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2017/11/13

池玲子のポルノ歌謡

 

 

東映のポルノ女優だった池玲子。1953年生まれなので、もちろんお元気でいらっしゃると思う。この方はスクリーン・デビューが1971年の『温泉みすず芸者』で、ってことは当時の池は19歳。僕自身は池が出演する映画を映画館でも自宅でも観たことは一度もないのだが、池がそのデビューの年にテイチクに録音して発売された一枚の音楽アルバム『恍惚の世界』。これがひどいのだ(笑)。全12曲で計36分間、完璧なるセックス・ワールドが展開されている。

 

 

僕はリイシュー CD で池玲子の『恍惚の世界』を持っているのだが、それはストレートなテイチク盤ではない。そのままではとてもリイシューできなさそうだ。っていうかそもそも1971年のテイチクだって、よくこんな LP アルバムを発売できたもんだよねえ。僕が持つのは TILIQUA と書いてあるレーベルからのリイシュー CD なんだけど、どこだろうこれ?いちおうテイチクのライセンス下で云々と(英語で)記してある。ダブル・ジャケット体裁や、その他もろもろ、オリジナル仕様を復元しているんじゃないかなあ。

 

 

まあお仕事ですがゆえ〜。ポルノ界と縁がない音楽家だってセックス・ソングはよくやるものだ。性は人生にとって最も重要なもので、日常生活のことだから、特に音楽が日常生活と密着するようになった時代以後は、本当に多い。アメリカ大衆音楽界だと、最初のティン・パン・アリー時代のソングブックはわりとお上品なというか、はっきり言ってしまうと浮世離れしたものが多く、庶民のふだんの生活に寄り添うようになるのは1940年代のジャンプ・ミュージック以後だ。ルイ・ジョーダンや、その流れをくむリズム&ブルーズ、そしてチャック・ベリーあたりから、セックスが日常であることをさほど隠さないようになった。

 

 

それでも池玲子の1971年テイチク盤『恍惚の世界』ほど露骨なものはなかなかない。セックスは人間の日常生活云々と書いたけれど、池の『恍惚の世界』は、こりゃ日常ではないエクスタシーが音に存在する。いちばん上でご紹介した Spotify リンクで聴いていただきたいのだが、そうすればどなたでもこのことが納得できるはず。こんな世界はふつうの人間の日常生活にはないものだ。

 

 

それでもセックス、というかエクスタシーの世界を徹底追求した結果、池玲子の『恍惚の世界』は、ある種の美しさを獲得していて、その美しさにおいては価値観が逆転してしまい、ティン・パン・アリーの世界と同質の、ちょっとこう、現実離れした高みにあるというか、リスナー側としては手の届かない夢の世界を妄想して、なんとなくボヤ〜っといい気分にひたるっていう、そんなアルバムじゃないかなあ、池玲子の『恍惚の世界』は。

 

 

などと書いてはみたものの、池玲子の『恍惚の世界』はひどいというか露骨だ。これ、しかしこんな声をレコーディング・スタジオでシラフで出していたわけだから、やっぱりプロの仕事だなあ。録音当時の池は19歳だったわけだけど、彼女のプロフェッショナルな姿勢、ありようを賞賛したい。10代のデビュー当時とはいえ、ポルノ女優としてこれくらいの仕事は難なくこなしたってことかなあ。

 

 

池玲子の『恍惚の世界』。収録の12曲はぜんぶカヴァー・ソング。一番上でリンクを貼った Spotify にあるものは表示がぜんぶ英語なので(それしかなかった、日本語そのままではとてもリイシューできなさそう)、中身は日本語で聴けばだれだって分る有名歌謡曲ばかりだけど、いちおう以下にそれを一覧として記しておこう。僕の持つ TILIQUA 盤リイシューの CD では、ぜんぶ日本語表記だから(でも肝心な部分が英語だったりするのだが(^_^;)。

 

 

池玲子『恍惚の世界』(1971)ー 括弧内は初演歌手とそのレコード発売年

 

 

1. 女はそれをがまんできない(大信田礼子、1971)

 

2. よこはま たそがれ(五木ひろし、1971)

 

