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2017年10月

2017/10/31

原田知世と鈴木慶一の世界(1)〜『GARDEN』

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原田知世のフォー・ライフ盤アルバム『GARDEN』(1992)。ムーンライダーズの鈴木慶一がこの歌手をプロデュースした三作品のなかでいちばん最初に出たものだが、僕にはこれがいちばん面白い。端的に言うと、これはデジタル・テクノなエスノ・ポップだ。10年くらい遅れて日本に来たトーキング・ヘッズみたいで、だからロック・フィールドのエスニシティに興味がある洋楽ファンにもオススメする。

 

 

アルバム『GARDEN』。誤解をおそれずに言うならばヴォーカルは原田知世でなくともよかった。鈴木慶一の創りだす音空間のなかで歌手が軽々と舞っていて、いやあ、しかしこんなサウンドでこんなにフワッと軽く乗って歌えるのは、やっぱり知世しかいないのかなあ。無個性にも思える知世の声と歌いかたが、このサウンドに実によく似合っている。

 

 

僕が原田知世に出会った伊藤ゴロー・プロデュース作品群(といっても1980年代前半の角川期に耳に、目に、していたはずだが)でもまず感じたことだけど、知世の資質ってもとからデジタルな感触があると思うんだよね。声質や歌いかたやフレイジングや、そもそもノン・ヴィブラート・ヴォイスだしね。ちょっと無機的。伊藤ゴロー作品ではそれがすごく高い次元でサウンドにピタッとハマっているのだが、鈴木慶一作品では、また別の意味でサウンドとヴォイスの高次元トータリティが実現している。

 

 

ただ伊藤ゴロー作品のばあい、軽くソフトでアンビエントふうなサウンドが多い(その半面、ブラック・ミュージック的にファンキーなものもある)のだが、例えば『GARDEN』で聴ける鈴木慶一サウンドは、やっぱり強靭な感じだ。なかにはストリングスをメインに配したジャズ・ナンバー仕立ての4曲目「Walking」や、また弦楽四重奏の伴奏だけでやった、角川期の曲のセルフ・カヴァーであるラスト11曲目の「早春物語」などもあるが、アルバムのメインはデジタルなビートの効いたエスニック・ナンバーだ。

 

 

それらでは生演奏楽器も随所で使われているので、某所で書いた「ぜんぶコンピューター・サウンドかも」との自発言は撤回しなくちゃいけないが、それでもやっぱり音の組み立ての中心はデジタル・サウンドで、実際、ブックレットを見ても、それらでは全曲プログラマーの名前がトップに掲載されている。

 

 

しかも(日本内外の)アジア音楽ふう、アフリカ音楽ふう、カリブ音楽ふうなど、鈴木慶一のプロデュースで世界を旅した結果が、室内にあるコンピューターで(いい意味で)こじんまりと整って庭園のなかにきちんと並べられているかのようなアルバムに仕上がっているんだよね。そう、室内楽だ、これは。チェインバー・ミュージックなんて、外へ向かうような部分があるロックと正反対のイメージだろうが、原田知世のヴォーカル資質はそういうものによく似合っている。

 

 

原田知世はだいたい声量の小さい歌手だし、ヴォブラートもまったくなし、コブシもメリスマなんかも当然ゼロ。小さな声でそっと優しく、まるで耳元でささやいているかのような歌いかた。こう書くと、僕なんかはあのアメリカ黒人ジャズ・トランペッターのことを連想しちゃうんだよね。マチスモ的イメージがつきまとうトランペットなのに、あの人は音量も小さいストレート・サウンドで女性的な表現法をとった。

 

 

原田知世の『GARDEN』では1曲目の「都会の行き先」がまるでアフロ・ポップみたいで、これはまさに10年熟成の日本版『リメイン・イン・ライト』みたい。だが僕の耳を強く惹いたのは2曲目の「さよならを言いに」だ。作詞作曲編曲すべて鈴木慶一で、この曲は沖縄音階を使っていて、しかもリズムはレゲエで、さらに途中のピアノ・サウンドにダブふうな処理が施されている。その他いろんなジャマイカ音楽ふうのサウンド・エフェクトが挿入されている。

 

 

「さよならを言いに」。アルバム・ヴァージョンは当然のように YouTube で見つからないので、テレビのなにかの歌謡番組に原田知世が出演した際のものをご紹介しておく。どんな曲だか、だいたい分っていただけるはず。ってかこれはカラオケ伴奏で、ひょっとしてアルバム・ヴァージョンの伴奏をそのまま使っているの?歌もリップ・シンクかもしれない。長さが半分になっているが。

 

 

 

また、こういったちょっと面白いヴァージョンもあったのでご紹介しておこう。鈴木慶一にくわえ、佐野史郎(がギター人間であるのは有名なはず)が参加して、アクースティック・ギター・デュオの伴奏で、「さよならを言いに」を原田知世が歌っている。レゲエだとかダブだとかの面白さは消えて、ふつうのポップ・チューンになっているが、なかなかいいじゃん。

 

 

 

アルバム『GARDEN』のなかで、「さよならを言いに」の次に僕のお気に入りが8曲目の「夢迷賦」。これは中国大陸音楽の趣なんだよね。パーカッショニストの名前がないので、その打楽器サウンドもコンピューターで創っているんだろうなあ。 中国琴(古琴)のような音も目立っているが、それもデジタルなんだろう。原田知世が歌う主旋律も中国ふう。書いたのは崎谷健次郎で、アレンジも崎谷となっている。ネットに音源が見つからないのが残念。Spotify にもないなあ。

 

 

6曲目「中庭で」、9曲目「ノア」もアフロ・ポップな強靭なリズムとサウンド。デジタル・ディヴァイスでそんなサウンドを創りあげヴォーカルを乗せる手法は、トーキング・ヘッズ、というかデイヴィッド・バーン&ブライアン・イーノ以来たくさん出現したが、1992年の原田知世&鈴木慶一の『GARDEN』は、サウンド・メイカー鈴木とヴォーカル・パフォーマー知世が組んで生み出した、そんななかでもかなり稀有な優秀作だ。

2017/10/30

フランクとそのギターとともに

 

 



なんといっても僕はフランク・ザッパのことを、まずは一人の卓越したギタリストとして知ったのだったから。だからそれについて少しだけ書いておきたい。ザッパのギター・ヴァーチュオーゾぶりは、特にそれに特化したわけではないふつうのアルバムでもよく分るものの、やはりあのギター・プレイばかりを集めてどんどん聴きたいというファンは多いはず。そんなみんなの声に応えてということか、あるいは自認もしていたんだろう、本人の生前からギター・アルバムが何枚か出ている。

 

 

が、それらザッパの生前に本人監修のもとリリースされていたギター・アルバムはサイズが少し大きめなのだ。しかもここが最大の問題点だが、この人のコンポージング能力とギター・プレイ能力という二大超越要素があいまった最高傑作群を、それらの生前からあるギター・フィーチャー・アルバムがフィーチャーしているというわけではない。

 

 

僕の見るところ、そんなザッパのギター・ピース最高傑作が三曲あって、「ブラック・ナプキンズ」「ズート・アルーアーズ」「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」。三曲ともぜんぶギター・インストルメンタル・ナンバー。そして、この三つをぜんぶまとめて聴けるなんていう、まるで夢のような正規商品があるんだよね。1996年に息子のドゥウィージルのプロデュースで発売された『フランク・ザッパ・プレイズ・ザ・ミュージック・オヴ・フランク・ザッパ』。こ〜りゃもうタマラン一枚だ。

 

 

附属ブックレットにドゥウィージルの文章が載っているのだが、それによれば父フランクの死の直前に「なにか特別これが自分にとってすぐれた曲、独自で特別だと感じている曲がある?」と聞いたドゥウィージルは、上記三曲「ブラック・ナプキンズ」「ズート・アルーアーズ」「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」の名を聞かされたそうだ。フランクはこれら三曲が自分にとってのシグネチャー・ピースだと考えていたとのこと。

 

 

それで1993年の父フランクの死のあと三年経って、副題「ア・メモリアル・トリビュート」と冠し息子ドゥウィージルがそれら三曲のオリジナル・アルバム・リリース・ヴァージョンと、三曲すべての、それに先行する未発表のライヴ・ヴァージョンを並べて(「ブラック・ナプキンズ」だけはオリジナルもライヴ、しかも日本での)、さらにオマケみたいな感じで中間部にはさまっているがオマケなんかじゃなく、ザッパ・ミュージックの重要な本質を表したピュア・ブルーズを一個と、それらぜんぶで計七曲を収録したのが『フランク・ザッパ・プレイズ・ザ・ミュージック・オヴ・フランク・ザッパ』なんだよね。

 

 

ザッパのギター演奏の特色を分りやすく端的に表現するのは、僕にはやや難しい。書いたように本質的にはブルーズに土台を置きながら(”also firmly rooted in the blues” by Dweezil)、ギター・トーンの創りかた、フレイジングの組み立てかた、流れかたも安易ではない。特別に異様で奇異で風変わり。だからまあ端的に言えないこともない 〜 「ユニーク・ブルーズ」。あるいは英語で enigmatic and idiosyncratically phrased blues 〜 これがザッパのギターだ。

 

 

あ〜、もうこれで今日言いたいことはぜんぶ言っちゃったなあ。まあでもあとちょっとだけ。アルバム『フランク・ザッパ・プレイズ・ザ・ミュージック・オヴ・フランク・ザッパ』四曲目の「ミアリー・エイ・ブルーズ・イン・A」。ザッパには珍しい12小節定型のストレート・ブルーズで、これは1974年9月27日のパリ・ライヴからの収録。

 

 

 

公式アルバム収録などはほとんどないように思うものの、ライヴ・ステージなどではザッパもふだんわりとよくこういったストレート・ブルーズをやっていたらしい。上でご紹介した「たんなる A キーのブルーズ」同様、それらはすべてその場の即興演奏だったはずだ。アメリカのブラック・ミュージック界に存在する(と思うよ、僕は、ザッパも)音楽家であれば、間違いなく全員こういったブルーズは、ちょっとカジュアルにやってみるだけのことができるものだ。フィーリングを出すのは簡単じゃないだろうけれど。

 

 

「ミアリー・エイ・ブルーズ・イン・A」はだから、いつも異様に歪んでいて、おかしく、しばしばキメラ様のものであるザッパの音楽のなかにあっては、あまりにも分りやすすぎると思うほどシンプルで、ギター・フレーズの組み立てもわりと常套的で、聴きやすい。フランク・ザッパって要は「変人」なんでしょ?難解なんでしょ?と尻込みする人が多いように僕には見えているから、『フランク・ザッパ・プレイズ・ザ・ミュージック・オヴ・フランク・ザッパ』は格好の入門盤になると思うなあ。

 

 

このアルバムは、なんたってザッパ・ミュージック、なかでもギター演奏の基本が黒人ブルーズにあるんだということがよく分るのがイイ(”When in doubt, play the blues.”)。だからいままでザッパの音楽に馴染がない方が、もしこれを読んで『フランク・ザッパ・プレイズ・ザ・ミュージック・オヴ・フランク・ザッパ』をお買いにでもなってくださったとするならば、まず四曲目「ミアリー・エイ・ブルーズ・イン・A」から聴いてみるのもいいかもしれない。

 

 

すると、このアルバムに収録されている、御大ザッパ自身が自分のスペシャルな代表作、マスターピースだと発言した三曲「ブラック・ナプキンズ」「ズート・アルーアーズ」「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」が、どんなふうに創りあげられているのか、少し分ってくるように思うんだよね。僕みたいな素人でもなんとなくそういう気がしてくる。

 

 

それら三曲のシグネチャー・ピースを解説することは僕には不可能だから、とにかく聴いてもらうしかない。ただ、『フランク・ザッパ・プレイズ・ザ・ミュージック・オヴ・フランク・ザッパ』に収録されている「ブラック・ナプキンズ」も「ズート・アルーアーズ」も「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」も、それぞれの先行する別ヴァージョンと聴き比べると、オリジナル・アルバム・ヴァージョンのほうが一層完成されているものだと分る。以下三つ、オリジナルだけ。

 

 

「ブラック・ナプキンズ」https://www.youtube.com/watch?v=cNkl1avYXRM

 

「ズート・アルーアーズ」https://www.youtube.com/watch?v=fdQmhhi5cLI

 

「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」https://www.youtube.com/watch?v=nUja5B8ei2U

 

 

ギター・トーンの創りかた(ギター本体のチョイス、エフェクト類などの使いかた、演奏法など)や、フレイジング構成の細かい流れが、先行ヴァージョンとはやはり違っているんだよね。特にトーンが異なっている。三曲ともアルバム・ヴァージョンに先行するライヴ・ヴァージョンでの音色のほうが、基本的に、よりダーティーだ。ダーティーな音色のほうが好きな僕には、したがって完成度がやや低めのそれら先行ライヴ・ヴァージョンだって楽しい。

 

 

いや、なんたってあのザッパが自ら言及する代表曲三つなんだから、どんなヴァージョンだって楽しいに違いないし、ドゥウィージルもたくさんあるテープのなかから発表に値するものだと判断したものを、それもアルバム・ヴァージョンと並べても OK だと判断したものをチョイスしたはずだから、そ〜りゃ間違いなく面白いよねえ。

 

 

「ブラック・ナプキンズ」「ズート・アルーアーズ」「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」。三つともいいが、やっぱりアルバム『フランク・ザッパ・プレイズ・ザ・ミュージック・オヴ・フランク・ザッパ』でもラストに二つのヴァージョンが連続収録されている「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」こそが至高のザッパ・ミュージックじゃないかなあ。

 

 

ありとあらゆるザッパの曲のなかでのベスト・マスターピースが「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」だと僕は思うんだけど、いちばんの好みだと言わない(それは「ピーチズ・エン・レガリア」と「インカ・ローズ」になるから)のは、あまりにも美しすぎてちょっとおそろしいんだよね。

 

 

このギター・インストルメンタル「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」は、それじたいが美しく輝いている。どんなありようの曲としてアルバム『ジョーのガレージ』で存在しているかは関係ないように思う。これ一個だけで自律しての美を放っているんだよね。文脈なしでこれだけ聴いて泣けてしまう。破壊的に美しい。アルバム・ヴァージョンは、この世に存在するありとあらゆるギター作品のなかで最も素晴らしい。オール・タイム・グレイテストだ。

 

 

 

なお、今日のこの記事でもそうだけど、このアルバム『フランク・ザッパ・プレイズ・ザ・ミュージック・オヴ・フランク・ザッパ』のジャケットは、写真じゃ分りにくいと思う。例のザッパ髭が、立体的に、ジャケット表面に貼りついている。

2017/10/29

ワァ、これはなんだ?!(アフリカン・ポリフォニー 2)

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昨日は2012年か13年か忘れちゃったようなことを書いたけれど、いまエル・スールのサイトで確かめたら2012年6月の入荷となっているので、やはり12年だったようだ。ムチョヤ&ニャティ・ウタマドゥニというタンザニア中央部ドドマの合唱団のアルバム『チナ・ニェモ』(という読みでいいのでしょうか?)。そういえばたったいま思い出したが、僕はこの一枚を2012年のベスト・アルバム首位に選んだんだった。

 

 

ベスト・テン首位に選んで、当時はまだブログをやっていなかったが Twitterでこれを発言していると、ふだん読んでくださっているふつうのジャズ・ファンの方が興味を示してくださって、エル・スールで(DVD のほうを)買ってくださったそうだ。やっぱりそういうことがあるとすごく嬉しいし、音楽のことを書くやりがいもあるよなあ。

 

 

しかし僕がムチョヤ&ニャティ・ウタマドゥニの『チナ・ニェモ』を最初に聴いたときは、本当にワァ、なんだこれは〜っ?!なんだかものすごいものを聴いてしまったぞ!こんなポリフォニック・コーラスはいままでまずほとんど聴いたことがないなあと思いつつ、連想したのがやっぱり昨日書いたピグミーの合唱と、それからブルガリアの合唱だ。でもまあどっちかというと、ピグミーの合唱だよね。このタンザニアの合唱もほぼ同じ音楽だと言って差し支えないはず。

 

 

ふつうのみなさんはピグミーの合唱のほうが、まあなんというかむかしから紹介されてきたものだということもあって馴染み深いものだと思うんだけど、僕個人の印象だと、タンザニア盤ムチョヤ&ニャティ・ウタマドゥニのほうがもっとすごいように聴こえてくる。それでこれ、確か荻原和也さんがブログで書いていらしたはずだと思って、なにをお書きだったか確認しようとしたら、さっきから一時間以上も繰返しやっているがいっこうに開かない。Astral さんのブログも同じで、ほかのブラウザやマシン、ディヴァイスでアクセスを試みてもダメだから、so-net ブログ全体が障害かメンテナンス状態なんだろう(2017年10月22日13時前後。その後24時間経過してもダメ)。

 

 

したがって僕の独力で書いていくしかないが、いささか自信がない。ところでこのタンザニア盤、ヴォリュームを上げて聴くとヤバいんだよね。後頭部が痺れてジ〜ンとしてくるみたいで、しかもなんだか身体がスーッと空中に浮かんでいくような感触がする。いやアンタ、それはアンタがおかしいんだ、一度病院で診てもらえってことかもしれないが、僕はアイヌの女性合唱団マレウレウの輪唱でも同じように身体が宙に浮く体験をしたことがある。どうも僕はそういったポリフォニック&ポリリズミック合唱でそうなりやすい人間なのかもしれない。

 

 

ポリフォニック&ポリリズミック合唱で、コール&レスポンスを基本とするというのは、このタンザニア盤でも肝だと思うんだよね。例えば一曲目「Wababa Na Wayaya」。まず男声メイン・ヴォーカリストがワン・フレーズ歌うとすぐに女声コーラスが出て、直後に男声の中音域で「イョッシィ、イョッシィ…」という掛け声が入りはじめる。その掛け声は一曲を通しずっと反復されて、通奏低音のようになっている。

 

 

その「イョッシィ、イョッシィ…」がベースになって、女声の囃子声が、メイン・ヴォーカリスト(コール)に対する復唱(レスポンス)になっている。シェケレみたいなパーカッション・サウンドもずっと鳴っているのが聴こえる。しばしばポリフォニーは混声になり、喉笛のようなもの(これも混声だろう)が聴こえる。女声の喉笛は、例えばサハラのトゥアレグ音楽、いわゆる通称砂漠のブルーズでも入るし、北アフリカ音楽にもあるが、このタンザニアン・ディソナント・ポリッフォニーのものがいちばん迫力がある。

 

 

ディソナント、すなわち不協和だということは説明不要だと思う。西洋音楽の考えかたでアフリカの合唱を聴くことはできないから、あまりこういう言いかたも意味がない。濁って澱んだ響きのヴォーカル・コーラスに確かに聴こえるが、それがこの上なく美しく聴こえるよね。しかもプリミティヴな音楽なんだろう?と思われると、実はかなり綿密にアレンジされて組み立てがしっかりしているものだ。一曲目についてここまで書いたことだが、それがほかの収録曲でも緊密な構成で配置されていて、どこでどうやれば効果的に聴き手にアピールできるか、考え抜かれている。

 

 

タンザニア盤『チナ・ニェモ』二曲目のアルバム・タイトル曲だけ、二年前に僕は自分で YouTube にアップロードしてある。3570 views だからそんな無視されているわけでもないよなあ。しかもコメントだって付いているのだが、そのコメント、そもそも何語だかも僕には分らないんだ。どなたかお分りになる方、教えてくださいませんか?

 

 

 

お聴きになって分るように、このタンザニア盤はかなり音圧が高いんだよね。それがド迫力で迫ってくるし、混声の大合唱団が一丸となって「これぞアフリカだ!」「これこそがアフリカン・ポリフォニーだ!」と大きく主張せんと歌い、囃し、鳴らしては、変幻自在かつドロドロのヴォーカル・パフォーマンスで圧倒してくるから、そりゃあ後頭部もジ〜ンとそて身体も宙に浮く(ような幻惑感がある)っていうもんじゃないかなあ。

 

 

タンザニア盤『チナ・ニェモ』。もちろんヴォーカルが中心の音楽だけど、伴奏は太鼓系のパーカッションだけでなく、弦楽器??系のサウンドが聴こえたり、アルバム・ラストの六曲目「Ngadu」では管楽器??というか、笛のようなサウンドも聴こえたりする。この六曲目の伴奏は、ほかの曲の伴奏に比べると彩りが異なっている。また太鼓みたいな音がするパーカッション(だと思うが?)が奏でるポリリズムはかなりの迫力で、このアルバム最大の魅力であるポリフォニック合唱とあいまって、これほど強靭でしなやかな音楽は世界にそうはないはずだと確信する。

 

 

タンザニア中央部ドドマの合唱団のアルバム『チナ・ニェモ』。これぞアフリカン、いや全人類最高のポリフォニー。これぞ全人類最高のトランス・ミュージックだ。こんなとんでもなくものすごいものに出会えることがあるもんだから、それで部屋のなかで聴きながら身体が浮いたりするもんだから、やっぱりいろんな音楽を探して聴きまくることはやめられなないよなあ。

2017/10/28

イトゥリ森にて(アフリカン・ポリフォニー 1)

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僕が知ったのは遅かったのだが、アフリカ音楽のなかで、ひょっとしたらこれが世界でいちばん古くから知られている最も有名なものかもしれないピグミーの合唱。現在の日本では2010年のライス盤『旧ベルギー領コンゴ地方の伝統音楽』で親しまれているはずで、僕も愛聴しているが、ずっと前からアナログ・レコードがあったみたいだ。日本では1977年に中村とうようさんがキング盤で紹介し、その前にコロンビア盤もあったらしく、それが最初だったかもしれないが、アメリカではその前からコモドア盤 LP があって、それも元々は SP レコード六枚だった。録音が1935年と36年で、おそらく非アフリカ人がアフリカ中央部でフィールド・レコーディングした最も早い時期の一例で、しかも中身だって素晴らしい。

 

 

今年晩夏に出版された村井康司さんの新著『あなたの聴き方を変えるジャズ史』で最もカッコイイのは、巻末のディスク・ガイド・コーナーじゃないかと僕は思っているんだけど、420枚が掲載されているなかに、ライス盤の『旧ベルギー領コンゴ地方の伝統音楽』も載っているんだよね。それだけじゃないんだ。この村井新ディスク・ガイドはマジで凄いんだぞ。詳しくご紹介していたらまったくキリがないのでやめておくが、ちょっと本屋で巻末をパラパラッとめくってみてほしい。そしていったんめくったら最後、絶対にレジに持っていってしまうこと必定。とにかくジャズの専門家という位置付けになっている人物が書いたディスク・ガイドとは思えない。『あなたの聴き方を変えるジャズ史』巻末の村井康司ディスク・ガイドは、全世界の人類史上最高峰に違いない。

 

 

村井康司さんの紹介文では「本当のアフリカ音楽」が初めて西欧で知られるようになったとあり、またコール・アンド・リスポンスとミニマル・ミュージック的な手法のことも指摘されている(p. 347)。村井さんのこの文章は、例えばジャズ・ビッグ・バンド、いや、スモール・コンボでも、主導する楽器が演奏するメイン・テーマに対し、アンサンブルで応唱が入って、その繰返しで演奏が進むことが非常によくあって、っていうかこれはもう当たり前すぎるやりかただから、こんなもの、「手法」だなんて意識すらないかもしれないようなものだよね。

 

 

またミニマル・ミュージック的な部分は、特に1960年代末〜70年代にアフリカ音楽や、またそこにルーツがあるだろうアメリカのファンク・ミュージックの催眠的反復手法を、ジャズ・フィールドにいる音楽家たちもどんどんとりいれるようになって、結果いろんな面白い作品が誕生した。マイルズ・デイヴィスの『オン・ザ・コーナー』や、オーネット・コールマンの何作か、っていうか二つか?、そんな傑作の具体例をあげることもできる。

 

 

『あなたの聴き方を変えるジャズ史』の村井康司ディスク・ガイドでは、『旧ベルギー領コンゴ地方の伝統音楽』が掲載されている同じページのその上にひっつけるように、オーネット・コールマンの『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』が載せられている。オーネットのこれはジャズ・ファンならみんな聴いていると思うけれど(だよね?)、そんなジャズ・ファンのなかで、直下に掲載のライス盤『旧ベルギー領コンゴ地方の伝統音楽』を、はたしてどれだけの人が聴いているだろう?でも村井ガイドのおかげで、日本のジャズ・ファンのあいだでも知られるようになっていくはずだ。

 

 

前置きはここまでにして、『旧ベルギー領コンゴ地方の伝統音楽』。メインはもちろんピグミーのポリフォニー。2012年だったか13年だったかにタンザニアのムチョヤ&ニャティ・ウタマドゥニの CD を聴いてビックリして猛烈感動だった僕だけど、あのときすぐに思い浮かべたのが『旧ベルギー領コンゴ地方の伝統音楽』で聴けるピグミーの合唱だったもんね。この二枚は同じ種類の音楽だよ。

 

 

しかしながら正直にまず書いておくと、『旧ベルギー領コンゴ地方の伝統音楽』で僕のいちばんのお気に入りは、4トラック目の「ルペーロでの木琴の演奏」なんだよね。僕はこういう楽器とその演奏が大好きでたまらない。こんなに好きっていうのは、いったいなんなんだ?と自分でも分らないが、インドネシアのガムランとか、ビルマのパッタラーとかサイン・ワインとか、この種の同類楽器のことが、そしてそれを使ってミニマル・ミュージック的な演奏をやるものが、本当に大好き。

 

 

これはどうやら、どれかがどこかへ流れていって影響云々という話(もあるのかもしれないが)じゃなくて、人類共通の音楽特性ってやつじゃないかと僕は思う。こういうかたちと構造と演奏法の楽器を全世界の人間はつくりたがる。そしてつくったら同じようにミニマルな演奏をやる。それには影響関係とかがあるのではなく、全人類、だれに教わらなくてもそうなるっていう、そういうもんじゃないかなあ。通底するものがあるんじゃないかと思うんだ。その音楽的普遍性が僕は好きなんだと思う。

 

 

6/8拍子で演奏される「ルペーロでの木琴の演奏」のことはここまで。あるいは3トラック目「バペレ族の踊りとカルミ首長の踊り」や、7〜9トラック目の「ワトゥシ族王家のタイコ演奏」三つも面白いが、これらのインストルメンタル・トラックも省略するしかない。やはり『旧ベルギー領コンゴ地方の伝統音楽』で聴ける人声ポリフォニーの話をしておかなくちゃ。このアルバム、木琴と太鼓演奏の4トラックを除くと、ぜんぶがヴォーカルのみのやりとりか、それに複数のパーカッションが加わってのもの。アフリカ中央部のコンゴ北部地域の、主にイトゥリ森で採取されたものだ。

 

 

それらは、むかしから彼らアフリカ人たちが歌っては演奏し踊っていたか、あるいは割礼式などの儀礼の際の伴奏音楽として演唱されていたかで、それがずっと変わらずそのまま続いていたものを西洋人が現地録音したものだってことなんだろう。プリミティヴというのは簡単だけど、音楽的には複雑で高度だ。原初的というのと正反対かもしれないが、洗練もされて完成度が高い。

 

 

ヴォーカルは、やはり主にリード・シンガーがいて、それが一人で主唱して(コール)、というかハラーみたいなものを歌って、その旋律に反応して返すようにコーラスが応唱する(リスポンス)。1トラック目「マンベトゥ族の合唱」、2トラック目「バビラ族の合唱」あたりでは特にこのコール&リスポンスが顕著に聴ける。リード・シンガーとコーラス隊のコール&リスポンスは西アフリカ音楽でもふつうだし、世界中にある。イトゥリ森のポリフォニーはそれらのルーツというんじゃなく、これまた人類普遍共通の歌いかたで、だれでもふつうにやればこれに至るってことなんだろう。

 

 

『旧ベルギー領コンゴ地方の伝統音楽』で聴けるヴォーカル・コーラスは、西洋音楽のハーモニーの考えかたでは説明できないかもしれない。西洋音楽的には不協和の極みで、しかしイトゥリ森ではそもそも調和、協和させるとかなんとかいう発想がないんじゃないかなあ。だからハーモニーでもユニゾンでもない…、う〜んと、まあやっぱりユニゾンみたいなものとして一斉に声を出して一緒に同列で歌っているんだろう。鳥のささやきのよいなハミング・ウィスパーからドスの効いた地を這うような低音まで、彼らは自在に声を操って、緩急をつけながら、高度なポリフォニーを進めていき、それに合わせて踊っている。

 

 

喉を震わせるような発声や、ゴロゴロ転がす声、迫力満点のうなり声など、変幻自在。だいたいみんな『旧ベルギー領コンゴ地方の伝統音楽』で聴ける複声や打楽器演奏のことをプリミティヴと形容するけれど、複雑高度に発達洗練された西洋音楽と比べりゃ、そりゃシンプルかもしれないが、録音されたできあがりのピュアな美しさ、もたらす感動の大きさで比較したら、どっちがより魅力的でまぶしいかなんて言えないね。イトゥリ森のポリフォニーは、すべての音楽ファンが聴くべきものだ。

2017/10/27

マイルズの三管時代

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プレスティジ・レーベル時代、1956年12月8日のライヴ公演を最後に、マイルズ・デイヴィスはファースト・クインテットを解散。レギュラー・バンドを再結成したのがコロンビア・レーベル移籍後、57年12月のことで(録音開始は翌58年初頭から)、しかしメンツは全員同じだったから、じゃああの解散とはなんだったのか?よく分らない。しかし唯一違っているのが、四人全員同じメンバーを呼び戻したときに、もう一人、アルト・サックスのジュリアン・キャノンボール・アダリーを加えてセクステット編成にしたことだ。

 

 

ちなみに1956年末のあれを、オリジナル・クインテットの「崩壊」と呼んで、その原因はメンバーの相次ぐ退団だとする人もいるのだが、これはやや疑わしいように思う。例えば、サイド・メンが自己のバンドを率いたいとか、あるいはその他の理由で辞めたとしたのなら、57年末にマイルズがそのまま全員もとどおり呼び戻せただろうか?

