ナイルの詩とナイルの調べ
JVC(ビクター)のシリーズと並び、世界の音楽をシリーズでたくさん出しているキング・レコード。キングのばあい、あれだけどんどんリリースし続け、そのカタログを維持し続けることができるのは、AKB48が売れまくって稼いでくれているおかげでもあるんだよね。正確には系統の You, Be Cool! レーベルだけど、キングのワールド・ミュージック・シリーズの恩恵に浴している音楽リスナーは、AKB48のことも頭の片隅に置いてくれてもいいんじゃないかなあ。
いきなり余談から入ってしまったが、キングのシリーズのなかから今日は『エジプトの古典音楽と近代歌謡』CD 二枚組の話をしたい。二枚の構成は、一枚目がエジプト近代歌謡篇で、オープニング曲を除きすべてヴォーカル・ナンバー。二枚目がエジプト古典音楽篇で全編インストルメンタル演奏。それも四曲すべて、それぞれ一つの楽器の独奏だ。
楽器独奏が四つ並ぶ二枚目も面白い。四つといっても、うち二つがカーヌーン独奏(ホッサーム・アブドル・ラフマン)だから、楽器は三種類。ほかの二つはナーイ(ネイ)とウードの独奏だ。まあはっきり言ってしまうと、この二枚目はアラブ音楽探究派以外にはあまり面白く聴こえないだろうと思う。僕は面白く聴けるが、一個の楽器独奏で、しかも延々と一個のタクシームが続くマカームで、実に淡々としていて、地味なんてもんじゃないほど地味だ。アラブ音階を学ぶには好適だが、ふつうはそんなものちょっとねえ。
それでも二枚目三曲目の「マカーム・クルド(ウード独奏)」は、単純に聴いて楽しむ演奏としても素晴らしい。ウード奏者サイード・フセインの素晴らしい技巧が最高に発揮されていて、めくるめくキラメキがあり、実に細かい高速のフレーズを正確きわまりない指さばきで弾きこなす。特に後半部での盛り上がりかたには、聴いている僕まで興奮してくるほどすごいものがある。20分以上もあるが、まったく飽きず最後まで聴ける。
がしかし、これを除く二枚目のほかの三曲は、特にアラブ音楽を追求するわけではないふつうのリスナーのみなさんには退屈に響くかもしれない。一個の楽器独奏だからかもしれないが、なぜだか音量も小さい。一枚目を聴くのにちょうどいいヴォリューム位置で二枚目に入ると、つまみを廻す(or スライダーを動かす)ことをしないといけないのだ。 だからこれ以上話はせず、ほぼすべてが歌入りである一枚目の話だけをしたい。
『エジプトの古典音楽と近代歌謡』一枚目は、すべてエジプト国立アラブ音楽アンサンブルによる演唱となっているが、だれがどの楽器と歌をやっているとの記載もないし、そもそもなんの楽器奏者と歌手がどれだけ使われているかもまったく記載なし。だが、聴いた感じ、けっこうな大編成のようだ。とにかくヴォーカル・パートは、一人の歌手の単独歌唱が出る部分も少しあるが、基本的に大人数コーラスだ。ホント書いておいてほしかったが、とにかく10人未満程度の人数には聴こえない。相当なマス・クワイアだ。
伴奏の楽器編成も、まあホント分らないのだが、こっちはさほどの大編成でもないように聴こえる。上で書いた二枚目で、それぞれ単独で演奏するカーヌーン、ナーイ、ウード(がそれぞれ複数台かもしれない)、それにくわえ複数の打楽器が参加している。さらにヴァイオリンなど西洋弦楽器も聴こえる。これは当然だ。エジプトにも、おそらく英国の植民地だった時代からなのか、西洋クラシック音楽の様々な要素が取り込まれた。種々の洋楽器も積極的に活用しながら、基本の土台はアラブ古典音楽に置きながら、その延長線上に近代アラブ歌謡が誕生した。
そんな近代アラブ歌謡の旗手が、以前僕も触れたエジプトのサイード・ダルウィーシュで、またその後1930年代頭ごろ?、同国で体系化されたアラブ音楽を背負って立ち時代を代表し頂点に立った稀代の天才女性歌手がウム・クルスームだ。ダルウィーシュ、ウム、そしてまた、例えばムハンマド・アブドゥル・ワッハーブや、またフェイルーズなどのスターたちが輩出し、アラブ近代歌謡は花盛りとなった。
