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2018/01/05

アフリカのほうを向きつつジミヘンを聴く 〜 マイルズの最高傑作『キリマンジャロの娘』

な〜んか耳馴染みのあるコード・ワークだなあと思いつつなんだかわからず長年聴いてまいりましたマイルズ・デイヴィスの「マドモワゼル・メイブリー」(『キリマンジャロの娘』ラスト)。ワタクス、たったいま気がつきましたでござります。こりゃ、ジミ・ヘンドリクスの「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」(1967年シングル、『アー・ユー・エクスピアリエンスト』US 盤 B 面一曲目、現行 CD 16曲目)じゃあ〜りませんか!

ハッとこれに気がついた2017年12月25日深夜、iTunes でこの二曲を連続再生設定にしてリピートすること三回、どこからどう聴いてもおんなじものだ。うん、「マドモワゼル・メイブリー」がなにかに似ている、どこかで聴きおぼえたよく知っているリズム&ブルーズ・フィールだ、しかしこれなんだろう?と思い出せないまま、もう30年近く悶々と、というか「これ、なんだっけ?よ〜く知っているものだけど、思い出せないなあ」と悩みつづけてきて、本当に自力でたったいま気が付いたんだけど、いまごろこんなことになっているのは僕だけだろう。このマイルズとジミヘンの関係のことは後述する。

さて、マイルズ・デイヴィスの1968年作『キリマンジャロの娘』。どうして全曲フランス語題なんだろう?ちょっとした異国ふうな感じを出したかっただけかなあ?と思ってよくよく調べてみると、Filles de Kiimanjaro とはタンザニアのコーヒー豆を輸入するビジネスであるキリマンジャロ・アフリカン・コーヒーという社名に由来するもので、それはマイルズの友人が経営。マイルズ自身も出資していたものらしい。それで、ほかの曲も合わせてフランス語題にしてみたというだけなのかもしれない。つまり自身も出資するこのコーヒー豆輸入会社の宣伝かなにかだったんだな。な〜んだ。

それでもマイルズのアルバム『キリマンジャロの娘』が大変におもしろいアルバムで、というかいまの僕にとってはこの音楽家の全作品中いちばんおもしろいのがこの一枚で、はっきり言っちゃうが大傑作だと考えるようになっている。つまり1949〜91年に録音したマイルズのすべての作品のなかでの最高傑作が1968年の『キリマンジャロの娘』というのが僕の最近の考え。『カインド・オヴ・ブルー』でも『イン・ア・サイレント・ウェイ』でも『ビッチズ・ブルー』でもなく、これこそナンバー・ワンだ。僕にとってだけかもしれないが。

直接的には自身も出資するタンザニアのコーヒー豆輸入会社に由来してフランス語を使ってあるだけなんだろうが、アルバム『キリマンジャロの娘』の中身(はやっぱり英語題でもよかったような気がちょっとする)は、タンザニアとはいかないが、南アフリカ音楽方面への言及と、それからかなり露骨なジミ・ヘンドリクスからの借用がある。そしてアフリカのほうを向きつつジミヘンを聴くという、この二つは関係があるよなあ。つまり、マイルズの音楽はここ1968年において、かなり大きく変化したんだった。

そういうわけだから、アルバム『キリマンジャロの娘』でおもしろいのは、一曲目「フルロン・ブラン」、四曲目「キリマンジャロの娘」、五曲目「マドモワゼル・メイブリー」の三つだ。あとは二曲目「トゥー・ドゥ・スイート」の冒頭部と終盤部もかなりいい。ふつうのジャズ・ナンバーである三曲目「プチ・マシャン」は、一般のジャズ・リスナーならこれがいいと思うに違いないが、1968年のマイルズ・ミュージックとしてはイマイチだよなあ。

アルバム『キリマンジャロの娘』収録曲には、ギル・エヴァンズがかなり深く関わっていたことが、いまではわりとよく知られている。全五曲のうちいちばん先に録音されたのがギルの書いた「プチ・マシャン」で(1968/6/19)、アルバム・リリース時にはマイルズの名前しか作曲者として記載がなかったが、その後ギルが自身のバンドで「イレヴン」として演奏したのが、アルバム『スヴェンガリ』に収録されている。マイルズの『キリマンジャロの娘』でも、いまではさすがに共作扱いの記載だが、たぶんギルがひとりで書いたものに違いない。これはでもふつうのジャズだからなあ。