 

 

1957年末の再結成以後、ピアノがレッド・ガーランドからビル・エヴァンズに(1958年3月)、そしてウィントン・ケリーになったり(1959年1月)、ベースのポール・チェインバーズはそのままだけど、ドラムスがフィリー・ジョー・ジョーンズからジミー・コブに交代したり(1958年5月)しているが、メンツも同じのホーン三人編成は1959年4月のスタジオ録音まで続いた。

 

 

ってことは、マイルズがプレスティジからコロンビアに移籍して新バンドを持ったそもそもの最初からこうだったと二つのことが推測できる。一つ、オリジナル・クインテットはかなり気に入っていたので、実はそれをまったく一人も代えたくなくて、実際そのようにした。一つ、それにもう一人加えてセクステットにしたのは、マイルズ本人というよりも会社コロンビア側の要請だった。

 

 

コロンビア側の要請でこうなったというのは、確証がないのだが、間違いないと思う。というのは、以前も書いたようにマイルズがコロンビアに正式移籍してのちも、プレスティジは録りだめしてあった曲群をアルバムに仕立て小出しにして一年に一枚づつアルバムを、さも新作であるかのような顔をしてリリースし、最後の『スティーミン』が発売されたのは1961年の5月だったもんね。それらほぼぜんぶがファースト・クインテット編成での作品。

 

 

ってことはコロンビアとしては、まったく同一メンバーによるマイルズのアルバムを出したんじゃ、一般の買い手のみなさんが「さて?どっちが新しいんだろう?」「マイルズの新作はどっち?」と混同したり悩んだり分らなかったり、要するに自社盤の売れ行きに影響すると考えたに違いない。唯一の例外が1955年と56年に秘密録音してあった『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』を57年5月に発売したこと。がしかしこの『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』、マイルズをコロンビアに引き抜いた張本人であるジョージ・アヴァキャンの回想によれば、それは売れに売れたらしい。五回プレスして五回とも完売だったそうだ。

 

 

だからちょっと違うのかもしれないし、どうしてアルトのキャノンボールを加える必要があったのか、やはり不可解な面もあるが、それでも同時期リリースのプレスティジ盤とまったく同一編成ではまずいという判断もあったはずだ。コロンビアとしては「こちらの我がコロンビア盤こそ新しいマイルズです、新作なんです」とアピールして、買い手の購買欲を刺激する必要があったと思うんだよね。それなのに肝心のボスはファースト・クインテットとまったく同じバンドでやろうとしたもんだからあわてて会社が「ちょっと、マイルズ、それじゃあすこしまずいんだ、せめてもう一人加えてくれないか?」と言ったんじゃないかと、僕は想像している。

 

 

真相はやはり分り切らないが、いずれにしてもオリジナル・クインテットにアルトのキャノンボールを加えた六人編成のマイルズ・レギュラー・バンドが発足し、それはそもそもコロンビアでのスモール・コンボによる録音開始から、最初から、このセクステット編成だったんだよね。初録音は1958年2月4日(がアルバム『マイルストーンズ』の半分になる)。その後、上述のとおりポール・チェインバーズを除くリズムの面々は交代するものの、マイルズ+コルトレイン+キャノンボールの三管編成はそのまま59年4月22日録音(はアルバム『カインド・オヴ・ブルー』の一部となる)まで続く。

 

 

この三管編成での公式アルバムはぜんぶで五枚。スタジオ作が『マイルストーンズ』『1958 マイルズ』『カインド・オヴ・ブルー』。ライヴ作が『アット・ニューポート 1958』『ジャズ・アット・ザ・プラザ』。しかしご存知の通り、キャノンボールが吹かない曲が複数あり、またレッド・ガーランド・トリオでの録音も一曲あったりで、三管の全員が吹いているものだけにすると、別テイクもあわせてぜんぶで29曲。この数が多いのか少ないのか分らないが、とにかく僕はかなり好きなサウンドだ。

 

 

だいたい僕は分厚いホーン・アンサンブルのサウンドが好きなんだ。ビッグ・バンドこそいちばん好物だしね。だけどマイルズ・デイヴィスのばあい、ギル・エヴァンスとのコラボ作を除くとたいていはクインテット編成で、ときたまカルテットだったり。クインテットでもホーンはマイルズ一人だったりすることもあって。やや人数多めの管楽器編成というと、初リーダー作になった『クールの誕生』か、プレスティジ盤『ウォーキン』の A 面か、そうじゃなければ1958/59年のセクステットくらいなんだよね。1969年夏録音の『ビッチズ・ブルー』とその直後あたりも三管だけど、あのあたりの管楽器サウンドはぜんぜん分厚くない。分厚いのはリズムと、それから鍵盤楽器三台の多層サウンドだ。

 

 

しかしながら1949/50年録音の『クールの誕生』は九人編成(だから管楽器は六本)とかなり人数多めだけど、マイルズのレギュラー・バンドじゃないし、そもそもあのアンサンブルは<分厚い>と言えるのだろうか?そんなに多くが重なりあって吹かないアレンジだし、アンサンブルのなかでどんどん管楽器を抜いていったりしているしなあ。僕の耳には1958/59年のマイルズ+コルトレイン+キャノンボールの三管時代のほうがヴェルヴェット・サウンドに聴こえるんだよね。

 

 

だが、この1958/59年の三管時代も、ホーン・サウンドが分厚い時間は実は短い。まずマイルズという人はテーマ吹奏をアンサンブルでやりたがらない。多くのばあい、自分のトランペットだけでテーマを演奏して、その後三管が次々とソロを吹くだけで、三管アンサンブルのパートはかなり短いんだよね。なんらかのちょっとしたリフみたいなものを、例えばピアノ・ソロの背後で入れたりなどするだけ。もちろん例外的にというべきか、三管アンサンブルでテーマを演奏しているものだって複数あるが、数は少ない。

 

 

このあたりはまた別の探求テーマだろうと思う。マイルズのあの「僕はほかの管楽器奏者とからみあいたくありません、それは嫌なんです、だからテーマは自分一人で吹かせてください」みたいな志向(嗜好)はどういうことだったのか?ハード・バップ・ミュージックだとたいてい二管アンサンブルとかでテーマをやるのに、あの孤立志向はなんだったんだろう?ほかにはあまり類例がないなあとか、あるいはまた一時期、ウェイン・ショーターとは、むしろ積極的にからんでいて、どんどん二管アンサンブルで演奏するばかりか、トランペットとテナー・サックスの音色がかなり近づいていたように聴こえていたりしたのはなんだったんだろう?とか興味深そうな部分があるから、機会を改めたい。まだぜんぜんなにも考えていないけれど。

 

 

ともかくそんな具合で、ほかの管楽器奏者と一緒にテーマ合奏するのが好みではなかった(ように思うんだが)マイルズだから、1958/59年の三管時代もホーン・アンサンブルが分厚く聴こえる時間はあまり長くはない。それでもこの音楽家のほかの時代と比較すれば、やはりゴージャスなヴェルベット・サウンドに近いんだだよね。この時代のマイルズ・コンボを「ヘヴィー級の演奏」と呼んだのはジョー・ザヴィヌルだ。まさにそんな感じだよね。

 

 

1958/59年の三管編成録音だけを抜き出して録音順に並べたプレイリストを僕は作ってあるのだが、これはかなり簡単なことだった。録音順にするのは、オリジナル・アルバムからやろうとするとやや面倒くさいが、1999年リリースの CD 六枚組『ザ・コンプリート・コロンビア・レコーディングズ 1955-1961』が録音順の曲収録なんだよね。このボックスはコルトレインとマイルズの全共演録音集という意図でのものだが、キャノンボール在籍時代はすべてコルトレインと一緒なので、これだけで録音順にぜんぶが揃うんだよね。

 

 

それで抜き出した計3時間48分のプレイリストを聴いていると、やっぱり三人の管楽器奏者が同時に音を出していることはかなり少ないなあ。目立つのは2テイクある「マイルストーンズ」、それから「シッズ・アヘッド」「ドクター・ジャックル」(以上、アルバム『マイルストーンズ』)、フォールス・スタートもある「フレディ・フリーローダー」だけ。全29個のうちたったの5個だけなんだよね。

 

 

ほかは、例えばサックス二管でテーマを演奏する、2テイクある「ストレイト、ノー・チェイサー」とか、 マイルズやポール・チェインバーズによるテーマ演奏中で部分的にサックス二管や、あるいは三管のバック・リフが入ったり(「トゥー・ベース・ヒット」「オール・ブルーズ」「ソー・ワット」)、あるいはピアノ・ソロのあいだに三管でやはり部分的にバック・リフを入れたり(「ソー・ワット」)などしているだけだ。ここまで書いてきたもの以外に管楽器の重層サウンドは一切ない。

 

 

そうなると、マイルズ三管時代がヴェルヴェット・サウンドだという、僕の持っているこの印象はなんだったんだ?と思ってしまうのだが、う〜ん、どうなんだろう?ザヴィヌルの言う「ヘヴィー級の演奏」というのは、三管の重なり合いというよるも、サックス二管のあの太くて丸い音色が立て続けにソロをとるのが、まるでリング上で図体の大きな二人のボクサーがあいまみえる様子みたいだという意味だったんだろう。

 

 

あの時代のマイルズ・コンボが重厚なサウンドだっという僕の持つ印象も、ザヴィヌルの言うような、三管が次々とソロを吹くからそういうイメージになるというだけのものだったかもしれない。でもちょっとそれだけじゃないように聴こえる部分だってあるんだよね。三管が重なって重厚ヴェルヴェット・サウンドに聴こえるいちばんのものは、アルバム『カインド・オヴ・ブルー』、特に一曲目の「ソー・ワット」だ。

 

 

ご存知のように、ポール・チェインバーズのベースがテーマ、というよりもただの音列を弾くのが導入部と終結部になっているものだが、その部分で三管が入れるあの「アーメン」。あのアーメンがかなり重たくて広がりがあって、こう、なんというか、「アーメン」だからキリスト教会でのゴスペルのマス・クワイアがそう合唱しているかのように、僕には聴こえるんだなあ。オカシイですか?四番手で非常に短いソロを弾くビル・エヴァンズの伴奏でも、同様のアーメンが入る。

 

 

あのアーメンがヴェルベット・サウンドに聴こえると同時に、三人の管楽器奏者が次々とソロを吹く「ソー・ワット」だから、それらがあいまって、僕には1959年スタジオ・オリジナルの「ソー・ワット」は分厚いアンサンブル・サウンドを持つもののように聴こえるんだよね。ライヴでの展開でそうなっているものは一個もないし、また三管レギュラー時代のライヴ盤二枚では「ソー・ワット」はやっていない。どっちも58年のパフォーマンスだから当然だ。

 

 

アルバム『かインド・オヴ・ブルー』では、ほかの曲でも類似する印象になっているものがある。二曲目「フレディ・フリーローダー」の三管によるテーマ部と、四曲目「オール・ブルーズ」テーマ部で、サックス二管でリフを反復しながらその上でマイルズがハーマン・ミュートを付けてテーマ演奏するあたりだ。まあでもこれら以外にはぜんぜんないんだけれどさ。

 

 

でもスタジオ盤だとほかの二枚『マイルストーンズ』『1958 マイルズ』にこんな印象になるサウンドはほぼないにひとしい。特に『1958 マイルズ』のほうにはまったくぜんぜんない。テーマ演奏はぜんぶマイルズ一人でのトランペット演奏で、ソロを順番に吹くだけで、だれかのソロのあいだに複数管楽器アンサンブルで伴奏リフを入れたりすることもない。『マイルストーンズ』だと、曲「マイルストーンズ」と「ストレイト、ノー・チェイサー」のテーマ演奏部で、やや重厚な感じに聴こえなくもないかなという程度だ。

 

 

マイルズのレギュラー・バンドでは、管楽器のサウンドは薄いほうが圧倒的にふつうで、これは1955〜91年までほぼ変化なしだ。派手で重厚なビッグ・アンサンブルがあんなに好きだったマイルズなのに、これはちょっと意外だよなあ。クラシック音楽のシンフォニック・オーケストラをたくさん聴いたり、ジャズでもビッグ・バンドが好きなマイルズで、自分のやる音楽でもときどきそんなようになったりもしたが、すべてがそのとき限りのセッションで、レギュラー化したことは一度もない。

 

 

だから1958/59年の三管時代の、特に『カインド・オヴ・ブルー』なんかは、この音楽家のなかではかなりの例外なんだよね。あれこそがマイルズの代表的傑作だとされたりするのには、僕はふだん異を唱えたりもするのだが、管楽器のサウンド的重厚さという点では(も)、やっぱり最高の一枚なのかもしれない。(モーダルと言わず)ハード・バップとしては、かなりの例外的作品だけどね。

 

 

三管時代のライヴ盤についてもほんの少しだけ触れておこう。1958年9月9日録音の『ジャズ・アット・ザ・プラザ』はまったく面白くないように思う。六人全員同じメンツによる同年7月3日のニュー・ポート・ライヴは興味深いところがある。三管のからみという点でいちばん面白いのが、一曲目の「アー・ルー・チャ」だ。ご存知『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』収録のものがスタジオ・オリジナル。

 

 

そのオリジナル・ヴァージョンでお馴染のように「アー・ルー・チャ」のテーマ部は、トランペットとサックスがまるでディキシー・ランド・ジャズのそれみたいに同時並行でバラバラのラインを吹きからみ合うというもので、これははたしてなんだったんだろうなあ?同時期のジェリー・マリガンも、自分のバンドでトランペットのチェット・ベイカーと二人で、同じようなディキシー・ランド・ジャズふうのアンサンブル手法をとっていた。マイルズとマリガンは『クールの誕生』時代からの知己だよね。

 

 

このあたりも突き詰めると面白いかもしれないが、今日の話はそれではない。1955年録音のオリジナル「アー・ルー・チャ」では、マイルズとコルトレインの二管で、まるでディキシー・ランド・ジャズみたいな管楽器のからみかたをしているのを、1958年のニュー・ポート・ライヴでは三管でやっているんだよね。二人でやっていたのが三人になって、こりゃ本当にディキシーみたいだ。マイルズもああいった古めのジャズがけっこう好きだったらしい。ふだんからそう発言していた。

 

 

1958年ニュー・ポート・ライヴでは、それ以外はふつうにスタジオ・オリジナルと同じような演奏をやっているから、三管サウンドという今日のテーマからすると特筆すべき点はなにもない。ソロをとる管楽器奏者が三人になって、ちょっとゴージャスな雰囲気だなと思うだけで、重なり合いのサウンドが面白いとかってのはないなあ。このころのマイルズは、やっぱりスタジオの音楽家だね。

 

 

あまり関係ない話になるが最後に。1958年ニュー・ポート・ライヴでは1トラック目が MC で、司会のウィリス・コノーヴァーがバンド・メンバーを紹介している。それを聴くと、 Jimmy Cobb はジミー・カブ、Paul Chambers がポール・チェインバーズ、Bill Evans がビル・エヴァンズ、John Coltrane がジョン(or ジャン)・コルトレイン、  Julian Cannonball Adderley がジュリアン・キャノンボール・アダリー、そして Miles Davis がマイルズ・デイヴィスなんだよね。

 

 

 

Miles がマイルスではなくマイルズだっていうのは、綴りからしてそうなるはずと思うものの、実際の音源での証拠をなかなか聴けないんだよね。だから貴重だ。アダレイも前からアダリーにしてある僕だけど、ほかの、例えばジミー・カブとかには、まだ直しにくいなあ。なんだか日本の二輪の乗り物みたいだしな〜。エヴァンズとチェインバーズとコルトレインについては、前から分っていたことでもあるしやりやすいしで、今後はこう書くことにする。

2017/10/26

エキゾティックなモダン・ショーロ 〜 チアーゴ・ソウザ

Tiago20souza







新人のショーロ演奏家、チアーゴ・”ド・バンドリン”・ソウザのデビュー作2017年の『ジ・ソスライオ』。確かに一曲目のリズムのキレがかなりしゃっきりシャープだから目が覚めて、その後もノリのいい曲が続くのでそういうアルバムではあるけれど、なかにはしっとり落ち着いた静かで典雅なショーロもあるよなあ。6曲目「パーサロス・ジ・フェスタ」とラスト12曲目「セレーナ」はそうだ。この二曲ではかなり安らかな気分になって、目覚めるどころか入眠向きだけど、二曲だけだから少数派なんだろう。だから全体的にはやっぱり爽やかな目覚めのショーロ・アルバムだ。

 

 

ところでそれら二曲の安らかショーロ。聴きおぼえがあるような気がするし、聴いたことなくても間違いなく19世紀末あたりの古典ショーロ楽曲の趣だなあと思ってブックレットを見たらやっぱりだ。6曲目「パーサロス・ジ・フェスタ」はエルネスト・ナザレーの曲。12曲目「セレーナ」はゼー・パウロ・ベケールの曲で、こっちは現代人だけど楽想は古典的。チアーゴ・ソウザのこの『ジ・ソスライオ』では、一曲目が同名の自作曲で、ほかはぜんぶほかの人の書いたショーロ曲をやっている。

 

 

ついでだから安らか典雅ショーロ二曲の話からしておこう。エルネスト・ナザレーの6曲目「パーサロス・ジ・フェスタ」はワルツで(クラシック・ショーロには実に多い)、このアルバムのヴァージョンは最少人数編成のトリオ。チアーゴのバンドリン+六弦と七弦のギターだけなんだよね。しかしこれが実にいい。しっとり落ち着いて、ナザレーの時代のあの雰囲気をストリング・トリオでよく再現している。いまの時代でも、っていうかだいたい全人類普遍の感情をそっとやさしく撫でてくれる。ぜひ聴いていただきたいのだが、YouTube にも Spotify にも一曲もない。そもそもチアーゴがぜんぜんない。って当たり前か、処女作だもんな。う〜ん、CD 買ってください。僕はディスクユニオン通販で見つけました。

 

 

アルバム・ラスト12曲目「セレーナ」はこのトリオ編成にチェロだけ入るカルテット。チェロという楽器が本来持っている音色の艶っぽさが大好きな僕だけど、ここではクールで落ち着いたサウンドに聴こえるのがイイ。これなんか、まさにベッドに入る前に聴いたらすんなり眠りに落ちそう。静かでムーディで、七弦ギターの低音部が(いつもそうだけど)軽めのウッド・ベースみたいで、そこにスーッとチェロが入ってきて、チアーゴのこれまた落ち着いたバンドリンにからむと、いうことなしの心地良さ。う〜ん、ご紹介したい。僕が YouTube に上げてもよかですか?なしてチアーゴは自分で上げんと?

 

 

さて、これら二曲を外すと、最初に書いたようにこのチアーゴ・ソウザの『ジ・ソスライオ』は目が覚めるようなさっぱりしたシャープでキレのいいショーロ・アルバムだ。しかもちょっぴりエキゾティックでもある。キューバンなショーロがあったり、バイオーンみたいなノルジスチ・ショーロもあって、こりゃ面白くて楽しい。

 

 

そのキューバン・ショーロとは9曲目の、曲題もそのものズバリ「ショーロ・クバーノ」。これはマウリシオ・カリーリョの書いた曲で、これでソンふうなトランペットを吹くのがアキレス・モラエスだなんて〜。このアルバム、まるで僕のためにわざわざあつらえられたものなんじゃないかな〜。だって、弟エヴェルソンがオフィクレイドを吹いた例のイリニウ曲集はマウリシオのプロデュースで、全曲アキレスがコルネットを吹いていたもんね。あ、そっちは Spotify にあるんだ。今日の話題じゃないけれど、いちおうリンクだけ貼っておこうっと。

 

 

 

チアーゴ・ソウザの『ジ・ソスライオ』9曲目の「ショーロ・クバーノ」は、まずウッド・ベースのリズミカルなリフ反復ではじまって、その背後で打楽器の硬い音が二つ鳴っている(多重録音だろうが、一個はクラベス)。チアーゴのバンドリン(クレジットではテナー・ギターとなっているけれど、バンドリンだよねこれ?)も入り、アキレスのトランペットが主旋律を吹く。ドラム・セットとコンガも賑やかに叩かれて、完璧なキューバン・ショーロだ。

 

 

アキレスがソンふうなトランペットをと書いたが、曲の中盤でモロそのまんまを吹いているんだよね。しかもこれはあれじゃないのかなあ、「南京豆売り」のパラフレーズじゃないかなあ。そのアキレスがトランペットで吹く「南京豆売り」の言い換えに続き、そのまま打楽器オンリーの乱れ打ちパートがあって、ショーロでこんなのあんまり聴けないよなあ。リズムも派手で賑やかで、曲調もエキゾティックだし、なんたって楽しくて、僕は大好きだ。

 

 

続くアルバム10曲目「マンダカル」がバイオーンふうのノルジスチ・ショーロなんだよね。これもショーロとしてはかなりエキゾティック風味だ。ヴァイオリン奏者が参加しているが、はっきり言ってブラジル北部を通り越してアラブ音楽ふうなヴァイオリン旋律だと言ってしまいたいくらいの雰囲気。打楽器群がここでもかなり賑やか。ショーロではまず聴けないような種類の金属製、木製両方の各種パーカッションが(ダニエル・カリン一人の多重録音で)鳴っている。

 

 

さてここまで安らかで典雅な古典(ふう)ショーロと、その正反対の賑やかでエキゾティックなラテン・ショーロの話しかしていないが、それら四曲いがいでも、オッ!と思わせる意外な仕掛けが随所に施してあって、ちょっと聴くとオーソドックスなショーロ・アルバムかと思いきや、かなり思い切った冒険、実験もやっているチアーゴ・ソウザの『ジ・ソスライオ』。

 

 

主役は、エキゾティック・ショーロ二曲(はバンドリンのクレジットじゃないが)を含め、ぜんぶバンドリンを弾くが、そのサウンドも質がいい。粒立ちが良くて、新人だけど、間違いない人だよなと確信できる。さらに演奏技巧だけでなく、オープニングの自作曲といい、ほかの他作曲でのアレンジといい、かなりしっかりした、しかもテクニカルな組み立て能力も兼ね備えているのだと分る。それでいて、アルバム一枚をとおしショーロ本流の味がしっかり出せているのが好感度大だ。

 

 

新人ではあるものの、チアーゴ・ソウザ、このアルバム『ジ・ソスライオ』8曲目に特別参加のロナルド・ド・バンドリンの息子さんみたいなんだよね。ロナルド(ってかロナウドかな?)があのエポカ・ジ・オウロの有名バンドリン名手なのは説明しておく必要はないんだろう。僕もいままでの過去記事でなんどか名前を書いたことがある。血は争えないってことか。やっぱりな〜。

2017/10/25

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の思い出と変貌

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https://open.spotify.com/album/2Upqk0mMh9OMIVSj9F8Xzw




先週土曜日以来、芋づる式にどんどん連想でつながってここまで来ているのだが、今日も昨日の流れで『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』本編のことを書こうと思う。このタイトル、音楽アルバムも映画も同名だし、中身も同じようなものだし、またバンド名、プロジェクト名にもなり、その後これに参加したキューバ人音楽家の出すソロ・アルバムにも冠される名前にもなったりしていて、なんだか大規模化したよなあ。

 

 

ビッグもビッグ、なんでも1997年リリースの最初の一枚『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は、全世界で800万枚とか900万枚とかも売れたんだそうだ。これがキューバ音楽のアルバム史上最高の売り上げなのは言うまでもなく、ライ・クーダーにとっても自身の関係する作品のなかでいちばん売れたものだったらしい。

 

 

それでそれまでライのファンで来てキューバ音楽に強い関心のなかったブルーズやロック(など)のファンがキューバに目を向けたりしたのは分っているし、その逆もあったかもしれないよね。すなわち、それまでラテン音楽ファン(は日本にだってむかしからかなり多いんだ)だけど北米合衆国のブルーズとかロックとかはちょっと…、と思っていた人たちがライを聴きだしたりした可能性があるかも。こっちは確証がないが。

 

 

それにしてもそれほどまでに売れて、キューバ音楽の全世界的な認知度アップに大きく貢献したのは疑いえない CD『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』。演唱しているキューバ人とキューバ音楽の実力なのか、それともライ・クーダーの知名度と影響力ゆえのみなのか、あるいはその双方あいまってのことだったのか、そのあたりは僕にはなんとも言えないが、まあ両方なんだろうなあ。

 

 

僕のばあい、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は日本で2000年に上映された映画のほうを先に観ていて、その三年前にリリースされていた CD アルバムはそのあとになって買って聴いた。だから僕にとってこのタイトルは映画のものだという印象が強くて、実際、映画館で観て楽しかったけれど、あとになって買って聴いた音楽アルバムのほうはなんだかイマイチだなあ、映画の面白さを追体験できないぞとか思っていたんだよね、つい最近まで。はっきり言うと昨日まで。

 

 

ヴィム・ヴェンダース監督映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の思い出のほうを先に書いておく。これを観たのは2000年の2月。日にちも憶えているのだが、それは書けないんだろう。憶えているのには理由があるんだよね。僕は観に行くしばらく前からこれに行こう行こうと思っていたのだが、なかなか腰を上げなかったのを後押ししてくれたのは、ある一人の若い女性だ。2000年だから僕は38歳だが、その女性は当時24歳だった。

 

 

その女性は僕が勤務していた大学のかつての教え子だった。あまり詳しいことはやっぱり書けないが、僕に教師としてだけでなく、なんだか一人の男性としての好意まで抱いているかのようだったんだよね。でも在学中の学生(や非常勤でやってくる若い女性講師) と一線を越えては絶対にダメだと強く強く自制心を働かせていた僕。だからその女子学生にも、授業や授業外で熱心に英語や外国文学を教えただけだった。その女子学生がこりゃまたそれを熱心に勉強してくれたんだよね。その学生は卒業論文のテーマにチェコ出身の作家ミラン・クンデラをチョイスしたのだが、これだってその前の年に僕が講義した内容から来たものだった。だから指導教官は当然僕。

 

 

その女子学生とは、校外でも渋谷駅までの帰り道のあいだなどで熱心に外国文学のことをしゃべり、駅に着いても離れがたい様子だったのでカフェで話を続け、でもだいたい僕が独演会を開催しているだけに近いものだったが、カフェで二時間とか三時間とかガブリエル・ガルシア・マルケスなどラテン・アメリカ文学のことを延々と僕がしゃべっても、まったく飽きた顔も見せず熱心に聴き入ってくれた。マルケスは卒論テーマの最終候補にまで残っていたらしい。

 

 

そんな具合だったのだが、その女子学生が卒業して二年後に僕の自宅に電話してきたのだった。電話番号は、ある時期までの僕の勤務校は教師の名簿というか、名前と写真と簡単なプロフィールと業績一覧を載せたものを、学生も無料で持っていける場所に平積みしてあったんだよね。いまでも電話番号を外せば当たり前のことだ。いまなら紙の冊子ではなく Web ページなどで。でも電話してきたのはその卒業二年後の女子学生だけだった。

 

 

戸嶋先生、会いたいです、映画観に行きませんか?と電話口で言うので、えーっと、いいのかな?でももう卒業しているんだし、二人っきりでだとはいえ映画観て食事するだけ、それだけならまあいいのかと思って、当時妻がいた僕だけど、妻も僕も配偶者以外の一人の異性と食事に行ったりなどは、文字どおり日常茶飯事だったのだ。そんなことで二人ともイチイチなんとも思わないし言わないし、勝手に自由にやればいいじゃん、事前許諾も事後報告もふだんはなしだった。だから若い女性と二人で映画観て食事に行くことじたいではなく、元教え子であるという一点のみが心のなかでひっかかったのだった。

 

 

でもまあもう在学生ではないんだから、そんなに会いたい、一緒に映画観たいって言うんならと OK したんだよね。そのときその元女子学生がけっこう熱心な映画マニアであることを知った。どの映画にしようか?と僕が言うと、私、映画ならなんでも観るんです、って…、しかしこれ、先生とならなんだっていい、というだけの意味なのかもしれないとその電話では思ったのだが、再会して話をしてみると、マジで僕なんか真っ青になるほどの映画狂だったのだ。

 

 

そんなわけで、マジでどの映画でも観たかったその若い女性と、じゃあ僕はいまちょうどこれが観たいからと言って『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』にしたのだった。2000年の2月。渋谷のスペイン坂をのぼったところにあった、その映画館の名前はなんだっけ?内壁はコンクリート打ち出しで、そこで『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を、二人で並んで観た。

 

 

彼女は音楽のことには特に関心がないようだった。観終わって食事しながら話をすると、僕は昨日も書いたようにオマーラ・ポルトゥオンドとイブライム・フェレールがデュオで歌うラファエル・エルナンデスの名曲ボレーロ「シレンシオ」のあのシーンに惚れてしまったわけで、あれがいかに美しかったか、素晴らしかったか、それを語っても、聞いている24歳はヘェ〜って言うだけで表情も変えず。映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』で映し出されるキューバの街中の風景などがキレイでしたと、彼女は言ってたなあ。

 

 

あの映画で観るキューバの日常風景がなかなかよかったというのは僕も同感だったのだが、なんといってもやっぱり音楽映画だという認識だったので、僕は。その部分にこそ意味があると思って、最初からそれだけが目当てで映画館に観に行きたいと思っていたわけだったので、ここは二人で話が噛み合わない部分だったなあ。まあ音楽愛好家だと分っていれば、最初からもっと違う内容のデートになっていたかもしれないので。

 

 

さて、上で書いたように映画が面白かったので、そのあとになって初めて買った音楽 CD『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』には、当時ちょっとガッカリしたのだが、いま、というか昨日から、その気になってひっぱりだして聴きなおすと、なかなかいい内容の音楽アルバムだよなあ。長年看過してきた僕はやっぱりダメだ。

 

 

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』でやっている、ライ父子を除くキューバ人音楽家たちは、ほぼ全員後期高齢者なわけで、だから滋味深く渋みに満ちて、人生を達観した物静かな境地での演唱ばかりかというと、あんがいそうじゃない。けっこう若い感じでピチピチ、フレッシュなグルーヴもあるじゃないか。老成の境地ばかりじゃないもんね。ここも僕は気がついていなかった。音楽のみずみずしさに年齢は無関係だと、ふだんからあんなに繰返しているにもかかわらず。

 

 

例えばアルバム中一番演奏時間が長い三曲目「エル・クアルト・デ・トゥーラ」。かなり派手なソン(・モントゥーノ)で、こりゃ素晴らしい。メイン・ヴォーカルのエリアーデス・オチョーアもいいが、中盤でもんのごい目覚ましいラウド(リュートみたいな12弦の小さな楽器)のソロを弾くバルバリート・トーレスがいいなんてもんじゃない。驚異的の一言だ。後半、モントゥーノ部になってヴォーカル・コーラスの反復で異様に熱を帯びるのは、まるで1920〜50年代あたりの様子だ。

 

 

アルバム九曲目「カンデーラ」も熱の高いソン(・トゥンバオ)で、メイン・ヴォーカルはイブライム・フェレール。イブライムはソン・モントゥーノ歌手らしいヴォーカル・インプロヴィゼイションを聴かせてくれるが、それ以上にその背後で入る2コード・パターンのヴォーカル・リフ反復での盛り上がりかたがすごい。三曲目の「エル・クアルト・デ・トゥーラ」もそうだが、パーカッション群も大活躍し、聴いている僕まで興奮の極み。体温が沸騰する。

 

 

これら二曲以外は、まあやっぱり渋みがまさっているのかなあと思う『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』だけど、それらもむかし聴いたころのような、フ〜ン、ケッ!っていうような印象がまったくない。音楽は変わっていないから、変わったのは僕の側だ。いや、言い直す。聴き手の変化とともに同じ音楽でも変貌する。やっぱりすがたかたちそのものを変えるんだ。

 

 

実に久しぶりに『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』をひっぱりだして聴きなおし、今日はこんなことを考えたのだった。むかしデートした若い女性の思い出とともに。

 

 

2017/10/24

お静かに!美しいものだから

 

 

日曜日の文章の最後でオマーラ・ポルトゥオンドの名前を出したでしょ。ナンシー・ヴィエイラがやるボレーロ関連で。すると今度はオマーラのことが気になりはじめて、存命中のこのキューバ人女性歌手のことを僕が知った当時のことを思い出していたんだった。それはヴィム・ヴェンダース監督映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』でのことだった。

 

 

この映画と、その前にリリースされていた、ライ・クーダー・プロデュースの音楽アルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のことは詳しく書かないが、この映画のなかで当時の僕にとって最も鮮烈な印象で、いまでも忘れられないワン・シーンがある。それは本当に美しいものだった。ボレーロの名曲「シレンシオ」をオマーラ・ポルトゥオンドとイブライム・フェレールがデュオで歌い寄り添ううところ。あそこに僕は激しく感動して、この女男二名の歌手のことも初めて知ったのだった。

 

 

これだ。

 

 

 

スタジオのなか、リズム・セクションだけのシンプルな伴奏でオマーラとイブライムが「シレンシオ」を歌っているが、途中からそのままライヴ・ステージで同曲をやはり同じデュオでやっているカットにつなげてある。プエルト・リコのラファエル・エルナンデスの書いた(ということは当時の僕がちっとも知るわけない)曲がなんて美しいんだ!しかも、このオマーラとイブライム二名の歌手もなんて甘くて美しい声と歌いかたなんだ!って、猛感動したんだよね。

 

 

ライヴ・シーンはアムステルダム公演?だとかいうことらしいが、僕のばあい、キューバのスタジオ(上掲 YouTube 動画で “EGREM” と入り口にはっきり書いてあるのにいま初めて気がついたが、当時気づいていてもなんのことだか分るわけなかった)で、オマーラとイブライムが対面して見つめあって、この美しいボレーロを歌っているシーンこそが強烈に脳裏に焼き付いたのだ。

 

 

だがしか〜し!こんなにも美しい名曲ボレーロの名歌唱は、音楽アルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』に収録されていなかったのだ。いま考えたらどうして入れなかったのか?これこそクライマックスなのに…、というのは僕だけが抱いた感慨だったのか?それは分らないが、やや不可解で、もう一回聴きたい、あの絶品美を!それもオマーラとイブライムのデュオでぜひ同じように!と思っていたらリリースされたのが、1999年の CD『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・プリゼンツ・イブライム・フェレール』だったのだ。

 

 

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・プリゼンツ・イブライム・フェレール』は、この男性歌手のソロ・デビュー・アルバムということになるらしい。ベニー・モレーの楽団などでも活動した人だが、まったくアルバムなどなかった、出せるわけもなかったイブライムが自己名義の単独アルバムを出せたりしたんだから、その点だけでもライ・クーダーとヴィム・ヴェンダースと、北米合衆国資本に感謝しなくちゃいけないのかもしれない。

 

 

はたして、映画で観て、なんという美しさだと泣きそうになったあのワン・シーン、あの男女が向かい合い見つめあって愛を語り合うがごときあの「シレンシオ」は、アルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・プリゼンツ・イブライム・フェレール』の八曲目に収録されていた。それもイブライムとオマーラのデュオ・ヴァージョンで。しかしこれは当然のように録音しなおしたヴァージョンで、ストリングスなども入っている。

 

 

 

イブライムとオマーラ二名の声も歌いかたも、映画ヴァージョンよりずっといい。ライがちょろっとギター・スライドでビョ〜っと余計なことをしてくれちゃっているのが、このあまりにも美しい玉のただ一つの瑕で、それさえなければ100点満点の音楽美。でもライのおかげで実現したんだから感謝しなくちゃいけない。それにこのあまりにも美しすぎる曲と二人のヴォーカルとストリングスの前では、ライのスライドもさほど邪魔だとも思えない。それほどまでに美しい。

 

 

あ〜、なんだか今日もここまで「美しい」としか口にしていないが、それ以外の表現が出てこないもんね、こんなボレーロを聴かされたら。まず映画で観て、CD『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・プリゼンツ・イブライム・フェレール』でもっといいヴァージョンを聴いちゃった1999年、ではなく、映画を2000年に観たあとだから同じ年か翌年あたりから現在まで、僕はこの CD ヴァージョンの「シレンシオ」を聴くたびにマジで身も心も溶解してしまって、骨抜き状態にされてしまう。

 

 

 

イブライムも素晴らしいボレーロ歌手で、でもちょっとだけアマチュアっぽいフレージングも、アルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・プリゼンツ・イブライム・フェレール』のほかの曲では散見するものの、特にアルバムにぜんぶで五曲あるボレーロ・ナンバーでのヴォーカル表現などは文句なしだ。アルセニオ・ロドリゲスの曲をやったソン・モントゥーノとかも年輪を感じるいい味で、また、かつてのボスであるベニー・モレーの曲を二つ(一個はベニー自作)やっていて、一個は完璧なマンボ、一個は名曲ボレーロの「コモ・フエ」で、それらも見事だ。

 

 

だが、僕にとってアルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・プリゼンツ・イブライム・フェレール』はボレーロ曲こそがすべてなんだよね。それもこれ一曲だけ、容姿も表情も姿勢も声も美しいオマーラ・ポルトゥオンドを迎えてデュオでやるラファエル・エルナンデスの「シレンシオ」〜 これこそ、僕にとってのこのアルバムの「すべて」だと言って間違いない。

 

 

「シレンシオ」。歌の中身はつらく苦しい(悲恋?)内容で、しかし主人公の語る心情 〜 庭に美しい花々が眠っているんだから、どうかお静かに。わたしが泣いているということを、わたしの苦しみをこの花々に知れたりなどすれば、花々はわたしをあわれんで一緒に泣くでしょう。だからわたしは花々に自分のかなしみを知られたくないのです。もし知れたら彼らは死んでしまいますから 〜 もなんて美しいんだと思うけれど、それをそっと優しくささやくように歌うイブライムとオマーラの表現が、まるでこの世のものとは思えない。

 

 

特にイブライムがまず一連歌ったあとサビになって、オマーラが “Yo no quiero” で出てきた瞬間に、そのオマーラの声の美しさにゾッコン惚れてしまう。いまだになんど聴いてもオマーラのヴォーカル、ボレーロ歌手としての素晴らしさに降参する。また歌のいちばん最後で、オマーラとイブライムのハーモニーで “morirán” と歌う部分で、なんど聴いても僕の涙腺が爆発的に崩壊してしまう。

 

 

やはりデュオ・ハーモニーで歌う大サビの “ Silencio” とかねえ、こんな美しい言葉をこんな美しく発するなんてことが、ほかにこの世にあるのだろうか?なんて綺麗なんだ、オマーラ。本当に美しいと心の底から思う。好きだぁ〜!オマーラ!!年齢なんか関係ない、いまからキューバに行ってもいいですか?

