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2017/11/25

アジアの洗練(1) 〜ジャズ・ファンも聴いてほしいサローマとひばり

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(記事題は PUFFYのヒット曲からいただきました。)

 

 

こういうのこそ Spotify で聴けるようにしてほしいサローマの『ポリネシア・マンボ~南海の国際都市歌謡』。でも入っていないのはあたりまえだ。この田中勝則さん選曲・編纂・解説のディスコロヒア盤は、サローマの初期音源を復刻した世界初の CD で、2013年のリリース。ってことは、このへん、すなわち1950年代後半から60年代初頭あたりのサローマの歌は、いまだ世界でこれ一枚しかないのかもしれない。

 

 

だいたいディスコロヒア盤をそのまま Spotify で聴けたらいいなぁ〜って思う僕が間違っているわけだけれど、Spotify にあれば、ふと、どなたかが出会うことがあるかもしれない。それであっ、これはイイ!ってなる可能性は十分ある。っていうか聴いてもらえさえすれば、このころのサローマの歌は、みんな好きになると思うよ。間違いない。特にジャズ・ファンがね。だってコスモポリタンに洗練されていて、しかもストレートなジャズ・ナンバーだって多いんだもん。

 

 

その1950年代後半〜60年代初頭あたりのサローマがどこの「国」の歌手だったのか?ということは、非常に言いにくいみたいだ。僕のばあい、田中勝則さんのディスコロヒア盤はぜんぶ買うと決めているからサローマの『ポリネシア・マンボ~南海の国際都市歌謡』も買ったけれど、それを放置したままにしていて、最近本気で聴きなおし、田中さんの解説文もじっくり読んで、僕はマレイシアの歌手だと思っていたのだが、そのへんの事情が難しいのだと知った。

 

 

詳しいことは、ぜひディスコロヒア盤『ポリネシア・マンボ~南海の国際都市歌謡』を、どっちかというとエル・スール(http://elsurrecords.com)で買って、解説文をお読みいただきたい。アマゾンなどのネット通販や一般の CD ショップでも買えるけれど、エル・スール(http://elsurrecords.com)で買うと非売品の特典 CD-R が付いてくるからだ。こういうケース、わりと多いんだ。ディスコロヒア盤やエル・スール盤などは、ぜひエル・スールで買ってほしい。

 

 

 

僕なんかがくどくど説明しても、それはぜんぶ田中勝則さんの文章の受け売りなので、劣化コピーにしかならない。それだったら CD『ポリネシア・マンボ~南海の国際都市歌謡』をお買いになったほうがいいんじゃないだろうか?エル・スール(http://elsurrecords.com)でさ。お願いします。エル・スールさんの商売を助けたいという、たんなるマワシモノ根性です。いや、違います、ディスコロヒア盤『ポリネシア・マンボ~南海の国際都市歌謡』で聴けるサローマは、本当に素晴らしい歌手なんです。それを買えば無料で特典 CD-R が附属するんですから。ぜひエル・スールで、ってもうくどいっちゅ〜ねん。

 

 

 

それでもやっぱり劣化コピーなりに書いておくと、端的に1950年代後半のレコード・デビューから60年代頭ごろのサローマは、シンガポールを拠点として活動していた。このころのシンガポールは、もちろん国際都市だけれど、マラヤ連邦の一部。現在でいうマレイシアという国家が誕生するのは1963年で、シンガポールは65年に都市国家として分離独立。サローマと夫の P ・ラムリーが、マレイシア成立後、シンガポールを離れクアラルンプールで活動するようになるのが64年の末(ってこの段落ここまで、ぜんぶ田中勝則さんの受け売りだが)。その後、マレイ系のサローマの歌は変化したらしいので、いいか悪いかはともかく、コスモポリタンティズムは失われたのかもしれない。

 

 

そのへん、僕はディスコロヒア盤『ポリネシア・マンボ~南海の国際都市歌謡』一枚しか聴いていないサローマの、その後のマレイシア時代の歌もちゃんと買って聴いてみないとね。ともかくいまは、手許にあるこの一枚で聴けるサローマの歌が、伴奏も、素晴らしく国際的に洗練されているという話を、それも日本の歌手で言えば美空ひばりの10代のころにソックリだ、っていうか同資質の歌手だったということを、少し書いておきたい。

 

 

美空ひばりの10代というと1940年代末〜50年代後半あたりだから、レコードだけでたどるとサローマのほうが少しだけ後輩だ。サローマがひばりを聴いていたかどうかは分らない。日本統治時代もあったとかには関係なく、レコードは入っていただろう。だがそれはたいしたことじゃない。音楽性、歌手としてのありようとして根本的に「同じ」だと僕には聴こえることが大きなことだ。

 

 

それは日本やマレイの伝統に沿う部分も持ちながら、輸入されたジャズや各種ラテン・ミュージックの要素が濃くあるというアジアの女性歌手二名だってこと。ストレートな自国のルーツ・ミュージックっぽさが、ひばりやサローマの魅力を本当に十分に引き出すのかというとそこは微妙な問題で、多国籍的、すなわち国際都市としての東京(といってもひばりは横浜だが、やはり多国籍都市)やシンガポールにあって、日本系やマレイ系のルーツに縛られすぎず、よりのびのびと開放感のあるジャズ/ラテンっぽい歌謡をやったたときのほうが、ひばりもサローマも生きるってことじゃないかなあ。

 

 

