渡辺貞夫ポップ・フュージョン再評価(2)
『マイ・ディア・ライフ』の次、1978年のアルバム『カリフォルニア・シャワー』になると、あの当時、一曲目のアルバム・タイトル・ナンバーを日本で知らない人はいないんじゃないかと思うほどだったよね。もちろん言いすぎだけど、それくらいヒットしたのは間違いない。ジャズとかフュージョンとかになんの興味もない人たちだって知っていたんだよ。
どれくらい人口に膾炙していたかというと、日本テレビのドラマ『太陽にほえろ』の何年ごろだったか、でも間違いなくあのころの放送回だったもののなかに、「渡辺貞夫、カリフォルニア・シャワー」という台詞が、脈絡なくふと突然、出てきたもんね。たぶん1978年か79年あたりだったっけなあ。でもテレビでその言葉を聞いたとき、僕はアッ!と思ったから、すでに貞夫さんのその曲を知っていたことになる。だから79年か、その少しあとだろう。
石原裕次郎やその他七曲署の刑事たちが言う台詞ではなく、たしかクルマのなかでだれかの刑事と、すでに捕まえた犯人との会話があって、そのなかで男性俳優演じる犯人が、自分はこうこうこうしてこんな犯罪に走ってしまったと、その前後の人生も含め訥々と告白するなかに「刑事さん、渡辺貞夫の “カリフォルニア・シャワー” って曲、知ってるか?俺はあれを聴くと心が休まって…」とかなんとか、かなりいい加減な記憶でアヤフヤだが、そういう場面があったのは間違いないと憶えている。
それでその瞬間に貞夫さんの曲「カリフォルニア・シャワー」が流れた…、というとウソであって、流れたかもしれないが流れなかったかもしれず、そこらへんにかんしてはまったく記憶がない。でも、ジャズやフュージョン楽曲の名前が、なんの関係もない刑事ドラマに前後の文脈なしで、しかもあの当時の『太陽にほえろ』は全盛期だったから人気番組だったわけで、そのなかの一話でフッと出てくるなんて、空前絶後だよなあ。うん、絶後かどうかはまだこの先わからないが、たぶん、ありえないんじゃないかな。
ネットでちょっと調べてみたら、曲「カリフォルニア・シャワー」と貞夫さんがあのころどんどん露出があって人気も急上昇で、日本人ジャズ・マンといえば、イコール、ナベサダだみたいな印象が焼き付けられていったらしい。アルバム『カリフォルニア・シャワー』も、あの当時だけで100万枚以上売れたそうで、どこの国のどんなジャズ・アルバムでも、いっときだけでそんなに売れたという例を、ほかに僕は知らない。
ある時期以後の僕は、売れること=正義だみたいな考えかたに傾いていて、音楽に限らずなんでもそうだけど、今日はジャズ・フュージョンだけの話。そんなにも売れた貞夫さんの『カリフォルニア・シャワー』だから、売れることは悪徳だ、商業主義に走った愚かな拝金主義だみたいな考えが、当時もあったと思うけれど、いまでもたぶんしつこくあるのかもしれない。だから一部の熱心な硬派のジャズ・リスナーや専門家たちからは、貞夫さんはどんどん疎ましく思われるようになったはず。
それでも貞夫さんが頑として譲らず、ああいったポップ・フュージョン路線をどんどん続けていったのは、ご自身のなかに確固たる信念があったからだと、いまでは僕もそう思う。一つには、昨日も書いたけれど、硬派なジャズ・リスナーたちにだって受け入れられていた1970年代前半のハードでシリアスなアフリカン・ジャズからの必然的な発展系だったこと。
もう一つは、自分たちの信じる音楽が、日本でも世界でも、一人でも多くのひとたちのところに届いてほしいという願望。受け入れられたいという承認欲求みたいなものじゃなく、これは本当に楽しくていい音楽なんですよ、まだまだ認知度は低いかもしれないが、こんなポップな音楽だったらみなさんも楽しめるんじゃないでしょうか?みなさんを楽しませたいだけなんですっていう、これは前から書いているように僕の言葉では <サッチモ化> ということになるんだけど、ルイ・アームストロングが持っていて生涯変わらず実践したエンターテイメント性を、貞夫さんも強く持つようになって、発揮するようになったということじゃないかなあ。
音楽が一部の(硬派)愛好家だけの玩具みたいになってしまうのは、実は音楽家にとっても、それから聴いている(硬派な)ファンにとっても、不幸なことだと思うんだよね。ジャズの世界はこりゃまたそうなりやすい世界で、だから貞夫さんの売れに売れたポップ・フュージョン路線もまた、サッチモが貫いたような愉快でノリやすい娯楽音楽なんだと、僕だったらそう考えて、肯定的に再評価したい。意識してかせずか、1978年の『カリフォルニア・シャワー』前後から、アルバム・ジャケットに写るものでもライヴ・ステージで観るときでも、貞夫さんは満面の笑みを浮かべるようになっていて、まさにサッチモなんだよね。
アルバム『カリフォルニア・シャワー』の中身の音楽についても、ちょっとは触れておこう。書いてきたようなポップなジャズ・フュージョン志向を、貞夫さんは米バークリー留学時代にゲイリー・マクファーランド(1971年没)から学んだ。実は今回僕が CD では初めて買ったアルバム『カリフォルニア・シャワー』に、むかし LP パッケージのなかにはさんであった大判の紙が縮小コピーされて附属しているのだが、それに印刷されている貞夫さん自身の言葉にも、ゲイリー・マクファーランドのことが出てくる。