 

 

(追記)オマーラのアルバムのことは、またちゃんと文章にします。

2017/10/23

味わい深く歌い込むナンシー・ヴィエイラの2011年作は大傑作 〜 祭 3

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一昨日ナンシー・ヴィエイラの2007年作『ルース』を10年ぶりに引っ張りだしてきて聴いたらあまりの素晴らしさに失神して、昨日それについて書いたばかりか、一昨日の時点で次作2011年の『ノ・アマ』をアマゾンでポチったら、すぐ昨日届いてしまった。僕、愛媛県住いなんですけれど、アマゾンってこんな早かったんでしたっけ?僕がプライム会員であることは関係なさそうですよね。クロネコヤマトさん、いつもお世話になってます。

 

 

それにしてもやっぱり CD なんかをそう簡単にホイホイ処分しちゃいけないんだという、以前書いたことを、いままたふたたび激しく実感したわけだよね。ナンシー・ヴィエイラの2007年『ルース』も、その真価に気づくのに10年もかかった、というか一回か二回聴いてフ〜ンと思っただけで、10年間も放ったらかしにしちゃってた。まああれの素晴らしさに気づかず放置して、『ルース』CD も部屋のどこにあるのか分らないようにしてしまう僕がダメ人間だということだろうけれど。

 

 

ナンシー・ヴィエイラの『ルース』、はっきりいって10年目の大衝撃だったので、あわててその日のうちにアマゾンで2011年作『ノ・アマ』もオーダーして翌日届いたそれを早速聴くと、今度は鈍感耳の僕でも、こりゃ素晴らしい、素晴らしすぎる、深みとコクと味わいをグッと増した大傑作だと、一聴で分ったんだった。うんまあ、この『ノ・アマ』はだれでも一回聴いただけで降参してしまうはず。『ルース』が(かなり遅れた)大衝撃だったので、『ノ・アマ』のほうにビックリはしなかったが、この心地良さと味わい深さは超がつく極上品だ。2011年作だけど、今年末のベスト・テンに入れようっと。

 

 

『ルース』4曲目の「青い海の希望」みたいな、速攻で耳を惹きつけるようなサウンドや、1曲目のランドーや12曲目のボレーロみたいな、カーボ・ヴェルデ歌手としては斬新な試みは、『ノ・アマ』のほうにはない。ありゃ、しかしこれ、いま調べて初めて知ったが日本盤も出ているのか…。邦題『そよ風のリズム、愛の歌』って、しかもアマゾンで見るとジャケット・デザインが違っている。邦盤のジャケ写は、フランス盤附属ブックレットの表紙を転用しているみたいだ。

 

 

その日本盤ジャケ写(写真右 or 下)がですね、かつて思春期の僕が心ときめかせたあのころの南沙織とかアグネス・ラムみたいな感じのチャーミングさに見えて、いまのナンシー・ヴィエイラの年齢を考えたらちょっと失礼な連想かもしれないが、これっていわば南洋系の可愛らしさということなんだろうか?分りませんが、とにかくナンシーの『そよ風のリズム、愛の歌』のジャケ写で、アッ、イイナとなったそこのあなた、買ってください。中身の素晴らしさは保証します。しかもその少女であるかのようにも見えるチャームとは裏腹に、中身の音楽はしっとりした情感にあふれていて、完璧に大人の女性の深みがあります。特にナンシーの声の表情と翳りに。

 

 

う〜ん、なんだか書いていたら日本盤もほしくなってきたぞ。一曲多いみたいだしなあ。どっしよっかなあ〜(と言っているときは、僕はだいたい買ってしまう)。まあどっちにしてもいまは手許にフランス盤があるので、それを聴いてブックレットを眺めながらなにか書いておくとしよう。曲名だけアマゾンで見て邦題も書くことにする。

 

 

ナンシー・ヴィエイラの『ノ・アマ』に、前作『ルース』のような他流試合はないと上でも書いたが、ブラジル音楽テイストだけはしっかりある。カーボ・ヴェルデ音楽にとってのブラジル音楽は、「他」「異」でもないようなので、これは当たり前のことなんだろう。それでも『ノ・アマ』では、基本的にはアフロ・クレオール・ミュージックとしてのカーボ・ヴェルデ音楽に集中して掘り下げている印象がある。そのおかげでナンシーの声に深みが増しているんじゃないかなあ。

 

 

前作『ルース』にあったような賑やかさ、派手さは、『ノ・アマ』ではまったくと言っていいほど聴かれない。代わってあるのは静かで落ち着いたたたずまい、しっとりした大人の情感、その深み、潤いとか、そういったもので、実際、アルバムの全12曲に派手で快活すぎるような曲調のものは一個もないと言っていいような感じだ。だからこそ、例えばしっとりバラード系のモルナなどでも爽やかさを獲得できている。

 

 

アルバム『ノ・アマ』で快活な曲というと、3曲目「心のカーボ・ヴェルデ」(Cab'Verde Na Coracon)、5曲目「サンチャゴ・レディ」(Nhara Santiago)、9曲目「誰も誰かのものではない」(Ninguem E Di Ninguem)、12曲目「エレガントな小柄のジプシー女 」(Cigana de Curpin Ligante)ということになるんだろう。

 

 

しかしそれらフナナー、バトゥーケ系の曲(というもふさわしいのかどうか?そんな指摘は無意味なほどにポップに昇華されているからだ)でも、アフリカ由来のリズム・パターンではあるものの、泥臭さみたいなものがぜんぜんなく、ハードにドライヴするようでもなく、ブラジル由来のサンバ、ボサ・ノーヴァもありながら、そんなサウダージを見せつつ、やはりブラジル音楽ふうな爽やかさと軽快さに満ちている。

 

 

例えば3曲目「心のカーボ・ヴェルデ」。

 

 

 

例えば12曲目「エレガントな小柄のジプシー女 」。

 

 

 

この二曲がナンシー・ヴィエイラの『ノ・アマ』でいちばん快活な曲だけど、どうだろう、みなさん、この落ち着きっぷりは?前作2007年の『ルース』ではもっとはしゃいでいた。それがこんなノリのいい曲でもシットリとした余裕を感じさせる歌いっぷりで、声の出しかたにも歌い廻しにも深みを増している。見事な大人の女性としての音楽的成熟だ。素晴らしい〜。ナンシー、好きだぁ〜!(ってアンタ、だれかれ構わずだな、だれでもええんか?>僕 ^_^;;)。

 

 

アルバム9曲目「誰も誰かのものではない」はボサ・ノーヴァなんだけど、これなんか途中までナイロン弦のポルトガル・ギター一本(とシェイカーだけ)の伴奏で歌っているんだよね。ギターとシェイカーだけという伴奏も完璧なボサ・ノーヴァ・マナーだけど、ほぼギターだけに乗って歌うナンシー・ヴィエイラの余裕と落ち着いた表情、それゆえの軽やかさに注目して聴いてほしい。後半、2:24 でベースやバック・コーラスなどの伴奏陣が入ってきて、サウンドがやや派手めになってからも、ナンシーは余裕綽々で軽く舞っている。しっかし心地良いなあ、これ。

 

 

 

また続く10曲目「あなたのことを教えて」(Dxame Concheb)は、最後まで一曲全編ポルトガル・ギターだけ、たった一個だけの伴奏で歌うしっとり系モルナだが、これもかなりの深みを見せながら、そっと優しく軽く聴き手のハートにタッチしてくるかのようなしとやかな情感があって、爽やかさすら響くもんね。なんだよ〜、大人の女だなぁ〜、ナンシー、好きだぁ〜!それなのに南洋系ハイ・ティーンみたいに見えたりもしているしな〜。

 

 

 

いやあ、参りました。ナンシー・ヴィエイラの2011年作『ノ・アマ』。昨日絶賛した2007年作『ルース』を軽々と超えて、はるか上を行っている。こんなの、大傑作と呼ばずしてなんと呼ぶんだ?これが大傑作じゃなかったら、この世に傑作なんかない。いまの、21世紀の、カーボ・ヴェルデ最高の音楽家が創りだした、世界のベスト・マスターピースじゃないだろうか。

2017/10/22

あぁ、ナンシー、あなたはなんて素晴らしい光 〜 祭 2

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ああ書いたら、やっぱり僕の性分からして案の定我慢できなくなって聴き狂ってしまったのだった。カーボ・ヴェルデの女性歌手ナンシー・ヴィエイラの2007年作『ルース』。昨日も書いたが、ここまで素晴らしく光っているアルバムだとは、当時買って聴いたときにぜんぜん気が付いていなかった(恥)。それで早速書きたくなったのだ。

 

 

ところでこのアルバム、ポルトガルの HM ムジカ原盤なんだね。ここ、例のファド歌手ジョアナ・アメンドエイラが所属するところだ。ってことはナンシー・ヴィエイラの『ルース』もそのツテで世界に広がり、日本でも買える、日本盤もあるってことなんじゃないのかな?かな?っていうより、きっとそうに違いない。このことも気が付いていなかった。

 

 

ナンシー・ヴィエイラの『ルース』では落ち着いたシットリ系の曲と、快活で陽気なビートの効いた感じの曲がバランスよく、ほぼ交互に並べられている。昨日も書いた同国のモルナ、フナナー、コラデイラ、バトゥーケ(っぽいようなもの)がぜんぶ出てくるものの、カーボ・ヴェルデ音楽新世代のナンシーらしく新感覚でモダンなフィーリングで再解釈され料理されていて、しかもかなりブラジル音楽要素が濃く、さらにペルーのランドーや、キューバのボレーロもあるっていうような具合。

 

 

『ルース』一曲目のタイトル・ナンバーはペルーの黒人音楽ランドーなんだよね。ギター中心と、その他少しの伴奏でしっとりとバラード調歌謡ふうに歌いはじめるのだが、途中からカホンなどの打楽器が賑やかになってきて、ダンス・ミュージックに変化する。男性の掛け声が入るあたりもランドーっぽい。終盤で聴こえるウッド・ベースの音が野太くていいなあ。

 

 

 

二曲目の「チョーロ・カンタード」(Tchoro cantado)は、リズムのスタイルもアコーディオンが入るところもやっぱりフナナーなんだろうが、やや新感覚だ。まったく泥臭くなくオシャレに洗練されていて新鮮だ。曲題の “Tchoro” とは、ブラジル音楽でいうショーロと似たようなことなんだろうか?でも音楽的にショーロっぽい要素は聴きとれない。特に泣いているようなサウダージもない。”cantado” だから歌うショーロのカーボ・ヴェルデ版ってことかなあ?後半ではやはりリズムを強調し、ダンス・ミュージックに化ける。

 

 

三曲目「愛の真実」(Verdade d'Amor)はゆったりテンポの歌謡曲でモルナだなと思っていると、四曲目「青い海の希望」(Esperança de mar azul)で〜〜、来た来た!これぞサウダージ溢れるボサ・ノーヴァだ。どこからどう聴いてもブラジルから入ってきたボサ・ノーヴァにしか聴こえない。これが!超カッコイイぞ!楽しくて美しい。踊ってよし、聴いてよし、泣いてよしの完璧な一曲だ。特にこのピアニストはだれだろう?素晴らしい。録音が極上なせいもあるだろうが、ボサ・ノーヴァにキューバン・スタイルを混ぜたみたいなチャーミングな弾きかたで耳を奪われる。ハーモニー感覚のモダンさもボサ・ノーヴァから学んだんだろう。男性歌手はティト・パリス、ってだれ?

 

 

 

いやあ、この4曲目「青い海の希望」があまりにも素晴らしすぎるので、こればっかりリピート再生してしまうのだが、ほかの曲のことも書いておかなくちゃ。この4曲目に少し似た、サウダージ横溢のブラジリアン(or アフリカン)・グルーヴ・チューンは、ナンシーのアルバム『ルース』だと、ほかに5曲目「悪い世界」(Mundo rabés)、ちょっとテンポが落ちるが6曲目「温厚なヤクザもの」(Manso malondre)、10曲目「ニャ・クマードゥレ」、11曲目「私たちの贈り物」(Nõs dom)あたり。

 

 

これらのうち、5曲目はテンポ速めのフナナー。6曲目はこれまたブラジル由来のサンバでミドル・テンポに近く、ゆったり大きくノリながら、伴奏のリズムの刻みは細かいっていう、サンバ(やショーロなど)ではよくあるパターン。10曲目はいちおうバトゥーケなんだろうが、昨日書いたようなプリミティヴなもの、すなわち足踏みと手拍子+ヴォーカルのコール&レスポンスで構成されているようなものではぜんぜんない。グッとモダンに洗練されていて、これもやはりボサ・ノーヴァ以降のブラジル新世代から学んだものなのかも。上で書いた4曲目とならび、ナンシーのアルバム『ルース』のハイライトじゃないかな。

 

 

 

11曲目「私たちの贈り物」はコラデイラだけど、これもブラジル音楽の要素が濃く、サウダージ(はもとはポルトガルのものだから、ブラジル音楽から学んだわけじゃないだろうが、なんだかちょっと、ファドみたいなものとは違うフィーリングがあるよ)といい、リズムの感じといい、楽器編成といい、やはりボサ・ノーヴァ由来じゃないかなあ。つまりナンシー・ヴィエイラは、カーボ・ヴェルデの伝統音楽をブラジル新世代ふうに再解釈し、現代的な音楽として聴かせてくれている。いいなあ、これも。

 

 

 

これら、特に4曲目「青い海の希望」と11曲目「私たちの贈り物」の二つがあれば、すごく幸せな気分にひたっていられる僕。7曲目「熱烈な心」(Coração vulcão)とか9曲目「これがモルナ」(É morna)とかは完璧なモルナで、しっとりバラード。でも伴奏楽器編成とそのサウンドは伝統的ではなく現代ふう。二曲ともナンシーの優しく情深いところが沁みてくる。特に9曲目の出来が素晴らしい。歌詞もモルナという音楽とはこうなのよというものをモルナ・スタイルでやるっていう、いわばメタ・ミュージック。それを表現するのにふさわしい深みと風格のある歌唱だ。風格のほうは旧宗主国のアマリア・ロドリゲスを思わせるところすらある。

 

 

 

ナンシー・ヴィエイラのアルバム『ルース』のしめくくり、ラスト12曲目は、ちょっとビックリの古いキューバン・ボレーロ・スタンダード「ペンサミエント」。これは伴奏も歌いかたもボレーロ・スタイルに忠実で、現代カーボ・ヴェルデ音楽ふうな料理をせず、そのままやっている。ナンシーは古い歌手の録音ではなく、おそらくはオマーラ・ポルトゥオンドあたりの新しめのヴァージョンを下敷きにしているんだろう。しっとりした情感が漂っていてなかなかいい。

 

2017/10/21

カーボ・ヴェルデのサウダージ 〜 祭 1

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僕が聴くとアフリカ音楽というよりブラジル音楽に近いように思うカーボ・ヴェルデ。っていうかあの国はそもそもいわゆる「アフリカ」の一部に含めてもいいんだろうか?でも少なくとも音楽的には、例えば荻原和也さんの『ポップ・アフリカ 800』にも登場し、p. 13 で解説文があったあと、pp. 28〜34にわたりアルバム・ガイドは26枚も掲載されている。大陸部ではないが、やはりアフリカにおける旧ポルトガル領の一部ってことだよね。

 

 

僕はカーボ・ヴェルデ音楽をほとんど知らない。聴いているのは、アンソロジー『ラフ・ガイド・トゥ・カーボ・ヴェルデの音楽』と、あとはセザリア・エヴォーラとナンシー・ヴィエイラ二名の女性歌手だけだ。あともう一つ、CD 四枚組ボックス『メモリアス・ジ・アフリカ』の二枚目がカーボ・ヴェルデ篇だ。『メモリアス・ジ・アフリカ』を買ったのは、今年になってアンゴラ音楽にハマってしまったからなんだけどね。

 

 

それで気が向いて、ちょっとこれだけでもどうかと思って、ナンシー・ヴィエイラの2007年作『ルース』だけ聴きなおしてみたら、あまりの素晴らしさにのけぞって卒倒しそうになってしまった。ほぼ失神。こんなにも美しく楽しい音楽だったなんてなあ…(恥)。いつもながらひとやものの真価に気づくのが遅すぎる僕…。こりゃイケマセン。ナンシーの『ルース』についてだけでも、時間があるときに書かなくちゃね。でも上述の荻原ガイドには、ナンシーの2011年作が掲載されていて、それがなんでも傑作なんだそうだ。持っていない。早速アマゾンでポチりました。

 

 

どうして今日カーボ・ヴェルデのことを書いているのかというと、これまた例によっての『ア・ヴィアージム・ドス・ソンス(ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ)』のカーボ・ヴェルデ篇がこのあいだ自宅に届き、このトラジソンのシリーズはぜんぶ買うと決めているので、新リリースのカーボ・ヴェルデ篇も買ったわけだけど、聴いてみたら面白くって、う〜ん、ホント、ナンシー・ヴィエイラといい、いままでこの国の音楽に熱心じゃなかった僕って…。なんたる鈍感さ。不明を恥じるしかない。

 

 

それでナンシー・ヴィエイラその他、すでに持っているものの話はまた別の機会にして、今日は『ア・ヴィアージム・ドス・ソンス』(カーボ・ヴェルデ篇)のことを少しだけ書いておきたい。いや本当に面白いんだよね。やっぱりブラジル音楽っぽい部分もあるが、ナンシー・ヴィエイラみたいにそれは濃厚ではなく、もっとプリミティヴで、しかも大陸部アフリカの音楽、特に西アフリカ音楽の痕跡が強いものがあったりする。

 

 

それでも『ア・ヴィアージム・ドス・ソンス』(カーボ・ヴェルデ篇)の一曲目「コルノロジア」はやっぱりショーロふうなんだよね。これ、絶対ショーロが入っているよなあ。なんたってカーボ・ヴェルデ音楽は、この島嶼国を支配したヨーロッパからの入植者が持ち込んだものと、彼らが大陸部西アフリカから強制連行した奴隷の子孫たちが伝えたアフリカ音楽と、さらにブラジルから流入したモジーニャが三大ルーツらしい。モジーニャはそのままモルナに姿を変え、カーボ・ヴェルデの国民音楽となった。ってことはモルナのなかにショーロがあっても不思議じゃないよなあ。

 

 

しかしながら『ア・ヴィアージム・ドス・ソンス』(カーボ・ヴェルデ篇)一曲目の「コルノジア」はモルナというよりコラデイラ。でも歌っているのはモルナの歌手ニルサ・シルヴァで、伴奏もギターその他同種の弦楽器複数本とやはりモルナ・スタイル。典型的モルナであるアルバム二曲目「ミリ」、四曲目「エスクータ・メ」(はニルサではなくチカ・セーラ)などよりテンポが速めなだけで、音楽の本質としては同じものであるように僕には聴こえる。

 

 

特に複数弦楽器のアンサンブル・サウンドで表現するリズムのノリ、グルーヴ感が、アルバム一曲目の「コルノジア」ではブラジルのショーロっぽいような気がする。歌のメロディに強い哀感が漂っていることも共通しているが、これはブラジル由来のサウダージというだけでなく、もっとそのルーツであるポルトガルから持ち込まれたフィーリングなんだろう。

 

 

ショーロによく似たコラデイラはアルバムにもう一曲あって、三曲目グルーポ・ルカールの「シターダ・ジ・ロメ」。こっちはインストルメンタル・ナンバー。二曲目や四曲目のモルナと比較すれば、よりダンサブルで、ノリもいいし、あれかなあ、モルナは座って聴くべき歌謡音楽で、コラデイラはあわせて踊るようなダンス・ミュージックだってことなんだろうね。ラテン・アメリカ圏でいえば、かつて日本でも絶大なる人気を誇ったトリオ・ロス・パンチョスとペレス・プラード両名の違いみたいなもんか?おかしい?

 

 

トラジソンのアルバム『ア・ヴィアージム・ドス・ソンス』(カーボ・ヴェルデ篇)では、コラデイラとモルナに続き、七曲目以後のフナナーとバトゥーケに行く前に、五曲目、六曲目と個人的にはけっこう興味深いスタイルの音楽が収録されている。五曲目「一月の歌」では、まずハーモニカが出て、それの伴奏がギター(だと思うが、同種の別弦楽器かも)。すぐに歌が入ってくるが、その背後で男声コーラスが聴こえ、また合唱になったりし、やはりハーモニカも入っている。ギター(族)も直接的はポルトガル人が持ち込んだんだろうが、大元のルーツはアフリカにある。ハーモニカはヨーロッパで誕生した楽器だよなあ。

 

 

六曲目「レコルダソーン」ではいきなりヴァイオリンが鳴りはじめ、それの伴奏がやはり複数本のギター族弦楽器。これは  CD 裏ジャケットに「マズルカ」と記載があるのが音楽ジャンル名、いやスタイル名なんだろう。確かに3/4拍子で、しかもアップ・テンポでビートが効いていて、かなりダンサブルだ。これもインストルメンタル演奏で歌はなし。ヨーロッパ由来の音楽だが、カーボ・ヴェルデではどう考えてもストリートのダンス伴奏音楽だったとしか思えない。

 

 

七曲目「深い谷」でフナナーが来る。これはまったく完璧に典型的なフナナーだ。2ビートのアップ・テンポで陽気で快活で、疾走するように強くダンサブル。これも正真正銘ダンス・ミュージックだ。カリビアン・ミュージック、ドミニカのメレンゲによく似ているよね。伴奏サウンドはアコーディオンと打楽器(これ、ドラム・セットも使ってあるよね)がメインな「深い谷」を演奏するのは、人気バンド、グルーポ・フェーロ・ガイタ。

 

 

同じくフナナーである10曲目「私は牛の売人」は、アコーディオン(ボタン式で、これがガイタというらしい)と、フェローだけの伴奏。フェローは鉄製のヘラをこすって音を出しているもので、このフェロー(aka フェリーニョ)のサウンドは、正直言って僕は苦手だ。みなさんご記憶でしょう、小学校の教室の黒板を指の爪かなんかでこすって不快な音を出していたヤな男子生徒たちがいたことを。あの音がする、「私は牛の売人」では。

 

 

フナナーもアフロ・ルーツ・ミュージック(でもないような部分があって、諸説あり、よく分っていないらしい)だろうが、フナナーよりもずっとアフリカ要素が強いバトゥーケが、アルバム『ア・ヴィアージム・ドス・ソンス』(カーボ・ヴェルデ篇)の11曲目と14曲目。打楽器と(足踏みなど)激しく踊る音、それにヴォーカル・コーラスのコール・アンド・レスポンスだけ。それらの三位一体で、リズムは6/8拍子という、まごうかたなき西アフリカ音楽由来だ。

 

 

そんなバトゥーケは、おそらくカーボ・ヴェルデでもなにかの儀式の際などで演奏され歌われて、歌いながら踊っている(いた?)んだろう。アルバム11曲目「ポルトガル語話者のコミュニティ」で聴けるヴォーカルは女声だけで、実際女性だけで構成されたグループらしい。伴奏サウンド(と呼んでもいいのか?)も、こりゃたぶんいわゆるふつうの楽器としてのパーカッションもなく、足踏みの音しか入っていないように思う。

 

 

14曲目「ボラーマ」も、やはり6/8拍子のバトゥーケだが、こっちはギターかなにか、いや、もっと小型の弦楽器、例えばブラジルでいえばカヴァキーニョみたいなサウンドの弦楽器も伴奏に混じっている。やはりいわゆる通常の意味での楽器のパーカッションはあまりなく、足踏みと手拍子の音が中心になっている。メインで歌うのは男声で、そのコールに対しレスポンスするコーラスは混声かもしれない。激しく踊っている様子が、はっきりと音源からも聴きとれる。

 

 

なお、アフロ・ルーツとかブラジリアン・ミュージックではなく、ヨーロッパ音楽から来たものだろうけれど、トラジソン盤のジャケット裏記載ではヴァルサ(ワルツ)となっている八曲目「三角形の状況」。これはクラシック・ギター独奏で、これ、僕、大好きだぁ。ひょっとしたらアルバム『ア・ヴィアージム・ドス・ソンス』(カーボ・ヴェルデ篇)全曲のなかでいちばん好きなのがこのギター独奏かもなあ。だってこれは、ブラジル人ギタリスト、例えばトッキーニョあたりがギター独奏をやるときに瓜二つだもんね。サウダージが横溢している。

2017/10/20

マイルズ『イン・ア・サイレント・ウェイ』のノイズ

 

 



このアルバムが好きでたまらないという熱心な愛好家以外のみなさんにはどうでもいいような話。マイルズ・デイヴィスの1969年作『イン・ア・サイレント・ウェイ』では、アルバム全編にわたり、シャーッっていう、あるいはサーッでもいいが、アナログ・テープのヒス・ノイズみたいなものが入っている。ように聴こえるが、これは僕の耳がオカシイわけではなさそうだ。

 

 

これを指摘する人はむかしからいて、30年以上前から僕も紙媒体で読んでいたし、最近なら数年前にも Twitter でこのことを発言して「あれはいったいなんなんでしょう?」と問うている方がいらっしゃった。僕は少し話をしたのだが、結局、僕の考えは理解していただけなかったように思う。というかあのノイズにかんする僕の考えは、あのとき(いまも)固まっていなかったので、仕方がないことだった。

 

 

むかしは『イン・ア・サイレント・ウェイ』のあのノイズは、アルバム用に編集する際、オリジナル・テープからダビングしまくった挙げ句のやはりテープ・ヒスだという見解の持主がほとんどだった。あまりにも編集しまくっているのはむかしからかなり有名だったし、アナログ・テープのそんな特性も分っていた。

 

 

テープ・ダビングと編集しまくりのせいのヒス・ノイズだとする意見はいまでもかなり多い。違う考えも最近はある。それは、あのテープ・ヒスみたいなものはノイズそのものではなく、音楽の演出効果としてわざと入れている音なんだというもの。これはほかならぬ日本の SME 盤『イン・ア・サイレント・ウェイ』の日本語解説文が載っている紙に、ピーター・バラカンさんがお書きの文章のなかでにはなく、会社側の正式な文言として印刷されているものだ。僕がいま見ているのは2000年リリースの SME 盤附属の紙だが、もっと前からあったような気がするし、2000年以後のリイシュー日本盤にだって載っているかもしれない。

 

 

いわく 〜

 

 

本アルバムの1曲目と2曲目の冒頭にノイズが認められますが、いずれもマスターテープ上に存在する演出効果です。

 

 

〜 だってさ。でもこれは不正確だ。ノイズは両曲の冒頭部だけでなく、全体にわたって入っている。冒頭部以外で聴こえなくなるのは、マイルズ・バンドの演奏じたいの音量が上がるので、相対的にノイズ(みたいなもの)は分らなくなっているだけなんだよね。と僕は判断しているのだが、間違っているでしょうか?ソニーさん?

 

 

だから例えば2トラック目「イン・ア・サイレント・ウェイ〜イッツ・アバウト・ザット・タイム」では、中間部のグルーヴ・ナンバーが賑やかだからノイズは聴きとれないが、それをサンドウィッチしている最初と最後の「イン・ア・サイレント・ウェイ」部では、それぞれ約四分間にわたり、ノイズが聴こえっぱなしだ。冒頭部だけでなく、「イッツ・アバウト・ザット・タイム」が 15:38 で終ると、やっぱりシャーッって入りはじめるもんね。

 

 

そこから僕はひろげて推測して、あのノイズ・サウンドはアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』ぜんぶに入っていて、静かなピアニッシモ(って重複表現だが)な部分でだけ目立っているということなんじゃないかと考えているんだよね。そういうものって、音楽的な演出効果なんだろうか?演出だとすれば、どういう演出意図を持ち効果を狙ってのことだったんだろう?

 

 

実を言うと、あれがノイズではなく演出効果だとする文言は、SME リリースの日本盤『イン・ア・サイレント・ウェイ』附属の紙でしか僕は見たことがなく、しかも CD でも最初のころは印刷されていなかったような記憶がある。ある時期以後、突如付記されはじめたんだよね。さらにアナログ LP ではまったく見たことがない。

 

 

日本語ではぜんぜん出てこないが英語でネット検索すると、アルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』のあのノイズに言及してある文章が見つかる。それらはすべて、あれはテープ・ヒスだとしている。冒頭部でだけ聴こえるかのようだけどさにあらず、全編にわたり入っていて、バンド演奏の音量が下がっている部分で目立って聴こえるだけだという、上で僕は書いたのと同じ見解の持主もいるようだ。

 

 

だから端的に言えば、あれがテープ・ヒスではなく音楽的演出だとするのは、ある時期以後の SME しか言っていないセリフなだよね。つまり、こういうことだ。CD になって、しかも高音質化もどんどん進み、さらに過去のアナログ音源の CD リイシューの際には、コンピューターでノイズ除去するのも当たり前という時代になっている、そんな21世紀に、あんなシャーッっていう音が入っているのを、ソニーとしてはなんとか正当化したかっただけなんじゃないかな。

 

 

あるいはひょっとしたら、この『イン・ア・サイレント・ウェイ』っていうアルバム、なんかノイズが聴こえるんですけど?不良品でしょう?交換してください!なんていうたぐいのクレームみたいななにかが会社に届いていたかもしれないよね。だから、あれは「最初からは入っているもので、音楽的演出なんです、雑音じゃありません」と書いておいて、そんなクレームの拡散を防ぎたかった、つまり会社としての売り上げに響くので、商業的マイナス効果を抑えたかった、そんな SME 側の意図だったんじゃないかと僕は思う。

 

 

最近、いや前からかな、古い録音の CD リイシューものだと「録音が古いため音質に難があります」とか「ノイズが入ります」といったようなたぐいの言葉が附属のブックレットやリーフレットに掲載されるようになっている。日本盤でしか見たことのない文言で、日本盤でも LP では見たことがない。あのころは古いSP 音源なら言うに及ばず新録音でも、ちょっとしたスクラッチ・ノイズは当たり前についてくるものだったから。

 

 

結論としては、マイルズの『イン・ア・サイレント・ウェイ』にあるあのノイズは、音楽的演出効果を狙ってわざと入れたものなんかじゃなく、やはりテープ・ヒスだ。それに間違いないと僕は断言するが、SME さん、どうですか?やっぱり商売としてはああやって付言して警戒しておかないといけないんですか?高音質でノイズ・ゼロ時代なもんだから?

 

 

しかしこれでは、たったこれだけのことを言うために、今日ここまで書いてきたのかと思われそうだ。僕はあの SME の言う「演出効果」とやらの文言を見て、最初のころ(いつかなあ?1998年ごろじゃなかったかなあ?)はしばらく笑っていただけだった。ところがこの演出効果というのは、あんがい面白い意見かもしれないぞと思いはじめたんだよね。わりと最近。

 

 

特に2トラック目の最初と最後の「イン・ア・サイレント・ウェイ」部でそうだと思うんだけど、あのシャーッっていうノイズが独特の雰囲気を呼んでいる。いままでも繰返してきたように、ジョー・ザヴィヌルの書いたこの曲は、彼の故郷ウィーンの思い出とか、同地への郷愁がテーマになっている。それを完成品ではあんなアンビエントふうなサウンドに、ボスのマイルズも仕立て上げている。約四分間ほぼテンポがなく、だら〜っとしたドローンみたいな音楽だ。

 

 

そんな「イン・ア・サイレント・ウェイ」部で特にあのヒス・ノイズが目立っているわけで、すると、この曲が持っている、故郷を懐かしむあの情緒が強調されるんだよね。フワ〜ッと空気みたいに漂っているあのサウンドに、ただのテープ・ヒスだとはいえ、あのノイズはもはや文字どおりのただの<騒音>ではありえない。立派な音楽の一部として機能しているんだよね。別名「リコレクションズ」である「イン・ア・サイレント・ウェイ」における、あんな雰囲気を盛り立てる、まさに<演出効果>じゃないかと聴こえるけれど、どうだろう?

