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2018/01/07

このころのサラ・タヴァレスほど魅力的な音楽家がこの世にいるものか(2)〜 『シンティ』






カーボ・ヴェルデ移民二世だとはいえ、サラ・ラヴァレスの音楽の基本は、やはりニュー・ソウルと MPB にあるんだろう。それも(自身の弾くうますぎるほどのギターを中心とする)アクースティックなサウンドをメインに据えて、デジタルな音や処理はなるべく控えめかつ効果的に配し、その上にまるで鳥のさえずり声のようなチャーミングでキュートでコケッティッシュなヴォーカルを乗せるっていう、そういうものだよなあ(ちょっとナンシー・ヴィエイラみたいでもあるんだけど)。

がしかし僕はそのなかにたしかにはっきりとカーボ・ヴェルデ系だという出自を、音楽的な意味で聴きとっているんだよね。昨日は2006年の『バランセ』について書いたが、DVD でリリースされたライヴ・アルバム(附属の CD 二枚はスタジオ録音の過去作だから、そこだけはガッカリだったが、DVD のリスボン・ライヴは素晴らしい)をはさんでの2009年『シンティ』だと、こういったオーガニックなニュー・ソウル+ MPB +カーボ・ヴェルデ音楽のブレンド具合が一層進んでいて、それらが一体となって溶け込んで、もはやどこがどれと指摘することが不可能なほどの高みにまで昇華されている。

サウンドがそうなっているだけでなく、サラ・タヴァレスのソングライティングもグンとよくなっていて、本当にセンスのいいチャーミングな曲がどんどん並び、しかもヴォーカルだってキラメキを増している。こんなに可愛らしく、しかも反面強靭さがピッタリはりついたようなヴォーカル表現ができる人って、もう少なくなっちゃったなあ。サラはそれを実現していた稀有な天才の一人だった。

一例をあげると、アルバム『シンティ』の11曲目「ヴォス・ディ・ヴェント」。風の声っていう意味の曲題だけど、冒頭で、たぶんサラ・タヴァレスの声だと思うんだけど、風というより小鳥がさえずるようなヒュイっていうかクイッってキュキュッっていうか、うまく表現できないが、これは本当にサラが野の小鳥になっているんだろう。自身でアクースティック・ギターを弾きながらそうさえずって、その後歌いはじめてからも、そっとやさしく大切なものを丁寧に置くように語りかけている。その声のソフトさ、柔和な表情、落ち着きっぷりは、まるで熟年女性が持つメンタリティを思い起こさせるほどのものなんだよね。当時サラは20代だったんだけど。

たとえばその次の12曲目「エザラ」。これはサラ・タヴァレスのヴォーカル&ギター&パーカッションにくわえ、ピアニストだけ参加しているもので(いちおうエレキ・ギタリストもいて弾いているが、ほぼ聴こえない程度のサウンド・エフェクトみたいなもんだ)、ほぼテンポがないようなゆったりモルナ系。いや、カーボ・ヴェルデのモルナでもないようなものなのか、ニュー・ソウルでも MPB でもいいが、普遍的なバラードをかなりしっとり聴かせてくれる。な〜んてチャーミングなんだぁ、サラ〜、好きだぁ〜!

続く13曲目「フンジ・ク・ミ」は、本当にサラ・タヴァレス一人しかいない、アルペジオでのアクースティック・ギター弾き語りで、12曲目よりも一層落ち着きとシットリ感を増し、全編テンポ・ルパートで、う〜ん、こりゃまあ歌詞の意味がわからないから見当はずれかもしれないが、愛をささやいている、あるいはひそかにやさしく祈っているようなものなんじゃないかなあ。それもサラと僕とたった二人だけの部屋のなかで(妄想が過ぎるので、もうやめときます)。でもホント、声と歌いかたがチャーミングなやさしさにあふれていて、この2009年ごろのサラほど魅力的に歌える歌手って、そうはいないよなあ。

