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2017/09/19

プロデューサーズ

 

 

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ジャズ・ファンの一部には、あ、いや、こういう言い方はよくないな、僕だけかもしれないので僕のばあいはと言いなおすけれど、演奏家をあまりに著しく重視する一方で、(一部例外を除き)曲の作者やプロデューサーは軽視、というかほぼ無視する傾向があった。

 

 

うんまあ作曲者はそれでもかなり重視してはいたんだけどね。しかしそうはいっても、聴き手に届けるのは演奏家でしょ〜、演奏家がなにもしなかったらなにも起きないわけでしょ〜、それなのに、例えばクラシック音楽の世界とか、演奏家より作曲家のほうが上だ、偉いんだなんて、なんなの〜?とか思っていたことは事実だ。僕の場合ずいぶんと長いあいだ、演奏家最重視派だった。

 

 

これはジャズみたいなもので音楽の世界にどっぷりはまるようになったせいもあるんだろう。書かれた曲、つまりテーマ・メロディなんか、たんにコード進行を使うだけの素材でしかないばあいも多いし、というかモダン・ジャズならほぼぜんぶそうなんだし、なかには作曲部分がまったくなく、最初から最後まで丸ごと即興で組み立てられている演奏もけっこうあったりするじゃないか。だから演奏家第一優先になって、作者なんてどうでもいいんじゃないの?っていう、まあどうでもいいとは思っていなかったが、それに近い気分があったのは否めない。

 

 

作者についてすらそう考えていたんだから、演奏しないプロデューサーなんて、いったいぜんたいこのレコードでなにをやっている人なんだろう?はたしてなにかをやってんの?ってサッパリ分っていなかった。少数の例外を除き、レコード・ジャケット裏に記載されていた(と思うが記憶すらない)プロデューサー名なんか完全無視に近いというか、ほぼ一瞥もくれなかった。だってホントなにをやる人なのかぜんぜん分ってなかったんだもんね。

 

 

一部例外的プロデューサーの代表が、僕にとってはジョン・ハモンドとテオ・マセロ。この二名は音楽に具体的にどうかかわっているのかが、むかしの僕にもきわめて明快だった。ジョン・ハモンドのばあいは、レコード・プロデュースもさることながら、タレント・スカウト能力とか、発掘して契約させたり、またあるいは調整役とか、そんな部分だってかなりはっきりと見えていた。ベニー・グッドマン楽団1935年の爆発的大ブレイクはハモンドなくしてありえなかったのだと、大学生のころの僕でも知っていた。そんな部分だってもちろんプロデューサーの定義に含まれる。

 

狭義だと、僕にとってはテオ・マセロだ。テオのばあいは、やはり僕はマイルズ・デイヴィスをプロデュースした人物だと認識していて、演奏録音後のテープを切ったり貼ったりする人なんだという考えだった。これこそ僕にとってプロデューサーとしてレコードに名前が明記されている存在のうち、なにをやっているのかいちばん分りやすかった。だからある時期の僕は、レコード・プロデューサーのやる仕事とは、テープの切り貼り作業なのかと思ってたくらいだもんね。テオこそが僕にとっては音楽プロデューサーの典型というような感じだったなあ。

 

じゃあほかのプロデューサーたちはいったいなにをやっているんだろう?と思うと、むかし僕はまったく分っていなかったんだよね。例えばプレスティジのボブ・ワインストックにしろブルー・ノートのアルフレッド・ライオンにしろ、レーベル・オーナーも兼ねているインディペンデント系の人たちは、サウンドに携わるというんじゃなく、もっとこう、経済的、会社運営的立場でレコーディング・スタジオにもいるのだろうか?スタジオの手配を含む各種調整とかはやるんだろう?とか、なんだかその程度しか推測できていなくて。だから当然いわゆるレーベル・カラーみたいなものも意識せず。

 