 

 

そう考えると、そもそもあのマイルズのアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』は、全体的にサウンドの雰囲気が、あの前後の時期の同じ音楽家の作品と比較しても、ちょっと変わっているよね。エコーが妙な感じでかかっていて、ビートの効いたグルーヴ・チューンでも雰囲気一発勝負みたいなところがあって、フワフワしている。なんだか薄衣でもまとわりついているかのような、一枚の神秘的なヴェールに包まれているようなサウンドに、僕には聴こえる。

 

 

近ごろの日本の音楽で言えば、伊藤ゴローがプロデュースした原田知世みたいな、そんな感じに似ているよね、マイルズの『イン・ア・サイレント・ウェイ』って。1トラック目の4:26 と16:23 で聴こえる(それは演奏時には一度しかやらなかった同じものを、テープ編集で反復しているだけだが)、なんだか謎の金属かガラスを鳴らすか落とすかしたような意味不明の音の正体はなんなのか?とかも含め、この1969年のアルバムはまだまだミステリーが多いのかも。

2017/10/19

みんな大好きフレディ・キングはヴェンチャーズ?

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アルバートはどうなのかイマイチ分らないが、B.B.とフレディのキング二名は日本でもメチャメチャ人気があってみんな聴いているので、僕なんかがちょっと一つ書いておく必要なんかぜんぜんないのかもしれない。アルバートも含め、ブルーズ界のこの三大キングをそこまでの存在にしたのは、ひとえにエリック・クラプトンの知名度、影響力ゆえだ。だからそんな悪口ばっかり言うなよ>僕。ローリング・ストーンズとかについてもね>そこのあなた。いやまあたんなる個人的好みだけの話だと分っていますけれど、彼らやその他1960年代にデビューした UK (ブルーズ・)ロッカーたちがああもやってくれなかったら、なかなか大変だったんじゃないでしょうか。

 

 

今日は別に UK ロックやクラプトンの話をしたいわけじゃないのだが、フレディ・キングというアメリカ黒人ブルーズ・マンがここまで知名度があるのは、間違いなくクラプトンのおかげなんだよね。ヴォーカルはともかくギターの弾き方において、クラプトン最大の先生がフレディ・キングだった。ジョン・メイオールのブルーズブレイカーズ時代から現在までずっとそう。あのいろんな意味で有名なブルーズ・アルバム1994年の『フロム・ザ・クレイドル』なんか、一枚丸ごと録音時のスタジオで、フレディ・キングをずっと意識しながらやったような感じじゃないか。できあがりがどうなのかはともかくとして、敬意はたっぷり伝わってくる。音楽家のはらった敬意は音化されなきゃ意味ないだろうとか、まあそんな厳しいこと言わないで。

 

 

そのクラプトン『フロム・ザ・クレイドル』がリリースされた1994年の直前、93年に英 Ace が発売したフレディ・キングの一枚『ブルーズ・ギター・ヒーロー』こそが、このブルーズ・マンを知るのにもっともふさわしい格好のベスト盤なんだよね。これは1960〜64年のフェデラル・レーベル(キングの傍系)録音からのアンソロジーで、全24曲。フレディ・キングの有名代表曲はぜんぶあるし、これはしかもその後 Pヴァインが日本盤をリリースしたらしい。そっちを買えばよかったかもなあ。エイス盤を見つけるやいなや速攻で手にとってレジへ持って行ってしまったからなあ。P ヴァイン盤は、ひょっとして小出斉さんあたりが解説文をお書きなんじゃないだろうか?お持ちの方、教えてください。

 

 

フレディ・キングのフェデラル録音集『ブルーズ・ギター・ヒーロー』には多くのインストルメンタル・ブルーズがある。数えてみたらぜんぶで7曲。24個のうちの7個だから、特にギター演奏に特化しているというわけではないブルーズ・マンとしてはかなり多いほうだと言えるはず。実際、1960年代フェデラル(は、この人のばあい68年まで)時代のフレディ・キングは、インストルメンタル・ブルーズが一つの売り物、トレード・マークでもあったんだよね。

 

 

エイス盤『ブルーズ・ギター・ヒーロー』だって、録音順、発売順を無視して1961年のビッグ・ヒット「ハイダウェイ」(”Hide Away”だけど「ハイド・アウェイ」と書く気になれないんだ)を一曲目に持ってきているくらいで、このインストルメンタル・ブルーズはフレディ・キングの名刺代わりみたいなシグネチャー・ソングとなった。

 

 

 

しかしこれ、それにしても呑気でかる〜い感じだよねえ。むかしはこんなもん、黒人ブルーズ愛好家としては好きになっていてはイカンのじゃなかろうか?なとど悩んだり…、はウソだが、ちょっとそれに近い感情があったのは確かなことだった。まったくどこもシリアスじゃないし、ブルージーでもなく、かたちは12小節3コードの定型だけど、これはいわゆる<ブルーズ>っぽいフィーリングが感じられないよなあとか、要するに僕の音楽脳が幼稚なだけだったのであります。

 

 

もっとヒットしたのがエイス盤3曲目の、これも1961年「サン・ホセ」なんかもそうだし、あるいは12曲目のやはり61年「セン・サ・シュン」(ハウンド・ドッグ・テイラーもやったこれは、マディ・ウォーターズ「ガット・マイ・モージョー・ワーキング」のインストルメンタル・ヴァージョン)なんかもそうだけど、すご〜くかる〜い感じで、ノリはいいがブルージーさはなく、呑気だ。軽薄だとすら感じるほど。

 

 

 

 

ほかにもあるフェデラル録音でフレディ・キングがやるインストルメンタル・ブルーズ。これらは、むかしの僕は分っていなかったが、どう聴いてもダンス・チューンだよね。しかも1960年代だし、できあがりを聴いても、間違いなくあの時代のあんな空気を吸って、つまりサーフィン・ミュージックとかホットロッド・インストとか、まさしくああいったものと同調している。だからここではっきり言っちゃうが、こういったインストをやるフレディ・キングとは、すなわちヴェンチャーズなんだよね。黒人ブルーズを聴かない日本人でも、ある世代なら全員ヴェンチャーズを知っている。僕はその世代ではなく、少し下なんだけど。

 

 

フレディ・キング=ヴェンチャーズみたいなことを言うと、熱心な黒人ブルーズ愛好家のみなさんには絶対に怒られるんだけど、間違いないように僕は思う。がまあしかしやっぱりヴェンチャーズではないフレディ・キングのことも書いておこうっと。ヴォーカルもとっているフェデラル録音だど、有名なやつはことごとくクラプトンさんがやってくれちゃっているので、あまり書くことないのだが、エイス盤だと例えば四曲目の「アイム・トア・ダウン」、八曲目の「ハヴ・ユー・エヴァー・ラヴド・ア・ウーマン」あたりはあまりにも有名すぎて、やっぱり書くことないや。

 

 

 

 

しかし、例えば後者「愛の経験」をクラプトン・ヴァージョンでお馴染のみなさんは、フレディ・キングのヴォーカル表現をお聴きになって、ギターは確かにこの二名、似ているというかソックリだけど、歌のほうはだいぶ違うじゃないかと感じるはずだ。そう、UK ブルーズ・ロッカーにしろほかのどこの国のだれにしろ、声と歌い方だけは真似できないもんね。ひょっとしてクラプトンもほかのみんなも、声で歌ったら絶対に敵わないと諦めて、ギター演奏のコピーに精を出したってことなんだろうか?

 

 

エイス盤五曲目「シー・シー・ベイビー」は、曲題で察しがつくように、古くからあるブルーズ・スタンダード「シー・シー・ライダー」の改作だ。しかしこれもアップ・テンポで呑気で愉快にジャンプして、これ、パートナーに浮気されて悶々としながら問い詰めては悩み苦しむ曲だったはずなのがあまりの変貌ぶりで、音楽って解釈次第でどうにでも化けうるっていう好例だよなあ。

 

 

 

ギター・インストルメンタルではないフレディ・キングのフェデラル録音は、だいたい2パターンに分別できる。やはりダンス用であるアップ・テンポで軽快な調子のいい輪郭のはっきりしたジャンパーか、そうじゃなければ6/8拍子のスロー・テンポで、三連パターンに乗って、歌もギターも思いのたけを吐き出すかのようなもの。後者はややドロドロかというと、この人のばあいあんがいそれほどでもない一種の軽みが持ち味なんだよね。

 

 

ただ三連バラード(やその他苦悩するスローもの含む)・ブルーズでも、ヴォーカルは軽いフィーリングがあって、このあたり、本当に B.B. キングの影響下にある人なのかと疑いたくなってくるほどで、うんまあ確かにそれは間違いなく BB の影響下にはあって、例えば歌のワン・フレーズのあいまあいまに「イェ〜〜ッス!」と絞り出すようにシャウトするあたりとか、そのほか諸々ソックリそのままだ(でも、B.B. にあるゴージャスな重みがないけれど)。

 

 

でもギター・プレイのほうは、三連バラード(ふうなテンポのもの)でもかなりの迫力があって、ためてためてためこんだ情念を、瞬時に思い切りぶつけるかのような情熱的なスタイルで弾く。熱い。本当に熱い。ヴォーカルのほうはやっぱり B.B. キングとは比較できないと思う僕だけど、ギター演奏なら匹敵しうる極上品だ。

 

 

という具合に僕は考えているので、小出斉さんはどこでだったかどこかで、エイス盤の『ブルーズ・ギター・ヒーロー』というアルバム・タイトルは1993年のリリースとしてはちょっとどうか?とおっしゃっていたはずなのだが、僕にはこれこそフェデラル・レーベル時代のフレディ・キングにぴったり似合っている題名じゃないかと思えるのだ。

2017/10/18

「人生の悩みごともそのうちなんとかなるさのブルーズ」 〜 ビッグ・メイシオの哀感と諦観

 

 



録音時期は戦前がメインだが、音楽のスタイルとしては戦後ブルーズに分類したほうがいいかもしれないピアニスト、ビッグ・メイシオ。シカゴに拠点を置き、もっぱら1940年代に録音した。40年代ばかりなのはレコード・デビューが36歳のときと遅く、しかも早死してしまったからだ。主要作は1941〜45年にかたまっている。46年に脳卒中で倒れてしまい、その後復帰はしたものの、聴くべきはやはり45年の録音までだろう。

 

 

ビッグ・メイシオのブルーズ・ピアノは、先輩であるリロイ・カーとルーズベルト・サイクス、さらにブギ・ウギ・ピアノストたちの流れを汲み、戦後の、例えばオーティス・スパンとかジョニー・ジョーンズ、さらにちょっと人名を混同しやすいジョニー・ジョンスンらへの橋渡し役として最大の存在だった。最後のジョンスンはロック・ミュージック、特にエリック・クラプトンばかり聴いているファンだってご存知のはずだ。

 

 

その黒人ブルーズ・ピアニスト、ジョニー・ジョンスンを迎え、クラプトンがライヴ・アルバム『24 ナイツ』でやっている一つが「ウォーリド・ライフ・ブルーズ」。これ、ほかならぬビッグ・メイシオの曲だもんね。もちろん以前詳述したように、スリーピー・ジョン・エスティスの「サムデイ・ベイビー」の焼き直しで、その上スリーピーの自作でもないものだろうが、しかしここまでスタンダード化しているのがビッグ・メイシオ・ヴァージョンのおかげであるのに誰も疑う余地はないはず。

 

 

 

 

「ウォーリド・ライフ・ブルーズ」

 

クラプトン『24 ナイツ』https://www.youtube.com/watch?v=7zFZ-RpUM6o

 

ビッグ・メイシオ(1941)https://www.youtube.com/watch?v=8UQfavAQZQI

 

 

クラプトンのギターとヴォーカルはそんな重視しなくていいので、ジョニー・ジョンスンのピアノ・スタイルに注目していただきたい。あ、いや、ヴォーカルだけは聴いてほしい。ビッグ・メイシオ・ヴァージョンでの歌い方をクラプトンもそのままコピーしていると分るはずだ。しかしそれよりもピアノだよなあ。

 

 

かなり大きな違いもある。ジョニー・ジョンスンはソロを弾いているが、ビッグ・メイシオ・ヴァージョンに、ピアノ・ソロらしきものはない。中間部でタンパ・レッドのエレクトリック・ギターがちょろっとソロを弾き、そのあいだそれにピアノで絡んではいるのだが、ソロとは呼べないだろう。ビッグ・メイシオの録音したブルーズは、だいたいどれもそうなんだよね。

 

 

モダン・ブルーズや、現代的音楽であるロック・ミュージックや、あるいは古いものでもジャズなどのファンからしたらちょっと食い足りないと最初感じてしまう可能性もあるが(なにを隠そう、最初は僕もそうだった)、「歌」を聴かせることが主眼の音楽では、楽器ソロなんてちょっとした気分転換とか添え物でしかないし、そもそも楽器ソロなど入らないばあいだって多い。むかしもいまも。どんな音楽でも。

 

 

それはいいとして、ビッグ・メイシオの1941年ブルーバード原盤の「ウォーリド・ライフ・ブルーズ」。これこそがこのブルーズ・マンのシグネチャー・ソングだから、これが収録されていないビッグ・メイシオのアルバムなど存在しない(はずだと断言するが、確かめたわけではない)。僕がふだん最もよく聴くのが、以前からお話しているブルーバード・ブルーズを本家 RCA が選集でリイシューしたシリーズで、ビッグ・メイシオのは1997年の『ザ・ブルーバード・レコーディングズ 1941-1942』。

 

 

しかしこの1997年の RCA 盤、本家なのにたったの16曲しか収録がない。ビッグ・メイシオのブルーバード録音がたったの16曲なわけがないと世界のみんなが知っているのに、これだけはかなり解せないよなあ。続編でもう一枚、45〜47年録音盤が出たのだが、41〜45年録音で25曲を収録したアーフリー盤とか、同時期の21曲を収録のドキュメント盤とかありますけれども、どうなんですか?RCA さん?まあこのブルーバード・シリーズぜんぶについて言えることですが。

 

 

じゃあどうしてビッグ・メイシオもたった16曲の1997年 RCA 盤を聴くのかというと、ここだけはさすが本家だけあって音質が段違いにいいんだよね。アーフリー盤、ドキュメント盤と比較すれば、目を見張るほど音質が向上している。ビッグ・メイシオ&タンパ・レッド二名がどこでどう絡み合っているか、手に取るようによく分っちゃうんだよね。ですから!この音質で!25曲程度の一枚ものを出してほしい!RCA さん!

 

 

こんな話をしたいんじゃなかった。ビッグ・メイシオの1941年「ウォーリド・ライフ・ブルーズ」。音源は上でご紹介したので、もしまだご存知ない方はぜひ耳を傾けていただきたい。歌詞内容は苦しみ、悩みを歌ったものだけど、ピアノの弾き方と歌い方に、なんというかこう、諦観半ば、楽観半ばみたいなフィーリング、心配ごとを突き放して、自らを励まし勇気つけているような部分が感じられると思うんだよね。音の表情そのものにね。

 

 

そういった「まあそのうちね、なんとかなるさ」と投げ出して、ちょっと笑っているようなフィーリングが、ブルーズ表現の本質に流れているものだと僕は思う。ただたんに悩んで苦しんで落ち込む憂鬱の吐露なんかじゃないんだよね、ブルーズって。そんなふうだと、ある種の客観的、普遍的な魅力を獲得できないから、商業音楽としては売れないんじゃないかなあ。このあたりも、すでに周知の事実であるはず。

 

 

スリーピー・ジョン・エスティスの1935年「サムデイ・ベイビー」だって、まずテンポが速めで、しかもハミー・ニクスンのハーモニカがブルージーであると同時にやや滑稽味もあって、スリーピーの歌い方にも捨て鉢に強がっているようなフィーリングがあるんだよね。憂鬱感はさほど強すぎたりもしなかった。

 

 

 

ビッグ・メイシオの1941年「ウォーリド・ライフ・ブルーズ」だと、もっとグッとテンポを落とし重心を低くして、演奏スタイルにも歌い方にも哀感がこもっている。さらにこれはピアノが主体のブルーズだから都会的洗練も聴かれ、相棒のタンパ・レッドもシティ・ブルーズ・マンだし電気ギターを使っているし、その他の要素とあいまって、モダンな感覚が強く出ている。そんな感じだから、このまま電化バンド形式のシカゴ・ブルーズの直接の源流の一つになりえたんだよね。上でご紹介したクラプトン・ヴァージョンなんかがまさにそう。

 

 

ありゃ、まだ一曲のことしか話してないんだが…。ビッグ・メイシオのピアノの重厚さ、その反面の流麗さ、この二つがあわさってワン・アンド・オンリーなブルーズ・ピアノのリズムを創り出しているところとか、それはリロイ・カーのどの部分、ルーズヴェルト・サイクスのどの部分から流れてきていて、戦後シカゴ・シーンのブルーズ・ピアニストのだれのどこにどう影響を与えているか、あるいはタンパ・レッドがメイン・ヴォーカルをとる曲の面白さなど、いろんなことを書く余裕がなくなった。

 

 

なお、ビッグ・メイシオをザ・キング・オヴ・ブルーズ・ピアニスツと呼ぶ人もいるみたいだけど、それは僕に言わせればリロイ・カーで間違いないと思う。影響力の規模と深さがぜんぜん違う。毎度毎度の繰返しで申し訳ないが、リロイこそ最大の存在だ。

2017/10/17

テキサス(実はルイジアナ州シュリーヴポート)のナイフ・スライド・ブルーズ

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1990年代は戦前ブルーズ復刻ブームみたいなものがあって、きっかけは1989年のロバート・ジョンスンの CD 二枚組完全集が売れまくったこと。それでその後続々と文字どおりたくさんリリースされた。アメリカでもヨーロッパでも、そして日本でも。僕も買いまくったが、90年代というと、ちょうどファット・ポッサム・レーベルの新作ブルーズ・アルバムが人気があったころだ。

 

 

当時の僕はこれら二つの関係がぜんぜん分ってなくて、戦前ブルーズの復刻ものはそれ、ファット・ポッサムの新作はそれとして分けて聴いていたのだが、まあホント全然ダメだったよねえ。いま考えたらこの二つは1990年代という同じ時代の空気を吸ってシンクロしていたんだった。ブルーズ・ミュージックとしての関連性なんか言うに及ばず。

 

 

ファット・ポッサムの話はおいておいて、戦前ブルーズの CD 復刻ブームは1990年代にはマジで賑やかだった。だからよくこんなものが発売できたもんだなというマイナーなブルーズ・マンの復刻ものだってある。その一つが1996年のP ヴァイン盤『テキサス・ナイフ・スライド・ギター・ブルーズ』だ。こんなもん、21世紀なら絶対に出せるわけないもんね。僕はあの時代にピッタリ間に合わせるように CD プレイヤーを買って、ほんとラッキーだった。

 

 

P ヴァイン盤『テキサス・ナイフ・スライド・ギター・ブルーズ』に収録されているのは二名。ランブリン・トーマスとオスカー・バディ・ウッズ。二名ともアルバム題どおりテキサスで活動して、ギターでのナイフ・スライドを得意技としたのかというと、厳密には少しだけ違うんだよね。

 

 

ランブリン・トーマスもオスカー・ウッズも、実はテキサスではなくルイジアナ州シュリーヴポートのブルーズ・マン。ランブリン・トーマスは、弟のジェシー・トーマス(こっちのほうが少し有名?)と一緒に、生まれ故郷の同州コンガスポートを出てシュリーヴポートに向かい、同地で音楽活動を開始。その後テキサス、それも主にダラスにも通うようになり、かのダラス・ブルーズ・マスター、ブラインド・レモン・ジェファスンとも出会い大きな影響を受けたようだ。P ヴァイン盤『テキサス・ナイフ・スライド・ギター・ブルーズ』のトーマス分のメインは1928年録音。

 

 

オスカー・ウッズのほうは終生一貫してルイジアナ州シュリーヴポートを拠点にして活動していた。だいたいウッズが「発見」されたのは、シュリーヴポートを訪れたジョン・ローマックス(アランの父)の手によってであって、そのまま議会図書館用の録音を行ったのがウッズの初録音に違いない。商業用には1930年が初録音だが、P ヴァイン盤『テキサス・ナイフ・スライド・ギター・ブルーズ』は32年以後のものを収録してある。

 

 

ギター・ナイフ・スライドということにかんしても、確かに一般的にはテキサス・ブルーズ・メンの得意とするところという面があって、だから地理的にもテキサスと隣接するルイジアナ州シュリーヴポートの存在で、実際、テキサスにもよく通い影響も受け、さらにテキサス・スタイルと言える(?)ナイフ・スライドを両名とも得意とするということで、ランブリン・トーマスとオスカー・ウッズがテキサス・ブルーズ・メンとしてくくられて、『テキサス・ナイフ・スライド・ギター・ブルーズ』に同時収録されているんだろう。でもこの二名に、それら以外の接点はゼロだけどね。

 

 

さらにかのレッドベリー。この人もナイフ・スライドが得意技の一つ(彼の場合はたくさんあるもののほんの一つというだけだが)だが、このレッドベリーもルイジアナ州シュリーヴポートで活動した。ってことは、ブルーズ・ギター・スタイルにおけるナイフ・スライドは、テキサスではなくシュリーヴポートで発展を遂げていたと言える面もあるんじゃないかなあ。

 

 

そう考えると P ヴァイン盤『テキサス・ナイフ・スライド・ギター・ブルーズ』というこのアルバム題に根源的な疑問が湧いてくるのだが、今日のところはここまでにしておこう。こういうアルバム題で、ジャケット・デザインにはナイフの絵があしらわれているものの、収録されている二名の全26曲のなかには、ふつうに指で押弦しているものだってたくさんある。音がぜんぜん違うので、古い録音だけどすぐに分るはず。

 

 

前半に16曲収録されているランブリン・トーマスのブルーズ・スタイルはかなり素朴。はっきり言うと大した腕前じゃないよね。ギター(の主に中低音弦)でリズムを刻むパターンと、高音弦で(主にスライドで)メロディ・ラインを弾くラインと、ヴォーカルと、この三つを組み合わせるという、多くの人がやるスタイルはぜんぜん聴かれない。基本的にトーマスのギター弾き語りはヴォーカルとギターとのコール&リスポンスで、一節歌っては、その末尾でちょろと弾き、また歌うっていうスタイル。

 

 

ナイフではなく指で押弦しているもの(3〜6、9、10、13曲目)では、ギターもヴォーカルもやはりブラインド・レモン・ジェファスンの影響がかなり強く出ているが、しかし実力差がありすぎるように聴こえるので、う〜ん、こりゃちょっとどうもなあ。それでも例えば四曲目の「ソーミル・モーン」や、六曲目の「ランブリン・マインド・ブルーズ」なんかはいいよね。テキサスの香りがプンプン漂っているし、ブルーズ・メンってそもそも放浪するものなのかとかって。

 

 

 

 

ナイフ・スライドをやっている曲だと、これらよりもっとずっといい。例えば七曲目の「ノー・ジョブ・ブルーズ」(歌詞は深刻)とか八曲目の「バック・ノーイング・ブルーズ」とかが典型的なランブリング・トーマス節のブルーズなんだろう。ギターでイントロを弾き歌い出し、しかしヴォーカルのあいだはほとんどギターは弾かずだったりして、やはりワン・フレーズ歌い終わってからちょろっと弾くようなものだけど。ナイフは高音弦ではなく低音弦の上を滑っているばあいもある。「バック・ノーイング・ブルーズ」がかなりいい。

 

 

 

 

P ヴァイン盤『テキサス・ナイフ・スライド・ギター・ブルーズ』だと11曲目以後のランブリン・トーマスは、ナイフで高音弦スライドをやって、それが震えるような感じの繊細で情感豊かに聴こえるものもあるのだが、収録されているもう一人、オスカー・バディ・ウッズのことを書いておかなくちゃ。ウッズの収録は10曲で、録音は1932、36、37、38年。しかもウッズ一人でのギター弾き語りはあまりなく、ばあいによってはジャズ・バンドふうなものだってある。そういうものは(ブルーズとかジャズとかっていうより)ラグライムの色が濃かったりして、戦前のブラック・ミュージックのありようがとてもよく分るものだ。そのまま戦後のロック・ミュージックにだってつながっているよねえ。

 

 

ヴォーカルのジミー・デイヴィスのレコードである17曲目「レッド・ナイトガウン・ブルーズ」、18曲目「デイヴィス・ソルティ・ドッグ」の二つでは、もう一名のギタリストの伴奏に乗ってウッズがナイフ・スライドで疾走するスピード感がすごい。(アルバム前半のトーマスのもっさり感と違い)かなり上手いんだ。後者が YouTube で見つからないのは残念だ。その曲調はあの「ユー、ラスカル・ユー」にも似て聴こえるが、実はパパ・チャーリー・ジャクスンのヒット・チューン「ソルティ・ドッグ・ブルーズ」の改作。

 

 

 

CD『テキサス・ナイフ・スライド・ギター・ブルーズ』では、その後19〜21曲目だけがオスカー・ウッズ一人でのギター弾き語りブルーズで、実にいい味を出している。スウィートなフィーリングのなかに独特の憂いとやるせなさがあって深みのあるヴォーカルといい、繊細極まりないギター(は三曲ともナイフ・スライドを使い高音弦で微妙にすすり泣く)の弾きかたといい、絶品だ。20曲目の「ローン・ウルフ・ブルーズ」がいちばん素晴らしいと僕は思う。

 

 

 

個人的にいちばん興味深いのがアルバムの22〜26曲目で、これらはすべてバンド編成でラグタイム(・ブルーズ)をやっている。しかもかなりジャジーで、というかばあいによっては完璧なジャズ演奏に聴こえたり、インストルメンタルもあったりで、1920〜30年代のブルーズとジャズがいかに近接していたか、ここでもまた思い知る。例えば22曲目の「バトン・ルージュ・ラグ」。これはテキサス州サン・アントニオでの録音。

 

 

 

23〜26曲目ではジャズ・トランペッターも参加し、こりゃジャズと区別不能だよなあ。ヴォーカルもオスカー・ウッズだが、ギターも都会的な洗練を思わせ、そうでなくともウッズのギターはもとからそんなカントリーふうに泥臭くもないのだが、ちょっぴりロニー・ジョンスンふう。それにしても24曲目「ロー・ライフ・ブルーズ」でのトランペット・フレーズがいいなあ、だれだろう?と思って見ると “unknown” って、そんな殺生な…。

 

 

 

26曲目「カム・オン・オーヴァー・トゥ・マイ・ハウス、ベイビー」なんかシティもシティ、シティ・ブルーズの極致というか、完璧なるジャズ・ナンバーだ。しかもウッズのヴォーカルもギターもかなり上手い。これもなぜだか YouTube で見つけられないが、素晴らしい演唱なんだよね。こんな人がどうしてここまで知名度がないのか…、ってそれはたぶんルイジアナ州シュリーヴポートから出なかったせいだ。

2017/10/16

ザッパの74年バンドは凄すぎる 〜 ヘルシンキ・ライヴ

 

 






ところでフランク・ザッパの音楽って楽器演奏部分がかなり長いよね。ヴォーカル三割にインストルメンタル七割くらいの比率かなあ?そういうものって、ふつうのロック・リスナー、ポップ・リスナーって敬遠しちゃうような部分があるんじゃないだろうか?ジャズ・ファンやクラシック・ファン向け、あるいはロック・ファンでも、一時期ライヴで長尺だったものとかプログレとかが好きなお方とかじゃないと、ちょっとしんどいかもしれない。

 

 

そして、これらジャズ、クラシック、プログレ(など)の三つは密接な関係がある。がしかしなぜだか僕のばあい、プログレだけがどうもちょっと苦手で、どういう音楽なのかを考えたら間違いなく好みであるはずなのに、どうしてだかアルバム一枚を退屈せずに楽しめるというものが少ないっていう、これ、自分で自分のことがサッパリ分らないのだが、感覚的にはそうなんだよなあ。大好きなレッド・ツェッペリンだってプログレっぽい部分はかなりあるが、ゼップのばあい、それ以上にブルーズ比率が圧倒的に高い。

 

 

ザッパの音楽は、それら全部がごた混ぜで溶け込んでいるというのがすごいというか、この人の音楽家としての幅の広さ、多様性、スケールの大きさは、いちおうはロック界から出現しそこに位置付けられるミュージシャンとしては異常だとも思えるほど。そんなザッパにたくさんあるライヴ・アルバムで、ひょっとしたらこれが最高傑作なんじゃないかと思うのが『ユー・キャント・ドゥー・ザット・オン・ステージ・エニイモア、Vol. 2』だ。アルバム題が長すぎるので、これ以下は副題になっていて、ファンもみんなそう呼ぶ『ザ・ヘルシンキ・コンサート』と書く。

 

 

『ザ・ヘルシンキ・コンサート』は1974年9月22日、文字どおりフィンランドはヘルシンキで行われたザッパ・バンドのライヴ・コンサートを収録した CD 二枚組。発売は1988年だった。この一連の『あんなこと二度とステージでできまい』シリーズは第六巻まであるが、間違いなく第二巻である『ザ・ヘルシンキ・コンサート』がいちばん内容がいいと僕は思う。

 

 

『ザ・ヘルシンキ・コンサート』がいちばんいいと思う最大の理由は、この CD 二枚組は1974/9/22のヘルシンキ・ライヴをそのままそっくり収録したもので、一切のオーヴァー・ダビングもなく、一部編集作業は行われている模様だが、当夜のザッパ・バンドの演奏をそのままパッケージングしたと言って差し支えない内容だからだ。この日のヘルシンキ・ライヴがオープニングからエンディングまで(ほぼ)ぜんぶ聴けて、バンドの当日の演奏そのまま(!)で、ほかのライヴ音源は一切入っていない。

 

 

ザッパは完璧主義者も完璧主義者、こだわりようがひどすぎると思うほどの音楽家(じゃない人も少ないだろうが)だったから、ライヴ収録後のスタジオでの音追加や加工もせず、ワン・ステージをそのまま発売するなんて相当珍しいことだ。っていうかそういうものはこの『ザ・ヘルシンキ・コンサート』しかないんじゃないの?ザッパ自身、スタジオのコンソール・ルームで、あるいは完成品の CD を自宅などで聴きながら楽しんでいたと想像する。ひょっとして自分で聴きたかっただけ?

