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2017/09/04

エリントン・サウンドの形成期を聴く

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2012年リリースの Frog 盤『ザ・ワシントニアンズ:レア・アンド・アーリー・デューク・エリントン・セッションズ 1924-1928』。三年ほど前に買ったものだが、僕の知る限り、これこそデューク・エリントンの最初期録音が聴けるアルバムで、これ以外にもそれらを収録した CD はありそうだが(僕は知らない)、全26トラック、これだけまとめてエリントンのレコード・デビュー期を聴けるものって、やっぱりないんじゃないかなあ?

 

 

エリントンをボスとするレコード・デビューはこの『ザ・ワシントニアンズ:レア・アンド・アーリー・デューク・エリントン・セッションズ 1924-1928』収録一曲目の「チュー・チュー(ガタ・ハリー・ホーム)で、1924年11月録音。11月というのはおおよその推測で、確定的なものではない。同日にもう一曲録音していて「レイニー・ナイツ」。これらを AB 面にしたブルー・ディスク・レーベル盤こそ、エリントンの生涯初レコードだ。

 

 

ただしエリントンの初録音はもっと早い1923年7月26日のヴィクターへのもので、それはバンジョー奏者エルマー・スノウデンのバンド、スノウデンズ・ノヴェルティ・オーケストラ名義のもの。曲は「ホーム」。エリントンのデビューがスノウデンのバンドに加わってのものだったことはよく知られているとおり。しかしこのヴィクター録音は発売されず廃棄されてしまった。

 

 

ほぼ同じバンドで続く同年10月16日にもこの曲をリメイクし再録音。同日に「M.T. ポケット・ブルーズ」も録音しているのだが、これらも廃棄処分。どんなメタル・マスターもテスト・プレスもまったく現存していないそうだ。スノウデンによれば、当時のレコード会社は、黒人が<スウィート>・ミュージックをやるのは認めなかったせいだと。スウィートとは、当時の表現で<ガット・バケット>または<ホット>・ミュージックの対語。

 

 

しかしそのスノウデンのバンド、1923年10月時点で、ボスのバンジョー、エリントンのピアノだけでなく、トランペットのジェイムズ・ウェズリー・"ババー"・マイリー、チャーリー・アーヴィスのトロンボーン、アルト・サックスのオットー・ハードウィック、ドラムスのソニー・グリーアらが揃っている。ここからそっくりそのまま引き継いで、ボスのスノウデンを抜き、バンジョーを(フレディ・ガイではなく)ジョージ・フランシスに置き換えたのが、上で書いたエリントンをボスとする初録音レコードなんだよね。名義はまだワシントニアンズのまま。

 

 

エリントン自身の名前を出してレコード発売するようになったいちばん最初が1925年9月録音の二曲「アイム・ゴナ・ハング・アラウンド・マイ・シュガー」「トロンボーン・ブルーズ」で、これはパーフェクトというレーベルからのレコード。名義はデューク・エリントンズ・ワシントニアンズ。しかしババー・マイリーがなんらかの問題で一時的に抜けて別のトランペッターが入り、またクラリネット奏者プリンス・ロビンスンが参加。またバンジョーがお馴染のフレッド・ガイになっている。

 

 

このあと1926年3月まで、ババー・マイリーが抜けたままパーフェクトとジュネットに計四曲を録音しレコード発売されているのが『ザ・ワシントニアンズ:レア・アンド・アーリー・デューク・エリントン・セッションズ 1924-1928』に収録されているのだが、ど〜うもまだぜんぜん面白くない。ババー・マイリーのトランペット・サウンドこそが初期エリントン・サウンドを決定づけた重要要素だから、これは当然なのかもしれないよね。バンド全体もまだ(悪い意味で)スウィート・ミュージックふうで、ホットにスウィングできていないし、エリントンの独自カラーとなる、あの粘り気のあるグルーヴや、濁ってたゆたうようなサウンドもまだない。

 

 

