フィーリンが隠し味のナット・キング・コール戦後録音盤(&スペイン語歌曲集プレイリスト)
ナット・キング・コール。1940年代初期のトリオものが一番好きだというのは、だいたいみなさん同様だと思う。デッカとキャピトル(時代の初期)に、ピアノ+ギター+ベースのトリオ編成で残した作品の数々は、特にデッカ時代のものなど、ときおりジャイヴ・ミュージックとして扱われたりもするよね。たしかにちょっと辛口な感じだが、僕の耳にはナット・キング・コールのトリオものは、デッカ時代も初期キャピトル時代もほぼ似たように聴こえる。
それでも、ナット・キング・コールにとって最初期からのレパートリーで代表曲の「スウィート・ロレイン」を、デッカ録音ヴァージョンとキャピトル録音初回ヴァージョンで比較すれば、う〜ん…、やっぱり違うなあ。だいたいが大甘な曲ではあるのだが(だからナットはそもそもそういう歌手だ、後年のポップ歌手時代よりもずっと前のデビュー期から)、デッカ・ヴァージョンはややテンポ速めで甘さ控えめのビター・チョコ。キャピトルへの初回録音ヴァージョンで少し砂糖とミルクを増やしている。
っていうかさぁ、音楽における大甘味がどうしてそんなにダメなのか?除外しないとイケナイものなのか??ラヴ・ソングなんて甘けりゃ甘いほどいいじゃないか!?どうしてなんだ??サァ〜ッパリ分らんぞ〜っ!!ていう根源的な大疑問がおおむかしから僕のなかにはあるんだけど、ここを掘り下げようとすると、実にいろんなところの実にたくさんの方々のたくさんの発言にツッコミまくらなくちゃいけないことになる。そんな時間も精力もないので、ため息だけついて諦めているんだよね。ハァ〜。
まあそんな甘口ラヴ・ソングの「スウィート・ロレイン」を、ナット・キング・コールは第二次世界大戦後もキャピトルに再録音し、アルバム収録されてリアルタイムでリリースされている。1956年録音57年発売の『アフター・ミッドナイト』だ。大学生時代からの僕の最愛ナットなので、このアルバムの話を今日は少ししておきたい。
「スウィート・ロレイン」を再演していると書いたが、『アフター・ミッドナイト』オリジナル・フォーマットのレコード収録全12曲は、ほぼすべて有名なポップ、ジャズのスタンダード曲ばかり。「スウィート・ロレイン」以外でナット・キング・コールのイメージが定着しているものは、CD だと5曲目の「イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーン」と、ラスト12曲目の「ルート 66」だよね。
前者はいろんなジャズ歌手もよく歌うものなので100%説明不要だ。後者「ルート 66」は、ロック・シンガーだってよく歌うので、ジャズ寄りのポップ・ミュージックをお聴きでない方だってご存知のはず。ローリング・ストーンズもデビュー・アルバムでやっていたよね。僕はあのストーンズ・ヴァージョンの「ルート 66」がかなり好き。そもそもあのアルバムで一番好きなものがこれだっていう…、ダメでしょうか、こんなストーンズ・リスナーは?どうですか、僕と同い年の寺田正典さん?
