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2017/08/31

R&B とは Ruth Brown のこと

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と言われたほど売れた女性歌手ルース・ブラウン。レコード・デビューが1949年のアトランティック盤「ソー・ロング」で、アトランティックにはそのまま1960年まで在籍し(というか60年代はほぼ引退同然状態だった)、レコード=すべて45回転シングル盤を出し続け、ことごとくヒットした。ルースがあまりに稼ぐので、アトランティック社屋は<ルース御殿>との異名までとるようになった。つまり看板スター。

 

 

ところで関係ない話かもしれないが、このルース御殿(the house that Ruth built)という表現について付言しておく。スポーツの世界、特にアメリカ野球に関心のあるみなさんには釈迦に説法だが、あるいは黒人音楽ファンと層が重なっていない部分があるかもしれないから。ルース御殿(the house that Ruth built)とは、ヤンキー・スタジアムのことなのだ。ルースとはもちろんベイブ・ルース。

 

 

2009年に新ヤンキー・スタジアムが建設されるまで、ニュー・ヨーク・ヤンキーズの本拠地だった旧ヤンキー・スタジアムは1923年に建設されたものだが、その費用をヤンキーズにもたらしたのがベイブ・ルース(1920年にレッド・ソックスから移籍、その移籍にまつわる諸々もあるのだが省略)の大活躍による稼ぎだったのだ。当初はマンハッタンに建てる計画もあったらしいのだが、地価があまりにも高いということでブロンクスになった。2009年のシーズンから使用されている新ヤンキー・スタジアムもブロンクスにあるが、それの起工式が行われた2006年8月16日はベイブ・ルースの58回忌だった。

 

 

だからルース御殿のあだ名が音楽界のアトランティック社屋についたのだって、もとは野球界の表現を借用したものだったのだ。アメリカ音楽の場合だから野球との関連が強く、ほかにもいろいろとあるけれど、世界的に見て音楽界と最も縁の深いスポーツはサッカーにほかならない。まあでもルース・ブラウンの歌そのものとは特にこれといった関係のない話ではあったな。ごめんなさい。

 

 

さて上で書いたように家庭を重視するようになって第一線を一時退く1960年までが、やはりルース・ブラウンの一番いい時期だったのは間違いないから、その後もレコードを出してはいるけれど、1949〜59年録音に話を限定したい。僕が持っているのはたった一枚のベスト盤『ロッキン・イン・リズム:ザ・ベスト・オヴ・ルース・ブラウン』だけだが、充分だと思う。これはちゃんとアトランティックがやった仕事だ(ライノだけどね)。

 

 

『ロッキン・イン・リズム:ザ・ベスト・オヴ・ルース・ブラウン』は全23曲で、最後の二曲は1959年5月のアトランタ公演をライヴ収録したもの。その二曲は1996年にこのコンピレイションが出るまで未発表のものだったらしい。それ以前の21曲が1949〜59年のアトランティック盤45回転レコード音源。附属ブックレットに全曲のチャート最上位が書いてあるが、どれもこれも順位一桁台の大ヒット。本当に楽しい。

 

 

この1949〜59年のルース・ブラウンは、どう聴いても僕にはダイナ・ワシントン・フォロワーであるように聴こえる。例えば一曲目のデビュー・シングル「ソー・ロング」とか、また、ルースの生涯初ナンバー・ワン・ヒットである二曲目の「ティアドロップス・フロム・マイ・アイズ」とか、もうこのへんは間違いなく先輩ダイナのイミテイション・スタイルだ。特に「ソー・ロング」なんか、もうソックリそのまんまじゃん。けなしているのではない。

 

 

 

 

このあたり、ルースもまだかなりジャジーだ。(ジャンプ系)ジャズ歌手というに近いフィーリングだよね。ダイナ直系なんだから当然だ。ルースはその後も基本的にはこの路線で歌っているんだけど、ダイナと大きく違う面もある。それはダイナがどっちかというとブルーズ寄り、というか本質的にはブルーズ・シンガーだったのに比べ、ルースにはブルーズ色は薄く、もっとポップなフィーリングの方が強いんだよね。

 

 

アトランティック社屋が自らの名で呼ばれるほど10年間レコードが売れまくったという背景には、ルースの持つこのポップなフィーリングがあったおかげに違いないと僕は見ている。単にリズム&ブルーズ歌手というだけでは、いくら時代の最先端黒人音楽だったからといっても、そこまでは売れないはず。この点では、ルースのデビュー時にはすでに人気がかなり落ちていたが、1940年代のルイ・ジョーダンに通じるものがあるかもしれない。二者ともジャズ〜ブルーズ〜ポップの真ん中あたりに位置する資質・感覚を持っていて、それを発揮してビッグ・ヒット・メイカーになった。時代が違うだけに、ルースのほうはリズム&ブルーズの女王となっただけだ。

 

 

あ、そういえば僕は以前、ビッグ・ママ・ソーントンの記事で、彼女をリズム&ブルーズの女王と呼びたいと書いたことがあったよねえ。

 

 

 

このとき、ビッグ・ママの録音のなかにはラテン・フィーリングがかなり濃厚に表現されている場合があって、アメリカ黒人音楽におけるラテン要素なんて当たり前の話ではあるけれど、それでもそんなリズム&ブルーズを下敷き(の一部)にしてロック・ミュージックも産まれたんだから、米英ロックにラテン・アクセントが聴けても当然だと指摘してある。

 

 

『ロッキン・イン・リズム:ザ・ベスト・オヴ・ルース・ブラウン』で聴くと、ラテン・フィーリングはルースにも当然のようにある。それも曲によってはそれがかなり濃厚だ。まず最初が5曲目の「シャイン・オン」(1951)。次いで7曲目の「ダディ・ダディ」(1952)。一番露骨なのが12曲目の「マンボ・ベイビー」(1954)。

 

 

 

 

 

特に三つ目の「マンボ・ベイビー」が、もうこの上なく最高に楽しいよねえ。なかでもハンド・クラップが入っているあいだなんか、もう言うことなしの極上フィーリング。チャカチャカと効果絶大で、素晴らしいエンターテイメント・ミュージックだ。間奏部でテナー・サックス・ソロがあるあたりはやはりリズム&ブルーズ・マナーだが、ルースが軽くポップに歌っているところがあるのもイイネ。

 

 

そう、ルースは軽くポップで柔らかいというか、あまり黒人歌手らしくないストレートでスムース歌唱なのだ。だからこそ売れたんだと思うんだけど、そして売れまくったからこそリズム&ブルーズの女王の呼称が与えられ、アトランティック社屋がルース御殿と呼ばれたわけだけど、エグ味とアクと粘り気の強い黒人歌手がお好きなみなさんには、ルースはイマイチな感じがするかもしれないよね。

 

 

黒人歌手でジャズやリズム&ブルーズやゴスペルやソウル界にいながらも、そんなポップでスムースな歌い方をして人気だったというと、ルース・ブラウン以外にも、ナット・キング・コールやサム・クックなどがいる(まあこの男性二名は直接の影響関係があるが)。ルース含め、ああいった歌手たちのことを、熱心な黒人音楽愛好家は遠ざける場合もちょっとあるけれど、う〜ん、それもちょっとどうなんだろうねえ。

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