「人生の悩みごともそのうちなんとかなるさのブルーズ」 〜 ビッグ・メイシオの哀感と諦観
録音時期は戦前がメインだが、音楽のスタイルとしては戦後ブルーズに分類したほうがいいかもしれないピアニスト、ビッグ・メイシオ。シカゴに拠点を置き、もっぱら1940年代に録音した。40年代ばかりなのはレコード・デビューが36歳のときと遅く、しかも早死してしまったからだ。主要作は1941〜45年にかたまっている。46年に脳卒中で倒れてしまい、その後復帰はしたものの、聴くべきはやはり45年の録音までだろう。
ビッグ・メイシオのブルーズ・ピアノは、先輩であるリロイ・カーとルーズベルト・サイクス、さらにブギ・ウギ・ピアノストたちの流れを汲み、戦後の、例えばオーティス・スパンとかジョニー・ジョーンズ、さらにちょっと人名を混同しやすいジョニー・ジョンスンらへの橋渡し役として最大の存在だった。最後のジョンスンはロック・ミュージック、特にエリック・クラプトンばかり聴いているファンだってご存知のはずだ。
その黒人ブルーズ・ピアニスト、ジョニー・ジョンスンを迎え、クラプトンがライヴ・アルバム『24 ナイツ』でやっている一つが「ウォーリド・ライフ・ブルーズ」。これ、ほかならぬビッグ・メイシオの曲だもんね。もちろん以前詳述したように、スリーピー・ジョン・エスティスの「サムデイ・ベイビー」の焼き直しで、その上スリーピーの自作でもないものだろうが、しかしここまでスタンダード化しているのがビッグ・メイシオ・ヴァージョンのおかげであるのに誰も疑う余地はないはず。
「ウォーリド・ライフ・ブルーズ」
クラプトン『24 ナイツ』https://www.youtube.com/watch?v=7zFZ-RpUM6o
ビッグ・メイシオ(1941)https://www.youtube.com/watch?v=8UQfavAQZQI
クラプトンのギターとヴォーカルはそんな重視しなくていいので、ジョニー・ジョンスンのピアノ・スタイルに注目していただきたい。あ、いや、ヴォーカルだけは聴いてほしい。ビッグ・メイシオ・ヴァージョンでの歌い方をクラプトンもそのままコピーしていると分るはずだ。しかしそれよりもピアノだよなあ。
かなり大きな違いもある。ジョニー・ジョンスンはソロを弾いているが、ビッグ・メイシオ・ヴァージョンに、ピアノ・ソロらしきものはない。中間部でタンパ・レッドのエレクトリック・ギターがちょろっとソロを弾き、そのあいだそれにピアノで絡んではいるのだが、ソロとは呼べないだろう。ビッグ・メイシオの録音したブルーズは、だいたいどれもそうなんだよね。
モダン・ブルーズや、現代的音楽であるロック・ミュージックや、あるいは古いものでもジャズなどのファンからしたらちょっと食い足りないと最初感じてしまう可能性もあるが(なにを隠そう、最初は僕もそうだった)、「歌」を聴かせることが主眼の音楽では、楽器ソロなんてちょっとした気分転換とか添え物でしかないし、そもそも楽器ソロなど入らないばあいだって多い。むかしもいまも。どんな音楽でも。
それはいいとして、ビッグ・メイシオの1941年ブルーバード原盤の「ウォーリド・ライフ・ブルーズ」。これこそがこのブルーズ・マンのシグネチャー・ソングだから、これが収録されていないビッグ・メイシオのアルバムなど存在しない(はずだと断言するが、確かめたわけではない)。僕がふだん最もよく聴くのが、以前からお話しているブルーバード・ブルーズを本家 RCA が選集でリイシューしたシリーズで、ビッグ・メイシオのは1997年の『ザ・ブルーバード・レコーディングズ 1941-1942』。
しかしこの1997年の RCA 盤、本家なのにたったの16曲しか収録がない。ビッグ・メイシオのブルーバード録音がたったの16曲なわけがないと世界のみんなが知っているのに、これだけはかなり解せないよなあ。続編でもう一枚、45〜47年録音盤が出たのだが、41〜45年録音で25曲を収録したアーフリー盤とか、同時期の21曲を収録のドキュメント盤とかありますけれども、どうなんですか?RCA さん?まあこのブルーバード・シリーズぜんぶについて言えることですが。
じゃあどうしてビッグ・メイシオもたった16曲の1997年 RCA 盤を聴くのかというと、ここだけはさすが本家だけあって音質が段違いにいいんだよね。アーフリー盤、ドキュメント盤と比較すれば、目を見張るほど音質が向上している。ビッグ・メイシオ&タンパ・レッド二名がどこでどう絡み合っているか、手に取るようによく分っちゃうんだよね。ですから!この音質で!25曲程度の一枚ものを出してほしい!RCA さん!