録音順だとこれの次が1968年6月20日の「トゥー・ドゥ・スイート」(いまでは別テイクも聴ける)。イントロ部とエンディング部のディープなブルージーさがいいのに、アド・リブ・ソロを展開する部分ではコードもリズムもパッと変わったまま進んでしまう。ハービー・ハンコックのフェンダー・ローズ・ソロ最終盤でちょろっとブルージーになってふたたび冒頭部と同じディープ・ブルーズになって終わる。これも三人のアド・リブ部はふつうのジャズ・ファン向けだ。

そして1968年6月21日の「キリマンジャロの娘」。これがかの五人(マイルズ、ウェイン・ショーター、ハービー、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズ)編成のレギュラー・バンドでの最終録音になった。LP レコードでは B 面一曲目のこれが、マイルズがいちばん最初にはっきりとアフリカ音楽のほうを向いた曲だ。実際、かなり面白い。そして、上の Spotify リンクでちょっと聴きなおしていただきたいのだが、ソロに入る前のテーマ(?)演奏みたいな部分が、時間も長いが、かたちも相当に入り組んでいる。これは口頭での事前打ち合わせだけでは不可能だから、間違いなく譜面があったはずだ。

そして、曲「キリマンジャロの娘」のテーマ(?)みたいな部分の譜面を書いたのがやっぱりギルだったんだよね。これもいまや確認が取れている事実だ。上で書いた「トゥー・ドゥ・スイート」のコード・ワークにもギルが手を貸していると判明している。というか、そもそもアルバム『キリマンジャロの娘』の音楽プロデューサーはギルなんだよね。名義上はテオ・マセロだから、ギルは音楽監督というかサウンド・クリエイターというかそんな役目でアルバム全体にかかわっていた。当時もいまもどうしてクレジットされないのか、ちょっと不可解だ。

だからアルバム『キリマンジャロの娘』だって、本当はマイルズ&ギルの共作名義で発売しなおすべきだ。もはやいまからそれは難しいことだけど。とにかく曲「キリマンジャロの娘」のテーマ(?)は七つのフラグメントで構成されていて、それがぜんぶ少しずつ異なった旋律を持っている。リズム・パターンも綿密にアレンジされている。それをギルが(百歩譲ってマイルズとのコラボで)書いた。

ちょっと付記しておきたいが、ギルとマイルズのどっちが先にロック・ミュージック(特にジミヘン)や、あるいはアフリカ音楽に深い関心を寄せ、どっちが先にそれを自分の音楽に取り入れはじめたのかっていうと、ギルの方が少しだけ先だったんだよね。1968年初頭あたりからギルとマイルズがふたたび密着して1970年あたりまで過ごしたのは間違いなく、その約二年間にジミヘンもからんでのトライアングルを形成していて、しかもそこにベティ・メイブリーがいっちょかみしているっていう。

アフリカ音楽に、まずギルが先に深い関心を持つようになっていたので、1968年6月21日のマイルズのレコーディング・セッションにそれを持ち込んで、曲「キリマンジャロの娘」に結実したというのが真相じゃないかと僕は思う。もちろんマイルズだって1965年ごろから中南米、ことにカリビアン・ミュージックを取り入れて、実際、成果をいくつか出している。ブーガルー・ブルーズみたいな「エイティ・ワン」以後、「フリーダム・ジャズ・ダンス」「ジンジャーブレッド・ボーイ」「フットプリンツ」「マスクァレロ」「プリンス・オヴ・ダークネス」「ライオット」。そして特に(当時は未発表だった)「ファン」「ウォーター・オン・ザ・パウンド」。

しかしそれらだってギルが一部助力しているんだもんなあ。なかでもアルバム『マイルズ・スマイルズ』収録曲はそうだったと判明している。電気楽器の使用だってギルのほうが早かった。ってことは1967年末ごろからのマイルズ・ミュージックの電化、ロック&ファンク化、中南米アフリカ志向、これらすべてギルと一緒に歩んだものだったってことになるなあ。ばあいによっては、マイルズはぜんぶギルから教えてもらっていたのかもしれない。

そんなわけで、曲「キリマンジャロの娘」や、アルバムだとオープナーになっている1968年9月24日録音の「フルロン・ブラン」(ここからチック・コリア&デイヴ・ホランドが参加した新バンドになる)なんかができあがったんだろう。サウス・アフリカン・ジャズというか、ズールーのクウェラ /ムバカンガ・マイルズみたいなものが。「キリマンジャロの娘」「フルロン・ブラン」ほど鮮明なアフリカン・ジャズは、マイルズのなかにはほかにない。

