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2017/12/19

天国にいちばん近い声 〜 原田知世と伊藤ゴローの世界(5)

 

 

 

 

 

 

(五曲目)

 

 

あぁ、なんて美しいんだろう。原田知世の2017年最新作『音楽と私』五曲目の「天国にいちばん近い島」。聴いていて、そのあまりの美しさに惚れ惚れしてため息しか出ないので、なにか冷静に書き綴るなんてことは無理だ。だからふだんみたいに落ち着いて分析した論考など絶対に不可能なので、ただただ褒め称えることだけしたい。も〜う、ホント!それくらい美しい音楽だよ、これは。

 

 

これも大林宣彦がメガホンをとった角川映画『天国にいちばん近い島』の主題歌だったらしい原田知世の曲「天国にいちばん近い島」。オリジナルのシングル盤は1984年10月発売で、昨日も触れたが、このころの知世80年代シングル・ナンバーを収録したベスト盤みたいなものですら、いまや入手がやや難しめなんだよね。僕がアマゾンで探したときには『シングルコレクション '82~'88』(これの中古しか入手可能なものがなかった)というものに中古プレミア価格が付いていたが、地元のレンタル CD ショップでレンタル落ち品を安価で買うことができた。

 

 

だから昨日書いた「時をかける少女」のオリジナル・ヴァージョンも、その『シングルコレクション '82~'88』で聴いているんだけど、これに「天国にいちばん近い島」や、また「ときめきのアクシデント」「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ~」「地下鉄のザジ(Zazie dans le metro)」(は『バースデイ・アルバム』収録が初出だっけ?、とにかく猫の歌)「雨のプラネタリウム」といった、今2017年の新作『音楽と私』で生まれ変わった曲のオリジナル・シングル・ヴァージョンが収録されている。

 

 

「天国にいちばん近い島」のオリジナルはこれ。Spotify など正規ネット配信では見つけられなかった。またこれ以外にも、当時のテレビ歌番組に出演して歌ったものが YouTube にたくさんアップロードされているので、興味のあるかたはぜひ。

 

 

 

「天国にいちばん近い島」。歌詞は康珍化、曲は林哲司が書いて、オリジナル・ヴァージョンは萩田光雄がアレンジをやっている。萩田光雄って、以前、太田裕美にかんする文章で名前を出して仕事が素晴らしいと書いたけれど、中森明菜もたくさんやっているし、ホントたくさんいいアレンジを書いている人だよねえ。康珍化もこのころ売れっ子だったので、僕だってこの、なんと読んだらいいのか分らない名前の表記をかなり頻繁に目にしていた。

 

 

オリジナルが1984年である「天国にいちばん近い島」も、とうぜん原田知世はまだ10代だったころだけど、昨日書いた「時をかける少女」で聴けるような不安定さや情緒の揺らぎは、この時点ですでにあまりないように思う。これはそれら二つの曲の持つ歌詞の意味合いとか曲のフィーリングとかの差異から来るものなんじゃないかと僕は思う。

 

 

こうに違いないと最近考えるようになっていることがあって、それは歌手としての原田知世は、自分のために用意されたオリジナル楽曲や、セルフ・カヴァーの新アレンジや、あるいはほかの人のための楽曲だったものをとりあげるときでも、それらの作者、編者、製作者の意図を汲み取る能力がかなり高い人なんじゃないかと思うってことだ。意図を把握して、それを的確に表現できる能力の持主だろう。僕はまず最初、伊藤ゴローのプロデュース作品で、知世のこの才能を感じたのが、その後、鈴木慶一作品やトーレ・ヨハンソン作品で同じことを感じ、さらにさかのぼると1980年代の角川期でもすでにそうだったと、僕でもようやく分ってきた。

 

 

