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2017/10/06

あんなにも待ち焦がれたマイルズの復帰盤

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マイルズ・デイヴィスのすべてのアルバムで最もたくさん繰返し聴いたのは、僕のばあいなにを隠そう1981年の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』だ。これはかなり分りやすいはず。だって僕がマイルズ・デイヴィスという音楽家がこの世にいるのだということを知ったのが1979年で、そのころ彼は一時隠遁中。新作のリリースはまったくなかった。

 

 

復帰するという噂がいつごろから飛びはじめたのかはもう憶えていない。でも新作をレコーディング中なんだという話は、各種メディアをとおしポツポツ入ってきていた。明快なかたちでいちばん最初に僕がそれを実感できたのは、ジャズ好きになってすぐに聴きはじめた深夜ラジオ番組『タモリのオールナイトニッポン』でだった。あるときの放送回で「これがそろそろリリースされるというマイルスの新作からの一曲で〜す」とタモリさんが言って、なにか一つだけ流したのだった。

 

 

どの曲を流したのかも憶えていない。だってレコードはまだ出ていなかったんだから、確認しようもなかったしな。ラジオで一回こっきり耳にしただけで、しかも大変面白くなかったような記憶がほんのかすかに残っている。でもまあかなり小さなトランジスター・ラジオで、しかも深夜だからイヤフォンで聴くしかなかったし、あの当時の AM ラジオを小さな受信機とイヤフォン(もちろん片耳)で聴くのでは、ちょっとあれだよねえ。

 

 

でも、あのときタモリさんの紹介で聴いたので、あぁもうレコードはできあがっているんだ、どんな音楽だかはやっぱり分らなかったけれど、すでに日本に入ってきているんだなとはっきりしたのだった。さぁ、それからの僕の日々のメンタル状態が大変だったんだよね。一日も平静を保てなかった。あのときほど「一つのなにかに恋い焦がれ待ちわびる」という思いが強かったことも、僕のいままでの55年間の人生でほとんどないことだ。

 

 

マイルズの新作レコードがいつ出るかいつ出るか、「本当に!」一日千秋の思いで過ごしていたんだよね。これは僕だけじゃない。もちろん僕はすでにあのころマイルズ狂になっていたのでやはり特別だったのかもしれないが、そうでない人たちだってみんな待っていたんだ、マイルズの新作レコードをね。そして出たぞ!と知ったらもう我慢できず、即日レコード・ショップに足を運んで買ったはず。

 

 

このあたり一例を引くと、今年八月末に出版されたばかりの村井康司さんの新著『あなたの聴き方を変えるジャズ史』にも書かれてあるので引用しよう ー

 

 

『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』の輸入盤を入荷した日に買い、レコードに針を落とした時のことはよく覚えています。

 

(p. 242)

 

 

(みなさんにはどうでもいいことだが、論文書きで引用するときの癖がまだ抜けきらない僕は、こういった別個の段落にする引用は段下げをしたいのだが、ブログではそれができない。自分の Mac で見てできているようであっても iPhone ではぜんぜんそうは見えないから、ましてや自分以外の人のパソコンやタブレットやスマホでどう見えているのかぜんぜん分らない。画像ファイル化して貼り付けるかなにかしない限り、段下げなんか意味ないのだ。残念ながら。)

 

 

さて、引用したたったこれだけで、村井さんもやっぱり待っていたんだな、興奮したんだなとよく分っちゃうじゃないか。村井さんは激烈なマイルズ狂ともお見受けしないので、そんな方でもこんな具合だったんだから、僕がどんな状態になったのか、みなさん容易に察しがつくと思う。僕のばあい松山に住んでいて輸入盤レコードはなかなか買えなかったので、マイルズの復帰盤『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』も CBS ソニーの日本盤を買った。だから少しだけ遅れたはず。

 

 

そ〜れ〜で、もう繰返し聴いた、なんてもんじゃないくらいなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんども、聴いたんだよ、あの『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』を。だってね、本当に待ちに待ったものだったから。あれほどまでに待ち焦がれた最愛の恋人がいま自分の目の前にあるわけだからさ。愛でまくったなんてもんじゃなかったんだぜ。

 

 