貞夫さんとゲイリー・マクファーランドとのことはわりと有名なので省略。肝心なのはアルバム『カリフォルニア・シャワー』のなかに、一つ、ゲイリーの曲があるんだよね。A 面ラストだった「デザート・ライド」。ご存知ないかたは、上の Spotify リンクで聴いてほしい。メロディが美しく、ちょっとした哀愁(サウダージ?)もある、リズムは軽いブラジリアン・テイストの、かなりいい曲なんだよね。
リズムに細かく刻ませておいて上物はゆったりと乗る、ちょっとソフト・サンバみたいなもので、こういうのがゲイリー・マクファーランドの音楽志向だった。それがアメリカ留学時代の貞夫さんに大きな影響を与え、その後のアフリカン〜ブラジリアン・ジャズ・フュージョン路線への礎となったものなんだよね。貞夫さんヴァージョンの「デザート・ライド」は、ソプラニーノで綺麗に、しかも哀しげに吹いているが、デイヴ・グルーシンの弾くフェンダー・ローズの響きもチャーミングじゃないか。リー・リトナーもソフトなサウンドでギターを弾く。
大学生のころのはじめての出会い以来、最初から僕はこの A 面三曲目だった「デザート・ライド」がいちばん好きで、美しいなあと感じて繰り返しこればっかり聴いていたが、今回リイシュー CD で久しぶりに聴いても同じ感想だ。イイネ、この曲は。もとから曲がいい。それをまったく激しくないおだやかなソフト・タッチで演奏する貞夫さんとバンドも素晴らしい。メンツは前作『マイ・ディア・ライフ』とだいたい同じだ。
同じじゃないのは『マイ・ディア・ライフ』までの貞夫ミュージックに登場したことのない(はずだよね?)やや大がかりなホーン・セクションとストリングスが参加していることだ。バンド編成だけでやる曲と半々くらいで、たとえば二曲目「デュオ・クリエイティクス」、四曲目「セヴンス・ハイ」、五曲目「ターニング・ペイジズ・オヴ・オヴ・ウィンド」(なんて美しいバラードだろう)、七曲目「マイ・カントリー」には管弦が参加。
それでサウンドが豊かになって、ジャズ・ファンというわけじゃないふつう一般のちょっと音楽を流して楽しむ多くのみなさんにとっては、1978年ごろもいまも、そういったもののほうが聴きやすいんじゃないかと思う。貞夫さん自身のアイデアか、あるいは主導していたデイヴ・グルーシンの発案だったのかはわからない。管弦サウンドは、ある時期以後ポリフォニック・シンセサイザーで(ある程度は)代用できるようになったので、ライヴ・ツアーでの貞夫さんもそうやってそんな曲を演奏している。
アルバム『カリフォルニア・シャワー』には、しかしカリブ〜ブラジルの中南米音楽テイストとアフリカ志向が、かなり消化(昇華)されているのでちょっと聴いただけじゃわかりにくいのだが、それでもしっかりある。っていうかさ、中南米やアフリカの音楽もポップだろ。複雑ではあっても明快にダンサブルでノリやすいリズムと、とっつきやすいサウンドがあるじゃないか。ヴォーカルを抜けば『カリフォルニア・シャワー』みたいにならないかな。
全体の六曲目「ンゴマ・パーティ」は曲題からしてアフリカンだけど、しかしだれだか名前を見ても僕はわからないアメリカ人トロンボーニストが参加しての二管サウンドはブラジル音楽ふうでもある。リズム・フィールはそんなにポリリズミックじゃなく、シンプルなものだけど、中盤部でサックス&トロンボーンの二管アンサンブルでリフを演奏するところでリズム・ブレイクがなんどか入る。そこで打楽器オンリーの演奏になるパートがあるんだけど、スリリングで楽しいね。しかもそのあとはフルート&スティール・パンの合奏みたいな?音が聴こえるが、そうなんだろうか?シンセサイザーか?生演奏ならば、フルートは貞夫さんだとして、スティール・パンはポリーニョ・ダ・コスタかなあ?どっちにしてもカリビアン・テイストだ。
二曲目「デュオ・クリエイティクス」もリズムはアフリカンだけど、すぐに大編成ストリングスが入ってくるのでやわらかくなって、ちょっと見えにくくなっているだけなんだ。しかもこの曲後半でパッと転調した瞬間にリー・リトナーが弾きはじめるのはブルーズ・ギターじゃないか。かなりブルージーで、ハード・ロックっぽい感じもあるので、1960年代後半〜70年代前半のギター・ロックがお好きなみなさんだって気に入ってもらえるかも。
肝心のアルバム・トップ「カリフォルニア・シャワー」は鮮明なレゲエだよね。リズムのかたちだけ借りてきたもので、レゲエ・ミュージックの持ちやすい深刻なメッセージ性は皆無。ポップでとっつきやすく、クールにスカしたようなやや暗めの色調も聴きとれない。スカッと明るい。メロディも誰だって口ずさめる親しみやすさ。こんなメロディ・ラインを書けた当時の貞夫さんのセンスは、やっぱり図抜けて素晴らしかった。デイヴ・グルーシンのアレンジも隙がない完璧さだ。
曲「カリフォルニア・シャワー」には、こんなライヴ・ヴァージョンもあるんだよ。奇をてらったり難しがったり深刻さを装ったりせず、心から楽しめて、はじけるような音楽がいいんじゃないかなあ。
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