3. めまい(辺見マリ、1971)

 

4. 雨がやんだら(朝丘雪路、1970)

 

5. 夜明けのスキャット(由紀さおり、1969)

 

6. さすらいのギター(小山ルミ、1971)

 

7. 私という女(ちあきなおみ、1971)

 

8. 雨の日のブルース(渚ゆう子、1971)

 

9. 恋の奴隷(奥村チヨ、1969)

 

10. 経験(辺見マリ、1970)

 

11. 天使になれない(和田アキ子、1971)

 

12. 愛のきずな(安倍律子、1970)

 

 

もとからセクシーな香り漂う曲が多いが、これらが池玲子の手にかかると、どこからどう聴いても完璧なポルノ・ミュージックへと変貌している。池の手にっていうか、所属していた当時の東映のスタッフと、それからテイチクの製作陣の仕事として、デビューしたての池を売ろうとして、プロモーションの一環として『恍惚の世界』みたいなものが企画されたってことかなあ。池はそのアイデアに乗って歌った、というかレコーディング・スタジオであえいだだけだったかも。

 

 

そう、アルバム『恍惚の世界』での池玲子はもちろんメイン・ヴォーカリストとして歌っているが、それ以上にメイン・ウィスパラーというか、あえぎ担当として、東映映画で握る刀をマイクに持ち替えて、そんな声ばかり出しているんだよね。いわゆるふつうの意味で歌っている時間よりも、セクシーに、いやそのまんまのセックス描写として、あえいでいる時間のほうが長い。

 

 

歌の内容はみなさんご存知の曲がほとんどなので、なにも説明する部分はない。また池玲子の歌いかたというかあえぎかたも、まったく説明しておく必要はないはず。必要があったとしてもそれを克明に記せばただの猥褻文にしかなりませんがゆえ〜。いちばん上でリンクを貼った Spotify のプレイリストでお聴きいただきたい。それだけでなにがどう展開されているのか、みなさん分ります。

 

 

露骨なセックス関連ではないことも、最後にちょっぴり書いておこう。それは池玲子の『恍惚の世界』で聴けるバンドの伴奏サウンドについてだ。マジメなジャズ・ファン向けのことからまず書いておくと、アルバム・ラスト12曲目の「愛のきずな」にはソプラノ・サックスの短いソロが挿入されているが、それは完璧なジョン・コルトレイン・スタイルだ。そこだけ転調するしね。

 

 

1971年録音だから、ソプラノ・サックスの吹きかたはコルトレイン一色に塗りつぶされていたはず。あんな感じのソプラノ・サックスが、ポルノ・ミュージックの一部として機能して、淫美に響くのも面白い(…、ってやっぱり怒られそうだ)。この部分以外のアルバム全体で聴こえるテナー・サックスは、サム・テイラーみたいなムーディさ…、って当たり前だ。

 

 

池玲子の『恍惚の世界』アルバム全体で最も目立つ伴奏サウンドはクイーカの音だ。例のブラジリアン・パーカッション。豚の鳴き声みたいな、あのクゥイ〜〜っという音は、みなさんも耳にしたことがあるはず。僕のばあいマイルズ・デイヴィス・バンドでブラジル出身のアイアート・モレイラが使っているのではじめて耳にした楽器だ。クイーカのあのクゥイ〜っていう音が池のあえぎ声にからんで、なんだか…。こういう効果を出すことができるパーカッションだったんだ…。

 

 

アルバム『恍惚の世界』全体の伴奏サウンドは、やっぱり1971年当時の日本の歌謡曲のそれだけど、ちょっと違う部分もある。それはサイケデリック風味が強く出ているところだ。アメリカのロック・バンド、13th ・フロア・エレヴェイターズとか、あのへんのサイケ・ポップ〜ロックなサウンドに(アルバムのぜんぶでないが)とてもよく似ている。

 

 

1971年のテイチク・スタジオで、ミュージシャンたちがサイケを意識したかどうか分らないが、そもそもサイケデリアって幻惑感、陶酔感をもたらす知覚混乱の表現だから、池玲子のイクスタティック・ワールドを表現するのにはもってこいの音楽スタイルだよねえ。

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