大人へと脱皮した(時をかける)少女 〜 原田知世と伊藤ゴローの世界(4)
以前、原田知世「うたかたの恋」のオリジナルとセルフ・カヴァーのことについて書いて、それでブログを更新したというツイートをしたら、すかさずあるかたから、待ってました、次は「天国にいちばん近い島」でお願いします、というリクエストがあって、嬉しかった。ですけれど、僕としてはこっちを先に書きたかったので。いずれにしても更新を心待ちにして読んでくださっているかたがいると分り、僕はこの上なく幸せです。
まず、いまの僕の気分を。できることならば、アルバム一枚丸ごとぜんぶが原田知世のヴォーカルと伊藤ゴローのクラシック・ギターのたった二人だけでやるデュオ作品というものを創ってくれないかなって、そう強く思う。それくらいこのボサ・ノーヴァな「時をかける少女」は素晴らしく美しい。こんなにも美しい音楽って、この世にはなかなかないよなあ。
この「時をかける少女」は、2007年リリースの原田知世のアルバム『music & me』のラストに収録されているものだ。それが初出。その後、今2017年にリリースされたベスト盤『私の音楽 2007-2016』のトップにも再録されているのが効果絶大なんだよね。僕のばあい『music & me』で聴いていたはずなのに、『私の音楽 2007-2016』を鳴らしはじめた瞬間に、あぁ、なんて美しい女性なんだ、とため息をもらしてしまったんだよね。オリジナル・アルバムではラスト、ベスト盤ではトップ。これはかなり強く意図された曲順だよなあ。
「時をかける少女」は1983年の曲で、松任谷由実の作詞作曲。同名の角川映画の主題歌になったオリジナル・ヴァージョンは松任谷正隆のアレンジ。その後、上で書いた2007年『music & me』ヴァージョン以前に二種類のセルフ・カヴァーがあり、また今年リリースの新作『音楽と私』でふたたび再演。それはアレンジも歌も新しいニュー・ヴァージョンだ。
ってことは、いままで CD など公式音源化されている原田知世自身による「時をかける少女」はぜんぶで五つあることになる。五つのうち最初の三つ 〜 オリジナル83年版、新川博アレンジの83年版、後藤次利アレンジの87年版 〜 は、いわばジュヴナイル・ポップスだ。三つとも知世自身10代だったころに歌ったもの。
それらは言ってみれば思春期を表現したようなものの典型みたいなものだった。正直に告白すると、1980年代の僕はそういうのを横目でチラ見してはケッ!とか思ってバカにしていたので(いまでもそういう人たちが多いはず)、リアルタイムでの思い入れはゼロだ。だが、2007年にボサ・ノーヴァ化した「時をかける少女」のあまりの美しさにマジで本心からゾッコン惚れてしまい、それら三つの過去ヴァージョンもぜんぶ買ったのだ。ちょっと苦労しちゃったよ。
原田知世自身が1980年代にやった三種類の「時をかける少女」は、Spotify だと上でご紹介したように一個しかなく、それは後藤次利アレンジの87年ヴァージョンだ。それ以前の二つはとてもよく似ている。ほぼ同じと言ってさしつかえないんじゃないかと思うほどで、二つ目をやった新川博は、オリジナルの松任谷正隆アレンジをほぼ踏襲しているのは間違いないと思う。同じ年だし、あまりイジれなかったということなのか、あるいはいまでは僕もこう考えているのだが、オリジナル・ヴァージョンの完成度が高く、隙がないんだよね。
いずれにしても1980年代の原田知世の「時をかける少女」は、サウンド・アレンジだっていかにも80年代 J ポップスという趣で、嫌いな人は嫌いだろうが、まあ僕もはっきり言うとそんなに好きなサウンドではなかったのだ、ちょっと前までは。ただ、松任谷由実の書いた歌詞と旋律はかなり魅力的。サウンドも声もああだから、当時からのアイドル・ポップス好きのみなさん以外にはイマイチに聴こえるだろうと思う。だけど、知世のジュヴナイル・ヴォイスと不安定な音程が、かえってこの曲の表現する不安感というか、若年女性の感情の揺れをうまく出すことにつながっていて、結果的に大正解なんじゃないかな。思春期特有の不安定な情緒がかなりうまく表現されているよね。
ところがその後年月が経過して(原田知世自身が封印していたらしい)、2007年に伊藤ゴローのアレンジとプロデュースでやった久々の再演ヴァージョンの「時をかける少女」では、ガラリと様子が変化している。伴奏に使われている楽器は、伊藤ゴローの弾くクラシカル・ギター(とのクレジット)と伊藤葉子の鳴らすシェイカーだけ。シェイカーの音量は聴こえにくいような小さなものだから、事実上、ギターとヴォーカルのデュオだと言ってもいい。
聴いてみても分ることなんだけど、アレンジとプロデュースをやった伊藤ゴローは、自身が敬愛するジョアン・ジルベルトの音楽をかなり意識したんじゃないかと思う。これは間違いないと思うんだよね、アレンジもヴォーカル・アドヴァイス(は間違いなくやっているはず)もギターの弾きかたも、それからこの独特の音響も。こだわって録音してミキシングしたに違いない。
イメージが一新された2007年の「時をかける少女」で聴ける歌の主人公は、もちろんもはや少女ではなく中年になった大人の女性。1980年代ヴァージョンで表現していたふらつき揺れる心情も、ここでは安定感をグッと増している。これは歌手自身の実人生での年齢のことを指して言っているのではなく、伊藤ゴローのアレンジが落ち着いたシットリしたもので、それに乗って歌う原田知世の声と歌いかたも、成熟した精神的成長のフィーリングをはっきりと表現しているように思うってことだ。ここで聴きとれる不安感は思春期のものではなく、人類普遍の恋情から来るものだよね。
すると、これの次の2017年最新ヴァージョンの「時をかける少女」は、それも伊藤ゴローがてがけたものだけど、これまたふたたびイメージを刷新していて、シンフォニックなストリングス演奏から入って、リズム伴奏もかなり活発で、原田知世のヴォーカルはさらにもっと落ち着きを増し、それだからこそ楽しくはしゃいでいるようなフィーリングもあって。この最新ヴァージョンはどう聴いたらいんだろう?もはや感情はまったく揺れておらず、不安感も焦燥感もぜんぜんなく、なんだか愉快ですらあるように聴こえるじゃないか。サウンドだけでなく原田知世の声も。
これが人間の成長というものか。
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