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2017/11/29

南洋の河内音頭ジャズ 〜 別テイクのほうがいいハービーの「ウォーターメロン・マン」

 

 


ハービー・ハンコックのデビュー・アルバム1962年の『テイキン・オフ』。これについてお気楽にいい加減なことを書いておこう。っていうのは、以前、この作品にかんしやや大げさな前振りをしてしまい、なんだか大層なことを書くぞみたいに言ってしまったせいで、書きにくくなっているんだ。自分で自分の首を絞めちゃっていて、このままだといつまで経っても書かずじまいに終わりそう。だから方針転換。軽い気分でテキトーなことを書いておく。

 

 

ハービーの『テイキン・オフ』現行アルバムは、上の Spotify にあるものでご覧になっても分るように、三曲のボーナス・トラックが追加されている。まず最初、1996年の CD リイシューの際にそうなって、その計九曲のまま2007年にルディ・ヴァン・ゲルダー・リマスター盤が出た。僕はもっぱらその RVG リマスターの2007年盤で聴いていて、Spotify にあるものも、それをそのまま使ってある。

 

 

高音質化もボーナス・トラックもふだんは不要だと思うことの多い僕だけど、ハービーの『テイキン・オフ』のばあい、「ウォーターメロン・マン」の別テイクだけは面白い。ほかにも追加の二曲の別テイクはぜんぜんいらない。「ウォーターメロン・マン」だけ二種類あればいい。たんに僕が大好きなラテン・ブルーズ(16小節構成)で、こんなのが1970年代以後のファンク・ハービーのルーツだということはもちろんある。でもそれだけじゃないんだ。別テイクは本テイクと大きく違うんだよね。そしてこの二つのことはかなり関係がある。

 

 

ハービー1962年の「ウォーターメロン・マン」二種類がどう異なっているのか、上の Spotify にあるアルバムはネット環境さえあればパソコンでもスマホでも聴けるので、ぜひ聴き比べていただきたい。アルバムのオープナーである本テイクのほうはあまりにも有名だから、どっちかというと七曲目の別テイクのほうに力を入れて耳を傾けてほしい。

 

 

「ウォーターメロン・マン」別テイクのほうは、リズムのノリが本テイクよりもずいぶんとリラックスしているよね。くつろいでいる。ブルーズ・ロックの世界で言えば、例のレイド・バックしたようなフィーリングってやつになるんじゃないかなあ。レイド・バック。ロック好きのみなさんには説明不要の用語だが、今日のこの文章はジャズだけを聴くファンのかたがたもお読みになる可能性があるので、少しだけ説明しておくと。

 

 

端的に言えば、メトロノーム的にきっちりのリズムではなく、小節をいっぱいに使ってゆったり大きくノるってことかなあ。(主に米南部ふうブルーズ・)ロックの演奏の際、ヴォーカルやギターなど上物が、リズム・セクションの刻むビートにほんの少しだけ遅れているかのような歌いかたや演奏法をして、するとゆったりとくつろいだようなフィーリングが出せる。いわゆる後乗りということかどうか言うのは僕には自信がないが、ひきずるような粘り気とリラックスした感じが出るので、みんなよくやるんだよね。

 

 

ハービーの1962年「ウォーターメロン・マン」別テイクでも、そんなフィーリングが本テイクよりも強くあるように僕には聴こえる。間違いないと思うんだけどね。出だしのリズム・セクション三人によるイントロはほぼ同じだが、まずトランペット&テナー・サックスによるテーマ吹奏がかなり鮮明にスタッカートを多用する。どっちが先に録音されたテイクなのか、それが分らないのが個人的にはかなり悔しんだけど、ハービーの譜面が違うんだろう。あるいは譜面は同じだったとすれば、演奏前のヘッド・アレンジで確実に指示している。

 

 

その鮮明で強烈にスタッカートを効かせたテーマ吹奏部分だけでも、別テイクの「ウォーターメロン・マン」のほうが、本テイクよりも一層濃厚にファンキーだ、と僕は感じるんだけどね。より強く跳ねているしね。だから本テイクでもはっきりしているラテン・アクセントを、より強く感じることができるんじゃないだろうか。

 

 

あんなふうなスタッカートは本テイクに存在しない。トランペット(フレディ・ハバード)とテナー・サックス(デクスター・ゴードン)のソロになると、二名のソロ内容ともフレイジングは基本的に本テイクとあまり変わらないが、ノリははっきりと違うもんね。一層リラックスして、悪く言うとモタっているが、つまりレイド・バックしている。フレーズの末尾末尾でも。

 

 

別テイクでは、フレディ・ハバードも粘っこく吹いているが、それ以上にデックスのテナーがリラックスしていていいよなあ。途中、ブルーズ歌手リル・グリーン1941年の「ワイ・ドント・ユー・ドゥー・ライト」(ギターはビッグ・ビル・ブルーンジー) の一節を引用しながらソロを吹くあたりもいい(3:15〜3:21)。でもこれ、本テイクのほうにもあるんですが〜(3:13〜3:19)> 原田和典さん。それから原田さん、デックスのこの引用、どっちかというとポップ・ヒットした1943年のベニー・グッドマン楽団のヴァージョン(歌はペギー・リー)を下敷きにしたのではないでしょうか?

 

 

 

 

イントロ〜テーマ吹奏〜ホーン・ソロのあいだのハービーのピアノは、ずっとブロック・コードでアーシーなリフを叩いていて、これは間違いなくゴスペル由来だね。もちろん本テイクでもそうなのだが、別テイクでの弾きかたのほうがより粘っこくてイイネ。粘っこいといえば、ドラマーがこれまたビリー・ヒギンズなのだが(ホント多いなあ、リー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」も、デックスの「カーニヴァルの朝」もヒギンズだしな)、ドラミングも別テイクのほうが、より一層強い粘り気を出しているよね。

 

 

「ウォーターメロン・マン」別テイクのビリー・ヒギンズはスネアのロールも多用したりして、シンバルの叩きかたやハイ・ハットとあわせ、こりゃまるで河内音頭みたいな祭囃子グルーヴに聴こえる。しかも曲はブーガルーみたいなラテン・ブルーズなんだから、南洋ふうな河内音頭と化している。ような気がする、個人的には。う〜ん、こ〜りゃイイネ。別テイクで、同じ1962年5月28日に録音されながら、1996年までずっとお蔵入り状態だったなんて〜。シンジランナ〜イ。

 

 

最後にまたまた原田和典さんに異を唱えるけれども、別テイクのほうがマスター・テイクとして選ばれて当時発売されていたら、もっともっとクロス・オーヴァー・ヒットになっていたと僕は思うなあ。ジャンルを超えてもっと支持を拡大できていたと思う。それが疑わしいと原田さんはおっしゃるのだが、「ウォーターメロン・マン」がポップ・ヒットしてダンス・クラシックスとなったのは、ハービーのオリジナルによってではなく、直後にモンゴ・サンタマリアがやったカヴァー・ヴァージョンのおかげだもんね。

 

 

 

ありゃ〜、しかしハービーの『テイキン・オフ』の話をすると言いながら、「ウォーターメロン・マン」の、それも別テイクのことしか書かなかったぞ〜(^_^;)。いつもいつものことではありますが、毎度こんな調子でスンマセン。ハービー自身による(ファンク化された)セルフ・カヴァーも含め、いろんな「ウォーターメロン・マン」のことも、一度はまとめてみたいと思っちょりまする〜。大上段に構えた大げさで大層なことは、結局、書けたような気がしないでもありません。

 

 

こんなブーガルー・ブルーズが…。

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