でもブルー・ノート(アルフレッド・ライオン)やアトランティック(ジャズ部門はネスヒ・アーティガン)らと比較して、もっとぐっと新興の ECM(マンフレート・アイヒャー)なんかは、やっぱり音楽の傾向がなんだかちょっと(本当に当時はちょっとだけしか自覚できなかった)違うよなあとは感じていたが、それはレーベル・カラーとか、それの源泉になっているオーナー兼プロデューサーの音楽趣味志向とかによるものではなくって、たんに演奏しているジャズ・メンの資質の違いに由来するものだと信じ込んでいたもんね。

 

演奏家の資質によってできあがる作品の特色が決定づけられるという部分は、やっぱり大きいんだといまでも信じているのだが、そこにプロデューサーがどう入り込んでいるのかが、むかしは分っていなかった。ジャズのばあいだって、どのメンツでやるか人選して呼ぶ、どの曲をやるかチョイスするなんてのは当たり前だが(当の演奏家本人がこれをやることだって多い)、ときには曲を書いたりアレンジしたり、または楽器演奏の具体的な中身に踏み込んだり、歌手の場合は歌唱指導までしたり、その他サウンド・メイクの全般に深くかかわっているのだと分ってきたのは、僕の場合、わりと最近の話だ(^_^;。

 

例えば最近、僕は原田知世の歌にどんどん没入しつつあるのだが、っていうか、しつつあるというよりももはや完全に脱出不可能な次元にまでハマってしまっているが、彼女のばあい、近年の伊藤ゴローがプロデュースする作品では、同じ曲を歌ってもイメージが、というより音楽や曲そのものがガラリと変貌して、魅力がものすごく上昇している。とんでもなくチャーミングで美しく聴こえるもんね。聴こえるっていうか、実際マジで美しい。

 

「時をかける少女」っていう松任谷由実が書いた曲が、原田知世が1983年に同名の映画に主演して主題歌として自ら歌った有名なものなのは、僕だって以前からいちおう知ってはいた。長年封印していたらしいこの曲を、2007年の『music & me』のラスト12曲目で歌っている新ヴァージョン(それよりもっと新しいリメイク版が一つリリースされている)が、こりゃもうオリジナルとはぜんぜん違っている。『music & me』も伊藤ゴローがプロデュースしたアルバムなんだよね。

 

2007年『music & me』ヴァージョンの「時をかける少女」では、ナイロン弦ギターで完璧なるボサ・ノーヴァを演奏するのも伊藤ゴローだ。アレンジだってサウンド・メイクだって、原田知世にこう歌ってほしいというアドヴァイスだって彼がやっているはずだ。ギターも素晴らしいが、原田知世が故意にちょっと不安定気味にというか、わざとヘタクソ気味にというか、ノペ〜ッと平坦に歌ってボサ・ノーヴァ・ヴォーカルの典型を表現しているのは、プロデューサー伊藤ゴローによる歌唱指導だとしか思えない。

 

 

日本の音楽のなかで、縁あって最近知り合ったもののなかでは、こんな原田知世と伊藤ゴローのコンビは、歌手とプロデューサー(兼ギタリスト兼アレンジャー)の理想的関係の一つに思える。主役の女性歌手の美しさを最大限にまで引き出して極め、最高にチャーミングなヴォーカリストに仕立て上げ、同時にギタリストでありかつプロデューサーである自らの音世界をも表現できている。

 

『music & me』収録の「時をかける少女」を具体例に出したが、この2007年ヴァージョンは、今年のこないだ8月23日に発売された原田知世のベスト盤 CD『私の音楽 2007-2016』の冒頭にも収録されている。僕の大好きな『恋愛小説2 - 若葉のころ』の「September」も入っているし、全体の流れも考え抜かれているし、ぜんぶ伊藤ゴローの絶品アレンジ&プロデュースだしで、オススメ!

このベスト盤と、これより少し前にリリースされていた、代表作のリメイク・アルバム『音楽と私』(これに最新ヴァージョンの「時をかける少女」がある)とを聴きくらべ、またなにか書くことがあるだろう。

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