「ルート 66」。かたちは定型12小節のブルーズ楽曲で、リズム&ブルーズ界でもスタンダードだったので、それでストーンズもやったんだろう。ボビー・トゥループの書いた曲だよね。しかしこれをいちばん最初に録音しヒットさせたのが1946年のナット・キング・コール・トリオだったんだよっ。だからさっ、黒人音楽〜ロックの愛好家のみなさんも、ナット・キング・コールとか、このへんのジャジーなポップ・ミュージックのことも頭の片隅においといてほしいんだ。
必要ないけれど、念のためちょっとご紹介しておこう。「ルート 66」。
ナット・キング・コール(1946)https://www.youtube.com/watch?v=ia5KTZvUFIs
ローリング・ストーンズ(1962)https://www.youtube.com/watch?v=O1fr5An_LyA
ストーンズは、明らかにチャック・ベリー・ヴァージョンを下敷きにしているよね。
このへんもぜんぶひっくるめてナット・キング・コールが最初に歌ってヒットさせた、っていうかそもそも作者のボビー・トゥループは、人気があったナットのトリオにやってほしくて「ルート 66」を書いたのかもしれないよね。曲題と歌詞内容の意味するところはまったく説明不要だと思う。
そんな「ルート 66」を1956年に再録音したナット・キング・コール。その『アフター・ミッドナイト』収録ヴァージョンはこれ。どうしてこういう画像を使ってあるのかは知らないが、間違いなくこれだ。
お聴きになって分るようにトリオ編成の三人だけではない。ナット・キング・コール・トリオの本人以外の二名は、当時のレギュラー・メンバーだったジョン・コリンズ(ギター)とチャーリー・ハリス(ベース)。これにくわえまずドラマーがいる。それは当時のこのレギュラー・トリオにときたま参加してカルテット編成になることがあったリー・ヤング(かのレスターの弟)。
そしてミュートを付けたトランペットの音がオブリガートとソロで聴こえるよね。それがハリー・”スウィーツ”・エディスンだ。キャピトル盤『アフター・ミッドナイト』の1956年録音時には、上記カルテットを土台に、基本、一名ずつゲスト・プレイヤーを迎えてセッションが行われた。8月15日のスウィーツ・エディスン、9月14日のウィリー・スミス(アルト・サックス)、9月21日のファン・ティゾール(トロンボーン、このときはパーカッショニストも参加)、9月24日のスタッフ・スミス(ヴァイオリン)。これでセッションはコンプリートだ。
むかし大学生時代の僕は、スウィーツ・エディスンの参加した「ルート 66」「スウィート・ロレイン」「イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーン」や、ウィリー・スミスが艶っぽいアルトを吹く軽快なオープナー「ジャスト・ユー、ジャスト・ミー」、やっぱりナットもウィリー・スミスも甘い「ユア・ルッキング・アト・ミー」なんかが大好きで、ほかは例えばアルバム4曲目の「キャラヴァン」は曲じたいが大好きだからいいなあ〜、トロンボーンも曲を書いたファン・ティゾールだしネ〜と思っていたものの、同じくファン・ティゾールが吹く7曲目の「ザ・ロンリー・ワン」とか、またスタッフ・スミスのヴァイオリンが入る二曲とかは、フ〜ンと思って通りすぎていただけだった。だいたいスタッフ・スミスがだれなんだかも知らなかったんもんなあ。
あ、でもやっぱりアルバム一曲目の「ジャスト・ユー、ジャスト・ミー」はかなりいいと思うなあ、いまでも。
https://www.youtube.com/watch?v=uEG8UZGSvdI
あ、でもやっぱりアルバム一曲目の「ジャスト・ユー、ジャスト・ミー」はかなりいいと思うなあ、いまでも。
https://www.youtube.com/watch?v=uEG8UZGSvdI
ところが最近は、それらトランペット奏者やアルト・サックス奏者が参加する曲はやっぱり楽しいねと思う以上に、「ザ・ロンリー・ワン」や、スタッフ・スミスのヴァイオリンが入る二曲のほうがはるかにずっと面白いと感じるんだよね。人間の趣味って年月を経ると変わるよなあ。僕の音楽経験がほんの少しだけ深く広くなったということだと、だれも言ってくれないので、僕は自分で自分にうぬぼれて(重複表現)おくしかない。
1930年代はジャイヴ・ヴァイオリニストだったスタッフ・スミスのことは、以前一度詳しく書いたので(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-362e.html)、今日は省略する。ナット・キング・コールの『アフター・ミッドナイト』でも、3曲目の「サムタイムズ・アイム・ハッピー」ではやや軽くユーモラスなジャイヴふうに、9曲目の「アイ・ノウ・ザット・ユー・ノウ」では猛烈にスウィンギーに、弾きまくっている。
