女性への敬愛を表現するソロ・モンクの適切さ
僕の Twitter フレンドさんのなかに男性アマチュア・ジャズ・トランぺッターが一人いらっしゃるんだけど、けっこうなセロニアス・モンク好きみたいだ。彼がふだんよくツイートするのがモンクがソロ・ピアノでやる「アイ・サレンダー、ディア」で、本当にこれをよく言うもんだから、僕もなにかちょっと書いてみようという気になった。もちろん書いて公開する以上は、彼だけに宛てたプライヴェイト・メッセージなどではありえない、っていうか、そもそも最近、読んでんのか、このブログ?
モンクがソロで弾く「アイ・サレンダー、ディア」と言うと、僕がいますぐパッと思い浮かべるのは二種類。間違いなくこっちが有名であろう1956年録音のリヴァーサイド盤『ブリリアント・コーナーズ』収録のものと、こっちは地味な存在かもしれない1964年録音のコロンビア盤『ソロ・モンク』収録のもの。しかし知名度とは逆に演奏の出来は、64年コロンビア・ヴァージョンのほうがいいと僕は思う。
そのあたり、みなさんで聴いて判断していただきたいので、まず音源をご紹介しておく。
「アイ・サレンダー、ディア」
1956年リヴァーサイド版 https://www.youtube.com/watch?v=7CkSGUxVw3Q
1964年コロンビア版 https://www.youtube.com/watch?v=CHroWLAdKPo
同じようなものに聴こえるかもしれないが、1931年にビング・クロスビーが歌ったのが初演であるこの古いラヴ・ソング、女性に対し「君なしではにっちもさっちもいかなくなっちゃったよ、もはや君に降参だ」という愛の告白ソングの、その古くさくて湿った情緒は、64年のコロンビア・ヴァージョンのほうがうまく表現できているように僕は思うんだけどね。
ちなみにこの「アイ・サレンダー、ディア」という曲は、ビング・クロスビーによる初演と同じ1931年にルイ・アームストログもやり、そのオーケー盤レコードを聴いたに違いないライオネル・ハンプトンもやって、またチャーリー・クリスチャンを擁していた時代のベニー・グッドマン・セクステットや、戦後ローマ録音のジャンゴ・ラインハルト(のものは盟友ステファン・グラッペリとのラスト共演になった『ジャンゴロジー』完全盤に収録)もやった。
ちょっとモダン・ジャズ界には存在しにくいフィーリングの曲である「アイ・サレンダー、ディア」なので、1940年代半ばのビ・バップ勃興以後はとりあげる人がかなり少なくなってしまった。例外が、以前ご紹介したアート・ペッパーとセロニアス・モンクなんだよね。そしてこの両者とも、いや、モンクのほうは特に、モダン・ジャズふうではない資質を持つというか、最初に書いた男性友人が大のビ・バップ好きなのを承知ではっきりと言っちゃうが、ビ・バップ・ミュージックの乾いた硬質感とは水と油である音楽家なのかもしれないと、僕は少し考えている。
ここでまたほんみちジャズからそれてよりみちするけれども、「アイ・サレンダー、ディア」は、レイ・チャールズとアリーサ・フランクリンもとりあげているんだよね。レイのヴァージョンはヴォーカルなしのインストルメンタル・ジャズ演奏(レイがたくさんジャズ演奏を録音していて、ジャズ・ピアニストとしての腕前も一流だとは、僕も以前記事にした)。しかしこれ、レイはどうして歌ってくれなかったんだろうなあ?まあジャズ演奏をやるんだというプロデュースだったからだろうが、いい歌なんだから、少しもったいなかったよなあ。
アリーサ・フランクリンの「アイ・サレンダー、ディア」は、コロンビア時代のアルバム『ジ・エレクトリファイイング・アリーサ・フランクリン』収録。 6/8拍子のリズム伴奏とストリングスに乗せてアリーサが愛を告白してくれているのだが、これはイマイチ面白くないような気がする。ジャズ歌手がよくやるスタンダード・ソングやブルーズをたくさんやったコロンビア時代のアリーサが好きな僕が聴いても、どうもちょっとなあと思う。だいたいアリーサは、気高く近寄りがたいように振舞ってくれているときのほうが素晴らしく聴こえる歌手なんだから、こういった曲はう〜ん…。
よりみち終り。ジャズ界のセロニアス・モンクに話を戻す。上で触れたような、モンクのある種の(いい意味での)古くささが、1964年のコロンビア盤『ソロ・モンク』にはよく表現されていると僕は思うんだ。だいたいねえ、このアルバム、オリジナル LP 収録の12曲がぜんぶラヴ・ソング、それもだいたいすべて女性に愛を告白したり称えたりなど、そんな曲ばかりで、しかもオリジナル・コンポジションがすごく多い音楽家であるにもかかわらず、カヴァー・ソングのほうをたくさんやっていて、それもですね、「アイ・サレンダー、ディア」みたいな、モダン・ジャズ・メンがほぼやらないオールド・スタンダードがかなり多いんだよね。