 

 

しかしですね、聴いているみなさんには100%説明不要だが『ザ・ヘルシンキ・コンサート』、そんなありようの音楽だっていう事実はにわかに信じがたいようなレヴェルの高さなんだよね。ザッパのほか、ナポレオン・マーフィー・ブロック(サックスほか)、ジョージ・デューク(鍵盤)、ルース・アンダーウッド(マリンバ、その他打楽器)、トム・ファウラー(ベース)、チェスター・トンプスン(ドラムス)という、たったの六人編成バンドでの演奏なんだけど、とてもそうとは思えないほどサウンドの厚み、広がり、濃密さなど、ハイ・レヴェルすぎる。そんでもってこのセクステットの演奏技巧がこれまたハイ・レヴェルなんてもんじゃない。

 

 

演奏技巧が凄すぎるといっても、『ザ・ヘルシンキ・コンサート』でもそうだがザッパ・ミュージックのばあい、即興部分よりも記譜部分の比率がかなり高い。ザッパがメッチャ難しい譜面を書いて演奏するようメンバーに強要し(間違いなく)ハードな反復練習を積んで、それでもしかし最高の演奏テクニックを持つバンド・メンでも100%完璧には実現不能なものを徹底的に突き詰めた上でライヴ・コンサートで披露し、スタジオ録音などもやっている。そんな話を読んだことはないのだが、できあがった音楽を聴けばだれだってそうだと分るはず。

 

 

しかも『ザ・ヘルシンキ・コンサート』は一回性のステージ・パフォーマンスに手を加えていないものなんだからなあ。ブックレットに書いてあるその旨の記述を読んだ上で聴くと、こんな難しい演奏、よくできるもんだなあって、素人の僕はそのあまりのものすごさに呆れかえって口あんぐり。信じられないよ。しかも御大がそのまま発売したほど完成度が高いんだ。繰返すが、これ、一回性のライヴ演奏ですからね。この1974年ザッパ・バンドって、とんでもないバケモノ集団じゃないか。

 

 

『ザ・ヘルシンキ・コンサート』は、ロック・コンサートでは珍しくワン・ステージがずるずるつながって、あたかも全体で一つの大きな<一曲>であるかのようになっている。これは編集でそうなっているのだとは僕は考えない。ヘルシンキでの当夜、こんな組曲みたいな連続演奏を繰り広げたに違いないと僕は判断する。1974年だと、ブラック・ミュージック界などではそういうライヴ・ステージ構成はふつうだったのだが。『ザ・ヘルシンキ・コンサート』そのものの音を聴くと、連続演奏だとしか思えないつながりかたで、まあちょっとだけハサミを入れているのかもしれないが。

 

 

そんなつながっているこのアルバムにある全20曲のうち、ファンのみなさんが最重視するのは間違いなく三曲目の「インカ・ローズ」。僕も大好き。完成品の『ワン・サイズ・フィッツ・オール』ヴァージョンよりも好きなくらいだ。いや、言い直そう、「インカ・ローズ」は『ザ・ヘルシンキ・コンサート』時点ですでに楽曲として完成している。がしかし以前予告したように、僕が大好きすぎるこの曲のことは、それだけとりあげた別個の単独記事にしたいので、今日もやはり省略。

 

 

すると、四曲目の「RDNZL」とか(中間部のザッパのギター・ソロは、いつもながらあまりにも華麗)、六曲目「エキドナズ・アーフ(・オヴ・ユー)」の、マリンバやエレベがあの細かい音符のリピートを完璧に演奏し、しかも合奏でそれをピッタリ合わせていたりする部分にため息が出たりする。

 

 

それに続く七曲目「ドント・ユー・エヴァー・ワッシュ・ザット・シング」が、やはり同様の難曲で、細かい音符の反復合奏を、しかも同様に細かいストップ・タイムとブレイクが入りながら、メンバーがそれを楽々とこなしているあたりとか(特にルースが凄いよなあ)も、当たり前みたいにやってはいるが、これ、とんでもないことなんだよ。

 

 

八曲目「ピグミー・トワイライト」(Twylyte)でのザッパのギター、特に曲後半部でのソロはブルージーな旨味があっていいし、しかもこの曲はザッパのお得意パターンの一つ、っていうかだいたいザッパはどれもそうだけどオフザケ・ソングで滑稽味満点で楽しい。そのおかしさ、楽しさは、御大を含むバンド・メンバーの超絶技巧が支えているわけだけど。しかもモーツァルトのピアノ・ソナタ第16番(ハ長調 K.545)が引用してあったりするじゃないか。

 

 

『ザ・ヘルシンキ・コンサート』二枚目に行って、一曲目「アプロキシメイト」、二曲目「ドゥプリーズ・パラダイス」と、御大とバンド・メンバーとのしゃべりのやりとりが長い。ファンにとってはそんな部分は飛ばして聴く人もいるんだそうだ。しかし「アプロキシメイト」後半部の演奏内容はやはり楽しく素晴らしい。ザッパのギターがやはり光っているが、ドラムスのチェスター・トンプスンも化け物だ。特にベース・ドラムのペダルの踏み方がアホみたいに凄い。

 

 

「ドゥプリーズ・パラダイス」の約24分間はやはり長すぎると感じるファンも多いみたいで、しかもこれ、歌はほぼまったくなしのインストルメンタル・ナンバーだ。プログレ的と呼ぶ人がいるかもしれないが、僕はジャズ・ロック・フュージョンの長尺ナンバーとしていつも聴いている。途中でスティーリー・ダンを歌う(「リキ、ドント・ルーズ・ザット・ナンバ〜〜 ♫」)のはザッパかなあ?

 

 

「ドゥプリーズ・パラダイス」ではしゃべりのやりとり部分もかなりあるので、人によってはふつうやっぱり退屈でスキップしちゃうかもしれない。フュージョン界の存在でもあった鍵盤奏者のジョージ・デュークが大活躍しているし、やはりルースのマリンバとトム・ファウラーのエレベが異様に上手いし、合奏部分のキメがやはり難しいことを楽々とこなすしで、聴きどころはかなりあるんだけどね。後半はチェスター・トンプスン&ルース・アンダーウッド二名の打楽器奏者の独壇場となる。

 

 

そこから切れ目なく三曲目でタンゴがはじまる(ここはテープ編集の痕跡をはっきりと感じる)のでオォ!と思っていると、曲題「サトューマ」(Satumaa はフィンランド語らしい)の副題で「フィンランドのタンゴ」とあるじゃないか。タンゴの伴奏とは思えないチェスター・トンプスンのベース・ドラムの踏み方!こいつ、アタマおかしいぞ(褒め言葉)。それにしてもカーラ・ブレイがやるときもそうだけど、タンゴ好きの僕は、こういったふだん関係なさそうな音楽家からタンゴ(やアバネーラ)が聴こえてくると、嬉しくていい気分なんだよね。

 

 

『ザ・ヘルシンキ・コンサート』二枚目では、その後、お馴染の『アンクル・ミート』からのメドレーなども経て、例の「モンタナ」が終幕というに近いクライマックス。というかこれはアンコールなのか?冒頭部でオーディエンスとザッパとのやりとりがあって、ザッパが客のリクエストを聞いているかのようなやりとりがある。

 

 

そこで客は「”ウィピング・ポスト”を!」と叫ぶのだが、ザッパは「オーケー、”ウィピング・ポスト”だな、オーケーちょっと待って、でもそれは知らないなあ、どんな感じかちょっと歌って教えてくれないか?」。そこで客がちょろっと歌うのだが、ザッパは「あ〜、分ったぞ、それはジョン・ケージの曲に違いないよね?オーケー、じゃあやるよ、”モンタナ”だ!ワン、トゥー、スリー、フォー!」で、『オーヴァー・ナイト・センセイション』ではティナ・ターナーとアイケッツも使ったポップ・ソング「モンタナ」の演奏がはじまってしまうんだ。わっはっは。ザッパのギター・ソロが鬼凄いのはいつものことだから省略。

2017/10/15

アンゴラがすごいことになっている 〜 ヨラ・セメードが素晴らしすぎて(2)

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アンゴラの女性歌手ヨラ・セメード。昨日は2010年作『ミーニャ・アルマ』のほうが好みだと書いたものの、作品の出来栄えとしては、どう聴いても2014年作『フィーリョ・メウ』に軍配が上がるはず。素晴らしいアルバムだよね。そして昨日の文章を書き上げてから、二枚をなんども聴きかえすと、どうも『フィーリョ・メウ』のほうが好きになってきたかもしれないって…、これ、たんに僕が移り気な浮気性人間なだけってこと?いやいや、実際いい作品ですから〜。

 

 

『フィーリョ・メウ』の一曲目は、アルバム名と同じタイトル。アクースティック・ピアノ一台だけの伴奏ではじまりヨラが歌いはじめるのは、前作のオープニングと同じだ。曲「フィーリョ・メウ」だって歌詞も曲もヨラが書いているが、ピアノを弾いているのはヨラじゃないから、ジャケット・デザインはかなりミス・リーディングだ。なんとなくの雰囲気、ムーディーな感じを表現しただけなんだろうね。

 

 

でもアルバム一曲目「フィーリョ・メウ」がかなりの美メロで感動的。いい歌手だなあ、ヨラ・セメードって。しかもこれ、自分で書いた曲だもんなあ。昨日も書いたが声や歌い方が素直でストレート。悪い意味でのアクや妙な癖がなく、美メロをこねくらずそのままスッと歌っているのは好感度大だ。前作の一曲目との違いは、あっちで途中から入ってくるのがチェロ一台だったのに比べ、曲「フィーリョ・メウ」のほうはストリングス・アンサンブルだってこと。その響きがまた美しく効果的。

 

 

アクースティック・ギターのイントロではじまり、リズム・セクションが入り、やはりまたストリングス・アンサンブルが出る二曲目はビートの効いた曲。荻原和也さんは「コンパのリズム」とお書きだが、その「コンパ」ってのはなんでっしゃろか〜?コンパと言われると、大学生のときの飲み会のことしか浮かびませんし、しかも僕は下戸なのでつらく苦しい思い出しかありません。当時はノンアルコール・ビールとかもありませんでしたし〜。コンパのリズムとだけしか書いてなくて説明がないと、なんだか複雑な気分です。萩原さん、お願いします、教えてください。コンパってなんですか?それにしてもこれだってストリングスは全員人力演奏の八人が参加。ホーン楽器奏者も複数参加していて、最近のアンゴラってどうなってんの?景気いいのかなあ?

 

 

ビートの効いた曲が続く『フィーリョ・メウ』。四曲目が英語題の「ライト・ミー・アップ」で歌詞も英語。この快活なリズムはキゾンバちゅ〜やつでっしゃろか〜?どなたか、マジで教えて!本当に分りませんから〜。問題は続く五曲目「ヴォルタ・アモール」だ。これ、マジですごいんだよね。このアルバム『フィーリョ・メウ』におけるクライマックスの一つだ。しかもちょっぴりサルサふう。

 

 

アルバムの一曲ごと、附属の紙に演奏者がぜんぶ書いてあるにもかかわらず、五曲目「ヴォルタ・アモール」は、 なぜかこれは記載がない電子鍵盤楽器のイントロではじまり、ドラムス、エレベと入り、ヨラのヴォーカルが出る前に、さあ!来ました、分厚いホーン・セクションのリフ反復が。こ〜れが!キモチエエ〜!リズム・フィールも四曲目とは少し違う。これがセンバちゅ〜ことでっしゃろか?キゾンバでもセンバでも(分んないんだから)いいが、とにかく超グルーヴィでカッコイイ〜!!こんなの、あんまり聴いたことないよ。

 

 

 

このアルバムにある同傾向のラテン・ミュージックふうなセンバ(でいいの?)は、ほかに例えば8曲目「ドント」(これも英語)とか、やはりリズム・フィールも同じで、やはり分厚いホーン・リフが入る。10曲目「メスマ・ペソーア」もそうだし、12曲目「ノサ・カンソン」(ピアノが入る珍しいパターン) とか、ラスト14曲目「ヴォセ・ミ・アバーナ」もそうだ。最後の「ヴォセ・ミ・アバーナ」がこりゃまたカッコよすぎるグルーヴ・ナンバーで、こりゃセンバっちゅ〜やつでしゃろ〜?!ちゃうのん?どっちでもいいが、すんばらしくノレる。しかもやはりサルサっぽい。どうしてこんなに楽しいんダァ〜!ヨラ〜!好きだ〜!

 

 

 

ちょっとした別系統は、七曲目「フリーク」(これも英語)。確かに強く激しいビートが効いているが、これはヒップ・ホップ R&B みたいなもので、まったくセンバでもキゾンバでもなく(ってどっちも知らんけれども)、中盤でラップ・ヴォーカルも入る。前作『ミーニャ・アルマ』にも一個あったよなあ、ラップを聴かせるヒップ・ホップふうなのが。実際、この曲「フリーク」の演奏者はギタリスト以外にはプログラマーしかいないし、確かにそんな感触のデジタル・ビートが聴こえる。

 

 

ストリングスも入るロッカバラードな9曲目「ソ・エスペーロ」とか、11曲目「デゼージョ」はこれまた美メロ・バラードで、しかしビートは効いているなあと思うと、それもまたプログラマーの仕事らしい。エレキ・ギターとヴォーカル・コーラス(はたいていの曲でヨラ自身も重ねている)も入る。またしても英語の13曲目「ファー・アウェイ」は面白いサウンドだよ。曲そのものはふつうのビート・ナンバーだけど、かなり鮮明にタブラの音が聴こえるもんね。しかしクレジットを見るとタブラ奏者はおらず、っていうかそもそもプログラマーしかいないので、サンプリングしたものなんだろうね。

 

 

昨日、今日と二日連続で書いたアンゴラのヨラ・セメード。この人の(現在日本で入手可能な)二枚のアルバムにローカル色は薄い。というかほとんどない。アンゴラだ、アフリカ音楽だと言わなくなって、そういう世界を知らないふつうのポップ・ミュージック・リスナー向けに、問答無用でオススメできる。ヨラはワールド・ワイドに受け入れられる音楽家だ。

 

 

ヨラの二枚のアルバムは、手を加えずともそのまま世界市場に持ち込んで売れる見込みのあるユニヴァーサルな音楽で、しかもクオリティがかなり高く、しかしどうして日本でも知名度がないままなんだろうなあ?まだふつうに CD 買えないしなあ。はぁ〜。ついこないだまで知らなかった僕はなにも言えませんけれども〜。

2017/10/14

アンゴラがすごいことになっている 〜 周回遅れの僕がヨラ・セメードを聴く(1)

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ヨラ・セメードというアンゴラの女性歌手。僕は2010年作『ミーニャ・アルマ』と2014年作『フィーリョ・メウ』の二枚しか持っていないのだが、その前にデビュー・アルバムがあるらしい。それから今年新作が出そうだとのエル・スール原田さん情報があるのだが、それを得てネット検索すると、英語でも確かにそんなことが書いてあるページが出る。がそれは四月付けの記事で、今年もすでに十月。本当に今年出るのでしょうか?むろん今年じゃなくてもいいわけですから、デビュー作とあわせ、それも原田さん、よろしくお願いします。

 

 

さて “Yola Semedo” で検索してもあまりこれというパッとした内容の文章が出てこないんだから、「ヨラ・セメード」なんかでネット検索したってダメだろう?と思われるかもしれないよね。でも逆みたいだ。日本語のネット記事がこのアンゴラの女性歌手についてはいちばん充実しているような気がする。といってもヒットするのはエル・スールさんと荻原和也さんだけなんだけど(笑)。このお二方が、僕の、いや、みんなの、強い味方だ。助かります。いつも本当に感謝しています。

 

 

ヨラのアルバムが日本で買えるようになったのは、今2017年に2014年作の『フーリョ・メウ』がエル・スールに入荷したときが初らしい。その後、2010年作の『ミーニャ・アルマ』もやはり今年入荷。僕はこの二枚を同時に買った。自宅に届いたときに、グランド・ピアノの前で座って鍵盤に手を置いているジャケット・デザインの『フーリョ・メウ』は買ったのを憶えていたが(どうしてかというと、こっちだけを荻原和也さんがブログでとりあげていらしたからだ)、『ミーニャ・アルマ』のほうは、これだれのなんだろう?こんなのオーダーしたっけ?って、ジャケットにちゃんと Yola Semedo とあるのに…、最近物忘れが激しい僕です。30年前のことは克明に憶えているのに3秒前のことはどんどん忘れるのは、どうもそういうもんだそうで…。華麗なる加齢現象ですよね。

 

 

しょーもないダジャレを飛ばしたところで、今日はヨラの2010年作『ミーニャ・アルマ』のほうについてだけ書きたい。明日は2014年作『フーリョ・メウ』についてと、二日連続のヨラ・セメードとアンゴラン・ポップ祭。この順序にする理由は三つ。一つは発売順。一つは2014年作は bunboni さんのブログ記事があるので僕が書くことはあまりない。一つはそれにもかかわらず僕はあんがい2010年作が好みだ。内容的に2014年作のほうが上だというのは聴いて分るけれど、趣味嗜好だけはしょうがないよなあ。

 

 

ヨラ・セメードの2010年作『ミーニャ・アルマ』。ホントかなりポップだし、ヨラのヴォーカルには妙な癖がなく、しかもかなり上手いので、幅広い層にアピールできる歌手だよなあ。さらに曲の歌詞もかなりたくさん書いていて、ばあいによってはメロディも彼女自身が書いているものがある。ピアノを弾いているのはどうもヨラではない模様。アルバム一曲目の「エス・オ・ポデール」がヨラ自身の作詞作曲で、(まるで弾き語りみたいな)アクースティック・ピアノ一台だけの伴奏ではじまる泣きの美メロ・バラード。こ〜りゃ美しい、素晴らしいと聴き惚れていると、中盤でチェロが入ってきて、それで涙腺崩壊(はホントはしなかったが)にいたってしまうような展開で、僕はこの一曲目だけでノック・アウトされてしまった。

 

 

 

そういえば2014年作『フーリョ・メウ』の一曲目も似たような感じだけど、アルバムをこういう感じで幕開けにするのは、ヨラのアルバムではお決まりだってことなんだろうか?どっちにしても二枚とも、どっちから聴いても、オープニングだけで心を鷲掴みされることは間違いない。完璧に計算されたつかみだよなあ。

 

 

計算されたといえば、『フーリョ・メウ』でも二曲目がテンポのいいビートの効いた曲なんだけど、『ミーニャ・アルマ』でもすでにそれは同じだ。後者の二曲目「マリード・インフィエル」はセンバっぽいよなあと僕は思うのだがセンバではなく、キゾンバらしい。しかし『フーリョ・メウ』のほうにはセンバもあるし、キゾンバ → センバみたいな流れがあるってこと?しかし例えばこのヨラの二枚で聴き比べても、アンゴラ音痴の僕には明確な違いが分らない。どなたか、どこがどう違うのか、一度じっくり教えてください!これはマジ本心です!本当にどなたか、お願いします!

 

 

 

この「マリード・インフィエル」でエレキ・ギターを弾いているのはパウロ・フローレスだとクレジットがある。いいよねえ、このギター・カッティング。センバっぽいんじゃないの?パウロのギター・カッティングがこの(キゾンバだかセンバだか僕には分んない)グルーヴ・チューンの肝になっているよね。リズム・フィールのグルーヴィさとタイトさや、バック・コーラスの女性陣や、これにホーン・セクションとストリングス・セクションのリフさえ入れば完璧なものに仕上がるはず。だがこの曲のこの時点ですでに十分チャーミングで、しなやかで、しかもノリよくカッコイイ。

 

 

ノリのいいグルーヴ・チューン主体のヨラ『ミーニャ・アルマ』で、3曲目「ペルドア」とか、6曲目「マール・アズール」とか、7曲目「ア・ウニカ」とか、英語で歌う8曲目「セイ・オー!」とか、同じものの別ヴァージョンである13曲目「セイ・オー!(バウンス)」とか、ぜんぶノリの感じは2曲目と、そしてパウロ・フローレスのあのアルバムの多くの曲と、完璧に同であるように僕には聴こえるのだが。キゾンバでもセンバでもいいから、とにかく楽しい〜っ!そんでもって聴きやすくポップでノリがいい。

 

 

ヨラのアルバム『ミーニャ・アルマ』のなかにはサルサっぽいキューバン・ミュージックみたいなものもある。11曲目の「キエロ・ヴィヴィール」がそれ。アルバム全体で僕はこの11曲目がいちばんのお気に入りなんだけど、まずハード・ロックふうにファズの効いたエレキ・ギターではじまるなと思うとそれは一瞬だけで、すぐにサルサっぽいノリになる。ピアノの叩き方とか、ティンバレスのカンカラカンっていう入り方とか、まさにキューバン・ミュージック・スタイル。特に中盤でブレイク部があって、ダンダンダン!とブレイク・リフを反復するあいだ、そこでティンバレスが入れるパターンはサルサ・マナーだ。

 

 

 

どうだこれ?最高じゃないか。しかも後半部ではラップ・ヴォーカルも出るもんね。サルサにヒップ・ホップ R&B が合体したみたいなこの路線は、そのまま次作2014年の『フーリョ・メウ』で大きく開花している。しかもアルバム全体をとおし、ただ快活に激しくグルーヴィであるだけでなく、ポップでメロウなフィーリング、つまりアンゴラを植民地にしていたポルトガル由来なのかどうか分らないが、ブラジル音楽で特に言うサウダージが横溢している。

 

 

アルバム『ミーニャ・アルマ』では、上記二つの「セイ・オー!」のほかに、4曲目「アイ・ワナ・ビー」と、ラスト14曲目「イッツ・オーヴァー」も英語で歌われている。最後の「もうおしまいになったのよ」という別れの歌は、しかし曲調はトーチ・ソングふうではなく、完璧なるハード・ロックだ。ファズの効いたエレキ・ギターが大活躍するばかりか、ドラマー(は打ち込みか?)の叩くパターンも1970年代英米ハード・ロック・マナー(特にハーフ・オープン・ハイハットの使いかた)。派手派手に盛り上がり、ハード・ロック好き人間の僕には楽しいが、アルバム中この曲だけはアンゴラン・ポップ好きのみなさんにはイマイチかも?

2017/10/13

マイルズ・コンボ1960年春の欧州公演

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おそらく来年二月ごろになるらしいんだけど、マイルズ・デイヴィス・クインテット1960年春の欧州ツアー(のたぶん一部)を記録したボックス・セットがレガシーから公式リリースされるようだ。例の(ボブ・ディランの真似をした)<ブートレグ・シリーズ>の最新巻として。ただしまだ公式なアナウンスがないし、アナウンスされても、いままでは大きく遅れたり内容が変更になるなどしたばあいもあったので、まだちょっと迂闊なことは言えない。

 

 

無事なんとかリリースされてほしいその1960年春のマイルズ・バンド欧州ツアー音源集。いままで公式リリースがまったくないかというとそんなことはなく、たった一つだけ DIW 盤、すなわちディスク・ユニオンがリリースした CD 二枚組がある。タイトルは『ライヴ・イン・ストックホルム 1960』。パッケージのどこにもリリース年の記載がないが、5,800円(!)と値段が記してあるので、まあだいたいの時期は想像がつくよね(笑)。あったよなあ、CD 二枚組で5000円を越えていた時代が。しかも、これ、ちょっとブートレグ臭いようなものでもある。スウェーデンの Dragon っていうレーベルが出したものを借用しているか、あるいは Dragon が DIW 盤をパクったか、どっちなんだろう?やっぱり DIW 盤もブート?

 

 

まあいちおう公式盤として扱って、来年二月のレガシー盤公式ボックス・リリースの予告編となる文章を今日は書きたい。DIW 盤の『ライヴ・イン・ストックホルム 1960』は、文字どおり1960年のストックホルム公演を収録したもので、日付は3月22日。メンバーはマイルズ以下、ジョン・コルトレーン、ウィントン・ケリー、ポール・チェンバーズ、ジミー・コブのレギュラー・クインテット。このメンツで60年の4月頭まで欧州ツアーをやっていて、ブートもなんまいかある。

 

 

このメンツのレギュラー・クインテットでマイルズが1960年にやった欧州公演は、記録が残っていて辿れる範囲でいうと(ギル・エヴァンスとのコラボレイションでアルバム『スケッチズ・オヴ・スペイン』を録音した最終セッションである60年3月11日の直後の)3月21日、パリ公演が最初。その後各地を廻り、4月9日のアムステルダム公演が記録としては最後となっている。9月になって27日の英マンチェスター公演から、リズム・セクションはそのままでサックスがソニー・スティットに交代。60年いっぱいはスティットでやって、翌61年3月7日の『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』になった一部を録音するときからハンク・モブリーになっている。

 

 

そんなわけで1960年3、4月の欧州公演は、マイルズ・バンドのレギュラー・メンバーとしては最後のジョン・コルトレーンをとらえたライヴ・ツアーなので、その点でも非常に大きな意味がある。レガシーが(まだ公式アナウンスはないが)このときのライヴ音源集ボックスを発売する判断をしたのも、ここに力点が置かれているのだろう。

 

 

DIW 盤『ライヴ・イン・ストックホルム 1960』は、CD 二枚で計7トラック。7トラック目はいわゆる音楽ではなく、マイルズも関係なく、この欧州公演時のジョン・コルトレーン単独のインタヴューが収録されている。それ以前の六曲を見ると、一枚目も二枚目も「ソー・ワット」ではじまっている。この日のストックホルム公演は2セットやったからだ。上の段落でも書いたし、コルトーン単独のインタビューがオマケみたいに収録されているのでも分るように、世のほとんどのジャズ・ファン、あるいはマイルズ狂にとってすらも、この60年春の欧州公演はコルトレーンのマイルズ・コンボ卒業の姿にこそ聴きどころがあるとされている。

 

 

だが僕にとってはちょっとだけ違う部分もあるんだよね。確かにコルトレーンのソロは素晴らしいが、個人的にはウィントン・ケリーのピアノ・ソロもかなり楽しいんだよね。これはほぼだれも言わないことで、みんなコルトレーンコルトレーンの大合唱だけど、そればっかりでもないんじゃないかなあ。それがよく分るのが、やはりコルトレーンを聴くべきとされる二つの「ソー・ワット」だ。もちろんコルトレーンのソロ内容が壮絶で素晴らしいのは、僕も完全同意の文句なしなので、そこは強調しておきたい。

 

 

この1960年3月22日の2セット公演では、最大の聴きものが二つの「ソー・ワット」で、というかほぼそれだけで充分であって、その他お馴染のブルーズ・ナンバー「ウォーキン」や、また1958年録音作品から「フラン・ダンス」や「オン・グリーン・ドルフィー・ストリート」、また『カインド・オヴ・ブルー』からこれまたブルーズの「オール・ブルーズ」もやっているが、「ソー・ワット」のグルーヴィさと比較したらイマイチなんだよね。「ウォーキン」なんかグルーヴィになるはずのもので 、同一リズム・セクションによる同曲1961年ライヴだと素晴らしいのに、この60年ストックホルム公演ヴァージョンだと食い足りなく感じるのは、どうしてだろう?テンポがなんというか、もったりとしていて面白くない。ノリもよくない。

 

 

だから二つの「ソー・ワット」しかご紹介しないことにする。

 

 

ファースト・セット  https://www.youtube.com/watch?v=oj8njYmb440

 

 

 

 

この二つの「ソー・ワット」。DIW 盤だと、なぜだかファースト・セットのが CD2に、セカンド・セットのが CD1に収録されているのは不思議だ。 だから解説文の悠雅彦も間違えているが、文末に「1986 - 6」と記載があるので、執筆したその時点だと情報がかなり少なかったから仕方ないよね。いまは同一公演を収録した DIW 盤じゃないほかのブートでは訂正されているし、各種ディスコグラフィでもそれを確かめられる。

 

 

1960年3月22日の二つの「ソー・ワット」だが、ファースト・セットのもののほうが演奏時間が約五分長い。そうなっている最大の理由はやはりジョン・コルトレーンのソロの長さだ。セカンド・セットでは6コーラスのソロを吹くが、ファースト・セットでは倍の12コーラスもやっているもんね。これはあれかなぁ、ファースト・セットであまりに長くやりすぎて、幕間でボスに「トレーン、お前、長すぎるぞ、半分にしろ」と文句言われたんだろうか(笑)?だいたいこのころのマイルズ・コンボのライヴではトレーンのソロが長すぎると、常日頃からマイルズは思っていたらしいね。

 

 

マイルズのトランペット・ソロの内容は、ファースト・セット(7コーラス)、セカンド・セット(6コーラス)ともに均整がとれていて、普段から僕もくどいほど繰返しているが、この音楽家は全体の構築美を重視する人なんだよね。自分のソロでも(ある時期の例外を除き)この態度をほぼ崩さなかった。だから1960年の欧州公演でも、バンド全体でそんなやりかたをしたかったかもしれないが、ジョン・コルトレーンがすべてを(いい意味で)ぶち壊しにしてしまう。

 

 

でも、マイルズはこんなジョン・コルトレーンのことが大好きだったんだよね。確かにもう少しだけ簡潔にまとめてくれないか?という願望があったかもしれないが、心の底から本気でそう頭に来たりなどするならば、衆人環視のステージ上でも遠慮なく実力行使する人だったもんね。ずっとあとの1980年代末の日本公演では、サックスのケニー・ギャレットがあまりにも延々とソロをとるので、ボスが蹴りを入れて強制終了させたのを僕は生で目撃した。肉体的暴力でなくとも、サウンド的ヴァイオレンスで割って入りやめさせている証拠ならいくつもある。

 

 

だからあんなことをインタヴューなどで言いながらも、実はマイルズだって、あの延々と吹いて演奏全体のバランスを悪くするジョン・コルトレーンの長尺ソロをそれなりに楽しんでいたはずと僕は思うのだ。そしてそれは確かに本当に素晴らしい内容なのを、上の二つの「ソー・ワット」でも聴きとっていただけるはず。この壮絶さはこのままのありようで、帰米後独立して自らのバンドを率いるようになって以後のトレーン・コンボで表現されているので、これ以上の説明は不要だろう。

 

 

必要な説明は、三番手でピアノ・ソロを弾くウィントン・ケリーの極上グルーヴだ。この1960年ライヴではみんなコルトレーンのことしか言わず、ケリーにかんしては褒める文章を見かけたことがない。だが、ジョン・トレーンのソロ内容がややシリアスで重すぎると感じるばあいもある僕は、いつも三番手でケリーが出てくると、本当に楽しくノリやすくていい気分なんだよね。ケリーのピアノ・ソロに入ると、ジミー・コブが僕の大好きなリム・ショットを入れはじめるのもイイよ。

 

 

しかも二つの「ソー・ワット」で聴けるウィントン・ケリーのソロ内容は、マジで素晴らしいもんね。終盤まで右手のシングル・トーン弾き中心で行って、その部分もノリ良く軽快で気持いいが、最後にブロック・コードでガンガンガンと、ジミー・コブとの合奏で三連符の変形を複数回演奏するあたりのスリルと興奮は、僕にとって1960(〜61)年のマイルズ・ライヴを聴く際の最大のポイントだ。

 

 

あの変形三連符合奏は、「ソー・ワット」最初のテーマ演奏部におけるベースの弾くラインとホーン合奏とのコール&リスポンスにあるゴスペルふうなフィーリングを、離れた場所で出現させ拡大したものだと僕は思っている。そしてそのままエンディング・テーマになだれこむから、効果絶大なんだよ。

 

 

ピアノ・ソロ最終盤であんなブロック・コードの連打をウィントン・ケリーとジミー・コブの合奏でやろうっていうのは、いったいだれのアイデアだたんだろうか?それを知りたいとむかしから思っているのだが、なにしろ「ソー・ワット」をライヴ演奏した最初のマイルズ・バンドが今日書いたこの五人だから、ちゃんとしたことが分らないんだよね。マイルズかケリーかのどっちかじゃないかと思うんだけどね。

 

 

「ソー・ワット」三番手のピアノ・ソロの最終盤でこうなるのは、63年6月以後のハービー・ハンコック&トニー・ウィリアムズも継承している。レコードはなかったはずだから、テープを聴かせてもらっていたに違いない。

2017/10/12

岩佐美咲って「本当に」素晴らしいんだから!

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岩佐美咲は本当に歌が上手く、(ネガティヴな意味での)アクもエグ味もヘンな癖もなく、キンキンしたギャル声でもなく、チャーミングな声質でいい歌をそのままストレートに歌いこねまわさず、グルーヴィな曲ではノリも歯切れもよく、落ち着いたバラード(調のもの含む)ではしっとりとした表現ができて、それでいて最近は大人の女性としてのセクシーさも出てきているっていう存在。だから万人にアピールできて受け入れてもらいやすいような資質のポップ歌手なんだよね。こんな類い稀で素晴らしい歌手がここまで聴かれておらず、一部の熱心な愛好家以外には知名度も低いなんてのは、僕の見るところ、二つの理由しかない。

 

 

小さいほうから書くと、岩佐美咲はいちおうは演歌界で活動している歌手だという位置付けになっているからだ。岩佐自身もここにこだわりがあるのなら、僕たちもそれに寄り添っていきたいが、発売されている CD や DVD や、またいろいろと 報告されているライヴ・コンサートや各種の歌唱イヴェントで歌っているレパートリーを見ると、もはや岩佐は「いわゆる」演歌歌手ではない。コテコテの演歌のほうが割合は低いもんね。

 

 

だがそのあたりの岩佐美咲の事情をご存知ない一般のみなさんのばあい、彼女が演歌歌手だと宣伝されて売り出されていることを見て、いやあ、演歌はちょっと聴かないなあとか、遠慮しておきますとか、そんな気分を持つ音楽リスナーもいるんじゃないだろうか?特にジャズやブルーズやロック系のシリアスなものを熱心に愛好しているみなさんに、そういう傾向が見受けられるように、僕は思う。

 

 

そういえばいま思い出した。以前、どなただったか熱心なジャズ・ファンの方二名のこと。そのお二方の発言に関連性はないのだが、お一方は「なんなんだこのジャズ・アルバムは?!まるで演歌みたいじゃないか!こんなもの!」と言い放ち、もうお一方は「大晦日の『紅白歌合戦』なんて観る価値ゼロだ、まったくどこも面白くない」と言っていたんだよね。つまり、「演歌だ」(あるいは「歌謡曲だ」)というのが悪口になりうるような、そんな世界があるみたいなんだよ。

 

 

『紅白歌合戦』が面白いのかどうかはまたぜんぜん別の話なので今日はよしておく。僕はいま言いたいのは、演歌(あるいは歌謡曲)にジャンル分けされているという事実だけで、ハナから守備範囲外に置いて見向きもしないみなさんが確かに一定数存在するんだってこと。これはまあ、もちろん偏見だ。一流演歌歌手の実力のものすごさをご存知ないのだとしか思えないよね。この部分にかんしては、とにかく一度心を白紙にして虚心坦懐に、あの方々の歌に耳を傾けていただきたい、それを一流ジャズ(or ロックなど)歌手のヴォーカル表現と、比較してどっちが優れているのかという話ではなく、どっちも凄いじゃないかと分っていただきたいと、心から切望する。

 

 

岩佐美咲も演歌界で活動している(とは思えないほど演歌じゃないレパートリーのほうが多いが)存在だと自他ともに認めているので、この点では少し損をしているかもしれないよね。かといって熱心な演歌ファンなら岩佐を聴くのかというと、これまたあまり重視されていないっていう、いってみればダブル・バインド状態なんだよね、いまのところは。演歌歌手だという位置付け(もそろそろやめたらどうかと僕は考えているのだが)なのに、どうして演歌ファンがあまり聴かないのかは、典型的な演歌歌唱法をまったくやらないからだ。このことは以前詳述したので、そちらをご覧いただきたい。

 

 

 

さて、この典型的な演歌ふう歌唱法をやっていないことと実は密接な関係があるのだが、岩佐美咲みたいに類い稀で素晴らしい歌手がここまで聴かれておらず、一部の熱心な愛好家以外には知名度も低い、その二つ目の理由。それは岩佐が AKB48のメンバーだったことだ。こっちのほうがはるかに大きな理由で、世の多くの音楽ファン、特に熱心なマニアと呼ばれるシリアスな愛好傾向をお持ちのみなさんが、岩佐に見向きもしない最大の原因に違いないと僕はにらんでいる。

 

 

つい先日、深夜に一通のメールが届いた。いま確認すると、昨日10月5日の0時09分付け。内容は僕の日々のブログ記事内容へのコメントだった。ブログのコメント欄に書かず私信にしたのにはそれなりの理由がおありなんだろうなら、お名前は明かせないし、ぜんぶを正確に引用することも控えたいが、内容をかいつまんでご紹介すると、次のようなことだった。

 

 

ふだんずっとお堅いブログだと思っていましたけれども、岩佐美咲ですか…。岩佐美咲って、AKB48のメンバーの娘(ママ)ですよね?そんな娘っこ歌手が本当にそんなに良いんですか?