「時をかける少女」は、愛する人を失いたくない、どこにも行かないで、という内容だけど、翌年の「天国にいちばん近い島」は、愛する対象を神だと、そこは天国だとあがめる内容で、ひたすら対象を敬愛し自らを捧げる内容だから、こういったメンタリティの違いで、ヴォーカル表現の違いも発生しているんだろうと僕は思う。音程も後者だとそんな不安定じゃないし、このころからストレートでノン・ヴィブラートでコブシなんかはぜんぜん廻さないやりかただった声の出しかたも歌いかたも、スーッとナチュラルに伸びている。

 

 

アイドル(やロックの)ヴォーカルは上手くなくていい下手でいいんだとか、純技巧的に上手いだけが歌(や楽器)の魅力じゃないんだとか、こういったたぐいの話はまた別の機会にまとめてみるつもりでいる。だけれども(特に角川期の)原田知世はアイドルだったかもしれないが、その歌は、純技巧的な意味でも決して下手だとは言えない。下手だと決めつけたいみなさんは、それはそれでいいんじゃないでしょうか。僕は歌を聴いてその瞬間、アッ!と感動しただけだった。

 

 

上のほうで Spotify(のアルバムの五曲目)にあるのをご紹介した2017年最新ヴァージョンの「天国にいちばん近い島」は、そんな、一発で聴き手を虜にしてしまうような魔力を持った歌じゃないだろうか。伴奏のサウンドもまたそうだ。アクースティック・ピアノ一台だけ。それを弾くのはジャズ・ピアニストの坪口昌恭。菊地成孔との仕事が有名なのでそのあたりの音楽、特にジャズ・ファンにもお馴染の名前だよね。

 

 

新ヴァージョンの「天国にいちばん近い島」では、坪口昌恭が淡々と美しく弾くピアノ一台だけの伴奏に乗って、原田知世がこれより輝いているものはない天上の美を表現している。坪口のピアノ伴奏サウンドも、知世のヴォーカルも、そしてこの独特のエコーの効いた異常に質のいい音響も、なにもかもすべてが美しすぎる。あぁ〜、どうすればいいんだろう?この「天国にいちばん近い島」で聴ける知世のこの声、それでこんな歌詞を歌われるんだから、ホント、僕はどうしたらいいの?「宝石に変え」られたのは、知世さん、あなたの声です。「天国にいちばん近い島」とは、知世さん、あなたのこの歌のことです。知世さん、好きです。

 

 

特にワン・フレーズ歌い終わり次に行く前に息を吸う音がすごく生々しくて、セクシーで、そのブレス(息継ぎ)の瞬間に漏れ聴こえるス〜ッっていうかフ〜ッっていう音の、その極上の色気に、僕はもうたまらない。もちろんそこまではっきり録音するようにとのプロデューサー、伊藤ゴローの指示でこんな極上録音になっているわけだけど、う〜ん、こりゃ素晴らしい音だ。天国の声、天国の息遣いだとしか思えない。

 

 

原田知世が歌い終わってもしばらく弾くエンディング部で、坪口昌恭がピアノの消音ペダルを踏んでミュートする瞬間のその音まではっきり聴こえる極上録音なんだけど、そのペダルでパッと音が途切れた瞬間に、僕は天国にいた夢から覚めてしまって、とってもとってもつらいんだ。あぁ、どうすればいいんだろう?もう一回聴こう。もう一回夢の続きを見たい。新ヴァージョンの「天国にいちばん近い島」をなんどもなんども聴いて、天国にいる夢を見続けて、そのまま天国のなかで僕は死にたい。

 

 

あぁ、なんて美しい音楽なんだ…。

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コメント

同感です。喫茶店で聴いて、参って、すぐに探して買いました。だれかがカバーしているのかと思ったら、ご本人だとは。ピアノのリハーモナイズが新鮮です。ブログを探して、これを見つけました。よかったです。

あのピアノ・コードは、坪口昌恭さんご自身のものなのか、伊藤ゴローさんの指示なのか、知りたいところです。

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