ババー・マイリーは、1926年6月21日のジュネット・レーベル録音二曲(ただしレコードはバディ、チャンピオン、チャレンジといったレーベルからも同じものが発売されている模様)からエリントン楽団に復帰。名義はまだデューク・エリントン&ヒズ・ワシントニアンズ。そりゃエリントンはワシントン D.C. の人間だけどさぁ。しかしその二曲「(アイム・ジャスト・ワイルド・アバウト・)アニマル・クラッカーズ」「リル・ファリーナ」で、ようやくエリントン楽団らしきサウンドの萌芽が聴けるのだ。この1926年6月21日録音をもって、エリントン・サウンドの芽生えと僕は言いたい。

 

 

 

 

そしてこれの次に録音したのがヴォキャリオン・レーベルで、1926年11月29日。もちろん『ザ・ワシントニアンズ:レア・アンド・アーリー・デューク・エリントン・セッションズ 1924-1928』に収録されているのだが、スティーリー・ダンもカヴァーしたかの有名代表曲「イースト・セント・ルイス・トゥードゥル・オー」がここで登場。もう一曲「バーミンガム・ブレイクダウン」を録音し、ヴォキャリオン 1064の両面となって発売された。「イースト・セント・ルイス・トゥードゥル・オー」のほうは、すでにのちの高名な1927年のブランズウィックやヴィクターへの録音ヴァージョンと比較してもほぼ遜色ない内容だ。

 

 

 

お聴きになって分るようにトランペットのババー・マイリーがワー・ワー・ミュートを付けてグロウルし、その背後でもブルージーなホーン・アンサンブルが入り、またリズムに粘り気が出てきていて 〜 すなわちエリントンの代名詞 <ジャングル・サウンド> が完成しているよね。濁った音のアンサンブルのあいまにサビ部分などにおいてスウィート・サウンドで中和するスタイルも、みなさんすっかりお馴染のはず。1926年11月29日、エリントン・サウンドの完成。

 

 

この1926年11月では、ジャングル・サウンドの一翼を担ったトロンボーンのトリッキー・サム・ナントンもすでに参加しているが、のちのエリントン楽団の番頭格であったバリトン・サックス&クラリネットのハリー・カーニー参加の初録音は、『ザ・ワシントニアンズ:レア・アンド・アーリー・デューク・エリントン・セッションズ 1924-1928』18〜21曲目のオーケー録音1927年11月3日。このときの四曲をレコード発売するところから、名義もデューク・エリントン・アンド・ヒズ・オーケストラになっている。

 

 

そしてこの1927年11月3日のオーケー・セッションでは、エリントン楽団最大の代表曲とも言える「ブラック・アンド・タン・ファンタシー」を2テイク録音。しか〜し!これまたババー・マイリーがいないのだ。これは痛恨事だよなあ。まあ自身の深酒癖もあって、ババー・マイリーはよく抜けるんだよね。1929年に解雇になったのだってそのせいだった。 ってことは、それら2テイクの「ブラック・アンド・タン・ファンタシー」で聴けるあのトランペットのグロウル・サウンドは、記載されているクライディーズ・ジャボ・スミスかルイス・メトカフかのどっちかだってことになるのだが。ジャボの可能性が高いように僕は思う。トロンボーンにワー・ワー・ミュートを付けてジャングル・スタイルで吹くのはもちろんトリッキー・サム・ナントンだろう。

 

 

 

 

ここまで来ると、もう誰がどう聴いてもまごうかたなきエリントン・サウンドだと瞬時に判断できる独自カラーを発揮・完成している。『ザ・ワシントニアンズ:レア・アンド・アーリー・デューク・エリントン・セッションズ 1924-1928』収録のラスト四曲1927年1月9日のハーモニー・レーベル録音には、クラリネットのバーニー・ビガードも参加。このアルバムには収録がないが、1928年の11月にアルト・サックスのジョニー・ホッジズが参加して、エリントン楽団は初期最強布陣となる。

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