しかも録音が先で、バンドも長年やってきたレギュラー・クインテットによる「キリマンジャロの娘」よりも、新編成でやった「フルロン・ブラン」のほうがおもしろいんじゃないだろうか。わかりやすく鮮明にアフリカ音楽に近いのは前者のほうで、メロディは明るくオプティミスティック。だけどビートは揺れずシンプルなものを定常的に刻んでいる。ところが後者ではかなりポリリズミックになっているもんね。チック、デイヴ、トニーの三人がからみながら進んでそうなっているわけだけど、特に右チャンネルのトニーがすごい。それにぶつけるようにエレクトリック・ピアノで不穏なブロック・コードを叩くチックにもシビレる。

つまり同じアフリカン・ジャズであっても、「キリマンジャロの娘」はコード・ワークとメロディ展開にそれを聴きとるべきようなもの。いっぽう F のブーガルーである「フルロン・ブラン」はポリリズミックなグルーヴ一発が命みたいな曲、というか演奏で、そこがいまの僕には最高なんだよね。出だし 0:00 でまず右からトニー、0:01で左からチックが入ってきた瞬間が、いまの僕は最高の快感で、も〜う!背筋がゾクゾクするもんね。直接的にはジェイムズ・ブラウン「コールド・スウェット」のリズム・パターンだけど、JB のそれにはこんなに強いアフリカン・テイストはない。

「フルロン・ブラン」(ブラウン・ホーネット)とは、これすなわち当時の恋人(録音後の同じ九月に結婚する)ベティ・メイブリーへの言及なんだけど、言うまでもなくアルバム・ラスト「マドモワゼル・メイブリー」がそのまんまの捧げものだ。そして今日いちばん上で書いたように、これはジミヘンの曲「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」からそのまま借用している。

上のほうで、ジミヘンの「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」も、音源リンクをご紹介してあるので、ぜひ聴き比べてほしい。直接には「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」の冒頭三つのコード・ワークを転用してある。でもマイルズ・ヴァージョンではそれをちょっと変えてあるよね。その再解釈、リワークをしたのがやっぱりギル・エヴァンズだったんだよ。

ジミヘン「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」の冒頭部のコード進行は E / F / F♯。いっぽうマイルズ「マドモワゼル・メイブリー」だと F / E♭ / E になっている。この動きかたはとても似ている。具体的にどのコードをどう使ってあるかわからなくても、これら二つの曲を聴けば、類似性、というよりも同一性はだれでも鮮明に理解できるものだ。

マイルズの「マドモワゼル・メイブリー」では、その後、コード・ワークを含む曲全体のコンポジションがジミヘンの「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」からは離れていっているが、そんな展開もギルのペンになるアイデアだったんだよね。ギルはマイルズよりも先にジミヘンを聴いていた。特にここがギルらしい着目点だが、ジミヘンのソングライティング能力というか、コンポーザーとしてかなりおもしろいと考えるようになっていた。マイルズがベティの勧めで聴きはじめるよりも前にギルがジミヘンに親しんでいた。

「マドモワゼル・メイブリー」の録音も、「フルロン・ブラン」と同じ1968年9月24日。この日、ギルがこの曲を持ち込んだということは、当然すでにジミヘンの「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」をギルは聴いていたわけだよね。アメリカでもその一年以上前の67年6月19日に「パープル・ヘイズ」の B 面でシングル盤が発売されているし、英国盤とは違い、同年8月23日発売のアルバム『アー・ユー・エクスピアリエンスト』のアメリカ盤だと、B 面一曲目だったんだし、情報によれば、ラジオなんかでも頻繁に流れていたそうだ。だから、マイルズだって耳にしていただろうが。

しかもジミヘンの「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」は、メアリーがミドル・ネームのキャシー・エッティンガムというジミヘンのガールフレンドへの言及なんだよね。マイルズの「マドモワゼル・メイブリー」だってガールフレンドへのストレートなトリビュート題なんだし。ってことはこのマイルズの曲はジミヘンへのオマージュとしてギルがリワークして創ったものだから、ジミと同じようにマイルズも自分の恋人の名前を持ってくることにしたんだろうね。そんな曲題の付けかたはマイルズのオリジナル・アイデアだったかもしれない。

ジミヘンの「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」はチャーミングなロッカ・バラードだけど、それから(ギルが)転用したマイルズの「マドモワゼル・メイブリー」は、かなり気だるそうにレイド・バックしたディープなスロー・ブルーズで、黒く、しかも強く官能的なフィーリングが漂っている。

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