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2017/10/25

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の思い出と変貌

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https://open.spotify.com/album/2Upqk0mMh9OMIVSj9F8Xzw




先週土曜日以来、芋づる式にどんどん連想でつながってここまで来ているのだが、今日も昨日の流れで『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』本編のことを書こうと思う。このタイトル、音楽アルバムも映画も同名だし、中身も同じようなものだし、またバンド名、プロジェクト名にもなり、その後これに参加したキューバ人音楽家の出すソロ・アルバムにも冠される名前にもなったりしていて、なんだか大規模化したよなあ。

 

 

ビッグもビッグ、なんでも1997年リリースの最初の一枚『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は、全世界で800万枚とか900万枚とかも売れたんだそうだ。これがキューバ音楽のアルバム史上最高の売り上げなのは言うまでもなく、ライ・クーダーにとっても自身の関係する作品のなかでいちばん売れたものだったらしい。

 

 

それでそれまでライのファンで来てキューバ音楽に強い関心のなかったブルーズやロック(など)のファンがキューバに目を向けたりしたのは分っているし、その逆もあったかもしれないよね。すなわち、それまでラテン音楽ファン(は日本にだってむかしからかなり多いんだ)だけど北米合衆国のブルーズとかロックとかはちょっと…、と思っていた人たちがライを聴きだしたりした可能性があるかも。こっちは確証がないが。

 

 

それにしてもそれほどまでに売れて、キューバ音楽の全世界的な認知度アップに大きく貢献したのは疑いえない CD『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』。演唱しているキューバ人とキューバ音楽の実力なのか、それともライ・クーダーの知名度と影響力ゆえのみなのか、あるいはその双方あいまってのことだったのか、そのあたりは僕にはなんとも言えないが、まあ両方なんだろうなあ。

 

 

僕のばあい、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は日本で2000年に上映された映画のほうを先に観ていて、その三年前にリリースされていた CD アルバムはそのあとになって買って聴いた。だから僕にとってこのタイトルは映画のものだという印象が強くて、実際、映画館で観て楽しかったけれど、あとになって買って聴いた音楽アルバムのほうはなんだかイマイチだなあ、映画の面白さを追体験できないぞとか思っていたんだよね、つい最近まで。はっきり言うと昨日まで。

 

 

ヴィム・ヴェンダース監督映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の思い出のほうを先に書いておく。これを観たのは2000年の2月。日にちも憶えているのだが、それは書けないんだろう。憶えているのには理由があるんだよね。僕は観に行くしばらく前からこれに行こう行こうと思っていたのだが、なかなか腰を上げなかったのを後押ししてくれたのは、ある一人の若い女性だ。2000年だから僕は38歳だが、その女性は当時24歳だった。

 

 

その女性は僕が勤務していた大学のかつての教え子だった。あまり詳しいことはやっぱり書けないが、僕に教師としてだけでなく、なんだか一人の男性としての好意まで抱いているかのようだったんだよね。でも在学中の学生(や非常勤でやってくる若い女性講師) と一線を越えては絶対にダメだと強く強く自制心を働かせていた僕。だからその女子学生にも、授業や授業外で熱心に英語や外国文学を教えただけだった。その女子学生がこりゃまたそれを熱心に勉強してくれたんだよね。その学生は卒業論文のテーマにチェコ出身の作家ミラン・クンデラをチョイスしたのだが、これだってその前の年に僕が講義した内容から来たものだった。だから指導教官は当然僕。

 

 

その女子学生とは、校外でも渋谷駅までの帰り道のあいだなどで熱心に外国文学のことをしゃべり、駅に着いても離れがたい様子だったのでカフェで話を続け、でもだいたい僕が独演会を開催しているだけに近いものだったが、カフェで二時間とか三時間とかガブリエル・ガルシア・マルケスなどラテン・アメリカ文学のことを延々と僕がしゃべっても、まったく飽きた顔も見せず熱心に聴き入ってくれた。マルケスは卒論テーマの最終候補にまで残っていたらしい。

 

 

そんな具合だったのだが、その女子学生が卒業して二年後に僕の自宅に電話してきたのだった。電話番号は、ある時期までの僕の勤務校は教師の名簿というか、名前と写真と簡単なプロフィールと業績一覧を載せたものを、学生も無料で持っていける場所に平積みしてあったんだよね。いまでも電話番号を外せば当たり前のことだ。いまなら紙の冊子ではなく Web ページなどで。でも電話してきたのはその卒業二年後の女子学生だけだった。

 

 

戸嶋先生、会いたいです、映画観に行きませんか?と電話口で言うので、えーっと、いいのかな?でももう卒業しているんだし、二人っきりでだとはいえ映画観て食事するだけ、それだけならまあいいのかと思って、当時妻がいた僕だけど、妻も僕も配偶者以外の一人の異性と食事に行ったりなどは、文字どおり日常茶飯事だったのだ。そんなことで二人ともイチイチなんとも思わないし言わないし、勝手に自由にやればいいじゃん、事前許諾も事後報告もふだんはなしだった。だから若い女性と二人で映画観て食事に行くことじたいではなく、元教え子であるという一点のみが心のなかでひっかかったのだった。

 

 

でもまあもう在学生ではないんだから、そんなに会いたい、一緒に映画観たいって言うんならと OK したんだよね。そのときその元女子学生がけっこう熱心な映画マニアであることを知った。どの映画にしようか?と僕が言うと、私、映画ならなんでも観るんです、って…、しかしこれ、先生とならなんだっていい、というだけの意味なのかもしれないとその電話では思ったのだが、再会して話をしてみると、マジで僕なんか真っ青になるほどの映画狂だったのだ。

 

 

