないことだったんだよ。かなり遅れてしか知ることができなかったはず。何年のことか忘れちゃったんだけど、そのライヴ・コンサート、一曲目がお馴染「オレンジ・エクスプレス」だったんだけど、そ〜れが!もうカッコイイのなんのって!

「オレンジ・エクスプレス」の主旋律を貞夫さんがアルト・サックスで吹きはじめる前に、やはりお馴染のリフがあるでしょ、それをアンディ・ナレルのスティール・パン中心でやるんだよ。いきなりカリブ海に突入。貞夫さんの吹く主旋律はイースト・アフリカンっぽいからなあ。しかも貞夫さんがそのアフリカン・メロディのサビ部分を吹くあいだ、その背後でアンディがスティール・パンでギャン、ギャンと伴奏リフを叩くんだけど、裏拍で入れるリフだから、ジャマイカのレゲエみたいなフィーリングもあったんだよ。

あのときの「オレンジ・エクスプレス」。貞夫さんのアルト・サックス・ソロが終ると、リズム・ブレイクがあって、ドラマーとパーカッショニストだけが叩いているパートがある。バンド全体がなんどかバンバンとブレイク・リフを演奏する合間、ずっと打楽器だけのパートが。そのブレイク部分からアンディ・ナレルはスティール・パン・ソロを叩きはじめるんだよね。

そしてリズム・ブレイク部(というかあれはブリッジか?)が終る刹那にバンド全体でキメを演奏するんだけど、それに続いて、リズム伴奏付きの本格的なスティール・パン・ソロになる。その出だしでビャ〜ン!って、まるでフル・オーケストラ・サウンドをスティール・パンで出しているみたいな音がする。その瞬間にも〜う、背筋がゾクゾクして震えてシビレちゃった。完璧に僕はイカされちゃったんだよね。

« ジャズというかりごろも 〜 フィーリンとボサ・ノーヴァの時代 | トップページ | スティーリー・ダンの復活ライヴ、なかなかいいよ »

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「鷹匠」渡辺貞夫:

« ジャズというかりごろも 〜 フィーリンとボサ・ノーヴァの時代 | トップページ | スティーリー・ダンの復活ライヴ、なかなかいいよ »

フォト
2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