マイルズ『イン・ア・サイレント・ウェイ』のノイズ
このアルバムが好きでたまらないという熱心な愛好家以外のみなさんにはどうでもいいような話。マイルズ・デイヴィスの1969年作『イン・ア・サイレント・ウェイ』では、アルバム全編にわたり、シャーッっていう、あるいはサーッでもいいが、アナログ・テープのヒス・ノイズみたいなものが入っている。ように聴こえるが、これは僕の耳がオカシイわけではなさそうだ。
これを指摘する人はむかしからいて、30年以上前から僕も紙媒体で読んでいたし、最近なら数年前にも Twitter でこのことを発言して「あれはいったいなんなんでしょう?」と問うている方がいらっしゃった。僕は少し話をしたのだが、結局、僕の考えは理解していただけなかったように思う。というかあのノイズにかんする僕の考えは、あのとき(いまも)固まっていなかったので、仕方がないことだった。
むかしは『イン・ア・サイレント・ウェイ』のあのノイズは、アルバム用に編集する際、オリジナル・テープからダビングしまくった挙げ句のやはりテープ・ヒスだという見解の持主がほとんどだった。あまりにも編集しまくっているのはむかしからかなり有名だったし、アナログ・テープのそんな特性も分っていた。
テープ・ダビングと編集しまくりのせいのヒス・ノイズだとする意見はいまでもかなり多い。違う考えも最近はある。それは、あのテープ・ヒスみたいなものはノイズそのものではなく、音楽の演出効果としてわざと入れている音なんだというもの。これはほかならぬ日本の SME 盤『イン・ア・サイレント・ウェイ』の日本語解説文が載っている紙に、ピーター・バラカンさんがお書きの文章のなかでにはなく、会社側の正式な文言として印刷されているものだ。僕がいま見ているのは2000年リリースの SME 盤附属の紙だが、もっと前からあったような気がするし、2000年以後のリイシュー日本盤にだって載っているかもしれない。
いわく 〜
本アルバムの1曲目と2曲目の冒頭にノイズが認められますが、いずれもマスターテープ上に存在する演出効果です。
〜 だってさ。でもこれは不正確だ。ノイズは両曲の冒頭部だけでなく、全体にわたって入っている。冒頭部以外で聴こえなくなるのは、マイルズ・バンドの演奏じたいの音量が上がるので、相対的にノイズ(みたいなもの)は分らなくなっているだけなんだよね。と僕は判断しているのだが、間違っているでしょうか?ソニーさん?
だから例えば2トラック目「イン・ア・サイレント・ウェイ〜イッツ・アバウト・ザット・タイム」では、中間部のグルーヴ・ナンバーが賑やかだからノイズは聴きとれないが、それをサンドウィッチしている最初と最後の「イン・ア・サイレント・ウェイ」部では、それぞれ約四分間にわたり、ノイズが聴こえっぱなしだ。冒頭部だけでなく、「イッツ・アバウト・ザット・タイム」が 15:38 で終ると、やっぱりシャーッって入りはじめるもんね。
そこから僕はひろげて推測して、あのノイズ・サウンドはアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』ぜんぶに入っていて、静かなピアニッシモ(って重複表現だが)な部分でだけ目立っているということなんじゃないかと考えているんだよね。そういうものって、音楽的な演出効果なんだろうか?演出だとすれば、どういう演出意図を持ち効果を狙ってのことだったんだろう?