『ソロ・モンク』現行 CD には九つのボーナス・トラックが附属するのだが、LP 収録曲の別テイクとかはどうでもいいからそれを外すと、「ダーン・ザット・ドリーム」だけというに近い状態になる。このマイルズ・デイヴィスも『クールの誕生』になった録音セッションでとりあげた曲は、ちょっとひどい失恋歌なんだよね。これは『ソロ・モンク』のなかでは、やや例外的。レコード収録曲のなかにも「エヴリシング・ハプンズ・トゥ・ミー」みたいなトーチ・ソングがありはするけれど。「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」もあるが、これは失った古い恋を想い出してシンミリしている内容だから、ちょっとフィーリングが違うよね。
これら以外は、文字どおりすべてが女性を賛美したり、愛を告白したりする曲ばかりで、しかも古い曲が多い。「ダイナ」(あぁ、日本ではディック・ミネが得意にしたこの曲を、モダン・ジャズ・ピアニストの演奏で聴けるなんて!)、「アイム・コンフェシン」「アイ・ハドゥント・エニイワン・ティル・ユー」「アイ・シュッド・ケア」など。モンク自身のオリジナル・ピースでも「ルビー、マイ・ディア」などは典型的な女性賛美曲。
しかもそれらの曲をピアノ一台だけでやるモンクの弾き方が、これまたモダン・ジャズふうではない。ハーモニー感覚だけは現代的だったモンクで、実際ビ・バッパーが使うようなコードをよく使うが、デューク・エリントンなんかはそれをもっとずっと前から使っていたわけだしなあ。和音の使いかた以外のピアノ・スタイルは、まったくどこもモダンではなく、1920年代あたりのジャズ・ピアニストと同質であるモンクの、そんなありようが、1964年コロンビア盤『ソロ・モンク』ではよく分る。
最初のほうで「アイ・サレンダー、ディア」だけ音源をご紹介したけれど、ほかにも例えば「アイム・コンフェシン」。これもサッチモとかライオネル・ハンプトンとかがやっているが、曲じたいが古いからというんじゃなく、この弾き方、演奏感覚は完璧にオールド・クラシック・ジャズのものじゃないか。可愛くて、ユーモラス、ちょっと滑稽で、「君のことを愛しているって、いま、僕は告白しているんだよ」という台詞を、かなり下手くそにしか言えない男がやっているみたいなピアノの弾き方だ。
「アイ・サレンダー、ディア」でも「アイム・コンフェシン」でも、左手で低音部を弾くベース・ノートの入れかたに注目してほしい。こういうふうに左手でベース・ノートを弾く、というか置くようなスタイルは、1920年代のストライド・ピアノと、そこから出発して独自スタイルを確立した<父>アール・ハインズや、ハインズの影響下にあった、例えばテディ・ウィルスンあたりまでは残っていた。典型的ビ・バップ・ピアニスト、バド・パウエルでこれが消えちゃったんだよね。
「ダイナ」とか、あるいはこっちはモンクのオリジナルである「ノース・オヴ・ザ・サンセット」あたりだと、ジャズ・ピアニストとしてのモンクの、そんなクラシカル・スタイルが非常にクッキリと分る。あまりにクッキリしすぎているくらいなので、モダン・ジャズ愛好家にはイマイチな評判になってしまうかも。
モンクのオリジナル・コンポジションのなかでも代表的な一つ「ルビー、マイ・ディア」は、モンク自身、ホーン奏者(たいていいつもテナー・サックス)を加えてなんども繰返し演奏し、公式に録音もされ、いくつか聴ける。リヴァーサイド盤『モンクス・ミュージック』収録のヴァージョンでは、コールマン・ホーキンスの美しいバラード吹奏が聴けた。それも大変に素晴らしい。
『ソロ・モンク』ヴァージョンの「ルビー、マイ・ディア」でも曲の流れと和音構成はまったく変わっていないが、上で書いたようなコン、コンっていう左手のベース・ノート置きを、それもあたかも素人ピアニストがやっているかのように、わざとやや不細工に弾き、それでもって曲の持つスウィートなフィーリングを適度に和らげて、甘さ、ロマンティシズムに流れすぎず過剰にならない程度の、ちょうどいい感情表現がうまくできていると思うんだよね。
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