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2017/12/14

ヴォーカリスト坂本冬美の才覚

 

 

先月、坂本冬美の新作『ENKA II ~哀歌~』について書いた。これは一種のフィーリン(キューバ音楽の一種)演歌だとして。

 

 

 

しかしこの文章ではもっぱらアレンジの素晴らしさにフォーカスしていた。ふわ〜っとソフトなフィーリンみたいなサウンドが心地良いのは間違いないけれど、やっぱりいちばんすごいのは坂本冬美のヴォーカルなので、それを書いておかないとね。いくらフィーリン・アレンジがよくたって肝心の歌手がうまくなかったら、音楽として総合的にこんなに素晴らしく聴こえないわけだから。

 

 

だから今日はアレンジについてではなく坂本冬美の歌について、『ENKA II ~哀歌~』のことを少し書いてみたい。ヴォーカリストとしての冬美の才覚、優秀性、円熟味みたいな部分について。でもって結局それはつまり、フィーリンふうに抑制の効いたクール・ヴォーカルだってことにやっぱりなってしまうんだけどね。

 

 

さて、ちょっと戯れにネット検索してみたが、やるだけ時間のムダだった。坂本冬美の『ENKA II ~哀歌~』について、まだだれも書いていない。僕の書いた文章しか出てこないなんて、ちょっとヘンだなあ。だいたいこのアルバムがリリースされてもう一ヶ月以上が経過しているのに、ほとんど話題になってないってどういうことなんだろう?たしか『ミュージック・マガジン』で宗像明将さんが記事をお書きだったが、それだけなんじゃないかなあ。

 

 

宗像明将さんのその記事は坂本冬美本人にインタヴューする内容で、見開き2ページという簡素なものだけど、『ENKA II ~哀歌~』にかんしての冬美本人の発言が読めるし、それとからむ宗像さんの発言も、それから地の文も含め、短くてもポイントはしっかりおさえてある。簡にして要を得たもので素晴らしい。

 

 

僕は僕自身の感想を書いておこう。『ENKA II ~哀歌~』で聴ける坂本冬美のヴォーカル表現はさらりアッサリ味で、(いかにも演歌歌手だといった)コブシを廻さず、過剰な感情移入を避け、というかほとんどガッツリは行っていないようなフィーリングでの歌いかたで、一聴した表面的な印象では、かなり淡白なものだと受け取られるかもしれない。

 

 

がしかしそこがいいんだよね。どうも演歌の世界がどんどん衰退していっているかのように見えているのは、グリグリとディープにやりすぎるからなんじゃないかと、それも一因なんじゃないかと僕は思っている。発声法や節回しなど、濃厚すぎるフィーリングが、軽めのポップス愛好家のみなさんにとっては <おかしい> <ヘン> なものだと思われて、敬遠されるようになっている部分もあるんじゃないだろうか?

 

 

もちろんべつにそんな強く張った発声でヴィブラートをたっぷり効かせコブシを廻しまくるような演歌歌手は時代遅れだとか評価できないなどと言っているのではない。僕自身の個人的趣味だけでなら、むかしからの演歌ファンと同じ気持もあるし、ああいった演歌歌手のみなさんの歌はいまでも大好きだ。

 

 

それでも演歌界が今後生き延びるためには、新規ファンを獲得して層を拡大しないといけない。いまのままではある一定年齢以上の日本人が死滅すると同時に演歌界も消滅してしまう。そんな先のことは知らんぞ、俺は俺の趣味の世界に生きるんだというのが大勢の考えかもしれないが、まあまあそこは…、やっぱり面白い世界だし、素晴らしい曲もたくさんあるし、それに前から繰返すように、演歌は(日本の伝統文化なんかじゃない)モダン・ポップスで、ふつうの J-POP との本質的な違いはないんだからさ。だから(一部の愛好家じゃないみなさんにも)聴かれてほしい。僕はやっぱりふつうに存続してほしいんだ、演歌も。