続くアルバム・ラストの14トラック目「マンソ・マンソ」もやはりサラ・タヴァレス一人で、しかし人混みというか街の雑踏みたいな音が冒頭から聴こえるなあと思ってブックレットを見たら、サンプラーを彼女が担当しているんだね。しかも前半部では歌っておらず(ちょっとハミングするだけ)、アクースティック・ギター独奏なんだよね。ギターのインストルメンタル・サウンドに雑踏音のサンプルを混ぜて、これがかなりイイ。ギターもうまいが、サウンド創りがもっとうまい。

しかも14トラック目では、それが四分ちょいで終わったあとかなり長い無音部分があって、しかし再生時間表示が進むから隠しトラックが出てくるんだろうと思ってジッとしていると、五分過ぎごろから今度はビートの効いた曲がはじまるんだよね。その部分では(クレジットはないが)パーカションの音がずっとハッキリ鳴っているのはサラ・タヴァレス自身かもしれないが、その上に鍵盤楽器やアコーディオンの音なども去来するので、参加しているミュージシャンがいるんだろうと思う。この14トラック目後半部の隠しトラック部分でのビート感なんかは、間違いなくアフロ・クレオール・ミュージックのそれだ。だからカーボ・ヴェルデ音楽とも、直接ではないにしろ、関係は深いと言えるはず。

アルバム『シンティ」でここまで書いてきたものじゃない十曲だとけっこう賑やかに、というか少し派手めにいろんな楽器が聴こえる場合が多い。アクーティックじゃない楽器もある。エレベとドラム・セットがたいてい入っているし、聴こえる音もクレジットを見てもたくさん参加しているのだが、しかしオーガニックなサウンドの質感をぜんぜん損なっていないのは素晴らしい。

電気楽器(やデジタルな処理も?)を使ってあっても、プロデューサーも自分でやっているサラ・ラヴァレスがアクースティック・サウンドを中心に組み立てているからという量的な側面と、質的にもアレンジやサウンドの組み立てかたがきわめてナチュラルでスムースなんだよね。フワリと軽いサウンドで、ひょっとしたらボトムスの低音が物足りないのかなぁ?っていうのはあったりするけれど、それが気にならないほどの心地良さ。その上に乗るサラのヴォーカルが鳥のように自由に舞っていて…、はもう説明しなくていいだろう。

カーボ・ヴェルデ音楽や、その他いろんなアフロ(・クレオール)・ミュージックとの関連だけ、もう少しだけ付記しておく。『シンティ』一曲目「クアンド・ダス・ウム・ポウコ・マイス」にはコラデイラっぽいようなリズム・フィールが薄くあるように僕には聴こえる。レゲエ成分も混じっているんじゃないかなあ。二曲目「スマナイ」は西アフリカ音楽っぽい。特にエレキ・ギターのサウンドにそれを感じる。

五曲目「ペ・ナ・ストラーダ」の歌詞のなかには funana と歌っているように聴こえる(と思うんだけど?)ところがあるが、しかしこの曲にカーボ・ヴェルデ音楽のフナナーを感じることは僕には難しい。だがなにか関係があるのかもしれないので、そこらへんはちゃんとおわかりのかたに教えていただきたいと思います。六曲目「ブエ(ヴォセ・エ…)」は間違いなくサンバレゲエ(サンバヘギ)だね。

七曲目「ジ・アルマ」はどう聴いてもカーボ・ヴェルデのリズムだ。コラデイラに間違いないと僕は思う。たとえばナンシー・ヴィエイラのこれ。これはみなさんもコラデイラだと言っているものだけど、サラ・タヴァレス「ジ・アルマ」のノリと同じではないだろうか。
リカルド・アルヴェスを迎えてやる九曲目「ソ・ディマジナ」が、ある意味、このサラ・タヴァレス『シンティ』のクライマックスなんだろう。快活にノルようでいて同時にゆったりバラード感もあるこの曲の土台は、コラデイラ+フナナー+モルナぜんぶを混ぜたようなリズム・フィールに、サウダージ感を足したようなもの。ウクレレが使ってあって、それはたぶんブラジル音楽でのカヴァキーニョみたいな役割をやらせているんだろう。ヴァイオリン奏者も参加。サラのヴォーカルも一段グンと深みを見せる。曲創りもサウンド・プロデュースも、そしてやっぱりヴォーカルが素晴らしい。

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