そんなわけで、マジでどの映画でも観たかったその若い女性と、じゃあ僕はいまちょうどこれが観たいからと言って『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』にしたのだった。2000年の2月。渋谷のスペイン坂をのぼったところにあった、その映画館の名前はなんだっけ?内壁はコンクリート打ち出しで、そこで『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を、二人で並んで観た。

 

 

彼女は音楽のことには特に関心がないようだった。観終わって食事しながら話をすると、僕は昨日も書いたようにオマーラ・ポルトゥオンドとイブライム・フェレールがデュオで歌うラファエル・エルナンデスの名曲ボレーロ「シレンシオ」のあのシーンに惚れてしまったわけで、あれがいかに美しかったか、素晴らしかったか、それを語っても、聞いている24歳はヘェ〜って言うだけで表情も変えず。映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』で映し出されるキューバの街中の風景などがキレイでしたと、彼女は言ってたなあ。

 

 

あの映画で観るキューバの日常風景がなかなかよかったというのは僕も同感だったのだが、なんといってもやっぱり音楽映画だという認識だったので、僕は。その部分にこそ意味があると思って、最初からそれだけが目当てで映画館に観に行きたいと思っていたわけだったので、ここは二人で話が噛み合わない部分だったなあ。まあ音楽愛好家だと分っていれば、最初からもっと違う内容のデートになっていたかもしれないので。

 

 

さて、上で書いたように映画が面白かったので、そのあとになって初めて買った音楽 CD『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』には、当時ちょっとガッカリしたのだが、いま、というか昨日から、その気になってひっぱりだして聴きなおすと、なかなかいい内容の音楽アルバムだよなあ。長年看過してきた僕はやっぱりダメだ。

 

 

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』でやっている、ライ父子を除くキューバ人音楽家たちは、ほぼ全員後期高齢者なわけで、だから滋味深く渋みに満ちて、人生を達観した物静かな境地での演唱ばかりかというと、あんがいそうじゃない。けっこう若い感じでピチピチ、フレッシュなグルーヴもあるじゃないか。老成の境地ばかりじゃないもんね。ここも僕は気がついていなかった。音楽のみずみずしさに年齢は無関係だと、ふだんからあんなに繰返しているにもかかわらず。

 

 

例えばアルバム中一番演奏時間が長い三曲目「エル・クアルト・デ・トゥーラ」。かなり派手なソン(・モントゥーノ)で、こりゃ素晴らしい。メイン・ヴォーカルのエリアーデス・オチョーアもいいが、中盤でもんのごい目覚ましいラウド(リュートみたいな12弦の小さな楽器)のソロを弾くバルバリート・トーレスがいいなんてもんじゃない。驚異的の一言だ。後半、モントゥーノ部になってヴォーカル・コーラスの反復で異様に熱を帯びるのは、まるで1920〜50年代あたりの様子だ。

 

 

アルバム九曲目「カンデーラ」も熱の高いソン(・トゥンバオ)で、メイン・ヴォーカルはイブライム・フェレール。イブライムはソン・モントゥーノ歌手らしいヴォーカル・インプロヴィゼイションを聴かせてくれるが、それ以上にその背後で入る2コード・パターンのヴォーカル・リフ反復での盛り上がりかたがすごい。三曲目の「エル・クアルト・デ・トゥーラ」もそうだが、パーカッション群も大活躍し、聴いている僕まで興奮の極み。体温が沸騰する。

 

 

これら二曲以外は、まあやっぱり渋みがまさっているのかなあと思う『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』だけど、それらもむかし聴いたころのような、フ〜ン、ケッ!っていうような印象がまったくない。音楽は変わっていないから、変わったのは僕の側だ。いや、言い直す。聴き手の変化とともに同じ音楽でも変貌する。やっぱりすがたかたちそのものを変えるんだ。

 

 

実に久しぶりに『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』をひっぱりだして聴きなおし、今日はこんなことを考えたのだった。むかしデートした若い女性の思い出とともに。

 

 

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コメント

としま先生、ぼくはブエナビスタは一人で映画館に行って、ちょっといい気持ちになった映画だよ。
> 演唱しているキューバ人とキューバ音楽の実力なのか、それともライ・クーダーの知名度と影響力ゆえのみなのか、
ぼくは知り合いにライ・クーダの知り合いがいたけれど、キューバ人の良さをそこで感じた。満足しきりの映画だった。

ひでぷ〜も若い女性と一緒だったら、もっといい気持ちになれただろう〜ヾ(*ΦωΦ)ノ。

ぷっぷー♪

ところでさ、ああいったキューバ音楽でもトランペットはかなり重要な楽器なんだけど、ひでぷ〜は彼らをどう聴く?アメリカ合衆国のジャズ・トランペッターからの影響はあるかな?

聴いちゃいないだろうなぁ。BGM程度には聴いたかもしれないけどね。そのスタイルを採り入れてはいないと思う。雑に心に残ったものに影響されて好きに吹いてると思う。そしていっしょにやるみんなと合わせるときに、あぁこんな感じがいいかなって吹いているうちに、だんだん自分のフレーズができてスタイルになるって感じかな。ただまあ、ハーブ・アルパートなんかは聴いたかもな。あと、彼らは彼らなりの約束はあって影響しあってるんだろうね。

たださぁ、例のキューバ革命までは、キューバはアメリカ合衆国の「庭」みたいなもんだったから。そ〜りゃもう無数のアメリカ人音楽家があの島国でライヴをやったんだよね。ナイト・クラブやホテルや無数の場所で、た〜くさん。ジャズでもビッグ・バンドやスモール・コンボが、本当に連日連夜、演奏したんだ。キューバで。観光産業として。レコードだってもちろん出てる。

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