エジプト国立アラブ音楽アンサンブルが演唱する『エジプトの古典音楽と近代歌謡』一枚目には、上の段落で書いたすべての音楽家の曲が登場する。書いたように一曲目が露払い的なインストルメンタル・ナンバーだが、二曲目「ムニャティー・アッズ・イスティバーリー(待ちきれない)」、三曲目「オグニヤト・アッ・シャイターン(魔王の歌)」、八曲目「ヤー・バフガト・ッ・ローホ(有頂天)」がサイード・ダルウィーシュの作品、四曲目「サカナ・エッ・レイル(夜のしじま)」がフェイルーズのレパートリー、五曲目「マダーム・トゥヘッブ(愛しているなら)」、七曲目「ハカーブル・ボクラ(あした会います)」がウム・クルスームのレパートリー、九曲目「ハムサ・ハーエラ(絶えざるささやき)」、十一曲目「ガザル・バナート(恋のからかい)」がムハンマド・アブドゥル・ワッハーブの作品。
どれも美しくて言葉がないのだが、いちばん僕が感じることは、アラブ(系)の音楽ではだいたいいつもそうなんだけど、旋律美なんだよね。華麗で繊細で眩惑的な美しいメロディを歌手や楽器奏者がやっているのを聴くだけで、僕は快感なんだよね。エキゾティックな感触を抱いているだけだろう?ブルー・ノート・スケールを聴いてもそんな感想は浮かんでこないだろう?と言われそうだが、僕にとってはどっちも同種の興奮、同種の快感だ。
『エジプトの古典音楽と近代歌謡』一枚目では、特にコーラスで歌う女性たちの声と歌い方が素晴らしい。それが男性ヴォーカルと入り混じったりする瞬間のスリルとか、前奏や間奏などあいまあいまに楽器だけの演奏パートがはさんであって(これはアラブ音楽だと現代大衆歌謡でも同じ)、それが終ると再び歌いはじめる瞬間に、背筋がゾクゾクするほど気持イイ。
こんなスリルや快感は、フェイルーズその他たくさんいる現代アラブ歌謡歌手で味わえるのは言うまでもないが、例えば ONB(オルケストル・ナシオナル・ドゥ・バルベス)や、シャアビをやるときのグナーワ・ディフュジオンや、やはりシャアビふうにシャンソンを料理するときの HK など、こっちもたくさんいるモダンなミクスチャー・バンドにもしっかりと受け継がれていて、同種のものを味わうことができるんだよね。
私見ではたぶんウム・クルスームあたりで完成され築かれた現代アラブ歌謡の壮大な音楽遺産。いまなお、そんな遺産がエジプトはじめアラブ各国で愛されているようだし、現代的なミクスチャー・ポップ・ミュージックもそれなくしては成り立たなかった。がしかしウムでもフェイルーズでも、本格的にちょっと聴いてみようというのが気後れするような部分があるのかもしれないし、そもそもアラブの古典音楽と近代歌謡の関係と成立、そしてちょっとどんなものなのか、その世界を覗いてみたいだけっていう人も多いかもしれないよね。
イスラム教徒が多い中東アラブ圏については、アメリカなんかでもなんたって例の9.11以来、ひどい偏見と差別にさらされるようになっているし、フランスやヨーロッパ各国では、それと関係あるのかないのか、以前から北アフリカ地域やトルコなどから来ている人たちが、やはり差別的な扱いを受けたり、またここ日本でも近年、某「イスラム国」のせいかどうか、中東アラブ圏に対し風当たりが強くなっている。
そんなときは、中東アラブ圏のイスラム教徒たちってこんなにも美しく素晴らしい音楽をやるんだぜと、少なくとも僕はそれを聴いて、心の安寧を保ち気持を落ち着けることにしている。特にここ数年ね。みなさんもどうですか?さしたる理由なくなんらかの反感を抱く前に、なんらかの文化に触れて少しでも理解しようと、ちょっとアラブ音楽でも聴いてみませんか?エジプトはアラブ音楽のメッカだったから、キング盤『エジプトの古典音楽と近代歌謡』なんか、格好の二枚組だと思いますよ。
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