 

 

ただしこのメールをくださった方は、戸嶋さんがそんなに素晴らしいって言うんなら、今度 TSUTAYA に行ったときにレンタルして聴いてみようかと思います、とも書いていらしたので、僕の日々の文章もほんの少しは意味があるってことだと自惚れておく。岩佐美咲が TUTAYA にあるのかどうかは知らないが。

 

 

まあしかしこんな具合で、ひょっとしたら岩佐美咲はいまでも AKB48の一員であると思っているのかもしれないし、思っていないとしても、あんなキャピキャピしたギャル・グループ関係のガキの女の子の歌なんか、そんなもん、聴く価値ないぞ、少なくとも「お堅い」傾向の音楽愛好趣味からしたら、まったく別の世界だ、子供の遊びだ、縁はない、だから、聴かないよ、聴く気なんてこれっぽっちもないよっていう 〜 こんなフィーリングが、やっぱりあるんじゃないのかなあ。

 

 

AKB48など、その他関連のガール・グループの活動が本当に「子供の遊び」なのか、あるいはひるがえって子供の遊びだとしても、子供の遊びは大人にとって面白くないもの、価値のないものなのかどうか?っていう根源的な疑問が湧いてくるが、まあこれもまたぜんぜん違う話になるので今日はしない。問題は、岩佐美咲みたいな「本当に」ものすごく素晴らしい歌手が、ただたんに AKB48に関係する存在であるという一点のみで愛好対象から除外されてしまう、そもそも眼中にないということになってしまうっていう、この事実だよなあ。

 

 

これも偏見なんだよね。一度どなただったか熱心な音楽愛好家、特にいわゆるワールド・ミュージックに精通している方が、AKB48関連などのああいった若い女性歌手たちは、そもそもあの声が受け入れられないんだとおっしゃっていた。ってことはその方のばあいは、ちゃんと聴いているんだってことだよね。しっかり聴いた上で自分向きではないと判断なさっている。

 

 

じゃあそうお書きだった方には、あるいはその方は大きな影響力をお持ちの方だから、その方の文章を参考になさっているみなさんには、ぜひ岩佐美咲の歌を聴いてほしいと僕は思う。AKB48うんちゃらかんちゃらはちょっとなあ…、っていう先入見や、あるいは先入ではなく聴いた上でそう判断なさっているお気持は、成層圏外に吹っ飛んでいってしまうはず。

 

 

一聴してそうなってしまうほどの実力を、声質にも歌い方にも、岩佐美咲は持っている。だってさ、書いたようなみなさんは鄧麗君(テレサ・テン)については激賞しているじゃないか。パティ・ペイジだって中村とうようさんや田中勝則さんがべた褒めしているから、やはりみなさん聴いていてお好きなはず。岩佐は鄧麗君、パティ・ペイジとまったく同資質の歌手なんですよ。

 

 

そこでそんな、これからじゃあちょっと岩佐美咲を聴いてもいいぞと心変わりしておっしゃる方でも出現するとして、そのためのオススメ品を少し書いておく。いちばんいいのは現時点で二枚ある DVD だと思う。三枚目が今月もうすぐリリースされる。これは正式にアナウンスされ、アマゾンでもすでに予約購入できる。ぜんぶ Blu-ray があるが、価格の安いDVD のほうをご紹介しておく。どれか一つだけとおっしゃるならば、来たる三枚目がいいんじゃないかなあ。

 

 

 

 

 

 

CD で聴きたいというみなさん向け、それもアルバム志向だという方々向けには、いままでに二枚ある岩佐美咲の CD アルバムから新しいほうの『美咲めぐり ~第1章~ 』(初回生産限定盤)をオススメしておく。みなさんお馴染の曲はファースト・アルバムである『リクエスト・カバーズ』のほうにたくさん入っている。っていうか有名曲ばかりのカヴァー・ソング集だしね。都はるみもテレサ・テンもあるよ。

 

 

 

 

ただし、岩佐美咲のいちばんものすごいもの二つは、これらの CD アルバムには収録されていない。どっちもカヴァー曲の「20歳のめぐり逢い」と「糸」だ。どっちかだけにしてくれとおっしゃるだろうから、躊躇なく僕は「糸」が収録されている CD シングル「鯖街道」特別記念盤(通常盤)を、強く強く推薦する。

 

 

 

くどいようだが、最後にもう一度大切なことを反復しておく。「演歌」「AKB48」〜 この二つのレッテルに惑わされずに、みなさんぜひ岩佐美咲の歌を聴いてみてください!本当に素晴らしいんですから!

2017/10/11

さぁ、徳間ジャパンさんもはやく!

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僕がネット(といってもパソコン通信だが)をはじめたのは1995年の夏なんだけど、これは遅いほうだとあのころ思っていた。すでにパソコン通信なんかはブームみたいなものになっていて、すでに大勢がやっているような気がしていた。とにかく音楽のことでみんなと楽しくワイワイ話がしたかったっていう、本当にただそれだけの理由でパソコンを買った。僕のばあい Mac の Performa 5210。いまではノート型にあらずんばパソコンにあらずとまで言いだしかねないほどのノートブック信者の僕も、まず最初はデスクトップ型 Mac を買った。

 

 

とにかく文書作成とか表計算とか、そんなことをやろうなんて気持は僕にぜんぜんなく、ハナからネットをやりたいがためだけに Mac を買った。すなわち僕にとって Mac は最初に買った1995年の夏から完璧にネット端末でしかなかった。パソコン通信こそ僕がやりたかったことだもんね。でもあの当時はネットに接続するのがやや面倒くさかったんだ。

 

 

まず回線は通常の(音声通話用の)電話回線を使う。僕が Mac を買った1995年夏よりもずっと早くはじめた方々のばあい、音響カプラ(どうです?なんのことだか分らないでしょう?)を使ってネット接続することも多かったらしいのだが、僕は使ったことがない。新宿(が京王線のターミナルかつ最大の繁華街だったから)のソフマップで Performa 5210を買う際に、最初からモデムも一緒に買ったのだった。ネットやりたかったんだから当たり前だ。当時のモデムは外付の据え置き型が一般的。その後、カード型とかパソコン内蔵型とか出てくる。

 

 

それでダイアルアップ接続(死語?)するわけだけど、通常の音声会話用の電話機のケーブルを差し込んである壁のモジュラー・ジャックから電話機のケーブルを抜き、データ通信用のモデムのケーブルを差し込んで、モデムが Mac にやはり有線でつながっているという具合。これで通信用のソフトウェアを使って接続する。僕のばあい AT コマンドが必須だった。接続時にガ〜ガ〜ピ〜ピ〜っていうやかましい音がモデムから出るのだが、サイレント状態にする AT コマンドも僕は打ち込んでいた。

 

 

サイレント状態にするのは、ネットに接続するのがたいてい深夜だったからだった。妻は寝ている時間だったもんね。テレホーダイという、これもまた死語になっているものがあったことをご存知だろうか?深夜11時〜翌朝までは NTT の電話回線をいくらたくさん使っても定額になるっていうもの。音声電話用のプランだったかもしれないが、ネット民はみんなデータ通信用のプランとして活用していた。

 

 

いまみたいに(いつごろからだっけ?)これもまたまた死語だろうがブロードバンドの常時接続なんて、夢のまた夢であって、っていうかそもそもそんな世界が、時代が、到来するという予測すら僕はしていなかった。つまりネット接続は一回一回つないでは切断する、そういうものだった。それでもたいていみんなすぐにネット中毒患者になるので、どんどんつなぎたい、できうればつなぎっぱなし状態にしたいわけだ。そんな願望は深夜にだけ叶えられていた。テレホーダイのおかげで。

 

 

テレホーダイの時間帯は NTT 回線をいくら使っても定額だったので遠慮なしだったが、日中だと遠慮がちに、いま何分間使ったからどれくらいお金かかったんだろう?ちょっとつなぎすぎたかもしれないぞ?次回の NTT の請求は高額になってしまうかも?とか、そんなふうに怯えながら電話回線を使ってのダイアルアップ接続でネット活動をしていた。まるで束の間の背徳的情事をたのしむかのようじゃないか。

 

 

ここまで書いてきたことをお読みになって、ワケが分らない人はサッパリ分らないだろうが、むかしのネット活動(というかパソコン通信)はダウンロード型だったんだよね。現在、一日24時間ずっとネットにつながっているのが当たり前、っていうかそもそもつながっているだとかいないだとか意識すらしないようになっているけれど、そしてそんな空気みたいな存在になっていることも、それは幸せなことだと僕は思うけれど、そんないまはアクセス型だよね。パソコンでもタブレットでもスマホでも、すべてデータはローカルのディヴァイス内にはなく、<あっち側>にあって、それにアクセスして読み書きしている。

 

 

むかしはネットに接続できることじたいが限られていたから、必要なものはその場でローカルのディスク内にダウンロードして、接続を切ってからゆっくり読んで(だってつないだままじゃあお金が心配で心配で平常心ではいられないし、実際高額になる)吟味して、反応したい場合にはゆっくり書いて、複数個のファイルを書き終えたら、そののちもう一回接続してぜんぶまとめてアップロードする(アップって当時言ってたっけ?)。

 

 

ダウンロードといっても、僕が最初1995年に買ったモデムは、確か9600bps という速度だったら、ダウンロードしながら同時に Macの画面でログが読めたんだよね(笑)。そんなノロノロ速度だった。ダウンロードしながら同時にそのまま通信ログが読めた、そんなスクロール速度だったなんて、しばらくあとになってからはだれに言っても信じてもらえなくなった。おおげさな作り話扱いしかされなくなったが、本当のことなんだよね。

 

 

そのころ、つまり(僕は横目で睨んでチェッ!とか思っていただけだったが)Windows 95の発売で世の中が一気にパソコン・ブームみたいになって、それと同時にブームになったインターネットと、それに接続してなにかをするという行為は、すでに普及したということだったと、当時僕は考えていた。だから1995年の夏に Mac を買ってようやくネットをはじめた僕なんかは遅いほうだと思い込んでいた。もちろんある意味そのとおりだといまでも思っているが。

 

 

だがしかし、その後のネット(ブロードバンド)常時接続時代の到来と、各種 SNS の誕生、一般化と、さらに、これこそが最大の契機だったに違いないスマートフォンの爆発的普及で、まあやっぱりここからだよね、インターネットが本当に「みんなのもの」になったのは。スマホなんてネットにつながっているのが大前提、なんて発想すらおそらくみんな持っていない。つながっていればふだんはその状態を意識すらしてもいない。本当に僕たちみんなのものになったという証拠だ。Wi-Fi 環境はいたるところにあり、そうでない場所でだってキャリアの3G、4G 回線で問題なくネット接続できる(こっちのほうは、いま再び使用量を気にしてヒヤヒヤする時代が戻ってきているが)。

 

 

ネット常時接続、それと不可分一体なスマホの爆発的普及、Twitter や Facebook や Instagram など SNS の存在(はかつてのパソコン通信にかなり似ている) 〜 この三つでもって、いまや本当にインターネットは世の中のみんなのものになったと言えるはず。難しいことを考えたりしたりなどできなくたって、AT コマンドを打ち込むなんていうメンドクサイことなんかしなくたって、スマホ買えば、即その日から、そのままだれでもはじめられる。それがいまのネット活動だ。

 

 

だれでもちょっとは意見を言える、ネットで(おそらく多くのばあいは Facebook で)気軽にものが言えるっていう、 そんな時代になっているから、例のあのサイレント・マジョリティっていうやつ、あれはもはや消滅したのだ、とはぜんぜん言えないと思うけれど、でも僕はだれでも意見が言えるようになってよかったんだと信じているんだよね。

 

 

かりにそうでないとしても、音楽の聴きかただけは、やっぱりかなり変化したんだと言えるはずだ。スマホで YouTube みたいな共有サイトに無料でだれでもすぐにアクセスできて、そこには無数の音楽(を含むいろんなもの)があるから、CD 買わなくたってちょっと聴くことはすぐできる。ちょっとどころじゃなくて、アルバム一枚丸ごと聴けたりもする。僕だって簡単にアップロードできているし、それに世界のいろんな人たちからアクセスがあって、コメントもあって、音楽の楽しみをシェアできている。

 

 

無料ではないけれど、iTunes ストアみたいなダウンロード音楽サーヴィスもあるし、ダウンロードではなくストリーミングだけど、Apple Music や Spotify みたいなものだってある。いまや音楽の新作はフィジカル CD でリリースする前にネットで配信したり、そもそも iTunes や Spotify でしか売らないっていうようになっていたり、YouTube で無料で流す際の広告代が音楽家や製作者サイドの主な収入源になっていたりもしているじゃないか。

 

 

今年、僕はやっぱり CD で買ったレバノンの歌手ヒバ・タワジの新作『ヒバ・タワジ 30』。これに附属するブックレットをひっくり返すと、そこには (Listen on)Apple Music、iTunes、YouTube、Spotify、anghami、DEEZER の六つの文字がアイコンとともに並んでいた(anghami はアラビア語のポップ・ミュージック用のもの)だけ。ヒバの写真以外は本当にただそれだけ。それしか記載がなく、僕が持っているその CD のレーベル名など、フィジカル・リリースにかんする情報はどこにも一言もなかったもんね。

 

 

もうそういう時代だよね。僕はたぶん今後も CD 買い続けると思うけれど、必ずしもそうじゃない人たち(はどんどん増えている)向けにはどうしたらいいか、売り手側にはちょっと考えてみてほしい。いろんな人に届きやすい方法を。より多くのファンを得るにはどうしたらいいのかを。例えば、八代亜紀は(ちょっとだけ)Spotify で配信されていますよ。 頼みますよ、みなさん。

2017/10/10

木綿のハンカチーフ三枚

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日本のポップ・ソング史上最高の名曲だと思うことがある「木綿のハンカチーフ」。松本隆が詞を、筒美京平が曲を、萩田光雄がアレンジを書いて、1975年に太田裕美が歌い大ヒットした。オリジナルであるアルバム『心が風邪をひいた日』(12月5日発売)ヴァージョンと、45回転のシングル盤(12月21日発売)とは、アレンジその他少し内容が違っていて、シングルのほうは再録音したものらしいが、録音し直したことはこのあいだ初めて知った。以下の YouTube 音源はシングル・ヴァージョン。その後のライヴでの披露なども、僕の知る限りほぼぜんぶ、ストリングスで入ってくるこのシングル・ヴァージョンのアレンジに沿っている。

 

 

 

ところで太田裕美と「木綿のハンカチーフ」というと、僕にとっては中学時代の親友クリタセイジのことが忘れられない。僕がこの曲をリアルタイムで憶えているのはクリタ(と呼んでいたから、「さん」「くん」を付ける気になれない)のおかげなんだよね。クリタは熱烈な太田裕美ファンで、だから「木綿のハンカチーフ」もドーナツ盤を買って愛聴していた。クリタんちに遊びに行くと(実に頻繁に行っていた)、必ずそのレコードをかけて「どやっ?!戸嶋?ええやろ〜!なっ!!」と強調していたもんね。

 

 

まあそんなことはいい。1975年以後、もちろん太田裕美自身も現在まで繰返し歌っているが(しかしこの女性はどうしていまだに歌声も容姿も変わっていないんだろうなあ、魔女だとしか思えない)、その他文字どおり無数のカヴァー・ヴァージョンがある「木綿のハンカチーフ」。僕が現在手許に CD で持っているのは三種類だけ。太田のアルバム『心が風邪をひいた日』、原田知世の2016年のアルバム『恋愛小説 2 - 若葉のころ』、岩佐美咲の2017年8月のシングル盤「鯖街道」特別記念盤(初回生産限定盤)の三つ。

 

 

みなさんご存知のとおり「木綿のハンカチーフ」は、都会に出た男の心が、田舎に残る女から離れるようになり、次第に女のことを忘れていき、とうとう「帰れない」と告げて、女のほうは「涙拭く木綿のハンカチーフくさだい」と言う、完璧なる失恋歌だ。上記三つのヴァージョンのなかで、このフラれた女の心情を哀切感漂う感じで直接的にいちばんよく表現できているのは、原田知世ヴァージョンじゃないかなあ。フラれる前までの、この女性の心のありようもよく出ているように感じる(かもしれない?)。

 

 

太田裕美のオリジナル・シングル・ヴァージョンはご紹介したが、原田知世のと岩佐美咲のはご紹介できないだろう。僕がアップロードしたとて、上がったと同時に再生不可になるに決まっている(いままでそういうことがなんどかあった)。だから残念なんだけど、原田知世の「木綿のハンカチーフ」は、伴奏楽器がぜんぶアクースティックなもので、ドラムスはほんの軽く小さな音。プロデュースとアレンジもやっている伊藤ゴローがクラシック・ギターを弾き、その他ピアノ、ウッド・ベースと、あと、ソプラノ・サックスが非常に効果的に使われている。この原田ヴァージョンでの伴奏の肝は、ある意味、ソプラノ・サックスのサウンドじゃないかあ。都会的でジャジー。

 

 

それから原田知世の「木綿のハンカチーフ」では、これは伊藤ゴローの指示に違いないが、テンポがかなり緩い、というかほぼ止まっているかのような進み方。ビートはまったく効いておらず、フワ〜ッとアンビエントふうに漂うかのようなサウンドなんだよね。伊藤ゴローが原田をプロデュースするとそうなっているばあいがしばしばあるよね。好きか嫌いかは人それぞれだが、アンビエント・サウンドは原田の声質にとてもよく似合っていると、伊藤&原田の相乗効果で魅力倍増になっていると、僕は感じている(このコンビはそういうものばかりではないので、念のため)。

 

 

そんなテンポがほぼないような浮遊感のあるサウンドで原田知世が歌う「木綿のハンカチーフ」は、だから原田のヴォーカル表現もかなりリリカルだ。正直に書いてしまうが、情緒的な方向へ流れすぎているかもしれないと感じることも、七回聴いて一回くらいある。ちょっとなんというか、歌詞の中身と歌い方の距離が、やや近すぎるんじゃないかという気がたまにするんだよね。思い切り泣きたい気分のときはぴったりフィットする原田の「木綿のハンカチーフ」だが、これはちょっと…、と思う気分のときもあるんだよね。

 

 

松本隆が書いた「木綿のハンカチーフ」の歌詞は、音を聴かずにそれだけ文字で読むとかなどすれば、かなり湿っているフィーリングの重たい内容だ。ご存知のように、それまでの日本のポップ・ソングでは前例のない、男女の会話形式で進む歌詞だが、しかし田舎に残る女が歌う部分は、なんだか田舎でただひたすら耐え忍んで待つような女という、1975年でもややアナクロニズムを感じる人がいたかもしれないようなもので、これはひょっとして松本の女性観みたいなものが反映されていたんだろうか?

 

 

それが太田裕美ヴァージョンの「木綿のハンカチーフ」でアナクロニズムに堕していないのは、ひとえにあの爽やかなメロディとアレンジ、特にリズムの快活なフィーリングと、わりとアッサリ男を見放しているかのような太田のあのサッパリした歌い方ゆえなんだよね。伊藤ゴローがプロデュースした原田知世ヴァージョンがアナクロだと言っているのではぜんぜんない。そもそも原田ヴァージョンで歌われる女の姿と表情は、田舎で耐えて待っているようなものではなく、かなり都会的に洗練された女性像(sophisticated lady)になっている。サウンドと歌手の声質のおかげだろう。だが、ややしっとりしすぎ…かも?

 

 

いちばん上でご紹介した太田裕美オリジナルの「木綿のハンカチーフ」を、ひょっとしてご存知ない方はぜひ聴いていただきたい。ノリのいい快活なリズムにはラテン・テイストすら感じられ、まあそれは以前から僕もリピートしているように日本の歌謡曲ではラテン・アクセントを効かせるのが常套手段だからどうってことないものだけど、シンコペイトして軽快に跳ねているような感じのこれ、大きなロスト・ラヴの歌なんだもんね。ちょっとそんな内容にそぐわないかのようなリズムとサウンドで、爽やかでもあって、陽気さすら感じる。特に太田の歌い方に、なんというか、客観性がある。

 

 

「木綿のハンカチーフ」を歌う太田裕美の客観性とは、歌詞内容と適度な距離感があるってことなんだよね。ベタッと失恋内容にひっつきすぎていない。それがいいんだ。まるでそんな男なんか私もう知らないわよ、バイバ〜イって笑って突き放しているかのようなフィーリングでのヴォーカル表現で、ぜんぜん「涙拭く木綿のハンカチーフ」なんか必要なさそうだよね。ノリよくグルーヴィに太田は歌っている。

 

 

そんなサウンド(含むリズム)と歌い方だからこそ、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」は、日本のみんなに共感してもらえたんだと僕は思うんだ。それだからこそ大ヒットして、太田の歌手人生を代表する名曲たりえたんじゃないかなあ。松本隆の書いたあの歌詞内容を、そのまま未練ったらしいフィーリングでベタッと歌ったら、ここまでみんなが知っているスタンダード・チューンにはなっていないはず。僕はそう思うんだけどね。

 

 

だから、男になったり女になったりするあの歌詞を書いた松本隆の名人芸には心の底から感服するけれど、曲とアレンジを書いた筒美京平と萩田光雄の手際も見事だった。そしてなによりもそんなサウンド志向をしっかり汲みとって、あのアッサリした歌い方でヴォーカル・ラインに客観性を持たせることに大成功した歌手、太田裕美はやっぱりすごかった。僕はいま、アルバム・ヴァージョンしか持っていないが、それを何回でも反復再生したい。

 

 

さて、僕の持つもう一個の「木綿のハンカチーフ」は岩佐美咲の歌うもの。シングル盤「鯖街道」特別記念盤(初回生産限定盤)収録のこれはライヴ・ヴァージョンで、岩佐自身のアクースティク・ギター弾き語り(に、もう一名のギタリストとヴァイオリン奏者が参加の三名だけ)で、どこにも記載がないが、今年五月のギター弾き語りソロ・ライヴで収録したものらしい。これもご紹介できないのが残念だ。

 

 

その岩佐美咲の「木綿のハンカチーフ」は、快活陽気でノリのいいグルーヴ・チューンになっているんだよね。ギターのリズムに合わせて叩く観客の手拍子がかなりはっきり聴こえる。岩佐自身の弾くギター・カッティングもノリノリだが、なんたってヴォーカル表現がハキハキしていて歯切れよく、しかもキュートでチャーミングな発声だ。念のために言っておくが、岩佐はすでに曲と表現に合わせ三種類くらいの声を使い分けられるようになっているんだよね。そっちがふさわしいと判断した曲では、ドスとタメの効いた歌い方だってしている。もはやキャピピャピ、キンキン声のアイドル歌手じゃない。そう聴こえるときは、あえてその選択をした上でそうなっている。一曲のなかで声質を部分的に変えるなども頻繁にやる。

 

 

「木綿のハンカチーフ」での岩佐美咲は、アイドル的なキュートで可愛らしい表現をチョイスしている。これが故意の戦略的選択だったことは、同じ日のギター弾き語りライヴで収録された「糸」(中島みゆき)と聴き比べれば、だれだって瞭然とするはずだ。じっくり歌いこんでいる「糸」では落ち着いた大人のフィーリングで、楽しく跳ねているような感じはまったく聴かれない。

 

 

 

岩佐美咲ヴァージョンの「木綿のハンカチーフ」は、太田裕美のオリジナル同様に、失恋のつらさ、痛み、苦しみを<表面的には>まったく感じないような、ジャンプしながら踊っているような、そんなフィーリングでのギター・リズムと歌い方なんだよね。ダンサブルなフィーリングは、オリジナルの太田ヴァージョンにも強くあったじゃないか。太田のも岩佐のもそんな仕上がりになっているからこそ、歌詞で表現される田舎のあんな健気な女性像が、より一層聴き手の気持に染み込んでくる。僕はそう思っているんだけどね。岩佐のあのときのライヴでは「糸」があまりにもすごすぎるから、ほかのものがかすんでしまっていると思うんだけど、ぜんぶ録音したはずのなかから「糸」と「木綿のハンカチーフ」だけ発売したのには、確固たる理由があると思うよ。

2017/10/09

ドゥー・ワップでクラシックをサンドイッチ 〜 ザッパ

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フランク・ザッパの『バーント・ウィーニー・サンドウィッチ』は、トップとラストにドゥー・ワップ・ナンバーがあるからというのが僕にとっては最大の楽しみで、意味も強いものなんだけど、ふつうはそうじゃないらしい。ってことはわりと最近知った事実。だいたいみなさん、その最初と最後のニ曲を外し、そのあいだにある器楽曲、特に長尺の「ザ・リトル・ハウス・アイ・ユースト・トゥ・リヴ・イン」 のことを熱心に書いているもんね。

 

 

確かにアルバム八曲目の「僕がかつて住んでいた小さな家」は素晴らしい。あっ、そうだ、ところで八曲目と書いたけれど、『バーント・ウィーニー・サンドウィッチ』は CD で聴くほうが分りやすいよね、全体の構成とか流れとかが。LP だと「僕がかつて住んでいた小さな家」は B 面一曲目だったらしいが、僕がもし LP 時代からザッパを聴いていたら、『バーント・ウィーニー・サンドウィッチ』はなかなか分りにくかったかもしれない。

 

 

ザッパのアルバムは、御大自身が CD 用の公認マスターを作成する際にいろいろと考えて、音源に手を加えたりもして、CD メディアならではの特性を活かした創りに部分的に変更してあったりするらしいのだが(でも僕はほとんど知らない)、なんでも洩れ聞く話では『バーント・ウィーニー・サンドウィッチ』のばあい、LP と内容はほぼ変わらないそうじゃないか。そのまま CD にしたってこと?もしそれが本当なら、1970年2月のリリース時から完成度が高かった、両面続けての、すなわち CD で聴くのに向いているような、一連の流れと構成があったってことだよなあ。70年に未来のメディアを予見?

 

 

しかもですよ、『バーント・ウィーニー・サンドウィッチ』は、これも自分で確かめたわけじゃなく伝え聞いた話だが、マザーズ・オヴ・インヴェンション音源の未発表集なんだそうじゃないか。1970年2月というとマザーズは解散していた時期だし、前作がソロ名義の『ホット・ラッツ』だし、続く4月にも(すでに解散していた)マザーズの名前で『いたち野郎』(Weasels Ripped My Flesh)をリリースしているが、それもマザーズの未発表音源集みたいだ。

 

 

『いたち野郎』のことは別の機会にして(いや、書かない可能性が高い)『バーント・ウィーニー・サンドウィッチ』は、1967〜69年のマザーズによる、主にスタジオ録音の未発表集で、だから寄せ集めなのかというとぜんぜんそんな趣がなく、かなり完成度が高く緊密な構成を持つ傑作だよね。そしてその中心軸を「僕がかつて住んでいた小さな家」に据えるというのが、ふつう一般のザッパ・リスナーの考えかたになるはずだ。最初に書いたように、僕のばあいは少しだけ違うのだが。

 

 

じゃあ中身をサンドイッチしている最初と最後のドゥー・ワップ・ソングのことは後廻しにして、その「僕がかつて住んでいた小さな家」のことから先に書いておこうかな。この18分以上ある大曲は七部構成。七つはそれぞれ別個に録音された音源なんだと思う。思うというか、僕にはそう聴こえるという、いつもながらのいい加減耳判断でしかないが、たぶんそうだよね。それを信用すると構成は以下のとおり。

 

 

パート1(0:00〜)イアン・アンダーウッドのピアノ・ソロ

 

パート2(1:43〜)バンド演奏

 

パート3(4:18〜)ギター(FZ)&ドラムスのデュオ

 

パート4(5:13〜)シュガー・ケイン・ハリスのヴァイオリンが活躍するカルテット

 

パート5(13:35〜)バンド演奏

 

パート6(14:55〜)ドラムス・ソロに続きトリオでのバンド演奏、「アイベ海」を含む、ザッパのオルガン・ソロ

 

パート7(17:12〜)1969/6/6のロンドン・ライヴで収録した FZ のしゃべりとオーディエンス

 

 

これら七つのパートの切れ目はまあまあ分りやすい。サウンドが瞬時かつ劇的に変化するので、次のパートにつないだなというテープ編集の痕跡がはっきり聴きとれるからだ。しかも、この「僕がかつて住んでいた小さな家」のことだけじゃなくアルバム全体がそうなのだが、かなりクラシカルだ。「僕がかつて住んでいた小さな家」のばあい、シュガー・ケイン・ハリスが活躍するパート4でだけリズム&ブルーズふうな演奏になっているが、それ以外は西洋白人クラシック音楽だよねえ。

 

 

いやまあクラシック音楽にドラム・セットは入らないけれどさぁ。あんなふうなザッパのギターもない。リズム・フィールも違う。だから言い直さないといけない。一見、表面的には西洋のクラシック音楽に聴こえるが、アメリカのブラック・ミュージック要素と合体して区別できないまでに溶け合っていて、っていうかロック・バンド形式でやるクラシック音楽というか、ザッパ・ミュージックって、まあでもだいたいどれもそうだから、またいつもの繰返しになっちゃうけれどね。

 

 

それでも『バーント・ウィーニー・サンドウィッチ』は、管弦楽作品、すなわちザッパの言うシリアス・ミュージックには分類されないもののなかでは最も西洋クラシック音楽的なもので、しかもそれもロック・バンド形式で実現しているもののなかではかなり素晴らしい部類に入るんじゃないかと僕は思う。ってことで、音源をまだご紹介していなかったので、「僕がかつて住んでいた小さな家」をどうぞ。

 

 

 

どうですこれ?イントロ部でイアンが弾くピアノ・ソロなんか完璧なクラシカル・ピースじゃないか。即興演奏ではなく、ザッパの書いた譜面どおりに弾いているはずだ。その後のバンド演奏なんかも基本的には譜面どおりなんじゃないかなあ。楽器ソロにおけるインプロヴィゼイションは、パート3でザッパ自身の弾くギター・ソロと、パート4のシュガー・ケイン・ハリスのヴァイオリン・ソロと、その二つだけのような気がする。

 

 

ところでそれはそうと、この「僕がかつて住んでいた小さな家」パート4でも聴けるシュガー・ケイン・ハリスのソロはかなりいい内容だ。ザッパはこのヴァイオリン奏者を相当気に入っていたらしく、いろんなアルバムでフィーチャーしている。僕もいままで『ザ・ロスト・エピソーズ』と『ホット・ラッツ』と、二つの記事でシュガー・ケインに言及した。個人的にはやはり『ザ・ロスト・エピソーズ』ヴァージョンの「シャーリーナ」の人ということになるんだが。

 

 

しかも「僕がかつて住んでいた小さな家」では、上述のとおりシュガー・ケイン・ハリスがソロを弾くパート4でだけ、リズムがブラック・ミュージックふうに躍動的になって、かなりグルーヴィなのもいい。その部分ではザッパ本人は演奏じたいに参加していないが、このヴァイオリニストは西海岸 R&B シーンのドンだったジョニー・オーティス人脈であるのを活用して、いや、そうでなくたってザッパの音楽にはもとからそんな要素が強いので、こんなグルーヴになっているんだよね。

 

 

あ、イカンイカン、一曲のことだけでここまで来てしまった。トップとラストのドゥー・ワップ・ソングのことを書かなくちゃ。それ以外のクラシカル・ピースのこと、例えば二つある「イゴールのブギ」(イゴールとはストラヴィンスキーのこと)や、序奏と本演奏の二つがある「ベルリンの休日」や、ザッパのギター演奏がかなり凄い「バーント・ウィーニー・サンドイッチからのテーマ」(という曲題であるってことは、もともと映画用の音楽だったのだろうか?)とかについては、もはやぜんぶ省略するしかない。みんな〜、ゴメ〜ン。『バーント・ウィーニー・サンドウィッチ』もまた、アルバム・フルで YouTube に上がっているので、まだお聴きでなくて気になる方はぜひちょっと聴いてみて。

 

 

 

さあ、本題を書こう。僕にとってはこれらがあるからこそアルバム『バーント・ウィーニー・サンドウィッチ』が楽しくてたまらないという、トップとラストのドゥー・ワップ・ソング「WPLJ」と「ヴァラリー」。どっちも言うまでもなくカヴァー・ソング。「WPLJ」はフォー・デューシズの、「ヴァラリー」のほうはジャッキー・アンド・ザ・スターライツの曲で、このアルバムのザッパ・ヴァージョンも、も〜う!楽しいなったら楽しいな!!