ひばりにたくさんのジャズやブギ・ウギやラテン・ナンバーがあることは、いまさら僕が指摘する必要はない。10代、正確には1949〜57年のひばりが歌うそれらはみずみずしくて、本当に素晴らしかった。その後、いわゆる演歌路線に行って、演歌がいけないっていうんじゃなく、「柔」みたいなあのべったりと重たいフィーリングは、ひばり本来の持味じゃなかったと僕は思う。「河童ブギウギ」「お祭りマンボ」といったオリジナル曲や、「上海」「アゲイン」といったジャズ・カヴァー曲で聴ける、ひばりのピチピチしたチャーミングさとノリの良さは、ある時期後、失われた(…、ってことも、やっぱり書いておかなくちゃいけないのだろうか?)。

 

 

ひばりのやった「上海」「アゲイン」は、どっちもアメリカでドリス・デイが歌ったレパートリーで、ひばりのはそのコピーなんだよね。そして、シンガポールで活躍したマレイ系のサローマのルーツにもドリス・デイがあるみたいだ。田中勝則さんによるディスコロヒア盤解説文にある、サローマの妹ミミローマの回想によれば、レコード・デビュー前のクラブ歌手時代のサローマの歌はドリス・デイに似ていたらしく、実際、ドリス・デイの「アゲイン」なんかはクラブでよく歌う得意レパートリーだったとのこと。

 

 

ドリス・デイが「アゲイン」を録音したのは1949年で、ひばりヴァージョンのレコードは53年の発売。サローマがシンガポールのクラブで歌っていたのも、たぶんひばりの録音と同じころの50年代前半あたりだったんだろう。アメリカでロックが勃興する直前の時期で、アメリカン・ポップ・ソングの世界は爛熟期だった。以前書いたパティ・ペイジもそのあたりに位置する歌手だ。僕自身はロック・ミュージックになんらの嫌悪感もないけれど。

 

 

ひばりもサローマも、そんな1940年代末〜50年代前半のアメリカのジャズや、ジャズっぽいポップ・ソングの世界からたくさん学んで、それを自国の音楽伝統とどう一緒にできるかを考えて歌い、それでアジアの洗練を身につけたんだろう。ひばりのばあいは、ラテンといってもマンボっぽいようなものが少しあるだけで、それよりもブギ・ウギ色が大きかった。サローマのばあいは、ラテンだとボレーロやチャチャチャもあり、またツイストみたいなダンス・ソングもあって、それはマレイの伝統民謡をとりいれて現代化したような感じということになるらしい。

 

 

だからどっちかというとひばりよりもサローマのほうがコスモポリタンで、洗練度が高く、しかも本当に素晴らしかった10代のころのひばりにはない、成熟した大人の女性としてのセクシーな色香も歌のなかにあるっていう、こんな歌手、なかなかいないよなあ。マレイの伝統的楽曲を表現できながら、ジャズやラテン・ナンバーも見事に歌いこなしているんだから、かなり稀有な天才女性歌手だ。サローマこそ、音楽界における<アジアの洗練>の呼び名にふさわしい。

 

 

もちろんひばりの10代のころの魅力は、まだ女性としては成熟していない部分にある。中性的というかボーイッシュで、湿った情緒がなくサラリと乾いていて、ブギ・ウギやジャズやラテンなどなどをノリよく歌いこなす軽いグルーヴィさに、あのころのひばりの素晴らしさがあった。いわゆるオンナをあのころのひばりに求めるのは完璧な筋違いで、歌手の魅力はそんな部分にだけあるんじゃない。

 

 

サローマのばあいは、大人の女性としてのセクシーな表現もしながら、ティーネイジの少女歌手みたいなみずみずしいピチピチした輝きとノリの良さはぜんぜん失っていないいばかりか、さらに一層磨きがかかっているんだから、だからディスコロヒア盤のサローマ『ポリネシア・マンボ~南海の国際都市歌謡』を買って聴いてほしいんだよね。

 

 

最後に、このディスコロヒア盤から、やっぱりちょっと音源をご紹介しておこう。参考にしてほしい。

 

 

ジャズ楽曲としては、12曲目「空想のお城」(Mahligai Kayangan)。ちょっとハスキーな感じもあって、ますますセクシーだ。1961年ごろの歌らしい。女性ジャズ・ヴォーカル好きの方であれば、なかなかたまらない味わいじゃないだろうか。レコード・デビュー前のクラブ歌手時代には、こういうのをやっていたと思うので、これがサローマの素顔だったのかもしれない。

 

 

 

マレイ伝統色を出しながらのラテン(ボレーロ)としては、これも1961年ごろのものらしい11曲目「母の祈り」(Doa Ibu)がかなり素晴らしいと思うのだが、それが YouTube で見つからない。じゃあやはり相当にディープな洗練を聴かせもっと魅惑的な、59年ごろ?のマレイ・ボレーロである4曲目「涙とともに」(Dengan Air Mata)を…、と思ったらそれもないのか。う〜ん、こりゃいけません。絶対にご紹介しなくては。僕が自分で上げといた。

 

 

 

 

ディスコロヒア盤のタイトルにもなっている、1955年か56年の録音である一曲目「ポリネシア・マンボ」(Polynesia Mambo)は、ふつうに YouTube にあった。

 

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コメント

おもしろいなぁ。とんちんが言ってることが良くわかるよ。
若大将シリーズを見ながら、モスラのピーナッツを聴いて、おまけにひばりさんを思い出してみるって感じだな。この鼻からすっと抜けながら微妙なヴィブラートがかかるところにそそられるよ。いいね♪

ねっ!女性ジャズ・ヴォーカル好きだったら、こういうの間違いなく好きになると思うなあ〜(╹◡╹)。

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