問題は、いや問題ではなく、ナット・キング・コールのアルバム『アフター・ミッドナイト』でいちばん面白いのは、デューク・エリントン楽団で大活躍したトロンボーン奏者にしてプエルト・リカンのファン・ティゾール(と一名のパーカッショニスト)を加えてやった三曲「キャラヴァン」「ザ・ロンリー・ワン」「ブレイム・イット・オン・マイ・ユース」だ。
「キャラヴァン」がこういう曲なのはエリントニアンズによる1936年の初演時(ヴォキャリオン原盤)からみんなよく知っていることだし、エリントン楽団自身の戦後録音だとかな〜り面白いものがあったりなどするので(チャチャチャになったりサイケになったりなど)、これも今日は書かない。それらに比べたら、このナット・キング・コール1956年ヴァージョンは、この曲の解釈としてはごくふつうで特筆すべき出来栄えでもない。
いちばん興味深いのはアルバム7曲目の「ザ・ロンリー・ワン」だよなあ。むかしはこれどこがいいんだろう?としか感じていなかったが、これはボレーロ、あるいはフィーリンだよ。ナット・キング・コールにはスペイン語で歌ったラテン歌謡集が三枚あるんだよね。1958年の『コール・エスパニョール』、59年の『ア・ミス・アミーゴス』、62年の『モア・コール・エスパニョール』。三つとも CD 化されていて、いまでも入手可だ。僕だってぜんぶ持っている。Spotify にもあるので、それでプレイリストを作ってみた。ダブりや歯抜けや曲順変更もすべてオリジナルどおりに直しておいた。全35曲。聴いてみて。
『ア・ミス・アミーゴス』では、カエターノ・ヴェローゾも歌ったラファエル・エルナンデス(プエルト・リコ)の「カプジート・デ・アレリ」もやっているし、そんななかから一曲「うらぎり」(Perfidia) が、エル・スール謹製のフィーリン・アンソロジー『フィーリンを感じて』に収録されているほどなんだもんね。ナット・キング・コールは、ある意味、フィーリン歌手みたいな認識もあるってことじゃないか。
もっと上で音源もご紹介した「ザ・ロンリー・ワン」は、英語で歌っているのとストリングスが入っていない少人数編成なだけの違いしかないじゃないか。同じ音楽だよ。「ザ・ロンリー・ワン」でもリズムのスタイルは完璧なボレーロだし、曲調だって甘い恋愛歌(っていうかこれはつらく哀しい内容だが)で、それをボンゴを叩くジャック・コンスタンソと、トロンボーンを吹くプエルト・リカンのファン・ティゾールがうまく雰囲気を出して表現しているじゃないか。
ナット・キング・コール、あるいは会社キャピトルにとっては、大ヒットした1948年の「ネイチャー・ボーイ」の系譜に連なるものをちょっと一個入れておこうというだけのことだったかもしれない。だが、キューバのフィーリンの代表格であるあのホセ・アントニオ・メンデスはそもそもナットが好きで、あんなソフト・タッチのスウィートな歌いかたをしたいと憧れていたんだよね。それであんなフィーリン歌唱法ができたのかも。だから『アフター・ミッドナイト』に、一曲「ザ・ロンリー・ワン」みたいなのがあっても不思議じゃない。フィーリンはこのアルバムの隠し味、それも相当美味い味だ。
ラテン歌謡やフィーリンなどと特にこれといって関係なさそうなストレートなジャズ・アルバム、それもポップ界のスーパー・スターとして大成功したあとのナット・キング・コールがふたたびピアノの前に座って、むかしみたいにスウィンギーなジャズをやったアルバムだとしかみなされない1956年録音の『アフター・ミッドナイト』だけどさぁ。だいたいジャズ・ファンのほとんどはフィーリンなんて聴いてないしな。ハァ〜。
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「1940年代初期のトリオものが一番好きだというのは、だいたいみなさん同様だと思う」 そうなんだ。私にとってはナット・キング・コールは雑音まじりのラジオで聞いた「プリテンド」「モナリザ」そして何より「キサス・キサス・キサス」「カチート」の人です。
ウォン・カーウァイが『花様年華』で60年代初頭の雰囲気出すのにうまくナット・キング・コールのラテンを使ってましたね。
しかし意味も分からないのに今でも「やしぱさんろすでぃあす」とスッと出てくるとは。
投稿: cleanhead | 2017/11/06 23:21
すみません、「だいたい」ってのを付けてますので、それで勘弁してください(^_^;)。それにしても「カチート」あたりに共感していただけるとは、同慶の至りです。
投稿: としま | 2017/11/06 23:30