僕だって人間なんだ 〜 マイケルとマイルズの孤独
マイケル・ジャクスンからマイルズ・デイヴィスに直接つなげるんだったらこの曲しかない。「ヒューマン・ネイチャー」。問答無用のメガ・ヒット・アルバム『スリラー』の B 面三曲目で、シングル・カットもされたらしいが、そっちでは僕は聴いていない。というかそもそもあの『スリラー』で「ヒューマン・ネイチャー」を、当時、レコードで聴いていたという記憶がない。ほかの曲なら繰り返し聴いたんだけど。特に A 面一曲目のファンク・チューン「ワナ・ビー・スターティン・サムシン」。カッコイイもんねえ。
だからバラード(でいいのか?)曲「ヒューマン・ネイチャー」をすごく強く意識するようになったのは、もちろんマイルズがすごく強く意識していたからだ。まず最初1984年12月のスタジオ録音が翌85年リリースのアルバム『ユア・アンダー・アレスト』に収録され発売された。その後はシンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」同様、ライヴ・コンサートでこれをやらなかったことは、ただの一度もないと言ってさしつかえないほど。
綺麗でチャーミングでセンティメンタルなラヴ・バラード好きというのがマイルズという人の(一時期を除く)終生変わらぬ資質だったから、「タイム・アフター・タイム」のほうは理解しやすいが、「ヒューマン・ネイチャー」はラヴ・バラードなのかどうなのか?非常に判断が難しい。たぶんそうじゃないよなあ。
マイケルのオリジナル・ヴァージョンを聴きなおしていただきたいのだが、「彼女」がどうのこうのという表現もあるけれど、この曲におけるそれは擬人化された大都会なんだよね。歌詞を書いたのは、カーペンターズの仕事で有名なヴェテランのプロ作詞家ジョン・ベティス。曲は『スリラー』で大活躍している TOTO のメンバー、スティーヴ・ポーカロが書いたものだ。
「ヒューマン・ネイチャー」の歌詞はちょっとわかりにくいので僕は自信がないのだが、ジョン・ベティスの書いたこれは、大都会でひとりぼっちのスーパー・スターの孤独を描いたものじゃないかなあ。歌詞はもともとスティーヴ・ポーカロが書いたものがあったらしいのだが、プロデューサーのクインシー・ジョーンズがこのメロディがいいと目をつけて、マイケルの新作アルバム用にとなった際に、ジョン・ベティスにあらためて依頼したんだそうだ。
ってことは、曲のメロディは(読みかじる情報では)ポーカロの日常的なテープ録音にあったもので、特にマイケルのためにと準備して書いたとかいうものじゃないそうだけど、少なくとも歌詞は、当時すでにかなり大きな存在になっていたマイケルの新作用にと、クインシーが専業のプロ作詞家に書いてもらったものだ。そんなわけでジョン・ベティスは、当時のマイケルが置かれていた境遇を思って、彼の孤独を描こうとしたんじゃないかと思う。
マイケルの歌う「ヒューマン・ネイチャー」は、しかしそんな歌詞もさることながら、やっぱり曲のメロディと、それからサウンドのハーモニーも綺麗でいいよねえ。そんなことにも1982年ごろの僕はぜんぜん気づいてなくて無視して、アルバム『スリラー』の B 面もなんとなく通りすぎていた。マイルズがやってくれるまでは。
マイルズは楽器演奏者だから、やっぱりメロディのチャーミングさやハーモニーの美しさに目をつけたという部分があったのは間違いないはずだ。けれど前々からいつもいつも書いているように、1950年代からずっと変わらず、マイルズが歌詞のあるポップ・ソングをカヴァーする際は、原曲の歌詞に共感できたかどうかが最大のポイントだったんだよね。
じゃあマイルズがマイケルの歌う「ヒューマン・ネイチャー」の歌詞のどこにそんなに深く、とにかく1985年以来1991年に亡くなるまで、コンサートではまったく欠かさず演奏していたというほど深く、共感したのかというと、上で書いたようにスーパー・スターになってしまったがゆえの孤独を描いた部分じゃないかと思うんだよね。好きなように夜の街に出歩くことすらかなわず、「四方は壁」(Four walls) のなか 〜 滞在先のホテル?〜 でジッとたたずんでいるしかないっていうマイケルの歌う境遇に強く強く共感したのかもしれない。