 

 

 

 

「WPLJ」で歌っているのはザッパ、ロイ・エストラーダ、ジャネット・ファーガスン、ローウェル・ジョージみたいだが、この四人だけのコーラス・サウンドにも聴こえないので、多重録音してあるんだろう。後半部のスペイン語ラップはだれ?ロイ?とにかくリズムが楽しいし、歌詞内容はただ White Port & Lemon Juice が美味しいというだけのものだけど、いいのは歌いかただよなあ。楽器伴奏はアート・トリップのドラムスの音が目立っているが、ベース(ロイではなくジョン・バルキン)も聴こえる。鍵盤楽器とホーン・アンサンブルのリフなんかは音量が小さい。あくまでヴォーカル・ミュージックだ。ドゥー・ワップですから〜。

 

 

あれだけのドゥー・ワップ狂だったザッパで、自身のアルバムでもたくさんドゥー・ワップをやっているし、『クルージング・ウィズ・ルーベン&ザ・ジェッツ』なんか一枚丸ごとそうだし、編集盤だけど二枚のドゥー・ワップ集『チープ・スリルズ』もあったりするザッパだが、そんななかで僕の最愛好ザッパ・ドゥー・ワップが、『バーント・ウィーニー・サンドウィッチ』トップの「WPLJ」なんだよね。だぁ〜ってね、こんなにも楽しい音楽、なかなかないよ。

 

 

いちおうラストの「ヴァラリー」のことにも触れておこう。ウキウキ愉快な「WPLJ」と違って、こっちは失恋の歌。リズムの感じも曲調も哀しげに泣いているような(「ヴァラリー、もう僕のことはどうでもいいのか?僕はもう必要ないのか?」)ものだけど、やっぱりヴォーカル・コーラスがいい。しかも「ヴァラリー」のばあいはザッパとローウェル・ジョージとロイ・エストラーダの三名だけが歌っているらしい。でもそれ、本当かなあ?この切々たるフィーリングでトーチを歌うリード・ヴォーカルはだれだろう?ザッパかなあ?素晴らしいじゃないか。

 

 

こういったドゥー・ワップ・ソング二つで西洋クラシック音楽(ふうなもの)をサンドイッチしてあるからこそ、アルバム『バーント・ウィーニー・サンドウィッチ』はいいんですよ。僕みたいな人間にとってはね。

 

 

蛇足。ドゥー・ワップはある種のシンギング・スタイル名であって、音楽ジャンル名などではさらさらない。ゴスペルからジャズ、リズム&ブルーズ、ソウル、ロックなどのアメリカ音楽はもちろん、日本のムード歌謡界でもその合唱様式は聴ける。詳しいことはドゥー・ワップ関連の文章でまとよう(でも大変そうだ…)。

2017/10/08

とろけるような美声、装飾技巧、豊麗なる表現 〜 ジョニー・ホッジズ

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今日もまた<エピック・イン・ジャズ>シリーズのなかから一枚とりあげて話をしよう。ジョニー・ホッジズ名義の『ホッジ・ポッジ』。このアルバム・ジャケット表にも堂々とジョニー・ホッジズ・アンド・ヒズ・オーケストラと書かれてあるし、実際、収録曲の SP レコード発売時の名義もそうだったのだが、これは実質、デューク・エリントンのコンボなんだよね。

 

 

そういった実質エリントンがボスだけど、レコード名義だけいろんなエリントニアンのサイド・マン名で発売されたものって、けっこうたくさんあるんだよね。どれもこれもピアノで御大デュークが参加しているし、演奏のリーダーシップもとっているに違いないし、クレジットはないがアレンジだってどう聴いてもエリントンの筆になるものだとしか思えないってことは、サウンドを聴けば、まず間違いなく全員分る。

 

 

エピック盤『ホッジ・ポッジ』は、言うまでもなくすべてコロンビア系レーベル(このばあいすべてヴォキャリオン原盤)の音源で、録音が1938年3月28日から39年10月14日までの計10回のセッションでのもの。アルバムには16曲しか収録されていないが、(エリントンが実質的ボスの)ジョニー・ホッジズ・アンド・ヒズ・オーケストラ名義の録音はこんなもんじゃないんだよね。37年5月20日から40年11月2日までのものがあって、ぜんぶで何曲になるんだろう?ちょっとさらってみたら軽く50曲以上はあるなあ。しかも別テイクがあるものだって多いから、それも含めたらかなりの数になる。ぜんぶコロンビア系なんだよね…。

 

 

だから『ホッジ・ポッジ』は、そんなたくさんあるホッジズ楽団名義 ー といっても編成は少人数コンボだけど、それでオーケストラと名乗ることはむかしはよくあった ー の録音のなかからたった16曲だけっていう、これは LP フォーマットの収録時間の限界を考慮して厳選したものなんだろう。ぜんぶで約45分間だからそういうことだよね。未収録のなかにも面白いものがあるが、そんな話は今日はできない。

 

 

『ホッジ・ポッジ』はエリントニアンであるジョニー・ホッジズのアルト・サックスに焦点を当ててフィーチャーしたものに違いないので、やはり彼のあのアルトの艶っぽい表現に絞って書いていきたい。といっても、もうすでにこのブログでもいままでそれを散々繰り返してきてはいるのだが。ホッジズのエロ・アルトだとか、あのグリッサンド(というかポルタメント)をセックスを連想せずに聴けるか!なんて書きかたをしたこともある。

 

 

もはやそんな過去記事で十分だとは思うのだが、アルバム『ホッジ・ポッジ』で特に目立つものだけ、やはり同じことをもう一度繰返しておこう。なお、このアルバムの日本語解説文をお書きの大和明さんは、この曲ではソプラノ・サックスだと指摘してあるものが複数あるのだが、大和さん、どうなさったのでしょうか?ホッジズは確かにソプラノを吹くこともあった人ですが、このアルバムではアルトしか吹いていませんよ。う〜ん、魔が差したとしか思えない。

 

 

アルバム『ホッジ・ポッジ』では、一曲目の「ジープズ・ブルーズ」から、すでにアンサンブルのなかですらホッジズのアルトの音色がクッキリ聴きとれる。コンボ編成で、ホッジズ以外のホーン奏者はトランペットのクーティ・ウィリアムズ、トロンボーンのローレンス・ブラウン、バリトン・サックスのハリー・カーニーだけだから、判別が容易だというのはもちろんあるが、それにしても目立つセクシーなアルト・サウンドじゃないか。ポルタメントで音程をグイッと舐め上げるあたりなんか、もうタマらん。 “ジープ” とは、当時の人気漫画にあやかってエリントンがホッジズにつけたニック・ネーム。

 

 

 

エロいという意味で、アルバム『ホッジ・ポッジ』収録曲のなかで最高なのが、五曲目「アイム・イン・アナザー・ワールド」(くどいようですが、この曲もアルトですから、大和さん)。この比類なき美しさ。悠揚たる雰囲気でありながら、なおかつ激しく情熱的で、華麗流麗な表現力。一流最高の女性歌手の極上にセクシーなヴォーカルを聴いているのと同じ気分になるよなあ。

 

 

 

8曲目「ワンダーラスト」、9曲目「ドゥージ・ウージ」、12曲目「グッド・ギャル・ブルーズ」、13曲目「フィネス」、15曲目「ドリーム・ブルーズ」あたりはほぼ同趣向。ゆったりしたテンポで、ホッジズがアルトの、その蕩けるような美声で装飾的に豊麗な表現を聴かせるといったものだ。どうしてだか「グッド・ギャル・ブルーズ」だけ YouTube で見つからない。

 

 

 

 

 

 

なかでも特にジャンゴ・ラインハルトも(渡仏時のレックス・スチュワート&バーニー・ビガード二名のエリントニアンズと一緒に)やった「フィネス」。これはコンポーザー・クレジットももエリントンとホッジズの共作名義になっているし、演奏もベーシストが入ってはいるが、ほぼピアノとアルトのデュオと言って差し支えない内容で、この曲以外はすべてほかの管楽器奏者とドラマーが参加しているのに、これだけトリオ編成でやっている。エリントンとホッジズのあいだでやりとりされる細やかな感情交流がサウンドとなって表れていて、ハート・ウォーミングだ。この「フィネス」でだけはホッジズもさほどの強い色気を強調せず、どっちかというと端正さをストレートに出しているのもいいよね。

 

 

さてさて、ビートの効いたテンポのいい曲の話も少しはしておかなくちゃ。まずアルバム題にもなっている六曲目の「ホッジ・ポッジ」。また典型的エリントン・カラーとも言うべきジャングル・サウンドの四曲目「クラム・エルボウ・ブルーズ」。七曲目の「ダンシング・オン・ザ・スターズ」、十曲目の「サヴォイ・ストラット」などで聴ける、ホッジズのアルトをジャンプさせる躍動的な表現力にも注目してほしい。

 

 

 

 

 

 

お聴きになって分るように、ソロをとるのはホッジズだけではない。これらすべて、実質的にはエリントン・コンボなんだから、部下たちが入れ替わり立ち替わり吹いている。なかでもお気づきのようにトランペットのクーティ・ウィリアムズが、ホッジズとならびかなり目立っているよね。

 

 

エリントン楽団では、まず最初、ババー・マイリーのトランペットが表現するグロウル・スタイルがジャングル・サウンドを代表していたが、1929年にマイリーと交代して入団したクーティも、完璧にこの路線を継承。マイリーこそオリジネイターではあるものの、ある意味、マイリー以上によくプランジャー・ミュートを使いこなし、エリントンの意図するサウンドを素晴らしく表現したのがクーティ・ウィリアムズだった。

 

 

そんなクーティのミュート・プレイも目立つアルバム『ホッジ・ポッジ』は、主役のアルトの美声や技巧のセクシーさを聴くのと同時に、トランペッターの表現も味わえるもので、だからエリントニアンズのコンボ・セッションものとしては、同じ<エピック・イン・ジャズ>シリーズの一枚『ザ・デュークス・メン』とほぼ同じ。どっちもオススメ品なんだよね。

 

 

それはそうと、ところでコロンビア/レガシーさんは、いったいぜんたいいつになったらこういったエリントン関係のコンボ・セッション音源を、ちゃんとしたコンプリート集 CD ボックスにしてくれるのだろうか?いつまで待てばいいのでしょう?僕の寿命が先に尽きてしまいますよ。

2017/10/07

失われたショーロを求めて(2) 〜 イリニウ曲集ふたたび

 

 

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(最初にまずご報告。7月16日朝におかしくなり聴こえが悪くなった僕の右耳は全快いたしました。本日夕方、通っていた耳鼻科での診察でそのお言葉をいただきました。僕自身もこの実感があります。急性中耳炎にしては治りかたがかなり遅いと言われ続け、一度は愛媛大学附属病院で精密な検査も受けましたが、そのあいだも不十分で妙な聴こえかたながらずっと音楽に触れ続け、それについて書き続けました。今後ともよろしくお願いします。今日のこれ以下を含め来週水曜日までは、聴こえがイマイチな時期に書いた文章です。ー 10月6日付記)

 

 

先週土曜日の記事、ショーロにかんするそれを書いてこのアルバムに言及したら、やっぱり我慢できなくなって(苦笑)、またしても繰返し聴きまくってしまった。エヴェルソン・モラエス、レオナルド・ミランダ、アキレス・モラエスらによる『イニリウ・ジ・アルメイダ・エ・オ・オフィクレイド・100・アノス・ジポイス』。なんども繰返し再生して流しっぱなしにしたいアルバム(だからそれが容易な iTunes で僕は聴く)。 だぁ〜ってね、こんなにも素晴らしいショーロ・アルバムなんて、そうそうこの世にあるもんじゃない。荻原和也さんは昨年、20年に1枚というレベルだと書いていらしたけれど、もっと稀な大傑作なんじゃないかなあ。

 

百数十年に及ぶショーロ史に燦然と輝くエヴェルソンらのイリニウ曲集(アルバム題が長く、だれのアルバムとの記載もないので、以下はこう書く)。昨年、僕も一度ブログ記事にしたけれど、あんなものではちょっとなあ。音についてちゃんと書いていなかった。昨日からまたなんども聴きまくっているので、っていうかそもそも昨年このイリニウ曲集が自宅に届いて以来一年以上が経過する現在でも、これを聴かない日なんて三日もないんだ。届いた当初から年末あたりまでは「文字どおり」毎日、それもなんども繰返し、聴いていた。少し気分が落ち着いているいまですら、やっぱりけっこう頻繁に聴くんだよね。三日と開けず聴く。

 

だからもはやすっかり僕んちの定番ヘヴィ・ローテイション・アルバムになったままのエヴェルソンらのイリニウ曲集。今日は少しだけ詳し目に書いてみよう。それはそうと、これ、日本盤が出てほしいんだよね。そうすれば少しは知られるようになるし、一般の音楽ジャーナリズムもとりあげてくれるかもしれないし、みんなが買いやすくなるというのが一つ。もう一つは附属ブックレットの邦訳がぜひほしいんだ。せめて英訳でもいい。僕のポルトガル語読解能力なんてゼロだからね。

 

ブックレット解説文は5パート構成になっている。(1)トロンボーン&ボンバルディーノ奏者エヴェソンが中古楽器店で、偶然、失われた楽器オフィクレイドを見つけて買ったところから、イリニウ曲集アルバムの企画に結びついたあたりのいきさつ。(2)イリニウ・ジ・アルメイダがどんな音楽家だったのか、略歴も含めての軽い紹介文。(3)アルバムのプロデューサー、マウリシオ・カリーリョのコメント。(4)失われていた低音管楽器オフィクレイドの紹介。(5)アルバム収録曲一覧と、その一曲ごとに、どんな曲なのかの短い紹介、パーソネル、担当楽器の記載がある。

 

これら、やっぱり僕にはなにが書いてあるのかほぼ分らない。ぜひ!このイリニウ曲集の日本盤を、それもブックレットの邦訳を付けて、どこか発売してくれ!切に切にこれを願う。アルバムが日本中で買いやすくなって、しかも日本語文でイリニウ・ジ・アルメイダのことや楽器オフィクレイドのことなんかがちゃんと読めたら、そりゃ申し分ないんじゃないだろうか?本当にどこか日本のレコード会社さん、お願いしますよ。

 

さて、エヴェルソンらのイリニウ曲集。一曲一曲はやはり YouTube で見つからないので残念ながらご紹介できないものの、以下のようなアルバム紹介のティーザーがあった。これはちょっと面白い。まずエヴェルソンがオフィクレイドを吹いているシーンからはじまるので、どんな外見とサウンドの管楽器なのか、とても分りやすい。アルバムをお聴きの方も、ちょっと見てほしい。

 

 

しゃべっているときの BGM は、アルバム13曲目の「アイ!モルセーゴ」が使われているので、未聴の方もだいたいこんなような音楽なんだなって思っていただいて間違いない。確かにその13曲目がこのイリニウ曲集全体のなかではいちばん快活だし楽しいしダンサブルだしで、屈指の出来栄えなんじゃないかなあ。この曲、ブックレット記載の曲名のあとには「タンゴ・ブラジレイロ」と添えられている。

 

そもそもこのアルバムの全14曲、ブックレットではすべて曲名のあとに、「ショーロ」だけでなく「タンゴ・ブラジレイロ」とか「ポルカ」とか「ヴァルサ」とか「マルシャ」とか「ショーティシ」とかって書かれてあるんだよね。これは音楽ジャンル名というより、どう踊るか、ダンスの指示なんじゃないかなあ。むかしのジャズ・レコードなんかも SP レーベル面にその記載があったんだけけどね。2016年のショーロ・アルバムでこれをやっているのは、たぶん制作側がいにしえのショーロ曲レコード発売の伝統に則ったってこと?

 

主役のエヴェルソンが吹く、アルバムの主役楽器オフィクレイドは、先ほどご紹介したような楽器で、そんなサウンドがアルバム全編で鳴り響いている。柔らかい丸みのあるサウンドで、バンドのボトムスをしっかり支えているんだよね。ご存知ない方向けに付記しておくと、だいたいの古典ショーロ・バンドにベーシストはいない。ドラマーもいないのでベース・ドラムもなし。

 

打楽器はなにを?というと、パンデイロみたいな小型のものが一個か二個入るだけなのだ。リズムを表現するということもあるが、それよりもスパイスみたいな味付けで、バンドのリズムの肝は打楽器ではなく弦楽器。すなわちショーロのばあいギターとカヴァキーニョの刻みなんだよね。サンバだって似たようなもんじゃないか。

 

ただしエヴェルソンらのイリニウ曲集では、13曲目の「アイ、モルセーゴ!」と14曲目「アルトゥール・アゼヴェード」にだけ太鼓奏者が参加している。北米合衆国のドラム・セットでいえばスネアを、それも打面とリムの両方を叩いているような音が聴こえるのだが、それはたぶん Bombo とクレジットされれいるものじゃないかなあ。Pratos もクレジットされているが、シンバルみたいな音って聴こえないような気がするが…。14曲目では太鼓の低音もある。それはベース・ドラムっぽいサウンドだ。

 

このイリニウ曲集の楽器編成は一曲ごとにほんのちょっとだけ違っているが、すべてに共通するのはオフィクレイド、コルネット、フルートの三管と、ギター、カヴァキーニョの二本の弦楽器、打楽器パンデイロだ。これに七弦や八弦のギターが参加したり、パンデイロ以外の小さな打楽器が入ったりするだけだから、サウンドに統一感がある。上の段落で書いたように最後の13、14曲目でだけ、打楽器だけでなく管楽器もチューバやクラリネットなども加え、もう少し大きな編成になっているので、やはりクライマックスということなんだろう。

 

アルバム13、14曲目の盛り上がり方は確かに素晴らしい。僕も聴くたびにいまだにワクワクして上気する。しかしながらこのイリニウ曲集では、それ以前の1〜13曲目の淡々と進む流れも実にいいと思うんだよね。イリニウの書いた快活で陽気な楽曲と、しっとり落ち着いたスロー〜ミディアム・テンポの(バラード調)楽曲がバランスよく配置されていて、曲順の並びも考え抜かれている。ラストのクライマックス二曲のような強い興奮はない代わりに、優しい平常心で本当に気分良く聴けるもんね。

 

特にオフィクレイド、フルート、コルネット三管の絡み合いのホーン・アンサンブルが見事だ。ギターとカヴァキーニョのスムースに進むリズムに支えられ、三本で縦横・複雑に交差しながらも、サラサラした川のごとく流麗で、どれか一本だけがソロ(みたいなものは北米合衆国音楽の考えかただが)で目立つことはなく、だいたい常に三管アンサンブルで演奏し、クラシカルでありりつグッとモダンなフィーリングもある。

 

エヴェルソンらのこのイリニウ曲集。1〜3曲目ではわりと陽気な感じのものが続くのだが、4曲目「レンブランサス」がやはりしっとり系の落ち着いたバラードふう。パンデイロではじまる続く5曲目「マリアーナ・エン・サリーリョ」はリズムがややサンバふうに快活で、っていうかそもそもサンバのあのリズム・フィールだってもとを正せばショーロ由来なんだもんね。この5曲目の中盤でエヴェルソンが吹くオフィクレイドの旋律は面白い。続くフルート、コルネットもユニーク、っていうか可愛くてチャーミングだ。

 

と思うと続く6曲目「イレーニ」は、かなりゆっくりしたテンポで演奏される切な系のワルツ・バラード。これは好きになる方が多いはずだ。続く7曲目「アルベルティーナ」、8曲目「コルケール・コイザ」で再びテンポを上げて快活に。9曲目「ジャシ」がまたしてもゆったりテンポ。二拍子のショーティシで、これは切ない感じはさほど強くないなあ、と思っていると、中盤以後やはりサウダージが来る。

 

11曲目は8曲目と同じ曲「コルケール・コイザ」で、これは同じものの二種類の解釈があるってこと。8曲目ではポルカ記載だったのが、11曲目ではショーロ記載になっている。テンポは8曲目ヴァージョンのほうが速く、フィーリングもよりダンサブルだ。主旋律も8曲目ヴァージョンではオフィクレイドが吹くが、11曲目ヴァージョンではフルートが同じものを吹く。11曲目ではテンポが少しだけ落ちているせいもあってか、落ち着いてしっとりした情緒が出ているのも面白い。ただしバックでずっと刻んでいるカヴァキーニョのリズムは細かく躍動的だ。

 

このあと12曲目「ジスピジーダ」は「別離」という曲題どおりのかなり物悲しく切ないフィーリングのワルツ・バラード、っていうかこれは一種のトーチ・ソングみたいなものなのか?フルートとクラリネット二管アンサンブルの背後で、チューバとオフィクレイド二管の低音が入れるリフもやはり哀しく、だからそれが効果的に響いて曲想を表現している。

 

しかしそんな12曲目「ジスピジーダ」は、言ってみれば続く13、14曲目で迎えることになるこのアルバムのクライマックスへの露払い的な役目なんだよね。切な系ワルツで泣く(ショラール)のもいいが、僕としては楽しく愉快に、人の掛け声も入ったりするラスト二曲で、いつもはじけている。

2017/10/06

あんなにも待ち焦がれたマイルズの復帰盤

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マイルズ・デイヴィスのすべてのアルバムで最もたくさん繰返し聴いたのは、僕のばあいなにを隠そう1981年の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』だ。これはかなり分りやすいはず。だって僕がマイルズ・デイヴィスという音楽家がこの世にいるのだということを知ったのが1979年で、そのころ彼は一時隠遁中。新作のリリースはまったくなかった。

 

 

復帰するという噂がいつごろから飛びはじめたのかはもう憶えていない。でも新作をレコーディング中なんだという話は、各種メディアをとおしポツポツ入ってきていた。明快なかたちでいちばん最初に僕がそれを実感できたのは、ジャズ好きになってすぐに聴きはじめた深夜ラジオ番組『タモリのオールナイトニッポン』でだった。あるときの放送回で「これがそろそろリリースされるというマイルスの新作からの一曲で〜す」とタモリさんが言って、なにか一つだけ流したのだった。

 

 

どの曲を流したのかも憶えていない。だってレコードはまだ出ていなかったんだから、確認しようもなかったしな。ラジオで一回こっきり耳にしただけで、しかも大変面白くなかったような記憶がほんのかすかに残っている。でもまあかなり小さなトランジスター・ラジオで、しかも深夜だからイヤフォンで聴くしかなかったし、あの当時の AM ラジオを小さな受信機とイヤフォン(もちろん片耳)で聴くのでは、ちょっとあれだよねえ。

 

 

でも、あのときタモリさんの紹介で聴いたので、あぁもうレコードはできあがっているんだ、どんな音楽だかはやっぱり分らなかったけれど、すでに日本に入ってきているんだなとはっきりしたのだった。さぁ、それからの僕の日々のメンタル状態が大変だったんだよね。一日も平静を保てなかった。あのときほど「一つのなにかに恋い焦がれ待ちわびる」という思いが強かったことも、僕のいままでの55年間の人生でほとんどないことだ。

 

 

マイルズの新作レコードがいつ出るかいつ出るか、「本当に!」一日千秋の思いで過ごしていたんだよね。これは僕だけじゃない。もちろん僕はすでにあのころマイルズ狂になっていたのでやはり特別だったのかもしれないが、そうでない人たちだってみんな待っていたんだ、マイルズの新作レコードをね。そして出たぞ!と知ったらもう我慢できず、即日レコード・ショップに足を運んで買ったはず。

 

 

このあたり一例を引くと、今年八月末に出版されたばかりの村井康司さんの新著『あなたの聴き方を変えるジャズ史』にも書かれてあるので引用しよう ー

 

 

『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』の輸入盤を入荷した日に買い、レコードに針を落とした時のことはよく覚えています。

 

(p. 242)

 

 

(みなさんにはどうでもいいことだが、論文書きで引用するときの癖がまだ抜けきらない僕は、こういった別個の段落にする引用は段下げをしたいのだが、ブログではそれができない。自分の Mac で見てできているようであっても iPhone ではぜんぜんそうは見えないから、ましてや自分以外の人のパソコンやタブレットやスマホでどう見えているのかぜんぜん分らない。画像ファイル化して貼り付けるかなにかしない限り、段下げなんか意味ないのだ。残念ながら。)

 

 

さて、引用したたったこれだけで、村井さんもやっぱり待っていたんだな、興奮したんだなとよく分っちゃうじゃないか。村井さんは激烈なマイルズ狂ともお見受けしないので、そんな方でもこんな具合だったんだから、僕がどんな状態になったのか、みなさん容易に察しがつくと思う。僕のばあい松山に住んでいて輸入盤レコードはなかなか買えなかったので、マイルズの復帰盤『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』も CBS ソニーの日本盤を買った。だから少しだけ遅れたはず。

 

 

そ〜れ〜で、もう繰返し聴いた、なんてもんじゃないくらいなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんども、聴いたんだよ、あの『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』を。だってね、本当に待ちに待ったものだったから。あれほどまでに待ち焦がれた最愛の恋人がいま自分の目の前にあるわけだからさ。愛でまくったなんてもんじゃなかったんだぜ。

 

 

そんなわけで僕がいままでの55年の人生で最も回数多く聴いたマイルズは、復帰盤『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』になるわけなんだよね。当時はただ「ようやく会えた」という思いだけで胸がいっぱいで、音楽的なことなんかたぶんぜんぜん分っていなかった。はっきり言えばマイルズの新しい作品が聴けさえすればよかった。もうそれだけで充分すぎるほど充分だった。人生で自分の愛する異性にとうとう巡り会えて、いままさに自分の眼前にその人がいるのだとなれば、もうそれだけで、一緒の空間にいるというだけで、充分満足じゃないか。

 

 

いま2017年に冷静で落ち着いた気持でマイルズの『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』を聴きかえすと、これはこれであんがい悪くないぞって思う。というかけっこういいぞ。それも、村井康司さんの上記新著で触れられている「さすがに困りました」(p. 242)という、村井さんの言葉を借用すると、二曲の「どフュージョン」「ディスコ」がいいんだよね。村井さん(はさすがに曲名は書いていないが)の言っているのは、もちろん A 面ラストだった「シャウト」と B 面二曲目「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」のこと。

 

 

 

 

この二曲がどうしてあんがい悪くないかというと、これらこそ<1981年のサウンド>なんだよね。村井さんの言うディスコ、そしてこの当時かもうちょっとあとだったか流行していた新用語ブラック・コンテンポラリー とか、まさにそのへんど真ん中じゃないか。ジャズ・サイドからそっちへ行った人でいえば、クインシー・ジョーンズの、やはり1981年のアルバム『愛のコリーダ』(The Dude)。似ているなんてもんじゃない、ソックリなサウンドだよね。

 

 

マイルズの「シャウト」「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」の二曲は、ほかの四曲とは録音パーソネルが、ボスとサックスのビル・エヴァンスだけを除き、ほかは全員違っている。アルバムの本体(だと当時僕は考えていた)は、アル・フォスターやマーカス・ミラーらを中心とするメンバーだけど、上記二曲だけはシカゴのほぼ新人たちで構成されている。

 

 

その新顔のシカゴ人脈というのが、ほかならぬロバート・アーヴィング III(鍵盤)やフェルトン・クルーズ(ベース)やヴィンセント・ウィルバーン(ドラムス)などなんだよね。これ、1984年にマイルズが自分のレギュラー・バンドにと雇った連中じゃないか。ライヴ・ツアーをやったのはもちろん公式スタジオ録音作品もあって、当時から発表されている。ベースのフェルトン・クルーズだけは雇うのが86年になったけれど、まあほぼ同時期というに近い。

 

 

そんな1984〜85年あたりからマイルズがどんな音楽をやりはじめたのか、ちょっと思い出してみてほしい。まさに1980/81年録音のアルバム『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』の「シャウト」「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」の路線じゃないか。つまりこれら二曲は81年のリリース当時こそボロカス言われていたが、数年後のマイルズ・ミュージックを先取りしていたんだよね。鍵盤シンセサイザーの分厚いサウンド、ポップでメロウでダンサブルな曲調など、当時のブラック・ミュージック・シーンと同調したような傾向のジャズってことだよね。

 

 

とはいうものの、アルバム『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』のリリースに続いて行われたライヴ・ツアーで起用したカム・バック・バンドが、やはりああいったメンツだったし、だからシンセサイザー奏者もいないし、そもそもできないからなのかやりたくなかったのか、ライヴでは『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』からだと「バック・シート・ベティ」「ファット・タイム」「アイーダ」しか演奏しなかった。たまに「アーシュラ」(ウルスラ)をやることもあったが、ほかは「ジャン・ピエール」「キックス」という二つの新曲と、ガーシュウィンの「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」の再解釈 〜 これでカム・バック・バンドのレパートリーは文字どおりぜんぶになる。

 

 

少し違う話になってしまう『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』の(本体である?)ほかの四曲のことは、また改めて書くしかない。一曲目のスパニッシュ・スケール・ナンバー「ファット・タイム」はクール・サウンドだとか、二曲目「バック・シート・ベティ」にある中南米アクセントだとか、なぜだか4/4拍子のラスト「アーシュラ」は電化された新主流派ジャズだとか、こういった話は別の機会に改めましょうね。な〜んだ、あんがい面白いアルバムなんじゃん、『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』って。

2017/10/05

いま再び聴かれるべきセネガル人音楽家のユニヴァーサルなボディ・ミュージック

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あまりにもセンス抜群すぎるこのジャケット・デザインを見ただけで、まだご存知ない方もちょっと聴いてみたくなるんじゃないだろうか?セネガル人ファーダ・フレディのソロ・デビュー作『ゴスペル・ジャーニー』。少なくとも僕はジャケをネットで見ただけで一目惚れだったよぉ〜。そういう人、けっこう多いんじゃないかなぁ。

 

 

ローカル色が薄く全世界で通用する普遍性を持った音楽作品。いろいろとあるけれど、リシャール・ボナ(カメルーン)の諸作、ヒバ・タワジ(レバノン)の二作とか、レー・クエン(ヴェトナム)の2014年作『Vùng Tóc Nhớ』とかもそうだよねえ。セネガル人ヴォーカリストファーダ・フレディの2015年作『ゴスペル・ジャーニー』もそんなアルバムだ。

 

 

いまごろこのアルバムについて書こうと思い立ったのは、このアルバムからラストの「Borom Bi」があまりにも美しいと思って、ご存知ない方もいらっしゃると思い、2015年にこの曲だけ僕が自分で YouTube にアップしちゃったのだ。それがまあまあ好評で、再生回数も多く、主にフランス語と英語で絶賛のコメントも付く。つい二、三日前に「メキシコにいるんだが、この音楽はまったく未知のものだ、こちらではだれも知らないよ」とおっしゃる方がいて、それで自分で上げたこの曲のことを思い出し、じゃあちょっと書いておこうかなって思ったんだ、日本語でね(笑)。

 

 

セネガルのヒップ・ホップ・グループ、ダーラ・J(ウォロフ語で「人生の学校」くらいの意味らしい) のシンガー、ファーダ・フレディ、ってことは、僕のばあい、彼の『ゴスペル・ジャーニー』を聴いたあとに知ったことなので、まったく分っていなかった。ダーラ・J ではウォロフ語で歌っていたんだそうだが、『ゴスペル・ジャーニー』ではごく一部を除き全編英語ヴォーカルだ。アルバム・タイトルも英語だし、ワールド・マーケットを意識したんじゃないかなあ。

 

 

実際、中身の音楽のありようも『ゴスペル・ジャーニー』はユニヴァーサルなサウンドで、いくら聴いてもそこにセネガル色を感じることは、僕には不可能。2015年にジャケットだけで一目惚れして買って、聴いたらますます惚れて聴き続けること二年以上が経過するけれど、やはりこれはいわゆるアフリカ音楽じゃないよね。言葉本来の意味での世界音楽だ。でもアフリカからこんな才能と作品が出現したという事実には着目しないといけないんだろう。

 

 

ファーダ・フレディの『ゴスペル・ジャーニー』の根幹にあるのは、アフリカではなくアメリカ黒人音楽だ。リズム&ブルーズ、ドゥー・ワップ、ソウル、ゴスペルが中心。そこにレゲエとラテン風味をちょっとだけ足したようなものがベースになっている。そしてなんといっても19世紀末のバーバーショップ・コーラス以来のヴォーカル・ハーモニー・グループの伝統に連なっている。ファーダ・フレディ自身、アメリカのポップな黒人コーラス・ミュージックを、以前から相当聴いてきているなというのを実感できる。それをそのまま反映したような内容のアルバムで、そこにセネガル色や、あるいはなんらかのアフリカ色は聴きとれない。

 

 

2015年リリース作品だという時代を反映してのことかどうか、とびきりフレッシュなポップ・ミュージックであることは間違いないが、ややダウナーな感じの曲が多いように僕は感じる『ゴスペル・ジャーニー』。だけど決して暗い音楽というわけでもない。陰と陽の二面性をまるで双子のように兼ね備えたものだということは、ジャケット・デザインでも表現されている。

 

 

ファーダ・フレディの『ゴスペル・ジャーニー』は根本的にヴォイス&ボディ・ミュージックだ。うんまあヴォイスもボディの一部だから、全面的にボディ・サウンド・ミュージックだと言って差し支えない。CD 附属ブックレットでは二ヶ所に「声と身体だけ、楽器なし」(ONLY VOICES AND BODIES  NO  INSTRUMENTS)と明記されている。このことこそがこの音楽家がこのアルバムで異様にこだわった部分で、その結果、音楽としても異彩を放つものになっている最大の要因だ。

 

 

『ゴスペル・ジャーニー』は声と、身体の各所を叩いたりはじいたりなどする音、口笛などだけでアルバムのすべての音が組み立てられている(らしいが?)。ファーダ・フレディのヴォーカルをリードとするものの、彼以外にも声を出して重ねているメンバーは多い。特にコーラスがいくえにも折り重なって聴こえるが、これは多重録音しているのかどうかまでは僕には分らない。

 

 

ときどき、これはいわゆる楽器の音じゃないのか?と思う瞬間もありはする『ゴスペル・ジャーニー』。ビート・ボックスみたいなものはひょっとして使ってあるんじゃないかなあ?そう考えないと理解しにくいサウンドがそこかしこにあるんだけど、どうなんだろう?またズンズン床が振動するような低音も部分的に入っているが、それはなんだろうなあ?それも “vocal bass” なのかなあ?ベース・ドラムの低音であるかのように聴こえるものだけど、これもなんらかのボディ・サウンドなのかなあ?

