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2017/11/23

フュージョンのようなそうでないようなダニー・ハサウェイのライヴ

今日はダニー・ハサウェイのアルバムのなかで僕が一番好きな『ライヴ』のことだけとりあげたいのだが、これも当然アトランティック盤(正確にはアトコだが、ここはアトランティックの一部なので)。ダニーのアルバムは、死後リリースも含め、ぜんぶ(アトコや)アトランティックからリリースされている。

がしかしそれまでの、いわゆるアトランティック・ソウル(ウィルスン・ピケットとかオーティス・レディングなど)と比較すると、あまりにも違う。ダニーのばあい、その音楽を、いわゆるソウル・ミュージックのなかにくくってもいいのかどうか迷うほど。実際、ぜんぜん泥臭く攻めないし、言葉はあれだけどちょっとこじゃれた感じの、そうだなあ、ソウル・ミュージックと関係あるところでいえば、1980年代の例のブラック・コンテンポラリーを10年以上前にやっていたような感じじゃないだろうか?

1971年録音72年発売の『ライヴ』には、例えば A 面に キャロル・キングの「君のともだち」、B 面にジョン・レノンの「(僕は)やきもち焼き男」があるのだが、これら二曲を、例えばウィルスン・ピケットが歌ったと想像してみよう。ウィルスン・ピケットだけじゃない、多くの男性ソウル・シンガーは、ダニーが『ライヴ』でやっているほどピッタリと、これら二曲をサマになるようには歌えないはずだ。

だから多くのソウル系音楽家とダニーとは、もうだいぶ資質が違うんだよね。ダニーはどっちかというとジャズ・マンに近いものがある。歌いかたもそうだし、フェンダー・ローズの弾きかた、特にコード・ワークにおいて入れる代理コードの選びかたなど、かなりジャジーだ。『ライヴ』になった1971年のパフォーマンス時点でまだこの用語はなかったが、フュージョンっぽいようなところがあるアルバムだよね、このライヴ盤は。

『ライヴ』は、本当かどうか知らないが一説によれば、ダニーのアルバムのなかで最も影響力の強いものなんだそうで、また評者によっては、ありとあらゆる世界の音楽ライヴ・アルバム中ベスト10に入るものだとか、そんなに評価が高いこともあるらしい。ってことは、これはたんに僕の好みだってだけのことじゃないんだろう。

ダニーの『ライヴ』では A 面が完璧で、曲もいいし、一個一個の演唱も粒ぞろいで、しかも四曲の流れも素晴らしく考え抜かれていて、文句なしだ。B 面だって負けず劣らずいいのだが、A 面のあまりの完璧さとは比較できないよね。いちばん上でリンクを貼った Spotify のアルバムだと、四曲目の「You’ve Got A Friend」までがアナログ LP で A 面だった。

ところでこの Spotify のアルバムでは書いてあったりなかったりで、少しミスリーディングかもしれないので、ご存知ないかた(っているのだろうか?)のため念のために付記すると、ダニーの『ライヴ』は A 面と B 面ではっきりと録音場所が分けられている。A 面は1971年8月のロス・アンジェルスでのライヴで、B 面は同年10月のニュー・ヨークでのライヴ。演奏メンツも、リード・ギターだけは入れ替わっていて、ロスではフィル・アップチャーチだが、ニュー・ヨークではコーネル・デュプリー。ほかは全員同じ。

ダニーの『ライヴ』。 A 面が完璧すぎるっていうのは、マーヴィン・ゲイの「ワッツ・ゴーイング・オン」で幕開けして、二曲目が長尺インストルメンタルでフュージョン・ナンバーと化している「ザ・ゲトー」が来て、観客とのやりとりも演奏も熱いそれが終わったかと思った次の刹那、その汗を拭かんとばかりに三曲目の「ヘイ・ガール」で爽やかコンがが鳴って、瞬時にダニーのおしゃれなフェンダー・ローズが来て、やっぱり爽やかに歌う。フュージョン・ヴォーカル・ナンバーみたいなそれが終わると、四曲目「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」で、弱っている人にもやさしくソフトに寄り添ってくれる。ともだちが来て夜になって、ここで A 面が終わるから、ここまでが完璧な流れなのだ。いや、もちろん B 面だっていいのではあるけれど。

ダニーのいちばん素晴らしいところは、書いてきたようにジャジーなコード・ワークをして、演奏全体もフュージョンっぽし、「ザ・ゲトー」とか「リトル・ゲトー・ボーイ」とか曲題はそうなっているが、現実の黒人ゲットーのありようをそのまま切り取ってきたかのような部分はなく、やはりおしゃれで洗練された演奏と歌になっているものの、しかしジャズやフュージョンみたいな、黒人共同体基盤から離れて上昇しようという志向、メンタリティは、ちっとも感じないところだ。少なくとも僕は感じない。

もちろんライヴ現場だったロスのトゥルバドゥールとか、NY のビター・エンドとかって、例えばハーレムのアポロ・シアターやシカゴのリーガルやフィラデルフィアのアップタウンなどといった黒人音楽だけのメッカみたいな場所じゃないだろう。でもトゥルバドゥールとビター・エンドのアット・ホームな雰囲気に囲まれて、ダニーもバンド・メンもふだんどおりの姿で、ジャジーな演奏とはいっても決して着飾ったような雰囲気じゃなく、メイクをしすぎない素のままのナチュラルな顔を見せているように思う。

その点、ジャズ(とかフュージョンとか)って、やっぱりどこか<よそ行き>だよなあ。ふだんどおりじゃなく、格好つけたような音楽だ。むろんそこがジャズの魅力なんだけど、例えば『ライヴ』で聴けるダニーの音楽は、ジャズからたくさん吸収しているにもかかわらず、黒人共同体内部にあり続けているような、うわついたところのないような、そういうものだと僕には聴こえるんだよね。

だからちょっと聴いた感じ、ガツンとハードに来ないし泥臭くもないし、ソウル・マンとしてはなんだかちょっとみんなと違うなぁ〜っていうダニーだけど、『ライヴ』で聴いても、やっぱり日常的に身近なブラック・ミュージックなんだよね。同じアメリカ黒人音楽でも、ジャズとはここだけが本質的にまったく違う立ち位置にある。ように僕には聴こえるけれどね、ダニーの音楽は。『ライヴ』を聴きなおしこれを再実感した。間違っているかもしれないが、これが僕の考え。

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