1980年代以後だとマイケルもマイルズもそんな環境にあったことは説明する必要がないだろう。マイルズはそんな曲「ヒューマン・ネイチャー」をとりあげて、しかし最初のころは、ただストレートに美しいメロディを、ほんのかすかにカリビアン・テイストを効かせたシンコペイションをともなって、チャーミングに演奏していただけだ。1986年まではギター・ソロが入ることがあっても、基本、マイルズしかフロントで演奏していない。
変化しはじめるのが1987年からで、演奏後半部でケニー・ギャレットのアルト・サックス・ソロを大きくフィーチャーするようになった。87年だとそれででもまだ曲全体の演奏時間は八分程度だけど、88年に入ってから、これが長尺化する。長くなっている唯一の原因がケニーのアルト・ソロなんだよね。
あの当時はまだあのころのマイルズ・バンドのライヴを収録したアルバムなんて、ブートレグですらないに等しかったから僕はぜんぜん知らなかったが、1988年の来日時、京王線の下高井戸まで行って、そこから東急世田谷線に乗って現地にたどりついた三軒茶屋の人見記念講堂での単独コンサートで、あんなに長尺化している「ヒューマン・ネイチャー」を初体験した。あまりの長さに、正直に言うと呆れて、ずっと前に書いたがこのときの二時間半ノン・ストップ・コンサートで、そうなるとは知らず開演前にコーラをたくさん飲みすぎた僕はオシッコを我慢できなくなって、そしてトイレに駆け込んだのが、その「ヒューマン・ネイチャー」後半のケニーのアルト・ソロ部でのことだったんだ。
いま CD などで音源化されている「ヒューマン・ネイチャー」は、公式盤では短めに編集されているばあいもあって、しかしそれでも1988年以後のライヴでは、最低でも12〜13分はある。当時、現場で体験していたころの生実感だと、もっとずっと長かったような気がしていた。延々20分以上もやっていた、それもその2./3程度がケニー・ギャレットのアルト・ソロだったと思っていたんだけど、確かめたらブートレグでもそんなに長いものはないから不思議だ。現場体験の記憶ってあまりアテにならないなあ。確認しても18分程度のものまでしかない。
でもそんな十数分間にわたる曲全体の演奏時間の大半がケニー・ギャレットのアルト・サックス・ソロだという記憶は正しかった。いちばん上でご紹介した Spotify のプレイリストに1988年11月5日のオーストリア公演だけ(アルバム『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』から)しか入れていないのは、Spotify ではこれしか見つからないからだ。公式収録だと、例のモントルー・ボックス20枚組に1985年分以後が毎回ぜんぶあるので、つまり公式なマイルズ・ライヴ録音での「ヒューマン・ネイチャー」は、計八つになる。
公式収録がない1987年から、どうしてだかマイルズは「ヒューマン・ネイチャー」後半部でケニー・ギャレットのアルト・サックスを大きくフィーチャーするようになって、亡くなるまでそれが変わらなかった。自身のトランペット・ソロ部終盤から転調し別のスケールを用いて、その状態でケニーとの掛け合いをやってそのままケニーの長尺すぎるソロに突入し、最後はボス自ら大きな音で一つパラッと吹いて突然強制終了させる。ずっとこのやりかただったんだよね。
しかも上の1988/11/5、オーストリア公演分でも確認できることだけれど、最初ケニーはフルートでマイルズにからんでいて、そのへんは「ヒューマン・ネイチャー」という曲がもともと持っているプリティなチャーミングさ、リリカルさを表現しているみたいに聴こえるが、後半のアルト・サックス・パートでは、一転、ほとばしる激情みたいなものを表現しているよね。
リズム・セクションの演奏もどんどんと熱を帯びてきて、ケニー・ギャレットのパッショネイトな表現を盛り立てている。どこまで行くのか…、これをボスはステージ上で黙って見守っていたんだよね。こんなサックス激情の劇場を。マイケルの歌う原曲とは似ても似つかない曲調の「ヒューマン・ネイチャー」の展開。あんなマイルズの1988年以後の「ヒューマン・ネイチャー」 は、いったいどういうことだったんだろう?寂寥感きわまっての爆発的表現??
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