 

 

若手演歌歌手なかには新鮮な表現法をとる人もいるのだが、坂本冬美はベテランと呼ばれる部類だろう。むろん冬美は以前から、たとえば八代亜紀もそうなんだが冬美も、たんなる演歌の世界には括れない幅広い活動をしていて、ひろく歌謡曲全般を歌っている。例の『LOVE SONGS』シリーズがそうだ。そのなかにいわゆる演歌のレパートリーは一つもない。ふだん和服を着ている歌手が、それを脱いで洋装に着替えたようなものだった。

 

 

そんな洋装での、フレッシュでみずみずしくソフトなフィーリング、アレンジもそういう路線でやって、その上に坂本冬美のふんわりヴォーカル乗せるという試みは、たしかに『LOVE SONGS』シリーズではじまったものだけど、『ENKA II ~哀歌~』ではそれが格段に円熟味を増していて、しかも今回のレパートリーは演歌が多い。ドロドロ濃厚な怨念ソングみたいな曲もとりあげてあんな出来にしているのは、アレンジャー坂本昌之の貢献も大きいが、やっぱり冬美のヴォーカル・スタイルこそがいちばんのポイントだっただろう。

 

 

たとえばアルバム二曲目の「骨まで愛して」。曲題だけでも分るようにガッツリ濃厚にグリグリ行きたいものだけど、そこを坂本冬美はグッと気持をおさえて、つまりこらえて、感情移入しすぎずサラリと歌って、かといってしかしドライになりすぎない情緒をしっかり残している。アレンジもいいのだが、冬美のヴォーカル表現がきわめて絶妙なバランスの上で成立し、美を放っているんだよね。アッサリ味だけど、だからこそかえって「骨まで愛してほしいのよ」という歌詞の意味と感情がより一層ディープに伝わってくるような、素晴らしい絶品ヴォーカルじゃないか。

 

 

一曲目「雨の慕情」、三曲目「酒よ」、五曲目「おもいで酒」、七曲目「アカシアの雨がやむとき」、そしてちょっとニュアンスが違うものの僕は好きな九曲目「圭子の夢は夜ひらく」などでは、そんな坂本冬美の、いわば新境地に達した円熟味のあるヴォーカルをたっぷり味わうことができる。円熟も円熟、これは完璧に老練な(失礼!)大人の女の世界だ。

 

 

『ENKA II ~哀歌~』で、ここまで書いてきたような曲群での坂本冬美の絶妙きわまりない情感の抑えかた、というか軽さ、さりげなさ、は格別の味わいだ。ちょっと聴いた感じの第一印象では、ガッツリ行った歌を聴きたい演歌ファンのみなさんには物足りなく感じるものかもしれないが、こうやって感情を表面的にぶつけすぎない表現のほうが本当は深くて、本当は濃厚なフィーリングをなかに秘めたようなもので、内なる炎のゆらめきをしっかり感じとることができるものなんじゃないかな。

 

 

純技巧的に聴いても、一つだけ書いておくと、音程のコントロールだってマジ100%完璧なんだよね。たとえば「おもいで酒」の「おもいで酒に、酔うばかり」。ここの「ばかり」は「ばぁ〜かぁ〜りぃ〜」となるんだけど、そこの部分はかなり細かい音程の動きかたで、正確にピッチをヒットしながら廻すのが難しい。実際、どんなうまい歌手も少し外していて、みんななんとなくやりすごしている。ところが『ENKA II ~哀歌~』での坂本冬美はまったくズレがなく完璧。

 

 

いやあ、本当に素晴らしいよねえ。こんな歌手に成長したなんて。坂本冬美。いま、日本中を見渡しても、こんな歌いかたができる演歌歌手って、いやいや、いろんな種類の音楽のぜんぶの歌手のなかでも、だれかほかにいるのだろうか?

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