そんなわけで僕がいままでの55年の人生で最も回数多く聴いたマイルズは、復帰盤『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』になるわけなんだよね。当時はただ「ようやく会えた」という思いだけで胸がいっぱいで、音楽的なことなんかたぶんぜんぜん分っていなかった。はっきり言えばマイルズの新しい作品が聴けさえすればよかった。もうそれだけで充分すぎるほど充分だった。人生で自分の愛する異性にとうとう巡り会えて、いままさに自分の眼前にその人がいるのだとなれば、もうそれだけで、一緒の空間にいるというだけで、充分満足じゃないか。

 

 

いま2017年に冷静で落ち着いた気持でマイルズの『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』を聴きかえすと、これはこれであんがい悪くないぞって思う。というかけっこういいぞ。それも、村井康司さんの上記新著で触れられている「さすがに困りました」(p. 242)という、村井さんの言葉を借用すると、二曲の「どフュージョン」「ディスコ」がいいんだよね。村井さん(はさすがに曲名は書いていないが)の言っているのは、もちろん A 面ラストだった「シャウト」と B 面二曲目「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」のこと。

 

 

 

 

この二曲がどうしてあんがい悪くないかというと、これらこそ<1981年のサウンド>なんだよね。村井さんの言うディスコ、そしてこの当時かもうちょっとあとだったか流行していた新用語ブラック・コンテンポラリー とか、まさにそのへんど真ん中じゃないか。ジャズ・サイドからそっちへ行った人でいえば、クインシー・ジョーンズの、やはり1981年のアルバム『愛のコリーダ』(The Dude)。似ているなんてもんじゃない、ソックリなサウンドだよね。

 

 

マイルズの「シャウト」「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」の二曲は、ほかの四曲とは録音パーソネルが、ボスとサックスのビル・エヴァンスだけを除き、ほかは全員違っている。アルバムの本体(だと当時僕は考えていた)は、アル・フォスターやマーカス・ミラーらを中心とするメンバーだけど、上記二曲だけはシカゴのほぼ新人たちで構成されている。

 

 

その新顔のシカゴ人脈というのが、ほかならぬロバート・アーヴィング III(鍵盤)やフェルトン・クルーズ(ベース)やヴィンセント・ウィルバーン(ドラムス)などなんだよね。これ、1984年にマイルズが自分のレギュラー・バンドにと雇った連中じゃないか。ライヴ・ツアーをやったのはもちろん公式スタジオ録音作品もあって、当時から発表されている。ベースのフェルトン・クルーズだけは雇うのが86年になったけれど、まあほぼ同時期というに近い。

 

 

そんな1984〜85年あたりからマイルズがどんな音楽をやりはじめたのか、ちょっと思い出してみてほしい。まさに1980/81年録音のアルバム『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』の「シャウト」「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」の路線じゃないか。つまりこれら二曲は81年のリリース当時こそボロカス言われていたが、数年後のマイルズ・ミュージックを先取りしていたんだよね。鍵盤シンセサイザーの分厚いサウンド、ポップでメロウでダンサブルな曲調など、当時のブラック・ミュージック・シーンと同調したような傾向のジャズってことだよね。

 

 

とはいうものの、アルバム『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』のリリースに続いて行われたライヴ・ツアーで起用したカム・バック・バンドが、やはりああいったメンツだったし、だからシンセサイザー奏者もいないし、そもそもできないからなのかやりたくなかったのか、ライヴでは『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』からだと「バック・シート・ベティ」「ファット・タイム」「アイーダ」しか演奏しなかった。たまに「アーシュラ」(ウルスラ)をやることもあったが、ほかは「ジャン・ピエール」「キックス」という二つの新曲と、ガーシュウィンの「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」の再解釈 〜 これでカム・バック・バンドのレパートリーは文字どおりぜんぶになる。

 

 

少し違う話になってしまう『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』の(本体である?)ほかの四曲のことは、また改めて書くしかない。一曲目のスパニッシュ・スケール・ナンバー「ファット・タイム」はクール・サウンドだとか、二曲目「バック・シート・ベティ」にある中南米アクセントだとか、なぜだか4/4拍子のラスト「アーシュラ」は電化された新主流派ジャズだとか、こういった話は別の機会に改めましょうね。な〜んだ、あんがい面白いアルバムなんじゃん、『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』って。

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