こんな話をしたいんじゃなかった。ビッグ・メイシオの1941年「ウォーリド・ライフ・ブルーズ」。音源は上でご紹介したので、もしまだご存知ない方はぜひ耳を傾けていただきたい。歌詞内容は苦しみ、悩みを歌ったものだけど、ピアノの弾き方と歌い方に、なんというかこう、諦観半ば、楽観半ばみたいなフィーリング、心配ごとを突き放して、自らを励まし勇気つけているような部分が感じられると思うんだよね。音の表情そのものにね。
そういった「まあそのうちね、なんとかなるさ」と投げ出して、ちょっと笑っているようなフィーリングが、ブルーズ表現の本質に流れているものだと僕は思う。ただたんに悩んで苦しんで落ち込む憂鬱の吐露なんかじゃないんだよね、ブルーズって。そんなふうだと、ある種の客観的、普遍的な魅力を獲得できないから、商業音楽としては売れないんじゃないかなあ。このあたりも、すでに周知の事実であるはず。
スリーピー・ジョン・エスティスの1935年「サムデイ・ベイビー」だって、まずテンポが速めで、しかもハミー・ニクスンのハーモニカがブルージーであると同時にやや滑稽味もあって、スリーピーの歌い方にも捨て鉢に強がっているようなフィーリングがあるんだよね。憂鬱感はさほど強すぎたりもしなかった。
ビッグ・メイシオの1941年「ウォーリド・ライフ・ブルーズ」だと、もっとグッとテンポを落とし重心を低くして、演奏スタイルにも歌い方にも哀感がこもっている。さらにこれはピアノが主体のブルーズだから都会的洗練も聴かれ、相棒のタンパ・レッドもシティ・ブルーズ・マンだし電気ギターを使っているし、その他の要素とあいまって、モダンな感覚が強く出ている。そんな感じだから、このまま電化バンド形式のシカゴ・ブルーズの直接の源流の一つになりえたんだよね。上でご紹介したクラプトン・ヴァージョンなんかがまさにそう。
ありゃ、まだ一曲のことしか話してないんだが…。ビッグ・メイシオのピアノの重厚さ、その反面の流麗さ、この二つがあわさってワン・アンド・オンリーなブルーズ・ピアノのリズムを創り出しているところとか、それはリロイ・カーのどの部分、ルーズヴェルト・サイクスのどの部分から流れてきていて、戦後シカゴ・シーンのブルーズ・ピアニストのだれのどこにどう影響を与えているか、あるいはタンパ・レッドがメイン・ヴォーカルをとる曲の面白さなど、いろんなことを書く余裕がなくなった。
なお、ビッグ・メイシオをザ・キング・オヴ・ブルーズ・ピアニスツと呼ぶ人もいるみたいだけど、それは僕に言わせればリロイ・カーで間違いないと思う。影響力の規模と深さがぜんぜん違う。毎度毎度の繰返しで申し訳ないが、リロイこそ最大の存在だ。
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