実を言うと、あれがノイズではなく演出効果だとする文言は、SME リリースの日本盤『イン・ア・サイレント・ウェイ』附属の紙でしか僕は見たことがなく、しかも CD でも最初のころは印刷されていなかったような記憶がある。ある時期以後、突如付記されはじめたんだよね。さらにアナログ LP ではまったく見たことがない。
日本語ではぜんぜん出てこないが英語でネット検索すると、アルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』のあのノイズに言及してある文章が見つかる。それらはすべて、あれはテープ・ヒスだとしている。冒頭部でだけ聴こえるかのようだけどさにあらず、全編にわたり入っていて、バンド演奏の音量が下がっている部分で目立って聴こえるだけだという、上で僕は書いたのと同じ見解の持主もいるようだ。
だから端的に言えば、あれがテープ・ヒスではなく音楽的演出だとするのは、ある時期以後の SME しか言っていないセリフなだよね。つまり、こういうことだ。CD になって、しかも高音質化もどんどん進み、さらに過去のアナログ音源の CD リイシューの際には、コンピューターでノイズ除去するのも当たり前という時代になっている、そんな21世紀に、あんなシャーッっていう音が入っているのを、ソニーとしてはなんとか正当化したかっただけなんじゃないかな。
あるいはひょっとしたら、この『イン・ア・サイレント・ウェイ』っていうアルバム、なんかノイズが聴こえるんですけど?不良品でしょう?交換してください!なんていうたぐいのクレームみたいななにかが会社に届いていたかもしれないよね。だから、あれは「最初からは入っているもので、音楽的演出なんです、雑音じゃありません」と書いておいて、そんなクレームの拡散を防ぎたかった、つまり会社としての売り上げに響くので、商業的マイナス効果を抑えたかった、そんな SME 側の意図だったんじゃないかと僕は思う。
最近、いや前からかな、古い録音の CD リイシューものだと「録音が古いため音質に難があります」とか「ノイズが入ります」といったようなたぐいの言葉が附属のブックレットやリーフレットに掲載されるようになっている。日本盤でしか見たことのない文言で、日本盤でも LP では見たことがない。あのころは古いSP 音源なら言うに及ばず新録音でも、ちょっとしたスクラッチ・ノイズは当たり前についてくるものだったから。
結論としては、マイルズの『イン・ア・サイレント・ウェイ』にあるあのノイズは、音楽的演出効果を狙ってわざと入れたものなんかじゃなく、やはりテープ・ヒスだ。それに間違いないと僕は断言するが、SME さん、どうですか?やっぱり商売としてはああやって付言して警戒しておかないといけないんですか?高音質でノイズ・ゼロ時代なもんだから?
しかしこれでは、たったこれだけのことを言うために、今日ここまで書いてきたのかと思われそうだ。僕はあの SME の言う「演出効果」とやらの文言を見て、最初のころ(いつかなあ?1998年ごろじゃなかったかなあ?)はしばらく笑っていただけだった。ところがこの演出効果というのは、あんがい面白い意見かもしれないぞと思いはじめたんだよね。わりと最近。
特に2トラック目の最初と最後の「イン・ア・サイレント・ウェイ」部でそうだと思うんだけど、あのシャーッっていうノイズが独特の雰囲気を呼んでいる。いままでも繰返してきたように、ジョー・ザヴィヌルの書いたこの曲は、彼の故郷ウィーンの思い出とか、同地への郷愁がテーマになっている。それを完成品ではあんなアンビエントふうなサウンドに、ボスのマイルズも仕立て上げている。約四分間ほぼテンポがなく、だら〜っとしたドローンみたいな音楽だ。
そんな「イン・ア・サイレント・ウェイ」部で特にあのヒス・ノイズが目立っているわけで、すると、この曲が持っている、故郷を懐かしむあの情緒が強調されるんだよね。フワ〜ッと空気みたいに漂っているあのサウンドに、ただのテープ・ヒスだとはいえ、あのノイズはもはや文字どおりのただの<騒音>ではありえない。立派な音楽の一部として機能しているんだよね。別名「リコレクションズ」である「イン・ア・サイレント・ウェイ」における、あんな雰囲気を盛り立てる、まさに<演出効果>じゃないかと聴こえるけれど、どうだろう?
そう考えると、そもそもあのマイルズのアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』は、全体的にサウンドの雰囲気が、あの前後の時期の同じ音楽家の作品と比較しても、ちょっと変わっているよね。エコーが妙な感じでかかっていて、ビートの効いたグルーヴ・チューンでも雰囲気一発勝負みたいなところがあって、フワフワしている。なんだか薄衣でもまとわりついているかのような、一枚の神秘的なヴェールに包まれているようなサウンドに、僕には聴こえる。
近ごろの日本の音楽で言えば、伊藤ゴローがプロデュースした原田知世みたいな、そんな感じに似ているよね、マイルズの『イン・ア・サイレント・ウェイ』って。1トラック目の4:26 と16:23 で聴こえる(それは演奏時には一度しかやらなかった同じものを、テープ編集で反復しているだけだが)、なんだか謎の金属かガラスを鳴らすか落とすかしたような意味不明の音の正体はなんなのか?とかも含め、この1969年のアルバムはまだまだミステリーが多いのかも。
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