 

 

『ゴスペル・ジャーニー』では、僕の感触だと四曲目の「ジェネレイション・ロスト」あたりからグングン盛り上がる。個人的クライマックスは、5曲目の「ウィ・シング・イン・タイム」、7曲目の「レット・イット・ゴー」、そして上のほうでも触れたように、あまりにも美しいラスト11曲目の「Borom Bi」。5曲目と7曲目は強く激しいビートに乗って歌うものだが、11曲目は、まず静謐で敬虔ななキリスト教会賛美歌ふうにはじまる。

 

 

 

終盤でも同じように教会内でエコーが効いているかのようなコーラスになるんだけど、それらにサンドイッチされて、ミディアム・テンポのヘヴィな感じだとはいえ、やはりビートの効いた中間部がある。その中間部では英語が主に使われているみたいだけど、イントロ、エンディング含め、英語だけでもないみたいだよね。その重たいミディアム・テンポの中間部が、これまたあまりにも美しすぎると僕は思うんだよね。いろんな意味で。

 

 

2017年のいま、日本を含め世界がこんなふうになっているけれど、そうだからこそファーダ・フレディの2015年作『ゴスペル・ジャーニー』は、またもう一度じっくりと耳を傾けてみる意味と輝きを、再び強く持つようになりはじめているような気が、僕はする。

2017/10/04

クラプトンのブルーズ・アルバムならこれ

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ジャケットを眺めながらアルバム・タイトルを見るだけなら、どう考えてもポルノだとしか思えない(ブラインド・フェイスのジャケとかもちょっと危ない)エリック・クラプトンの1975年リリースのライヴ・アルバム『E.C. ワズ・ヒア』。しかし中身はかなりいいよ。なにを隠そう、僕がふだん最もよく聴くクラプトンがこれで、一番好きだ。EC のブルーズ作品としてはこれがいちばん優れているように思う。特に A 面の三曲は本当に素晴らしい。

 

 

『E.C. ワズ・ヒア』の中身は、1974年7月19、20日に米カリフォルニアのロング・ビーチ・アリーナでやったライヴと、同12月4日に英ロンドンのハマースミス・オディオンでのライヴ、さらに1975年6月25日に米ロード・アイランドのプロヴィデンス・シヴィック・センターでやったライヴを収録して、抜粋・編集したもの。

 

 

『E.C. ワズ・ヒア』LP は全六曲だった。過去形で言うのはなぜかというと、現行 CD でもやはり6トラックだが、そのなかには複数曲のメドレーになっているものが一つある。さらに『E.C. ワズ・ヒア』の元音源になったライヴではメドレーだった1トラックを部分的にカット・編集し、現行 CD でもあたかも一曲しか演奏しなかったかのように仕立てているものが一つある。

 

 

複数曲のメドレーとは LP では A 面ラストだった「ドリフティン・ブルーズ」。LP では確かにこれしか入っていなかったが、ジョージ・テリーのギター・ソロになったかと思うとあっという間にスッとフェイド・アウトして終ってしまうので、こりゃちょっとオカシイぞ、ライヴ演奏だろ〜、って大学生のころから思っていたんだよね。みなさん同じだったはず。

 

 

現行 CD でもやはり「ドリフティン・ブルーズ」しか曲目記載がないものの、これはクラプトンの十八番「ランブリング・オン・マイ・マインド」がそのあとに続くんだよね。「ドリフティン・ブルーズ」だって、LP ヴァージョンではクラプトンのアクースティック・ギター・ソロに続きジョージ・テリーがエレキで1コーラス弾き、2コーラス目に入ったところでいきなりフェイド・アウトしていたが、もっと長くソロを弾いているのが分る。さらにそのあとエレキに持ち替えたクラプトンがスライド・プレイでソロを弾き、そのあとで「ランブリング・オン・マイ・マインド」になるんだよね。

 

 

この「ドリフティン・ブルーズ」〜「ランブリング・オン・マイ・マインド」だけなら、『E.C. ワズ・ヒア』の現行 CD でもフルで聴ける。聴けないものがあるんだよね。LP では B 面二曲目だった、これまた「ランブリング・オン・マイ・マインド」。現場では、これまたクラプトンの十八番「ハヴ・ユー・エヴァー・ラヴド・ア・ウーマン」が中間部にはさまっていた。『E.C. ワズ・ヒア』一曲目がこれまた「ハヴ・ユー・エヴァー・ラヴド・ア・ウーマン」なので、これは現行 CD でもカットしてある。

 

 

じゃあなにで聴いて僕はこれを知っているかというと、この『E.C. ワズ・ヒア』をリリースしているポリドールが1996年に発売した CD 四枚組ボックス『クロスローズ 2:ライヴ・イン・ザ・セヴンティーズ』に、演奏時の元の姿のまま収録されているんだよね。『クロスローズ 2』で聴くと曲順もかなり違っているし、同日演奏なのに『E.C. ワズ・ヒア』には未収録のかなり面白いものだってあるので、このボックスのことは、改めて<1970年代のクラプトン・ライヴを聴く>という話として、別個にまとめたい。

 

 

『E.C. ワズ・ヒア』一曲目が「ハヴ・ユー・エヴァー・ラヴド・ア・ウーマン」だと書いたのだが、私見では(ってか、 陶守正寛さんも同意見だが)これこそがクラプトンの全生涯で(ってまだ生きてますけれども)いちばん素晴らしいブルーズ・パフォーマンスだと信じて疑っていない。1974年7月19日のロング・ビーチ・アリーナ。も〜う、ほとばしる激情があふれ出てとまらないといったふうで、エモーショナルという形容詞はこの演奏にこそふさわしい。

 

 

 

中間部でジョージ・テリーのソロが出る前までのクラプトンの演唱を聴いてほしい。もちろん歌いながら弾くのだが、いや、歌のフレーズを食ってギターで弾いてしまう。歌のフレーズをちゃんと歌い終わらず、っていうか一言だけ歌ったかと思ったらやめて、その刹那に食って入ってギターを弾きまくる。ヴォーカルとギターの表現が一体化しているからなんだよね。つまり歌で演奏しギターで歌っている。いやあ、この激情的な激情(こうとしか言えない)の表現には恐れ入る。こんなにエモーショナルにブルーズをやるクラプトンは、僕はほかに知らない。

 

 

ジョージ・テリーのソロにクラプトンが絡んだり、背後のエレベ(カール・レイドル)、ハモンド B-3 オルガン(ディック・シムズ)らも好演で支えていて、この1974年バンドは本当に素晴らしい。クラプトンが率いたレギュラー・バンドではいちばんよかったんじゃないかなあ。まあデレク&ザ・ドミノスがもっと長続きしていれば…、という部分はあったかもしれないけれども。

 

 

『E.C. ワズ・ヒア』三曲目の「ドリフティン・ブルーズ」。ジョニー・ムーアの曲だが、このアルバムのクラプトン・ヴァージョンは、現行 CD みたいに「ランブリング・オン・マイ・マインド」とのメドレーをフル収録しないほうが、短かったむかしの LP ヴァージョンそのままのほうがよかったように思う。なぜならば二人のギター・ソロが長くて単調だからダレてしまうんだよね。「ドリフティング・ブルーズ」部分のジョージ・テリーのソロ後半からもうすでにダメじゃないかな。

 

 

証拠音源を聴き比べてみてほしい。

 

 

「ドリフティン・ブルーズ」(クラプトン『E.C. ワズ・ヒア』)

 

 

 

 

どうです?どう聴いても LP ヴァージョンのほうがいいでしょ?僕はそう思うんだけどね。それでも当時の現場でのライヴそのままのありようを知るという意義が CD ヴァージョンのほうにはあるようには思う。がしかし、そのありようとは、すなわち「つまらなかった」となってしまうような気がして、かえってクラプトンに気の毒だよ。アクースティック・ギター部分は本当にブルージーだし素晴らしいんだからさぁ。

 

 

『E.C. ワズ・ヒア』にあるブルーズというと、ほかは B 面に行って二曲目のこれまた「ランブリング・オン・マイ・マインド」と三曲目のボビー・ブルー・ブランド・ナンバー「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」。ってことはアルバム『E.C. ワズ・ヒア』は全六曲のうち四曲が12小節の定型ブルーズなんだよね。しかも B 面のそれら二曲だって悪くないしなあ。そりゃあ A 面二曲のブルーズ・パフォーマンスの素晴らしい出来栄えと比較したら分が悪いけれどさ。

 

 

『E.C. ワズ・ヒア』にあるブルーズ形式じゃないもの二つは、どっちもブラインド・フェイス時代の「プレゼンス・オヴ・ザ・ロード」と「キャント・ファインド・マイ・ウェイ・ホーム」。後者はブラインド・フェイスでのオリジナルのほうが面白いと思う。(クレジットはないが)マンドリンなんかも入って、ちょっぴり英トラッド風味もあったから。それがライヴの『E.C. ワズ・ヒア』ヴァージョンでは消えていて、ふつうのスロー・アクースティック・ナンバーになっている。でもイヴォンヌ・エリマンの声が入ると新鮮には聴こえるね。好きなんだよね、僕は、イヴォンヌのヴォーカルが。セクシーだし。

 

 

 

そんなセクシー・ヴォイスで歌うイヴォンヌの魅力がフルに発揮されていて、さらに大胆にアレンジを変更し再解釈した A 面二曲目の「プレゼンス・オヴ・ザ・ロード」。これはさすがにだれがどう聴いてもブラインド・フェイスのオリジナル・ヴァージョンのはるか上空を飛翔していると思うはずだ。特にイヴォンヌの歌とともに、リズム・アレンジが抜群。ブラインド・フェイスのオリジナルでは淡々と進んでいたのが、かなりドラマティックなものに変化している。

 

 

 

僕の言うドラマティックなリズム・アレンジとは、歌の部分とクラプトンが弾きまくる中間のギター・ソロ部分との静/動のことだけではない。前後の歌の部分でもかなり大胆にストップ・タイムなども使い、リズム・セクション全体が動いたり止まったりを繰返しながら、ヴォーカルもクラプトンとイヴォンヌで分け合ってやっている背後でドラマを展開しているように思うんだよね。イヴォンヌの声の艶も一層際立って聴こえて、文句なしだなあ。クラプトン一人で歌ったのでは、この曲のばあい面白味半減だったはず。

 

 

しかしそれでも、中間部の弾きまくりギター・ソロのあとのヴォーカル・パート後半では、前半でイヴォンヌが歌った箇所をクラプトンが歌ったりもする。”I know that I don't have much to give / But I can open any door” 部分がいい。特に I がね。 そこに、なんというかすがすがしさ、いさぎよさ、きっぱりとしたフィーリングを僕は感じて、決して上手くはないけれど、かなりいい感じに聴こえるんだよね。僕はこれからはこうやって生きていくんだという、歌詞の意味をとてもよく表現できている歌い方、声の張り方だ。大学生のころからそう感じていた。

2017/10/03

爽やかさのなかに深い悲しみをたたえたボレーロ・アルバム 〜 ロサリー・エレーナ・ロドリゲス

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ロサリー・エレーナ・ロドリゲスは北米合衆国で活動するチカーナ(メキシコ系女性)のマリアッチ歌手。カリフォルニアに拠点を置く、女性ばかりのマリアッチ・バンド、マリアッチ・ディーヴァズで、歌だけでなくヴァイオリンも弾いて大活躍中。そんなロサリーが今2017年にリリースした(んじゃないかなあ、リリース年の記載がどこにもないが)ソロ・デビュー・アルバム『フレンテ・ア・フレンテ』がかなりいい。

 

 

マリアッチの歌手兼ヴァイオリニストのアルバムだけど、新作『フレンテ・ア・フレンテ』ではまったくマリアッチはやっていない。でもこれ、マリアッチではないけれど、なんだろうなあ?と思いながらまず最初一回目に聴き進み、四曲目あたりでようやく、あっ、これはボレーロ・アルバムじゃないか!と気がついたっていう、なんたる僕の鈍感さ。

 

 

鈍感さついでに恥をさらしておこう。このロサリーの『フレンテ・ア・フレンテ』、表ジャケットに写る彼女がずいぶんと爽やかな印象だよなあと思って CD をプレイヤーのトレイに入れて鳴らしはじめ、全体を二回、三回聴いた程度時点までの僕は、うんうん、これはジャケ写そのままの中身だ、爽やかで軽快なボレーロ・アルバムだ、ボレーロの解釈としてはあまり聴かないものだけど、これは新鮮でいいよねえと、本当にそうとしか感じていなかった。

 

 

気に入ったのでその後も繰返して聴くうちに、ところがロサリーの『フレンテ・ア・フレンテ』はずいぶんと深い悲しみをたたえているじゃないか、心のひだの奥にそれが深く刻まれて闇のようになっていて、表面的には爽やかさが目立つものの、その実、本質的にかなり悲しい歌をやっているんだと分るようになったなんていう、そこまでにかなり時間がかかったっていう、これは僕の音楽耳がダメなのか、それともそれも含めそもそも人間として僕が鈍感で薄っぺらいせいなのか、どうなんだろう?まあそれらぜんぶなんだろうな。なんて鈍感でダメな僕…。

 

 

表面的な爽やかさのなかに隠すようにしてあるが、実はその歌声のなかにかなりはっきりと表現されている深い悲しみ、苦しみに気がついてから、デジパック・ジャケット内側に書かれてある英語によるロサリー自身の言葉を読んでみたら、このアルバム制作の動機が、そもそも2015年に彼女の弟ホセ・ホアン・ロドリゲスが亡くなってしまったことにあるんだそうだ。 ふだんはマリアッチをやっているロサリーがボレーロばかりやろうと思ったのは、そこにも一因があるのかもしれない。

 

 

もちろんボレーロはそんな個人的事情とは無関係に、中南米スペイン語圏の歌手はみんなよく歌う大人気のものだ。だからロサリーも、たんにちょっとやってみよう、ロマンティックな恋愛歌集を創ってみようと思っただけの動機ではあったんだろう。ロマンティックでセンティメンタルで、しかもソウルフルになったりもするボレーロ。しかしそれはときどき、失ってしまいもう想いが届かない苦しみ、悲しみも表現できるものだ。

 

 

そんなことに気がついて考えながら、ロサリーの『フレンテ・ア・フレンテ』をもう一回聴くと、たった八曲でたった35分しかないこのアルバムのなかには、本当に泣いているようなものもあると分ってくるようになった。直接的には、例えばホアン・アロンド(キューバ)の書いた四曲目「フィエブレ・デ・ティ」。これはアクースティック・ギター(ペルーのマヌエル・モリーナ)一台だけの伴奏で歌った、マイナー・キーの悲しみのボレーロ。ロサリーの解釈、歌い方は本当に美しい。しかも最初のころは気づかなかった彼女の心のうちがいやというほど沁みてくる。

 

 

またアルバム七曲目の「オルビダルテ」。これはニカラグァのエルナンド・ズニーガが1980年に書いて歌った「プロクーロ・オルビダルテ」だ。どうしてロサリーがちょっとだけ曲題を変更しているのかは分らないが、”Procuro Olvidarte” とは “I try to forget you” の意味なので、この曲だけは間違いなく亡くなった弟のメモリーを抱いてロサリーが選曲したに違いない。これもアクースティック・ギター一台だけが伴奏で、深い悲しみを、この曲でだけはまったく隠さずに、表現している。

 

 

これら「フィエブレ・デ・ティ」と「オルビダルテ」以外の八曲は、そんな悲しそうでもつらそうでもなく、サラリあっさりとしているようでいながらも、けっこう情感たっぷりの表現。そんなふうに恋愛歌としてのボレーロを歌っているロサリーだが、アルバム『フレンテ・ア・フレンテ』が、亡き弟のメモリーに捧げられているのを知ってから聴くと、また味わいが違って聴こえるから、僕ってヘッポコだよなあ。音を聴いているんだか、事実関係を反芻しているだけなんだか…?

 

 

例えばアルバム中おそらく最も有名な二曲目「ノ・テ・インポルテ・サベール」。これはレネ・トゥーゼの曲で、このアルバムでもやはりリズムはちょっとだけチャチャチャふうだけど、ロサリーの解釈ではゆったりとしたバラードになっている。穏やかな表情を見せながら、そのなかに深い心情が微妙に刻まれ隠されているみたいだ。

 

 

それでも三曲目のアルマンド・マンサネーラ「ジェバテラ」はかなり快活なスタイルにアレンジしてある。この曲がアルバム中最も陽気そうで、ストップ・タイムを繰返し効果的に使う伴奏リズムも賑やか。ロサリーの歌も元気に跳ねているし、声に伸びがあって、まあそもそも曲じたいがそういうものだからなあ。オーヴァー・ダブしてあるパーカッション群もかなり活躍している。後半ハンド・クラップが入る部分ではかなり快活に盛り上がる。

 

 

なお、ロサリーの『フレンテ・ア・フレンテ』はボレーロ集といっても、素材は二曲のキューバン・ソング、三曲のメキシカン・ソング、エクアドルのものが一曲、ニカラグァが一曲、さらにスペインの曲も一つある。伴奏は(たぶん)全員ペルーはリマで活動する演奏家たちで、ギターのほかピアノ、ベース、小物パーカッションだけという少人数編成で、しっとりとしたサウンドの伴奏だ。アレンジと音楽監督はギターのマヌエル・モリーナがやっている模様。

2017/10/02

ザッパの人気作はブルーズ感覚横溢、しかも颯爽

 

 

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『ワン・サイズ・フィッツ・オール』っていうこのタイトルは、アメリカで T シャツでもなんでも衣料を買うと付いているタグによく書いてある言葉で、日本でいえばフリー・サイズってやつになるのかな?この一着の1サイズでどんな体格の人でも着られますよっていう意味なんだよね。つまりいわば万能薬みたいなもんで、だからフランク・ザッパがこのアルバム題にしたのは、一家に一枚、必須の常備品ですよってことだったのだろうか?

 

 

そこは分らないからいいや。『ホット・ラッツ』とならび、フランク・ザッパの全アルバム中僕のモスト・フェイヴァリットである1975年の『ワン・サイズ・フィッツ・オール』。なんたって一曲目の「インカ・ローズ」がとんでもなくカッコイイもんねえ。あのダンダダン、ダダダダダンダダン、っていうイントロ部だけ気持よすぎてでイってしまいそうになっちゃうぞ…、と思いながら聴いていると、いつもどおり途中でおかしなことをやりはじめるので、やっぱりイキきれないというもどかしさが、また愛おしい。

 

 

「インカ・ローズ」のどこがそんなにカッコよくて気持イイのか、どこがヘンなのか、その他いろんなことは別途この一曲だけをとりあげたかたちで単独記事にしたいと思って準備中なので、今日は遠慮しておこう。「インカ・ローズ」のことを書かない『ワン・サイズ・フィッツ・オール』関連なんて面白くないかもしれないが、この曲以外もかなり楽しいよ。そしてそのほうが、実はこのアルバムの本質をとらえやすいかもしれないとも思うのだ。

 

 

『ワン・サイズ・フィッツ・オール』で「インカ・ローズ」を外すと、僕にとってのこのアルバムはブルージーの一言に尽きる、ばあいが多い。順番に聴き進んでまず最初にそれを感じるのは、四曲目の「ポ・ジャマ・ピープル」だ。まずジョージ・デュークがちょろっと弾くアクースティック・ピアノ・イントロが、かなり都会的でジャジー。しかも夜の雰囲気だよね。すぐにザッパがギターで華麗に弾きはじめるのだが、それがめちゃめちゃブルージーだ。ってかこれはブルーズ・ナンバーみたいなもんだろう。ささやくようなヴォーカルもザッパらしい。ジョージ・デュークがずっとピアノで背後を支えている。ザッパは歌い終わると再び上手すぎるギター・ソロを弾く。そこなんか、どう聴いたってブルーズ・ギターだもんね。そのソロが相当いいよなあ。

 

 

 

ありゃ〜、『ワン・サイズ・フィッツ・オール』もこれまたフル・アルバムで YouTube に上がっているぞ。そんなことしちゃっていいのか(笑)。まあせっかくだから、LP や CD などをお持ちでない方は、ぜひちょっと聴いてみてほしい。おっ、こりゃなかなかいいぞと思ったら、ぜひ CD を買ってくださいませんか?僕がどんどん YouTube にアップロードするのも、最終目標はそこにある。CD 買ってほしいから、どんなものか試聴できるようにするんだよね。

 

 

 

『ワン・サイズ・フィツ・オール』CD だと七曲目の「サン・バーディノ」もかなりブルージーだよね。これも12小節定型ブルーズのヴァリエイションの一つみたいに僕には聴こえる。やはりザッパのギター・プレイにそんなフィーリングがかなり強い(部分的にスライドも聴かせる)けれど、この曲ではそれ以上に強烈にブルージーなハーモニカ(変名参加のキャプテン・ビーフハート)が入っている。後半に出てくるヴォーカルがジョニー・ギター・ワトスンなんだろう。フランベ・ヴォーカルとか(どういう意味?)クレジットされているやつ。その部分では、あ、いや、ほぼ一曲全体かな?、ブギ・ウギのパターンに近いものをリズム・セクションが演奏する。

 

 

 

続く八曲目「アンディ」にもジョニー・ギター・ワトスンがフランベ・ヴォーカルとかいうもので参加。中間部のサビ以後で明らかにギター・ワトスンだという声がする。ギター・ワトスンはザッパのアイドルの一人だったブルーズ・マンだけど、参加させておいてギターは弾かせないっていうのは、ザッパさん、どういうことなんでしょうか?曲の真ん中あたりでパッと雰囲気とパターンが変化して、ブルージーさよりも颯爽感が強くなったなあと思って聴いていると、最後のほうでまたブルージーになったり、やっぱり颯爽としたりする。ジョージ・デュークのピアノとトム・ファウラーのベースがカッコイイ。最終盤でやはりザッパが難しいギター・ソロを簡単そうに弾く。

 

 

 

『ワン・サイズ・フィッツ・オール』には「ソファ」という曲題のものが、三曲目の「No. 1」とラスト九曲目の「No. 2」と二つある。「No. 1」はヴォーカルなしのインストルメンタル・ナンバーで、「No. 2」のほうはヴォーカル入りだけど、関連があるんだろうか?どっちもかなりカッコよくて、しかも現代音楽風だよなと思うと、ジャズっぽい部分や黒人ゴスペルふうな部分も僕は感じる面白い二曲。曲想と調子がほぼ同じなので、やはり同一曲の2ヴァリエイションってことなんだろうか?

 

 

 

 

また、アルバム二曲目の「キャント・アフォード・ノー・シューズ」はかなりポップなロックンロール・チューンで聴きやすいものだけど、ザッパが弾くギターはやはりかなりブルージーだ。というかほぼブルーズ・スケールを使って弾いているよね。聴いた感触としても黒人ブルーズ臭がある。しかもここでもまたスライド・バーを使ってあるようなサウンドがするが、使ってあるんだよな、これ?

 

 

 

さてこれで、『ワン・サイズ・フィッツ・オール』にあるもので触れていないものは、(「インカ・ローズ」を除くと)五曲目の「フロレンティン・ポーゲン」と六曲目の「イヴリン、ア・モディファイド・ドッグ」だけになった。この二曲に直接的なブルーズ感覚は薄いように僕は感じる。颯爽感は前者では強い。そもそもザッパ・ミュージックって、だいたいどれも颯爽としていてカッコイイよね。キリッとしてるっていうかさ。そこも僕は大好きなんだよね。後者はちょっとヴォードヴィル・ショウ・ミュージックっぽいようなホンキー・トンクを僕は感じとるんだけど、僕だけ?あっ、ってことはやっぱりブルーズと関係あるのかなあ?どうなの?

 

 

2017/10/01

デクスター・ゴードンをちょっと一枚

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ジャズ・テナー・サックス奏者デクスター・ゴードンのアルバムでは、1965年録音66年リリースの『ゲティン・アラウンド』が僕は一番好き。まずジャケットが美しいもんねえ。なかではやはり一曲目の「カーニヴァルの朝」が、大学生のころに聴いて好きになったものなんだけど、その「カーニヴァルの朝」は、あんまりなんども聴くと聴き飽きちゃうっていう意見もあるみたい。でもそんなことないよなあ。いまでも聴くとチャーミングだと思う。いいよね、これ。

 

 

 

僕がこのルイス・ボンファの曲を最初に知ったのが、なにを隠そう大学生のころのデックスのこの『ゲティン・アラウンド』LP でだったんだけど、これ、日本盤レコード記載の邦題が「黒いオルフェ」なんだ。でもレコード・ジャケット記載の原題は「Manhã de Carnaval」だから、これ、どうして「黒いオルフェ」になっているんだろう?って、しばらく分んなかった。そしてこの同じ曲がレコードによって原題も「Manhã  De Carnaval」だったり「Black Orpheus」だったりもした。それでも本当にいろんな人がやっているからかなり有名な曲なんだって、その程度の認識が続いてた。

 

 

ヴィニシウス・ジ・モライスが原作脚本を書いた1956年の『オルフェウ・ダ・コンセイソン』を59年に映画化した際の映画タイトルが『黒いオルフェ』(Orfeu Negro)で、その主題歌として「カーニヴァルの朝」が書かれて使われたんだって知ったのはずっとあとのこと。だからそれまで僕のなかでは、印象的なボサ・ノーヴァ・リズムと一度聴いたら忘れられないあのメロディは同じだけど、これ、いったいなんていう曲なのかなあ?って、ちょっと不思議な気分が続いてたよ。

 

 

映画題が、そのまま主題歌題になっていることもあるんだろうね。曲そのものにちゃんとしたタイトルがあるのにどうして?ってのは、いまでもやはりよく知らない。まあでもありそうなことではあるよね。映画『黒いオルフェ』には批判もあるらしく、ヴィニシウス原作にあったブラジルやファヴェーラの本質を描いてない、したがってブラジル人はまったく評価してないだとか。実は僕、映画のほうはいまだに観たことないだ。曲「カーニヴァルの朝」がいいなあって思ってるだけなんだ。

 

 

さてデクスター・ゴードンの『ゲティン・アラウンド』は、デックスのパリ時代の作品で、1965年にどうやらアメリカに一時帰国した際の録音セッションだったんだってさ。それでプロデューサーがアルフレッド・ライオンで、スタジオがニュー・ジャジーのルディ・ヴァン・ゲルダーのところなんだろうね。同じデックスの同じブルー・ノート盤でも、有名な『アワ・マン・イン・パリ』は、タイトルどおり現地パリ録音で、パリ在住のバド・パウエルとケニー・クラーク(とベーシストはフランス人)を起用。プロデューサーは渡仏したフランシス・ウルフだったよね。

 

 

『ゲティン・アラウンド』のほうの編成は、バリー・ハリス(ピアノ)、ボブ・クランショウ(ベース)、ビリー・ヒギンズ(ドラムス)って、これ、リー・モーガンの1963年盤『ザ・サイドワインダー』とまったく同じリズム・セクション。だから…、ってわけじゃないかもだけど、僕のなかでこれら二枚の音楽がちょっと似てるように聴こえる部分があるよ。

 

 

さらに『ゲティン・アラウンド』のほうにはもう一名、ヴァイビストのボビー・ハッチャーソンが参加してるのがやや異色かなあ。例えばテーマ・メロディの演奏をテナー・サックスとヴァイブラフォンとのユニゾン・デュオでやったりしてるばあいがあって、ブワッっていうサックスと、コンコンっていうヴァイブの音色の違いを考えると、アンサンブルで解け合わないんじゃないかって思っちゃうけれど、『ゲティン・アラウンド』では、そのユニゾン・サウンドがなかなか面白かったりするじゃないか。

 

 

アルバム『ゲティン・アラウンド』では、確かに一曲目の「カーニヴァルの朝」が有名だけど、二曲目以後もかなりいい内容なんだ。二曲目はスタンダード・バラード「フー・キャン・アイ・ターン・トゥ(ウェン・ノーバディ・ニーズ・ミー)」。この曲題だけでも哀しそうな感じだよね。スタンダードと書いたけど、それは現在ではという意味なんだ。そもそもこの曲が使われたミュージカルは1964年のもの。レコードとしても同年にシャーリー・バッシー(僕には忘れられない歌手)が歌ったシングル盤がリリースされたのが最初(それはヒットせず、トニー・ベネット・ヴァージョンで知られるようになったんだって)。だから『ゲティン・アラウンド』でデックスがとりあげたときは、時代のホットな流行歌だったはずだよ。

 

 

「フー・キャン・アイ・ターン・トゥ」を吹くデックスは、この哀しい歌を、そのまま実に切々たるフィーリングで表現して、しかもこの曲のメロディは陰影に富むというか、ただ暗く哀しく落ち込んでるようなものでじゃなくって、メジャーとマイナーのあいだを行ったり来たりして、細やかな表現ができる旋律なんだよね。それをデックスが実にうまく吹いてるよね。二番手ボビー・ハッチャースンのソロは、デックスと絡みながらのもの、ってかこれはヴァイブ・ソロでもないなあ。ピアノ・ソロもなく、終始デックスが美しく吹くってもの。あぁ、綺麗だね。

 

 

 

アルバム三曲目「ハートエイクス」。1931年発表のこの古めかしいスタンダードも、曲題といい歌詞といいつらそうな歌に思えるんだけど、『ゲティン・アラウンド』ヴァージョンにそんな雰囲気はあんまりないよね。テンポといい、ちょっぴりだけラテン・アクセントのあるリズム・アレンジといい、陽気で快活なフィーリング。リズム・セクションの演奏も躍動的。ソロを取るデックスもボビーもバリーもノリノリでいいね。デックスは曲終盤で、スタンダード曲「アイ・ゲット・ア・キック・アウト・オヴ・ユー」のメロディを引用しながら吹いてるよ。

 

 

 

ここまでが LPでは A 面だった。CD では四曲目「シャイニー・ストッキングズ」はフランク・フォスターが、当時在籍していたカウント・ベイシー楽団のために書いた超有名曲だから、知らない人はいないミディアム・スウィンガー。でも『ゲティン・アラウンド』ヴァージョンはどうってことないような気がするね。

 

 

五曲目「エヴリバディーズ・サムバディーズ・フール」はコニー・フランシスの1960年のレコードで有名だが、もともと1949年(リリースは50年)にリトル・ジミー・スコットがライオネル・ハンプトンとやったのが初演のブルージーなバラード。ダイナ・ワシントンも歌ったよね。デックスの『ゲティン・アラウンド』ヴァージョンでは、途中までピアノのバリー・ハリスのソロが目立っている。デックスのソロは後半からだ。

 

 

 

CD アルバム六曲目の「ル・コワフュール」(Le Coiffeur)って、美容師っていう意味だけど、フランス語題なのは当時のデックスがフランスに住んでいたからなんだろうね。どうして美容師なのかは分らないが、これもちょっとラテン風な曲想とリズム・アレンジ。リム・ショットの使いかたといい、やっぱりビリー・ヒギンズってこういうドラミングが上手いよね。デックスのオリジナル曲なんだけど、旋律がひょこひょことユーモラスだ。まるでホレス・シルヴァーのペンみたい。

 

 

 

LP ではこれでお終いだった。『ゲティン・アラウンド』現行 CD には、このあとに二曲のボーナス・トラックがある。(アルバム全体の)七曲目「ヴェリー・サクシリー・ユアーズ」はどうってことない気がするが、次の八曲目「フリック・オヴ・ア・トラック」はなかなかいいよ。ふつう LP アルバムの CD リイシューに追加されるボーナス・トラックは、完全に不要であるばあいが多いよね。でもこの『ゲティン・アラウンド』の「フリック・オヴ・ア・トラック」はあってよかったと思える内容じゃないかな。

 

 

どうしてかって、これはレイジーにくつろいでいるようなフィーリングの12小節定型ブルーズだからなんだよね。ベン・タッカーのオリジナル曲らしいけど、僕はデックス『ゲティン・アラウンド』ヴァージョンしか聴いたことないんだ。デックスも泥臭く攻めるし、二番手バリー・ハリスがブルーズを弾く上手さは説明不要。ふだんは乾いて硬い感じのプレイが多いボビー・ハッチャースンですら、湿った感じでブルージーに叩いていて、これはほぼミルト・ジャクスンになってる。アルバムで唯一、ボブ・クランショウのベース・ソロもある。野太い音でイイネ。

 

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